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●ドイツの苦悩と日本の安穏 苦悩した国が強いという皮肉
以下のロイターの田巻氏のコラムは、ドイツと日本の企業経営の違いについて、経済的側面から眺め、気高きブランド力の違いをポイントに、日本とドイツ企業の差を論じている。経済的側面から、そのようなことも言えるだろうな、と思うのだが、どうも、それだけではない違いが、ドイツと日本にはあるような気がしてならない。正直な話、筆者はドイツの方が、日本より、断然優れていると内心思っている。世界への影響力も、雲泥の差がついている。ただ、それ程、論理的ではないので、これから考えてみようと云う、トンデモナイ意味のコラムである(笑)。
『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美氏の著書は読んだことがないので、何とも言えないが、この本の持つ、一種の臭いに嫌悪して手に取ったが棚に戻した記憶がある。同氏はリベラルなのだが、どうも日本贔屓のきらいがあるように思えてならない(笑)。筆者は、ドイツと日本の違いは、民族の持つ歴史的深みの違いだと思っている。必ずしも、歴史に深みがあれば良いと云う意味ではないが、直近の歴史においても、苦難度は、同じ大敗戦国であるにも関わらず、かなり違う。
おそらく、日本人の多くが、田巻氏のコラムでメインになってるドイツを意識する時、ナチス・ヒトラー総統か、メルセデス・ベンツを意識して感じることが多いような気がする。最近では、倫理宗教的見地から、脱原発に踏み切った国とか、ユーロ圏のリーダーとして粉骨砕身努力していることなどが浮かぶが、深くは考えることがない。つまりは、日独伊三国連盟の国であったにも関わらず、知らないのである。多分、イタリアはサッカー以外で、特に知るべき情報に出会わない。
昨年のBBCにおける、日本と云う国への好感度調査では、中国、韓国に次いで、日本に好感度を持っていない国としてドイツがキラキラ光る存在になっている(笑)。前者のお国が、反日嫌日なのは、当然で、特に話題にする必要もないだろう。三国同盟で共に戦った国から、アイツは嫌いだと言われるのには、それなりの理由があるのだろうが、現時点では残念ながら答えは見つかっていない。製造輸出国家として、家電や自動車でバッティングするのは判っているが、世界に悪い影響を及ぼす国に選ばれるには、それ相当の、ビジネスには限らない何かがあるのだろう。
まあ、ドイツは、どの国に対しても否定的考えを突きつける傾向のある国民性のようなものがあるので、特に拘らなくても良いような気もするが、気にはなる(笑)。現在のドイツは、親日どころか、欧米諸国でもっと親中だと言っても良いくらいだ。その傾向が、単に金儲けから来ていると云うのは短絡だろう。内陸国と島国の違いはあるだろう。ユーラシア大陸と云う括りでの関係性から、陸続きの中国とドイツには利益の一致が多いのかもしれない。そういう事から、将来展望に中独露同盟のような言説まで生まれるのだろう。まずは、田巻氏のコラムを読んで、次に「日本とドイツ、どこで差がついたのか」と云うショッキングな出口治明氏のコラムを読んでみよう。筆者も、理解は道半ばだ(笑)。
≪コラム:独3%賃上げの背景に企業ブランド戦略、日本に大差
「勤勉さ」をともに誇ってきた日本とドイツの経済のあり方に、大きなギャップが生じていることをご存じだろうか。財政赤字の拡大に苦しむ日本を尻目に、ドイツは今年度予算で赤字国債発行ゼロを達成。今年の主要企業の賃上げは3%台に乗せた。
マクロ面の格差には多様な議論があるだろうが、企業活動からみると、ドイツ企業が頑固に「値下げ」を拒否し、ブランドイメージの確立に力を注いでいる点について、日本企業は見習うべきだ。
<46年ぶりに赤字国債ゼロ、ドイツの底力>
第2次世界大戦の終結から70年という節目でもある今年、同じ敗戦国として国内が焦土と化し、生産設備の多くが灰燼(かいじん)に帰した日独両国の戦後の歩みに、多くの注目が集まることになるだろう。
そこから「奇跡の復興」を果たした原動力として、日独両国民の「勤勉さ」が多くの経済学者から指摘されてきた。 だが、ここにきてドイツ経済のパフォーマンスの良さが目を引き、日本経済はかなりの差を付けられている面が多くなっている。
たとえば、国と地方を合わせた債務残高の国内総生産(GDP)比を見ると、ドイツが約70%なのに対し、日本は200%を突破して250%へと向かう動きになっている。ドイツの2015年度予算案では、46年ぶりに赤字国債の発行がゼロになった。
マクロ面での日独ギャップの拡大については、多くの要素が混ざっており、アカデミズムからも有力な研究がまだ出てきていないようにみえる。
ただ、第1次大戦後のハイパーインフレと財政赤字の累増から「強い教訓」を得たドイツと、第2次大戦後に財政破綻とハイパーインフレを経験しながら、そのことがあまり語り継がれていない日本との差は、歴然としているということは言えるのではないか。
<IGメタルが3.4%の賃上げ獲得>
また、リーマン・ショック後にともに大きな落ち込みを見せた経済と企業業績でありながら、賃上げ率にも大きな「格差」が生じている。
ドイツ国内で最大の労組である金属産業労組(IGメタル)は、主要な企業や地域での交渉で今年の賃上げ率3.4%を獲得。自動車大手の一角であるフォルクスワーゲン(VOWG_p.DE: 株価, 企業情報, レポート)とは5日に合意した。
一方、日本では連合の要求自体がベースアップ2%以上であり、大手企業の賃上げ率が1%台に乗せれば「御の字」という声も、政府関係者や労組関係者から漏れる。 大幅なベースアップに消極的な経営者の本音には「また、リーマン・ショックのような大波が来た場合、固定費を増やすと経営の死命にかかわる」(大手企業幹部)という部分があるようだ。
<日本企業の弱点、値下げ対応>
政策当局の一部には、経営者にデフレマインドが残っており、期待インフレ率が2%にアンカーされるようになれば、2%プラスアルファの賃上げが常態化するようになるとの声もある。
ただ、大企業の経営者の中にも、将来にわたって売上高が右肩上がりで推移する自信がない、という心理もどうやらあるようだ。
その原因の1つに「国内企業同士の過当競争とその結果としての値下げマインド」(大手企業幹部)を挙げる声がある。 値下げでシェアを維持するという手法が、短期的な経営の落ち込みを回避するのに、最も手っ取り早い手法であるという認識が、かなり広がっているとみられる。
対照的に欧州の大手企業は、ブランドイメージを大切にし、販売価格の引き下げをかたくなに拒否し、値下げ競争から一線を画しているところが多い。 中でもドイツ企業には、ベンツを生産するダイムラー(DAIGn.DE: 株価, 企業情報, レポート)のように、「高品質」に見合った「価格の維持」にこだわっているところが目立つ。
<見習うべきブランド戦略>
たとえば、このところの円安で欧州の自動車メーカーは、日本での円建て販売価格を値上げしている。「ユーロ高/円安」で円建て価格を維持すれば、ユーロでの手取り価格は減少するが、そういう選択肢はとっていない。
それでも、欧州車の中には、販売額を増加させているところもある。今年1─2月の国産車の販売台数は軒並み前年同期比で大幅マイナスとなっているが、メルセデスベンツは同プラス7.8%と伸ばしている。
高くても売れるのは、日本国内の富裕層が、品質に見合った価格帯の設定を支持しているからではないか。「ベンツ」のブランドに対し、日本の富裕層がその価値を認めているのは、「ブランド戦略」の勝利と言えるだろう。
ブランド力で販売価格を維持できれば、求めている利益率も達成しやすくなり、設備投資、研究開発、人的投資により資金をつぎ込めるという「好循環」を作りやすくなる。
一見すると地味だが、こうした努力を着実に積み上げてきた企業と、値下げでシェアを維持するだけの企業との間には、大きな差がつくということではないか。
内部留保を積み上げているだけでは、「無能」のレッテルを張られるということに、ようやく多くの企業経営者が気付いてきた。
だが、「ブランド力の開発・強化」というより高いハードルを越えようというチャレンジングな経営者は、まだ少数派のようだ。 この状況が変わった時に、日本の賃上げ率がドイツを追い抜くことも可能になるだろう。 ≫(ロイター:コラム―田巻一彦)
≪ 日本とドイツ、どこで差がついたのか
ドイツに詳しくなる本
皆さん、こんにちは。月に1度の読書コラムです。今回のテーマはドイツです。なぜ今回、ドイツを取り上げるのかというと、日本とドイツは似たところが多く、多くのことが学べるような気がするからです。 戦後、日本とドイツは両国とも、がれきの山から立ち上がりました。しかしよく考えてみると、どちらがより過酷な状況だったかと言われれば、筆者はドイツの方が大変だったと思います。
日本は米国に占領されただけですが、ドイツは旧ソ連、米国、フランス、連合王国の4カ国に占領されました。さらに、東ドイツと西ドイツ、2つに分断されました。
それを統一して東ドイツを吸収したのは20年ほど前ですが、巨額の統一コストを負担しなければなりませんでした。がれきの山から再出発したのは同じだったけれど、ドイツの方がはるかに状況が厳しかったのです。
それにもかかわらず、ドイツの経済は近年絶好調ですし、ユーロという重荷を抱えてはいますが、2015年度の予算は何と財政黒字です。ドイツを旅してみても、日本と比べて貧しい感じは全くありません。先進国として復活し、日本と同じような豊かさを享受しています。
日本とドイツの米ドル換算でみた名目GDP(国内総生産)は3位と4位で、(計算方法によりインドが間に入るかどうかという問題はあります)日本 とドイツのGDPの比率は大体人口に比例しています。ドイツに比べれば、人口は日本の方が多く、面積も日本の方が大きいのです。
「人間には怠惰でいるという権利はない」
ところが、かたや財政黒字、かたや毎年170~180兆円規模の国債を発行し続けている国です。同じがれきの山から出発したドイツが、財政黒字を達成し、しかもナチスドイツの時代にあれほど無茶なことをしたのに、近隣諸国との関係もきちんとしている。この2点だけでも、日本はドイツから学ぶところ がたくさんあるのではないでしょうか。人間は傲慢になるとロクなことがありません。
もともと日本は、明治維新の時もビスマルク体制下のプロイセン憲法を手本にして、大日本帝国憲法を策定しました。明治維新の時の日本を見習って、今のドイツに学ぶべきことがあるのかないのか、じっくり考えてみましょう。
まずは、現代から遡ります。
今日のドイツがあるのは、シュレーダー改革が素晴らしかったからだというのが、衆目のほぼ一致するところです。立派な政治家はポピュリズムに溺れず、国民にとってはいやなことであっても、必要なことは断行するのです。 シュレーダーは労働の流動化など抜本的な構造改革を断行して政権を失ったわけですが、現在は中興の祖と言われています。シュレーダーがどのような人で、何をやったのかを知るには、この『ドイツ中興の祖 ゲアハルト・シュレーダー』が一番分かりやすいと思います。
「シュレーダーを猛烈な勉強に駆り立てたのは、『水道も暖房もトイレもなく、八人が寝起きする家から脱出したい』という渇望だった。彼は、他人の二倍も三倍も努力し、働きながら夜間学校に通って知識を身につけることで、泥沼から這い上がることに成功した」(29ページ)
「シュレーダーが長期失業者にとって厳しい政策を取った背景には、貧困から身を起こした政治家の『泥沼からなんとしても這い上がるという意志さえ あれば、不可能なことはない』という確信がある。(中略)彼は自伝の中で、こう語っている。『苦境に陥ったら、まず自分で脱出しようとするべきだ。八方手を尽くしても苦境から逃れられないときだけ、他人の助けを求めるべきだ。人間には怠惰でいるという権利はない』」(30ページ) しかし、ドイツの歴代トップを見ると、シュレーダー1人が傑出していたわけではありません。ドイツの有名な指導者といえば、日本の吉田茂に匹敵する アデナウアーがいるのですが、この2人はがれきから国を立て直した人でした。戦後70年も経っていますから、それよりも、近年のドイツをつくった人で、 シュレーダー同様に有名な人といえばヴァイツゼッカーではないでしょうか。
この人は政治家として本当に言葉を大事にした人で、ヴァイツゼッカーの演説を集めた『言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集』をぜひともお薦めしたいと思います。 この人は、ブラントと一緒にドイツの東方外交を推進した人ですが、演説集を読むと大変な迫力を感じます。この演説集を読めば、ドイツ経済がなぜこれ ほどまでに良くなったかも分かりますし、近隣諸国との関係修復についても、深い歴史的な洞察の中で取り組んできたことがよく分かります。
「節度も中庸の精神も人間の尊厳も失った、このような絶滅十字軍が後に残したのがドイツの、そしてヨーロッパの分裂でした。精神の面でも政治の面でもパトリオティズムは既に対象を失っておりました」(38ページ)
「『歴史家論争』からわれわれが学ぶことは、前もって決められている道徳的な基準に基づいて歴史を書いたり、まして特定の意味付与のために歴史を 誤解してはならぬ、ということであります。ナチズムの時代に物心がついていた人の数は次第に少なくなっていきます。後から生まれた人たちにとって個人としての罪の問題はありませんが、歴史の遺産と向かい合う課題はあります。それには『心に刻む』ことが必要で、真理のためにも未来のためにも心に刻むことを閑却せず、肝に銘じることはわれわれに共通の責任であり、心に刻むことこそわれわれの本性としての良心の一部なのです」(45ページ)
この演説集を読んでみるのは、大変意味のあることだと思います。
ヨーロッパは第2次世界大戦の廃墟の中から戦後の歩みを始めています。ドイツはヨーロッパの中核ではありますが、ドイツだけを見てもドイツの戦後の歩みは分からないと思います。そこで、トニー・ジャットの『ヨーロッパ戦後史』をお薦めします。 ジャットは筆者と年齢が同じで、同い年なのにこんなに素晴らしい本が書ける人がいるんだ、と劣等感を持った記憶がありますが、この本を読むことは、 ドイツのみならず、ヨーロッパを理解する大きなカギになると思います。ヨーロッパの戦後の世界がどのように成り立ったのか、そしてその長い歩みの中でアデナウアーがドイツを立て直し、その後にヴァイツゼッカーやシュレーダーといった名宰相が生まれてきたのだということをしみじみと感じます。
実はナチス党員と共存しながら復興したドイツ
この本が面白いのは、数字をきちんと挙げて書いているところです。例えば戦犯追放を徹底してドイツはナチスを追っ払った、と日本人は思っているか もしれませんが、実はそんなに簡単に断ち切っていなかったのです。例えばケルンでは、市の水道局の専門家21人中8人がナチス党員でした。しかし、上下水道の復旧と防疫には、彼らの技術が不可欠です。
「彼らを抹消してしまうことなど、まったく問題外だった」「ドイツ人にナチ党の犯罪を突きつけることは、悔い改めを促すよりも民族主義の反撥を引 き起こす可能性のほうが大きかった。ナチズムが自国に深い根を下ろしていると知っていたからこそ、未来の首相はこの問題には言及しないでおく、むしろ沈黙を奨励するのが賢明と考えた」(74ページ)。
復興を進める中でその人たちを全員追放してしまったら、復興は不可能です。読み進めていくと、彼らと共存していく判断の根底にあるものが浮かび上がってきます。どのページも、それをデータと重ね合わせながら丁寧に書いているので、とても面白い本だと思います。 今回はドイツという国全体を捉えようとしていますので、戦後編はこの3冊にとどめ、それ以前を見てみましょう。次は、第2次世界大戦の振り返りです。第2次世界大戦の評価はなかなか難しいのですが、これも大胆に2冊、選び抜きました。1冊はチャーチルの『第二次世界大戦』です。
こちらは4巻ぐらいありますので、ぱらぱらっと面白いところだけ読んでみればいいでしょう。ドイツから見たらライバルが書いたことになりますが、チャーチルは大変才能にあふれた人なので、この本で代表させても大丈夫だと思います。 さて、チャーチルの『第二次世界大戦』は第2次世界大戦の全体像を理解するための本ですが、ドイツといえばナチス、つまりユダヤ人問題は避けては通れません。それにはとっておきの本をご紹介しましょう。これに勝る本はないです。ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』です。
「収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失 い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわらずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と」(5ページ)
強制収容所から生還した数少ない心理学者の立場から、当時の生活を振り返り、冷静に描写、分析したものです。非常に優れた本です。第2次世界大戦は、この2冊で代表させることにしましょう。 さて、ヨーロッパにおいては、第1次世界大戦も、第2次世界大戦以上に大きな出来事でした。それを学ぶためには、以前にも紹介しましたが『仏独共同通史 第一次世界大戦』を手に取ってみましょう。
なぜこれをもう一度紹介したかと言えば、最近、日中で歴史の共同研究をした本が出たからです。(『「日中歴史共同研究」報告書 第1~2巻』、勉 誠出版)。しかしこちらの本は、戦後(第3巻)は扱っていないのです。まえがきによると、日本側の研究者と中国側の研究者が、意見が合わなかったので出版に至らなかったそうです。とはいえ、こうした歴史を共同作業で振り返る取り組みは、大切にしなければいけません。
戦後史を国境を超えて振り返ることの大切さ
日本も進んできたなあと思ったら、ヨーロッパはもっと先を行っていました。なんと、5カ国共同のプロジェクトで、英仏独西伊の学者が書いたものを、それぞれの言語で共同出版するという試みを始めています。本書はその1冊目ですが、アナール派を代表する中世史の泰斗であるフランス人学者、ジャック・ル=ゴフ の『ヨーロッパは中世に誕生したのか?』です。このようなベーシックな本が5カ国語で共同出版される動きを見ると、EUは本気で、地道に前に進もうと頑張っているのだなあという気持ちになります。 さて前段でも触れましたが、明治の日本が一番参考にしたのは、ビスマルクが実質的に統治したドイツ(プロイセン)でした。国家としてのプロイセンを知るにはジョナサン・スタインバーグの『ビスマルク』が一番です。この本を読むことで、ビスマルクの構築したプロイセンやドイツ帝国の全貌が分かります。
『ビスマルク』を読んでプロイセンに興味を持ったら、岩波文庫の『特命全権大使 米欧回覧実記』を紐解くのも良いでしょう。ビスマルクと岩倉使節団との会見の模様も書かれています。 さて、ビスマルクまで来たら、もっとドイツを知りたくなりませんか。そこで、中世のドイツの世界を学んでみましょう。エルンスト・H・カントーロビッチの『皇帝フリードリヒ二世』をお薦めします。中世ドイツが1冊で凝縮されているのは、この『皇帝フリードリヒ2世』だと思います。また、最近塩野七生さんも『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を出版しました。
筆者はカントーロビッチの方がロマンチックで好きですが、どちらを読んでも大丈夫だと思います。
2人の「フリードリヒ2世」と中世の笑い
フリードリヒ2世といえば、人格破綻者でとんでもなく狡猾で計算高くて…というイメージの人も多いかもしれません。でも、それは、プロイセンの同名の君主のことで、ここに紹介したフリードリヒは、ケタ外れのスケールを持つ近代的・開明的な君主です。 より正確に言えば、ドイツの中世を彼だけで代表させるのは問題があります。なぜなら、本来、中世ドイツは庶民のたくましい笑いにも満ちているからです。そこでとっておきの本をご紹介します。『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』です。
短い本ですが、この本にはドイツの庶民のすべてが詰まっています。下品過ぎて笑ってしまうエピソード、あきれるぐらいバカバカしいエピソードが満載で、まったく肩の凝らない読み物です。
「(オイレンシュピーゲルが医者のふりをし、偉大な博士に下剤を調剤して大変な目に遭わせたことについて周囲の人が博士に)あの医者はオイレンシュピーゲルだったんですよ。あなたは彼のことを知らないから信じてしまって騙されたわけですよ。私たちは彼の道化ぶりが気に入っていましたから、 彼だということもよく知っていたのですよ。でも私たちはあなたに警告しませんでした。あなたはご自分を大変賢い人だとお思いになっていたからですよ。どんな人だって愚か者を知る必要がないほど賢い人はいないんですよ。それに誰もが阿呆でなかったら、一体どうやって賢者を見分けられるんですかね」(66ページ) ぜひ楽しんでください。
さて、今回はドイツを深掘りできるラインアップをそろえてみました。いかがですか。
また来月、お会いしましょう。 ≫(日経ビジネス:総合トップ > ライフサプリ > 出口治明の「ビジネスに効く読書」 )
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