Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

今井金吾の世界

2011-02-27 09:27:08 | 私の日々
今月のダイナースクラブの月刊誌「シグネチャー」、
伊集院静のエッセイ「旅先でこころに残ったことば」は、
こんな出だしで始まる。
「旅はさまざまなことを私たちに教えてくれる。
今の若者はあまり旅に出ないと言われているが、私はそれはいっときの風潮であり、
そう心配することでもないように思う。」

同じ雑誌の中で美術作家・杉本博司のインタビュー記事があり、
こちらの出だしも「外国に興味をもたない若者が増えているという。
海外旅行に行くよりも家でほっこりしていたいのだという。
『僕達の時代は圧倒的に情報量が少なかったのですから。(中略)
いまは、ありとあらゆる情報がパソコンで手に入る時代。』」

若者とはいったいいくつくらいの人々を定義しているのだろう。
20才前後から30代前半ぐらい?
このブログを読んで下さっている方でこの範疇に入る年齢の方、
私とfacebookで繋がっている方は、みなさん旅好きなように思えるがどうだろう?

先週行った朝日カルチャーセンターにおける金子三勇士、真嶋雄大の「リスト「らしさ」とは何か」
の講座の中で1800年代に入ってから旅のしやすい環境になったこともあり、
リストは旅先で見聞を広め、それを曲へと作り上げた作品を「巡礼の年」としてまとめたという説明を受けた。
金子三勇士自身も「リストが『巡礼の年』で訪れた各地を巡る旅をしてみたい。」

ポーランド大使、ヤドガ・ロドヴィッチが講演会の中で「ポーランド人は旅好きな国民です。」
フランス語の教科書にも「フランス人は国民性として旅行が好き。」とある。
個人の問題でなくて国民性として旅を好むと好まざると分かれるのだろうか。
だとすれば、日本人は旅好きな国民と言えるのかもしれない。

地元の歴史博物館で「今井金吾の世界」という特別展が行われている。
先日、学芸員の方から丁寧な説明をしていだたいたのだが、
今井金吾氏は新聞記者を経て江戸の旅について書かれた書物「道中記」と言われる文献、
また江戸の旅にまつわる歴史的なコレクションを所蔵され、実際にその地を自分の足を使って歩き、
それを文章としてもしたためられてきた。
そのスタイルを尊敬し、今井氏の書かれた本とともに江戸の旅を辿るマニアの方もいられるそうだ。
90歳を前に亡くなられた後、その遺品が当地の歴史館に寄贈され、
それがテーマに分けて分類され展示されている。

江戸時代にタイムスリップして自分が一人で旅をするということを追体験してみた。
まず女性が旅するのは男性よりもずっと厳しくなる。
「入り鉄砲に出女」江戸の町に武器は持ち込まれないように、
女性は出さないようにとされていた時代。
今でいう「パスポート」には写真などないゆえに姿形の特徴が細かく文章として書かれる。
その上、更に女性の検査官もいて関所ごとに厳重に調べられたようだ。
いくつかの関所を通るための通行所が必要になる。
その今で言えば「ビザ」そこに書かれた文章の内容は、
まず仏教の寺院に属する檀家であること(キリシタンではないという証明)
またもし万が一、生き倒れになった際にはその地の作法で埋葬し、連絡不要とまで書かれている。
この時代の旅はこれではまるで命掛けだ。

その他に馬や籠を借りる際の許可書なども携帯する。
この時代だからプラスティックやビニールなどはもちろんなく、紙でさえ薄い半紙。
これをいったいどのように持ち歩いたのだろうか。
畳んで更に紙で包み、布で包む。
そんなものが現在まで残っているとは。

例えば旅先でお風呂に入るとか。
ほんとうに危険が迫っていたら風呂どころではなく入らなかっただろう。
しかし日本人の国民性として「風呂好き」「清潔好き」とも言われる。
当時は来客に対してのもてなしとして食事だけでなく風呂の存在も大きかった。
今のようにセイフティーボックスなどもない時代、
連れがいれば交代に貴重品の番をするとして、一人でもお風呂に入りたかったらどうしたのだろう。
それこそ「肌身離さず」目の届くところに必ず置いたのだろうか。

それでもそんな思いをしても旅する女性はいた。
その目的はいったい何だったのだろう。
観光と言うよりも強い信仰からお伊勢参りや四国を巡るまさしく「巡礼の旅」が目的だったように思う。
あるいは武士の妻や子供として必要に迫られて。

ミシュランのガイドブックではないが、そういった際に安心して女性でも泊まれるように、
その地域で認定された宿というのが紹介されている。
また旅行の際の携帯品、小さくまとまったハサミ、鏡、携帯用の白粉を入れるための小袋。
展示されている化粧袋には当時の白粉がそのまま入っていると聞いた。
その当時の白粉には水銀、鉛が含まれていて毎日、厚化粧を強いられた遊女の寿命が短かったのは、
鉛中毒が原因でもあるそうだ。
一人旅どころか、美しく装うのもその当時は命懸けだったのか。

日本では1600年代から人々が旅をするようになり、
しかしながら関所を通るごとに通行証が人数分必要なことから、
(たとえば同行者の人数が書かれていて変更があると申請し直しが必要になる)
その手間の煩わしさから江戸からは関所を通らない鎌倉、江の島などへの観光も盛んになった。

この博物館を見学すれば随所に江戸の人々の気性や好んだ物が理解できる。
クジラが岸にうちあげられたと聞けば見物に行き、春は桜を愛でながら宴会。
当時は桜の種類が今よりもずっと豊富で各所で違った花が見られたようだ。
好奇心旺盛で美しい物、新しい物、美味しい物が好きだった。
神社仏閣ももちろん大切にした。

こういう気質は今の東京人にも受け継がれているはずだが、
旅をすることが特に女性が出掛けて行くことが、
どれだけこの時代には特別で危険であったかは充分察せられる。
それでもその時代に旅をする女性はいた。
せざる負えずに出掛けて行ったのか、自ら好んでなのか。
旅好きの私としては興味が尽きない。

今、自由に女性でも一人でも旅ができるということがいかに恵まれているかもよくわかった。
せっかくそのような時代に生まれながらそれを謳歌しないのはもったいないことにも思えるが、
今だに一人旅というのはサバイバルが掛かったチャレンジとも言える。
今の「若者」が旅を好まないというのはそういうリスクを嫌うからなのだろうか。


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