図書館では、大人と区別した子ども専用の絵本と児童書だけを置く空間を持つのが、一般化しつつあります。子ども向けの書架にして、親が幼い子ども連れで利用しやすい環境を工夫しています。
先日訪ねた図書館では、大人の閲覧室を絵本中心にして親子で利用できるように、改装していました。限られたスペースと予算条件を、月並みに本をそろえた「小さな図書館」ではなく、子どもとその親向けに特化した特色ある図書館づくりをしているのです。親子連れの利用と貸し出しも多いとのことでした。
その運営を活性化させるために、ボランティアによる絵本アドバイザーを配置し、読み聞かせ活動も恒常化させています。
さて、読み聞かせについては、その意義や技術は重要ですが、ここでは運営を中心に考えてみることにします。図書館等で読み聞かせを定期的にしている場合、経験者から引き継がれてさまざまな工夫でおこなわれています。その経験を基にしているだろう運営上のことを、整理してみることにします。
1 対象にする子どもの条件
最初に押さえたいことは、読み聞かせをする対象の子どもがどのような条件にあるかということです。
学校や園のクラスで読み聞かせをやる場合は、クラスとしての秩序が作られているので、日頃の指導でおこなわれているような言葉かけで、子どもの集中をうながすことができます。子どもが集中してくれるので、読み聞かせをする側のペースで安心してやれます。ただし大勢の子どもに対して広い空間でやるのです。そのため子どもに訴えかけるような調子の読み聞かせになる傾向があります。
ところで図書館に任意に集まった子どもたちに対しての場合は、読み聞かせを成立させる条件づくりに苦労します。
人数や年齢といった構成条件によって、読み聞かせを可能にする条件づくりをしなければなりません。実践をしている人から耳にすることで、子どもを集中させるにはどうすればよいかということがあります。しかし子どもを集中させる特効薬はありません。
慣れない人は子どもに引きずられ、まどわされ右往左往します。ベテランの人が経験から得た力で何とかしのいでいる場合が多いのではないでしょうか。
経験を蓄積した人は、子どもの状況を把握したうえで、子どもの関心に沿うことを提案しながら、自分のペースに子どもを引き込んでいるはずです。
さまざまな子どもの表現を見届けながら、かつ読み聞かせの側に子どもたちをひきつけなければなりません。よくやることは、手遊びを一斉にやり、子どもたちが聞ける条件をつくるという方法です。手遊びは万能ではありませんが、学校や園のように子どもたちが一斉に集中する条件をつくることが容易になります。手遊びは本来関係づくりのコミュニケーションであり、子どものからだと歌の表現であり、気持ちの切り替えを可能にする活動です。単に静粛にさせる手段だけには、使いたくないものです。
集まった子どもたちがてんでんな行為していてもあせらないで、ゆったりした気持ちでアイコンタクトをかわします。ざわざわしても待ちます。子どもたちの注意を喚起するには、子どもたちのおしゃべりが下火になる瞬間があるので、そのタイミングでしゃべりだします。「さあ、はじまるよ!」あるいは絵本をかざして「〇〇のおはなしです」といったワンフレーズを大きく鋭い声を発するのがいいかもしれません。そしてすぐに穏やかな声と言い方にかえます。子どもの声より大きい声をだして統率しようと思ったり、あせった気持ちになると、子どもの心はささくれ立ったままで絵本に向かえません。
2 読み聞かせする側の子どもへの姿勢
紙芝居や大道芸の人たちは、学校や園のような一斉集中する条件をつくってからやりません。子どもたちが整然とした状態に整わなくとも、実行します。読み聞かせも、始まってから子どもの関心が向いて、集中することがあってよいことです。
むしろ読み聞かせをする側が、子どもが静かに一斉に集中する状態でなければ始められないといった秩序観持つと、開始前に時間とエネルギーを使い堅苦しいものになります。
絵本に集中するのを、子どもにのみ求めるのではなく、むしろ読み聞かせをする側にかかっているのだととらえることです。それは絵本の内容に対する関心に、子どもを引き込むことが出来るかどうかどうかということです。そんな思いで読み聞かせの実践を蓄積していくと、子どもに鍛えられるものです。
そのような体験の蓄積が、子どもとのコミュニケーション力を向上させ、絵本を子どもの心に届けられる、子どもからも好かれる絵本の語り手になれるのではないでしょうか。
3 どのような形態にするか
読み聞かせの形態は、対象の子どもの人数、年齢、空間の物的条件などによって、どのようにするかを考えます。考えるポンインとは、読み手と子どもが相互応答的交流のできるようにすることです。
学校や園のクラスでイスに座っている状態の時は、大勢を対称にするので子どもの方を向くようにして、全体にアイコンタクトを交わし声も届くぐらいの大きさで、一人ひとりに行き届いたように配慮する必要があります。
3~5メートルぐらいしか絵が読み取れないことや、左右のサイドにいる子どもが見えにくい、といったことを考慮してその条件にある子どもにも伝わるように、子どもの方を向きながら声とアイコンタクトで補うように配慮しなければなりません。
少人数の子どもが床に座った状態でする場合は、読み聞かせをする者を中心にし、人数と年齢によって縦になったり車座に床に座ることになります。10人以下ですと読み聞かせする人の息使いが子どもに伝わるし、子どもの反応も感じ取れるので読み聞かせの心地よさを体験できます。子どもを並ばせる、あるいは隊列が整わせるといったことにこだわらないで、自然な状態がよいでしょう。
子どもに語り聞かせて物語を心に届けようという思いを持てば、訴えるときのような大声でなく、絵本の内容によっては穏やかにしっとりしたものにする工夫も必要です。
2、3人の幼い子どもですと対面しないで、子どもが本を見せて後ろから読み聞かせるのもいいでしょう。絵本は本来自分で開いてみるプライベーなモノなので、人数が少ないほうが望ましいのです。
なお、大勢を対称にする場合は、経験豊富の人が無難です。初期の頃は少人数で子どもの反応を感じて読み聞かせをする体験を積んだ方が、読み聞かせの心地が分かるものです。
4 プログラムビルディングをどうするか
20分や40分という時間の読み聞かせの場合は、あらかじめ時間配分とどのように展開するということを準備するする必要あります。時間内のプログラムをどう組むか、プログラムビルディングのことです。
保育や授業で一般的には、導入、展開、終結という定式があります。それに文章を書く、あるいはことを進める場合、起承転結ということもいわれています。これらの定式にそって、何冊かの絵本の順番に配置します。
冒頭に位置づける絵本は、短めであっても新刊で珍しいものや興味をそそる絵本作りをしているといったものがよいのです。集中を高めることにつながるからです。その会全体をイメージできるような、しっかりした絵本にします。途中は親しみやすさ、あるいはおもしろいもので気持ちが楽になるものがよいでしょう。最後は長めのもので、その会でメインにしたい絵本を配置します。ただし子どもの出入りがあって全体に落ちつきを欠くようなときは、臨機応変に順番を変えざるを得ないこともあるので、柔軟さも必要です。
たとえば5冊用意すると、順番を決めます。複数の人でやる場合は読み聞かせを担当する絵本も決めます。子どもとの対話に慣れている人は冒頭がよいでしょう。中ほどを担当する人は経験が少ない人でもよいのだが、その場合経験者が司会のようにつなぐ話をした方がよいでしょう。
最後は、経験を問わず絵本の内容を掘り下げて完成度の高い読み聞かせが可能な人が、担当します。
1冊の本の読み聞かせの時間は、長くとも10分ぐらいで終了できるものが無難です。たとえば『ちいさなおうち』(バートン作 いしいももこ訳 岩波書店)や『おしえれのぼうけん』(古田足日・田畑精一作 童心社)といった絵本は、20分ぐらいかかります。
これらの絵本は、子どもが聞く条件をもっている状態で、経験の豊富な人でないと、語り伝えること難しいです。
もし40分ぐらいを大勢の子どもを対象にする場合は、内容に変化をつける意味で、絵本以外のものを用意するのも一考してはいかがでしょうか。その場合、人形劇などでなく、平面表現で絵本と類似性のあるエプロンシアターやパネルシアターといったものがよいと思われます。
とは言ってもパネルシアターなどは、絵本の語りと違って演じなければなりません。小規模で気分転換ぐらいの位置づけがよいのではないでしょうか。紙芝居も演じるのですが、子どもにとってはエホントの違いがはっきり分かりません。
5 子どもの反応を読み取れるようになる
読み聞かせは代読でないので、する側と聞く子どもがともに楽しいものでなければなりません。読み聞かせをする側が高いところから聞かせようと構えるのでなく、大人に内在している子ども性を呼び覚まし発揮できるようにします。子どもと一緒に絵本を楽しむ、ということでもあります。
子どもに対しての絵本の高さですが、子どもの頭よりわずかに高いぐらいがよいです。子どもが床に座って、読み聞かせをする側がいすに座って子どもが天を仰ぐぐらいになっているのをよく見かけますが、子どもと同じ目線がよいでしょう。
読み聞かせをする者が喜びになるのは、子どもの反応を感じ取れるようになったときです。子どもの反応によって、その絵本が子どもにどう受け入れられているか分かります。また、どの部分で子どもたちの集中が高まったか、あるいはどんな感情になったか、といったことを感じとれるようになったら、読み聞かせをする者が同時に作品評論を出来る可能性も備えつつあるといってもいいでしょう。自分の作品評論を子どもによって確かめる、あるいは子どもの反応によって作品の見方を教えられるときがあります。
子どもの反応を感じ取れるようになるには、そうとう経験を積まなければなりませんが、目標をそこに置くと意外と早くその域に達することが出来ます。
下読みをして、子ども方を向いて読めるようにするのです。その場合絵本を暗記するわけではなく、読んでいるときに次の行を1、2行目で読み取ってしまう技を、身につけるとよいのです。合唱をしたり楽器を弾くときに、4小節ぐらい先まで読み取って演奏します。その手法を読み聞かせに取り入れるということです。
日本の絵本でも、半世紀読み継がれるほどの作品もあります。親子3代にわたって読み継がれるほど生命力の長い、アナログな文化です。読み聞かせをする側と聞く側がお互いの息づかいを感じながら、絵本という文化を共有し、後々までリレーのように伝えられていくものなのです。
先日訪ねた図書館では、大人の閲覧室を絵本中心にして親子で利用できるように、改装していました。限られたスペースと予算条件を、月並みに本をそろえた「小さな図書館」ではなく、子どもとその親向けに特化した特色ある図書館づくりをしているのです。親子連れの利用と貸し出しも多いとのことでした。
その運営を活性化させるために、ボランティアによる絵本アドバイザーを配置し、読み聞かせ活動も恒常化させています。
さて、読み聞かせについては、その意義や技術は重要ですが、ここでは運営を中心に考えてみることにします。図書館等で読み聞かせを定期的にしている場合、経験者から引き継がれてさまざまな工夫でおこなわれています。その経験を基にしているだろう運営上のことを、整理してみることにします。
1 対象にする子どもの条件
最初に押さえたいことは、読み聞かせをする対象の子どもがどのような条件にあるかということです。
学校や園のクラスで読み聞かせをやる場合は、クラスとしての秩序が作られているので、日頃の指導でおこなわれているような言葉かけで、子どもの集中をうながすことができます。子どもが集中してくれるので、読み聞かせをする側のペースで安心してやれます。ただし大勢の子どもに対して広い空間でやるのです。そのため子どもに訴えかけるような調子の読み聞かせになる傾向があります。
ところで図書館に任意に集まった子どもたちに対しての場合は、読み聞かせを成立させる条件づくりに苦労します。
人数や年齢といった構成条件によって、読み聞かせを可能にする条件づくりをしなければなりません。実践をしている人から耳にすることで、子どもを集中させるにはどうすればよいかということがあります。しかし子どもを集中させる特効薬はありません。
慣れない人は子どもに引きずられ、まどわされ右往左往します。ベテランの人が経験から得た力で何とかしのいでいる場合が多いのではないでしょうか。
経験を蓄積した人は、子どもの状況を把握したうえで、子どもの関心に沿うことを提案しながら、自分のペースに子どもを引き込んでいるはずです。
さまざまな子どもの表現を見届けながら、かつ読み聞かせの側に子どもたちをひきつけなければなりません。よくやることは、手遊びを一斉にやり、子どもたちが聞ける条件をつくるという方法です。手遊びは万能ではありませんが、学校や園のように子どもたちが一斉に集中する条件をつくることが容易になります。手遊びは本来関係づくりのコミュニケーションであり、子どものからだと歌の表現であり、気持ちの切り替えを可能にする活動です。単に静粛にさせる手段だけには、使いたくないものです。
集まった子どもたちがてんでんな行為していてもあせらないで、ゆったりした気持ちでアイコンタクトをかわします。ざわざわしても待ちます。子どもたちの注意を喚起するには、子どもたちのおしゃべりが下火になる瞬間があるので、そのタイミングでしゃべりだします。「さあ、はじまるよ!」あるいは絵本をかざして「〇〇のおはなしです」といったワンフレーズを大きく鋭い声を発するのがいいかもしれません。そしてすぐに穏やかな声と言い方にかえます。子どもの声より大きい声をだして統率しようと思ったり、あせった気持ちになると、子どもの心はささくれ立ったままで絵本に向かえません。
2 読み聞かせする側の子どもへの姿勢
紙芝居や大道芸の人たちは、学校や園のような一斉集中する条件をつくってからやりません。子どもたちが整然とした状態に整わなくとも、実行します。読み聞かせも、始まってから子どもの関心が向いて、集中することがあってよいことです。
むしろ読み聞かせをする側が、子どもが静かに一斉に集中する状態でなければ始められないといった秩序観持つと、開始前に時間とエネルギーを使い堅苦しいものになります。
絵本に集中するのを、子どもにのみ求めるのではなく、むしろ読み聞かせをする側にかかっているのだととらえることです。それは絵本の内容に対する関心に、子どもを引き込むことが出来るかどうかどうかということです。そんな思いで読み聞かせの実践を蓄積していくと、子どもに鍛えられるものです。
そのような体験の蓄積が、子どもとのコミュニケーション力を向上させ、絵本を子どもの心に届けられる、子どもからも好かれる絵本の語り手になれるのではないでしょうか。
3 どのような形態にするか
読み聞かせの形態は、対象の子どもの人数、年齢、空間の物的条件などによって、どのようにするかを考えます。考えるポンインとは、読み手と子どもが相互応答的交流のできるようにすることです。
学校や園のクラスでイスに座っている状態の時は、大勢を対称にするので子どもの方を向くようにして、全体にアイコンタクトを交わし声も届くぐらいの大きさで、一人ひとりに行き届いたように配慮する必要があります。
3~5メートルぐらいしか絵が読み取れないことや、左右のサイドにいる子どもが見えにくい、といったことを考慮してその条件にある子どもにも伝わるように、子どもの方を向きながら声とアイコンタクトで補うように配慮しなければなりません。
少人数の子どもが床に座った状態でする場合は、読み聞かせをする者を中心にし、人数と年齢によって縦になったり車座に床に座ることになります。10人以下ですと読み聞かせする人の息使いが子どもに伝わるし、子どもの反応も感じ取れるので読み聞かせの心地よさを体験できます。子どもを並ばせる、あるいは隊列が整わせるといったことにこだわらないで、自然な状態がよいでしょう。
子どもに語り聞かせて物語を心に届けようという思いを持てば、訴えるときのような大声でなく、絵本の内容によっては穏やかにしっとりしたものにする工夫も必要です。
2、3人の幼い子どもですと対面しないで、子どもが本を見せて後ろから読み聞かせるのもいいでしょう。絵本は本来自分で開いてみるプライベーなモノなので、人数が少ないほうが望ましいのです。
なお、大勢を対称にする場合は、経験豊富の人が無難です。初期の頃は少人数で子どもの反応を感じて読み聞かせをする体験を積んだ方が、読み聞かせの心地が分かるものです。
4 プログラムビルディングをどうするか
20分や40分という時間の読み聞かせの場合は、あらかじめ時間配分とどのように展開するということを準備するする必要あります。時間内のプログラムをどう組むか、プログラムビルディングのことです。
保育や授業で一般的には、導入、展開、終結という定式があります。それに文章を書く、あるいはことを進める場合、起承転結ということもいわれています。これらの定式にそって、何冊かの絵本の順番に配置します。
冒頭に位置づける絵本は、短めであっても新刊で珍しいものや興味をそそる絵本作りをしているといったものがよいのです。集中を高めることにつながるからです。その会全体をイメージできるような、しっかりした絵本にします。途中は親しみやすさ、あるいはおもしろいもので気持ちが楽になるものがよいでしょう。最後は長めのもので、その会でメインにしたい絵本を配置します。ただし子どもの出入りがあって全体に落ちつきを欠くようなときは、臨機応変に順番を変えざるを得ないこともあるので、柔軟さも必要です。
たとえば5冊用意すると、順番を決めます。複数の人でやる場合は読み聞かせを担当する絵本も決めます。子どもとの対話に慣れている人は冒頭がよいでしょう。中ほどを担当する人は経験が少ない人でもよいのだが、その場合経験者が司会のようにつなぐ話をした方がよいでしょう。
最後は、経験を問わず絵本の内容を掘り下げて完成度の高い読み聞かせが可能な人が、担当します。
1冊の本の読み聞かせの時間は、長くとも10分ぐらいで終了できるものが無難です。たとえば『ちいさなおうち』(バートン作 いしいももこ訳 岩波書店)や『おしえれのぼうけん』(古田足日・田畑精一作 童心社)といった絵本は、20分ぐらいかかります。
これらの絵本は、子どもが聞く条件をもっている状態で、経験の豊富な人でないと、語り伝えること難しいです。
もし40分ぐらいを大勢の子どもを対象にする場合は、内容に変化をつける意味で、絵本以外のものを用意するのも一考してはいかがでしょうか。その場合、人形劇などでなく、平面表現で絵本と類似性のあるエプロンシアターやパネルシアターといったものがよいと思われます。
とは言ってもパネルシアターなどは、絵本の語りと違って演じなければなりません。小規模で気分転換ぐらいの位置づけがよいのではないでしょうか。紙芝居も演じるのですが、子どもにとってはエホントの違いがはっきり分かりません。
5 子どもの反応を読み取れるようになる
読み聞かせは代読でないので、する側と聞く子どもがともに楽しいものでなければなりません。読み聞かせをする側が高いところから聞かせようと構えるのでなく、大人に内在している子ども性を呼び覚まし発揮できるようにします。子どもと一緒に絵本を楽しむ、ということでもあります。
子どもに対しての絵本の高さですが、子どもの頭よりわずかに高いぐらいがよいです。子どもが床に座って、読み聞かせをする側がいすに座って子どもが天を仰ぐぐらいになっているのをよく見かけますが、子どもと同じ目線がよいでしょう。
読み聞かせをする者が喜びになるのは、子どもの反応を感じ取れるようになったときです。子どもの反応によって、その絵本が子どもにどう受け入れられているか分かります。また、どの部分で子どもたちの集中が高まったか、あるいはどんな感情になったか、といったことを感じとれるようになったら、読み聞かせをする者が同時に作品評論を出来る可能性も備えつつあるといってもいいでしょう。自分の作品評論を子どもによって確かめる、あるいは子どもの反応によって作品の見方を教えられるときがあります。
子どもの反応を感じ取れるようになるには、そうとう経験を積まなければなりませんが、目標をそこに置くと意外と早くその域に達することが出来ます。
下読みをして、子ども方を向いて読めるようにするのです。その場合絵本を暗記するわけではなく、読んでいるときに次の行を1、2行目で読み取ってしまう技を、身につけるとよいのです。合唱をしたり楽器を弾くときに、4小節ぐらい先まで読み取って演奏します。その手法を読み聞かせに取り入れるということです。
日本の絵本でも、半世紀読み継がれるほどの作品もあります。親子3代にわたって読み継がれるほど生命力の長い、アナログな文化です。読み聞かせをする側と聞く側がお互いの息づかいを感じながら、絵本という文化を共有し、後々までリレーのように伝えられていくものなのです。
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