Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

2日目のNOLA 2 ハリケーンツアー

2009-07-10 00:00:05 | ニューオリンズの旅
運転手兼ガイドさんの隣の席に座る。
ニューオリンズの繁華街を抜けて、被災地へ。
最も被害が激しく、その上、全く復興が進められていない地域へと向かった。
建物の跡形もない。瓦礫のまま。 
そしてそこに残った朽ちかけたマリア像が痛々しい。
ポールが立っていて、それは1番、水位が高かった時、水が少しづつ引いた時、
それぞれいくつかの推移を示していた。
説明がフィートになるので、すぐにピンとこない。
が、町全体が水に呑み込まれ、道路は河と化し、
海抜が高めの丘の上に住んでいる人は洪水の被害はなくても
ハリケーンのため、家を破壊されたそうだ。

いろいろなパターンの被災地を巡る。
比較的、豊かな地域には新しい家、修理された家がある。
そして貧困層の住んでいた所は、町自体が廃墟になったまま。
保険に入っていない人がほとんど、そして入っていたとしても、
全部をカバーしたら保険会社が倒産してしまうため、きちんと補償されなかった。
何と1500人近い方が水死だけでなく、その他の病気、心臓疾患なども含めて、
亡くなったという。

最も貧しい地域では、ハリケーンの前は、平屋が並んで建っていて、
家の前のポーチには椅子が置かれ、人々は近所と親しく行き来していたと言う。
「その人達は今、どこにいるの?」
「他の州や被災者用の住宅で暮らしている。」

新しいスタイリッシュな高床式の住宅の建設が進められている地域に行った。
ブラッド・ピットが中心になって募金を集め、被災者達の家を建ててくれているそうだ。
「年寄りにはこういう家、住み難いかと思うんだよね。
でも、ブラッド・ピットはやってくれている。
政府は、もう4年になるのに、何にもしてくれないんだ。
政府というより州。」
「オバマが大統領になったから、状況が変るかしら?」
「そう信じたい。」

貧困地域は家が崩壊したままだが、高級住宅地に行くと、
修復された家もあるが、窓が打ち付けられたままの家も見かける。
水が入ってこないように洪水の時、板を張り、
そのまま住民が帰る事もないままの家々。

そして一見、街並みが整っているようなところでも、
板の張られたままの窓の家、また売家、貸家の看板がやたら目に付く。

堤防の近くの巨大なポンプを見学した。
これで、水を吸い上げて汲み出したそうだ。
湖とは思えずまるで海のよう。

「昔はニューオリンズはアメリカ最高の町だった。
今はサンフランシスコ、ニューヨーク、DCやLA、良い所が沢山あるけれど。」
ガイドさんから度々、「南北戦争の前は・・・」という言葉が出る。
この町は南北戦争前に栄華を誇り、それでもその後も古都として、
親しまれた。
しかし2005年のハリケーンカトリーナの後、復興が進まず、観光地としても、
衰退している。


その後、美しい住宅街として知られるガーデンディストリクトへと向かった。
レース、といわれる鉄塀が特徴。外壁だけでなく、2階のテラスにも使われている。
「スカーレット・ヨハンソンとジョン・トラボルタがここのポーチで、
撮影したんだよ。」
映画のロケ地として使われた場所や、大きな木が並ぶ町並み、
見学者の訪れる綺麗な家などを車窓から眺める。
立派な家でも、レースの装飾が単純だとこの辺りでは認められないそうだ。

そういえば、被災地の復興住宅の建設作業現場で、
私の背より低い潅木が植えられていた。
あれは、木が全部なくなっちゃったから、新しい植栽を配したのだと理解した。

路面電車が通っていて、のどかだ。
冷房付きのと窓が開け放たれた物がある。
しかし、サンフランシスコとは違い、
ここで撮影されたマーロン・ブランド、ビビアン・リーの
「欲望という名の電車」のイメージが強い。

その後、墓地の見学をする。
なるほど、これだったのかと思う。
一つ一つが家のように大きい墓地。お墓と言うより霊廟。
アシュレイ・ジャドの映画「ダブル・ジョバディー」で、
アシュレイが、子供と会わせてあげると言われて、誘い出され、
その霊室の中のお棺に閉じ込められるシーンがあった。
その撮影現場も訪ねる。

ガイドさんの家もこの墓地にお墓を持っているそうだ。
しかし、その部分の説明がよくわからなかったのだが、
ある条件を満たさないと、もうその後そのお墓を使えないそうだ。
霊廟のドアを作り変えないといけないのだけれど、それには、
多額の費用が掛かると言っていたような。

その後、一度、公園内で休憩が入り、飲み物を飲む人、
トイレを使う人、そしてその場でツアー代の集金。

一組ずつ、フレンチクォーターのホテルへと送りながら、
一方通行が多いため、かなりフレンチクォーターを走ることになる。
その間、良いホテル、レストラン、有名なバーなど教えてくれた。
フレンチマーケット、そしてどういうわけか観光名所になっている
ペニエとカフェオレを出す混雑したカフェも教えてくれる。

私が午後のツアーを予約している事も伝わっていて、
次のツアーの時間までにホテルに帰れるよう気を配ってくれていた。
「もともとの出身はどこなの?」と聞くと、スペイン系だそうだ。

最後の客は私だった。
ドアを開けて出してくれたので、一緒に写真を撮りたいと言い、
歩いてきた人に頼む。
「ほんとうに良いツアーだった。ハリケーンの事は、聞いていたけれど、
実際に見ることができて。」
「そうだろう? テレビで見て知っていても、やっぱり生で見るのは、違う。
意義深いことだ。」

(ツアー中の説明、聞き取りの間違いがありましたら、お許し下さい)


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