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本居宣長」 学問は継続に尽きる 吉田 悦之

2016年04月12日 00時10分17秒 | 古典
 「日本人のこころの言葉 本居宣長」 吉田 悦之(本居宣長記念館館長) 創元社 2015年

 「学問は継続に尽きる」 P-120

 詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びようは、いきょうにてもよかるべく、さのみかかわるまじきこと也。 (『うい山ぶみ』)

 結局のところ、学問というものは、長い時間をかけて、飽きることなく怠ることなく一生懸命にすることが大事で、その方法はどのようであってもかまわないし、たいした問題ではないのです。 (現代語訳)

『うい山ぶみ』は、門人たちからの求めに応じて渋々書かれた学問の入門書です。
 今も書店に行けば、たくさんの勉強法や情報処理、メモの取り方といった本が出ています。成功者に聞くのはヒントになることも多く、読むと面白いものです。渋々書かれた本書でしたが、やはり実践者の言だけに重みがあります。
 でも、ものを教えることが大好きだった宣長が、なぜそれを書くことには消極的だったのでしょうか。教えたくなかったのでしょうか。

 実は宣長には、学問の方法については、取り立てて言うことは何もなかったのです。好きなようにすればよいのです。自分もそうしてきたのですから。
 しかしそれでは満足してくれないので、経験をふまえて語ってみたのです。
 結論としては、王道はない。しかし大切なことはあります。それがこの一節です。これに比べたら、みんなが期待する研究法など、たいした問題ではありません。
 もし、学問に近道があったとしても、宣長なら通らなかったはずです。考えること、調べることが楽しくて、またそれが宣長にとって生きること、喜びだったからです。
 学問とはこのような人たちによって進歩していくものなのです。

 (作者 注意書き)原文は原則として新字体・現代かなづかいに改め、読みやすくするために、適宜、ふりがなや句読点をつけるとともに、かなを漢字にするなどの調整をしました。和歌・俳句は、旧かなづかいのままとし、ふりがな、濁点をつけました。