民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「小さな生命」 マイ・エッセイ 27

2017年03月11日 00時46分11秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   小さな生命
                                                  
 暖かくなって今年もまたアリに悩まされている。涼しくなってアリが来なくなり、その存在を忘れていたのに、また、あの果てしない戦いをしなくちゃならないのか、と去年の悪夢がよみがえる。
 オイラの部屋は二階にある。三十年以上暮らしてきて、今まではそんなことはなかったのに、去年、毎朝ハチミツをスプーンに一杯、大きめのカップに入れ、お湯で薄めて飲むようになってから、そのわずかな飲み残しをねらってアリがやって来るようになった。
 外出して部屋に戻ると、カップの底面が見えないくらいにびっしりとアリがたかっていて、そこから一筋の流れのようにちょこちょこと行き来しているアリの行列が続いている。
 去年は躍起になって掃除機で吸い込んだり、粘着テープでペタッペタッとくっつけたりしてアリを退治しようとした。大量殺戮にそれほど罪の意識はなかった。しかし、やっつけてもやっつけてもきりがなく、いい加減ウンザリしていたが、それでも見つけるたびに敵意むき出しでアリに対する攻撃を緩めなかった。
 それがどういうわけか、今年は最初からアリを退治しようという気が起きない。別に実害があるわけじゃないし、逆にカップを洗う手間が省けていいや、などとのんきに構えて、アリの好きなようにさせていた。そしたらアリのヤツ調子に乗りやがって、ハチミツの入っているガラス瓶のフタから侵入してくるようになった。フタを回すとフタの裏がアリでびっしりになっていて、ハチミツの中では数匹のアリが溺れてもがいている。既にご臨終のアリもいる。きれいにするのにもべたべたしているから始末がわるいし、カップにお湯をそそぐとポツポツと黒いのが浮かんでいたりする。もったいないから取り除いて飲んでしまうが、あまり気持ちのいいモノではない。第一やっかいだ。
 一体どうやって中に入るのだろう、不思議な思いでガラス瓶を見つめながら、渾身の力を込めてフタを締めてみるが、それでもダメ。しょうがないから今はビニール袋に入れて輪ゴムで結んで保管している。これでハチミツの瓶には直接の被害がなくなったが、カップに集まってくるアリにはほとほと手を焼いている。
 それでも去年のようにアリを退治しようとは思わない。殺傷をかたくなに拒否しているのだ。あきらかにオイラの中でなにかが変わった。それはなんだろう、自問してみた。
 去年の経験を思い返して、切りがない戦いに嫌気が差した。それはある。夏の間だけのちょっとの辛抱だ。それもある。だけど決定力に欠ける。はっきりした答えが見つからなくてモヤモヤしていると、あるとき、はたとひらめいた。 
 去年より体力の衰えを感じるようになって、健康に対する自信が揺らいでいる。つまり弱者になった。弱者になって初めてアリの気持ちがわかるようになった、ということではないか。
 このアリだって小さな体で必死に生きているんだ。それを殺してしまうなんて、オメェはそんなに傲岸不遜なのか。

新釈「ウサギとカメ」 マイ・エッセイ 26

2016年12月30日 00時03分41秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   新釈「ウサギとカメ」
                                                  
「ザブン」
 風呂に入り、浴槽に身を沈める。いい気持ちになって首をグルグル回すと、タイル壁にナメクジが貼りついているのが目に入る。何度かお目にかかっているヤツに違いない。あんまりまともに見たいヤツではないが、湯気のせいでそんなに抵抗なく見ていられる。  
 じっとしていて動かなければそのうち見るのに飽きてしまうのだろうが、もぞもぞ動いているからなんとなく気になる。どっちに行こうかな、と探りをいれるように首を左右に振りながら、頭をにゅーっと伸ばして、からだが三倍ほどの長さになると、しっぽを引き寄せて進む。ゆっくりな動きなのに、目を離すと思いがけないほど先に進んでいる。その動きは予測不可能で見ていて飽きない。

 去年、生涯学習センターの講座で足立則夫氏を講師に招いた。オイラよりひとつ年上の団塊世代、本業は新聞記者だが、趣味でナメクジを調べていて数年前に『ナメクジの言い分』を上梓している。講座のテーマは忘れてしまったが、雑談でのナメクジの話は知らないことばかりで好奇心をそそられ、それ以来、ナメクジが気になるようになった。
 ナメクジによく似ているのにカタツムリがいる。オイラはナメクジが先でカタツムリが後だと思っていたが、実際は逆で、カタツムリが先でその進化した形がナメクジというのが定説だという。カタツムリは体の一部の殻に栄養を与えなければならない。ところが、殻を脱ぎ捨ててしまえば、栄養をやる必要もなく、その分食べる量が少なくて済む。これが生存競争の激しい地球を生き抜いていく上で大きな利点となる 。
 ナメクジが動いた跡にはネバネバした銀のスジが残る。あれは人間の胃を胃酸で溶けないように保護している「ムチン」という粘性物質と同じだという話に、人間とナメクジの共通点を見い出して、地球の生命体の神秘に思いを馳せた。

 ナメクジの奇妙な動きを眺めているうち、ふと「ウサギとカメ」の寓話が頭に浮かんだ。
 ゴールまでの距離がどれくらいなのかわからないが、ウサギが居眠りするくらいだから、最低でもウサギが全力で走って、一時間くらいはかかる距離と考えられる。
「ヨーイ、ドン」の合図で、ウサギとカメの競争が始まった。ウサギはスタートから半分くらいまで走ると、カメのことが気になって後ろをふり返ってみるが、カメの姿は見えない。
 ウサギはのろまなカメがかけっこで挑戦してきたからには、なにか秘策でもあるのではないかと不安になって、カメの様子を見るために戻ったのではないか。そしてスタート地点からまだいくらも離れていないところを走っているカメを見つけて安心する。カメは必死になって手足を動かしているが、ウサギからすれば信じられない遅さだ。
 ウサギは呆れる。だが、このウサギは好奇心満々のウサギだった。自分とまったく違う動きをするカメに心を奪われた。前後左右からカメの動きを観察する。腹這いになってカメのように手足を動かしたかもしれない。
 だが、好奇心も長くは続かない。慣れない姿勢に腰も痛くなってきたろう。やがて、ウサギは単調な動きを見るのに飽きてきて、睡魔に襲われる。そして、いつしかコトンと眠りについてしまう。
「コクッ」。いかん。オイラも眠くなってきた。オイラもいつまでもナメクジなんか見てはいられない。そろそろ風呂から出るとするか。
「ザバーッ」

「ひそかな楽しみ」 マイ・エッセイ 25

2016年10月24日 00時03分58秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「ひそかな楽しみ」

 冬物から春物に衣替えしてまもなくの五月のある日、「音訳奉仕員養成講座」の第一回を迎えた。「音訳」とは「目の不自由な人のために、文字情報を音声に変換すること」と新明解国語辞典にある。毎週午前の二時間、全三十五回と、長丁場の講座だ。
 定員が二十名のところ、十八人が集まった。男はなんとオイラひとり。男は少ないと聞いてはいたがまさかひとりとは、思わず苦笑いがこぼれる。
 オイラは団塊の世代、「古来稀なり」は目と鼻のさきだ。現役の時はやりたくてもやれなかったことをこれからは思う存分やるんだ、と気合を入れて臨んだリタイア生活も七年が経とうとしている。
 時間がたっぷりあることをいいことに、いろいろやりたいコトに手を出してきたけれど、やりたいコトはモグラ叩きゲームのように次から次に出てきた。そのうちきりがなくなってきて、これからは広く浅くより、狭く深くで行こうと、ほんとうにやりたいコトは何かを見直し、それ以外は手を出すのはやめようと決めた。それからは新しくやりたいコトにぶつかっても冷静にブレーキをかけてきた。それでもブレーキをかけきれず手を出しかけたこともある。そのとき踏みとどまらせる最後の決め手になったのは、ミニマリストのブログの中の「新しいコトをやるということは新しいモノが増えるということ」という戒めだった。 
 オイラは「断捨離」なんて言葉がはやる以前に、「清貧の思想」に共感を覚えていたので、身の回りの増えすぎたモノを減らすことに力をそそいでいた。もうこれ以上モノが増えるのはゴメン、その気持ちは思いのほか強く、最後の砦はなかなか崩れなかった。
そんなオイラが禁を破って「音訳奉仕員養成講座」を受講することにした。「広報うつのみや」で養成講座があるのを知ったときは決然とスルーしていた。それがいくつかの偶然が重なって、なんだか受講するように運命づけられているように思えてきた。それでも新しいコトをやることに逡巡していた。
 迷いを打ち払うのに、二つの理由を言い聞かせた。ひとつは、朗読を先生について習い出して一年になるけれど、栃木県に生まれ育ったので訛りがなかなか直せなくて苦労していた。音訳をやれば標準語が身につくかもしれないという期待。
「音訳奉仕員」は、前には「朗読奉仕員」と言っていたくらい、「音訳」と「朗読」は声を出すパフォーマンスという意味では同じだ。だからまったく新しいコトに手を出すわけではない。朗読は「個性」を重視し、音訳は「没個性」を優先する、まったく正反対の立場でプラス、マイナスの両面があるだろうけれど、「敵を知り己を知れば」、と前向きにとらえた。
 もうひとつは、新しいことをやるからにはなにかをやめなきゃと、リタイア後の大きなウェイトを占めていた民話を切り捨てようという決断。
 シルバー大学で民話に出会い、卒業してからは三年間、いっときは月に七、八ヶ所もボランティアに行っていたほど熱心に活動していた「下野民話の会」を退会することにした。
 そのほかに、経費がテキスト代の千円しかかからないこと、場所が近く自転車で通えることも背中を押した。
「音訳奉仕員養成講座」は初級過程が十五回、中級過程が二十回、それぞれ二回以上休むと終了証がもらえないというなかなかに厳しい講座だ。
 オイラのウリの栃木訛りが標準語になっていたら、オイラが民話から離れるのを惜しんでくれた仲間たちもびっくりするだろう。それを楽しみに頑張ってみる。

「バッグがない・・・」 マイ・エッセイ 24

2016年09月29日 00時03分26秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   バッグがない・・・
                                                  
 仕事をリタイアしてから、バッグを持つようになった。大き目のポケットなら入るような小さいバッグで、携帯電話、手帳、筆記用具、老眼鏡などを入れている。両手は遊ばせておきたいので、手で持ち歩くことはほとんどない。ポケットに押し込んだり、カバンやリュックに入れて持ち運ぶことが多い。
 三月の第二土曜日、音楽の好みが似ていて、年も近いことから親しくなったK子さんに、
「明日、音楽の好きな連中が集まって演奏もできる店があるんだけど、行きませんか? 」と誘われた。 
 出不精のオイラとしてはちょっと渋ったけれど、車で送り迎えしてくれるというので、つきあうことにした。
 次の日の午後、K子さんの車で、音楽好きのマスターが定年退職後に開いたという店へ行った。住宅街の一画にひっそりと建っている、こじんまりとした喫茶店だった。知っている人も何人かいたので、初めての店にしてはくつろいで、みんなの演奏を聴いたり、オイラもギターを弾かせてもらったりして、楽しい時間を過ごした。
 夜の八時ごろ家に送ってもらい、玄関でコートを脱いだとき、ポケットに入れておいたバッグがないことに気がついた。
(店にでも置き忘れてきたんだろう)
 第一感、そう思った。K子さんが家に着くころを待って、電話をかけた。
「バッグを店に置き忘れてきたみたいなんだ。電話して聞いてもらえない? 」
 すぐかかって来るだろうと待っていたけれども、なかなかかかって来ない。待ちくたびれたころ、やっとかかって来た。
「何度も電話してみたけど出ないの。飲みにでも出かけたんじゃないかな」
 早くもやもやから開放されたいけど仕方がない。
「それじゃ、明日こっちからかけてみる」と、電話番号を教わった。
 次の日、十時になるのをそわそわと待って、店に電話すると、
「昨日店仕舞いしたときには、そんなバッグは見当たらなかったですね」
 そこ以外に考えられなかっただけに、がっくりしながら電話を切った。
 となると、車の乗り降りのときくらいか。ことの重大さがじわっじわっと押し寄せてきた。
 その日の午前中は歯医者の予約があった。雨が降っていたので、傘を差して歩いて行った。月の最初の治療の日には健康保険証の提示を求められる。それは診察カードと一緒にバッグの中だ。「あとで持ってくる」と説明して治療は受けられたが、早くもバッグがない不自由さを思い知らされる。
 十二時ごろ治療を終えて、交番に向かう。去年、七千円ほど入った財布を拾ったとき、届けた交番だ。誰かが届けていてくれてるかもしれない 。あのときいいことをしたんだから、今度はそのお返しがあってもいいんじゃないかとの淡い期待が浮かぶ。
 おまわりさんに事情を話す。まだ拾ったという届けは出ていないという。それではと遺失届けの手続きをした。物を拾って交番に届けたのは去年が初めてのことだったし、物を落して届けるのも今回が初めてのことだ。この年齢になってこんな「非日常」なことがたて続けにおこるとは・・・。
 警察の次は、携帯電話を使えなくする手続きをするために、電話会社に行く。待たされた時間の割には、あっけなく手続きは済んだ。ついでに、戻ってこなかった場合のことを聞いてみると、思ったよりはるかに、金も手続きもかかりそうだ。面倒なことになった。今更ながらバッグを失くしてしまった後悔にうちひしがれる。
 四時ごろ自宅に戻った。バッグの中の手帳にはオイラの住所と名前が書いてある。拾った人が直接家に電話してくれたかもしれないと、出かけている間ずっとそんな期待を持っていた。しかし、家人はそんな電話はなかった、と言った。
 手帳にはどんなことが書いてあったかなとか、健康保険証の再交付もしなくちゃならないかとか、いろいろ思いが巡る。
 電話の呼び出し音が鳴った。すかさず取るとK子さんからだった。
「バッグ、車の中にありました。ごめんね、昨日は暗くて気がつかなかったの」
(あぁ、よかった)
 ふっとからだの力が抜ける。
 彼女もいくらか責任を感じていたのか、これから届けてくれるというので、好意に甘えた。    
 さっそく警察に電話で、
「友だちのところにありました。今から届けてくれることになっています。遺失届けの取り下げをお願いします」と、見つかったことを報告すると、
「まだ手元には届いていないんですね。戻ったらまた電話してください」
「えっ」とオイラは絶句した。理不尽と思いながら、これ以上言ってもムダだろう。「わかりました」と、腹の中で舌打ちしながら、電話を切った。
 K子さんが「これでしょう」と、バッグを届けてくれた。オイラは今日一日あったいろいろなことをしゃべりたくてなって、近くのファミレスに誘った。
 歯医者の予約、健康保険証、交番に遺失届け、携帯電話の利用中断、今日一日振り回されたことを興奮気味に、だけど、バッグが戻った安心感があるから、笑い飛ばせる余裕を持ってしゃべった。
 最後に「これが一番言いたかったことなんだけどね」と、もったいつけて、さっき警察に電話したことを話した。
「そしたらね、間違いなく手元に戻ってから、もう一度電話してください、だって」
「ふぅーん、警察ってそういうところなんだ 」
 K子さんが呆れた顔でうなずいた。

「好奇心再燃」 マイ・エッセイ 23

2016年09月03日 00時10分22秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   好奇心再燃  

 去年の暮れ、『ローマの休日』のスチール写真が載っているチラシが目に入った。オードリー・ヘップバーン演じるアン王女が愛らしく、今でもオイラの一番好きな映画になっている。
 手に取って見ると、「映画で学ぶ英会話」の受講生募集案内だった。一月から三月の木曜午前中、全十回、主催は国際交流協会。予定はない。歩いたって十分とかからないところにある。ここで見つけたのも、なにかの縁かもしれないと、かすかなためらいはあったけれど、受講することにした。
 英語とは浅からぬ縁がある。高校のとき、学校の先生になろうと決心して、選んだ科目が英語だった。成績が一番よかったからだ。英文科に進み、六年間在籍したが、夢かなわず中退した。田舎に戻って会社員になってからは、英語とはまったく無縁の生活になった。
 子育てに追われていた三十五歳のころ、レンタル・ビデオ店が出始めた。そのおかげで、前に見損なった映画、もう一度見たい映画、新らしい映画が手軽に家で観られるようになって、仕事のストレス解消という名目のもと、毎日のように借りてきた洋画のビデオに耽った。そのうち字幕を見ないで観たくなり、手当たり次第に英語のハウツー本を買ってきては、英語を攻略しようとした。
 いろいろな英語学習法を模索し、試していた。特に集中して研究したのは、イギリスのオグデンが英語を母国語としない人のために考案した『ベーシック・イングリッシュ』、単語を厳選した八百五十語しか使わない英語だった。
 夜、ひとりになると英語の学習を黙々とやった。孤独で地道な作業だったが、性に合っていたのだろう、つらいと思ったことはなかった。毎日、いくつかでも例文を覚え、英語に近づいていってる実感は、じゅうぶんに知的満足を与えてくれた。
「英語を学ぶのには英語のポルノ小説を読むのが一番」、そんなことを真に受けてチャレンジしたこともある。最初はちんぷんかんぷんだったが、それでも諦めないでしつこく続けて、ようやく劣情を催したときは、やっと到達した感激と、二つの意味で興奮した。
 オイラはバンカラを標榜していたから、こちらから女性に声をかけることは潔しとしない。
しかし、たった一度、社員旅行でサイパンに行ったとき、みやげ店でショッピングをしている韓国人とおぼしき素敵な女性に一目ぼれして、思い切って話しかけたことがある。英語が通じなかったのか、お国柄でシャイだったのか、オイラがタイプじゃなかったのか、最初にして最後のナンパは失敗に終わってしまった。いくら日本を離れた解放感があったにしても、われながら初めての大胆さに驚いた。
 そんなことを懐かしく思い出す。英語への没頭は、四十五歳で囲碁に出会い、夢中になるまで、十年間続いた。それから英語はピッタリやめて、二十数年が経った。ときどきふり返って、あの英語に熱中した十年間はなんだったんだろうと問いかけることがある。
 膨大な金と時間を費やした。買い込んだ大量の本はずいぶん前に処分して、痕跡をとどめるものは残っていない。いまの生活に英語が役に立っているとはどうしても思えないから、三十五歳から四十五歳の一番エネルギーがあった時代に、もしかしてムダな時間を費やしたんじゃないだろうか、というモヤモヤ感を打ち消せないでいる。
 それなのに、このたび、英会話の講座を受けて英語熱が再燃し、また英語の本を買おうとしている。