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「南総里見八犬伝」 第一巻 あとがき その1

2018年03月03日 00時50分54秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「南総里見八犬伝」 第一巻 運命の仲間 原作 曲亭 馬琴 文 時海 結以 講談社 青い鳥文庫 2016年

 あとがき その1

 この物語は、今から約200年前に書きはじめられた小説『南総里見八犬伝』を原作として、おもしろいシーンや、物語にとってだいじなシーンだけを選んでつなげ、読みやすいように書きなおしたらい、さらにオリジナルのシーンを加えて、全三巻にしたものです。
 200年前の江戸時代に、こんなにもおもしろい、冒険ファンタジー小説があったのです。いまの少年マンガやゲームやアニメと、変わりなくおもしろいですよね。

 200年前に原作を書いた人は、ペンネームを曲亭馬琴といいます。
 よく「滝沢馬琴」とよばれていますが、馬琴本人がそう名のったことは、まだ確認できていません。
 本名が滝沢解(とく)なので、本名の名字と、ペンネームの下の名前が、明治時代以降に、いつのまにかくっついてしまったようです。実際、本名の名字にペンネームの名前をくっつけてサインしたりした江戸時代の小説家もいましたので、そうなってしまったのかもしれません。

 曲亭馬琴は1767年に、江戸で武士の家に生まれました。武士としての名前は滝澤興邦(おきくに)といいました。
 いったんはぶしとしてはたらきはじめるのですが、どうしても仕事が好きになれなかったようです。じつは馬琴は、子どものころから、俳句を作るのが大好きで、よく本を読んでいました。

 22歳のとき、病気になったのを機会に武士をやめ、医者や学者になろうとしてみたあげく、24歳で、当時の大人気小説家、山東京伝に弟子入りします。やはり、何かを書きたいという、子どものころからの夢を、かなえたかったのでしょうか。

 小説家デビューを果たし、名前も武士らしい興邦から、町人らしい解(とく)に変え、ペンネームも決めて、27歳で下駄屋の娘のお百(ひゃく)と結婚し、むこになります。

 しかし、馬琴は下駄屋の商売も好きになれず、手習いの師匠、いまでいうと塾の先生をしながら、小説家としても活躍しはじめます。そして41歳になったとき、「椿説弓張月」というヒット作を出すことができました。人気小説家の仲間入りです。

 そして1814年、『南総里見八犬伝』を発表します。大ヒット作となり、それから28年をかけて書かれて、全98巻、上・下巻に分かれている巻もあるので、本にして106冊の、大長編になるのです。
 現代の文庫でも、一巻平均400ページくらいという厚さで10巻分あります。