藤間勘十郎 文芸シリーズ 其の壱
「綺譚 桜の森の満開の下」 @セルリアンタワー能楽堂 2014/10/18
【原作】坂口安吾
【構成・演出・振付・音楽】藤間 勘十郎
【鳴物】藤間千穂
【笛】鳳聲千晴
【出演】中川晃教 /市川ぼたん / いいむろなおき
去年この舞台を観た頃はとても忙しく、体調も悪くてなかなか感想が書けませんでした。
なのですみません、今更な感想記です。
それにしても、「桜の森の満開の下」って、題名が長すぎますよね! 普段は面倒で「桜のなんちゃら」とか言ってますが(笑)以下の文では適当に略します。
で、この舞台は珍しく能楽堂で行われましたが、渋谷のセルリアンタワーにも能楽堂があったとは知りませんでした。
能楽堂の中って、何故か空気が清浄に澄んでいるように感じられるし、茶室や禅寺のように静かで気持ちが良いですね。
能楽堂といえば、ちょうど3月に国立能楽堂で、「桜の森」にもチラリと関わる「桜川」が上演されます。
坂口安吾はこの「桜川」を例に取り、子供を探す母親が桜の下で狂い死にしたかのように書いてますが、実はそうじゃありません。母も子も死んでません。
私はせっかくですから、来月その「桜川」も観に行ってこようと思います。能や狂言を観るのは随分と久しぶり。
そして、まず最初に、私はどうしても、舞台に使われる「生首」の話からさせて頂きたいんですが(笑)
舞台の(あくまでも、舞台の)生首の話を嬉々として始めると、大抵の人から敬遠されますが、この舞台に生首の話題は欠かせません。
この舞台で見た「首」は、原作に相応しく、その意味で今まで私が観た舞台の中で、最も秀逸な「首」だと思いました!
それは、能楽で使われる能面を風船のような丸い玉に被せただけなので、一見飾り物のようにも見えました。だから全然生々しくはありませんが、どことなくグロテスク。能面はあらゆる感情を表すといいますが、それだけに、この舞台のように「首」のみで見ると、生と死の境界が曖昧に感じられ、物と人の違いや、魂の有るか無しかの違いも判別しがたく思えます。そこがこの作品にぴったりだと思います
能面首を使った、いいむろなおきさんのパントマイムは見ごたえがありました。
翁の首と、それを片手に持ったいいむろさんの戯れるような動きを見ていると、初めは女の首遊びと同じ事かと思っていたのが、だんだんと翁が生きているような気がしてきました。翁が生きているようにも死んでいるようにも、どちらにもとれます。
このシーンは途中でクスリと笑える滑稽な動きもあって面白く、物語全体に漂う閉塞感や緊張感を一時的にふっと抜いてくれました。
市川ぼたんさんは、美しさに説得力がありました。
女は「物」に魔術をかけます。着物と紐を組み合わせ、美を作り上げます。個として意味を持たない物でも、女の手によると完成された美が生まれます。
市川さんはお顔も美しい方ですが、着物の着こなし方から立ち居振る舞い、首の傾げ方も手の先や足の踵やつま先の下ろし方なども、何から何まで美しくて、年月をかけて完成された日本の伝統美を感じました。これは一朝一夕に、簡単に真似できるものじゃないですよね。 都の女ならではの、雅(みやび)な美しさと色気に目が奪われます。お衣装も素敵でお似合いでした!
朗読だけならグロテスクと思う「首遊び」の場面も、市川さんと能面ですから、無邪気な姿が一層に怖くて美しいです。
その時、命を失った「首」は、女の妖しい遊び(空想)の中だけの「魂の宿る物」となります。死んで腐りながら、無理やり生かされています。市川さんが台詞を言わないせいか、不思議な冷たさや静けさが増してぞっとしました。
あっきー(中川晃教さん)は、狂言師の話し方を意識したのか、地声を低くこもらせての不思議な喋り口調 が印象的でした。例えるなら、フルートが尺八の音を意識して邦楽を吹いているような感じ。クライマックスの号泣(というより、慟哭?)のシーンでは、辺りの空気がピーンと張り詰めたようで凄かったです。(喉に負担がかかるんじゃないかと、ちょっと心配になったけど)
私はあっきーの和服姿が特に好きなので、それが見られたのが嬉しかったです。今回の衣装もすごく似合っていて、山賊というよりは都の男のように見えましたが、とてもカッコいい 私的に「あっきービジュアル・ベスト5」に入るかも。
あっきーが演じる「桜の森」の男(山賊)は、生きた人間をまるで「物」のように、無感動に簡単に扱います。
女が殺せと言えば心痛むことなく(少しはためらうけど)元の女房達でも殺し、金品や女のために「大根を斬るのと同じように」人の首を切ります。
罪悪感はもちろん、何も感じていません。むしろ退屈しています。首遊びをする女にも、「首だから」おぞましいとか、怖ろしいとかも思いません。
男には、人間と物の区別とか、他人の心とか、個々の価値が分からないのかもしれません。女房が7人いても、最初から独りだったんですよね。他人は物と大差ないから。
男はその孤独に気付いていません。
私は「こんな男嫌だ!私には絶対無理!」という役を演じる時の、あっきーが好き(爆) ってか、そう思う役が多い
ところで、女は本当に鬼だったのでしょうか?
舞台の予習で初めて小説を読んだ時は、「ああ、女は鬼だったのか」と、素直に納得しましたが、この舞台では市川ぼたんさんが美しいままなので、「鬼に見えたのは、男の幻覚だったんじゃないか?」という気もします。
もしかして、女は亭主を目の前で惨殺され、その首が「物」になってしまった瞬間から、心のどこかが壊れてしまったのかもしれません。しかも、亭主を殺した男に惚れられて、その男がいないと生き延びられない・・・なんて、まともな神経じゃやっていけませんよね そのせいで狂ってしまい、生と死を弄(もてあそ)ぶ「生首遊び依存症」 になったんだったりしてね?
孤独といえば、この女の孤独も相当なもので、下働きの醜い女も山賊も、まともな話相手にはならないし、自分を慰めてくれるのは「首遊び」の妄想の世界だけ。
うわ~、この女が美人で我がままそうだから強くみえるけど、本当は随分と可愛そうで、孤独な悲しい女じゃないですか (私は基本的にフェミニスト) その自覚が全くなさそうなので鬼っぽいですけど、もし人間ならば、ここまで絶望的だと、私なら死んでほっとするかもしれません。 そう思うせいかどうなのか、血みどろの世界なのに観劇後には不思議と心安らかな気持ちがしたんですよね。開演前に感じた清浄な空気が、終わりに戻ってきた感じです。
能は「無から始まり、無に終わる」と聞いたことがありますが、その「無」は虚無の無ではなく、仏教でいう「空」なんでしょうか?・・・なんて、よく解らないままに適当な事を書いてますけど 「桜の森の満開の下」を能楽堂で観られて、本当に良かったです。
さて!
「桜の森」にハマって、ここまでしつこく書いてしまった原因は、何といってもあっきーがこの劇に参加したせい(笑)
「綺譚 桜の森の満開の下」は、春にバージョンアップして再演されます。
(別に回し者じゃありませんが、成り行きで宣伝)
綺譚『桜の森の満開の下』
藤間勘十郎の構成・演出で、日本の文学に日本の古典芸能の要素を取り入れエンタテインメントして立体的に作劇していく企画シリーズ第一弾!
2014年、セルリアンタワーの能楽堂で初演、好評を博した本作が2015年”劇場版”としてバージョンアップ!
【原作】坂口安吾
【構成・演出・音楽】藤間勘十郎
【出演】中川晃教 市川ぼたん いいむろなおき 山本一慶 花園直道
【みどころ】
藤間勘十郎の文芸シリーズ其の壱の本作は、坂口安吾の代表的な短編作品「桜の森の満開の下」ー血みどろの世界でありながら、独特の美学や宗教観があり、不思議な透明感の漂う傑作に挑みます!
【日時】2015年4月25日(土)開場14:30 開演 15:00
【会場】芸術文化センター 阪急 中ホール
発売日:一般 2015年1月17日(土)
【日時】2015年5月16日(土) 開演 16:00
【会場】京都芸術劇場 春秋座
発売日:一般 2015年2月18日(水)
【日時】2015年5月19日(火)~24日(日)
【会場】あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術総合センター)
発売日:一般 2015年3月1日(日)
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東京公演がなんと9回も!! 山本一慶さんと花園直道さんが加わり、お二人のファンがいらっしゃるにしても、なんだか心配
私は東京を数回観るのが精一杯と思ってましたが、原作を読み込んでいるうちに、ついに京都のチケットを買い足してしまいました。
春の京都で、和装姿のあっきーが花道を歩くところをぜひ見たいです(笑)
世のあっきーファンは次々と公開されるスケジュールに着いていくのが大変ですが、今年の前半、私はこの「桜の森」再演を一押しします。
原作が奥深くて素晴らしいし、演出に信頼できるのは初演を観てわかりました。そのうえ出演者が(新しいお二人を含めて)魅力的ですよね!
大いに期待しています