我家の小さな庭には、大きな<びわの木>があります。
どこかの地方では、<あまり縁起が良くない木>と言われていて、普通の家では植えないというとこもあると聞いていますが、家ではわざわざ無農薬のびわの種を植えて、大きくしました。
私には、昔、若くして乳がんで亡くなってしまった親友がおりました。
彼女が生きていたら、今頃はきっと、脱原発の運動を共に過激にやっていると思います。
その友が、治療に<びわの葉>を必要としていたのです。
その頃は我家にびわの木は無く、あたりに生えている木を探して、葉っぱをとっていました。
しかし、ざんねんながら、彼女は亡くなってしまった。
そして、私は、もし誰かがびわの葉を必要とした時に、大量に分けて差し上げられるように、我家に植えたのです。
もちろん、うちの子供たちや私もお世話になっていますが、アトピーのお子さんや、ガンの痛みに使ってもらったりしました。
「そんな、効くわけないでしょ!」と、おっしゃる方は、それで結構なんですが、昔々から伝わっている民間療法は、それなりに伝わり続ける理由があるのだとおもいます。
いまは便利な抗生物質があり、塗ったり飲んだり簡単に摂取するのが常識になっていますが、人間の体に寄り添うように作用して、個々人の免疫力を高めながら、健康な状態にもどしていくという、緩慢であるが無理の無い療法を、覚えていても良いでしょうね。
今、原発に対する意見が様々あって、日本の経済を維持していくには、原子力発電が必要なんだという人がいます。今の自然エネルギーでは不足するんだと。
今すぐ原発を自然エネルギーに全て変えろ、なんて言っている人、聞いたことがありません、私。それが出来れば一番だけど、そうすぐには無理。
でも、その方向をとろうと決めようよ。ということですよね。
「そんな、自然エネルギーなんて不安定このうえないんだぞ!」と言って、「だから原発」という単純な二者択一の論理ではなくて、できれば人間の生活に、無理なく寄り添ってくれるような、健康なエネルギーの安定的供給の開発を行なってもらいたいと、私は思うよ。(私自身は能力的に無理ですが)
もちろん、びわの葉も、自然エネルギーも万能じゃない。ていうか、万能なものなんて無いから、人は力を合わせて前進していくんだと思う。