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「江戸の卵は一個400円」 その13 丸太 勲

2015年04月04日 00時10分06秒 | 雑学知識
 「江戸の卵は一個400円」 モノの値段で知る江戸の暮らし 丸太 勲 光文社新書 2011年

 「煙草は手ごろな嗜好品」 P-78

 煙草が日本に入ってきたのは16世紀末、すなわち江戸時代の初めの頃で、南蛮船によって持ち込まれた。1600年、イエズス会の宣教師が徳川家康に謁見して煙草の種子を献上したというのが煙草に関する最初の記録だ。
 当初はもの珍しさで喫煙に手を出す者が多かったが、中でも奇をてらう「かぶき者」たちは一党の証として大きな煙管(きせる)を持ち歩き、喫煙姿を見せびらかした。彼らは町を徘徊するならず者集団で、見かねた江戸幕府は喫煙禁止令を出した。その後も、米作りより現金収入の多い葉煙草栽培をする農家が増え、再度喫煙禁止令を出した。
 しかし、二度の禁止令にもかかわらず喫煙の風習はたちまち日本中に広がり、国内のあちこちで葉煙草が栽培されるようになり、やがて禁止令は沙汰やみとなった。
 当時の煙草と言えば、乾燥した葉煙草を細く刻んだ「きざみ煙草」だ。これを煙管に詰めて3~4回吸っては灰を捨て、詰め替えをしながら吸った。現在でも「小粋」という名のきざみ煙草は売られているが、今は煙草と言えばもっぱらフィルター付きの紙巻煙草のことだ。
 現在、「小粋」は10グラムで330円(現在は360円)、当時のきざみ煙草の値段は品質によりばらつきがあったが、中等の煙草で10文(200円)前後だったと思われる。この値段だったら江戸庶民も煙草を楽しむことができた。
 ちなみに、きざみ煙草の喫煙に必要な煙管は普及品で10文(200円)前後、細工物や材質に金銀を使った贅沢な物もあった。