週末を原村で

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§ 朝鮮人追悼式の主催者が抗議声明、小池氏の追悼文中止

2017年08月28日 13時19分23秒 | たわごと(少し硬派に振って)
「世界から厳しい批判」 小池氏に抗議  とのタイトルが付いていた朝日新聞デジタルをクリックしてみると次の文章が現れてきました。
因みに、クリックしたのは小池都知事の何に対して世界が批判しているのか知りたかったからです。
でも、その知りたいとの思いには応えてくれませんでした。

誤解を防ぐ意味で朝日新聞デジタルをそのまま引用させて頂きます。

朝鮮人追悼式の主催者が抗議声明、小池氏の追悼文中止

1923年の関東大震災直後、被災地で虐殺された朝鮮人らを追悼する式に小池百合子・東京都知事が追悼文を送るのを取りやめた問題で、市民団体の日朝協会などでつくる式の実行委員会は26日、小池氏の対応に抗議する声明(25日付)を発表した。

 関東大震災直後には「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広まる中、多数の朝鮮人らが虐殺された。声明では、小池氏が追悼文送付をやめたことについて「関東大震災時に引き起こされた在日朝鮮人に対する虐殺の事実から目を背けるものとしか見えない」と批判。さらに「歴史修正主義、排外主義の潮流に身を置くことを示しているように思われる。近隣諸国や世界の目からも厳しい批判が寄せられる事態を生むかもしれない」などと指摘した。

 朝鮮人犠牲者の追悼式は毎秋開催され、近年は都知事が追悼文を寄せてきた。小池氏も昨年は送付したが、今年は「特別な形での追悼文の提出は控える」などとして中止を決めた。(西村奈緒美)



最近新聞でもTVでニュース番組でも良く出て来る市民団体が曲者だと思うようになりました。
何処かの団体であればその名称を使うのが本旨ですが、その為の裏付けをとらねばなりません。
また、政治団体としてある特定の主義主張を貼る団体では紙面を読む読者の反発を招くおそれがあります。
その為、報道機関の怠慢と政治的団体の思惑が一致して市民団体との名称を乱用するのです。

市民団体は政治色を持たない、平和を願う平凡な一般人が自発的に集まった物だとつい最近まで思っていました。
ほんの数か月前までです。
市民団体に疑問を抱くようになったのは沖縄の辺野古の市民団体でした。
また、都議会議員の選挙演説の際の安倍首相への市民団体の安倍やめろのシュプレヒコールでした。
どちらも、ネットでユーチューブを見て一般人では無い事を知りました。
組織的に編成された集団を何ゆえに新聞やTVでは善意の自発的な一般市民と呼ぶのか疑問でなりません。
勿論、政治勢力に属さずにその時の政治に反対して意見を述べる方も沢山いるとおもいます。
反対にその様な方達が大多数の筈です。
でも、ジャーナリストは世論を操作誘導するが如くに偏向して報道するのは如何なものかと思わずにはいられません。
それとも私が思う一般市民たる語彙の定義が誤っているのでしょうか。
一般市民=特定な政治勢力を構成する団体を一般市民と定義するのでしょうか。


今回の朝日新聞デジタルの記事の一般市民も日朝協会も特定な政治勢力乃至はそれに近い方達です。
なのに、善意の第三者である善良な市民をよそおって報道しています。
日朝協会をウキペディアでの説明はこちらです。

朝日デジタルの記事てこのような姿勢では益々信頼を失うと思うのは私だけでしょうか。
生まれてこの方、数十年に亘、朝日新聞を読んできた我が身としては裏切られた感じがしてなりません。
つい数年前まで中道左派よりの考え方だと思っていました。
それも最近は少し変わり中道右派に傾きつつあるのを感じます。

週刊誌の中刷りの広告ではあるまいに、「世界から厳しい批判」 小池氏に抗議 とあります。どこの国が小池氏の行動に批判しているのか証明する挙証責任を負っている筈のジャーナリストです。
北朝鮮&韓国もしくは中国から批判が来るかもしれません。
それは世界から厳しい批判との論旨に当たるのでしょうか。
只のデマと何ら変わる事の無い記事や見出しを書いていては信頼を失う事を理解していないのでしょうか。
戦時下のプロパガンダではあるまいに、情報が正しいか直ぐに確認できる民主主義の日本です。
情報をコントロールする共産主義国ではないのです。

文責を明らかにする著名記事です。
事実は事実として淡々と述べた上で自説を書くのなら分からないでもありませんが、騙して読ませようとするのは如何なものかと強く思った次第です。
コメント (3)
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