民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「つつじの乙女」 松谷みよ子 

2012年08月25日 00時11分36秒 | 民話(昔話)
 つつじの乙女 「信濃の民話」 日本の民話 1 松谷みよ子 未来社 1957年

 昔、小県(おがた)の山口村に、一人の働き者の 美しい娘がありました。

 ある年の 祭りの晩のことでした。
ふとしたことから 松代から呼ばれてきた若者と知り合って 行く末をちぎりかわしました。

 しかし、祭りが終われば、松代は 山また山の向こうで、ちぎりかわしたことも 夢の中のできごとのようです。
娘は 一日の畑仕事が終わって、家のものが寝静まると、こっそり家を抜け出し、夜空に黒く連なる山なみを眺めては、たちつくすようになりました。
 「ああ、わたしのからだごと、あの山の向こうへ 投げ出したい。」
 娘はほてる頬を 両手にはさんで、ほうっと吐息をつきました。
その息は 冷たい夜気にふれて、しろじろと 凍りました。しろい息のあとを追って、娘がふと山を見上げたとき、はっと息をのみました。一つの火がちらちらと山を越えていくのです。
 「だれか・・・山を越して、松代に行くのだ。」
 じっと その火をみつめているうちに、娘のからだは 火のように 燃えてきました。
 「わたしだって行けないはずはない。わたしの足は山仕事になれている。行こう、行ってみよう。」
 娘は ぐいぐいと 何かに引き寄せられるように 歩き出しました。
 
 その夜更け、松代の若者は ほとほとと 戸を叩く音に驚かされました。そこには荒々しく息をはずませ、黒い目から きらきらと 強い光をはじきだしている、真ッかな頬の 娘が 立っていたのです。

 その夜から、毎夜のように、娘は松代に通うようになりました。戸を叩く音に 若者がそっとあけると、娘は両手をさしだして ぱっと開きます。そこには一握りずつ、熱いつきたてのモチが うまそうにのっているのでした。
 若者がモチを取ると、娘ははじめて ほっとしたように息をついて、部屋にあがってくるのでした。
 「このモチはどうして?」
 若者は熱いモチをほおばりながら、たずねました。しかし、娘はもう一つのモチを食べながら 目で笑うだけで 一度も 答えたことはありませんでした。

 ある嵐の晩でした。今夜はまさか来ないだろうと寝入った若者は、戸を叩く音に目を覚ましました。長い黒髪も着ているものもずっくりとぬれて 娘が立っていました。
 その目からは いつもよりもっと 強い光がはじきだされ、手に握り締めたモチは いつもより もっと熱かったのです。
 若者は ふと おそろしくなりました。
 「お前、このごろ げっそりとやせたなあ、顔も真っ青だし、まあず 何かにとりつかれているようじゃねえか。」
 仲間の若いものに そんなことを言われたことが 急に 思い出されました。
 女の身で、男でさえ歩きかねる あの険しい山道を・・・太郎山、鏡台山、妻女山もある・・・これはただの女ではない。魔性のものかもしれぬ。
 そう思うと 若者は、不気味になってきました。その夜、はじめて 若者は、娘のくれたモチを食べませんでした。

 それから、若者は 娘が訊ねてくるのがいやでならなくなりました。娘にも 冷たくなっていく若者の様子がふしんでなりません。この山さえなかったら、山を越す間も 娘は声を上げて泣きたい思いにかられながら、ある夜、とうとう 若者にどうしてモチを食べてくれないかとたずねました。
 「前にはあんなにうまいと食べてくれたのに。」
 娘は涙をためて問い詰めます。若者は苦しそうに、この頃 思っていることを 話してきかせました。
 「おら、お前は 魔性のものではないかと 思うようになった。」
 男は 最後に ぼそりと言いました。娘は、
 「お前のことを思えば 山仕事になれた足だもの、三つや四つの山を越えてくることなど苦になりません。また、毎晩あげるおモチは 家を出るとき モチ米を一握りずつ 握り締めて出ると、険しい山道を夢中で歩いてくる間に、いつのまにか モチになっているのです。どうかそんな疑いはもたないで・・・。わたしはただの人間の娘なのだから、お前を思う心だけが 山を越させてくれるのだから。」
と、泣きながら訴えました。

 しかし、いったん、しのびこんだ疑いは晴れません。日に日に青ざめやせていく自分を見ると、いつかはとり殺されてしまうだろうと思いつめた若者は、とうとう 娘を殺してしまおうと決心しました。

 月のよい夜でした。若者は月光をふんで、山道を登っていきました。娘が必ず通る太郎山から大峰へ行く道の、刀の刃と呼ばれる難所で待ち伏せしようと考えたのでした。あたりは深い静かさがたれこめて、時々ギャーと 気味悪い鳴き声がひびいてきます。真夜中の山道は 男でさえ不気味でした。
 「こんな所を平気で来るあの女は、いよいよ魔性と決まった。」
 若者は山の断崖のところまで来ると、ぴったり体を崖につけてじっとうかがっていました。しばらくすると小さな影があらわれて 風のようにぐんぐん近づいてきます。月の光に照らされた顔は まぎれもないあの娘でした。
 若者は娘をやりすごすと 躍り出て 断崖絶壁の上から 深さもしれない谷底へ 突き落としました。
 
 あわれな娘の血がしたたったのでしょうか、それから・・・この山々には 真ッかなつつじの花が一面に咲き乱れるようになったといいます。

 おしまい   採集 村沢 武夫 再話 松谷みよ子