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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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橋下と安倍の類似性

2019年11月20日 18時44分44秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
なるほど安倍や親父のキャラはよく分かった。しかし、維新の橋下や松井、吉村も何故、安倍や親父と同じだと批判するのか?簡単に説明する。(今度は前回とは違い、すっきりまとめる事が出来た。我ながら分かりやすく説明できたと思うw)

橋下徹は、被差別に生まれたが、頑張って進学校から一流国立大学に進学し、弁護士になった。その努力は買う。しかし、弁護士といっても弱者の人権を守るのではなく、サラ金の顧問弁護士として、多重債務者を追い詰めるのを生業(なりわい)とするようになってしまった。「野望実現こそが政治家の仕事だ」と当時の自著の中でも書いている。そして松井一郎たちと一緒になって、大阪府知事や大阪市長に当選した。
 
橋下や松井、吉村など維新の会の政治家の主張は、公務員削減と民営化だ。安倍も同じ考え方に立っている。「規制緩和で企業活動の自由をもっと認めよ」という主張だ。この主張の事を「新自由主義」という。「新自由主義」と言うと、「国民の自由や人権をもっと拡充しよう」と、プラスイメージで捉える人がいるかも知れない。ところが実際は違う。新自由主義の推進する自由とは、あくまで「企業活動の自由」に過ぎない。「金儲けの自由」だけだ。言論の自由、組合結成の自由や、国民・労働者の権利なぞは、むしろ抑えようとする。安倍自民や橋下維新が、規制緩和を推進しながら、政治的には憲法改正、軍備拡充、国家主義に走るのはその為だ。

社会のIT化やグローバル化(経済の国際化)で、世界を股にかけた企業活動が広がるにつれ、企業は先進国の労働運動や、開発途上国の民族解放運動を、疎ましく思うようになる。そこで、TPPやFTAなどの貿易協定をテコに、各国の労働運動や環境保護運動を抑え込もうとする。例えば、ある国が狂牛病牛肉の輸入を規制しようとしたとする。今ではそれで各国の国民生活を守る事が出来るが、TPPやFTAに加盟、批准してしまったら、それに抵抗できなくなってしまう。TPPやFTAの基準は、あくまで企業活動の保護にあるからだ(詳しくはISD条項を参照)。狂牛病牛肉の輸入を規制しようとした国は、輸出国の国や企業から損害賠償を求められる事になる。おまけに、一旦基準が決められたら、それを見直す事も出来なくなってしまうのだ(同じくラチェット条項を参照)。

これでは国民生活は守れない。しかし、企業の金儲けしか眼中にない安倍や橋下は、日本の自動車産業が米国に自動車を輸出できるようになりさえすれば、それで良いと思っている。その代わりに、安かろう悪かろうで、狂牛病牛肉や遺伝子組み換え作物が輸入され、国内農業が壊滅し、食料自給率が低下しても構わないと思っている。国内の農地や山林が荒廃して、自然災害が多発するようになっても構わないと思っている。

今、日本で自然災害が多発しているだろう。それは地球温暖化による台風の巨大化だけが原因ではない。行き過ぎた市町村合併や公務員リストラで、地方の自治体が災害に対応できなくなってしまったからだ。地方に行けば、市町村の範囲が想像以上に広まってしまっているのが分かる。今や静岡市の範囲は南アルプスの麓まで広がってしまった。和歌山県田辺市の範囲も、山向こうの熊野本宮のあたりにまで広まってしまった。過疎化による人口減少で、そこまで市町村合併しなければ、自治体を維持できなくなってしまったからだ。

何でも公務員を減らせば良いと言うものではない。国会議員の数も何でも減らせば良いと言うものではない。余り減らしすぎると、災害に対応できなくなるし、国民の声も政治に反映されなくなってしまう。ところが、新自由主義者の考え方は、儲かれば良いと言うだけだ。民間で出来る事は民間で。公務員なんて、労働運動や住民運動を弾圧する為の警察と自衛隊さえあれば良い。企業活動の自由を邪魔する労働基準法も、出来れば無い方が良いと、ますます骨抜きに。福祉産業も金儲けの道具に。国民の生存権なぞ知ったこっちゃない。

だから維新は大阪市を解体して、大阪市の財源は全て大阪府に吸収し、大阪市内の区役所も4つ程度に削減し、全てカジノ開発に回そうとするのだ。大阪都なんて出来ない。今の大阪市の住之江区や大正区、西淀川区が大阪府湾岸区に変わるだけだ。幾ら区議会が設置されるようになっても、財源が無ければ何も出来ない。
 
こんな物で住民生活が守れる訳ないだろう。市民自治が広がる訳ないだろう。住民にとっては踏んだり蹴ったりだ。だから、安倍自民は橋下維新と一緒になって大阪都構想を推進しようとしても、地元の自民党大阪市議や府議はそれに抵抗しようとするのだ。元・大阪府議の柳本あきらのように。でも、所詮は自民党なので、いつかは折れる。それが、この前の自民党大阪府連新会長による大阪都構想容認発言だ。
 
 

勿論、安倍自民と橋下維新の間にも細かな違いはある。安倍自民は右翼の権威主義。「ブラック企業の命令にも黙って従え、消費税増税や年金削減にも我慢しろ」という考え方だ。しかし、橋下はそこまで右翼的ではない。余り国家統制を強め過ぎると、企業活動にも差し障りが出るからだ。「ブラック企業なんて辞めちまって、株トレードや個人年金で食っていけば良いやん」。それが橋下の考え方だ。

一見、両者は異なるようで、社会的弱者の人権なんて一顧だにしない点では、両者は全く同じだ。どちらも弱肉強食の拝金資本主義に過ぎないのだから。私はそのどちらでもない。労働基準監督官の活躍を描いた「ダンダリン」というドラマの中で、主人公の女性監督官がブラック企業の社員に奮起を促す場面がある。「ブラック企業の言いなりになる」のでもなく、「尻尾を巻いて辞める」のでもなく、「ブラック企業を中から変えていかなければならない」と。誰でも普通に働けば普通の生活が送れるようにする。そうすればブラック企業や個人年金、株トレードになんか頼らなくても良くなる。それは「のんべんだらり」なんかとは違う。それこそが人権尊重の考え方だ。それを実現するのが政治家の仕事だろう。
コメント (3)
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親父と安倍の類似性

2019年11月20日 08時36分59秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
前回の「桜を見る会」関連記事に対して、ある方から次のような感想をいただいた。

「なるほど安倍さんのキャラはよく分かった。世襲政治家二世の典型で世間知らずのボンボン。お友達優遇で身内意識丸出し。特権階級特有の上から目線。臭い物に蓋の秘密主義、時代遅れの忠君愛国、軍国主義思想。我が身可愛さの保身第一。等々…。しかし、それと貴方の親父キャラのどこが共通しているのか?イマイチ分かりづらい。アカ(共産党、左翼)嫌いな所や、個人の幸福よりも親のメンツを優先しようとする婚活対応からも、何となく安倍キャラに通じる部分がある事は分かるが、それだけではまだイマイチ説明不足だ…」と。

毒親(子どもの生育を捻じ曲げる自己中心的な親)育ちの苦しみは当事者にしか分からない。普通の家庭に育った人には、毒親がどんなキャラなのか、いくら説明しても分からないからだ。だから、説明すればする程、「何もそこまで親に辛く当たる事ないじゃないか」と言われるようになる。そして当事者も、「私は親に対して余りにも冷淡過ぎるのではないか」と悩むようになる。今まで散々、毒親に苦しめられ、毒親に洗脳され続けて来たにも関わらず。

そこで、恥を忍んで、もう少し詳しく書き連ねてみたら、予想以上に長文になってしまった。既にブログに書いた事と重複する部分も少なくない。いずれも「まとめ記事」という事でお許しいただきたい。断っておくが、私も、何も好き好んでこんな事を書きたい訳ではない。出来るなら、私も、こんな生育歴の影の部分は書きたくない。でも、書かなければ、何故、毒親の被害者がこれだけ苦しんでいるのか、世間の人は理解出来ない。これでは被害者は永遠に救われないし、問題も解決しない。

(1) 親父とお袋はともに昭和初期に生まれ、戦後間もなく結婚し、兄、私、妹の3人の子どもを産んだ。私は次男坊だ。幼い頃は親父似と言う事で、割と可愛がられたらしい。ところが、小学5年生位の時に、どういう経緯でそうなったのか詳しい事は忘れたが、疲れてベッドで寝ていた私に、親父が余りしつこく絡むので、「うるさいな、漁師の子」と言ったら、思いっきり親父にどつかれた(親父は大阪府南部の漁師の出だが、頭が良かったので大学に進学し、大阪府庁の公務員になれた)。それ以来、親父から「学校の勉強見てやる」と言われ、宿題を見てくれたのは良いが、上手く問題が解けないと、直ぐに定規で叩かれた。

(2) 高校に入り、問題研究会に入部したら、暗に退部を強要された。部活動について何も知らない癖に。そして、私の留守中に、部員から電話がかかって来ても、全然取り次いでくれなかった。まるで、親なら子どもの思想信条の自由や人格権なぞ踏みにじっても構わないと思っているようだった。

(3) 私が大学生の頃のある日、大学から帰ったら、自宅に共産党機関紙の「赤旗」が配達されていた。多分、府庁の共産党員に勧められて、断り切れずに購読するようになったのだろう。そこで、私が物珍しさに、それを読もうとしたら、いきなり「読むな!」と言われ、私に読まさないように母親にも命令していた。そして「何だ、こんなモノ!」と言って、「赤旗」の領収書をグチャグチャに丸めて屑かごに捨てた。「そんなに嫌なら最初から購読しなければ良いのに」「自分で購読しておきながら、大学生にもなった息子に、家にある新聞も自由に読ませないとは、なんて器の小さな親なのか」と、呆れて物も言えなかったのを覚えている。

(4) 大学時代に、私の出身中学でイジメ自殺事件が発覚。事件をもみ消そうとする管理職に対し、教職員組合の人達が真相究明を訴えるビラを市内に配布。私の自宅にもビラが入る。そのビラに対して、親父はいきなり教組の人達をトラブルメーカーと罵倒。それを諌めた私が「民主教育」と言う言葉を口にした途端に、親父は烈火の如く怒り出す。これを見て、親父はとにかく「民主」とか「人権」と言う言葉が嫌いなんだなと、つくづく思うようになった。

(5) 大学では史学地理学科に在籍。地元の公害問題や地域開発の問題を卒業論文で取り上げた時に、府庁に勤めている親父に参考文献について聞こうとしたら、論文の内容についても一々口を挟むようになった。そして、どんな本を読んでいるか、私がトイレに行っている隙に、こっそり覗き見するようになった。

(6) 大学卒業後、親父の勧めで私立高校の常勤講師になったものの、有期雇用の不安定な身分に、給与未払い疑惑や、封建的な学校風土に嫌気が差して、一年後には自分の意思で生協に転職。共産党系の生協なので、親父は快く思っていなかったようだが。しかし、もう既に研修も終え、これから新しい仕事を一から覚えていかなければならない時期なのに、親父と来たら、まだ教職に未練たっぷりで、私に再度、教員採用試験を受けるように、しかも私には直接言わずに母親に命令。「形だけでも受験してくれ」と母親に泣き付かれ、仕方なく形だけ受験し、わざと間違った解答を筆記試験の答案に書いて提出。

それから約20年近く勤めた生協も、入協当時にはあった民主的な雰囲気は次第になくなり、次第に大手スーパーのような競争至上主義の職場に。その癖、労働者には都合の良い時だけ、「生協は消費者運動だから」と、サービス残業を強要する様になり、民主的とはお世辞にも言えないブラック生協に。人手不足の中で、早朝から深夜まで続く勤務に、生命の危機を感じて生協を退職。以後「もう社畜には絶対に成り下がらない」と、敢えて正社員としての転職は拒否。

生協退職した2001年頃はまだ就職氷河期で、ハローワークもパソコンや介護士資格取得の集団研修を実施。私もこれを機にパソコンを基礎から学び直そうと約半年間、雇用保険給付でパソコンの学校に通う。これが下地となって、今のブロガーとしての私がある。確かに正社員への転職には結びつかなかったが、それ以上に、ブログを通して発信力や表現力を身に付ける事が出来た。自己表現が出来るようになった事は、ある意味、転職成功以上に素晴らしい事だと思う。

やがて、非正規雇用労働者として、ブラック企業や派遣切りの実態を知る事になる。チラシ撒きのバイトで労基法に基づき1時間昼休みを取ったら「休憩は15分間のみ。パンかじりながらチラシ撒け!」と怒鳴られたり、ある日出勤したらいきなり勤務先が廃業していたり。パワハラにも遭った。その中で、それに対抗する術も身に付けるようになる。バイト組合のない職場でも、1人からでも入れる労働組合に加入し、非常勤組合役員のオバちゃんとたった2人で、4人の経営幹部相手に団体交渉した事も。

気が付けば、幼い頃は虐められっ子で、常に他人の目を気にして、息をひそめるように生活していた高校時代までの私が、すっかり物怖じしない性格に変わっていた。思えば、社会変革を目指して一時は共産党に入党し、生協に入り、退職後に再び組合に加入した時も、最後は共産党や生協、組合頼みだった。「自分はどうするか」という当事者としての視点は弱かった。しかし、たった2人で会社の経営幹部4人と団交で対峙した事をきっかけに、当事者としての意識が徐々に芽生えてきたように思う。それが次第に仕事でも実を結ぶ様になり、業務改善で表彰され、社員を差し置いてベトナム人教育係に抜擢される等、会社でも一目置かれる存在に。
 
やがて月日は流れる。兄と妹は結婚して実家を出て、お袋も数年前に亡くなった。親父も府庁を定年退職、再就職先の親戚の工場も数年前に退職。こうして実家には私と親父だけが残される事になった。その中で、私が大人になってからは鳴りを潜めていた親父の干渉癖が、再び私に向けられるようになる。

(7) 私が社内で運搬作業をしていた時に、うっかり台車を前方の作業者の足に当ててしまい、そいつから損害賠償を吹っかけられた事があった。たまたま内装工事の最中で、作業場の見通しが悪かった為に、前方がよく見えなかったのだ。ところが、会社は安全管理の手落ちを棚に上げ、労災隠しの為に、そいつの恫喝に見て見ぬふり。そいつとの示談を進めてきた。私は示談なぞには与(くみ)せず、組合の尽力もあり労災認定を勝ち取る事ができた。しかし、親父は私に暗に泣き寝入りする事を強要して来たのだ。「闘うとか言わずにもっと穏便に済ませろ」と言う形で。これでは完全に会社の回し者ではないか。

(8) その癖、私が独身で非正規雇用である事をあげつらい、「のんべんだらりと生きてきた」と誹謗中傷ざんまい。私が独身で非正規雇用である事は、別に自己責任でも何でもないのに。また、別に独身で非正規雇用だからと言って、それでひがんだりせずに、精一杯頑張っているに。むしろ、のんべんだらりと生きていたら到底出来ない経験も積み、それなりに満足の行く人生を歩んでいると言うのに。それで「非正規労働者を差別するな」と批判したら、「ワシは何も差別していない」と居直り。
 
(9) その他にも、親父の言う事がもう支離滅裂。「私はもう歳だ。お前を養っていく事が出来ない。お前も、もう実家を出て、どこかで自活してくれ」と親父。私は「自分は非正規雇用ながらも、ちゃんと働いて自活しているのに、何を言っているのか?」と思いながらも、親父の言う通り、賃貸物件を見つけて近日中に実家を出ると親父に報告。そうしたら親父は何と言ったか?「何も今すぐ出て行く事はないやないか。出て行くなら何故もっと早く若い頃に出て行かなかったのか?」と。
 
アホか。自分から「自活しろ」と言っておきながら、いざ自活しようとしたら「何故今頃出て行くのか?出て行くなら何故もっと早くに出て行かなかったのか?」だと?出て行って欲しいのか、欲しくないのか、一体どっちなんだ?お陰で、私は親父の気まぐれに散々振り回された挙句、不動産屋や住所変更手続きを済ませた会社の総務担当者に詫びる羽目になってしまった。

(10)業務改善で社内表彰された事についても、別に自慢するつもりはなかった。しかし、余りにも度々「のんべんだらり」と誹謗中傷するので、その反証の一つにこれを上げた。すると親父は何と抜かしたか。「お前は、その歳になっても、たったそれだけしか自慢するネタが無いのか!」と抜かしやがった。どこの世界に、子どもの成長を喜ばない親がいる。普段テストで0点しか取れない子どもでも、頑張って勉強して70点取れたら、それがどんなに簡単な問題でも、どんなに滅多にない事であっても、素直に喜ぶのが普通の親ではないのか?それがいきなり「たったそれだけしか自慢できるネタは無いのか」だと?これは何も子どもだけに限った話ではない。例えば部下が上司からこんな扱いされたらどうなる?たちまち人権問題になるだろう。

これについては、親父は後に次の様に言い訳している。「たったそれだけしか自慢するネタがないのか?と言ったのは、お前が有頂天になるのを諫める為だった。のんべんだらりと言ったのも、別に私や非正規労働者を差別したのではなく、年相応に生きろと言う事を言いたかっただけだ。20歳の時は20歳なりに、60歳になったら60歳なりに年相応に」と。
 
有頂天になっていたのは親父のほうじゃないか。余りにも誹謗中傷が過ぎるので、やむなく反論したら、まるで勝ち誇ったかのように喚き散らしていた癖に。「年相応」についても、「20歳の時は若気の至りで、理想に燃えて組合活動にのめり込んでも良いが、年取ったら丸くなれ」という形で、労災隠しに逃げた会社幹部のように「長い物に巻かれろ」と言っているだけではないか。

「差別なぞしていない」と言いながら、思いっきり差別してるじゃないか。教師や公務員だけがまともな職業で、共産党員や生協職員、非正規雇用の労働者なぞは、まるで破壊分子かルンペンみたいに言い募って。これが職業差別で無かったら一体何なんだ?思想差別で無かったら何なんだ?安倍の選挙中における「こんな人達に負ける訳には行かない」という街頭演説の発言と、全く同じではないか!
 
(11)やがて私は親父と衝突し、実家を出る事になる。そのきっかけになったのは2度の婚活騒動だ。1度目は早朝の出勤前の事だ。身支度をと整えようと2階の居室から1階の洗面所に降りてきたら、親父が横の応接間に座っていた。私が親父に「今日は早いな」と声を掛けたら、親父はそれには答えず、いきなり「××(近所の目の不自由な女性整体師)さんと結婚したらどうか?」と言ってきたのだ。私がその女性とは何の面識もないにも関わらず。いぶかしく思った私が「何故いきなりそんな事を言い出すのか?」尋ねたら、親父は「あほう、お前、もう歳いくつになると思っているんだ!」と、烈火の如く怒り出したのだ。
 
怒りたいのはこちらだ。牛や馬じゃあるまいし、面識もない女性と、何でいきなり「結婚したらどうか?」なんて言われなければならないのか?こんな事、私の歳がいくつだろうが関係ないだろう。そんな結婚をして私が幸せになるはずないじゃないか。それは相手の女性も同様だ。これで全てを理解した。親父が私に婚活を進めるのは、私の幸福の為ではなく、未婚の息子をかたずけて親としての体面を保ちたかっただけなのだ。
 
私は怒って実家を出る事に決めた。出勤の電車の中で、次のメールを親父に送った。
「何故息子の結婚にばかり拘るのか?結局は親の見栄じゃないか。本当に息子の事を思うなら、独身だからとか貧乏だからと言った理由で、息子個人を詰(なじ)ったり見下したりはしない。それを見下すと言う事は、自分の世間体ばかり気にしているからだ。だから、息子を自分の所有物と見なして、自分の思い通りにならないからと言って、息子に八つ当たりするのだ。たまたま観たテレビ番組で、そんな自分本位の親の特集をやっていたけど、その特徴10箇条に親父は全部見事に当てはまる。やっぱり、世間体(外見)や地位や財産の有無で人間を見下し差別しているじゃないか。だから親父は封建的だと言うのだ。幾ら親子でも、そんな人権蹂躙(じゅうりん)は許されない。」
 
今、このメールを読み返してみても、本当にその通りだと思う。それに対して親父は、「そんなメールなぞ送られても時間の無駄だ」の「バカタレ」だの散々、悪態メールの返事をよこした挙句、「親子で話し合おう」「早く戻って来い」とまだ未練たらしく書いていた。原因は私にではなく親父にあるのに。親父が変わらない限り、幾ら話し合っても無駄だ。
 
この時は兄貴の仲介で、一週間、兄貴の家に寝泊まりさせてもらった末に、親父と仲直りして実家に戻る事になった。しかし、親父は全く反省していなかった。2度目も同じような婚活トラブルを引き起こし、私はそれを機に完全に実家を出る事にした。それが次の事件だ。
 
 
 
(12)親父の勧めで婚活パーティーに参加し、いざ釣書(身上書、プロフィール集)を出そうとしたら、「年収200万では誰も嫁の来てがないから400万に水増ししろ」「親父が私名義で貯めた銀行預金(元は私の給与の一部)も年収に含めろ」と、まるで安倍政権の裁量労働制データ改ざんみたいな事まで言い出した。その挙句に、私の婚活なのに、親父が家族の中心に座り、私は隅の方にしかいない横長の写真に差し替えろとまで言い出したのだ。釣書に貼る写真の形は縦長指定で、サイズも大幅にはみ出しているのに。やっぱり、そうだ。親父が私に婚活を進めるのは、別に私の幸福の為ではなくて、親父の世間体維持の為だった。

以上が、私が実家を出るようになった経緯だ。親父と安倍晋三の類似性を説明するには、最後の第(12)項目だけで十分だと思うが、下記にまとめて書いておく。(A)~(F)に箇条書きした上で、前述の例証項目の対応する番号も付けてまとめたので、それぞれ照らし合わせながら読んで欲しい。
 
(A) 考え方が保守的、封建的。それはどちらもアカ嫌いで、「人権」や「民主」という言葉に異常反応する事(2)(3)で十分説明出来るだろう。
 
(B) 個人の権利、幸福よりも家や国家の体面優先。親父の場合は、それが婚活騒動(11)(12)となって現れた。安倍の場合は、それが海外への援助バラマキやオリンピック招致の形で現れている。台風被災者救援や原発事故の収束も進んでいないのに、被災者の生活再建は自己責任に任せたまま、予算を海外への経済援助バラマキに使い、わざわざ真夏の東京でオリンピックをやろうとし、お台場の汚れた海で水泳競技のリハーサルを強行する始末。
 
(C) 個人を家や国家の「将棋の駒」扱い。親父の場合は、それが女性を「産む機械」としか見なさない結婚観(11)や、非正規労働者を「のんべんだらり」と誹謗中傷する姿勢(8)として現れている。安倍の場合も、普通なら電通の過労死事件を機に、長時間労働を規制しなければならないのに、「それではもっと稼ぎたい人が困ってしまう。稼ぎたい人は労働時間なぞ気にしなくても良いように、1日8時間労働の規制を逆に緩めてしまおう」と、裁量労働制のデータを捏造してまで自分に都合の良いように我田引水。公的年金だけでは食えないから、仕方なく個人年金や高齢者就労やダブルワークで食いつなぐ人が増えただけなのに、それをあたかも皆が自分から望んでいるかのように言い繕い、「1億総活躍」と自画自賛。同じ自民党議員で安倍親衛隊の杉田水脈(すぎた・みお)が「LGBTは非生産的」と罵ったのも、親父の「のんべんだらり」(8)や「たったそれだけしか誇れるネタはないのか」(10)発言と根は同じ。
 
(D) 多数派迎合、少数派排除、上から目線。親父が自民党や維新の会を支持しているのは、別に親父が保守思想に心酔しているからではない。単に日本では自民党が、大阪では維新の会が権力を握っているからに過ぎない。親父が本当に保守思想に心酔しているなら、共産党だけでなく、国家主権を外国のハゲタカ資本に売り渡すTPP、日米FTA、水道民営化、カジノ誘致にも反対するはずだ。親父が本当に道徳や愛国心が大事だと思うなら、労災隠しを図る会社と一緒になって、事を穏便に済まそうなんて思わなかったはずだ。台風被害を尻目に宴会に興じた「赤坂自民亭」騒動や、公金私物化・選挙買収でしかない「桜を見る会」も黙って見過ごす事はできないはずだ。それらを隠蔽・矮小化しようとする自民党や維新の会なぞ到底支持できないはずだ。ところが、それを支持して平然としていられるのは、単に自分達も多数派の一員であると誇示したいだけなのだ。親父が毎年、忘新年会の季節に家族をホテルに呼んで「桜を見る会」の真似事をやりたがるのも、公務員や教職への就職に異常に拘り(6)、共産党や生協、非正規労働者、独身者を差別・排除するのも(3)(4)、「自分達とは彼らとは違う」と言いたいからだけなのだ。
 
(E) 自己チューの保身。要するに自己チューなだけなのだ。私の小学生時代の「漁師の子」発言(1)も、今から思えば決して褒められた物言いではないか、反抗期のガキが悪態ついただけに過ぎない。反抗期は自我の表れでもある。その自我を真の自立へといざなうのが親の役目なのに、「バカにされた」としか見れず、パワハラで応えるとは。社内表彰の件(10)も、「私が有頂天になっている」としか捉えられないようでは、親としての資格なぞない。安倍の「こんな人たちに負ける訳はいかない」発言もこれと同じだ。野党支持者も含めた国民全体の幸福を実現しなければならない総理大臣の発言とは、とても思えない。
 
(F) 言い訳も支離滅裂。だから、言ってる事も矛盾だらけなのだ。自分こそが、会社の労災隠しと闘おうとした私を、逆に会社と一緒になって抑えようとした社畜の癖に(7)、「のんべんだらり」と非正規労働者や独身者を誹謗しながら、「私は地位や財産で人間を差別なぞしていない」と言い張る厚顔無恥も(8)、森友・加計問題や相次ぐデータ改ざん、証拠隠滅、「桜を見る会」公私混同疑惑で支離滅裂な言い訳を続ける安倍晋三とそっくりだ。「実家を出て独立せよ」と言いながら、いさ独立しようとした途端に「何故、今頃になって家を出るのか?」と泣きついたのも(9)、今の「桜を見る会」の安倍のドタバタぶりとそっくりだ。
 
だから安倍も、「後援会主催の桜を見る会前夜祭は、税金ではなく各自が自腹で1人5千円の会費を払って参加しただけだ」と、誰もまともに信用しないような嘘を平気でつけるのだ。東京のホテル・ニューオータニを貸し切って、銀座の高級寿司まで出して芸能人も呼んでいるのに、たった5千円なんかで出来る訳ないだろう。私達バイトがトリキで予定している忘年会すら、3千円の会費が必要なのに。もし、ニューオータニの会費が本当に5千円だったとしても、それはホテルが森友・加計と同様に、安倍を忖度(そんたく)、特別扱いしたからだと言う事に他ならない。それでもまだ安倍や産経新聞が「総理大臣だから値引きしたのではない。宿泊とセット料金で値引きしたに過ぎない」と言い張るなら、次から皆で寄ってたかって、ホテル・ニューオータニに泊まり、5千円で高級寿司・芸能人付きの飲めや歌えの宴会をやってやろうじゃないかw

親父キャラと安倍キャラの、なんて似通っている事か!安倍は、二言目には「北朝鮮が、中国が」云々と連呼するが、安倍の方がよっほど北朝鮮、中国みたいな体質じゃないか!
 
自民と似たり寄ったりという意味では、大阪の維新も同罪だ。大阪では維新こそが自民党・安倍政治の象徴だ。それが証拠に、軍歌や教育勅語を礼賛する森友学園が建てた新設小学校「瑞穂の国記念小学院」を認可しようとしたのは、当時、大阪府知事だった維新の松井一郎だ。教育現場で君が代斉唱を強制し、「大東亜戦争は正義の戦争だった」とする偏向教科書の採択に躍起となっているのも、維新の息のかかった首長や教育委員会だ。業務時間内に少しタバコ吸っただけで地下鉄労働者を処分しながら、橋下が公用車でジムに通い、住吉区選出の大阪市議・伊藤良夏が政治資金で私用のレクサスを購入した事には頰かむり。これも、まるで森友・加計問題と同じじゃないか。
 
 

これは何も親父を貶めたい為に書いているのではない。これは単に親父だけの問題ではなければ、毒親だけの問題でもない。安倍夫妻には子どもはいない。しかし、そのキャラは毒親と瓜二つだ。だから、毒親よりももっと広い概念で、「毒オトナ」と呼ぶようになったのだ。実際、そういう言い方をしている人もブロガーの中にはいる。

日本は、表向きは戦後に民主化された事になっているが、戦後70年以上経った今でも、いまだに大日本帝国の亡霊が、あちこちをさまよっている。靖国参拝や教科書・憲法改悪の動きなぞ、その最たるものだ。慰安婦問題にしても、まるで韓国が悪いみたいに思っている人がいるが、あの問題の根本原因は、いまだに植民地支配について謝罪せず、賠償を経済協力と言いくるめ、当時の韓国軍事政権を、金の力で黙らせてしまった日本側にある。

日本ではびこる過労死や自殺も、その背景には希薄な人権意識や、弱者差別がある。欧米では、過労死なんて考えられない。欧米にもブラック企業は確かにある。しかし、労働者も黙ってはいない。ブラック企業支配には労働者もストライキで対抗する。日本みたいに、引きこもりやバイトテロ、学校や社内での虐め、生活保護叩きみたいな形で、内にこもって暴発したりはしない。

安倍や親父のような人間がのさばるのは、日本の民主化がいまだ達成されていないからだ。かつて軍事政権下にあった台湾や韓国でも、冷戦終結後の民主化によって文民政権に変わった。今や最低賃金すら、台湾・韓国に追い抜かれてしまった。いまだに時給7〜900円台の低賃金に甘んじながら、自分の無権利状態にも気付かず、韓国叩きや芸能人ネタでうさを晴らすしかない日本人の社畜・奴隷根性こそが、安倍や橋下、ウチの親父のような「毒オトナ」を生み出し続けているのだ。
 
 
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