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「声が生まれる」 話すことへ その1 竹内 敏晴

2016年12月18日 00時01分22秒 | 朗読・発声
 「声が生まれる」聞く力・話す力  竹内 敏晴  中公新書  2007年

 話すことへ――つかまり立ち その1 P-24

 さてことばを話すということになると、その出発点としていちばん大切なことはなんだろう?あなたはどう思いますか?

 (中略)

 『神様は手話はできるの?』(スプラドリー著、山室まりあ訳、早川文庫)という本がある。全く耳の聞こえない女の子を授かり、そのことにはじめは気がつかず、後に必死になってことばを教えようと苦しんだ父親の手記である。アメリカでは聾教育は口話中心だ。これは、相手が話す時の唇の形を読んで発音を判断し、文章を理解する。そして自分も唇の形を作り、自分で聞くことのできない声音を発することを訓練して、なんとか会話を成立させようとする方法である(この方法には長い歴史があるのだが、今のわたしには賛成しきれないことが残る)この父親も補聴器にわずかな望みを託しながら、唇の形を読み、その形をまねすることを幼い子に教えてゆく。だが親や教師の努力にもかかわらず、かの女はひとことも話すことができない。

 ある日隣りのアパートに住む男の子の誕生パーティに加わったかの女は、子どもたちにまじってデコレーションケーキのロウソクを吹き消そうとする。かの女もほかの子のように燃えているロウソクの方に身を乗り出して、口を小さく丸めたが、炎はゆらぎもしない。もう一度。なにも変わらない。父親ははじめて、かの女が、息を吹き出すことを知らないのだということを目の当たりに見たのだった。

 息を吐かなくては声は出ない。あまりにも当たり前のこと過ぎて、人はそれを忘れている。では耳の聞こえない子にどうやって息を吹き出すこおとぉ教えられるのか。父親は試みかけて呆然と立ちつくす。この後、かの女と親たちはなん年もの苦闘の末にようやく手話で話す人たちに出会い、口話中心の聾教育者たちに非難されながら手話によって、「ことば」を獲得してゆく。「神様は手話ができるの?」とは、かの女をかわいがって進んで一緒に手話を覚えてくれたおばあちゃんが亡くなった時、かの女が父に尋ねたことばである。

 竹内敏晴 1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者教育に打ち込む。