Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

3日目のNOLA 3 エリックベネイ@コンベンションセンター

2009-07-15 00:00:22 | ニューオリンズの旅
エリック・ベネイはSPに囲まれて登場した。
声援が上がる。もちろん日本でも人気があるとは思っていたが、
こういう場所でつくづくほんとうにセレブなんだなぁと改めて思う。

エリックはステージ右後ろのドアから現れ、舞台裏からステージ上へ。
インタビューに答え、前に出て、前方に押し寄せた観客のサインや握手に応じる。
出番が終わり、ステージ正面の階段から下りてくる。
そこから舞台右下、退場のための通路が確保されている。

ファンクラブのみんなが、「AK、前に行って。前に出るのよ!」と大騒ぎ。
勢い余って前に出過ぎ、係りの人に注意され、一歩引く。
すると二人のかなり強面のお姉さまがエリックの脇を固め、
「エリック、一緒に写真をお願い。」エリックは撮影に応じる。

エリックベネイ、そのまま退場かと思いきや、
思いがけないことに、その後、群衆の中、私を目掛けて、やってきてくれた。
「日本からわざわざ来てくれてほんとうにありがとう。」
ハグ&キス。ファンクラブの皆がはやし立てる。次はリンダ。
サリナが興奮しながら「AK、写真を撮ったわよ! 後姿だけれど。」と見せてくれた。

エッセンスミュージックフェスティバルもそうだが、
特にコンベンションセンターに至っては、見渡す限り、アフリカ系の人しかいない。
そういう意味で、アメリカの人は他人を見ていても顔に出さない習慣があるから、
視線は感じなかったが、やはり東洋人ということで目に付いていたのかもしれない。

もちろんトロイリンから「明日は日本からAKが来るからね。」
と前日のヒューストンのライブで聞いていたとは思う。
しかし、こんな風に優しく、暖かく、はっきりと、
敬意を表してくれるとは思っていなかっただけに、感激。

今、思い返すとこの間の記憶が鮮やかではない。
かなり舞い上がっていて、何が起きたか、どういう状況だったか、
余り覚えていないのだ。
思考回路が停止してしまっている。
こういう瞬間こそ、もっとかみ締めて味わうようにするべきだった!

ガブリエルは心臓外科の看護師。
「ちょっと胸が苦しいんだけれど、だいじょうぶかな?」と聞くと、
「全然平気よ。もしほんとに発作が起きても、私がいるから。」

感動にぼっとしつつ、そこでファンのメンバーは一時解散。
次はスーパードームのコカコーララウンジで6:45に集合。
エリック・ベネイがみんなと会う時間を作ってくれたと言う。

そのまま、残ってセレブをみつけて、一緒に写真を撮る人、
ホテルに帰る人と分かれる。

コンベンションセンターの入り口付近、来る時にwill callの立て札を見た。
「リンダ、ここでたぶん券に替えられるよ。」と行ってみる。
どうやらルイジアナスーパードームに行かずとも、
予約して既に決済も済んでいるチケット、ここで引き換えられそうだ。

長蛇の列。「カミュラとリサ、悪いから先に帰って。」
と言うが、二人とも一緒に待つと言う。
エッセンスミュージックフェスティバルのwill callって、
アメリカ、カナダ以外の国の人のはずだが、
この人達はいったいどこから来てるんだろう。
南米だろうか?

並んでいる時、リンダが「デュエレイよ!」と言ったかと思うと、
エリックベネイファンのキャップを私に託し、デジカメを手に追いかけた。
「感じのいい人だったわよ。写真も一緒に撮ってくれた。」

ようやく順番が来る。
まずENF3日間通し券のリンダ。私は7/3のみだが、4日も当日券があれば、
欲しいと言う。リンダが自分の席を見せて近くにしてほしいと頼む。
すでにカードで引き落とされている3日の券、そして4日の当日券もカードで購入。

売り場を離れて、チケットを確めると日付が5日になっている。
今にして思えばリンダが5日のチケットを見せたのだと思うが、
その時は、そんなことは考えず、「わっ、これ間違っている!」
リサとカミュラ、リンダもびっくり。4人で戻る。

「チケットが違っているの!」と受付の人に向かって叫ぶと、
すでにチケットを受け取ろうとしていた南米風の二人組みの女性、
「彼女が違うチケットを受け取ったと言ってるよ!!!」と二人して、
口々に大声で受付の人にまくしたてる。
そして、二人で手招きして私を自分達の前に入れてくれる。
4日の日のチケットをゲット!

リサに言われた「あなたが受け取ったチケットをすぐに確認して、
ほんとに良かった。」

エリック・ベネイ、7/3、コンベンションセンター、フォードでのインタビュー映像
http://ballerwives.com/2009/07/04/eric-benet-other-celebs-at-the-essence-music-festival-2009/

3日目のNOLA 2 コンベンションセンター

2009-07-14 00:00:19 | ニューオリンズの旅
EMF関連のイベントが行われているニューオリンズ、コンベンションセンター。
EricBenetファンクラブのメンバーが次々とやってくる。
ある程度の人数が集まった時点で、集合が掛かる。

ファンクラブ会長のトロイリンが挨拶。
そして皆来てくれた人にプレゼントがあると。
「一番遠くからきたAK、まず選んで」と言われる。
そして「これが欲しかったんでしょ?」とトロイリンが持っているのを見て、
「わぁ、これいいな。どうやって作ったの?」と聞いた
エリックベネイの写真入のバッグ。私のにはサインが入っている。
そしてフランスから来たリンダ。
彼女はエリックの写真とサイン入りのキャップを選ぶ。
ボールペン、ペンダント、フォルダー。
トロイリンは全員にプレゼントを用意していた。

その後、一時解散になり、目の前での
チャーリー・ウィルソンのインタビューを見る人、
食事に行ったり、アトラクションに参加したりと分かれる。
リンダと飲み物を捜しにいくが、みつからない。
戻ってくると、広い会場でみんなとはぐれている。
リンダは二種類のメールを使ってリサの位置を確認。
フードコートにいることがわかり、そこに向かう。
これは、けっこう二人とも慌てた。
会場は入った時よりも、ずっと混雑してきていて、
その上、とても広い。
雑踏に揉まれながら、リサとカミュラをみつける。

かなりの行列だが、食べ物を並んで買う事に。
私はザリガニのパイにする。出てくるとスナック。
みんなはけっこうしっかりしたボリュームのあるチキンやビーンズを頼む。
リンダが全員にアイスクリームを買う。
持っていくトレイがないかと私が聞くが、ないと言われ、
どんな物でも良いからと頼み、店員もいろいろ捜してくれるが、ないと困っている。
リンダは自分はフランス、彼女は日本から来たのよ、と言うと、
お店の人はそうだ!これを使って、と大きな団扇を出してくれた。
飲み物はあまりの行列に二人とも面倒になり、諦める。

席が中々確保できない。
やっと4人分をみつけて座る。
カミュラが食べている物、これだ!と思った。
「それって何?」
「グリーンよ。」
「食べてみてもいい?!」
「取って、取って!」
グリーンてどんなものかとずっと思っていた。
野沢菜みたいな感じだ。
ほうれん草で作ると聞いていたので、もっと違うものを想像していた。

リンは娘と来ている。二人とも若々しい。
リンに聞くのは失礼かと思い、娘の方に「いくつ?」と聞くと、
「いくつに見える?」さあ、困った。
「19才?」と言うと、ゲラゲラ笑っている。
「31才よ。」
「という事はリンは15歳とかで出産しちゃったわけ?」
二人とも笑い転げている。
「それってアメリカでは合法なの?」
また、涙を流して笑っている。

ガブリエルとリンと。


ファンクラブの代表のトロイリンとフランスから来たリンダと。



食事の後、そろそろEric Benet、インタビューに登場する時間になり、
フォードの前に戻る。
トロイリンから、「AK、初めて食べたザリガニのパイの味はどうだった?」
と聞かれる。いつの間に、どこから聞いたんだろう?
「美味しかった、グリーンもね。」
目の前でチャーリー・ウィルソンがインタビューを受けている。
「チャーリーのライブ、日本で行ったのよ」と話すと、
これもまた、「AKは、日本でチャーリーを観たんだって!」
と伝言ゲームのように伝えられていく。

フォードのバーガンディー色の小型車が脇に置かれいて、
みんな、それぞれ乗り込んで、運転席に座ってみたり、
休憩室として中で休んでメイクしている人もいる。

そろそろエリック・ベネイが現れる時間だ。
みんなが「AK、前に行って通り道で待つのよ!」
こっちがいいとか、いや、こちらの方が通るはずだとあれこれ教えてくれる。

3日目のNOLA 1 隣のホテルへ移動

2009-07-13 00:07:19 | ニューオリンズの旅
朝、冷蔵庫のオレンジジュースを飲み、
フロントにチェックアウトに向かう。
冷蔵庫の缶ジュースが6ドル、信じられない!

そして隣のホテルのロビーに9:15頃着。
9時半を廻っても、誰も登場しない。
リサとリンダに電話をするが、通じない。

その時、エリック・ベネイファンクラブのメンバー、
ガブリエルとサリナがホテルのドアから、入ってきた。
二人とハグ。ファンクラブだけでなく、
myspace、face bookでも、お馴染み。
映像や音声、写真もお互いに見て、相手の姿を知っている。
ガブリエルは超ポジティブでいつも元気溌剌。
サリナはおっとりしていて優しい、そしてオチャメ。

二人とも既にチェックインを済ませて、
コンビニに買物に行ったところだそう。
「トロイリンは上の部屋にいるわよ。」
と言われたが、「ここで、もうしばらくリサを待ってみる。」
サリナは自分達の部屋番号を教えてくれた。

9:45になった。
フロントでリサとリンダが既にチェックインしたか確認したが、
まだ現れていない。
トロイリンの部屋番号を聞き、部屋に電話。
「リサは空港で荷物が出てこなくて、待たされているって、
今連絡があった。ねぇ、部屋に上がっていらっしゃいよ。」
(その後、分かったことなのだが、ドコモの携帯電話もメールも
アメリカで使えると言う機種を買ったが、役に立たない。
ドコモの携帯は日本の携帯を持っている人にしか通用しないようだ。
困ったリサは私のfacebookにメールを送ってくれていたのを、後で知った)

部屋を訪ねると、パトリスとトロイリンがいて、みんなとハグ。
サリナやガブリエルもきた。
記念撮影となる。
写真や動画、声も聞いているし、4年に渡ってのメールのやり取り。
ほんとうに全く、初めて会った感じがしないのが不思議だ。

トロイリンは10年近くファンクラブの代表をしてきている。
とても小柄で可愛らしい感じだけれど、華やかな顔立ちの美しい人。
穏やかで落ち着いているが、これだけのメンバーを長年に渡ってまとめてきた。
それだけに知的で芯の強さも持ち合わせている。

皆、私が独りで何をしていたかと興味津々なので、
ハリケーンツアー、スワンプツアーのことなど話すと、
頷きながら、耳を傾けてくれる。
ハリケーンに関しては、深刻、ワニを見るツアーには笑いが。
ハリケーン後の復興が進まないことに関しては、
国よりもルイジアナ州、そしてニューオリンズ市が予算を使おうとしない
という意見だった。

みんなで部屋で朝食を摘んでいると、リサから部屋に電話。
チェックインの手続きに降りてきて欲しいと言われた。

リサ、リンダ、そしてリサの親友のカミュラがロビーで待っていた。
リサ、リンダとハグ。カミュラと挨拶。
今回の旅、一度はあきらめたもののフランスのリンダが参加するとメールをくれ、
それがきっかけとなり、勢いがついて私も来ることになった。
そして、リサは私が一人でホテルに泊まることを気にしてくれて、
一緒の部屋にしようと声を掛けてくれた。

チェックインの際、最初にディポジットとして割り勘にして、
一人分の宿泊数で割り、現金で納めた。
持っているお金を先に出してしまってすっきり。
3人部屋かと思っていたら、何と4人部屋、いったいどうやって寝るんだろう!?

その後、部屋へ。
ベッドルームが奥にありキングサイズのベッド、
手前にキッチンとリビングルーム。
ソファーベッドと簡易ベッドが用意されている。
冷蔵庫は空。暖かい飲み物用のポット。
コーヒーメーカーもある。
お皿やカトラリーも揃っていて、簡単な料理もできるようになっている。
バスルームは広いが、バスタブはない。
やはり作り付けの手に持てないタイプのシャワーヘッド。

昨日はエリック・ベネイのヒューストンのショウ。
一昨日はダラス。
一昨日からずっとの人、昨日からの人、一昨日と今日の人、
今日からの人。
ファンクラブのメンバーが続々と集まってくる。
リサとリンダは昨夜、ほとんど寝ていないと言う。
リサが特に疲れていそうだ。

これからコンベンションセンターで全員集合になる。
コンベンションセンターではEMF(エッセンスミュージックフェスティバル)
関連のイベントがある。
エリックがフォードのブースでインタビューを受けるので、
それを見学しつつ声援を送ることに。

カミュラは、エリックに渡すために作ってきたというクッキーを
ラッピングしている。
私とリンダはwill callでライブの前にチケットを受け取らなければならない。

コンベンションセンターの場所をフロントで聞き、歩き始める。
私よりもみんな暑さに弱い、そして歩く習慣がない。
もう、だめだ、歩けない、タクシーを拾おうということに。
タクシーで近距離なのに乗せてくれた。
リサが10ドルを出し、カミュラがそこに5ドルを重ねて渡す。

コンベンションセンターに着くと、入り口付近で、
will callの窓口を見かけた。
ここでもたぶんチケットの引き換えができそうだ。
コンベンションセンターは広い。
待ち合わせの場所までなかなか行けない。
あちこちでアトラクションやインタビュー。
リサはトロイリンにメールしながら場所を確め、
ようやく、一番奥のフォードのブース、
エリック・ベネイがインタビューを受ける場所にたどり着いた。

2日目のNOLA 4 バーボンストリート

2009-07-12 00:04:10 | ニューオリンズの旅
ホテルに着いたのは6時近かったように思う。
ちょうど、このブログを通じて知り合ったnkmrakikoさんが到着する頃。
Essence Music Festival、彼女も観戦することを知り、
事前に連絡を取ったところ、何と二人とも同じホテルを予約していた。
航空会社も同じだから、昨日、私の着いた頃に到着されるかと思っていた。

ロビーに入ると日本の女性がチェックインの手続きをしている。
終わったら声を掛けようと思い、脇にいたコンシェルジュに、
「薦めてくれたツアー、とっても良かったわ。」と話すと、
「明日もいいのがありますよ。」
「明日はもういいの。」
「まだ、予約できますよ。ぜひ。」と強気。
「明日はもう行けないから。」と断っていると、
ふとみると、nkmrakikoさんは歩き出している。

後ろからびっくりさせないように声を掛ける。
良いタイミングでお会いできた。
「一緒に部屋を見に来ませんか?」と誘って下さる。
失礼かと思ったが、到着したばかりなので、かまわないかと伺うことに。
上階の角部屋。正方形で窓が両面になる。
とても明るくて気持ちの良さそうな部屋。
nkmrakikoさんは一人で4泊されるから、素敵なお部屋で良かった。

たった1日先に着いただけなのに、先輩ぶってホテルや部屋について説明。
このホテル、セイフティーボックスが一応、部屋にあるが、
暗証番号でロックではなく、大きな鍵が付いている。
「これって持ち歩くんですか?」とnkmrakikoさん。
「そうなのよねぇ。」

疲れているかと思うし少し休めば?と聞いたが、
このままの勢いで出かけようという事になる。
確かに明るい街並みが宵へと変化していく雰囲気も見たい。
彼女は荷解き、私も汗だくなので、部屋に戻り、
30分後にロビーで落ち合う。

二人でフレンチクォーターまで歩く。
昨年11月からエッセンスミュージックフェスティバルへ向け、
予定を立てられ、ホテルの予約、コンサートチケット、
私の疑問に思ったチケットマスターのwill callの仕方など、
ルイジアナスーパードームのHPに照会して確認されている。
着いてからのツアーやランチ、エアポートリムジンの予約、
旅行の下準備を日本からきちんとされていて、感心する。

ホテルから13分位の距離かな。
いろいろなお店から違った音楽が聞こえてくる。
中では半生バンド、半カラオケとでもいうか、
音が流れる中に楽器が加わり、ボーカルの音声が聞こえるが、
スタンドアップのマイクの前の人がMCと所々、歌う。
クチパクと生声、カラオケと生の楽器のミックス。
デキシー、ジャズ、ヒップホップ、オールドスクール、
ブルース、R&B。

EW&Fの曲の聴こえてきたお店で足を止める。
中に一歩足を踏み入れる。
入り口のクーラーボックスの前でビールを買う。
その店で音楽に身を委ねる。
アースからマイケル・ジャクソン。
知らない人たちと一緒に向き合って踊り始める。
しばらく、楽しんでから食事に。
シーフードレストラン、一軒目は予約で一杯、人も並んでいる。
二軒目、15分待ちというので、待つことする。

その時、頼んだカクテルの名前は、「ボンニュイ」、
フランス語で「良い夜」、あるいは、「お休みなさい」
生牡蠣、シュリンプカクテル、ザリガニのソテー、ほうれん草とフルーツサラダ、
フランスパンでディナー。
それぞれの旅とご対面を祝して乾杯!
二人で一緒の写真を撮れば良かったのに、
私も翌日からの成り行きが計り知れず、気持ちに余裕がなかったようだ。
2ショットを取り損ねて残念!

その後、店を出て歩き始めると、マイケル・ジャクソンへの
トリビュートが路上で演奏されている。
マイケルのことを思うと、こみ上げてくるものがある。
足を止めて二人で聴き入る。
雨も降ってきて、明日からが本番だからとホテルに引き上げることに。
私達のホテルは"Le Pavillon"
フランス語で「館」「心地良い場所」
夜10時からサンドウィッチやココア、ベーグルなどの軽食のサービスがある。
マシュマロとホイップクリームをたっぷり入れたココア、
飲みながらロビーで談笑。
翌日の夜は、エリック・ベネイのセカンドショウが終わる頃、
コカコーラスーパーラウンジで、落ち合い一緒にホテルに戻ることにする。

何だかこのホテル、「心地良い場所」になってきた。
しかし。
翌日はリサとリンダと隣のHomewood Suite Hotelのロビーで9時半の約束。
翌日からは隣のホテルに移動し、エリック・ベネイファンクラブの合宿。
みんなで二日間を共に過ごし、
ルイジアナスーパードームでのエッセンス・ミュージック・フェスティバル、
コカコーラスーパーラウンジにてのEric Benetの2ショウを一緒に観る予定。

2日目のNOLA 3 スアンプツアー

2009-07-11 00:04:07 | ニューオリンズの旅
さて、ホテルに戻るとスワンプツアーまでの時間は、後45分ほど。
部屋に戻って、昨日買っておいたペストリーを食べ、飲み物を飲む。

ロビーに出て待つが、迎えの時間を過ぎても一向にピックアップは来ない。
何度かベルボーイやフロントに確認する。
「他のホテルも廻っていて時間が掛かっているのだと思う。」と言われる。
20分近く遅れただろうか。
また10人乗りほどの車。そして運転手の女性、
やはり先ほどのガイドと同様、運転しながら市内の見所、
通っていく場所の説明をしてくれる。
このまま行くのかと思ったら、各地で客を集めたこの手の車が、
集合地点に到着する。
その後、大型バスに乗り換え、スワンプへと向かう。

バスはどんどんと郊外へ。
日差しも凄く強くなってくる。
河を超えると、木々が鬱蒼としてくる。
バスから降りるとメチャクチャ暑い。

お土産と飲み物などのある小屋でツアー代の集金。
お手洗いが外に二つ。どちらも鍵が壊れている。

グループ10人位になり、ボートに乗り込む。
それぞれどこから来たかガイドが質問。
ほとんどアメリカ他州とカナダ。
この辺り、そして街中でも木の枝に垂れ下がっている植物がある。
スパニッシュモスというそうだ。
スペインの苔ではなく、ムースがなまってモスになったそうだ。

ボートは時々速度を上げ、またゆっくり水辺を進みながら、
鳥や木々を鑑賞、そしてワニをマシュマロで呼び寄せる。

沖縄の西表島のボートクルーズをしたことがある。
木の水に根を張って、生えている様子が似ているが、
あちらは海。こちらは河と沼なので、水面も植物が漂い、
水も濁っている。

ガイドは時々、自分もマシュマロを頬張る。
映画「アリゲーター」みたいな人喰いワニじゃなくて、
可愛い小鰐。ガイドさんは、「僕達はここで泳ぐんだよ。」
「鰐は襲ってこないの?」
「向うが怖がって寄って来ないよ。」
ワニの写真を夢中でたくさん撮って、デジカメの電池を消耗。
全く、大ばか者だ。エリックの写真を撮らなきゃならないのに!

ここでも、川沿いに崩壊したままの小屋をいくつか見た。
ボートハウスや別荘、ハリケーンの後、直す事もなく、
放置されているそうだ。
それでも、一軒のボートハウス、ポーチでビールを飲みながら、
寛いでいる人がいた。
こちらに向けて手を振り、ビールを投げる振りをする。

日差しが市内よりもずっと強く、気温も高い。
ボートには日よけがあるが、陽にあたるとジリジリするばかりの暑さ。
ガイドさんが、「荷物や帽子を押さえてね。」
と言うと速度を上げる。風を切って河を走ると、心地良い。
船尾にいた若い女性が、叫び声を上げる。
水をザブッと浴びてしまった。彼女はそこの席、日除けもなくて、
端なので、最初から座るのを嫌がっていた。
彼女の連れの人達が大笑いしている。

かなり浅く細い水路にも入っていく。
前のボートは何かにつかえて、動けなくなっていた。
必死で方向転換している。
「あの人達、今日、帰って来られないかもしれないよ。
みんな、腕の良い僕に当たって良かったね。
助けている時間なんてないから、僕達はさっさと帰ろう。」
(もちろん、冗談です。前のボート、ちゃんと戻ってきました)

ツアーが終わりに近づく頃、何かカサカサっという音が聞こえ始めた。
よく見ると、それぞれ、紙幣を用意している。
皆、さっとわからないように渡すので、うっかりしていると気付かない。
隣の人に聞く、「いくら位渡すの?」
「?」という表情。「日本にはチップの習慣がないから良くわかんないのよ。」
「だいたい2~3ドルが相場だね。」
「ホテルのコンシェルジュでツアーの予約を頼んだら?」
「やっぱり同じくらいかな。」なるほどねぇ。

カナダからバイクで旅をしているというカップル。
バイクが故障してしまい、修理する間、この町に留まっているそうだ。
「車種は何?」
「ハーレーデビッドソン。」
「ワォ、凄いわね。彼女はサイドカー?」
「(笑)二人で一台に乗っているよ。」

また先ほどの小屋に戻り、お土産を買ったり、飲み物やトイレ休憩。
年配の女性の二人連れに、「まだ出発しないわよね?」と聞くと、
「バスがスタートするって聞いたら、必ず、あなたにも声を掛ける。」
出発の合図があった時、彼女たちは熱心にお土産を吟味していて、
結局、私が、「もう行く時間よ。」と教えることに。

ほどなくバスに乗り込み、走り始めた後、
その二人、「小さな子供を連れた女性、バスに乗ってないわ!」
と言い始め、立ち上がって運転手に叫ぶ。
運転手さん、「最初から、そんな人達はいなかったよ。」
同じボートに乗り合わせた親子、バスが違っていたのを、
ずっと行きも一緒だったと勘違いして慌てたようだ。
私もその親子、ボートの上でも目立っていて、
そしてお土産も私が買ったエプロン、
「それっていくらだった?」なんて話しかけてきたから、
同じバスかと思っていた。

帰りのバスは凄く飛ばして、エアコンも効いていた。
運転手に寒いというと、後ろの席の方が暖かいと言われる。
後ろに移動すると、確かに寒くないが、道が一般道も高速も状態が悪く、
飛び跳ねるほどで、後ろは特に振動が激しい。
一番後ろで横になって寝ていると、
「ヘ~イ、コールド・レディー、だいじょぶか~?」

また市内に戻り、降りる場所が近づくと、カサカサ、カサカサ。
私も2ドル渡して、バスから降りた。

2日目のNOLA 2 ハリケーンツアー

2009-07-10 00:00:05 | ニューオリンズの旅
運転手兼ガイドさんの隣の席に座る。
ニューオリンズの繁華街を抜けて、被災地へ。
最も被害が激しく、その上、全く復興が進められていない地域へと向かった。
建物の跡形もない。瓦礫のまま。 
そしてそこに残った朽ちかけたマリア像が痛々しい。
ポールが立っていて、それは1番、水位が高かった時、水が少しづつ引いた時、
それぞれいくつかの推移を示していた。
説明がフィートになるので、すぐにピンとこない。
が、町全体が水に呑み込まれ、道路は河と化し、
海抜が高めの丘の上に住んでいる人は洪水の被害はなくても
ハリケーンのため、家を破壊されたそうだ。

いろいろなパターンの被災地を巡る。
比較的、豊かな地域には新しい家、修理された家がある。
そして貧困層の住んでいた所は、町自体が廃墟になったまま。
保険に入っていない人がほとんど、そして入っていたとしても、
全部をカバーしたら保険会社が倒産してしまうため、きちんと補償されなかった。
何と1500人近い方が水死だけでなく、その他の病気、心臓疾患なども含めて、
亡くなったという。

最も貧しい地域では、ハリケーンの前は、平屋が並んで建っていて、
家の前のポーチには椅子が置かれ、人々は近所と親しく行き来していたと言う。
「その人達は今、どこにいるの?」
「他の州や被災者用の住宅で暮らしている。」

新しいスタイリッシュな高床式の住宅の建設が進められている地域に行った。
ブラッド・ピットが中心になって募金を集め、被災者達の家を建ててくれているそうだ。
「年寄りにはこういう家、住み難いかと思うんだよね。
でも、ブラッド・ピットはやってくれている。
政府は、もう4年になるのに、何にもしてくれないんだ。
政府というより州。」
「オバマが大統領になったから、状況が変るかしら?」
「そう信じたい。」

貧困地域は家が崩壊したままだが、高級住宅地に行くと、
修復された家もあるが、窓が打ち付けられたままの家も見かける。
水が入ってこないように洪水の時、板を張り、
そのまま住民が帰る事もないままの家々。

そして一見、街並みが整っているようなところでも、
板の張られたままの窓の家、また売家、貸家の看板がやたら目に付く。

堤防の近くの巨大なポンプを見学した。
これで、水を吸い上げて汲み出したそうだ。
湖とは思えずまるで海のよう。

「昔はニューオリンズはアメリカ最高の町だった。
今はサンフランシスコ、ニューヨーク、DCやLA、良い所が沢山あるけれど。」
ガイドさんから度々、「南北戦争の前は・・・」という言葉が出る。
この町は南北戦争前に栄華を誇り、それでもその後も古都として、
親しまれた。
しかし2005年のハリケーンカトリーナの後、復興が進まず、観光地としても、
衰退している。


その後、美しい住宅街として知られるガーデンディストリクトへと向かった。
レース、といわれる鉄塀が特徴。外壁だけでなく、2階のテラスにも使われている。
「スカーレット・ヨハンソンとジョン・トラボルタがここのポーチで、
撮影したんだよ。」
映画のロケ地として使われた場所や、大きな木が並ぶ町並み、
見学者の訪れる綺麗な家などを車窓から眺める。
立派な家でも、レースの装飾が単純だとこの辺りでは認められないそうだ。

そういえば、被災地の復興住宅の建設作業現場で、
私の背より低い潅木が植えられていた。
あれは、木が全部なくなっちゃったから、新しい植栽を配したのだと理解した。

路面電車が通っていて、のどかだ。
冷房付きのと窓が開け放たれた物がある。
しかし、サンフランシスコとは違い、
ここで撮影されたマーロン・ブランド、ビビアン・リーの
「欲望という名の電車」のイメージが強い。

その後、墓地の見学をする。
なるほど、これだったのかと思う。
一つ一つが家のように大きい墓地。お墓と言うより霊廟。
アシュレイ・ジャドの映画「ダブル・ジョバディー」で、
アシュレイが、子供と会わせてあげると言われて、誘い出され、
その霊室の中のお棺に閉じ込められるシーンがあった。
その撮影現場も訪ねる。

ガイドさんの家もこの墓地にお墓を持っているそうだ。
しかし、その部分の説明がよくわからなかったのだが、
ある条件を満たさないと、もうその後そのお墓を使えないそうだ。
霊廟のドアを作り変えないといけないのだけれど、それには、
多額の費用が掛かると言っていたような。

その後、一度、公園内で休憩が入り、飲み物を飲む人、
トイレを使う人、そしてその場でツアー代の集金。

一組ずつ、フレンチクォーターのホテルへと送りながら、
一方通行が多いため、かなりフレンチクォーターを走ることになる。
その間、良いホテル、レストラン、有名なバーなど教えてくれた。
フレンチマーケット、そしてどういうわけか観光名所になっている
ペニエとカフェオレを出す混雑したカフェも教えてくれる。

私が午後のツアーを予約している事も伝わっていて、
次のツアーの時間までにホテルに帰れるよう気を配ってくれていた。
「もともとの出身はどこなの?」と聞くと、スペイン系だそうだ。

最後の客は私だった。
ドアを開けて出してくれたので、一緒に写真を撮りたいと言い、
歩いてきた人に頼む。
「ほんとうに良いツアーだった。ハリケーンの事は、聞いていたけれど、
実際に見ることができて。」
「そうだろう? テレビで見て知っていても、やっぱり生で見るのは、違う。
意義深いことだ。」

(ツアー中の説明、聞き取りの間違いがありましたら、お許し下さい)

2日目のNOLA 1

2009-07-09 00:41:24 | ニューオリンズの旅
ニューオリンズ、通称NOLA。

2日目の朝、モーニングコールを頼んだ時間より1時間ほど早く目覚めてしまう。
そのまま横になっていようかとも思ったが、水着に着替えて、
バスローブを羽織り、また屋上階のプールへと向かう。

この時の記憶がほとんどない。
泳いで、少しデッキチェアで横になり、そしてジャグジー。
ホテルで働く人が来たので、朝の挨拶をすると、
「このスウィッチをいれると、もっと気持ちが良いですよ。」
とジャグジーを強力に作動させてくれる。
体がマッサージされて、だんだん目が覚めてきた。

部屋に帰ると、ほどなくモーニングコール。
目覚ましと携帯も鳴り出した。

普段余り朝食を食べないが、このホテルは朝食のビュッフェ、
評判が良いらしいので、身支度をして食堂へと行く。

オムレツの具が沢山並べられているので、「何を入れる?」
と聞かれ、「ぜ~んぶ。」と答える。
コーヒーが並々と大きなカップで運ばれてきた。
アメリカのコーヒーよりもフランスっぽい。
隣の人の飲んでいるオレンジジュースが美味しそう。
私も頼むことにする。
フレッシュな生のオレンジの香りが芳しい。

ビュッフェには、見たこともない食べ物がいくつか。
コーンミール、食べ方を聞く。
「私は実は余り好きじゃないんだけど。
その上に、バターや塩かけて食べるのよ。」
チェリースモークされたベーコンやソーセージとハム。
フレンチトースト、スコーン、ヨーグルトを取る。

運ばれてきたオムレツはとても美味しかった。
トマトやパブリカ、数種類のチーズ、彩りも味も良い。

チェックを頼むと、「あまり食欲ないの?」と聞かれる。
「美味しかったけれど、小食なの。」
どの人も皆とても感じよくて気を配ってくれて美味しかったので、
チップは多めに。

オムレツを作っている女性に、「今までで最高のオムレツだったわ。」
と声を掛けると、「ほんとに?その一言で今日、1日がんばれるよ!」
大喜びしてくれる。

コンシェルジュのデスクに行くと昨日の担当者はまだ来ていない。
ベルボーイがデスクに廻り、対応してくれる。
これから市内観光のツアーを頼んだんだけれど、
帰ってきたら、午後は郊外に行くツアーに参加したい。
時間的に間に合う物を教えて欲しいと伝える。

プランテーションは絶対行かないと決めていたので、
スワンプツアー(湿地帯を小さなボートでクルーズしてワニを見る)を選んだ。
これも動物保護の観点からワニの餌付けが疑問視されているらしい。
「ワニに危険はないんでしょうね?」
「全然、問題ない。」
午前のツアーと午後のツアー、両方とも違う会社。
それぞれの終了とスタートの時間を先方に確認してくれて、
私のその日の予定についても伝えてくれて、予約を入れてくれた。
行き届いた手配に感心する。2ドルを手渡す。

市内観光のツアーの迎えは時間通りにやってきた。
10人乗り位のバン。
フレンチクォーターに宿泊する人がほとんどなので、
私は最後の客だった。
「どこから来たんだ?」と言われて、日本と答えると、
後ろのみんなに向かって、「彼女は日本から来たんだよ!」と叫ぶ。

私が参加したこのツアーはなんとハリケーンカトリーナの被災地と
復興へ向けての状況を中心に見るツアーだった!

ニューオリンズへ到着

2009-07-08 08:06:48 | ニューオリンズの旅
ニューオリンズへの飛行機の搭乗が開始される。
搭乗口の女性は、先ほど質問をしたのと同じ係員。
私のことを覚えていてくれて、にこやかに挨拶してくれる。

飛行機は満席。席は一番後ろ。
一時間半余りのフライトなので、あっという間にニューオリンズへ。
空港は小さく、飛行機から降りると、目の前にはもう出口。
こんな簡単にもう外に出ちゃっていいのって感じ。
荷物、持ち込みっていいなぁ。
預けた荷物が出てくるのを待つプロセスが省略できる分、
何もかもスピーディーに運ぶ。
病み付きになりそうだ。

ヨーロッパの乗換えよりもずっと楽であっけなかった。
システムがきちんとしているし、分かりやすい。
またヨーロッパの乗換えだと乗り継ぎ都市で入国審査、
到着した国でも入国手続きがあるから、時間も掛かる。

特にヒースローは計画性のない建て増しを重ねているうちに、
とんでもない空港になり、ターミナル間の移動はバス、
同じターミナルでもゲート間の迷路のような道をかなり歩くことになる。
機能しない案内板も修理されないまま放置されていた。
今回の旅では、そのような心配は杞憂に終わった。

外に出て、警備の人に「どこでタクシーを拾える?」と尋ねると、
下の階へ行くように教えてくれる。

タクシーの配車所のようなブースがある。
制服を着た女性に「市内のホテルまでタクシーに乗りたいんだけれど?」
と尋ねると、「支払いは、現金、それともカード?」と聞かれる。
「いくらくらい掛かるの?」と聞くと確か38ドルと言われた。
現金でと頼むと、女性のドライバーが迎えに来て荷物を持ってくれる。
久しぶりのアメリカ、ここはチップの国だ。
いつも感覚がわからずに「こんなんでいいのかなぁ?」と戸惑いながら、
終わってしまう。今度の旅ではチップについてもはっきりさせたい。
とりあえず、配車係に2ドルを渡す。

女性のドライバーは全然、愛想がない。
そしてニューオリンズの市内へと車は進んでいくが、
外の景色が何か荒涼とした感じがする。
郊外から市内へ。
そしてスーパードームが見えてくる。
私の泊まるホテルはスーパードームから歩いて行ける場所。
ビジネス街にある。ここもとっても殺風景だ。

まず着いて笑ってしまったのは、ファンクラブメンバーの泊まるホテル、
通りを一本隔ててほぼ隣だった。
タクシー代は28ドル。
30ドルでお釣りはいい、と言い掛けてちょっと少ないかなぁと思い、
2~3ドル足して渡したような気がする。
後で知ったのだがこの場合は30ドルで充分だった。
感じが悪かったし、切りのいい金額だったから。
「チェックインですか?」と聞きに来たベルボーイ、
荷物を持ってくれるのかと思ったら、いつの間にかいなくなっている。

フロントまで自分で荷物を持って進む。
南部のクラシックなホテル。華やかなシャンデリアや装飾で飾られている。
調度品もすべてサザンテイストだ。
そしてここでは時間が止まってしまっているようだ。
しかし何か古ぼけた感じも否めない。

フロントでチェックイン。
「クイーンサイズのお部屋で予約を頂いていますが、
同じお値段でグレードアップ、キングサイズのベッドのお部屋を用意しました。」
嫌な予感がした。
今まで、ホテルのグレードアップで良い思いをした事がない。
要するに頼んだ部屋は満室、そこで値段は高いが、
居心地が悪くて人気がないような部屋を宛がわれる。

「明日のツアーを予約したいんだけれど?」と尋ねると、
「横のコンシェルジュカウンターへ移動して下さい。」
コンシェルジュが登場。
「明日、半日位で市内を観るツアーを予約したいんだけど。」
と尋ねると、「2つあります。」
一つは大型バスで観光会社が運営している物、もう一つは個人でやっていて、
そっちの方が安いし、自分は内容もそちらの方が良いと思うと言う。
たぶん、バックマージンとか貰っていて、そっちを薦めるのかなぁと疑うが、
さらっと説明を読んでみて、片方が墓地や記念館中心なのに対して、
後者は、ニューオリンズの美しい住宅街、
ガーデンディストリクトなどが含まれていたので、そちらにする。
午前の部は9:30開始、午後は2時からと2回あるけれど、
どちらが良いかと聞かれる。
朝、ゆっくり眠りたいような気もするし、ちょっと迷ったが午前の部を頼む。

電話で予約を取ってくれて、ホテルのピックアップは9:15と言われた。
料金はカードでもキャッシュでも直接、ガイドに払えば良いそうだ。
その後、自分はこのホテルのコンシェルジュ、あなたの滞在中のリクエストには、
何でもお答えしますよ、などと話している。
ちょっと妙な間があった。
これはチップの催促だったと後で気付いた。
しかしながら、ベルボーイやルームサービスと違い、
カウンターに座って仕事している人に、お金を渡すのは、
むしろ異質な感じがして、その時は思い至らなかった。

「部屋には自分で行きますか? それともベルボーイに荷物を持たせます?」
「場所がわからないから、案内して欲しいわ。」
と言うと、「すぐそこにエレベーターがあって、自分の階で降りれば、
簡単にわかりますよ。」

エレベーターの前、ボタンがわからず一瞬、戸惑う。
横から制服を着たベルボーイではない青年がさっと手を伸ばして、
「ここですよ。」とボタンを押してくれた。

エレベーターで2階へ。
部屋はエレベーターから2つほど横。
ドアを開けて見て、嫌な予感は的中したと思った。
薄暗い縦長の部屋。日本で言うならば、金谷ホテルではなく富士屋ホテル。
家具は高山民芸家具風。
重々しい感じが裏目に出て、何か気分が暗くなりそうだ。

このままではいけないと思い、疲れていたが泳ぐことにする。
水着を持って屋上のプールへと向かう。
エレベーターに先ほどボタンを押してくれたホテルマンと乗り合わせる。
アメリカのドラマの「ER」のカーターに似ている。
エレベーターもデコラティブなレリーフ、金の装飾が施されている。
「このホテルはとってもクラシックにデコレーションされているのね?」
と話すと、「そうでしょう。とっても綺麗でしょう?
僕はこのホテルのそういう所を誇りに思っているんです。」
とほんとうに幸せそうに話す。
「確かに日本ではこういう建物、見られないわね。」
張りぼてみたいだ何て思ってしまった自分が恥ずかしくなる。

屋上へは客室の最上階で降りて、階段。
屋上への階段のドアを開け、上り始めた瞬間、
映画の「シャイニング」を思い出した。
良い方に取れば、「ある日どこかで」


屋上にはトレーニングルームとボールルーム、
そして、外にはプールとジャグジーがあった。
部屋から水着とタオルを持ってきたが、着替える場所やシャワールームがない。
テラスのテーブルで寛いで話している人、
ジャグジーに浸かっている人、プールサイドで日光浴をしている人が数人。
ちょうど、ホテルのマネージャー風の男性が上がってきたので、
尋ねると、部屋で水着に着替えて、備え付けのバスローブを羽織って、
ここまで来れば良い、そしてタオルは部屋から持ってこなくて、
ここに用意してある物をどうぞ、と教えてくれる。
「水着、持っているんだけれど、着替えるところはないの?」
と聞くと、少し考えて、「それなら、レストルームを使ってください。」
と案内してくれる。
でも、水着のまま、バスローブを羽織って部屋に帰る方が、楽だ。
もう一度部屋に戻って、水着に着替え、
バスローブを羽織ってエレベーターに乗る。
日本の温泉で浴衣ならともかくアメリカのホテルで、こんなのありか?

プールに足を入れてみると、外の気温同様に水温が高い。
そのまま、水に飛び込む。
深さが2メートル近くあって背が立たないので嬉しくなる。
まばらだけれど、周りに人もいるし、入る前のシャワーも浴びないプール。
顔をつけないで、静かにゆっくり泳ぐ。
飛行機の寒さと窮屈さで縮こまった体を伸ばすと気持ちが良い。
一応、世間体を気にして、平泳ぎと背泳ぎを、泳いでいるとも、
水に漂っているともつかぬ雰囲気で水に浮いている。

プールの片方の端は深いがもう片方は浅くできている。
時間は6時半頃、それでもまだ充分明るい。
日光浴がお目当ての人達はプールサイドから消えた。
泳ぐのと潜るのが大好きなので、
音を抑えて、控えめに4種目の個人メドレーをやってしまった。

その後、ジャグジーに浸かる。
大きな太陽がまだ沈まないで輝いている。
これでは、明日の午後、町の散策なんてとても無理だ。
午後はどこか郊外へ行くツアーを予約しようと思う。

部屋に帰ってシャワーを浴びる。
日本では当たり前だが、バスタブがある部屋でありがたい。
そして、シャワーがハンドシャワーじゃなくて、
大きくて硬い蛇口で、使い辛い。
シャワーから出て鏡を見て、唖然とする。
目がもう真っ赤。肌も乾燥し、過敏になっている。
飛行機の乾燥でダメージを受けた体にプールの強烈な消毒液。
このまま、目が治らなかったらどうしようなんて本気で心配してしまった。

バスルームから出て気を取り直して、ルームサービスのメニューを見る。
お腹が全然空いていない。でも何か食べないと。
髪はタオルドライしただけでまだ乾いていないが、
そのまま、お財布を持って、ロビーに行く。
ベルボーイに「この辺にコンビニかスーパーある?」と聞くと、
斜向かいにミニマートがあると教えてくれる。

売っている食べ物はパンとサラダ、そしてフルーツだけ。
何か暖かい物が食べたい。
お水、ミルク、デニッシュ、歯磨き、お菓子などを買う。
部屋の冷蔵庫、お水やジュースが6ドル位していた。

部屋に戻ってもう一度、ルームサービスのメニューを眺める。
ステーキなどとても食べる気になれない。
スープの所を見ると、ガンボがあった。
冷蔵庫にも小さなワインのボトルがあるけれど、
グラスワインの赤が充実している。

ルームサービスに電話する。
ガンボを頼むと、「パンかクラッカーを付けますか?」
と聞かれ、パンを頼む。
ワインはハウスワインのメルローのグラスにする。
20分以内にお届けします、との事だったが、
10分もしないうちに、先ほどエレベーターで会ったカーター君が登場した。

トレイにガンボ、パン、大きなグラスのお水とワイン。
調味料がタバスコや塩、胡椒。
「テーブルにお食事をセッティングして宜しいでしょうか?」
恭しい手付きで、まずはランチョンマット、
そしてお皿や調味料、ナプキン、カトラリーを丁寧に並べる。

「私、ガンボって今日、初めて食べるのよ。」
「それは良かったです。初めて食べるガンボがうちのホテルので。」
「それってどういう意味?」
「なぜなら、このホテルのガンボはニューオリンズで1番、美味しいからです。
初めてのガンボがうちのだなんて、お客様はとてもラッキーですよ。」
とまた凄く嬉しそうに話す。

ガンボの中心にはご飯が載っている。
「お米をみると、ほっとするわ。私達の食事の中心はお米だから。」
「日本のライスにはとてもかないませんが、ルイジアナのお米も、
アメリカの中ではかなり高い水準を保っています。
きっと気に入って頂けますよ。」

「食事が終わったら、片付けに呼んで下さってもいいし、
面倒だったら、トレイを外に出しておいて下さい。」

夕方にベッドを寝るように整えてくれるサービス、
これだけ大げさにベッドをたくさんのクッションやピローで飾り立てているから、
それがあるのかと思ったら、誰も登場しなかったので、
「このベッドの上においてある物、どこに片付けたらいいのかしら?」
と聞くと「全部、放り出して、メチャクチャにその辺に転がして下さい。
ここはアメリカですから。」
3ドルを手渡す。

すぐに食事を始めれば良かったのだけれど、やりかけたことがあり、
10分位してから、テーブルにつく。
ワインの温度がちょうど良く、柔らかい味に疲れがほぐれる。
ガンボの中心に添えてあったご飯、水分を含み、リゾットのようになった。
パンも暖かくて、とっても美味しい。
何か気持ちが解れてきて、五感が蘇ってきた。

第六感という意味では、この部屋に気味の悪さはない。
入った瞬間、ぞっとするような部屋もある。
どんなにりっぱであろうが、綺麗であろうが関係ない。
そういう意味では落ち着く部屋。
ドアから外の明かりや音が少し聞こえてくるのもむしろ安心な気がする。

目覚ましと携帯で時間設定をするが、ほんとうに明日、起きられるか自信がない。
ウェイクアップコールを頼む。
すると、「電話で起こした後、10分後に部屋まで起こしに行きましょうか?」
と聞かれたので、「それには及びません。」
飛行機を逃すわけじゃないから。

長い一日が終わった。
家のドアからホテルのドアまで22時間余り。
30時間近く、起きていたことになる。

無事、戻ってきました!

2009-07-07 21:50:33 | ニューオリンズの旅
お陰様で無事、旅を終えて戻ってくることができました。
ありがとうございます!
頭の中で旅行中の出来事がまだまとまりがついていないのですが、
順を追って振り返ってみたいと思います。

出発5日前、航空会社に席の予約のため、電話した。
飛行機は満席、なんと通路側の席は、赤ちゃん連れの人用か、
ハンディキャップのある人用しか、もう残っていないそうだ。
そういう方が乗ってこられたら、席を譲るという条件で、
とりあえず押さえてもらう。
帰りの席に関してはもう真ん中しかなかった。
正規のチケット購入者は予約時に既に席の予約までできるため、
格安航空券だと、こういう状況になるそうだ。
それにしても、何で最近、飛行機に乗る時、いつも満席なんだろう。
前はガラガラで座席3つ分とか取って寝たりしたのに。

同じ航空会社で国際線から国内線なので、
一昨年のヒースロー空港のようなバスでのターミナルの移動、
歩いているだけでも75分なんて事はなくて簡単かと思っていた。
ターミナル間の移動があり、モノレールに乗るという。
係りの人は私の1時間半余りの乗り継ぎ時間、
急がないと乗り遅れる可能性もあると心配してくれ、
移動の手順など丁寧に教えてくれた。

「荷物を持込のみにしようと思ってるんだけれど。」
と話すと、反対されるかと思いきや、「あっ、その方が安心です!」

悪名高いヒースローの乗換えから較べれば楽勝かと思っていたが、
ターミナル間の移動、搭乗口の情報に電工掲示板をみつめ、
アナウンスに耳を傾ける、緊張感が蘇ってきた。

帰りは国内線から国際線だと最初から出国扱いになるので、
アメリカのセキュリティーは厳しいから2時間半前をメドに
空港に着いて欲しいと。
やれやれ、帰りはそうとう朝早い出発になる。

前日に荷造りをすると、最小限の荷物にしたつもりだが、
やはり大きさと重さが気になる。
夏物のコットンの服は意外に重さがある。
荷物を思い切って次々と切り捨てる。
より小さく、軽くと減らしていく。
その時、デジカメの充電器を切り捨てたのは、大間違いだった。

7月1日、12:23、品川発の成田エクスプレスに乗る。
出発前に荷物を担いだ時、この年でこんな旅に手をつけた自分、
りっぱなスーツケースを成田に宅急便で送り受け取る、
ビジネスクラスで旅をするとかじゃなくて、
格安航空券、ルームシェア、最低価格のコンサートチケットを取り、
バッグは機内持ち込みのみで出かけていく自分が愛おしくなった。

13時半過ぎには航空会社のカウンターへ。
帰りの成田までの席も通路側が確保できたそうだ。
ニューオリンズまでの国内線はすべて真ん中の席。
短時間だから別に構わないのだけれど、
つい調子に乗って、真ん中でない席があるか尋ねる。
非常用ドアの脇の窓際が空いているが、
この席に座った人は非常時に周りの人の脱出の手助けが、
出来るだけの技量が必要とされるという。
丁重にお断りする。

今回の旅行、みんなで一緒に食事したり、ルームシェアで割り勘にするので、
カードではなくてドル紙幣が必要だ。
ニューオリンズの空港やホテルでの両替状況が良くわからないのと、
海外在住の人は現地でのキャッシングを進めるが、それも慣れていないので、
とりあえず、ある程度の現金をドルに替えて用意した。
あまり現金を持ち歩いたことがないので、何か落ち着かない気分だ。

チェックインも出国審査も余り混んでいなくてスムース。
飛行機も定刻通りの出発になりそうで、安心。
一昨年のベルギー行きの時は長蛇の列。その上、出発が1時間も遅れ、
乗り換えのことを考えて焦ったので今回は順調で気分が良い。

搭乗が始まる。
私の席をみつけると、そこには堂々と体格のいい男性が座っていた。
「ここは私の席なんだけれど。」とボーディングパスを見せる。
「それとこの席とどういう関係があるの?」
「だから、この席の上の棚にこの番号が書いてあるでしょ?」
「君の持っているその券と上の番号は、一致しているわけ?」
「一致してるじゃないの!あなたのパスを見せなさいよ。
全然、違う席じゃない。」
「上の番号なんて関係ないよ。」
もうやってられない。
「係の人と話すわ。」とフライトアテンダントを捜すが、
みんな、離陸前の準備に忙しくて、近くにいない。
「ちょっと捜して、話してくる。」とキャビンに行く。
するとその男もまずい展開になったと思ったのか、付いてきた。

クルーに事情を話して私のパスを見せ、彼にも自分のパスを出させる。
ド迫力のおばちゃんスチュワーデスが、「あんたは違うわよ!」
と一喝してくれて、その男は逃げるように去っていった。
しかし歩きながら一瞬こちらを振り返り、"Sorry"
歩いていく方向が分かってるんだから、最初から自分の席がどこか
知っていたんだろう。

席に座ると、イヤホーンが持っていかれてしまっている。
先ほどとは別のこれまた表情のない年配の怖そうなスチュワーデスに
それを伝えると、席にあるはずだと告げられる。
「私の前にここに座っていた人がいて、その人が持って行っちゃった。」
まるで、うちの小学生の甥が叱られて言い訳をしているみたいで、
何か情けない。
そのまま、返事もなく彼女は立ち去った。
無視されたかと思いきや、また戻ってきて無表情で言葉もなく、
イヤホーンを差し出す。

飛行機は定刻通り、離陸した。
ビジネスクラスのすぐ後ろのエコノミーの1番前の席。
最初は足が伸ばせてラッキーと思ったら、
前の席がない分、やたら風通しが良い。
ただでさえ、寒いのにこの席は更に凍えるばかりだ。
通路を隔てた横の年配の女性はウィンドブレーカーのような物を、
着込んだ。

恐ろしげなアメリカ人のフライトアテンダントばかりでなく、
とっても感じの良い日本のスチュワートがいてくれた。
食事のサービスの時、「このパンはとても美味しいんですよ。」などと、
嬉しい一言を添えてくれる。
その人がおすそ分けと言って、ビジネスのデザートのケーキをくれたり、
到着した時もお土産にとチョコレートを持たせてくれる。

映画が新作がいくつもあり、4つも観てしまう。
音楽チャンネルにR&Bがあり、マービン・ゲイやアル・グリーン、
アレサ・フランクリン、ルーサー、ライオネル、チャーリー・ウィルソン。
一睡もしなかったのは、とんでもないことだった。
これから先のために少しでも体力を蓄えておくべきだった。

入国の書類に滞在先のホテルの住所が必要だ。
荷物棚からバッグを引っ張り出す。
封筒の中からインターネットで予約したホテルの住所のコピーを出す。
ふと見ると、封筒に茶色のシミが点々と。
チョコレートでも付けたかと思ったら、私の親指から血が流れている!
「ど、どうしてこんなことに・・・」どこかで手を切ったらしい。
バンドエイドをポーチから出して、傷を確認してから貼り付ける。
たいした事がなくて良かったけれど、もう泣きそう。

ヒューストンの空港に着く。
入国審査で並んでいると、"Does anybody speak Japanese?"
と検査官が2度叫んだ。
後ろの日本女性が「ほら、呼んでいますよ。」と私に言う。
検査カウンターに行くと、
「この人の職業欄に書いてある事が、理解できないんだ。」
年配の男性が職種ではなく、会社名を記入している。
「仕事の内容を教えて下さい。」と伝える。
その方の入国審査が終わったので、
「私は向うで並んでいたんだけれど、引き続き、ここで審査を受けても良い?」
少し考えてから、「悪いけれど、もとの所に戻ってくれ。」

先ほどの女性が自分の前を空けて、「お疲れ様です」と、私を入れてくれる。
それにしても彼女はなぜ自分で行かないで私を行かせたのかな?
待ちながら、お話しすると、これからフロリダで一ヶ月間、
現代医学ではない治療法を学ぶと言う。
「ホメオパシーみたいなもの?」と聞くと、
「近いですね。」いろいろな人がいるんだなぁと感心する。
(彼女の方こそ、もし私の旅の目的を聞いたら、同様に感じただろう)

米国入国審査、全く楽勝。
実はその昔、帰りの飛行機を予約しないまま米国へ旅立ち、入国審査の際、
所持金を聞かれて、まずい雰囲気になったと思い、少なめに言うと、
返って問題になり、私のパスポートは赤いファイルに入れられて、
一癖も二癖もありそうな人達と別室で待たされる。
その後、個室で一対一で面接、荷物も細かく調べられた。

そして一昨年のヒースロー、あの時ははテロ未遂事件の後だけに、異様だった。
女性の検査官に、体中を細かくチェックされ、胸は乳癌の検診にも等しかった。
それでも、納得せずに1回、パスさせた後、もう一度、調べたいと呼び戻される。
持ってる液体もすべてリトマス試験紙みたいな物で調べられた。
女性の一人旅というのは、怪しまれるのだろうか?

入国審査を終え空港職員に聞くと、
私のゲートは曲がってすぐの所にあると言う。
えっ、ターミナル間の移動があると思ってたら、なくて良くなっちゃったのかな?
ゲートに行ってみると、そこはミネアポリス行きの搭乗口になっている。
係の人はまだ来ていない。
だれかに確認したいのだが、売店はあっても職員が全く、見当たらない。
もう一度、戻り、別の空港係員にボーディングパスを見せて尋ねると、
やはり私のゲートはそこで良いと言う。
電光掲示板でも確認するが、まだニューオリンズ行きの搭乗口の案内は出ない。
もし搭乗寸前に違うターミナルからの離陸が決まればダッシュすることになる。
落ち着かない気持ちで係の人が現れるのを待つ。

搭乗口にようやく係員が来る。
私のパスを見せると、「これは間違っているわね。」
コンピューターの電源を入れて、検索してくれる。
成田で渡された搭乗口の番号は間違っていたのか、その後変更になったのか、
ボーディングパスにプリントされた物とは違っていた。
彼女は印刷されたゲートナンバーに×、正しいゲートの番号を書き込む。
同じターミナルの二つ先のゲートでほっとする。
教えてもらったゲートの前に行き、係員に確認すると、
ニューオリンズ行きの搭乗は45分後に始まると告げられた。

それでは、行ってきます! v.7

2009-07-01 00:00:00 | ニューオリンズへの道
その航空会社のホームページには問い合わせ先の記載がない。
HPを読んでいる内に疑問点が沸いてきた。
荷物は成田で預けてニューオリンズで受け取れると思っていた。
ところが、国際線から国際線は、そのようだが、
国際線から国内線の場合は一度、預けた荷物を乗り継ぎ都市で、
受け取り、そしてまた、チャックインと書いてある。
その上、預ける荷物、一個に15ドル、2個からは更に金額が上がると記載。
また、長時間のフライトは、通路側に予約をしたい。
これも格安航空券を買った旅行代理店によると、できないと聞いた。

一昨年の10月、ベルギーまで行った時、ラグビーWカップのため、
飛行機は満席、成田でチェックインしたら、
プレミアムエコノミーにもかかわらず既に真ん中の席のみ。
体格の良いスコットランド人とドイツ人に挟まれ、通路側の人に寝込まれてしまうと、
小心者の私は化粧室にも立てない。

航空会社の電話番号を代理店で調べて貰い電話する。
やはり、荷物は一度、受け取り、再チェックインになると言う。
したがって、入国審査と荷物を見つけて受け取り、再チェックインするのに、
一般的なディスカウントチケットの乗り継ぎの1時間では、
空港に慣れてないと厳しいかも、と教えてくれた。
乗り換えを1時間40分後に設定しておいて良かった。(それより遅い時間は、
到着が夜になるので、この便を選んだ)
国際線から同日に国内線に乗り換える場合は預け荷物に料金は発生しないそう。
代理店を通して買った格安チケットでも5日前から電話で、席の予約できるそうだ。

今まで、海外に行く時、どんな近くでも荷物は預けた。
しかし、今回、こんな遠くに行くのに荷物を預けるのをやめよう、
そう思い始めた。
夏服が少々、必要最小限の寒暖を防げる服装、そして化粧品。
人によって何が面倒かそれぞれ価値観があるかと思うが、
荷物を預けてチェックイン、着いたら受け取って入国審査、
荷物をチェックインさせて乗り換え、また降りてから荷物をピックアップする、
その間、「私の荷物・・・あれかな? これかな? ほんとに出てくるの~。」
なんて考えながら待つ、それを短期のの旅行で何回もやらなければならない。
そんなんだったら、持ち込んだ方がずっと楽だと思った。

夫と夫の小学生時代からの友人、Kさんと地元のお寿司屋さんで飲む。
Kさんは某航空会社の国際線機長で後輩の指導にもあたっている。

今回の旅行の話になり、
「その航空会社、ホームページに問い合わせの電話、
書いてなかったんだ。」と言うと、
「ようするに、電話してくるな。
HPを見て自分で判断しろ、ってことだな。」

「荷物を乗り換え都市で受け取ってまた預けて入国審査。
面倒だから、ずっと手荷物で行っちゃおうと思って。」
「それは、正解だ。」

「めだたないようにしろって言われたんで、こういう普段着で行こうと思って。」
「今の状態、そのものがニューオリンズでは、目立つぞ。」
確かに東京の寿司屋に自然に溶け込む外見では、
ニューオリンズ、エッセンスフェスティバルでは返って浮くかもしれない。
もう何が目立つんだか、良くわからなくなってきた。

「最初の2泊は一人、そして後2泊は3人部屋なんだけど。」
「相手はどんな人?」
「どんな人と言われても・・・同じ位の年齢の女性で、
一人はアフリカ系アメリカ人、もう一人はアラブ系フランス人。」
「うぁ~、クリスチャン、モスリム、ブディストかぁ。」
そんな発想、全くなかった。
宗教対立だなんて。
でも、確かに意外とエリックベネイファンは信心深い。
毎週、日曜の朝は教会に行く人が多い。
というか、信仰はあって当たり前、という雰囲気がある。
ファンクラブのサイトでも誰かが病気をしたり、家族に不幸があると、
「あなたのために祈るわ。」
「朝晩の祈りにあなたのことを入れる。」
「祈る」という言葉が日常的だ。
もちろん私もそういう時は一緒に祈っている。
「祈る」とは、その人の事を「想う」ということだ。

「三人部屋、気を使うかなぁ。」
「気が張っていることが、大切だ。
のんびりして、そういう気分で外に出る方が危ない。」

「ところで、飛行機、自分が操縦しているのは、
絶対、落ちない、エンジントラブルもないって信じているんでしょう?」
「いや、後輩にも言ってるんだけれど、
経験のあるパイロットほど、最悪の事態を常に想定して、
それに対処する方法をいくつか考えながら、操縦している。」

今度の旅行、ひとつ、ひとつの事がうまく行かなかった時、
それにどう対応するか、考えておかないと。

エリック・ベネイファン、25名の集い。
携帯がなったら、全員、当然、エリックの曲で混乱するだろうな。
「ブライアン・マクナイトの"Back To One"なんかどう?
ダウンロードできるよ。」と夫。
とんでもない、そんな曲が着信に鳴ったら、
みんなに大顰蹙をかってしまう。
「エリックの曲で、いい!」

みんな、マイケル・ジャクソンの急死に大きな衝撃を受けた。
とても話す気になれないとか、落ち込んでいて悲しいとか、書いている。
そして「彼は、きっと今、もっと良い場所に行っていると信じたい」
「マイケルのために祈っている」と。
マイケルが亡くなって一週間後のフェスティバル。
日本で言えば初七日の法要。
15周年というだけでなく、たいへんな節目のエッセンスに行くことになった。

銀座コリドー街のBar Kajimaに立ち寄る。
加島さんとお客の男性、二人ともニューオリンズ、行ったことあり。
二人に「全然、心配ない。観光地だから。賑やかだし。
ただ、めちゃくちゃ暑いよ~。」と言われた。
外に出てコリドー街を歩き始めると、開け放たれたバールから、
懐かしい曲が聴こえてきた。
Eric Benet"You're The Only One"、思わず足を止めて曲を聴く。
これはまさしく私にとってのゴスペル(良いニュース)だ。

今日からニューオーリンズへ向け出発します。
ということでブログは一週間ほどお休みになります。
帰り次第またご報告を。
では、皆さん行ってまいります!