世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●中東・ユーラシア・アジアに 欧米文化価値観は似合わない

2015年03月21日 | 日記
幻滅 〔外国人社会学者が見た戦後日本70年〕
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●中東・ユーラシア・アジアに 欧米文化価値観は似合わない

本日は、珍しいが印度の随筆家と云うか哲学者とも受けとめられる、ミシュラ氏に対して日経ビジネスの「キーパーソンに聞く」対談が目についたので、紹介引用しておく。同氏の目から見た日露戦争の評価には、少々こそばゆさを感じながら読んだわけだが、白人文化に勝利した「日本」と云う視線がアジアや中東諸国にあったのかと思うと、そこから、奈落のように白人化していった「日本」と云う国は、根源的に誤った道を、正しいと思い込む「神話」と云う病に冒され続けているように思える。

永遠に、白くはなれないのに、美白の風呂に浸かっている姿は、滑稽であると同時に、悲しくもある。これだけ、アジアに、世紀の風が吹いていると云うのに、その風を帆に受けないように、必死になっている国の姿は、なんとも哀れである。そのお隣の韓国と云う国では、安倍晋三が、米両議会で、演説をする名誉に浴する勢いである事に、酷く神経を尖らせている。筆者なんかは、今さら凋落国の議会で演説しても、糞の価値もないと思うのは例外のようで、国内にも、韓国にも、大いなる影響を及ぼしているのには、吃驚だ。

日本では、安倍の手土産「安保法制」が整い、TPPも、日米防衛協力ガイドライン、AIIB不参加、辺野古基地強制着工、IS対策2億ドル‥等、アメリカが嫌と言えないくらいの金を積んで、議会演説を勝ち取ろうとしている。官製相場、官製春闘、官製日米議会演説と云うことか。幾ら金の世の中だからと言って、ここまで、金に物を言わせて、国を売っ払う宰相を雇ってしまったのだから、反省しても反省しても取り返しはつかないのだろう。こうなると、貢に貢いだ、本家そのものが壊れていくのを待つ方が、日本自身が気づくよりも、早そうな気になってしまう。

結婚詐欺に遭った被害者は、どこまで行っても、私は騙されていない。彼は、私との約束だけは守りたかったのに、他の女に邪魔されて、それが遂行出来なかった、と法廷で弁護側証人として、切々と訴える被害者のようである。安保法制が整い、あらゆる貢物を差し出した挙句に、オバマの都合、アメリカの国益等々の理由で、その貢物のすべてが灰燼に帰す事態になったら、本当に、面白い。その時を夢みて、本日は寝るとしよう。きっと腹を抱えて笑っている自分の夢を見そうである(笑)。


≪ 世界は今こそ西欧的発想からの脱却が必要だ
英米メディアが注目するインド人随筆家パンカジ・ミシュラ氏に聞く

【 「19世紀初頭、中国からインド、トルコ、エジプトに至るまでアジア中東諸国が最も熱く注目していたのは日露戦争に勝利した日本だった」「帝国主義以来、世界はあまりにも西欧諸国の発想にとらわれすぎてきた」「世界は今こそ西欧的発想から脱却することが必要だ」――。  インド人の随筆家パンカジ・ミシュラ氏は著書『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち(原題:From the Ruins of Empire)』で、19世紀初めにアジアの知識層が既に西欧諸国とは全く異なる発展の在り方を考えていた事実に光を当て、こうした主張を展開、米国、英国で大変高く評価され一躍有名になった。  米紙「ニューヨークタイムズ」や英紙「ガーディアン」などに世界情勢などについて独自の切り口で寄稿を続けるミシュラ氏に、「西欧的な発想から脱却することが必要だ」という主張の意図するところについて聞いた。(聞き手 石黒 千賀子)】

―――「西欧的な発想から脱却することが必要だ」とかねて主張されています。その意味するところからお聞かせください。

ミシュラ:ご存じのように、19 世紀の欧州列強による帝国主義の台頭は、当時のアジアの知識層から強い反発を招きました。中国やインドなどは非常に洗練された文明を築いていたにもかかわ らず、欧州列強によって「アジアの社会は野蛮だ。遅れているから西洋に従うべきだ」とされ、多くのアジア諸国が一方的に侵略され、支配下に置かれ、数々の 屈辱を受けていたからです。
 第1次大戦、第2次大戦を経て列強の支配下にあった地域は、戦後、非植民地化こそ進みましたが、世界はそのまま欧米によって作られてきました。政 治的枠組みから様々な経済的制度、あらゆる基準に至るまで、世界は欧米が作ったもので埋め尽くされ、今に至っているのが実態です。
 しかし、その西側諸国が築いてきた政治的枠組みや経済的制度、考え方が様々な限界を迎えているというのが今の状況ではないでしょうか。

日露戦争以降、アジア諸国は最も日本に注目していた
 私が本で取り上げたインドの詩聖タゴールや中国の梁啓超、イスラム圏のアフガニーといった社会思想家は、今の状況をもちろん知らないわけですが、 それでも彼らには先を見通す力、直感力がありました。絶えざる経済拡大や猛スピードで工業化や都市化を進めれば、すべてが破滅しかねないという危機感を持 ち合わせていました。
 そのため、列強による植民地主義に対して最初に声を上げたのが彼らでした。「帝国主義がいかに私たちの社会を破壊したことか。こんな暴力に訴えず して発展していく道はないのか。他国を侵略せずに主権国家を築く方法はないのか。隣国の人に屈辱を与えたり、隷属させたりすることなく自由と威厳を確保し た独立国家を築く方法はないのか」と。
 それは19世紀後半、アジアの知識層がまさに政治的に目覚め始めた時でした。ただ、そうしたアジアにおける知識層の誕生は日本が最も早かった。日本は既に近代化に向けて大いに進歩を遂げていたからで、当時のアジアの人は、エジプトも、トルコも、インドも、中国も、国に関係なく誰もが最も日本に注目 し、日本から学ぼうとしていました。

―――それは西欧ではないものの、欧州の一角を成していた大国、ロシアを相手に日本が日露戦争で勝ったことが大きかった。

ミシュラ:そうです。あなたが言 うように、ロシアは純粋には欧州列強ではありませんが、ロシアのエリートは皆、白人なので欧州の一部と見なされていました。だからこそ西欧の列強から数々の屈辱を受けていた当時のアジアの人にとって、日本が勝利した意味は非常に大きかった。トルコのアタチュルクや一切の暴力を否定していたマハトマ・ガン ディーでさえ、ロシアに対する日本の勝利は大変喜ばしいことと見ていました。
 当時、人種差別が厳しい南アフリカにいたガンジーは、「日本は自尊心を持つことの大切さを教えてくれた」と書き綴っています。つまり、日本の勝利はアジア人であっても自尊心を持てるのだ、という強いメッセージを送ることになったのです。

先見性を持っていたアジアの知識層
―――しかし、日本はその後、欧州列強と同じ道を歩みアジア諸国を侵略していったわけで、その意味ではアジアの人々の期待を裏切ることとなってしまいました。

 ミシュラ:はい、私も本に日本の起こした悲劇を様々な形で書きました。アジアの知識層の中でも特にタゴールは日本が満州事変を起こした頃から、日本のナショナリズムに対しては非常に厳しい批判者へと転じていきました。
 彼は「日本には日本独自の文化があり、日本独自の伝統があるのに、なぜ西欧列強のまねをするのか。我々は日本から学ばなければならないが、日本の帝国主義を学ぶ必要はない」と痛烈に批判するようになっていきました。
 それでも、1905年に日本がロシアに勝利したという事実は、当時のアジアの人に一種の心理的な自信を与えたわけで、その自信が当時のアジアの知識層が自分たちの思想を発展させていく上で重要な役割を果たしたと私は見ています。
 タゴールを含め当時のアジアの知識層が何より反発していたのが、「近代化、現代化する道は1つしかなく、それは西洋化しかない」という考え方でし た。「列強は確かに大変な力を持つに至ったが、それは人間に対してだけでなく、自然に対しても凄まじいばかりの暴力を振るうという犠牲の上に手に入れたパ ワーだ」と、西欧の発展の在り方そのものに疑問を呈していました。
 私も、この「パワーの追及」というのがスタート時点から間違った発想で、帝国主義以来、今に至るまで様々な問題を引き起こしていると見ています。 その意味で、私たちが今後、どうしていくのかを考える上で、当時のアジアの先進的な知識人たちが、自分たち独自の文化、伝統の中から引き出し育んだ考え 方、発想をもっと知り、学ぶ必要があると考えたのです。

地球環境は中国、インドの経済成長に耐えられない
―――おっしゃることは分かります。暴力を使わずして主権国家を維持し、近隣諸国とも平和に共存できれば理想です。しかし、例えば今の中国政府は、世界のトップになるという「中国の夢」を実現することに強いこだわりがあります。そこには帝国主義時代に西欧列強や日 本から受けた屈辱を何としても晴らしたいという強い決意を感じます。そう考えると、彼らに「パワーの追求」という考え方を変えてもらうのは難しいように思 います。

 ミシュラ:残念ですが、確かに難しいでしょう。中国人の意識には19世紀以降の帝国主義によって受けた傷がそれほど深く刻み込まれているということでしょう。中国が世界一になりたい、欧米に認めてもらいたいと考える発想は、20世紀初頭に日本が強い国民国家を築こうとした発想と全く同じです。中国が本当に日本を見返したいなら、日本とは 全く異なる道を提示し、日本より高尚な道を進むことが見返すことになるが、そういう発想が今の中国にはありません。残念なことです。
 ただ、1つ言えるのは、中国が経済成長を求め続けても、14億人もの人口を抱える中国が、欧米や日本のような経済発展、生活水準を実現することは現実的に考えて難しいということです。これは12億人の人口を抱えるインドも同じです。

―――地球環境が、それだけの人口が先進諸国と同じ生活水準を享受することに耐えられない…。

 ミシュラ:環境的に耐えられないだけでなく、地球にそれだけの経済発展を遂げるための資源はありません。明らかです。冒頭でも言いましたが、ガンジーもタゴールも、絶えざる経済成長は、 自然への負荷が重く、地球への打撃が大きすぎる、すべてを破滅させかねないという一種の直感力を備えていました。実際、猛烈な工業化や都市化は、気候変動といった問題だけでなく、人間の心の面にも大きな危機をもたらしています。
 中国もそうですが、インドでもダムや原子力発電所の建設や大企業の進出に伴って、長年住んできた村などを捨てることを余儀なくされる人が多くいま す。昨年もインドで、ある鉱山会社が保護区とされている森を生活基盤にして暮らしていたある部族を追い出して開発を進めようとしたところ、強い反対運動が 起きて大きなニュースとなりました。

 すべての人が都市部に移住するのが理想か
 抵抗運動を続けた結果、インドの最高裁が彼らに2つの選択肢を示しました。鉱山会社が提供するお金を受け取って自分たちの住処を去り、近くの街に 移ってアパートに住むか、そのまま今住んでいるところにとどまるか、いずれを選んでもよい、と。すると、実に大多数の人が今、住んでいるところにとどまり たい、という結論を出したのです。
 インドでは最近、こうした決定を下す人が増えています。20年前なら多くの人がお金を受け取って街に移り住みました。選択肢すら与えられなかった人も多い。しかし、ここへきて移住することを拒否する人が増えているのは、移住した人たちがどうなったか知っているからです。多くが都市部のスラム街で貧しい生活を余儀なくされた事実を知っているのです。
 長く大事にしてきた生活の基盤やシステムというのは、その人々にとってはいわば神聖なもので、ひとたび手放すとすべてを失ったに等しくなってしまう。多少のお金と携帯電話を1~2台もらったところで、失ったものを埋め合わせられるわけではないと理解しているのです。
 都市部に出て給料を稼げば、GDP(国内総生産)などの統計に反映され、インド経済の成長には寄与するかもしれません。しかし、実際には給与を毎月受け取っても、インフレが凄まじいために結婚もできなければ、家族を呼び寄せることもできない。多くは貧民街に住み、汚れた空気を吸いながら、経済的にだけでなく、精神的にも非常に貧しい生活に陥っていきます。生活の質が落ち、健康問題を抱える者も少なくありません。

従来の生活からの断絶が暴力を招く
 こうした従来の生活からの断絶は、様々な社会で深刻な心の危機、精神的な危機を招いています。私は、まさにこの生活からの断絶が今日の様々な場所で起きている暴力の原因の一つだと見ています。常にいろんな人が住居を奪われていることが原因です。
 自分たちが本来、属していたコミュニティー、愛する人たちや家族から切り離され、孤独な現代社会に放り込まれ、みじめな生活を余儀なくされると、 極端な方向に走ったり、自分に何らかの存在意義を感じさせてくれる人がいると、そちらに引き寄せられたりする。テロリストになった人たちの背景を見ていく と、何らかの断絶を経験させられた人が多い。

―――つまり新興国は欧米が長く追求してきた経済成長のモデルを鵜呑みにせず、本当に導入していいのか考える必要があると…。

ミシュラ:インドには今も森林や 山間部に住む先住民族がいますし、中国にもチベット族やウイグル族など様々な少数民族が多数おり、彼らは現代社会の一部に組み込まれたくないと考えているかもしれません。いずれの国も農業の存在がまだまだ大きく、開発されていない田舎も多い。私は、こうした国は西欧化、工業化一辺倒の道を進む必要はないと考えます。
 そもそも人は皆、特定の生き方を強要されるようなことがあってはなりません。どの社会も、異なる考え方、異なるライフスタイルを追求できる余地というものを確保すべきでしょう。
 私は大人になってから多くの時間をインド北部のある小さな村で過ごしています。人口2000人ほどですが、その中にはこの20年間に一度は都市部 に出たものの戻ってきたという人が少なくありません。あれこれ仕事をこなすことでテレビを買える程度の収入は確保出来るので、皆、満足しています。空気も水もきれいで、インドのような国の場合、これは大変な贅沢です。

 本当に選択肢はないのか
 私が本で最も伝えたかったのは、アジアは長い間、選択肢のない歴史を歩まされてきたわけですが、先人たちの考えや発想に学べば「選択肢があることに気づくことができるのではないか」ということです。  多くのアジア諸国は植民地の時代から、独立を回復し、主権を維持していくには、日本のように西欧化の道を歩み、力ある国民国家を築いて、経済の工業化を進めるしかないと思い込んできました。確かに列強に押さえ付けられていた時代はそう考えざるを得なかったでしょう。
 戦後も、冷戦の発生により各国は東西のいずれにつくかを判断せねばならず、選択の余地は事実上ありませんでした。ただ、そうした中にあっても強い国民国家を築き、経済成長を果たさなければならないという西欧的な発想に囚われ続けてきたわけです。その意味では、第2次大戦が終わって「植民地主義」は 「新しい植民地主義」に置き換わっただけとも見ることができます。
 そして今、何が問題かと言えば、これだけ経済的にはグローバル化が深化しているのに、多くの人は依然として欧州で誕生した「国民国家」という単位でしか物事を考えられずにいるということです。経済成長を果たすには強い国民国家が必要だとする考え方は、ナショナリズムと結び付きやすい点で非常に厄介 です。
 これもタゴールが指摘していたことですが、ナショナリズムは一種の病理のようなもので、決して特定の民族や一国の中にとどまることはなく、どんどん至る場所に広がっていき、その醜い姿をさらすものだとその本質を見抜いていました。
 まさに台頭する今の中国がそうですし、インドも今、この醜いナショナリズムに覆われています。インドは常に中国に対して深い疑念を持っていることから、自国の子供の50%が十分な栄養さえ取れていないのに、毎年、膨大な予算を防衛費に投じています。どう頑張っても中国の軍事力に追いつくことなどあり得ないのに、何十億ドルもの予算を武器の購入に割いているため、今やインドは世界最大の武器輸入国です。
 これだけ様々な意味で世界が一つとなりつつあるのに、私たちの多くがいまだに異なる社会の人々ときちんと対話できずにいるのは、この国民国家という発想から抜け出せずにいることが一因でしょう。

中東が崩壊しつつあるのも歴史の必然
―――要するに、これまでの経済モデルが限界を迎えつつあるだけでなく、西側諸国が中心になって築いてきた国民国家を単位とする今の世界の政治的な枠組みも時代に合わなくなりつつあるということでしょうか。

ミシュラ:それを如実に物語っているのが今の中東情勢ではないでしょうか。今の中東は、まさに欧州帝国主義の産物です。その産物が今、崩壊しつつあるということです。
 ご存じのように、1916年に英仏露の3カ国がトルコ帝国領の分割を定めたサイクス-ピコ協定を結び、これら中東の地は欧州帝国主義か独裁者によってしか統治できないようにしてしまいました。この時点で、中東の枠組みはいずれかの段階で崩壊を迎えることは必然でした。
 欧州は過去にもこうした既存の秩序がすべて崩壊し、様々な狂信的な発想が台頭してくるという事態を何度もくぐり抜けてきた経験があります。30年戦争や宗教改革などはその一例です。長きにわたり、社会を結び付けていたものがばらばらになっていき、凄まじい暴力が発生し、崩れながら何十年もの混沌の時代に突入していく。これと似たことが今、中東で起きている。
 帝国主義以降、西欧が築いてきた古い国民国家という政治的枠組みそのものが限界を迎えているということです。

米国は中東から撤退すべき
―――ミシュラさんは、米紙「ニューヨークタイムズ」に米国は中東から撤退すべきだとの論評を載せていました。今もそう見ていらっしゃいますか。

ミシュラ:はい。今、中東で目に する暴力の多くの直接的要因は、米国が中東に介入したことにあります。先日もニュースで、イスラム過激派組織「イスラム国」を相手に戦っているイラク兵 が、「米軍がいない」と文句を言っていました。なぜ米軍がいないのか。それはイランがイラク政府を支援しているからです。だから米軍はイラク軍とは一緒に 戦わない。
 ことほど左様に米軍は、中東で複雑な利害を抱えすぎています。今や米軍が中東に存在すること自体が、米国のイスラム国との戦いを終わらせるどころか、世界の様々なところから人を惹きつける「磁石」のような存在となってしまっています。もはや米国は中東の誰からも尊敬されない存在になってしまったのですから、米国に今できるベストなことは、撤退して中東の人にまかせることです。米国が中東を支援する方法はほかにもあります。

―――しかし、イスラム国が昨年6月以降、急速に台頭したのは、米軍がイラクから撤退して権力の空白地帯が生じたからだ、との指摘もあります。

 ミシュラ:その見方には賛同しません。もともと米軍の地上部隊はイラクではそれほど力は持っていませんでした。大きな部分を傭兵に依存していたのが実態です。
 問題はイラクでシーア派のマリキ政権が誕生して以降、マリキ政権が徹底してスンニ派を冷遇、弾圧するにまかせていたことです。そのスンニ派が今、 イスラム国の強い支持基盤となっています。つまり、米国は数カ月ほどイラクに侵攻しただけで、米国の大統領はこうしたシーア派やスンニ派の問題さえ把握し ていない。自由主義世界のリーダーの世界の理解レベルはそんな程度だということです。そんな米国による中東への介入でいい成果を期待しようとすること自体に無理があります。

 私たちは国家の指導層に頼りすぎていないか
 私たちは国家の指導者たち、あるいはエリート官僚に頼りすぎていると感じます。彼らは常に自分が関心のある問題と次にやってくる選挙のことで頭が一杯です。だから短期志向にならざるを得ない。
 しかも今の時代、指導層の多くは大学という同じようなところで教育を受け、皆、似た知識を習得しています。そのため、それらと全く異なる知識が政治などの意思決定過程に入ってくる可能性がほとんどありません。
 私たちは、組織的にほかの知識体系や、物事についてほかの理解の仕方を習得するということを排除してきた面があると思います。しかし、もっと幅広い視点でこれまでの思索にも目を向け、長期にわたってものを考える必要があります。
 それは政治家にはできないことですが、私たちのような文筆家やジャーナリストが担うべき役割ではないかと考えています。

*パンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra) 1969年インドのウッタルプラデシュ州生まれ。随筆家。インドのアラハバード 大学卒業後、ネルー大学大学院で英文学を専攻。1992年からインド国内の新聞や雑誌を中心に執筆活動を始める。2012年に出版した『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち』が英米で大きな反響を呼び、現在は米紙「New York Times」、米誌「The New Yorker」、米書評誌「The New York Review of Books」、英紙「The Guardian」、英書評誌「The London Review of Books」などに多数、寄稿している。2012年に米エール大学から『アジア再興』を含む執筆活動に対して、「ウィンダム=キャンベル賞(ノンフィク ション部門)」を受賞。2014年には同著で「ライプチヒ・ブック・プライズ」も受賞した。 著書に、『Butter Chicken in Ludhiana』(1995)、『The Romantics』(1999)、『An End to Suffering』(2004)、『Temptations of the West』(2006)、『A Great Clamour』(2013)などがある。(写真:的野 弘路、以下同じ)
 ≫(日経ビジネス:総合―マネジメント―キーパーソンに聞く)

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