今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「乙女の祈り」

2011年12月25日 20時00分46秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

2011/12/21 座・高円寺
【構成・演出】渡辺えり
【音楽】coba
【作】「日曜日の花ハナ」サリngROCK /「はるか」 石原燃 /「両の手に」 芳崎洋子 /「街角歌子」「Blue moon」 樋口ミユ / 二木麻里(オンディーヌ翻訳)
【出演】渡辺えり

今年最後の観劇は、渡辺えりさんの一人芝居です。
今年は何故か一年中、ひとつの舞台で同じ役者さんが複数の役柄を演じ分けるような作品を観ることがとても多かったように思いますが、その締めくくりにふさわしいような舞台でした。
女性四人の劇作家が書いた作品のオムニバスと言えるかもしれませんが、その作品と作品との合間を「オンディーヌ」という、これまた独立した作品で繋ぎ合わせた構成によって、舞台全体がオムニバスというよりはひとつの作品として、より面白く観る事ができたと思います。

これね、帰り道で「よく解らなかったね」と話し合うお客さんの声が耳に聞こえて、私は思わず一人でクスリと笑っちゃったんですけど、夏の「ゲゲゲのげ」に比べたら、まあ解りやすいですよ(笑)。 
オムニバスの五つの作品をバラバラに観るにしても、「オンディーヌ」で繋がった一つの作品として観るにしてもね。
何せ、「別に無理に解ろうとしなくても良い」ということが、解りやすいかったです(笑)
ゲゲゲの場合は、「頭をこらして考えなくては」と思い、必死に考えさせられた挙句に袋小路に入ってぐるぐるしたのが私にはある意味楽しかったですが、この「乙女の祈り」という舞台は、もっと感覚的に、気楽にスーっと心に軽く入り込み、何かを考える前に何の負担も無く染みこんでいったような気がします。
それは、もしかしたら私がこの舞台の脚本家たちや出演者の渡辺えりさんと同じ女性だからかも。
そして、「オンディーヌ」を軸として繋ぎ合わされた五つの作品の、全てがひっるめて、まるで一人の女性が見た夢というように見るならば、私は「私自身が日常的に、まさにこの様な感じなんです」と言えなくも無いです。

オンディーヌは三度名前を呼ばれると記憶をなくしてしまう。
人間の男・ハンスに恋をした水の精・オンディーヌは、彼への愛を貫き水界の掟(おきて)に背いたことで、水界の王様から、「ハンスの愛が醒めて裏切るならば、彼の命は尽き、オンディーヌの記憶は永遠に失われてしまう」という契約を結ばされます。

「ハンス、あたし今日のこと、ほんとはわかっていたの。記憶が消えて、水の底に帰るしかない日が来るって…」

そしてもうじき記憶を無くす運命のオンディーヌは、彼との思い出の品や家具を水の底の部屋に沈めます。
その思い出の品々の大切な記憶を失ったとしても、水の底に作られた「あたしたちの部屋」に暮すならば、彼女は記憶の失ったままに…いえ、記憶を失うからこそ、ハンスは彼女のすべてとなり、オンディーヌは二人の永遠の愛の中に生き続けるのかもしれません。
永遠に向かうオンディーヌ。

「(名前を)三度呼ばれると記憶をなくしてしまう。ハンス、お願い、最後の時間を無駄にしたくない!」

そうしたオンディーヌの作る「水の底の部屋」には、いつかどこかの、誰かが見た夢の断片が散らばっていました。

◆「日曜日の花ハナ」(サリngROCK・作)では、道端に転がる小石を拾い、そのいくつもの小石のそれぞれに人の顔を描いた作品を、路上に並べる老婆がいました。
路商のアーティストのようでもありますが、値段はついていないようなので、小石の作品を売っているのかどうかもわかりません。
通りかかる子どもに「石おばば」などと馬鹿にされて石を投げつけられる老婆の姿はボロボロで、髪もボサボサ。まるで乞食のようです。
けれども老婆がニコニコと幸せそうなのは、やはり頭がおかしいのでしょう、自分の描いた石の顔を眺めながら、彼女は昔のことを思い出します。
その思い出にはいささか荒唐無稽な展開もあり、もしかしたらそれらは全てが本当の思い出ではなくて、彼女の作った夢が入り混じっていたかもしれません。

そのボロボロの老婆、花江はこう言います。
「わたしはね、今、楽しいよ。…ドキドキしたりね、するよ。やっと、…たどり着いたなって感じ」
私はこの老婆にすごく共感するものがあるんですよねぇ…。ってか、まだそこにまでに行き着いてないので、羨ましいとも思ったり(笑)
ほとんど狂いながら、他人に理解されず、お金にもならない作品を作り続けながら、自分にしかわからない夢を見続けている老婆は、哀れなようでもあり、でも私には、これも「ある意味幸せな人なのだ」と思えます。

◆「はるか」 (石原燃・作)はかつての秋田連続児童殺害事件を題材にした作品でした。
自分の子と近所の子、二人の子供を殺害しておきながら、悲劇の母を装い、マスコミにも大きく取り上げられた事件です。
その母親を石原燃さんはパンフレットのコメントで、「どこにでも存在しうる一人の女性を描きたかった。もしかしたら私自身かもしれないこの女性を」と書いていました。
その想い、よくわかります。
度々に起きる児童虐待事件を耳にするごとに、その痛ましさが酷く心悲しく苦しくて、そしてたまらない怒りを感じながらも、「もしかしたら、これは私の人生にも起こり得ることだったかもしれない」などと思います。
「あそこにいるのは、女。女がひとりで泣いている」
何故こんなことになってしまったのか…、自分でも訳のわからない苛立ちと衝動の結末は、あまりに苦しく悲惨です。
「ああ、この女は私だ。見て、あそこ。」

◆「両の手に」 (芳崎洋子・作)
子供を産めば子供を持つ苦しみがあり、子供のない者には、子供のない苦しみがある。
子宮を備えて生まれた女性だけが、そのどちらか片方の苦しみから逃れることができず、けれども、そうでなかった片方だけが掴める幸せもあるには違いない。
女ゆえに、女だけが、女だからこそ、それぞれに思う、「母」という重要なキーワード。
題名の「両の手に」とは、何を意味しているのか…。
説明も結末もつけないこの短い作品に、理屈はともかく、何がしかを感じない女性はいないだろうと思います。

◆「街角歌子」(樋口ミユ・作)
街角歌子をさがすのは誰だったか。
たくさんの聴衆を感動させた歌子は観客だけのために歌い、「その歌い続けた歌の中には彼女を表す歌はなかった」と、町の駅員は言い、また、歌子の幼馴染は、「歌子はみんなが見たい歌子を演じて歌っていたのだから、あれじゃ自分が何なのかわからなくなって失踪するのはしょうがないんじゃない?」と言います。
そして一方、当の歌子は「私の歌」をさがしています。
私はこれを見ながら何とはなしに、ダウンタウンブギウギバンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を思い出しました。
「私の歌はどこ…」とさがして彷徨う歌子と、その歌子をさがす誰か。
歌子が自分の歌をさがすのは、つまり自分自身をさがしているのでしょうね。
…ああ、そうか(笑)
今これを書きながら思いましたが、歌子をさがしていた「誰か」とは歌子だったのですね、きっと。

そして、オンディーヌは既に二度、名前を呼ばれました。
あと一度名前を呼ばれたら、あの二人の愛の記憶は失われてしまいます。

「三度目には忘れるしかない! もう、すぐに消えてなくなる。
はやく! 何か訊いて! もっと訊いて! もう頭の中がぐしゃぐしゃ。助けて!助けて!」

オンディーヌの記憶は消され、目覚まし時計のベルは鳴り響きます。

◆「Blue moon」 (樋口ミユ・作)
これは一番インパクトのある作品でした!
なんたって、渡辺えりさんの女子高生姿ですものね~!
朝、目覚まし時計の音で目が覚めると、女子高生・夢子の姿は変わり果てた中年女性のそれになっています。
中身は女子高生の自分なのに、顔もスタイルも母親そっくりのこの状況に、びっくりして焦ったり、いきなり笑い出して、ちょーウケたりしているのが面白いです。
「ブログに書いておこうかな」とか言ってみたり、携帯で友達に学校を欠席する連絡をお願いしたりしている、女子高生姿の渡辺えりさんが可笑しくてかわいい(笑)

ああ、だけども、この、「中身は女子高生のはずだったのに、鏡に映ったこの現実はいったい何??」という愕然とする想いって、なんか、今の私自身と大差ないんじゃないか?という気もします(笑)
「ええっ!、いったいなんなの?!この変わり果てたオバサン姿の私は?!」 って、鏡や写真を見るたびに驚きますから(笑)
鏡に映っているのは、これは本当の自分の姿なのか??

最後は鏡からたくさんの「自分」が飛び出して、たくさんの夢子がいました。


…なんて、私にしては、いつになく順を追って真面目に感想を書いてしまいましたが(笑)
渡辺えりさんの舞台は、この夏の「ゲゲゲのげ」も、この「乙女の祈り」も、結構気楽に見られる面白い作品だったと思いますが、いざ感想を書こうとすると、私はものすご~くエネルギーを使うんですよねぇ…ええ、この程度のものでさえも、もうクタクタです(笑)
「ゲゲゲ」以来、こんなに書くとは思わなかったけど、これはもちろん、「ゲゲゲのげ」に出演したあっきー(中川晃教さん)がきっかけでこういうことになっちゃったわけですから、あっきーのせいですよね(笑)
ああ、ほんとうに疲れた! 今日は大掃除しようと思ってたのに、それも全然やってないし。
いったい、どうしてくれるんだ~っ!

って、はいはい、掃除が苦手なのは、あっきーのせいに出来ませんか。そうですか(笑)

ああ、それにしても、私がこれまでに書き続けているこの感想記の数々は、もしかしたら、オンディーヌの水の底の部屋と一緒かもしれないな、などと、これを書きながら、私はふと思ったりもしました。

いつの日にか、三度目に名前を呼ばれてしまったら、私のすべての記憶は消えてしまい、今まで書いてきた感想記だけが残り、ここで私は永遠に生きるのかもしれません。
あの老婆の小石と同じように、他人からすれば何の価値もないこれら数々の思い出の感想記だの創作の文が、いつしか私だけの永遠に向かう夢になるのなら、それも「ある意味、幸せ」なのかもしれませんね。

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「60歳のラブレター 絆」

2011年12月16日 01時30分17秒 | リーディングドラマ(朗読劇)

私に常識的な感想を期待しないでください。

などと、時たま「書いておかなければ」と思うのも、我ながら「何だかなぁ…」と思うけど。
前月に広島の旅行記を書いて以来、半月も感想記を書かずにフリーズしていました。
実はこれをのろのろと書きはじめたのは12月10日ですが、確か14日と15日にもまだ私が見た役者さんたちとは別の方達で上演されることでもあり、万一にでもこれから観る方たちに余計な先入観を抱いてもらっては不本意なので15日の夜を過ぎてアップされるよう、予約発信することにしました。


『60歳のラブレター』は、「長い人生をともに歩む夫から妻へ、妻から夫への素直な気持ち」「感謝の思い」、さらには夫婦だけにとどまらず、家族の絆の大切さをテーマにして、全国から応募された手紙を男女二人の俳優さんが交互に朗読するという舞台でした。
フライヤーには「本公演を鑑賞した方々が、長年一緒に過ごしてきた夫婦・家族について見直す機会ともなり、充実したセカンドライフをお過ごし頂く一助となれば、という思いを込めてお贈り致します。」と書いてあります。

セカンドライフとは、一般的に定年後、つまり現役を退いてのちの「第二の人生」を言いますね?
60歳ですものね。
もっとも、私の周囲では、「自分たちが60歳になる頃には年金受給が先延ばしになるだろうから、たぶん定年も65歳に伸びるだろう」と予想する人が多く、それが現実になるならば、私の「充実したセカンドライフ」とやらはまだまだ先のことになりそうで、そんなに働かなきゃならないのかと思うと、今から頭も体もへろへろな気分で、何だかめまいがしてきたりして(笑)

なんてね、ぽやいている場合じゃないんですけど。
この公募の応募資格は「50歳以上」ですから、必ずしも皆さんがセカンドライフに入っているわけではないですが、それぞれが人生をひと山もふた山も越えていて、改めて振り返ってみれば大切な誰かが傍にいてくれたことに感謝をしています。
また、今は亡き人への愛情を綴る手紙もあり、どれも心あたたまる手紙ばかりでした。

ええ、確かにそうでした。
で、この後、私は少々「常識的でない」感想を書きますが、べつにこの心温まる家族への愛や、それを聞いて感動した方、ましてや役者さんたちや企画した方たちの想いに水を指すつもりは全くありません。
でも、読みようによっては、ひねくれた感想に思えるかもしれません。
せっかくの感動を壊すような、そういうものを書くのはやめようかとも思いましたが、やはり自分のために書いておかないと、どうにも先に進めません。
「何故それを書きたいか」
自分のそれを含め、考えながら書きたいと思いますので、これ以後の文はとてつもなく長くなりそうだし、そんなものまで読んでも良いと了解して頂ける方だけお付き合いください。
そう断っておきますので、うっかり読んでしまって気を悪くされても抗議は受け付けませんので(笑)、悪しからずご了承願います。
一応、十行ほど下がりますね。
では、物好きなあなた、十行後にお会いしましょう(笑)









誰かの書いたラブレターって、たまに目にすることがありますよね?
古今東西の有名人が残したそれが何かのきっかけで発見されて、博物館などに展示されていたりして。
何年か前に、どこかの博物館で、幕末に徳川家に降嫁した和宮の手紙を読んだことがありました。
別の婚約者がいた和宮は周囲の思惑から逃れられず、徳川家茂には泣く泣く嫁いだとは聞きましたが、少なくとも戦場に家茂に宛てた彼女の手紙からにはそのような事情は露ほどにも感じられず、「せめてもの慰みにお菓子を送ります」などと、幼い妻からの思いやりや若い女性らしい可愛らしい愛情が感じられたのは、まんざら側近の下書きがあったとも思えず、その心の込められた手紙と、その後の彼らの運命を思い、私は思わず胸が熱くなりました。

なんて、つい脱線しましたけど(笑)
この「60歳のラブレター」はラブレターなんですけどね、そういった過去に見た生々しい手紙のことを思うにつけても、どうも聞けば聞くほどに、微妙に違和感を感じてしまったのは私だけなんでしょうか?
これはラブレターだけど、投稿したものなんですよね。
ラブレターという、最も個人的な文を、なぜ自ら投稿するんでしょうか?
お相手が亡くなってしまわれたのならばまだ解ります。でも、まだ生きている相手へのごく個人的な愛情と感謝の手紙までもを、なぜ臆面も無く不特定多数の目に入れたいと思うのでしょうか?
妻から夫へ、夫から妻へ、なぜ直接渡さずに公に「投稿」したのか??
決して非難したいのではありません。純粋に、本当に、疑問なんです。
どうしてこれらの素敵な手紙を、それを一番言いたい相手に向かって一直線に出さないのかと。
本当に、本当に、不思議で、でも、そんな余計なことを思う私は、だから人の繊細な心の機微というのが理解できない、自分はがさつな人間なのだろうかと思ったりもします。

この企画の応募要領を見てみたら、投稿された手紙の全ては「作品」として扱われています。その著作権などにも言及してありました。
ですから、自分の手紙が「賞」を取れば、賞金も貰えれるかわりに、どこかで発表されて本になったり、このように舞台化や映画化される可能性があるということは一目瞭然ですよね?
身近にいる大切な人に、日ごろの感謝や愛の言葉が気恥ずかしくてなかなか言えないというのは、そういう気持ちならば私にも解ります。
でも、それならば、その気恥ずかしくて、今まで心の中にしまっておいたそれらの気持ちを、日本国中に広め、そういう形で周りまわって、こういう形でその相手に届くのは恥ずかしくないんでしょうか?
恥ずかしいというのならば、そっちのほうがよっぽと恥ずかしいと思いますけど。
って、だから、重ね重ね言いますが、それに対してどうこうではなくて、それが私にはどうにも不可解で、単純にどういう気持ちなのか教えて欲しいんです。
あなたは、どこに向かって、誰に向かって、何故書くのかと。
それはこういう記事を全体公開で書いている、自分への問いかけでもあります。

ここで読まれた手紙は、どれもこれもが感動に値しました。
その手紙の想いが私たちにまで伝わってきたのには、さすが賞をお取りになっただけはある、その状況が粗方でもこちらに伝わったからなんだと思います。
だからこそ、時々と違和感を感じるのは、手紙なのに、二人だけの出来事に対して状況説明がさりげなく入っていたりするところだったりします。もし私が書くならば、そこいらは省略するだろうという、「あなたならばわかるわね?」という部分にまで説明がされている。
それを思うにつけても、これはその相手というよりは、別の第三者に読ませるために書かれた文章であるというのが解ります。
「あなたへ」と言いながら、あなただけではなく、向かう先は他にもある。
「あなたへ」ならば、何故、あなたにだけそれを書いて贈らないのか??
あえて公募へ書くということは、どのような意味があったのか?

だから、しつこいようですが、それがいけないと言っているのではなく、何故そうしたいのか?  自分のこの記事も含め、なぜそこまでして、見ず知らずの人にまで、誰かに自分の気持ちを聞いてもらいたいのか? 何ゆえ世界中に愛を叫びたいのか? という疑問に行き着きます。


話は突然変わりますが、ごく最近に「かなしみの哲学」(竹内 整一)という本を読みました。
日本人独特の感性である「かなしみ」には、万葉・古今の昔から、折に触れ和歌などの歌にされ、また近代や現代の小説にでも表現され続けています。
私の拙い解釈で恐縮ですが、ざっと読んだところ、「かなしい」というのには、様々な意味があるようです。

『やまと言葉の「かなし」とは、そのカナが「…しかねる」のカネとされる言葉で、力が及ばずどうしようもない切なさを表す言葉である。』とその本には書いてありました。
大切な人の死や自分のそれを含めて、たとえ手を尽くしてもどうしようもできない、「叶わぬ想い」のその切なさが「かなし」というわけです。
ですから、古代で「かなしい」とは、単なる悲しさだけでなく、愛情表現にも使われていたりします。
「どうしようもなほいどに、愛しく、可愛くてしかたない」とまで思う、その何をしても足りないほど可愛いと思う、「…しかねて」いる様子、力の及ばなさ、切なさが「愛し(かなし)」というわけです。
ですから、かなしみは、「叶わさ」や「届かなさ」でもあります。
そして、その為すすべもない切なさに、人は自ずと体の底から「ああ…」と声をもらします。
その時、それを真に癒すのは、誰かがその嘆息を聞き入れ、共有し、応えることのみなのだそうです。
そもそも、歌というのは、その「ああ…」と漏らされた声が始まりだということですが、つまり、その「ああ…」という想いが、歌と、言葉になるのなら、人は叶わぬほどの切ない想いを持つときには、誰かに向かって歌い、あるいは何かを書くことのみで癒される。

とまあ、私はざっとそう読んだのですが、なので、悲しいに限らず、嬉しいにつけ、愛しいにつけ、自然に沸き起こる自分の素直な感情を歌うということ、そして書くということは、基本的には「誰かのために」ではなく、ただ自分のためで、それで良いのではないかと思ったりもします。
それが自然と誰かに届けば良い。響き合えば良い。
気持ちが自然にこぼれ、誰かに「ああ」と呼びかけ、「あれ」と呼びかけられる「哀れ(あはれ)」と「憐れみ(あはれみ)」は相互につながると、本には書いてありました。。
誰かの想いが自分と響き合った時に、その想いは我が事になり、力づくでは決して作れない、人への、相互への思いやりや、いたわり、慈しみの気持ちが生まれます。

それを思えば、この『60歳のラブレター』は、亡くなった方に対する想いも含め、まだ元気で生きて傍にいてくれる大切な人への、どうしようもないほどの想い、感謝してもし足りない気持ち、言い足りないほどの愛を、誰かに聞いてもらいたい、一緒に共有してもらいたいという文章だったのかもしれません。

ああ、ここまで書きながら、ようやく、ちょっと見えてきました(笑)。

そう。この朗読を聞いて、たくさんの人たちがその書き手の方々の愛情を共有しました。
泣いておられる方もたくさんいました。
心を込めた手紙の、その想いは、たくさんの人に受け取められたことと思います。

このラブレターを書いた方々は、本当に良かったですね。
人生で愛すべき人と出会い、その想いを書けて、良かったですね。

…というのが、この企画への長い感想(?)のオチになるというのも何ですが(笑)

自分勝手に、いろいろなことを考えされられた舞台だったと思います。
その「いろいろなこと」には、まだ心の中に保留にしていることもありますが、それも込みで、私は「何故に書くのか」ということを、折に触れてぐるぐると(笑)考えていくのだろうと思います。
そして、そうしながら、たぶんこれからもずっと、この様な拙くて力の及ばない「かなしい」文を書き続けていくのでしょうね(笑)
それに込められた「ああ…」という何がしかの想いを、いつかどこかで誰かが共有してくださるのなら、やがて私も癒されていくのかもしれません。
って、あれ?、私って、癒されたいのかな? う~ん、それもまた疑問ですけど(笑)

もしかしたら、本当に書くべき相手にストレートな想いが書けないばかりに、こうして寄り道しているのかもしれません……。


このような脱線ばかりの長い文を最後までお付き合いしてくださった方、本当にありがとうございました。

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「ダンス オブ ヴァンパイア」

2011年12月14日 14時54分47秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2011/12/11マチネ 帝国劇場 
【出演】山口祐一郎 /石川禅 / コング桑田 / 阿知波悟美 / Jennifer / 馬場徹 / 駒田一
高橋 愛(サラ) / 浦井健治(アルフレート) / 新上裕也(VD)

「ダンス オブ ヴァンパイア」 は、初演、再演と一回ずつ観ていて、だからこの再々演で、私は三回目。
初演を観たときには、面白いっちゃ面白いけど、この物語の落としどころに「膝カックン!」をされたような脱力感があって「それはどーなのよ!」と思ったのよね。
だけど、「祭りには参加しとかなきゃね!」っていうんで毎回一度は観ておきたい! と今回も参加してみたら…
初演に比べて、ずーっと、ずーっと面白度が増している~! 楽しかったです!

何と言ってもお目当ての浦井アルフが、今回もまたベソベソと泣きべそをかきまくり。
かと思うと、そうでないときはニヘラニヘラと笑っているしで、プロフェッサーに「なんでいつも笑ってるの?」「君、面白すぎるよ!」とか言われたり、「ヴァンパイアの苦手なもの、その三つ目は?」とかアドリブで突然質問されてすぐに答えられなくてあせったり、膝かっくんされたりで(笑)、どこもかしこもな場面でヘタレ加減がアップしていて面白くて可愛いすぎ~!(笑)

禅さんのプロフェッサーは好きだな。ユーモラスで、温かくて可愛いです。
高橋愛さんは初めて見たけど、ちっちゃいね~!
アルフに飛びつくところがツボよね?(笑)
18歳の役どころに合っていて、歌もわるくないし、あの色気の足りなさで頑張っちゃってる感じにしても(笑)、そこが私は案外と好きかも。
もっと喉を鍛えて声量が増せば、伯爵様との掛け合いの場面であの歌のパワーが出てくると思うので、今後の成長に期待します。

そして私がこのミュージカルを毎度一回きりといえども必ずS席を奮発する理由といえば、浦井くん、、、だけじゃなかった(笑)そりゃ~、もう、クコちゃんでして。
クコール駒田は今日もせっせとお掃除しております!盛り上げておりますです!(笑)
その幕間のトークも楽しいけど、この日はほんのちょっとばかり歌ってくれて、、「これ、やってみたかった」なんていうのには、ちょっと得した気分。思わず「もっと聞きたい!」と拍手しました。
この方がいるからこそ、TDVはここまで楽しい参加型の舞台に進化したんじゃないのかしらね?
私は毎度一度きりしか観ないことにしてるけど、リピーターの皆さんが回を増すにつれ盛り上がっている様子を耳にするのも楽しいわ。

で、山口さんの伯爵さまなんですけどね。
この日、私は通路近くに座ってましたか、伯爵さまがそこを通られたときに、斜め前に立ち止まり、通路際に座っていたお客さんをじーっと見た、あの目がはっきりと目に焼きついてしまい、、あれから三日も経った今でも忘れられません。
感情をどこか遠くにおいたような、目の前を見ながら別の処を見つめていたような、あの伯爵の目には引き込まれるような迫力がありました。
伯爵というよりは、山口さんですね。
山口祐一郎さん、何か舞台を見るごとに、どんどん人間離れしていく気がするんですけど(笑)
もちろん、そういう役が多いからなんでしょうが、存在感がね、人から離れすぎてしまった感があり、体全体から何だか恐ろしい孤独を覗かされたような気がして、どうにもこうにも胸に迫る思いがします。
私は山口さんの、あの独特な歌い方の癖だとか動きが、実を言えばあまり得意なほうではないです。
レミゼなども、昔はあれほどではなかったのに、この前に見たときなどはその癖が増したような気がして、物語の後半に進んだあたりにいってもまだそういうところを気にしながら観ていたかもしれません。
だけども、終盤の、ジャンバルジャンが死に近づき、神へと近づいたあたりになると、たちまちにぐいぐいと惹きこまれてしまい、何度か観た以前よりもずっと、圧倒的に感動させられる場面となったのは、あれは何時頃からああいう感じになられたのでしょうか…。
私はにわかに次のエリザベートが楽しみになりました。

ともかくも…
ヴァンパイアのネタ私は特に好きで、あっちこっちと見たりして、それらの中でもこのTDVの結末には、特に初演の際には「そんなの、ありかぁ~?!」と脱力したものの(笑)、でも、これはある意味、投げかけられていると思うならば、深いと思えなくもなくもない。 って、え?、どっちだ??(笑)
この物語は、ヴァンパイアものとして私のツボから外れているとは思うけど、「これはこれ」として面白いと思えば面白いし、歌も良いし、ダンスも見応えあるし、キャラも魅力的だし、何よりもあのお祭り騒ぎがとても楽しいので、毎年…とは言わないけれど(笑) いつかまた再演してくれたら、やっぱり必ず観に行きたいと思います。

それにしても、この日、こっち方面のみならず、何故か、あっち方面(って、どの方面??)の友人達までもが集まっていて、思いがけなく「知り合い遭遇率」の高かった日曜日になりました。

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ソノダバンド~疾走(はしれ はしれ)~赤坂BLITZ 

2011年12月14日 02時22分10秒 | ライブ/コンサート

2011/12/12
ソノダバンドとは何ぞや? というと、早い話これよ!↓↓ 以下、この記事はソノダバンドの新曲「疾走」を流しながらご覧ください(笑) ※ご注意:曲の出だしは元気よく始まるから、深夜とかにうっかりびっくりしないでね。
  

「このバンドに、ヴォーカリストはいない。 が、歌詞はなくても、歌 が聞こえてくる。 ヴァイオリン・チェロ・キーボード・ギター・ベース・ドラム、 6つの楽器が、 心と技と体で歌う。」

…とまあ、この言葉も公式サイトからのコピペですが、ほんとにそんな感じ。
私はこのバンドのライブに来たのは初めてなので、最初のうちは「この音楽なら歌が欲しい!」とか思った。
で、思わず「歌詞を入れて歌にすると、どんな歌になるだろう」とか頭の中で、ついつい声を聞こうとする自分は、最近歌ばかり聞いていたので、どうやら、こういったインストゥルメンタルの聞き方というのを、いつの間にか忘れていたのかもしれないな。
何曲か聞いているうちに、だんだん楽器だけのバンド音楽に慣れてきて、歌詞がないぶん、いつしかとても自由な気持ちになれて、なんだか開放的に楽しくなりました。

そういや学生の時は、時々こういうバンドを聞きに行ってたわ。
音楽性は全然違ったけどね、知り合いに学生バンドをやっているグループがいて、歌ありもあったけど、歌なしのオリジナル曲もやっていて、あの頃は文化祭とか大学合同ライブだとかによく彼らを聴きに行ったっけ……。
この動画のように、教室をステージに変えて音楽に没頭していた、あの心から楽しそうだった若い姿が目に浮かぶわ。

な~んて、つい懐かしモードに入ってしまうのは、このソノダバンドはまだ学生の雰囲気が残っていて、芸能人ズレした感じがしないからなのね。
でも、このバンドのレベルは相当なもの。
歌なしの、インストゥルメンタル・バンドというスタイルながら、 赤坂BLITZをオールスタンディングで埋めるほどのブレイクぶり。
化粧品のコマーシャル曲や、フェルメール展のテーマソングなどを手掛けたりもし、今、もっとも注目されているバンドなんだそうです。
そして、このバンドの彼らは全員が東大生だったという異色のバンドでもあるのよね。

言葉にすれば形になる。
物語は好きだけど、たまには形のない歌を、こんなふうに、ただあるがままに、そして、自分の好きなように感じるのも心地よい。
だから本当に自由だ! どんどん楽しくなる。

このタイトルは新しいアルバムで、「疾走」と書いて「はしれ、はしれ」と読むところから来ています。
後半、特に最後のアンコール前の三曲の疾走感は快感でした。
ってか、ここらでようやく私もこの疾走に追いついたってことかしら?(笑)

そのどこかの場面で、天井からひらひらと、たくさんの白いハートが降ってきました。
そのつぎには、お星様も。
☆型の白い紙の隅っこにちょっとした重しがついて、それでひらひらとうまく舞うように飛んでいるのが可愛いです。
あ~、いいな~、それ。欲しい~!
なんて、私は運動神経が鈍いから、ひらひら飛んでいるものを掴むのなんて無理よね~!
そう思って、諦めてぼぉ~っとよそ見していたら、そのうちの一枚がスーッ!と胸のド真ん中目掛けて飛び込んできました。

嬉しい!! お星様を掴んじゃったよ!

思いがけないプレゼントに、それからの私のテンションは上がりまくり(笑)
彼らの演奏に、最後まで大いに盛り上がって、楽しい夜でした。

あ、「お星様が飛んだ」といえば、確か今夜は流星群が見られる夜だったっけ?
まだ見られるかしら?
ちょっと今から外に出てみようかな…

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【2011年観劇・その他】リスト12/28

2011年12月13日 22時00分03秒 | 【観劇・ライブ・その他】リスト

【2011年観劇・その他】

1月 8日映画「最後の忠臣蔵」
1月 9日「十二夜」
1月15日「時計じかけのオレンジ」
1月21日「MUSIC HOT FLAVOR」公開収録1/21ゲスト/中川晃教
1月28日「いさらい香奈子コンサート」
1月29日「ゾロ」
1月29日「Are you ready?  Oh!  セイ!ヤング・オールナイトニッポンコンサート」

2月 5日「ピアフ」
2月 9日「シラノ・ド・ベルジュラック」
2月11日「バックアップベイビース~私本x(かい)訳聖書~」
2月13日「バックアップベイビース~私本x(かい)訳聖書~」
2月13日「テンペスト」
2月17日ポピュラーウィーク 中川晃教
2月18日ポピュラーウィーク 原田真二
2月19日「眠狂四郎無頼空」
2月23日中川晃教 LIVE 201 1in TOKYO

3月 4日ACCIDENTS 2(俳優私塾POLYPHONIC第二回公演)
3月 9日映画「ヒアアフター」
3月21日「ウェディング・シンガー」東北地方太平洋沖地震チャリティー公演
3月25日映画「塔の上のラプンツェル」
3月26日「華鬼」
3月杉本文楽「曽根崎心中」※公演中止

4月 9日「陰陽師」
4月13日「新日の丸レストラン」
4月15日「欲望という名の電車」
4月16日「レ・ミゼラブル」
4月19日「レ・ミゼラブル」
4月20日「Underground Parade」
4月23日「Underground Parade」
4月24日「Underground Parade」

5月 1日中川晃教「LOVE for JAPAN」
5月 6日「私の頭の中の消しゴム 」中川晃教×村川絵梨
5月 7日「私の頭の中の消しゴム 」中川晃教×村川絵梨
5月14日映画「ブラック・スワン」
5月20日「スウィーニー・トッド」
5月22日「パイレーツ・オブ・カリビアン」生命の泉
5月25日映画「プリンセツトヨトミ」
5月29日「黒い十人の女」

6月 4日「風を結んで」 
6月11日「風を結んで」
6月12日「風を結んで」
6月13日「風を結んで」
6月18日「風を結んで」
6月19日「風を結んで」
6月25日映画「ブッダ」
6月26日マクミラン版「ロメオとジュリエット」

7月 2日「ベッジ・パードン」
7月 3日「東日本大震災復興支援チャリティー・コンサート」
7月 9日大規模修繕劇団旗揚げ公演「血の婚礼」
7月10日「ミヤとハジメ&ユウコ ライブ~未来ポスト」
7月16日「リタルダンド」
7月18日「中島梓メモリアルライブ」
7月30日「Augusta Camp 2011」

8月 1日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月 5日「奥さまお尻をどうぞ」
8月10日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月13日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月14日「青空の休暇」
8月17日「三銃士」
8月17日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月19日「父と暮らせば」
8月20日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月22日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月23日「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8月26日「向日葵」
8月27日「ファントム」
8月27日バレエ「マノン」
8月31日「向日葵」

9月 4日「身毒丸」
9月10日中川晃教コンサート The 10th anniversary"Black" 
9月11日中川晃教コンサート The 10th anniversary"White"
9月18日「髑髏城の七人」
9月19日人形劇俳優たいらじょうの世界「はなれ瞽女おりん」
9月23日「ロミオ&ジュリエット」
9月25日映画「モテキ」

10月 8日「I LOVE YOU, YOU'RE PERFECT, NOW CHANGE」
10月 9日「猟銃」
10月10日「アンソニーとクレオパトラ」
10月12日舞踊劇「サロメとヨカナーン」
10月16日映画「猿の惑星」
10月19日オペラ「サロメ」
10月19日「I LOVE YOU, YOU'RE PERFECT, NOW CHANGE」
10月22日「I LOVE YOU, YOU'RE PERFECT, NOW CHANGE」
10月23日「I LOVE YOU, YOU'RE PERFECT, NOW CHANGE」
10月29日「眠れぬ雪獅子」
10月30日バレエ「パゴダの王子」

11月 1日映画「ステキな金縛り」
11月 5日原田真二「Our Song」
11月 7日たいらじょう「毛皮のマリー」
11月12日「炎の人」 
11月12日「アマデウス」
11月18日長谷川きよしSolo Live
11月19日「仮面の男」
11月22日田島貴男「ひとりソウル・ツアー 『白熱』」(広島クラブクアトロ)
11月27日60歳のラブレター 絆 リーディング公演

12月12日「夜会」
12月10日さいたまゴールドシアター「ルート99」
12月11日「ダンス・オブ・ヴァンパイア」
12月12日ソノダバンド~疾走(はしれ はしれ)~
12日21日「乙女の祈り」 
12月24日「THE WIZ」
12月24日「THE WIZ」
12月26日「THE WIZ」

コメント
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