今回のエントリーは、当初は憲法記念日の報告を考えていました。5月3日の憲法記念日当日は、「9条の会」主催による講演会を聞いた後、夜にもNHKの特集番組を2つも立て続けに見て、正に「憲法三昧」の一日でしたから。
しかし、朝日新聞に掲載された伊勢崎賢治さんのコラムを読んで、考えを変えました。「憲法9条は日本人にはもったいない」と題されたそのコラムを読んで、私も、その通りだと思いましたから。
「海賊対処法案への反対の声が小さいのは、日本人が、自分の国さえ平和であればそれで良いと、思っているからだ」「そんな身勝手な国民に、憲法9条などもったいない」という、伊勢崎さんの意見については、勿論私の方も言い分はあります。海賊法案のニュースについても、私も、もっと早目にブログで取り上げるつもりでいたものの、北朝鮮ミサイル騒動や、草なぎ逮捕、豚インフルエンザなど、次から次へとニュースが飛び込んできて、対処に追われたというのが、実際の所です。如何にアホみたいなニュースと言えども、「こんなアホみたいなニュースに騙されるな」という事は、最低限言わなければいけませんので。
しかし、それでも、9条の会の講演でも、その夜のNHK番組でも、海賊法案については、殆ど言及が無かったと言うのも、残念ながら事実です。身近な派遣切りの話題には比較的敏感に反応するが、遠い外国の話となると、其処に日本の自衛隊も派兵しようとしているにも関わらず、途端に関心が下がるというのでは、確かに「島国根性」と揶揄されても仕方が無いでしょう。
そこで、これから海賊法案について書く訳ですが、もとより、「武器使用は何処まで許されるのか」と言った枝葉末節の”神学論争”には、私は全く興味が在りません。そもそも、私は、「自衛隊による海賊対処・ソマリア派兵そのものが、違憲・不正行為である」という認識でいますので。
最近の海賊対処法案を巡る論議を聞いていると、日本の国益ばかりが前面に出て来て、もうウンザリしています。国益といえば聞こえは良いですが、「海賊が何故ソマリア沖に出没するようになったのか」「海賊を武装解除するには何が必要か」という、尤も肝心な議論が抜け落ちたまま、只ひたすら「日本が上手く立ち回るにはどうすれば良いか」という自国エゴだけが鼻について、もう、みっともない事この上もありません。
そうではなく、此処ではあくまでも、「海賊の出自」と「武装解除に向けての方策」について、考えていく事にします。
その為には、海賊が出没するに至った、ソマリアやその周辺の「アフリカの角」地域の近現代史を、まず見ていく必要があります。
ソマリア自体は、アフリカ大陸東端の、「アフリカの角」の異名を持つソマリア半島に位置する、遊牧民族(ソマリ人)が主体の国です。他のアフリカ諸国とは違い、ソマリ人主体の単一民族国家なのですが、そのソマリ人自身が、血縁関係によって区分された60以上もの氏族に分かれ、今まで相争って来ました。それが災いして、植民地時代には、伊・英・仏の3宗主国によって領土が分割統治されていました。そこから、旧伊・英領地域が統合・独立して出来たのが、今の無政府状態になる前のソマリア共和国です。
また、第三世界諸国の常として、ソマリアとその周辺諸国との国境線も、植民地時代に恣意的に引かれたもので、実際の民族分布を反映したものでは、一切ありませんでした。その結果、ソマリア外縁部のエチオピア・ケニアにも多くのソマリ人が居住し、ソマリアの領土拡張主義(大ソマリア主義)の要因ともなっていました。
その中でも、取り分けソマリアとエチオピアとは、国境付近のオガデン地域の領有権を巡り、激しく対立してきました。60年代末から70年代にかけて、ソマリアでは社会主義を掲げるバーレ軍事政権が成立し、エチオピアでも、飢饉に無策だった帝政が倒され、その後に、同じく社会主義を掲げるメンギスツ軍事政権が成立します。
両国は、国境のオガデン地域の領有を巡り、70年代から80年代にかけて、互いに戦火を交えます(オガデン紛争)。その両国の紛争を煽ったのが、当初はソマリアのバーレ政権を後押しし、その後にエチオピアのメンギスツ政権に乗り換えたソ連と、当初はエチオピアの前皇帝政府を支援し、ソ連の変節後はソマリアのバーレ政権に乗り換えた米国です。
ソ連がソマリアからエチオピアに乗り換えたのは、単に、ソマリアと比べたら、まだエチオピアの方が大国だったからに他なりません。そして、米ソが相次いで両国の軍事政権に梃入れを図ったのも、偏にこの地域が、スエズ運河から紅海・アデン湾を経てインド洋に抜ける、海上交通の要衝に位置するからに他なりません。
要するに、ソ連も米国も、この地域の民生安定の事なぞは、これっぽっちも考えておらず、只ひたすら海上交通の要衝確保の為に、両国に莫大な軍事援助を与え続ける事で、当該地域を巨大な武器市場に変貌させてしまったのです。その中でも取り分け、自国本位の都合でソマリアの革命を裏切ったソ連の所業は、強く非難されて然るべきでしょう。
これら両国の軍事政権は、いずれも革命や社会主義を掲げはしたものの、人民に依拠せずに、軍事力だけを頼りに「上からの革命」をごり押しした結果、最後には両国の政権ともに、肝心の人民から見放されて、あえなく瓦解してしまいます。
両国の軍事政権が相次いで崩壊した後、エチオピアでは親米政権が成立し、引き続き国内を実効支配します。
問題はソマリアです。ソマリアでは、バーレ政権以後の受け皿となる政治勢力が育たないまま、群雄割拠の戦国時代を迎えます。氏族間の対立も更に激化し、やがて、北部の旧英領地域はソマリランド共和国、中部地域はプントランド共和国、南部地域は南西ソマリア自治政府として、それぞれ分離独立を宣言するに至ります。
その後の、取り分けソ連崩壊以降は、国連・米国・エチオピアなどが、相次いでソマリアに乗り込んで来たものの、最終的には、いずれも現地の軍閥勢力(アイディード派・イスラム法廷会議など)によって、放逐されてしまいます。映画「ブラックホーク・ダウン」は、当時の様子を描いたものです。
全国を束ねる形の暫定政府も一応はあるものの、この暫定政府は、周辺諸外国のお膳立てによる亡命政権にしか過ぎず、国内基盤を殆ど有してはいません。
ソマリアでは、その様な事実上の無政府状態が、かれこれ20年以上も続いているのです。国内経済は崩壊して久しく、国民の大半が外国からの食糧援助に縋る状態が続いています。しかも、その無政府状態を良い事に、ソマリア沖の海上に、産業廃棄物や核廃棄物を不法投棄する国や企業も、後を絶ちません。そうして、生活の糧を失ったソマリ人たちが、生きていく為に始めたのが、海賊行為なのです。
今日、海賊の発生原因と考えられるものには、主に次の二つが考えられています。一つは、前述の環境破壊によって、漁場を失った漁民が、海賊に転化したというもの。もう一つは、前述のプントランド自治政府の沿岸警備隊(英国の警備会社が訓練を担当)が、次第に夜盗化したものだとする説。
そのどちらが正しいかは、今後の解明に待たれる所ですが、確実に言える事は、ソマリア国民を、この様な状態に追い込んだ者こそが、海賊発生の責任を追及されて然るべきだと言う事でしょう。
植民地時代に引かれた恣意的な国境線、氏族間の対立を煽る分断統治、軍事独裁政権に対する武器供与、東西冷戦の代理戦争の様相を示す国境紛争、その時々の都合で支援先を簡単に乗り換える大国の身勝手さ、等々。これらが、ソマリアを海賊が跋扈する国に変えてしまった、真の原因です。
内戦の遠因であると言われる氏族対立にしても、確かに遊牧民社会特有の族長支配に伴う矛盾であり、バーレ政権時代の縁故政治によってそれが更に煽られた面もあるにせよ、必ずしもそれだけではなく、植民地時代に意図的に作られた面もあるのではないかと、私は思っています。映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となった、アフリカ・ルワンダにおけるフツ・ツチ両部族の対立も、植民地時代に、分割支配の道具として、意図的に仕組まれたものでした。
その結果、このソマリアという国は、資源に乏しい半乾燥地帯の国でありながらも、アフリカには珍しい一民族・一言語の単一民族国家として、ひょっとしたら、今よりもっと発展していたかも知れないのに、新・旧の植民地主義の所為で、今の様な惨状に至ったのかと思うと、如何に遠い他国の事とは言え、同じ人間として心が痛みます。
ところが、この日本では、そういう問題の背景については、一切顧みられる事なく、貧困を生み出し内戦に介入した大国の責任も、一切不問にされたまま、ひたすら「国益」の美名の下に、「海賊退治」に問題が矮小化されようとしているのです。ホームレス問題の背景たる貧困・格差の問題を等閑にしたまま、ホームレスを長居公園や靱公園から強制排除したのと、全く同じ論理で。
ソマリア派兵と言いながら、肝心のソマリア国民についての言及は一切無く、只在るのは、派兵のアリバイ作りと、日本政府の点数稼ぎ・損得勘定の思惑ばかりで。それが国益追求だと、言ってしまえばそれまでですが、他国の不幸と引き換えに得られる「国益」に、一体どれほどの価値があるのか。そこには自国民の血も流されると言うのに。その行き着く先が、「ソマリアのアフガン・イラク化」でしかない事は、もはや誰の目にも明らかでしょう。
この様に、戦前の満州事変当時さならがに、「紅海・アデン湾は日本の生命線」と謂わんばかりの、帝国主義・植民地主義そのものの論理が、今や堂々と横行するに至っています。しかし、かつて60年代の第三次中東戦争時に、スエズ運河を数年間にわたって閉鎖したイスラエルや、それを後押ししていた米国には何も言えずに、往時は喜望峰回りで欧州と海上交易を行っていた日本が、今更何を言うのかと思いますね。当のソマリア国民の生活をどう立て直すのか、あの国をどう立て直すのかの議論を抜きにして、「海賊問題」の解決なぞ出来る訳がないのに。
(参考資料)
・ソマリア海賊対策の欺瞞性を突く─新法は恒久法・憲法改正への一歩(NPJ通信)
http://www.news-pj.net/npj/kimura/011.html
・ソマリア沖の海賊と自衛隊(水島朝穂HP)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1208.html
・ソマリア沖・アデン湾における海賊対処について(防衛省・自衛隊)
http://www.mod.go.jp/j/somaria/index.html
・ソマリア
http://bhdaamov.hp.infoseek.co.jp/somalia.html
・ソマリア内戦(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6
・ソマリア沖の海賊(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%B2%96%E3%81%AE%E6%B5%B7%E8%B3%8A
・ソマリア海賊を軍艦で制圧することが出来るのか? ――国家再建と地域航行安全体制への支援が先決(ニュース・スパイラル)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2008/12/post_177.html
・海賊の国ソマリアはどうなっているのか(世界の底流)
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2009/piratenation_somalia_today.htm
しかし、朝日新聞に掲載された伊勢崎賢治さんのコラムを読んで、考えを変えました。「憲法9条は日本人にはもったいない」と題されたそのコラムを読んで、私も、その通りだと思いましたから。
「海賊対処法案への反対の声が小さいのは、日本人が、自分の国さえ平和であればそれで良いと、思っているからだ」「そんな身勝手な国民に、憲法9条などもったいない」という、伊勢崎さんの意見については、勿論私の方も言い分はあります。海賊法案のニュースについても、私も、もっと早目にブログで取り上げるつもりでいたものの、北朝鮮ミサイル騒動や、草なぎ逮捕、豚インフルエンザなど、次から次へとニュースが飛び込んできて、対処に追われたというのが、実際の所です。如何にアホみたいなニュースと言えども、「こんなアホみたいなニュースに騙されるな」という事は、最低限言わなければいけませんので。
しかし、それでも、9条の会の講演でも、その夜のNHK番組でも、海賊法案については、殆ど言及が無かったと言うのも、残念ながら事実です。身近な派遣切りの話題には比較的敏感に反応するが、遠い外国の話となると、其処に日本の自衛隊も派兵しようとしているにも関わらず、途端に関心が下がるというのでは、確かに「島国根性」と揶揄されても仕方が無いでしょう。
そこで、これから海賊法案について書く訳ですが、もとより、「武器使用は何処まで許されるのか」と言った枝葉末節の”神学論争”には、私は全く興味が在りません。そもそも、私は、「自衛隊による海賊対処・ソマリア派兵そのものが、違憲・不正行為である」という認識でいますので。
最近の海賊対処法案を巡る論議を聞いていると、日本の国益ばかりが前面に出て来て、もうウンザリしています。国益といえば聞こえは良いですが、「海賊が何故ソマリア沖に出没するようになったのか」「海賊を武装解除するには何が必要か」という、尤も肝心な議論が抜け落ちたまま、只ひたすら「日本が上手く立ち回るにはどうすれば良いか」という自国エゴだけが鼻について、もう、みっともない事この上もありません。
そうではなく、此処ではあくまでも、「海賊の出自」と「武装解除に向けての方策」について、考えていく事にします。
その為には、海賊が出没するに至った、ソマリアやその周辺の「アフリカの角」地域の近現代史を、まず見ていく必要があります。
ソマリア自体は、アフリカ大陸東端の、「アフリカの角」の異名を持つソマリア半島に位置する、遊牧民族(ソマリ人)が主体の国です。他のアフリカ諸国とは違い、ソマリ人主体の単一民族国家なのですが、そのソマリ人自身が、血縁関係によって区分された60以上もの氏族に分かれ、今まで相争って来ました。それが災いして、植民地時代には、伊・英・仏の3宗主国によって領土が分割統治されていました。そこから、旧伊・英領地域が統合・独立して出来たのが、今の無政府状態になる前のソマリア共和国です。
また、第三世界諸国の常として、ソマリアとその周辺諸国との国境線も、植民地時代に恣意的に引かれたもので、実際の民族分布を反映したものでは、一切ありませんでした。その結果、ソマリア外縁部のエチオピア・ケニアにも多くのソマリ人が居住し、ソマリアの領土拡張主義(大ソマリア主義)の要因ともなっていました。
その中でも、取り分けソマリアとエチオピアとは、国境付近のオガデン地域の領有権を巡り、激しく対立してきました。60年代末から70年代にかけて、ソマリアでは社会主義を掲げるバーレ軍事政権が成立し、エチオピアでも、飢饉に無策だった帝政が倒され、その後に、同じく社会主義を掲げるメンギスツ軍事政権が成立します。
両国は、国境のオガデン地域の領有を巡り、70年代から80年代にかけて、互いに戦火を交えます(オガデン紛争)。その両国の紛争を煽ったのが、当初はソマリアのバーレ政権を後押しし、その後にエチオピアのメンギスツ政権に乗り換えたソ連と、当初はエチオピアの前皇帝政府を支援し、ソ連の変節後はソマリアのバーレ政権に乗り換えた米国です。
ソ連がソマリアからエチオピアに乗り換えたのは、単に、ソマリアと比べたら、まだエチオピアの方が大国だったからに他なりません。そして、米ソが相次いで両国の軍事政権に梃入れを図ったのも、偏にこの地域が、スエズ運河から紅海・アデン湾を経てインド洋に抜ける、海上交通の要衝に位置するからに他なりません。
要するに、ソ連も米国も、この地域の民生安定の事なぞは、これっぽっちも考えておらず、只ひたすら海上交通の要衝確保の為に、両国に莫大な軍事援助を与え続ける事で、当該地域を巨大な武器市場に変貌させてしまったのです。その中でも取り分け、自国本位の都合でソマリアの革命を裏切ったソ連の所業は、強く非難されて然るべきでしょう。
これら両国の軍事政権は、いずれも革命や社会主義を掲げはしたものの、人民に依拠せずに、軍事力だけを頼りに「上からの革命」をごり押しした結果、最後には両国の政権ともに、肝心の人民から見放されて、あえなく瓦解してしまいます。
両国の軍事政権が相次いで崩壊した後、エチオピアでは親米政権が成立し、引き続き国内を実効支配します。
問題はソマリアです。ソマリアでは、バーレ政権以後の受け皿となる政治勢力が育たないまま、群雄割拠の戦国時代を迎えます。氏族間の対立も更に激化し、やがて、北部の旧英領地域はソマリランド共和国、中部地域はプントランド共和国、南部地域は南西ソマリア自治政府として、それぞれ分離独立を宣言するに至ります。
その後の、取り分けソ連崩壊以降は、国連・米国・エチオピアなどが、相次いでソマリアに乗り込んで来たものの、最終的には、いずれも現地の軍閥勢力(アイディード派・イスラム法廷会議など)によって、放逐されてしまいます。映画「ブラックホーク・ダウン」は、当時の様子を描いたものです。
全国を束ねる形の暫定政府も一応はあるものの、この暫定政府は、周辺諸外国のお膳立てによる亡命政権にしか過ぎず、国内基盤を殆ど有してはいません。
ソマリアでは、その様な事実上の無政府状態が、かれこれ20年以上も続いているのです。国内経済は崩壊して久しく、国民の大半が外国からの食糧援助に縋る状態が続いています。しかも、その無政府状態を良い事に、ソマリア沖の海上に、産業廃棄物や核廃棄物を不法投棄する国や企業も、後を絶ちません。そうして、生活の糧を失ったソマリ人たちが、生きていく為に始めたのが、海賊行為なのです。
今日、海賊の発生原因と考えられるものには、主に次の二つが考えられています。一つは、前述の環境破壊によって、漁場を失った漁民が、海賊に転化したというもの。もう一つは、前述のプントランド自治政府の沿岸警備隊(英国の警備会社が訓練を担当)が、次第に夜盗化したものだとする説。
そのどちらが正しいかは、今後の解明に待たれる所ですが、確実に言える事は、ソマリア国民を、この様な状態に追い込んだ者こそが、海賊発生の責任を追及されて然るべきだと言う事でしょう。
植民地時代に引かれた恣意的な国境線、氏族間の対立を煽る分断統治、軍事独裁政権に対する武器供与、東西冷戦の代理戦争の様相を示す国境紛争、その時々の都合で支援先を簡単に乗り換える大国の身勝手さ、等々。これらが、ソマリアを海賊が跋扈する国に変えてしまった、真の原因です。
内戦の遠因であると言われる氏族対立にしても、確かに遊牧民社会特有の族長支配に伴う矛盾であり、バーレ政権時代の縁故政治によってそれが更に煽られた面もあるにせよ、必ずしもそれだけではなく、植民地時代に意図的に作られた面もあるのではないかと、私は思っています。映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となった、アフリカ・ルワンダにおけるフツ・ツチ両部族の対立も、植民地時代に、分割支配の道具として、意図的に仕組まれたものでした。
その結果、このソマリアという国は、資源に乏しい半乾燥地帯の国でありながらも、アフリカには珍しい一民族・一言語の単一民族国家として、ひょっとしたら、今よりもっと発展していたかも知れないのに、新・旧の植民地主義の所為で、今の様な惨状に至ったのかと思うと、如何に遠い他国の事とは言え、同じ人間として心が痛みます。
ところが、この日本では、そういう問題の背景については、一切顧みられる事なく、貧困を生み出し内戦に介入した大国の責任も、一切不問にされたまま、ひたすら「国益」の美名の下に、「海賊退治」に問題が矮小化されようとしているのです。ホームレス問題の背景たる貧困・格差の問題を等閑にしたまま、ホームレスを長居公園や靱公園から強制排除したのと、全く同じ論理で。
ソマリア派兵と言いながら、肝心のソマリア国民についての言及は一切無く、只在るのは、派兵のアリバイ作りと、日本政府の点数稼ぎ・損得勘定の思惑ばかりで。それが国益追求だと、言ってしまえばそれまでですが、他国の不幸と引き換えに得られる「国益」に、一体どれほどの価値があるのか。そこには自国民の血も流されると言うのに。その行き着く先が、「ソマリアのアフガン・イラク化」でしかない事は、もはや誰の目にも明らかでしょう。
この様に、戦前の満州事変当時さならがに、「紅海・アデン湾は日本の生命線」と謂わんばかりの、帝国主義・植民地主義そのものの論理が、今や堂々と横行するに至っています。しかし、かつて60年代の第三次中東戦争時に、スエズ運河を数年間にわたって閉鎖したイスラエルや、それを後押ししていた米国には何も言えずに、往時は喜望峰回りで欧州と海上交易を行っていた日本が、今更何を言うのかと思いますね。当のソマリア国民の生活をどう立て直すのか、あの国をどう立て直すのかの議論を抜きにして、「海賊問題」の解決なぞ出来る訳がないのに。
(参考資料)
・ソマリア海賊対策の欺瞞性を突く─新法は恒久法・憲法改正への一歩(NPJ通信)
http://www.news-pj.net/npj/kimura/011.html
・ソマリア沖の海賊と自衛隊(水島朝穂HP)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1208.html
・ソマリア沖・アデン湾における海賊対処について(防衛省・自衛隊)
http://www.mod.go.jp/j/somaria/index.html
・ソマリア
http://bhdaamov.hp.infoseek.co.jp/somalia.html
・ソマリア内戦(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6
・ソマリア沖の海賊(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%B2%96%E3%81%AE%E6%B5%B7%E8%B3%8A
・ソマリア海賊を軍艦で制圧することが出来るのか? ――国家再建と地域航行安全体制への支援が先決(ニュース・スパイラル)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2008/12/post_177.html
・海賊の国ソマリアはどうなっているのか(世界の底流)
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2009/piratenation_somalia_today.htm