「がまの油」 安野 光雅 著 岩崎書店 1976年(昭51年)
(マッチ売りの少女ならぬ膏薬(がまの油)売りの少女の話)←akira
原文は旧字体である 会い→會い カタカナは使っていない フロッグ→ふろつぐ
前略
御立ち会い候へ ここに取り出せし 陣中膏を知り給はずや
東方遥かなる じゃぱんより来る ふろつぐの油なり
彼の国にては がまと呼べり がまの住めるは まうんとつくばの麓にして
露草と車前草(おほばこ)の根を噛みて育つといへり
前足の指は四本にして後足のそれは六本なり
人これを調べ 四六てんもんのがまと名づけたり
今こそその油をとる技術を語らむ
四方かがみにて囲みたる箱に がまを入れし様を思ふべし
その醜き姿は 幾重とも数知れず
大軍となりて蠢めかんに 彼の魂は氷の如く 彼の肌は火の如くなりて
滲み出る恐怖の毒油は 下のうけ皿に滴るべし
集めたる油に加へしは 天竺の鹿の骨 あまぞんの鰐の黒焼
赤き辰砂(しんさ) てれめんていな に まんていか
さらに高貴なる香烟(香煙)をくぐらせて 三七は二十一日間を煮つめたり
この膏薬を購ひて 不治の床より起き出でたる人 数知れず
医者の多くは闇に乗じて街を去り給ひき
試みに その効験を数へ上げむか
皹(ひび) 皹裂(あかぎれ) 陰金(いんきん) 頑癬(たむし)
湿疹(しつ) 雁瘡(がんがさ) 瘍梅瘡(ようばいそう)
疣痔(いぼじ) 切痔(きれじ) 脱肛痔(だっこうじ)
穴痔(あなじ) じやつか痔も数ふべき
就中(なかんずく) 凍傷に特効を示すこと 著しきをいかにせむ
中略
乙女は語りつぎぬ
がまの油の効用は ただ病を癒すのみに候はず 刀の刃をも 止むるなれ
この雅光の名刀を はじめより刃の無きものと思はるるは 本意ならず
いまより 試し切りを見て候へ
と 白き紙をとり出し 鮮やかに 二つに切りぬ
二つに折りし 白き紙は さらに切られて四つとなり
四は八 八は十と六 と 次第に細かく刻まれたるを強く息かけて 吹き払へば
紙片は風に舞い上がり 降る雪を欺(あざむ)く如く 散りしきぬ
さて乙女は 刀に油をぬりたり 果たせるかな 再び紙の切れることなし
後略
あとがき
一冊の本は、聞かれれば、私はためらわずに、森鴎外の即興詩人と答える。
原作のアンデルセンと共に、傾倒した東西二人の作家である。
それに私は落語が好きである。
そんな私が、柱に頭をぶっつけたりしたら、何ができ上るか。
それが、この本であった。
鴎外の、あの流麗、典雅な文語体にあやかりたいと、敢(あえ)て、
この全くちぐはぐなものを併せて一つにした。
もし文中に優れた個所が見出せたら、それは鴎外の影響である。
さて、柱に頭をぶっつけてできた傷は、がまの油で治るだろうか。
私は、昔、大道のがまの油売りの本物を、一度ならず見たことがある。
刀こそ使わなかったが、腕に針を通し、水を入れたバケツをそれにぶらさげて人を集めていた。
それは大道の物売りの常で、必ずしも薬効はないものと思っていたが、しらべてみたら冗談ではなかった。
がまの耳栓から分泌する乳白色の液は、ブフォゲニンという一種の毒を有する。
中国ではこれを「せんそ」といい、がまの油や六神丸の原料となる。
「せんそ」は朝鮮人参や、牛黄と並ぶ有名な漢方薬の一つだということであった。
(マッチ売りの少女ならぬ膏薬(がまの油)売りの少女の話)←akira
原文は旧字体である 会い→會い カタカナは使っていない フロッグ→ふろつぐ
前略
御立ち会い候へ ここに取り出せし 陣中膏を知り給はずや
東方遥かなる じゃぱんより来る ふろつぐの油なり
彼の国にては がまと呼べり がまの住めるは まうんとつくばの麓にして
露草と車前草(おほばこ)の根を噛みて育つといへり
前足の指は四本にして後足のそれは六本なり
人これを調べ 四六てんもんのがまと名づけたり
今こそその油をとる技術を語らむ
四方かがみにて囲みたる箱に がまを入れし様を思ふべし
その醜き姿は 幾重とも数知れず
大軍となりて蠢めかんに 彼の魂は氷の如く 彼の肌は火の如くなりて
滲み出る恐怖の毒油は 下のうけ皿に滴るべし
集めたる油に加へしは 天竺の鹿の骨 あまぞんの鰐の黒焼
赤き辰砂(しんさ) てれめんていな に まんていか
さらに高貴なる香烟(香煙)をくぐらせて 三七は二十一日間を煮つめたり
この膏薬を購ひて 不治の床より起き出でたる人 数知れず
医者の多くは闇に乗じて街を去り給ひき
試みに その効験を数へ上げむか
皹(ひび) 皹裂(あかぎれ) 陰金(いんきん) 頑癬(たむし)
湿疹(しつ) 雁瘡(がんがさ) 瘍梅瘡(ようばいそう)
疣痔(いぼじ) 切痔(きれじ) 脱肛痔(だっこうじ)
穴痔(あなじ) じやつか痔も数ふべき
就中(なかんずく) 凍傷に特効を示すこと 著しきをいかにせむ
中略
乙女は語りつぎぬ
がまの油の効用は ただ病を癒すのみに候はず 刀の刃をも 止むるなれ
この雅光の名刀を はじめより刃の無きものと思はるるは 本意ならず
いまより 試し切りを見て候へ
と 白き紙をとり出し 鮮やかに 二つに切りぬ
二つに折りし 白き紙は さらに切られて四つとなり
四は八 八は十と六 と 次第に細かく刻まれたるを強く息かけて 吹き払へば
紙片は風に舞い上がり 降る雪を欺(あざむ)く如く 散りしきぬ
さて乙女は 刀に油をぬりたり 果たせるかな 再び紙の切れることなし
後略
あとがき
一冊の本は、聞かれれば、私はためらわずに、森鴎外の即興詩人と答える。
原作のアンデルセンと共に、傾倒した東西二人の作家である。
それに私は落語が好きである。
そんな私が、柱に頭をぶっつけたりしたら、何ができ上るか。
それが、この本であった。
鴎外の、あの流麗、典雅な文語体にあやかりたいと、敢(あえ)て、
この全くちぐはぐなものを併せて一つにした。
もし文中に優れた個所が見出せたら、それは鴎外の影響である。
さて、柱に頭をぶっつけてできた傷は、がまの油で治るだろうか。
私は、昔、大道のがまの油売りの本物を、一度ならず見たことがある。
刀こそ使わなかったが、腕に針を通し、水を入れたバケツをそれにぶらさげて人を集めていた。
それは大道の物売りの常で、必ずしも薬効はないものと思っていたが、しらべてみたら冗談ではなかった。
がまの耳栓から分泌する乳白色の液は、ブフォゲニンという一種の毒を有する。
中国ではこれを「せんそ」といい、がまの油や六神丸の原料となる。
「せんそ」は朝鮮人参や、牛黄と並ぶ有名な漢方薬の一つだということであった。