世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●21世紀型”無抵抗の抵抗” 政府がその気なら、意趣返しだ!

2016年06月18日 | 日記
森達也・青木理の反メディア論
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●21世紀型”無抵抗の抵抗” 政府がその気なら、意趣返しだ!

安倍政権が、伸び悩む個人消費に苛立っている。唯一の表看板、「円安株高」も、今や昔。15年の4月に、2万868円まで上昇、3万円超え確実などと囃し立てられたが、今では、1万5千円台死守で、政府日銀は血眼になっている。経済の“け”の字に当たる個人消費が伸び悩むだけなら、まだ打つ手は幾分あるだろうが、肝心のこの消費が、日ごと縮小しているのだ。そのような状況に苛立っている麻生財務相は、八つ当たり紛れに「いつまで生きるつもりなんだ!」と90歳老人を罵倒していた(笑)。


≪ 「いつまで生きるつもり」 麻生氏発言、北海道の集会で
 麻生太郎副総理兼財務相は17日、北海道小樽市で開かれた自民党の集会で「90になって老後が心配とか訳のわからないことを言っている人がテレビ に出ていたけど、いつまで生きているつもりだよと思いながら見ていた」と述べた。消費拡大が経済の浮揚につながるとの文脈での発言だが、高齢者の侮蔑とも 受け止められかねず、論議を呼ぶ可能性がある。
 麻生氏は国内で1700兆円を超す個人金融資産があるとして「みんながじーっとしているのが、今最大の問題だ」と指摘。「あったらその金は使わなきゃ、何の意味もない。さらにためてどうするんです」などと話した後、この発言をした。 ≫(東京新聞・共同)

 
麻生の気持ちは判らないでもない。理屈の上では、その通りだ。90歳から100歳に向かい、どれだけの飽食が出来ると云うのか!愛人を抱えるのも容易ではないだろう?だったら、何かに使えよ!近所となりのカアチャンやガキ集めて、大盤振る舞いして、この世の憂さをサッパリさせたらどんなもんだ。身体が動くなら、夜な夜な紀伊国屋文左衛門気取りで、世のため人のために、銭バラ撒いてくれよ!と、お国の大蔵大臣(今は財務大臣)が泣きを入れている。

しかし、麻生は重大な勘違いをしている。いや、安倍政権の政治家すべてが勘違いしている。考えてみよ、ファシズム的政権運営をしている警察国家的内調が警察やマスコミまで動員して、反政府分子を探し、監視体制に入っている「空気」を、常軌を逸していない国民であれば、誰もが感じている。積極的に抵抗してはいけない。この際は“面従腹背”が唯一の選択だ。声を出して、不満を言ってはいけない。ただ、そうですね、変ですねと言いつつ、その国の望みと逆のことをしていれば、いずれは、強権政治も終わりを告げる。それまでは、意地でも、自己裁量権が及ぶ「個人消費」の面だけでも抵抗してやろう。そう思うのは、経済理論からも、情緒的にも賢明な選択だ(笑)。

護送船団方式で、高度経済成長だと太鼓を叩き、地方の次男、三男を「集団就職」で、構造的な召集命令出し、地方の共同体を破壊して、都会に「核家族」を意図的に構築したのは、誰あろう、日本政府だ。しかし、日欧米諸国の先進諸国の実物経済はどん詰まりに至り、金融経済とグローバル経済を、最後の砦として一般ピープルを制御しようとした。しかし、カスミのような富(マネー)は生まれるが、こいつは直に口に入れても、味もそっけもない。トドノツマリニ、介護は家族でと言い出す。家族をバラバラにして、家族と言えない家族構成を知っていながら、老々介護せよ!手当は引き下げる、負担は増やすぞ!

このような政府の悪魔的棄民策には、意図的に裏声で国歌斉唱したくなるのが世の常だ。頼れるものは、身近のわずかの人情と、それを支える富が、高齢者にとって唯一の拠りどころなのだ。誰が、棄民策を鬼の首を取ったようにひけらかすドアホな安倍を歓ばすことが出来ると云うのだ。のたうち回れ、気が狂ってしまえ。意地でも、銭は使わん!最後の抵抗は、こうした現代の「無抵抗の抵抗」と云う構図を生む。お国の為に戦争に行き、命からがら帰国すれば、多くの友は戦死し、挙句に、追い立てられるように東京に出稼ぎに行き、仕事が減ったからクビだ。

死んでも、国が儲かるような行動をしてはイカン!厳に戒めよ!目に見える抵抗は危険だ。兎に角、安いものをとことん追求する。ギリギリ、命が保てる程度の食物だけで良い。安い服でも買うのはやめよう。穴があいたら、尻当パッドで乗り切ろう。大正昭和生まれには生きる知恵がある。今の政権の経済政策が続く限り、我慢くらべだ。財布の紐は、滅多なことでは開かない。冥途に一緒に持って行く気で踏ん張るしかない。これが21世紀の「無抵抗の抵抗」だ。口惜しかったら、デフォルトでもなんでも好きにやってくれ!爺婆と馬鹿におしでないよ。私らには、お前たちの弱味は判っているのだから。

上述のように、筆者には、現在の高齢者の人々の気持ちが分析できる。ご都合主義で、国民をちやほやし、御霊は靖国?冗談じゃない。“死んで花実が咲くものか”チャンチャラ可笑しいわけである。筆者自身は高齢者予備軍だが、最近面白い現象に気づいた。高配当の株式は、それなりに所持しているが、先刻承知の通り、換金すれば大損になるのだが、“果報は寝て待て”の配当性向は日々改善の方向にあるので、資産に対する利潤率はうなぎ上りなのだ。自社株買いも盛んなので、配当性向は明るい未来が拓けている。つまり、資産が資産を生み、欲しいとも言っていないのに、メカニズムが、富が富を連れてくる。1%対99%の戦いとは、こういう現象の大きいヤツなのだろう。

これでは、エンゲル係数族は、“働けど働けど、我が暮らし楽にならず、じっと手を見る”ことにしかならない。つまり、現役世代が最も苦境に陥る。サイレントな「無抵抗の抵抗」を選択できるレベルにすら達しないわけだから、これは「目に見える抵抗」を選択すべきなのだが、その「空気」が感じられない。サイレンとな抵抗も出来ないのなら、せめて、左翼にでも投票する行動を起こせば、幾ばくか変るのだが、この層に属する人々の多くは、投票したことがないとか、それに近い状況に身を置いている。そして、思考を停止し、いま現在が何となく愉しければ、それで良いか、となっている。これといった解決の糸口が見えない。暗い世の中だね。欧米経済国家が、ヤケクソで「戦時経済」に走らないことを祈っておこう。

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