今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

映画「塔の上のラプンツェル」

2011年03月26日 23時50分13秒 | 映画

ピュアな心って、無敵!!

  

これはまさに、ディズニー的なラプンツェル。
夢と希望があって、愛がいっぱいです。
ロマンチックで、幸せな気分になる映画ですから、特に女性にはお薦めよ!!

だけど、ラプンツェルといえば、もともとの物語はこの「塔の上の~」とは違います。
なにせ、「高い塔の中に一人で閉じ込められた無垢な少女が、そこに昇ってきた王子様を夜な夜な招き入れて、しまいには妊娠してしまい…」という展開だもの。
もちろん、ディズニーはそのあたりが全く違いますけど、もとの作品にはエロティシズムが流れています。
ちなみにグリム童話の「ラプンツェル」がこれ

http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42309_18060.html

さらにウィキペディアには、↓こんな記述が。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%AB

そんなわけで、私は前からこの物語を、かなり興味深く捉えていました。
が!
さすが、ディズニーの映画よね~!
この上なく清らかな夢に溢れています。
家族連れから恋人たちが見るのにはぴったり。
もちろん、私のように「停電で夜に家に帰るのが憂鬱だから」という理由で、ひとりで観に行く人もいるけどね(笑)
心が暗くなりがちな昨今、夢を信じて勇気を出すこのキュートでチャーミングな少女、ラプンツェルに、私は心を明るくしてもらいました。

ところで、映画といえば、私はこの度の大震災の前にも、もう一本観ていました。
「ヒアアフター」です。
この映画を「ぜひ観に行かなければ!」と思ったのが、今月の4日。
実際に観たのは、割引のあるレディースー・デーの9日水曜日です。
想像していたよりも、ずっと静かでじわりとした感動のある作品だったので、感想はその週末にでも書こうと思っていました。
けれども、その二日後にはあの地震と大津波があり、「ヒアアフター」は全国で上映中止となってしまいました。
その理由は、今度の震災の痛ましい場面を思い出させるシーンがあったからです。
無理もないことだと思いました。
私もさすがに、とても感想など書く気がしなくなりましたが、けれども今になって「書いておかなければ」という気もします。
「ヒアアフター」には確かに津波のシーンもあれば、「亡き人」を見てしまうシーンもあります。
でも、この映画が描きたいところはそこではないので、むしろそのあたりはとても押さえられていました。
感想はいずれ、自分のため、もしくは未来の自分のために、こっそりと書くかもしれませんが、その時は日付を観た日に設定する予定です。

どんな映画であれ、心置きなく観られ、感想が書けるというのは、今まで気がつきませんでしたが、ずいぶんと幸せなことだったのだと、改めて思わさせる今日この頃です。
日本全体が一日も早く、元の日々に戻れますように、心から祈りたいと思います。


いつかどこかで(14)チャリティーへ行こう!

2011年03月25日 12時44分30秒 | いつかどこかで(雑記)

こんばんは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の感想記をご覧いただきましてありがとうございます。

震災の日から一週間はやけに長く感じられたのに、次の一週間の早いことといったら!
やるべき仕事が次から次へと運ばれてくるので、三倍速で過ごしているような日々を送っています。
そんな中、私の勤め先では、復興支援の義援金を申し込んだ額だけ四月の給与からペイオフして、まとめて日本赤十字に送ってくれるのだそうな。
これね~、最初それを聞いた時は、それだと手間がかからないし、妙なところで騙されることもなく確実に送られるので「良い方法だな」とか思ったのよね。
だけど、手間がかからないということは、義援金を払う実感に乏しいってことで、「ただでさえ少ない月給が単に目減りして手元に届くだけ」という感じ。

そこへいくと、先日の「ウェディング・シンガー」では、募金をすると芳雄くんがニッコリと笑ってくれるもんね~!(笑)
募金をしたついでに、自分も少しだけストレス解消したからといって、バチは当たらないと思う。
私は会社でも義援金は寄付するけれど、それはほどほどにしておいて、あとはどうせならば、こころざしの高い舞台やアーティストの方々のところで、ちょっぴりこちらも元気を頂きながら募金をしようかと思います。

ちょうどそんな折、友人の版画家・亀本みのりさんが、ご自身の作品を二つのチャリティー展に出品するというので、来月はそちらへ行きます。
なんとかして復興に役立ちたいというアーティストの方たちが、それぞれの想いをこめて作品を出品してくださるそうです。
お近くの方でご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。
気に入った作品を買えば、そのお金は義援金となって寄付されます。

アート

●東日本大震災復興支援チャリティーアート展
収益金は日本赤十字社に東北関東大震災義援金として寄付されます。
第1期 4/5(火)~4/23(土)
第2期 5/3(火)~5/21(土)
11:00~19:00 日・月休廊
開催場所 gallery coexist
東京都台東区台東1-23-12

アクセスその他詳細は
http://www.art-ejeq.com/


●東日本大震災チャリティー展
収益金は全額日本赤十字社に義援金として寄付されます。
4/12(火)~4/17(日)
11:00~20:00 最終日は17:00まで
入場無料
会場 アートコンプレックス・センター
地下ホール・2階ACT1
東京都新宿区大東町12-9
03-3341-3253

アクセスその他詳細は
http://www.gallerycomplex.com/jishin_act/index.html


舞台

 

収益の一部が義援金として日本赤十字社を通じて被災地に送られる公演

「ウェディング・シンガー」
3/29(火)まで
シアタークリエ
http://www.toho.co.jp/stage/

「トップ・ガールズ」
4/1(金)~4/(日)
シアターコクーン
http://www.siscompany.com/


■たけのこレシピ増刊号 チャリティ寄席■
いま、できること。
東北地方太平洋沖地震 支援落語会
2011年3月25日(金) 18:30開場/19:00開演 
 『春風献上落語会』   春風亭百栄/三升家う勝/  春風亭朝也
会場 薮伊豆総本店(日本橋駅徒歩5分)電話03-3242-1240
http://www.yabuizu-souhonten.com/
木戸銭 1000円 *木戸銭はすべてTXN災害募金(テレビ東京)を通じて寄付します。


たぶん、これからもチャリティーとなる公演は増えていくと思います。思いたいです!!

そんなわけで、いつかどこかで、できればチャリティー会場にてお会いできたら嬉しいです!


おおるり


「ウェディング・シンガー」

2011年03月22日 00時24分06秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

≪東北地方太平洋沖地震チャリティー公演≫
[出演]井上芳雄 / 上原多香子 / 大澄賢也 / 樹里咲穂 / 新納慎也 / ちあきしん / 徳垣友子 / 初風諄 / 鈴木綜馬 / 他

うふっ、

うふふふっ!
うふふふふ~っ!!

って、のっけから、なんて気持ち悪い奴なんだ? と、おーもいでしょーが…
だぁって~~っ!
芳雄くんったら、もうほーんとに、素敵すぎてありがと~!って感じなんだもぉ~ん!

もうねぇ、この舞台って、ほんとに、なぁ~んも難しいこと考えなくて良いのよね。
深刻でも悲しくもない、ハッピーな恋のお話ですから。
人生だとか命の重みだとか、心の光だ闇だとか…そういうのね、今となっては現実にバンバンと突きつけられて、何かと心重くなりがちな昨今に、こうまでも明るく元気で幸福感100パーセントの舞台で、たとえひとときでも幸せにしてもらって、本当にありがとう!と言いたいわ。
幕を開けてくれた東宝さんも、力いっぱい明るくしてくれた役者さんたち、スタッフの方々へも、心から拍手!です。

あ~、そういや拍手といえば、前に書いた記事で私、「たくさん拍手して、観客として役者さん達や制作側の方たちを支えて…」なんて書いてましたけど、この女、スットコドッコイにも何をそんな生意気なことを、どの口で言ってたんでしょうね?
いつも、いつでも、舞台や音楽や小説などで癒してもらったり、楽しませてもらったり、また人生を教えてもらって、そして支えられてきたのは、こっちのほうじゃないね?
私って、時々あとから「自分で自分のアタマはたいてやりたい」ってなこと書いちゃうのよね~。

う~ん、
ま、反省はあとから一人でじっくりやるとして(笑)
この「ウェディング・シンガー」は三年ぶりですけど、思い出せば、その三年前にこの舞台を観た時に「今まで自覚がなかったけど、私ってそうとう芳雄くんが好きなのね~」とか思ったのであった。
で、当時の日記には「芳雄くんの総合力にメロメロ~」なんて浮かれて書いていたけど、今回同じ舞台を観たら、その三年の間に芳雄くんの総合力は確実に倍増していて、さらにコミカルに面白い人になっているし、前回の「ロック歌手っぽい」感じがちょっとばかり不自然だったのもすっかり解消されてキャラにぴったりとハマってました。
キャラが立っているといえば、新納慎也さんも鈴木綜馬さんの二人も、そして他のみなさんも前回よりさらに濃ゆくて面白かったですね~!
その中で、上原多香子さんはもう、可愛い、可愛い、可愛いことと言ったら、やっぱり夢の世界の住人は違うよね~!って感心しちゃう。
ミュージカルは一ヵ月半ぶりに観たけれど、やっぱりミュージカルって楽しい!

ところで、写真はロビーに置いてあった義援金の募金箱ですけど、これはキャストの手作りなんですって。
けれどもあまり目立たないところにあったせいか、休憩時間に見たらあまりお金が入ってないのよね。
それで、私は前回の記事で書いたとおり、ちゃんと募金したのだけど………
それが!!
公演終了後にはロビーでキャストの皆さんが、箱を持って募金のために立ってくださるんです!
な~んだ、それでみんな休憩時間に募金しなかったのか、と納得はしたものの、「それなら早く言ってよ!」と思ったけれども、もしかして遅刻して会場入りした自分がいけなかったのかも。
かくして、素敵な芳雄くんの笑顔を間近で見たいがために、二度目の募金をした私でした(笑)


いつかどこかで(13)

2011年03月20日 03時09分24秒 | いつかどこかで(雑記)

こんばんは、おおるりです。

あれから一週間が過ぎましたね。
ほんとうに長い一週間でしたね。
とても怖い思いをしましたね。
心の痛い、悲しい思いをしましたね。
被災地の方達はもちろんのこと、その周辺の方、疎開している方、停電区域にお住まいの方や通勤にご苦労した方、ご家族や友人・知人をご心配する方…そうでなくても、テレビなどの報道を見て連日心を痛めてらした方々……誰もが辛く、長い一週間でしたね。
それぞれが、それぞれなりに、この一週間、一日、一日をほんとうによく耐えましたね。
今もなお、不安な日々を過ごしている方へは、心からお見舞い申し上げます。
どうか一日も早く平安な日々が戻りますようにお祈りしています。

私はこの一週間、ずっと「自分にできることは何なのか」と考えながら毎日を送っていました。
そうした方も多かったのではないかと思います。
自分にできることは何か?
自分だからできることは何か?
自分にもできること、自分しかできないこと、自分ならできること……似ているようで微妙に違いますよね。
震災の日は幸いに怪我もなく無事でしたが、東京に住んでいますから、節電することや義援金を送ることなども含め、では、この一週間に自分は実際に何をしたか、これから何をするのか……今、それを改めて考える三連休になっています。

けれども、私のできることはほんとうに小さくて、被害に会われた方たちの、そのあまりにも大きすぎる痛みに比べたら、ほとんど役にも立たなくて、無力に等しいかもしれません。
たぶん、これをご覧くださっているあなたも、きっとそうなのでしょう。
私たち、一人一人はきっと小さなことしかできません。
だからこそ、一人一人が小さなことを、ひとつひとつやっていくことが大切なんだと思います。
ひとつずつ、ひとつずつ。
ひとつでしかなくても良いんです。
今日一日、ひとつでも何かできたら嬉しい。ひとつできたら、できたこと、できることを喜んで、しっかりと生きていきましょう。
そして、いま元気な人、やがて元気になる人から順々に、日本全体を元気にしていけば良いのだと思います。

私に関して言えば、私の身の周りの節電は私にしかできないので、私が節電します。
私の健康管理は私にしかできないので、私がしなければなりません。
なのに、水曜日の夜にはうっかりと39度の高熱を出してしまいました。
屋根も暖房も布団も、食べ物もある暮らしをしていながら、我ながら情けなかったです。
反省して夜は充分に休息をとり、気合で一日も休まずに会社に行って仕事をしました。
あ、ちょっとだけカッコつけて、嘘言っちゃいました(笑)
実は半日だけ休ませてもらいました。でも、毎日行ったのは本当です。
なぜなら、考えてみると、私が今のこの事態でしなければいけないことは、なるべく平常心で冷静に、けれども心をこめて思いやりをもちながら、会社で仕事をすることだからです。
このような万一の時にこそ、社会に役に立たなければならない、そういう職場にいますので。
同じチームの大先輩は社内の災害対策本部に支援に行ってしまいました。
上司ですら大規模なローラー作戦の要員に入ったそうです。
私は微力ながら後方支援として、先輩の抜けた穴埋めを勤めます。
直接には何もできはしませんが、間接的にでもお役に立てるよう、ひとつ、ひとつを、焦らず慌てないでやっていきたいと思います。

それから、もうひとつ。
私ならできること。
それは、今までどおりに劇場に足を運ぶことです。
「こんな時に劇場だ、ライブだ、展覧会だと、チャラチャラと遊び歩くなんて不謹慎だ」と思う方もいるかもしれませんが、今の日本のあらゆる産業をこれ以上に停滞させないためにも、なるべく、できる範囲で今までどおりの生活をすることが大切なのだろうと思いますので、そこで幕が開く限り、そして帰宅の交通が動く限りは、私は買ったチケットを無駄にはしないつもりです。
…なんて、実は幸か不幸か今年に入ってチケットを買い控えてましたので、いま手持ちのチケットの数はあまりありません。
それでも、26日の文楽「曽根崎心中」は公演中止になってしまいました。
予定した幕が開かないこと…これが関係者の皆さんにとってはどんなにか辛いことか…それを思うにつけても残念でなりませんが、払い戻したチケット代は、明後日に出かける劇場の義援金箱に入れたいと思います。
いつか必ず、この斬新な一大プロジェクトと言われる杉本文楽が行われることを、首を長くして待つつもりです。

ところで話はガラッと変わるようですが、元宇宙飛行士で一月に訪れた日本科学未来館の館長さんでもある毛利衛さんの話が、どこかの雑誌で興味深く書かれていました。
うろ覚えのうえに、詳しいことをあえてすっとばして、私の興味深く感じたことだけを書かせてもらえるならば…ということで、引用のルールから外れていて申し訳ないのですが…
地球の歴史からすると、人類の歴史というのはまだごく短いもので、一つの星が変化する長い年月の中で、あらゆる種族がそうであるように、人類もまた滅びに向かっているというんですね。
もちろん、今すぐではありません。何千万年だか億だか、すっかり単位は忘れてしまいましたが、そういった遠い遠い先のことなのだと思います。
けれども、人類そのものが星を変化させてしまったりもしていますよね。温暖化とか。
だから、人類の滅びを招く要因のひとつとしても人類がある。

って、あれ? そんなこと、書いてあったかなぁ~? 
…なんて、「おい、こら!」ってな、だから、これは頭の悪いおおるりの学習ノートだと思ってくださって結構なんですが(汗)
最終的に何をその「見えないノート」に私が書いたかというと、毛利氏は、地球というものを宇宙からマクロで捉えた見方をするならば、「あらゆる文化は、人類の滅びを止めるために向かっている」というんです。
私が、とても驚いたのは、人類の滅びを止めるのは医学や科学、地学などの学問とか技術の進歩だけではなく、「あらゆる文化」と毛利さんが語ったということなんです。
あらゆる文化……それには、もちろん音楽や美術、文芸や演劇なども含まれますよね?

もしそれが本当ならば、私たちは、「あらゆる文化」を尊重して、大切に育ていくべきなんじゃないか。
音楽も美術も、詩や小説や演劇も、そこには人の想いが必ずあって、だから人のために作られているはずです。
人を救うはずなんです。

私がいつも覗いているブログのアーティスト達の誰もが、名も知れない役者さんや演劇関係者の方たちのみんなが、こんな時だからこそ、何かをしよう、幕を開けよう、チャリティーをしようと口々に言っています。
人に愛や希望を与えてくれる、それら全ての方々に心から応援したいと思います。
そして、いま被災地で生きるのが精一杯の方々が、いつかどこかで彼らの作品を目にして心を癒したり、元気になるような日が一日でも早く来るように、私はいつもどおり、たくさん仕事をして、その分をよく遊ぶことで、彼らを支えたいと思います。

とか言うと、「それって、ただ自分が遊びたいから言い訳してるんじゃ?」と思われるかもしれませんが、
そうですよ、「いっぱい仕事して、いっぱい遊ぶ」というのが私の理想なんです。
遊んできたら、また感想記を書きますので、よろしければぜひまた見に来てください。
そして、これを読んでくださっているあなたがもし元気で、状況が許すならば、「心苦しい」などと遠慮せずに、どんどん劇場に行きましょう! 音楽を聴きましょう! 絵を鑑賞したり本を読みましょう。
そのためにも、健康で、元気で、日本を元気にしましょう!
日本を止めたら、それだけ復興が遅くなってしまいます。
私はこんな時だからこそ、心豊かに、元気でいて、人に優しく仕事や生活を続けたいと思います。

そして、良い舞台を観たらたくさん拍手して、観客として役者さん達や制作側の方たちを支えて、いつか彼らには東北の方たちのために幕を開けて、磨き続けたステージを見せてほしいと思います。


一週間分の想いを書いたので、つい長くなってしまいました。
最後まで読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。

では、いつかどこかの劇場で、お互いに元気で、きっとお会いいたしまししょう!


おおるり


中川晃教さんからのメッセージ

2011年03月19日 01時57分06秒 | いつかどこかで(雑記)
こんばんは、おおるりです。

あっきーから動画がアップされました。
大変な思いをなさっている被災地の皆さん、停電と戦う関東の皆さん、そして、連日心を痛めていらっしゃる皆さん、動画はちゃんと見られましたか?
皆さんがどのような環境でいらっしゃるかわからないので、メッセージを書き移してみました。
もっと早くにすれば良かったのですが、なかなか書き移すのが進まなくて、遅くなってしまって、ごめんなさい。

なお、メッセージの言葉の句読点が時々微妙な位置にありますが、あっきーの言葉を少しでもリアルにお伝えしたいとか思ったらそうなりました。


「みなさん、こんにちは、中川晃教です。
え…今、この、日本という国、ほんとにあの、心が、もう沈んで、なんだか……未来がですね、なんかこう…見えない、なんかそんな暗闇の中にいる感覚、に、陥られている方も、大勢いらっしゃるんじゃないかなというふうに思います。
というのも、東北のほうで、大きな地震がありました。
実はあの、私の実家も、宮城県仙台にあり、また父の実家も、気仙沼にあります。
ほんとにあの、同じく東北のほうで、知人の方友人の方そしてご家族大切な方々が、たくさん被害に会われて、そして心配されている方、悲しまれている方、ほんとうにたくさんいらっしゃると思います。
でもそんな時でもですね、私たちのこの国、日本、そしてアジア人として日本人として絶対に、こんな時だからこそ、負けないで、力を持って勇気をもって希望をもって、前に進んでいかなければならない、そんな思いでいます。
そして今の僕にできることは何だろう?って考えました。
やっぱり歌うことかなというふうに思いました。
歌で、希望と、そして勇気を、少しでも、お伝えできればと思って歌いたいと思います。
聞いてください、「Miracle of Love」」

歌「Miracle of Love」

「頑張ろう!」




ああ、そうそう。
これらは無許可でやってますが、大丈夫でしょう。
非常時の援護射撃を無駄にするような、そんな器の小さい男じゃないですよ(笑)


では、またお会いしましょうね!

おおるり

映画「ヒアアフター」

2011年03月09日 23時00分00秒 | 映画

あなたは何故この記事をご覧になっているのでしょうか?

この映画はもう上映していませんので、検索して来られる方はたぶんいないだろうと思われます。
設定した日付からしても、このブログを新着記事として発見されることもないでしょう。
ですから、何らかの偶然によって、この記事を見つけてしまわれたのでしょうが、私はこれを、これからこっそりとした独白文として書くつもりです。
なので、何を書くのかは、実はまだ自分でもわからないのですが、映画の本筋からはかなり脱線したものになり、しかもダラダラとした長文になると思います。
また、映画とは全く関係ない自分自身のエピソードも書きたいので、映画の話だけを期待なされている方はうんざりするでしょうから、それはこうして前もって言っておきますので、どうぞご注意なさってください。

「ヒア アフター」(原題: Hereafter
監督:クリント・イーストウッド
出演:マット・デイモン/セシル・ドゥ・フランス

  

ヒアアフター(Hereafter)とは、映画の中では「来世」と訳されていましたが、「今後・将来・未来」という意味もあります。
観終わった後、私にはそちらの意味に感じられました。

この感想記は4月28日に書いていますが、映画を見たのは3月9日です。
その日からすると、今現在は、まさに「Hereafter」。
あの日あの時にはまだ、そのたった二日後に一体何が起こるのか…それを知る者は誰もいなかったに違いありません。
震災直後、「ヒアアフター」は全国で上映中止となりました。
その理由は、今度の震災の痛ましい場面を思い出させるシーンがあったからです。
無理もないことだと思いました。
大震災の津波の様子をテレビで見たときに、私はすぐに「ヒアアフター」の映像を思い出しました。
それは映画のほうを先に見たからですが、逆に今ならば「ヒアアフター」を見れば、必ずあの震災の様子や被災地を思い出すと思います。
「ヒアアフター」には確かに津波のシーンもあれば、「亡き人」を見てしまうシーンもあります。
けれども、この映画が描きたいところはそこではないので、むしろそのあたりはとても押さえられていました。
映画は想像していたのとは違い、思いがけなかったほどに静かなトーンの、じわりとした良作で、徒(いたずら)に衝撃的に描いてショックを煽るようなシーンはひとつもありませんでしたが、この映画は日本ではもう今後は、映画館やテレビでも放映することができないだろうと思います。
私もさすがに、とても感想など書く気がしなくなりましたが、けれども今になって「書いておかなければ」という気もします。 
何のためにかというと、それは自分のため。…たぶん将来の自分のためにです。

* * * *

小さい頃から津波の夢をよく見ました。
私の話です。
頻繁に、というわけでもありませんが、子どもの頃から今まで、何年かにいっぺんという具合で、忘れた頃になると思い出すように津波の夢を見ます。
この前に見たのは4年くらい前だったかもしれません。
それは大概に、まるで映画のような非現実的な大津波から逃げる、ただそれだけのシーンです。
私は民衆と共に逃げる中で、背後の海辺を振り返り、そのあまりに巨大な津波がもうすぐそこに間近に迫るのを見て、「もう間に合わない」と思います。
そしてその直後に必ず夢から目覚めます。

ところで、私は六年ほど前までの約八年間、パソコン通信という場で、文章を介して遊んでいた時代がありました。
そこは主に、特に読み書きの好きな者が集まるところでしたから、何かというと架空の世界を創り、空想の人物になりきって会話をするという遊びが始まったものでした。
私はその時に、しばしばある方と、互いに女性ではありましたが、架空の三兄弟となり、その末弟役を演じることがありました。
ある時、別の人との雑談で「私はときどき津波の夢を見る」などと話していましたら、長兄が横入りでこう言いました。
「さすがは我が弟、私も津波の夢はよく見るよ。けれども、必ず山の上か、それとも空からなのか、高いところからそれを眺めている。」
そうしたら、今度は次兄が「私も津波の夢はよく見る」と言ったのです。
私は、これは偶然としては良く出来た話だと思いました。
世の中には、そんなにも津波の夢を度々と見る者が多いものなのか…、そうでなければ、まるでこの三人が前世で繋がっていたかのようではないか…。
それは、確かにファンタジー好きの者には、ちょっとした面白いエピソードだと思いました。
けれども、「もう間に合わない」と思った私はきっとその後は津波に呑まれてしまったに違いない、そこへいくと、長兄のほうは高台のお城にでも住む王族だったのかもしれない、などと空想をしたものです。
なぜなら、その長兄というのは私のこの世で最も敬愛する女性で、王族に例えるにふさわしい人物だと思われたからです。

実は、映画「ヒアアフター」をぜひ見たいと思った理由のひとつは、そんな津波の夢の思い出が私の中にあったからです。
この映画は津波によって来世を見てしまう女性が登場すると聞いていましたので。
そして、わずか二日後に今度の大震災で本物の巨大津波をテレビの映像で見てしまうことにもなったのですが、それと私の夢を混ぜこぜにするのはあまりに不謹慎かもしれませんが、私にはどうもこの偶然が不思議でなりません。
なぜなら、私は日本で起きたまさかの巨大津波を、少し離れた東京で、テレビの画像を通して目にし、次兄だった女性はもう少し近い水戸市で、そして長兄は……やはり彼女は、たぶんとても高い場所から見ていたのでしょう。
彼女は二年前に亡くなり、今は天国にいます。

前世も来世も、ほんとうにあるのかどうか、私にはわかりません。
それを確かめるすべはないので、前世・来世占いなどは眉唾物の、もっともあてにならないものだろう、などとも思ってはいます。
けれども、人はどこかしら、それを信じていたい気分になる時もあるのです。
それは大切な人や、亡くなった人との繋がりを信じたい時なのかもしれません。

さて、やっと映画の話をしましょう。
「ヒアアフター」の主な三人の登場人物のひとり、アメリカ人ジョージ(マット・デイモン)は、過去に大怪我をした際に臨死体験をしたのをきっかけに、霊能力者として死者の姿を見てその声を聞く力を得ます。
彼は依頼人の手を握っただけで、その人の気にかかる亡き人が見えてしまいます。
その力は多くの似非(えせ)霊媒師とは違って、かなり具体的に当事者しか知らぬ事実も言い当ててしまうので、彼はそれだけにとても辛い思いをするのです。
やがて「この力は呪われた力なのだ」と思うようになったジョージは、その才能を嫌悪し、霊能力を隠して、工場で普通の仕事に就いてはいるのですが、やはりその力に縋りたい依頼者が「どうしてもお願いしたい」と来てしまいます。
大切な亡き人に心を残し、涙ながらに会いたいという依頼者をどうしても断りきれなくなる時、死者と再会して更に悲しみの涙を流す依頼者に向けて、ジョージは必ずこう言うのです。
「so sorry」
これは、「お気の毒に」と訳されます。
けれども、私には「ごめんなさい」としか聞こえませんでした。
「見るだけで、何もできなくて、ごめんなさい。あなたに悲しい想いをさせてごめんなさい」と。

ジョージはだから、見るのは嫌だと言ったのに、「どうしても」と頼んだのは依頼者のほうなのに、そして、彼こそがこの能力を悲しいと思うのに、「so sorry」と言わずにはいられません。
私はこの彼の悲しみや深い孤独を思い、ほんとうに胸が締め付けられました。
見たくもないのに過去ばかりを見なければならぬその人生は、どれほどに苦しいものなのか…。
ジョージは依頼者ばかりでなく、ほのかに恋心を寄せた相手の手に触れたたけでも死者の姿を見てしまい、彼女はそれを知ることになり、やはり「どうしても」と頼まれ、彼女の亡き父親の声を聞いてしまいます。
そして、それは彼女の心の傷を抉り、二人の恋は始まると同時に終りました。
ジョージはその力ゆえに孤独です。誰にも理解されない悲しみゆえに、この世で、「たったひとり」なのです。

そう、この映画は、理解されない苦しみを持つ者の、孤独の物語なのでした。
主要人物三人のうちのもう一人、フランスの女性ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、津波にのまれた時に経験した臨死体験が度々フラッシュ・バックするので、ジャーナリストとしての輝かしい現在と未来を失い、やはり周囲の人から理解されずに孤独になります。
三人目のイギリスの少年マーカスは、魂の片割れともいえる双子の兄を事故で亡くし、言葉も出なくなるほどの悲しみと喪失感の中で、ひたすら兄と再会することだけを願い霊能者を探します。
そして、アメリカ、フランス、イギリスと、全く別の場所に住んでいたこの三人が巡り合うこの奇跡に、いったいどのような目に見えぬ力が加担されていたのでしょうか。

ジョージは、どうしても兄と会いたいと懇願し、ホテルの外で日暮れてもなお立ち尽くすマーカスに根負けして、結局は霊能力者として兄の言葉を聞く事になりました。
けれどもマーカスの兄は、弟がこの先の未来を自分の足で歩いて前に行くようにと促します。
過去の者の言葉を聞くことで、ようやくその死を受け入れ、未来へ一歩を踏み出すことが出来るようになったマーカスは、そのお礼にジョージにマリーの居場所を教えます。
実はジョージはマリーに出会った瞬間に、マリーにただならぬものを感じて彼女に惹かれていて、マーカスはそれに気付いていたのでした。
翌日、ジョージがマリーに会いに行ったこのラストシーンは、実に静かで暖かく、じわりとした感動に胸を打たれました。
マリーの姿を目にした瞬間、ジョージの胸に、まだ見ぬ場面が映ります。
まるでデジャヴのようなその光景は、二人が微笑みながら慈しみあい抱き合う姿でした。
そして、勇気を出して彼女に近寄り、その手に触れた時……ジョージは彼女の過去を見てしまうことはありませんでした。
その時、彼の現在は初めて未来へ向かい流れ出し、二人は何かを感じ、言葉も無く理解し合い、ジョージが直前に予知した通りの姿で抱きあって、この物語は静かに幕を閉じました。
過去にとらわれた二人が未来を見つけたことで、もう二度と孤独にはならないだろうと思うと、私は何故だかどうしようもなく涙が止まりませんでした。

Hereafterは、やはり、生きていく者へ、「これから先」を示唆する映画なのだと思いました。
大切な亡き人への想い…それを思いながらも、自分が「今」を生きることとはどういうことなのか。
そして、奇跡のような出会いのなかで、「この人」と思うその手を掴むこと…。
生きる喜びとは何か。

観る者へどうしろ、こうしろと言うのではなく、それぞれに何がしかの「想い」を感じさせてくれるであろうこの作品は、大感動でダダ泣きするようなものでも、癒しのスピリチュアルなものでもないにせよ、ほんとうに静かなじわりとした良作だと思いました。

全米では3月15日にこの映画のDVDがリリースされたそうですが、その収益の一部は東日本大地震で被災した人々のための義援金として寄付されるそうです。

このような脱線だらけの長い文を最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。


「ACCIDENTS 2(俳優私塾POLYPHONIC第二回公演)」

2011年03月09日 02時01分22秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

早いものでもう三月ですね。なのに、さ、寒い!!
今週もまだダウンのコートにマフラーが手放せないのかと思うと、いいかげんその自分の姿も飽きてきたことだし、春が待ち遠しいです。

ところで、二月は思いのほかお出掛け続きで、舞台を6本、ライブにも三つほど行きましたが、さすがに今月はちょっと大人しくしています。
3月のこれからは、後半に入って「ウェディング・シンガー」、それといよいよ文楽で「曽根崎心中」を見ます!楽しみ~!
それからやっぱ岡本太郎展は行かなくちゃ!なにせ生誕100年ですもんね!あとは見たい映画があるので、明日あたり見てこようと思います。

そして4月以降はぐっと観るものが絞られて、作品数としては月に一本とか二本とか、そのくらいの予定しかありません。
ってか、予算がありません(笑)

神様、誰かが私に都内劇場フリーパス券をくれますように!
って、はいはいはい!、言ってみただけよ!

さて、3/4に観た「ACCIDENTS 2」ですけど。

神楽坂の「die pratze」は80人も入るかどうかという小さな芝居小屋といった感じの場所ですが、その昔に中島梓さんが実験劇場として使われていたことがあったので、私にとっては思い出深く、とても懐かしい場所です。
ハコの大きさや雰囲気としては、先月に行った「新宿のタイニイアリスとよく似ています。
去年はこういった小劇場のお芝居を何本か観ましたが、小劇場には豪華なセットや衣装もなく、テレビでよく見かけるような有名な俳優さんも多くは出演していませんが、それはそれで…というか、だからこそ(?)の面白さがあるんですよね~。
もっとも「当たり外れ」もあるんですけど…。

この「ACCIDENTS 2」にご出演の「俳優私塾POLYPHONIC」の方々はそれぞれにキャリアをお持ちで、演出の石丸さち子さんも勿論そうですから、「外れ」ということはありません。
面白かったです。
特に最後の「命を弄ぶ男ふたり」(作:岸田国士)は短いながらも見応えがあったし、俳優さんでは「しらみとり夫人」(作:テネシー・ウィリアムズ)に出演していた杉浦大介さんは私好みの魅力的な演技をする役者さんだと思いました。

この舞台は前回の「ACCIDENTS」の続編だそうです。
初演の時は、まさにアクシデントの真っ只中を思わす舞台でした。
その真っ只中から二年。
続編の「続」とは、どう続くのか。
私はアクシデントの中から抜けたその先を見に行こうと思いました。
大きなアクシデントを経験し、それを乗越えた人の、その先で創られた舞台を見たかったので。

そして、今回もオムニバス形式で、それぞれの作品にアクシデントが起きるわけですが…
だけど…人生には多かれ少なかれアクシデントがつきものだもの。
ましてや舞台になる物語には大概「えっ?!」と驚く展開がないほうが珍しいです。
だからその、それぞれのアクシデントを通して根底に語られる何がしかの共通のテーマがあるからこそ、オムニバスにする面白さがあるのだと思います。

そういう意味でも二年前の初回公演「ACCIDENTS」は、どの作品にも「人の心の病」とか孤独が感じられて、作品ごとも面白かったけど、舞台全体としてのひとつの面白さがありました。
けれども今回は良作をバラバラに見た感じがして、オムニバスとして根底に流れるものが何なのか私にはわかりませんでした。

舞台全体としていったい何を表現したかったのだろう。
まさか「一寸先は何があるかわからない」とか、それだけじゃないはずだけど…

あ~、最近あんまり本とか読んでないしなぁ…。
自分の駄作にばかり構っているから、頭がすっかり幼稚になっちゃって、とんと理解力が低下しているかも(笑)

それにしてもです、
この公演は三回目の次もまだ「ACCIDENTS」と銘打つ舞台になるのでしょうか?
それはそれで良いと思いますが、だとしたら、この先どこへ行こうとするのか…せっかくなので、次回はしっかりとそれを見に行きたいと思いました。