週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#249 -’17. 別荘生活を想い 『その後は如何に』(4回目)

2017年08月21日 12時36分47秒 | 別荘生活
今回のスレッド・タイトルは何とも抽象的なその後は如何にです。
言いたい事は決まっていますが、その全体を指し示す良い言葉が想い浮かびません。

経年変化による色々な問題や生活環境の変化に依って什器備品に止まらず、別荘本体の断捨離問題を述べてみたいと思った次第です。

何を捨てるのか?
それは、その後は如何に生活を組み立てるかによって変わって来る三つの道です。
別荘をどのように遇するかと言う事、即ち後の人生を如何に過ごすかと言う大問題です。

〇 一番目は、終の棲家として、今流行りの言葉で少し気になりますが「スローライフとかロハス」都会から田舎に移住する事です。
文脈上は都会から逃れてが一番ピッタリしますが、都会から逃れるの逃れるが気に入りませんりませんので、使用しません。)田舎に移り住み生活を始める場合、即ち別荘を生活の本拠地にする場合は問題は生じません。
別荘の断捨離問題、即ち処分問題も発生しません。

〇 二番目は、子孫に残す事、即ち相続させることです。
相続させるのであれば、こちらも面倒な問題は取り敢えず生じません。
我が家の息子たちは、別荘に全く興味を示しません。
将来的に相続するにしても、管理がままならなければ朽ち果てて行くのみです。
それも少し悲しいと言わざると得ません。
その事を理解したうえで売るなり、使用するなりの決定は子or孫に任せる事になります。

〇 三番目は、別荘生活に区切りを付けて都会に戻るという選択です。
都会に戻ると言う事は、別荘生活と決別する事を意味します。
人は自分自身の決定した事に変更するのを躊躇します。
過去の判断(別荘を購入したことや、その別荘で田舎生活を始めた決断)に決別する事に対して深層心理下で納得できない無意識の感情が有るのです。
己の選択が誤っていたと捉えてしまい、適切な判断を狂わせるのです。
過去の判断を修正する事は何の躊躇も要らないし、今現在の状況のみに従い判断すべきなのです。
何事においても中断して撤退することの難しさでしょうか。
でも、作戦など過去の判断を否定することでも躊躇なく実行すべきだと思いますし、その決断力が必要かと思う次第です。

それでも、田舎生活していない私が言うのですから、何の説得力もありません。
ものは考えようです。
田舎生活を夢見る人は32%も居るそうです。
定年後の10年間程度のロングステイと捉えらば、幸せな人生を歩むことが出来る幸せな方だと思うのですが。


個人的には三番目の、ロングステイと捉えて都会に戻るのが一番賢い選択かと思う次第です。
田舎生活は精神的にはロハスな生活かもしれませんが、資源的にはロハスな生活ではないと思います。
いつかは免許を返上しなければならない。
長寿を得たとしたら、都会と比べて公共交通機関の抜け落ちた田舎では生きて行くだけでも大変だと思う次第です。

ここでの問題提起は、別荘を構えていても、いつかはこの地に落ち着くのか(一番目の田舎暮らしの終の棲家)、別荘としてそのまま所持し続(二番目の相続)けるのか、別荘での生活をロングステイと捉えて田舎を去るのか(三番目)と言う事です。
その決断の時期が必ず訪れる事です。

現実と夢
夢と現実でのせめぎ合いです。
どこで折り合いをつけるか、それでも妥協を排除し夢を叶えたいと思うのが人間です。
それでも、自分の事ながら一秒先は分かりません。
だから反対に悔いのない残りの人生を大切に生きたいと思う心を無碍にできないのです。

このスレッドを書いて感じた事を!
だからこそ人間らしく決断できないのが現実です。
決断できなくても良いのです。
それこそが人が人である証だと思うからです
コメント (4)
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