「大本営発表」 その2 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年
「はじめに」 その1
大本営発表は、日本メディア史の最暗部である。
軍部が劣勢をよそに「勝った、勝った」とデタラメな発表を行い、マスコミがそれを無批判に垂れ流す。そして国民は捏造された報道に一喜一憂させられる。かつて日本はこうした暗い時代があった。
戦後70年以上がすぎてなお、大本営発表が「あてにならない当局の発表」の比喩として盛んに使われている事実は、この体験がいかに比類なく強烈だったのかを物語っている。2011年3月に発生した福島原発事故に関して、経済産業省、原子力安全・保安院、東京電力などの発表が「大本営発表」として批判されたことも記憶に新しい。
大本営発表とは本来、1937年11月から1945年8月まで、大本営によって行われた戦況の発表である。大本営は日本軍の最高司令部だったため、その内容は基本的に軍事的なものに限られていた。にもかかわらず、その発表が今日ここまで強い印象を残しているのは、そのデタラメぶりがあまりに酷かったからにほかならない。
「はじめに」 その1
大本営発表は、日本メディア史の最暗部である。
軍部が劣勢をよそに「勝った、勝った」とデタラメな発表を行い、マスコミがそれを無批判に垂れ流す。そして国民は捏造された報道に一喜一憂させられる。かつて日本はこうした暗い時代があった。
戦後70年以上がすぎてなお、大本営発表が「あてにならない当局の発表」の比喩として盛んに使われている事実は、この体験がいかに比類なく強烈だったのかを物語っている。2011年3月に発生した福島原発事故に関して、経済産業省、原子力安全・保安院、東京電力などの発表が「大本営発表」として批判されたことも記憶に新しい。
大本営発表とは本来、1937年11月から1945年8月まで、大本営によって行われた戦況の発表である。大本営は日本軍の最高司令部だったため、その内容は基本的に軍事的なものに限られていた。にもかかわらず、その発表が今日ここまで強い印象を残しているのは、そのデタラメぶりがあまりに酷かったからにほかならない。