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日本の悲劇2013

2013年09月21日 23時01分26秒 | 映画・文化批評
  

 この前の休みに「日本の悲劇」という映画を見てきました。
 どんな映画かというと、長年連れ添った妻を亡くし年老いた父親と、失業を機に失踪し嫁にも逃げられた息子の物語です。息子はやがて思い直し実家に戻って来ますが、今度はその日に母親が倒れ、看病の甲斐もなく他界してしまいます。不幸はそれだけに止まりません。それと入れ替わるように今度は父親が肝臓ガンで入院し、しかも「もうこれ以上辛い治療は御免だ」と母親の命日に無理やり退院して、息子に付き添われて自宅に戻ってきた所からこの映画は始まります。

 自宅に戻ってきて台所の椅子に座らせても「儂の指定席はここじゃない。そこだ」とガンと譲らない父親・不二男のボケ老人ぶりを、俳優の仲代達矢が真柏の演技で演じます。それに「じゃあ勝手にしろ」と応じる息子・義男の凋落ぶりも見事で、新進俳優の北村一輝が演じるプカプカ煙草を吸うヘビースモーカーぶりが堂に入っています。もっとも、それを咎める父親もアルコール中毒でガン患いなのですから、他人の事を言えた義理ではありませんが。
 そんな息子を憐みの目で見る父親に対して、息子が「確かに俺はアンタの年金だけを頼りに生きてきたスネカジリだ。でも俺も俺なりにやり直そうと精一杯努力して来たんだ。一個380円のスーパーの弁当を二つ買ってそれで三食食いつなぐような、爪に灯をともすような生活をして来て、母の命日ぐらい寿司食って何が悪いんだ」と叫ぶ息子の頭の上に、父親が優しく手を置きます。

 その翌日から父親が思い切った行動に出ます。一年以上経ってもまだ墓入れも済まさない母の遺骨と位牌のある部屋に、中から釘を打ちつけて立てこもり、「そっと死なせてくれ。毎朝の安否確認の挨拶以外には一切声をかけるな。俺がくたばって返事をしなくなっても少なくとも1年間は扉を開けるな。お前の就職が決まった時に初めて開ければ良い。無理やりこじ開けて部屋に入ってきたらノミで首掻き切って死ぬぞ」と息子に宣言してしまいます。息子は途方に暮れ、何とか親父を外におびき出そうと、好物のかつおのタタキで晩酌に誘ったりしますが、親父は頑として受け付けません。とうとう息子は「もう止めてくれ。俺は親父を見殺しには出来ない」と外で泣き叫びます。
 親父は親父で、室内で母の遺骨を前に昔の事を思い出します。最初は「義男さんと連絡がつかなくなった。離婚届にも判をついたので義男さんに渡してほしい」と届を持ってきた義男の妻・とも子を何とか思いとどまらせようと、不二男の妻・良子がおろおろする場面を眼に浮かべ、やがて初孫を紹介しに実家に遊びに来た義男・とも子夫婦を不二男・良子夫婦が暖かく迎え入れる昔のシーンに及びます。そこでは映画もそれまでの陰鬱なモノクロの長回しから一転してカラーの華やいだ場面に変わります。

 結局、部屋に立てこもった不二男は衰弱して死んでしまうのですが、その不二男の遺影を前に、義男が今日も就職面接があると出掛けていく場面で映画は終わっています。単なる悲劇ではなく、幾許かの希望を持たせた終わり方になっている所がミソです。また、しょっちゅう家の中で電話が鳴り響きますが、義男は外で洗濯物を干したりしていて電話に出る事が出来ません。立てこもり中の不二男が外の義男に向かって小さく「電話」と呟きますが義男には聞こえません。この電話も「ひょっとしたら、義男とよりを取り戻そうとする嫁からのものではないか」と、映画の視聴者に淡い期待を抱かせます。
 勿論、細かい点まで言いだせば色々粗も見えてきます。例えば、立てこもり親父は大小便の処理はどうしたのかとか。しかし、そういう細かい粗も帳消しになるほど、自分の将来について色々考えさせられました。

 まあ、簡単に言えばそういう映画です。話のあらすじは地味だし、マスコミで大々的に宣伝もしていないので、私もつい最近までこんな映画があるとは全然知りませんでした。たまたまネットで話題になっていたのを知って、この前の休みに観に行って来たのですが、とても他人事だとは思えませんでした。
 私も母が亡くなり今や親父と二人で実家に住んでいます。映画との違いは、私が一応バイトで生計を立てていて今はとりあえず無職ではない事と、兄貴や妹もそれぞれ嫁さんや旦那がいて離婚はしていない事ぐらいです。若し私が失業してしまったら、この映画に出てくる義男と同じ立場になってしまいます。そういう意味では、とても身につまされた映画でした。

 この映画の背景には、数年前にあちこちで問題になった年金不正受給事件があります。日本の家庭が、昔の漫画「サザエさん」のような大家族から、核家族の段階を経て、やがてリストラや格差社会で家族がバラバラにされる中で、最後には独りぼっちになった老人が、誰にも看取られず生活保護も受けられずに死んでいく。残された世代も自分たちが食う事だけで精一杯で、とても親の面倒を見るような余裕はなく、悪いとは分かっていても親の年金を死後も貰い続けようとする。
 それを逆手に取った不二男の室内立てこもり事件も、自分が悪者になる事で、失業中の息子が自分の年金で死後も食いつないでいけるように画策した、息子の義男に対する精一杯の愛情表現だったのです。
 この親や息子を犯罪者呼ばわりするのは簡単です。また、幾ら親が息子に口止めしたとしても、お互い子供ではないのですから、事件が発覚すれば罪に問われる事には変わらず、せいぜい情状酌量の余地しかない事ぐらい誰でも分かります。でも、それを本当に犯罪と言えるのか。本当に悪いのは、親でも息子でもなく、そこまで二人を追いつめた日本の格差社会であり、その格差社会を作った今の政府・財界じゃないのか!
 こんな現状を放置して、震災復興もオリンピックもないでしょう。現に今も故郷の福島に帰れない人が大勢いて、原発の放射能や汚染水も垂れ流したままで、年金や生活保護の「不正受給」叩きも横行する中で、上辺だけ「絆」や「頑張ろう日本」を連呼しても無意味です。「みせかけの絆」や「偽りの団結」なぞ要らない。

 2010年に東京の足立区で、廃屋から一人暮らしの老人のミイラが見つかりました。この老人も、1978年に息子に映画と同じ様な事を言って、自ら室内に立てこもったのです。「日本の悲劇」というこの映画も、この東京の実話をもとに作られました。
 1978年と言えば、戦後の高度経済成長は既に終わりを告げていましたが、まだまだ日本が中流社会と呼ばれていた頃です。この頃から既にそんな問題が起こっていたのです。今はそれよりも遥かに酷くなっています。
 また、「日本の悲劇」という映画のタイトルも(監督は小林政広)、1953年に上映された同名の映画から来ています(監督は木下恵介)。だから、このブログ記事のタイトルも、昔の同名の映画と区別する為に「日本の悲劇2013」としました。1953年の映画は、戦争未亡人が売春しながら女手一つで子供を育てたものの、最後には子供にも捨てられ鉄道自殺してしまうという悲しい結末で終わっています。その映画に使われたモノクロ描写の技法が今回の映画にも引き継がれました。戦争と無縁・格差社会、それぞれ悲劇の背景は違っても、常に弱い者だけが犠牲になるという日本社会の特質は、戦後60年経っても全然変わっていないのではないでしょうか。

※「日本の悲劇」(現代の方)、大阪ではシネ・ヌーヴォ(地下鉄中央線・阪神なんば線九条駅下車 Tel06-6582-1416)と第七藝術劇場(阪急十三駅下車 Tel06-6302-2073)で10月初旬ぐらいまで上映中。映画の公式サイト:http://www.u-picc.com/nippon-no-higeki/
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