作・ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出・蜷川幸雄
これを見る一週間前に「女信長」ボケしていた私は、首をかしげたのでした。
私、なんでこのチケット買ったんだっけ?
なんで埼玉くんだりまで行くんだったけ?
そうだ!思い出した! これって、ケラだからだ!
ケラと蜷川さんって面白いかも~? でもってチケット安いし!
…ってなことで、初めて観た「さいたまゴールド・シアター」の皆さんは、
全員が55歳以上で平均年齢70歳、最高齢83歳の、「世界で一番過激」な演劇集団です。
詳しいあらすじ書くのなんて面倒だから、極力簡単にいうと、
「ご臨終近い安藤先生(アンドゥ)は50年前に恋した教え子に会いたくて、呼んでくれるように家族に頼むが、手違いで当時の教え子達が集まってしまった。こん睡状態のまま生霊となって妻や弟、既に亡くなっている兄に会う安藤先生。そこに教え子達や昔の愛人の娘や実の娘も絡んでドタバタするが、最後にはかつて恋した教え子の女性に想いを告げ、みんなに挨拶してから予定通りにお亡くなりになる」ってな話(笑)
自慢にもならないけど、この劇のプロローグで私ほど泣いたお客はいないと思う。
…ってか、誰も泣く場面じゃありませんから! なにせ始まってすぐだもの。
それは何故かと言うとね、音楽がかかるのよ。マイケル・ナイマン氏の。
そう!「エレンディラ」で、あれはたしか…ウリセスがオレンジの木に登ったシーンだったと思う。最後のほうでも使われていたかも。
そして、プロローグからオープニングにかけて、続けてナイマン氏のあの歌、「if」がかかります。
↓これよ。
この曲を聴くと、ほぼパブロフの犬状態で涙がこぼれてしまうけど、
私はあの「エレンディラ」の最後の20分にかけたメッセージのひとつを、
蜷川さんは、リアル老人達によって違うアプローチで伝えたかったのだと感じ、
それでもうほとんどこの舞台で受け取るべきものの半分以上を悟ったような気がしたわ。
そして、音楽って、なんて強い力を持っているのだろう!
この舞台に「エレンディラ」を重ねてしまったことで、私はウリセスが恋しくて、
さみしくて、涙がハラハラと止まらないの。
大阪じゃ同じ頃、あっきーファンはメイサ信長と一緒に「みつひでーっ!」と心の中で叫んでいる頃、私は泣きながらエレンディラの心で「ウリセスーーっ!」と呼んでいる。
我ながら阿呆です(笑)
その「エレンディラ」の最後の20分というのはね、
原作にはない、舞台用に付け足されたシーンなわけだけど、
少女の頃、可憐だったエレンディラも、自分のおばあちゃんとそっくりの大きなゴッツイお婆さんとなり、ウリセスはショボイ爺さん(こら!)になって再会するの。
けれども、永遠の恋人たちはたちまちかつての美しい姿に戻り(…って、つまり、みなみちゃんとあっきーなんだけど)綺麗なエレンディラと天使のウリセスの美しいシーンで終ります。
あれは、舞台的に美しく終らせたいのかと私は思ったし、たしかに二人にとってはかつての美しかった思い出の姿が互いの目に映っていたのだろうなとは思ったわよ。
でも、実感としてそれがどういうことなのかというと……やっぱりこの「アンドゥ家」は、よりリアルに胸に届くものがあるのね。
安藤先生は、50年前に恋した教え子が「私ももうお婆ちゃんよ」と言うのに、たしかこう応えます「今でも私の目には、あなたは美しく華やかだ」と。
これは決してお世辞ではなくて、本当に現在の彼女の姿にかつての姿が完全に重なって、そう見えるのだと思ったわ。
そして、一度だけ抱きしめさせて欲しい、「あなたを抱きしめるということは、思い出を抱きしめることなのだ」
その時、やはりマイケル・ナイマン氏の音楽が……そのシーンに「エレンディラ」を重ねて私はまた周囲の目もなんのその、ひとりハンカチで目を押さえます。
が!
そこは、やっぱりケラリーノ・サンドロヴィッチよ!
ここで終っちゃうわけがない!
彼女を抱きしめた安藤先生、やっぱり一度一緒に寝てくれ、もう30年はしてないけど出来ると思う(爆)、このビリヤードの台の上じゃどうだ?……なんて、彼女を無理やり押し倒し、そのドタバタが笑えるのなんの。
最初はロマンチックな気持ちもあった彼女(っていっても、老齢の女優さん)は、「やめて、やめて、誰かぁ~!」と助けを呼び、
…そして、人が来た頃、生霊だった安藤先生は消えてしまいます。
まあ、でも安藤先生、やるだけやって思い残すことはなし。
人生の終わりに、思いを告げられなかった恋しい人にひと目会いたいだなんて、
案外、そんなものかもしれないわね。
たとえ妻がいたとしても、「一分一秒忘れたことはない…とは言えないけれど、何かにつけてあなたを思い出していた」という人がいたこと。
それはやはり「エレンディラ」と同じだと思う。
追憶の美しき恋は永遠なり。
そして、最後のシーンでは、安藤先生の奥さんが「私、あなたのお兄さんと寝たことがあります。あなたの親友とも。でもあなたの妻で良かった」という告白を聞きますが、
安藤先生は知っていたのよね。それを最後まですっとぼけてあげることで、奥さんの、
そして安藤先生自身の重荷を下ろして旅立ちます。
「ありがとう、また会おう!」
その最後にもまた「if」が流れ、私はそのシーンに「エレンディラ」…ではなく、
大切な方のことが重なって泣ける泣ける。
もしかして、エンディングでも、私ほどこの劇で泣いた客はいないかと思う。
やっぱり自慢にもならないけどね。
本当に、本当に、この舞台が観られて良かったです。
演出・蜷川幸雄
これを見る一週間前に「女信長」ボケしていた私は、首をかしげたのでした。
私、なんでこのチケット買ったんだっけ?
なんで埼玉くんだりまで行くんだったけ?
そうだ!思い出した! これって、ケラだからだ!
ケラと蜷川さんって面白いかも~? でもってチケット安いし!
…ってなことで、初めて観た「さいたまゴールド・シアター」の皆さんは、
全員が55歳以上で平均年齢70歳、最高齢83歳の、「世界で一番過激」な演劇集団です。
詳しいあらすじ書くのなんて面倒だから、極力簡単にいうと、
「ご臨終近い安藤先生(アンドゥ)は50年前に恋した教え子に会いたくて、呼んでくれるように家族に頼むが、手違いで当時の教え子達が集まってしまった。こん睡状態のまま生霊となって妻や弟、既に亡くなっている兄に会う安藤先生。そこに教え子達や昔の愛人の娘や実の娘も絡んでドタバタするが、最後にはかつて恋した教え子の女性に想いを告げ、みんなに挨拶してから予定通りにお亡くなりになる」ってな話(笑)
自慢にもならないけど、この劇のプロローグで私ほど泣いたお客はいないと思う。
…ってか、誰も泣く場面じゃありませんから! なにせ始まってすぐだもの。
それは何故かと言うとね、音楽がかかるのよ。マイケル・ナイマン氏の。
そう!「エレンディラ」で、あれはたしか…ウリセスがオレンジの木に登ったシーンだったと思う。最後のほうでも使われていたかも。
そして、プロローグからオープニングにかけて、続けてナイマン氏のあの歌、「if」がかかります。
↓これよ。
この曲を聴くと、ほぼパブロフの犬状態で涙がこぼれてしまうけど、
私はあの「エレンディラ」の最後の20分にかけたメッセージのひとつを、
蜷川さんは、リアル老人達によって違うアプローチで伝えたかったのだと感じ、
それでもうほとんどこの舞台で受け取るべきものの半分以上を悟ったような気がしたわ。
そして、音楽って、なんて強い力を持っているのだろう!
この舞台に「エレンディラ」を重ねてしまったことで、私はウリセスが恋しくて、
さみしくて、涙がハラハラと止まらないの。
大阪じゃ同じ頃、あっきーファンはメイサ信長と一緒に「みつひでーっ!」と心の中で叫んでいる頃、私は泣きながらエレンディラの心で「ウリセスーーっ!」と呼んでいる。
我ながら阿呆です(笑)
その「エレンディラ」の最後の20分というのはね、
原作にはない、舞台用に付け足されたシーンなわけだけど、
少女の頃、可憐だったエレンディラも、自分のおばあちゃんとそっくりの大きなゴッツイお婆さんとなり、ウリセスはショボイ爺さん(こら!)になって再会するの。
けれども、永遠の恋人たちはたちまちかつての美しい姿に戻り(…って、つまり、みなみちゃんとあっきーなんだけど)綺麗なエレンディラと天使のウリセスの美しいシーンで終ります。
あれは、舞台的に美しく終らせたいのかと私は思ったし、たしかに二人にとってはかつての美しかった思い出の姿が互いの目に映っていたのだろうなとは思ったわよ。
でも、実感としてそれがどういうことなのかというと……やっぱりこの「アンドゥ家」は、よりリアルに胸に届くものがあるのね。
安藤先生は、50年前に恋した教え子が「私ももうお婆ちゃんよ」と言うのに、たしかこう応えます「今でも私の目には、あなたは美しく華やかだ」と。
これは決してお世辞ではなくて、本当に現在の彼女の姿にかつての姿が完全に重なって、そう見えるのだと思ったわ。
そして、一度だけ抱きしめさせて欲しい、「あなたを抱きしめるということは、思い出を抱きしめることなのだ」
その時、やはりマイケル・ナイマン氏の音楽が……そのシーンに「エレンディラ」を重ねて私はまた周囲の目もなんのその、ひとりハンカチで目を押さえます。
が!
そこは、やっぱりケラリーノ・サンドロヴィッチよ!
ここで終っちゃうわけがない!
彼女を抱きしめた安藤先生、やっぱり一度一緒に寝てくれ、もう30年はしてないけど出来ると思う(爆)、このビリヤードの台の上じゃどうだ?……なんて、彼女を無理やり押し倒し、そのドタバタが笑えるのなんの。
最初はロマンチックな気持ちもあった彼女(っていっても、老齢の女優さん)は、「やめて、やめて、誰かぁ~!」と助けを呼び、
…そして、人が来た頃、生霊だった安藤先生は消えてしまいます。
まあ、でも安藤先生、やるだけやって思い残すことはなし。
人生の終わりに、思いを告げられなかった恋しい人にひと目会いたいだなんて、
案外、そんなものかもしれないわね。
たとえ妻がいたとしても、「一分一秒忘れたことはない…とは言えないけれど、何かにつけてあなたを思い出していた」という人がいたこと。
それはやはり「エレンディラ」と同じだと思う。
追憶の美しき恋は永遠なり。
そして、最後のシーンでは、安藤先生の奥さんが「私、あなたのお兄さんと寝たことがあります。あなたの親友とも。でもあなたの妻で良かった」という告白を聞きますが、
安藤先生は知っていたのよね。それを最後まですっとぼけてあげることで、奥さんの、
そして安藤先生自身の重荷を下ろして旅立ちます。
「ありがとう、また会おう!」
その最後にもまた「if」が流れ、私はそのシーンに「エレンディラ」…ではなく、
大切な方のことが重なって泣ける泣ける。
もしかして、エンディングでも、私ほどこの劇で泣いた客はいないかと思う。
やっぱり自慢にもならないけどね。
本当に、本当に、この舞台が観られて良かったです。