世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安倍はネトウヨそのもの 誰が日本を食潰しているのか

2014年12月06日 | 日記
善の根拠 (講談社現代新書)
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●安倍はネトウヨそのもの 誰が日本を食潰しているのか

 わが国の内閣総理大臣・安倍晋三が、意図して現在のような悪政を行っていると思い込むことは、一般庶民にとって、重大なミスジャッジを招き入れることになるだろう。安倍の歴史認識の誤謬や全体主義的嗜好に目を奪われ、彼を魔女のように扱っても、感情の一部が満足するだけで、そこですべてが完結してしまい、溜飲を下げるだけである。

 一時の感情で、安倍を蔑んでも、正直世の中は変わらないのだと思う。彼が象徴的に、国家の劣化を体現化しているのは事実だが、彼の一挙手一投足に目を奪われている間に、トンデモナイ悪魔を野放しにする危険があると云う事を改めて認識しておく必要があるのだと思う。結論から先に言ってしまえば、国民自体に、その遠因を見出すのだから話は複雑だ。

 デモクラシーと云う制度には、おそらく、その制度を勝ち取る、人民の人民による闘争が必要だったと云う歴史的事実がある。しかし、我が国は、人民の手で、その制度を入手するための闘争を経ていない歴史を持つ。負け戦で、天から舞い降りてきた政治体制(デモクラシー)を入手したので、その価値に対する畏敬の念も、継続的に維持しようとする、内から湧き出るバーチューも存在しない。

 このような国では、その場その場のご都合主義が合理性のように思い込まれ、連続的思考と云う歴史の韻を踏んだ思考経路に至らないことが多いのだ。山本七平の言うところの「空気」による支配に隷属するのである。原点に戻りたくても、そもそも原点がないので、戻りようがない。正直なところ、このような国のシステムとか、国民に、方向性を間違わないようにしなさいと語ったところで、ほとんど意味をなさないだろう。

 ほとんど投げやりな気分になるところだが、もう少しだけ頑張って考えてみてみよう。結局、人々(ここでは大企業なども含む概念)の望みは、自己利益の最大化であり、国家は再配分を、何処に齎すのが有効か考える。再配分先を何処にするか考えるのは、政治家と云うよりも、官僚達である。つまり、霞が関の各省庁が、その配分先を考えている。無論、若干政治家の顔を立てる程度の匙加減は行うが、根本的に、法律を作成する彼らの頭脳がイメージする構想から逸脱することはない。

 国家を憂いてとか、国家の将来像に向かって、道を誤らずに法案を作成しているのであれば、重大な過ちに陥ることはない。好みは別にして、納得は行くものになる。しかし、その官僚組織の頭脳がイメージする構想が、官僚にとっての私利私欲に支配されていたら、トンデモナイ法律が次々と生み出されるのは自明である。彼らの頭脳は、テクノクラートとして優秀なのだから、使い道はある。彼らに私利私欲に惑わされない組織の性格を持たせることが肝要なのだと思う。

 彼らも、実は組織の権益の防衛と自らの老後が心配なのだ。無論、普通の生活を維持する心配ではなく、贅沢な老後を送れる為の布石を打つわけだ。彼らの打つ手を見ていると、風が吹けば桶屋が儲かるような論法で、私利私欲を画策するので、犯罪を立件させることは、ほぼ不可能で、やりたい放題になる。ただ、彼らが得る益は些少なもので、大半は、その官僚の私利私欲に群がる企業や団体が益を得る仕組みになっている、つまり、官僚らの些少の益出しの為に、国家は莫大な予算を計上すると云う、前代未聞の茶番劇が繰り返されるのである。

 この仕組みを根こそぎ変えてしまおうと画策したのが、実は小沢一郎であり、鳩山由紀夫だった。少なくとも、彼らには、その意図はあった。ゆえに、霞が関全体を敵に回して、孤軍奮闘したわけだが、やはり簡単に首を垂れる組織ではなかった。権力の座に就いた彼らを追い落とすために、霞が関は、最強のコンビ、国税組織と検察組織を動員した。国体の汚染度が酷くなることを厭わずに、国税と司法を動員したのである。マスメディアにプロパガンダ報道させることで、国家的「空気」をもつくり上げて、二人の追い落しに奔走したのだ。

 小沢一郎にせよ、鳩山由紀夫にせよ、後世において、日本の国体を一旦は検証し直そうと挑戦した政治家がいたと云う評価は得るだろうが、この二人の存在が、皮肉にも、官僚組織を中心とする明治維新以降続いてきた既得権益勢力全体に活を入れる結果になった。ウッカリすると、ああ云う政治家が出てくる危険があると判った以上、もう二度と、我々既存勢力の地位を脅かすような政治家が出てこないよう、そう云う政党が生まれてこないように、あらゆる手段を講じておくべきと云う強い決意が生まれたのだろう。

 そこに、菅直人、野田佳彦と云う軽薄なカモ政治家が現れたが、あれは僥倖であり、そうそう幸運が続く筈もない。もっと、低能児に近い政治家を神輿に乗せておく必要がある。官僚組織にとって、それは「国是」に近いわけで、そこに飛んで火にいる夏の虫の如く、安倍晋三と云う政治家が現れた。この神輿は、官僚たちにとって最高品質の神輿であった。簡単には手放すわけにはいかないと云う決意が、現状を物語る。以下の沖縄タイムスの嘆きと憤怒の記事も、そのような流れの中にあるのだろう。どうすれば、この悪しき連鎖を断ち切れるのか、残念ながら、現時点では判らない。


≪【電子号外】仲井真知事が2件承認 辺野古工事変更 退任4日前
  名護市辺野古の新基地建設に向けた埋め立て工事の変更申請で、仲井真弘多知事は5日午後、「工事用の仮設道路(3本、計2800メートル)の追加」と「辺 野古崎南側の中仕切護岸の追加」の2件を承認した。仲井真氏の任期は9日までで、退任4日前に、工事の進捗(しんちょく)に影響を与える重要な判断を下し た。
 11月16日投開票の知事選で、仲井真氏に約10万票の大差で当選した翁長雄志氏は、繰り返し「沖縄の将来のためにも、10日就任の次期知事に判断を委 ねてほしい」と求めてきた。翁長氏を支持する政党や団体は4日に約2千人で県庁を包囲し、「知事選で辺野古ノーの民意は示された」と、判断の先送りを訴え た。反発はさらに強まっている。
 変更申請3件の審査を担当する県土木建築部は同日、審査の終わった2件の結果を文書にまとめ、関係部長や副知事の決裁を得た。午後2時過ぎから那覇市与儀の知事公舎に集まり、仲井真氏に報告。最終的に仲井真氏が署名し、承認することを決めた。
 残る1件の辺野古ダム周辺の「土砂運搬方法の変更」は、審査が終わっていない。同時に提出した申請で、一部を先行させるのは県の審査では初めて。
 仲井真氏は2010年の知事選で普天間の「県外移設」を訴えて、2度目の当選を果たした。その後「辺野古移設は事実上不可能」などと実現性を困難視した が、昨年12月に移設へつながる辺野古沿岸の埋め立てを承認。先月の知事選に出馬し、落選した。変更申請については事務手続きの一つととらえ、「任期中に 承認できるものは承認したい」と周囲に伝えていた。 ≫(沖縄タイムス)

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)
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