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政治家の取材対応マニュアル

2005-11-12 05:00:34 | 生活・教育・文化・社会
 4日(金)に駅を通ったら、コンコースに巨大なクリスマスツリーがあった。ことしはツリーのイメージではなく、円錐型のイルミネーションを中心としたデザインのものだ。7週間前からクリスマスとは助走が長すぎるのだが、いつ頃からか年間いくつかある商戦となった事情からだろう。

 自民党は、メディア戦略を相当綿密にやっている。小泉首相が毎日のようにやっている「ぶらさがり」といわれている、記者会見もそのひとつだ。小泉は取材に応じる形を取りながら、視聴者向けにワンフレーズで話す。
 たとえば「適切に対処します」と言うと、それに対して適切の意味を問うても、「適切に」と繰り返す。自分の土俵から絶対でない話し方である。これがこバカにしていると受け止めるよりは、ぶれない確信があると聞き取る人が多いのではないか。その訳は、落ち着いた口調で低い声を使うことにもある。気持ちを意図的にゆったりしているので安心感を与えるし、低い声は確信に満ちた自己主張の際に有効なのである。これはかなり計算しつくされている、自作自演である。
 また国会の記者クラブにスポーツ新聞が入れるようになってから、政治の伝わり方が変わってきている。より大衆に届くようになった反面、政策など軽視されるようになってきているのではないか。もはや説明よりは、小泉のワンフレーズポリティックスが受け入れられる環境ができている、と見てよいのではないか。

 テレビ対策は、かなり綿密である。最近のことでは、9月21日に後藤田正晴の死去を公表した(実際は19日)日に、予定を早めて内閣改造(第3次小泉内閣)をおこなった。保守のハト派であった後藤田正晴の政治を振り返ることに新聞は紙面を割くはずだっただろうが、内閣改造記事であふれてしまった。後藤田の主張は、小泉首相に批判的であった。それの記事が吹っ飛んだことになる。
 ニュースは相対的なものなので、何かを発表する日取りを効果的に選ぶのは他の分野でもよくやることであるのだが。

 テレビの報道番組をチェックして抗議をするし、あるいはバラエティー番組の出演へも積極的のようだ。
 「ニュースステーション」にはある時期から自民党議員は出演拒否していたし、この春には「報道ステーション」のキャスターである古館の発言に抗議したことがあった。数日後新聞の「首相動静」欄に、テレビ朝日社長が首相を訪ねているので、謝罪のためかかと推察した。もしそうだとしたら、放送の公共性が揺らぐ怖い話である。
 佐高信によれば、地上波テレビで政治がらみの話をすると、必ず嫌がらせの抗議があるとのこと。同じような趣旨のことを雑誌に書いても、そのような反応はないそうだ。テレビの報道番組の監視体制を、敷いていることを意味しているのだ。

 政治家は、自らの政策や活動を世に問わなければならない公人である。あらかじめ自分を誤って伝達されると予想される場合は拒否してよいだろうが、プラス材料になるだけではなく、世に問うことはしなければならないものだ。政治だからこそ、立場の違う人から批判も受けて立たなければならないだろう。
 ところが最近は、テレビメディアの影響力の大きさから、いわば売り込むための露出を意図的にする場合が多くみられる。それをテレビが追っかけるのである。政治が政策等を抜きに、エンターテーメント化してきている。

 自民党の83人の初当選者へ「マスコミ取材への心構えについて」には次のようになっているという(10月17日朝日新聞・天声人語より)。
*背筋を伸ばし、アゴを引いて、まっすぐに相手の眼をみる。
*常に笑顔で、丁寧な言葉遣いで、かつ低姿勢で。
*語尾をのばしたり、あいまいに発音しない。
*絶対にむきにならず、不機嫌に表情は見せない。
 話す内容でなく、とりあえず好感をもてるパフォーマンスをとるマニュアルを作ったのだろう。きわめて常識レベルなのだが、タイゾーセンセ(杉村太蔵)あたりを想定すれば、こんなマニュアルも必要なのだろう。しかしマニュアルを守ろうとすると、自分の考えていることを話すことはしなくなるだろう。
 ところでタイゾーセンセは武部幹事長に、参院選挙があったらトップ当選だろう、と言わしめているぐらいなのだから、どうなってしまっているのだろう。劇場型の政治が、このまま続くのだろうか。


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