代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書) | |
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●普遍的価値のメルトダウン 米国政党の細胞分裂、英国EU崩壊細動
いま現在、我々は、20、21世紀と、世界のリーダー国であった“欧米文化”の劇的な変化を目撃している。謂わば、100年近く世界に君臨していた「米英同盟」と云う欧米文明の柱が30%程度抜け落ちた。そもそも、全盛期に比べれば、30%は落ち込んでいる「米英同盟」なのだから、概ね、欧米勢力の力は、全盛に比して半減したと解釈して良いだろう。
明治維新以降、欧米に見習えと、死に物狂いで追いつき追い越せをしてきた、明治維新以降の日本の大方針の根底が崩れてきた。この事は、今後の我が国の行き先に対する思考過程において、重要な要素を占めると理解するのが自然だろう。しかし、日本は、自由な思考と言論が保証されていた時間からでさえ、「閉ざされた言語空間」に身を置き、“安近短志向”と、ポピュリズム一辺倒の政党政治の人気投票に明け暮れ、中央集権体制と云う最も手直しが迫られていた“アンタッチャブル空間”への視線を、政府も国民も“見ざる聞かざる言わざる”で過ごしてしまった。
参議院選の選挙演説では、与野党ともに“英国EU離脱騒動”を取り上げるが、ことの本質や深刻さについて、多くを語ることはない。無論、選挙中に、そのような難解な問題を応援演説に取り込むことは意味がないが、演説している側も、聞いている側も、本音では、“あの世の話”だと思っているフシがある。与党は「成長と分配問題」と叫んで、支持を訴える。野党は「分配と成長問題」だと支持を訴える。日本語の意味合いから行けば、与党は成長に優先権があり、野党は分配に優先権がある。しかし、聞き方によれば、与野党が、国民が重視する「争点」に擦り寄っているだけに見えてくる。
安倍も岡田も、欧米覇権体制にしがみ付いているのは明白であり、現状の政治状況から推し量ると、目糞鼻糞の選挙戦と言える。無理やり、与野党の相違点がほじくり出せば、「大日本帝国憲法に戻る」か、最低でも、現状の「日本国憲法で行く」のかと云うことだ。まあ、“国家ありきか、国民ありきか”の違いである。その前に、これからの世界が、どのように動いていくのか、その方向性が見えてこないと、きっと判断はつかないのだろう。ゆえに、最後は「空気」が雌雄を決するのだろうが、あまりにも、ブラインドな状況で、国民は選択を迫られている。
米国では、共和党が、ドナルド・トランプ候補に乗っ取られ、今では、“共和党保守と共和党紛い”に二分された。民主党は、漸く本命クリントンが大統領候補の座を射止めたが、ウォール街代表のクリントンが、オキュパイウォール街の思想的背景の人物の一人、エリザベス・ウォーレン上院議員を副大統領候補の一人として、認知せざるを得なくなっているので、どうにか民主党は体面を保ったが、実情は「金融勢力と反金融勢力」が同居するわけだから、大きな支持を背景に生まれる政権ではなく、とても不安定だ。参考引用コラムは、英国のEU離脱騒動を扱ったものを二本、参考引用する。興味のある方は、じっくり読まれることをお薦めする。ただし、筆者は両コラムに賛同はしていない。
PS: 笠原氏のコラムは安定的だが、後の神野氏のコラムは不安定感があった。蛇足だが、ひと言申し上げておく。
≪ イギリスEU離脱の世界史的インパクト〜私たちが受け取るべき「2つの重大警告」
歴史はまた繰り返すのか?
■EUの存在意義がパラドックス化
「イギリスさん出て行かないで!」
・世界中が懇願する中で、イギリスは23日に実施した国民投票で欧州連合(EU)離脱という選択をした。
・歴史は動いた。否、明らかに大きく後ずさりした。相互依存を強める世界において国境のない新たな統治モデルを追求するという歴史的な実験「ヨーロピアン・ドリーム」はその輝きを失ったのである。
* * *
・イギリス離脱が持つ意味を最もよく物語っていたのは、EUの事実上のリーダーであるメルケル独首相の記者会見での悲壮な表情だろう。
・“イギリス国民の決定を残念に思う。欧州と欧州統合プロセスにとって今日は分水嶺となるだろう。我々は取り乱すことなく、冷静であらねばならない” そう語ったメルケル首相自身が動揺していた。
・EUは今、創設以来最大の危機にある。ほぼゼロ成長が続く経済、10%近い失業率、未解決のギリシャ債務危機、難民危機、続発するテロ、加盟各国で台頭するポピュリスト政党……。
・イギリスの離脱はEUの遠心力を加速させ、EUが解体に向かうシナリオさえ排除されなくなった。「ベルリン=パリ=ロンドン」のトライアングルにより微妙に保たれてきたEUのパワーバランスは瓦解した。
・欧州統合プロジェクトとは元々、知恵に長けたフランスが戦争責任のトラウマから脇役に徹するドイツの経済力を生かして牽引してきたプロジェクトだっ た。そこに現実主義・合理主義的なイギリスが途中参加し、EUの市場経済化や外交・安全保障面でイニシアチブを取ってきたという経緯がある。
・ユーロ危機を契機に欧州の指導国となったドイツ。イギリスがいなくなれば、フランスの影響力低下とあいまって、ドイツの存在感ばかりが際立ってしまう。またしても、欧州につきまとう「ドイツ問題」という亡霊の登場である。
・二度の大戦を引き起こしたドイツを「押さえ込む」ことが目的だったはずのEUは、その存在意義がパラドックス化する。ショイブレ財務相は独誌シュピーゲル(6月10日)のインタビューでドイツの苦悩を次のように語っている。
・“人々はいつもドイツにリーダーシップを求める。しかし、ドイツが指導力を行使した途端に我々は批判されるのである。EUはイギリスがいることによってバランスがとれていた。イギリスが関与すればするほど、欧州はうまく機能してきた” ・欧州の「ドイツ恐怖症」は消えていない。歴史を振り返れば、19世紀後半の「栄光ある孤立」などイギリスが欧州と距離を置くとき、大陸欧州は不安定化してきた。
・「歴史の教訓は、イギリスの孤立主義はしばしば、欧州大陸の分裂と結びついてきたということである」 ニーアル・ファーガソン米ハーバード大教授はこう指摘している。
・記者会見で悲壮感を漂わせていたメルケル首相の心中はいかほどだったか。ドイツの歴史に誠実に向き合いながら、欧州のリーダーシップを取らざるを得ないというジレンマ。その心中、察して余りあった。
・イギリスは、欧州統合プロジェクトの初の脱落国家となった。離脱は、世界がかつて理想として仰ぎ見たヨーロピアン・ドリームを終焉させるだけでなく、EUが背負った「歴史の清算」という至高の目標すら台無しにしかねないのである。
■2つの大きな警告
・前回のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48954) で、イギリスでは国民投票を行う法的義務はなく、キャメロン首相の判断(勝てるという誤算)により今回の国民投票は実施された、と説明した。自らが信じる 「国益」「国際益」をリーダーシップで守る努力を放棄したキャメロン首相に対する歴史の評価は、極めて厳しいものとなるだろう。
・それでは、イギリスの国民投票が歴史に刻んだ教訓、警告とは何であろうか。国民投票に至るプロセスとその結果を振り返るとき、イギリスの経験は世界に2つの大きな警告を発しているように思う。 以下、順に説明したい。
・第1の警告は、移民問題のタブー視は国家基盤を危うくするということだ。 世界に激震を走らせている「イギリス・ショック」の原点は、2004年に遡る。東欧など10ヵ国がEUに新規加盟したときだ。
・EUはヒトの移動の自由と「EU市民」としての平等な扱いを加盟国に義務づけている。しかし、加盟国はこのとき、東欧の人々への7年間の就労制限を認められた。ほとんどの加盟国がこの権利を行使する中、当時のブレア労働党政権は門戸を開放するという寛容な政策を取った。
・その結果、イギリスに住むEU移民は2004年~2015年の12年間に100万人から300万人へと急増することになる
・しかし、問題の本質は移民の規模ではない。イギリスが門戸を開きながらも、移民を単なる労働力とみなし、決して歓迎することなく、さまざまな不満の声を放置してきたことこそが「移民問題」という危機の本質なのだ。
・イギリス政府は、移民の低賃金労働(搾取)を看過し、「移民に仕事を奪われている」という労働者層の不満や、医療や教育、公共住宅など公共サービスの低下で不満を強める国民の声と真剣に向き合ってこなかった。
・そして、イギリスでも移民問題を論じることはタブー視されるようになった。移民問題は容易に「人種差別批判」へ転じてしまうからだ。背景には、行き過ぎた「政治的公正さ(ポリティカル・コレクトネス)」が幅をきかせる社会のムードがある。
・こうして、EU離脱を掲げる「英国独立党(UKIP)」などポピュリスト政治が増殖する社会的土壌が生まれ、それが、大英帝国の歴史への誇りを背景にしたナショナリズムの盛り上がりと一体化。国民が現状への不満を国民投票にぶつけるという今回の事態を招いたのである。
・イギリスのEU離脱の引き金がいかに引かれたかを見極めるとき、そこに浮かび上がるのは、移民問題をタブー視してきた労働党や保守党など既成政党の姿勢である。
・イギリス政府が門戸開放の一方で、それに見合うだけ、国民の不満にもっと声を傾けていれば、離脱という最悪の事態は避けることができただろう。
・イギリスはもともと移民に寛容な国だった。第2次大戦後、旧植民地からの移民にはイギリス国籍を与えてきた。「イギリス国民とは誰か」と問うとき、 「イギリス国王の下に集う人々」と言うほどオープンであり、イギリスに住む英連邦(旧植民地など加盟約50ヵ国)の住民には選挙権を与えているほどだ。
・そのイギリスが極めて短期間に「不寛容な国」へと変質し、経済的な損失を覚悟の上でEU離脱という「自傷行為」に走ったことは、世界への大きな警告である。
■エリート主義の敗北
・2つ目の警告は、「過半数民主主義の限界」と「エリート主義の敗北」である。
・国民投票の結果は離脱支持51・89%、残留支持48・11%で、その差は4%にも満たない。EU離脱の是非という国家の進路を大きく変えるような決定が、1票でも半数を超えればよい過半数民主主義で下されることは何をもたらすのだろうか。
・象徴的だったのは、投票日の翌24日、ロンドンの国会議事堂前で残留派の人々が掲げていたボードだ。そこには、「イギリス人であることが恥ずかしい」と書かれていた。
・EU離脱をめぐる国民投票は様々な二項対立で説明されたが、その一つが「残留支持のエリート層と離脱支持の庶民層」という構図だった。
・ボードの主張は、“理性的なエリート層”の“感情的な庶民層”への侮蔑を示したものとも受け止められ、投票結果がイギリス社会の分断を決定的にすることが深く懸念される。国民のほぼ半数が反対するEU離脱が社会を不安定化させることは間違いない。EU加盟問題が永久の決着をみたということにも決して ならないだろう。
・解体の危機すら指摘されるEU、欧州統合のプロジェクト自体がその証左である。
・冷戦終結後に政治統合へ大きく舵を切り、現在のEUの基本条約となった1992年のマーストリヒト条約はそもそも、承認を求めるフランス国民投票で はわずか51%しか支持されていない。統合の旗振り役であるフランスで半数の支持しか得ていないにもかかわらず、エリート層が強引に推進してきたのが近年の統合プロジェクトの実態だ。
・例えば、単一通貨ユーロの導入はその典型だろう。金融政策は加盟国で統一しながら、財政政策は各国でバラバラという構造は、大学の経済学の授業レベ ルの知識でさえ、「うまくいくはずがない」と判断できるものだろう。統合推進派は、そのユーロを輝かしい理想の象徴としてアピールしてきた。そして、そのユーロが今も、ギリシャのみならず、スペインやイタリアなどを緊縮財政で苦しめている。
・イギリスの国民投票は、EUの政治家、エリートへの強烈なウェイクアップ・コールになった。離脱という結果が突きつけたことは、グローバリゼーションという大状況の下で、庶民層とエリート層では社会、世界が全く異なる「プリズム」を通して見えているということだ。
・だから、キャメロン首相を始めとした残留派やオバマ米大統領、IMF(国際通貨基金)や世銀といったエスタブリュシュメント層がいくら離脱に伴う「経済的損失」や「国際的な地位の低下」を訴えても、キャンペーン戦略としては功を奏さなかったのである。
■「世界で最も複雑な離婚劇」は始まったばかり
・EUのトゥスク大統領(欧州理事会常任議長)はこう語っている。
・“完全な統合を急ぐという観念に取り憑かれ、我々は庶民、EU市民が我々と(統合への)情熱を共有していないということに気付かなかった”
・EU首脳がここまで率直に反省の弁を述べたのは初めてだろう。
・イギリス人は本来、保守的な国民である。急激な改革ではなく、漸進的な進歩を求めてきた人たちだ。それだけに、多くの予測に反してEU離脱という過激な結果が示されたことは、一層衝撃的なのである。
・その結果が意味することは、「エリート主義の敗北」である。アメリカ大統領選であれよあれよという間に共和党候補となったドナルド・トランプ氏をめぐる「トランプ現象」、大陸欧州で勢いを増すポピュリスト政党の台頭と合わせ、その潮流は不気味である。
* * *
・イギリスのEUからの離脱という「世界で最も複雑な離婚劇」(フィナンシャル・タイムズ紙)は始まったばかりだ。
・1973年に加盟したイギリスが欧州と43年間にわたって積み上げてきた無数のブロックのひとつひとつを、いかに全体を崩壊させずに引き抜き、両者の間にどのような新たな橋を築いていくのか。
・イギリスでは「ブリクジット省」の創設が必要になるのではないかと指摘されるほど煩雑で、未知の領域に入っていくプロセスである。この離婚劇は、世界にとっても、経済面は言うに及ばず、国際政治の面においても極めて高くつくものとなるだろう。
* 笠原敏彦 (かさはら・としひこ) 1959年福井市生まれ。東京外国語大学卒業。1985年毎日新聞社入社。京都支局、大阪本社特別報道部などを経て外信部へ。ロンドン特派員 (1997~2002年)として欧州情勢のほか、アフガニスタン戦争やユーゴ紛争などを長期取材。ワシントン特派員(2005~2008年)としてホワイトハウス、国務省を担当し、ブッシュ大統領(当時)外遊に同行して20ヵ国を訪問。2009~2012年欧州総局長。滞英8年。現在、編集委員・紙面審査 委員。著書に『ふしぎなイギリス』がある。
≫(現代ビジネス:オトナの生活>笠原敏彦・賢者の知恵)
≪ 離脱しないかも? 英国のEU離脱を歴史視点で完全理解
■イギリス国民、EU離脱を選択!
2016年6月23日は、ひょっとしたら将来の教科書に載ることになるかもしれません。イギリスにおいて国民投票が行われた結果、国民は「EU(欧州連合)からの離脱」の意思表示をしたためです。
1952年にECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)が誕生して以来、幾度となく改組・統合を繰り返しながら、これまで加盟国が加わることはあっても、一 度として減ったことがなく育ってきたEUが、ついに後退しようとしています。これにより、歴史が大きくうねる可能性があります。
これからイギリスは、EUは、世界は、そして日本はどう影響を受け、展開していくことになるのか? 世界中がその動向を固唾(かたず)を飲んで見守り、早くもたくさんのアナリストたち侃々諤々(かんがんがくがく)、多くの議論を戦わせています。しかし、 その議論もおそらく一般の方々にはチンプンカンプンなのではないでしょうか。
現状の国際情勢を理解するためには、何よりもまず、歴史的背景を踏まえることが必須なのですが、どうもその一番大切なところが、おざなりになっているようです。
そこで本コラムでは、他の解説とは一線を画し、本コラムのコンセプトでもある「歴史的背景を踏まえてニュースを読み解く」を実践していきたいと思います。
■法的拘束力はない! 国民投票の役割
まず、勘違いしてはならないのは、今回の国民投票には「法的拘束力はない」ということです。この点について、イギリス国民ですら意識から飛んでいるのか、知らされていないのか、すでにEU離脱が「決定事項」であるかのように、「残留派」と「離脱派」で熱狂と落胆が入り交じっています。
しかし、イギリス議会が今回の決定を無視・黙殺しても、法規上は、なんら問題はありません。そのうえ、首相のキャメロン保守党党首・野党筆頭のコービン労働党党首をはじめとして、議会は労働党も保守党も強く「残留」を望んでいます。
実のところ、今回の国民投票の政治的役割は、残念ながら「民主主義精神に従って、国民の信を問い、これを国政に反映させる」というものではありません。そう叫ばれているのは、あくまで “国民向けの建前”です。
今回の国民投票に政府(議会)が期待していたのは、「国民投票の結果を政府の意思に追従させ、これにより政府の意向に逆らう反対派を黙らせる」ことでした。
■フランス革命直前期に酷似
ところが結果は、政府の意に反したものになってしまいました。こうした現在のイギリスの政治状況を歴史的視点でひも解けば、「フランス革命直前のフランスの政治状況」とそっくりです。
たとえば、今回の国民投票はロンドンを中心として、ブリテン島東南部が洪水を伴うほどの豪雨と雷雨に見舞われ、投票にも支障を来たすほどでした。まるでこの先のイギリスの「暗雲」を象徴しているかのようですが、これは、フランス革命の直前、マリーアントワネットとルイ王太子(後のルイ16世)の結婚式の日、前日までの晴天が嘘のように豪雨・雷雨になったことを彷彿とさせます。
現在のイギリスで問題になっているのは「EU離脱問題」で、当時のフランスで問題になっていたのは「特権身分課税問題」であり、議題こそ違いますが、このときのフランス政界も「絶対に特権課税などさせない!」という固い意思統一がされていたにもかかわらず、あえて「三部会」を開催させています。その背景には、歴代蔵相(テュルゴー・ネッケル・カロンヌ・ブリエンヌら)がこぞって「特権課税!」を叫ぶため、あくまでも彼らを黙らせるための方便という理由がありました。
この「三部会」が、今回のイギリスの「国民投票」に相当します。
三部会もまた、イギリスの国民投票同様、「法的拘束力」などなく、ただ、政府の意向に添った結論を出させることで、反対派を黙らせようとしただけです。 しかも、「法的拘束力はない」ということを当時の第三身分(一般市民)たちは知らず、三部会で決定されたことは必ず執行されると信じていたところまで、現 代のイギリスとそっくり。
まさに「歴史は繰り返す」とはよく言ったものです。
■国民投票の結果は実現するか?
今回のイギリスでも、「離脱派」はすでにEU離脱の執行が決定したかのように熱狂し、「残留派」はこの世の終わりのように失望していますが、先程も述べたように、国民投票にはなんら「法的拘束力」はないのですから、まだまだこの先どう転ぶかはわかりません。政府は、なんやかんやと難癖つけて、これを反故(ほご)にする可能性は充分に考えられます。
とはいえ、いくら「法的拘束力がない」からといっても、理由もなく黙殺したのでは、「ならば、何のために国民投票なんぞやった!?」と国民の怒りが爆発する可能性は非常に高い。それがイギリスの衰亡のきっかけになる可能性すらあり、たとえ反故にするにしても、よほどうまくやらなければなりません。
■反面教師、フランス革命の成り行き
フランス革命直前のフランスでも、政府ははなから三部会を利用しようとしていただけで、万が一にも政府の意向に沿わないようなら、これを圧殺するつもりでした。
ところが、「三部会は法的拘束力も持たない」「そもそも決議方式が理不尽で第三身分に勝ち目はない」と知った第三身分議員たちが騒ぎ始め、政府はその鎮静化に失敗してしまいます。そのため、彼らはやがて三部会とは別に「国民議会」を結成し、「我々は我々の意見が認められるまで決して解散しない!」と宣言 (テニスコートの誓い)、それがフランス革命へと発展していくことになります。
政府がひとつ判断を誤ったせいで、これからフランスは10年にわたり血で血を洗うような収拾のつかない「フランス革命」へと突入し、その中で数千人の首がギロチン台の露と消えていく(ロベスピエールの恐怖政治)ことになります。
そのフランス革命もようやく沈静化してきたかと思ったら、今度はナポレオンという独裁者が現れ、それからさらに10年、ヨーロッパを巻き込む大戦争時代へと突入していき、今度はロベスピエールなど比ではない100万人もの命が戦場に散っていきました。ナポレオン亡きあとも、革命騒ぎ(七月革命、二月革命など)がひっきりなしに起こり、政治は混迷を極めます。そうした革命騒ぎがようやく落ち着いたと思ったら、再びナポレオン(三世)が台頭し、その独裁時代が18年もつづくことになります。
こうした悲惨な歴史を歩むことになった契機は、「三部会の扱いを誤った」からです。
従って、「国民投票には法的拘束力がないのだから、イギリス政府はこれを反故にするだろう」と主張している人もいますが、話はそう単純でもありません。 ひとつ対応を誤れば、たちまちフランスの二の舞となるかもしれないのですから、反故にするにしても極めて慎重を要します。
■ふたつの世界大戦
それでは、そもそもEUとは一体なんでしょうか。
時は18~19世紀の帝国主義時代に遡ります。当時、産業革命の成果を背景にした白人列強が、次々と有色人種の国々をその隷属下に置いていきました。し かし、「エサ(植民地)」が豊富にあるうちはまだ良かったのですが、20世紀初頭、これをほとんど食い尽くしたとき、最終的に彼らが行き着いた所は “共食い”でした。
その “共食い ”こそが「第一次世界大戦」です。4年半にもおよぶ凄惨な大戦ののち、彼らは、その荒廃したヨーロッパの惨状を目の当たりにして愕然となります。 ――こんな悲惨な戦争をもう一度やったら、我々ヨーロッパは二度と立ち直れないほどの打撃を被ることになるぞ!
ところが、その反省も虚しく、彼らは第一次世界大戦が終わって(1918年)からわずか20年と経ずして、もう一度 “共食い”を始めてしまいます。しかも、第一次世界大戦など比較にならないほどの大規模で。
それこそが「第二次世界大戦」です。大戦後、二度目の興廃したヨーロッパを目の当たりにしたとき、彼らはみずからの蛮行に茫然自失します。
■最終的な目標形態はアメリカ、ヨーロッパ統合構想
そうした絶望感が蔓延する中、当時のフランス外相シューマン(1948~52年)がひとつの構想を提唱をします。 ――なぜ我々は “共食い ”を抑えることができないのか?
それは、偏在している地下資源をひとつの国が独占しようとしたり、相手国から奪おうとするからである。そうならないために、地下資源を加盟国間で共有化し、これを人口比別に均霑(均等分配)するような組織を作ろうではないか。そうすれば、二度とこんな “共食い ”は起きないだろう。
こうして1952年、まずは加盟国間の「石炭と鉄鋼」を共有する「ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)」が発足することになりました。
しかしながら、「時すでに遅し」。この二度にわたる大戦がヨーロッパに残した傷は深く、以後ヨーロッパは20世紀後半をかけてじわじわと衰えていくことになります。その衰勢たるや、目を覆わんがばかりで、主導権はアメリカに奪われ、ついこの間まで“たかが極東の貧乏小国”と小馬鹿にしていた日本にまで抜かれ、中国にも抜かれ、あれよあれよという間に、ヨーロッパは再び、17世紀以前のように “地球の辺境”へと戻っていく様相を呈してきます。
こうなれば、「弱者は群れることでその身を護る」もの。そこで、初めこそ「地下資源(石炭と鉄鋼)の共有」という理念から始まった共同体(ECSC)で したが、その適用範囲をどんどん拡張していき、EEC(欧州経済共同体)、EURATOM(欧州原子力共同体)と発展させ、やがてはこれらを統合して EC(欧州共同体)へと広げていきます。
のみならず、その共同範囲を経済活動に限定せず、外交や司法にまで範囲を拡げ、EUとして生まれ変わり、その加盟国もECSCの6カ国から始まって現在 28カ国まで増やして、ヨーロッパのほとんどの国が参加するまで成長させていきます。そこには「もはやヨーロッパに昔日の面影はなく、これからもヨーロッパが国際社会に発言権を保ち、米・日・中と肩を並べていくためには、連合して当たるしかない」という心理が働いています。
その最終的な目標形態は「アメリカ合衆国」。アメリカ合衆国が「国家(州)の連合体(United States)」であるように、ヨーロッパもこれを理想として、「ヨーロッパ合衆国」を目指して生き残りを図ったのです。
■“ヨーロッパ合衆国”の実態はぐらつく積木
しかし、アメリカが「合衆国」としてうまく運営できたのは、その全州に「我らアメリカ人」という国民意識が厳然としてあり、それが強力な“接着剤”となっていたからです。
たしかにアメリカの一つひとつの「州」を見れば、その独立意識はかなり強いものがありますが、その“接着剤”のおかげで、「外」に対しては「50州でひ とつ」として動くことができます。例えるなら、50のパーツの積木(州)で「城(国)」を組みあげるのに、「接着剤(国民意識)」で貼り付けながら組んであるようなものですから、パッと見、バラバラのパーツの寄せ集めのように見えながら、実は驚くほど強固なのです。
これとは対照的に、ヨーロッパ諸国には「我らヨーロッパ人」という統一的、強固な “国民意識”はありません。ただ、イギリス人、フランス人、ドイツ人、スペイン人、ポーランド人といった、各国バラバラの国民意識があるだけです。いわ ば、ヨーロッパ統合とは「アメリカ合衆国のように50(ヨーロッパに存在するすべての国の数)の積木で“ヨーロッパ合衆国”という城を築こうした」ような ものなのですが、致命的な違いは「接着剤(国民意識)を使っていない」という点です。
これはもう「致命的」といってよいものです。たとえ“接着剤”を使わずとも、一応は、積木(ヨーロッパ諸国)で城(EU)を築くことも可能でしょう。しかしそれは、一見立派に見えても、ホンの少し揺れたり、風が吹いたりしただけで、アッという間に揺らぎ、歪み、崩れ落ちてしまう程度のモロいものにすぎません。
今現在のEUの姿はまさにこの「ぐらつく積木」状態です。これでは「ヨーロッパ合衆国」など夢のまた夢、EUが崩壊するのは時間の問題だったと言えましょう。
■EU崩壊による国際的被害
どんな巨塔も、崩壊するときは一瞬です。ひとたび崩れはじめたが最後、その直前までの巨塔の偉容からは、想像もできないほどあっけなく崩壊していくもの です。「9.11」のときの「世界貿易センタービル」がそうであったように。そもそも世界貿易センタービルは、ジェット機が突っ込んだごときでは決して倒壊しないように設計されていたはずでした。
そうした観点から見たとき、こたびの「イギリスのEU離脱」が現実となったとき、それが「ボーイング767」となって、EUが一気に崩壊する可能性は否定できません。そうなったとき、巨塔の崩壊に巻き込まれて、周りの者も無事では済まないでしょう。
それはヨーロッパはもちろん、日本に、世界に、どのような影響を与えることになるのか。マスコミを見ておりますと、アナリストたちがいろいろ論じ、「世界恐慌が起こる!」など、さもすさまじい悪影響となって日本を襲うがごとく不安を煽り立てています。しかし筆者は、無傷では済まないでしょうが、騒ぐほどの被害はないと見ています。
■大禍の前は平穏
なんとなれば、嵐の前は静かであり、津波の前は潮が引くといいますが、物事「大禍の前は平穏」であるものだからです。たとえば、すこし前に「ウクライナ問題」が世界のニュースを駆け巡ったことがありました。あのとき、世界中のアナリストたちがこぞって警鐘を鳴らしていたものです。 ――このウクライナ問題が基軸となって、第三次世界大戦となる可能性が高い! しかしこうした喧噪の中、筆者はさまざまなところで広言していました。 ――これが第三次世界大戦に発展することはない!
事実、筆者の言ったとおりになりました。筆者は、国際政治学の専門家ではありません。にもかかわらず、なぜそう断言できたのでしょうか。それは、「世界中の専門家が警鐘を鳴らしていたから」です。
歴史をひも解くと、「大きな危機が訪れる直前」というのは、自分たちが「危機の直前にいる」ことを誰ひとり気づいていないものです。たとえば、あの第一次世界大戦が起こる直前、いえ、勃発したあとであっても、この戦争が「人類史上初の総力戦」となって、歴史に刻まれるような大戦になろうなどと予想していた者は、誰もいませんでした。
また、この大戦終結の10年後(1929年)にやってきた「世界大恐慌」にしてもそうです。この「世界大恐慌」の到来を予測できた人など、世界でも本当に指で折って数えるほどの人たちだけで、後は株価の狂乱に酔っている者たちばかりでした。
時の合衆国大統領ハーバート・フーヴァーなど、大恐慌が直前まで迫った半年前、「我が合衆国の繁栄は永遠につづくであろう!」とぶち上げていましたし、 実際に大恐慌が起こった後も、それが大恐慌と認識することすらできず、「ただ風邪を引いただけだ!」とうそぶき、経済無策をつづけ、傷を深めていったものです。
そして、さらにその10年後(1939年)に起こった「第二次世界大戦」にしてもそうです。現在では、「1939年9月1日、ヒトラーによるポーランド進撃をもって、第二次世界大戦の勃発!」と見なしますが、実はこの時点では、英仏はもちろん、ポーランドに電撃戦をかけたヒトラー本人ですら、これが「世 界大戦」になるなどと露ほどにも思っていませんでした。
ヒトラーは、ポーランド進撃の完了をもって、そのまま戦争は終息すると考えていたのです。
■専門家に予測できる破局は起こらない
このように、大破局というものは「誰もそれを予測していない」ときに起こるものであって、アナリストたちが「危ない!」「危ない!」と大合唱していると きには起きないものなのです。なんとなれば、誰も予測していないときというのは、それが起こらないようにする対策もまた為されないからです。ストッパーが なければ、岩はどこまでも坂道を転げ落ちていくだけです。
逆に、専門家たちが、「起こるぞ!」「起こるぞ!」と警鐘が鳴らしているときというのは、危機感にあおられて政治家や経済人たちが立ち上がり、破局に至らないように死に物狂いで東奔西走して対策に当たるため、破局は起こらないか、起こっても最小限の被害で済むものなのです。
つまり…… 今回、イギリスの離脱が本当に国民投票の通りに実現するかどうかは、まだ現時点では未知数です。しかしながら、たとえ今回イギリスが国民投票の結果を無視して離脱しなかったとしても、すでに見てまいりましたように、EUには根本的にして致命的な欠陥があるため、未来はありません。今回のことがウヤムヤになったとしても、遠からずEUは崩壊することになるでしょう。
しかし、その日本への影響はアナリストたちがあおるような大禍とはならないと筆者は予測しています。彼らの予測はあくまで「何ひとつ対策を取らなければ最悪の事態はこうなる」ということであって、警鐘が鳴らされていれば、人は対策を練ります。従って、必要以上に不安がる必要はないでしょう。
*神野正史 予備校世界史トップ講師、世界史ドットコム主宰 歴史エヴァンジェリスト。「スキンヘッド、サングラス、口髭」の風貌に、「黒スーツ、黒Yシャツ、金ネクタイ」という出で立ちで、「神野オリジナル扇 子」を振るいながら講義をする。誰にでもわかるように立体的に、世界の歴史を視覚化させる真摯な講義は、毎年受講生から絶賛と感動を巻き起こし、とてつも ない支持率。近年はテレビや講演会でも活躍。著書の『世界史劇場』(ベレ出版)はシリーズで大人気。『最強の成功哲学書 世界史』(ダイヤモンド社)、最新刊『戦争と革命の世界史』(大和書房)も好評発売中。
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