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初めての寄席

2017-05-16 14:36:31 | 身辺のこと・自然
 落語の寄席に初めて行きました。これまで芸能については疎い暮らしをしていたので、その分野のことは知りません。落語に接近するとは考えてもいませんでした。

 落語への関心は、毎日拝読しているブログの人の暮らしの楽しみ方に共感をしていることが大きいです。その方は、仕事で社会とのかかわる。飲み、食べるを楽しむ。家族や仲間とかかわり。さらに社会への確かなまなざし、花を愛でるなど、教養と器の大きさに感心しています。氏の楽しみの中に、落語があしました。

 ぼくはブログの人の影響を受けて、いつか落語を聞きに行きたいと思っていました。NHKの日曜日の早朝の落語をときどき見るようになっていました。 
 いつの間にか落語という新しい世界を楽しもうという思いになり、ぼくとしては決心して近くであった寄席に行ってきました。

 これまで暮らしを楽しむことをしないで来てしまったと、人生のたそがれ時になって自分を振り返っています。今はテニスと声楽をやっていますが、楽しんでいるはずがいつの間に力が入って追及してしまっているようなのです。老いに抗うつもりはないのですが、たそがれ時の暮らしとしては、厄介な性格です。落語というのは脱力させてくれる世界なので、今後もぼくの暮らしに位置付けていこうと思っています。

 ところで落語を聞いての感想を。「前座」の人は、お笑い芸人だった人が落語界へ入ったので、37歳でした。この人は笑いのツボをわかり、聞いている人を楽しませようとしてなかなかの人でした。面白いネタでした。「前座」はお茶を出したりきめ細かな世話をしなければならない掟があるとのことでした。
 「二ツ目」は26歳でこれも面白いもの。古典なのか創作なのかぼくにはわかりませんが、内容は古典のようですが、その話を組み立てるものに、パソコンが出てきたりしていまし。
 「真打」の2人は古典でした。さすが完成度が高いものでした。気になったのは緊迫する場面の声が、低くて鋭いものでした。そのためもあってか、部分的に講談かと思いました。低くて鋭い声は怖いサインです。

 笑福亭昇太さんが若手の会で、「落語は自分を表現するのではなくお客さんを喜ばせる、楽しませるものだ」ということを強調していることを思い出しました。またある芸人が「落語は語りで、講談は読むのだ」といっていたことも頭をよぎりました。
 「真打」になったからといって安泰ではなく「売れる」かどうかはお客次第で、つまり人気だという世界のようです。
 ぼくは、落語の表現者と聞き手の相互応答で成り立つ「話芸」だと思っています。絵本の読み聞かせは、朗読ではなく語りであることから、話芸の中語り手と客との相互応答の落語と類似性があるのだと思っているのでした。

 寄席は、暮らしを楽しみ心をらくにしてくれる、新しい世界に出会えた記念日でした。
 



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