今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「ヒメハル~ヒメジヨン・ハルジヨン~」

2012年05月28日 01時52分47秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

2012/05/17 @紀伊国屋ホール
【作】スエヒロケイスケ
【演出】 眞鍋卓嗣
【出演】 阿部百合子/荘司肇/遠藤剛/中吉卓郎/河内浩/塩山誠司/ほか

このお芝居、観に行ってからもう十日も経ってしまったけど、やっぱり書いておこうかな。

久しぶりに、「芝居を観た」という感じがした舞台でした。
俳優さんでもなく、演出でもなく、なんだか本当に「お芝居を観たなぁ~」と、しみじみと思いましたよ。
それにはやはり、まず脚本が良かった。
そして、役者さんたち全員がそれぞれの役を、しっかりと演じてくれていたからなのだと思います。

これは近未来、2040年の日本の話。
「少子高齢化で人口が激減し、九千万人を割ったころの日本、地方都市郊外の集落が舞台・・・」というわけですが、セットは「昭和時代??」と思ったような木造家屋が並んでいました。
上手側には粗末な長屋風の平屋。下手側には、まるでゴミ屋敷のような木造二階建ての家です。
そこに住むのは、 自治体が崩壊し、地縁血縁ともに見放された独居老人たちです。
そこへ、思春期から30年も外界と接触を断っていた中年引きこもり男がやってきます。

…とまあ、ストーリーを詳しく書くつもりはないんですけど、この舞台が進むにつれて、スマホやパソコンで流行しているネット・ゲームの世界が現実世界にリンクして、次第に仮想世界と現実が入り混じるところなど、この脚本、私はかなり面白いと思いました。
それに、ところどころ妙にツボに嵌まる台詞があるんですよねぇ…。
架空の世界と現実世界を融合させてみたら、(思いがけなく)精神世界が破壊されてしまった…みたいな。

あと、140歳の老婆が出てくるのですが、実はとっくに亡くなっていて、その体に別の魂が宿っていたというのも面白く、その老婆と中年引きこもり男性に、淡い恋愛感情のようなものが生まれます。
その魂の存在と現実の人との交流だとか、描き方がなかなか私好みであり、ある場面で思わず涙がこぼれました。
「こんな場面で泣く人なんて、私くらいか、他にいるとしたらこの舞台に誘ってくれた隣の友人くらかなぁ…」なんて思っていたら、本当に隣でも泣いていましたけど(笑)

ところで、その友人、我が愛しの某カオリン嬢(←匿名になってない?)ですが(笑)、出演者にお知り合いがいて、終演後にその方にご挨拶をするというのでご一緒させてもらったんですけどね、彼女はちょっと特殊な職業をしているので、その出演者の方がとてもありがたがっていらしたのが私には珍しくて興味深かったです。
友人の彼女が「面白かったです」というと、すごく嬉しそうで、演出家さんを呼び止めて紹介までしていたり。
それで、「今日はお芝居好きの友達と一緒に来ました」と私のことも言ってくれたので、私もちょっとは感想とか聞かれるかしら? とか、少し身構えていたら…、まぁ~、見事に何も聞かれなかったですねぇ~(笑)
当たり前ですけど。
そりゃあね、知りもしない、いかにも地味な一般人の私に興味持たれても困っちゃうんですけどね、気の利いたことも言えないし。だから全然構わないんですけど、あまりにすご~くわかりやすい方だなぁと、私、この一幕がすごく面白かったです。
このお芝居、期待以上に面白かったんだけど、この時の印象があんまり強くて、これだけがいつまでも記憶に残りそうだわ(笑)

まあ、そう言いつつも、「そんじゃ、私の感想はぜんぜん聞きたくないのよね?」って、ここで詳しい感想をほとんど省略しちゃったのは、私もまだまだ人間修業が足りないってことかしらね?(笑)

 

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朗読「宮沢賢治が伝えること」5/19(その二)

2012年05月20日 23時05分50秒 | リーディングドラマ(朗読劇)

2012/05/19 朗読「宮沢賢治が伝えること」@世田谷パブリックシアター
【演出】栗山民也
【出演】段田安則/小泉今日子/浦井健治
【音楽・マリンバ演奏】中村友子

前述の続きですが。
ああいう話を続けていると、なかなか舞台そのものの感想にいけないので(笑)いつもの調子に戻りますけど。

家に帰って改めて調べてみたら、宮沢賢治さんってやっぱり仏教徒だったんですってね。法華経の。
高校の国語の授業ではそんなことまで習わなかったと思うけど、この方の作品の根底に流れる独特なもの・・・生きとし生けるものへの慈悲の心とか、森羅万象に融合する感覚とか、あらゆる煩悩から逃れられぬ苦悩だとか・・・そういった仏教的な思想が下地にあったことは普通の学校の先生は教えてくれないですよね。

だいたいね~、日本の国語の授業やテストって、大概はほんとにろくでもなかったりするのよね?
みんなが同じ感想に行き着くように教えてる、っていうところがそもそもの間違いで、解釈に丸バツや選択なんかの正解と不正解を作るのはナンセンス。
これは私が中学の時くらいに聞いた事だけど、ある小説家が自分の作品が大学の入試に扱われたと聞いて、それで喜んで自分でその問題を解いてみたんですって。
そしたら、その作者本人が満点を取れない。
それってどーなのよ!
だから私は学生時代、テストの時に(評論文は別として)小説が題材の時には「出題者が求めている答え」を想像しながら読むことにしてましたけど、そのやり方だと実に「学校の先生好みの解釈」になるわけで、そうするとほとんど間違えることはないです。
自分がどう思うかとか、作者本人が何を伝えたいかじゃないのよね。出題者が何を答えさせたいか、なのよ。
なにせ、作者本人が満点取れなかったりするんだもの。
自由に作品を楽しむことを阻むような、そんな現代国語の解釈テストはもう止めちゃえばいいのに。

閑話休題。
宮沢賢治さんといえば、私は学生時代はあまり読んでいませんでしたが、去年の11月にたまたま読んだ「かなしみの哲学」(竹内 整一)に作品が引用されていたりしたので、わりとここ数ヶ月間は気になって本屋さんでちびちびと立ち読みなどをしておりました。
まあ、立ち読みせずに買えよ! ってな話ですけど(笑) でも最近じゃインターネットでほぼ読めちゃいますよね。ありがたいことです。(って、おい!)

まあ、そんなこんなで気になっていた宮沢賢治さんの作品が朗読劇として舞台化されると聞いて、なんてタイムリー! ぜひとも行きたいと思いました。
それにこの舞台には、あの段田安則さんがご出演じゃありませんか!!
段田さんって、本当に良い役者さんですよね~! 
私はストレートプレイは(も?)あまり多くは見ていないので、段田さんも一年に一度くらいしか拝見してないかもしれませんけど、「役者さん」というと、まず初めに段田さんのお顔を思い出しますもの。この朗読劇もぜひ段田さんで観に行きたいと思いましたよ。
段田さんはどのような役で見ても、すっとそれにハマって、しかも味がある。良い人を演じても、悪い人の役でも、どっちだかよく解らない人の役でも(笑)、段田さんって、役に人間の奥行きが感じられて、それでいてちょっとユーモラスなエッセンスが入っていて好きなんですよね~。
この朗読劇でも、いくつかの役柄のそれぞれに味わいがあり、さすが声の通りも良くて、静かな語り口にも耳に心地よくて聞きやすく、とても良かったです。

それから浦井健治くん。
って、え? あっきーじゃないの? って感じですけど、あっきーは平日マチネだったもの。
「プロミセス」のマチソワでこの前休んだばかりだし、月に有給休暇を二回もとるのは今の私じゃ無理。
あっきーは段田安則さんと同じ舞台に立てて良かったね! 私は行けなくて残念だけど、折角だから段田さんの良いところから、何かちゃんと吸収してきてくれるといいな。・・・とまあ、それだけね。

で、今回は浦井くんなわけですが。
「ヘンリー六世」の時にも感じられたことですが、やっぱりこの人には独特の透明感や浮遊感がある。
役を演じるとき、浦井くん本人は無我のように見えて、それでいて浦井くんらしさもちゃんとあるという、そんな不思議な魅力が宮沢賢治の世界にぴったりでした。
あの温かみのある、ふわりとした丸みのある声にも癒されました。

小泉今日子さんは生で拝見するのは初めてでしたが、思ったよりもずっと可愛らしい声です。
少女のようなその声は、よだかの寂しさによく似合っていたと思います。

朗読劇に行くといつも思うことだけど、朗読には読み手の「人」が出る。
できることなら、他の役者さん達の回も観てみたいと思いました。

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朗読「宮沢賢治が伝えること」5/19(その一)

2012年05月20日 18時22分01秒 | リーディングドラマ(朗読劇)

2012/05/19 朗読「宮沢賢治が伝えること」@世田谷パブリックシアター
【演出】栗山民也
【出演】段田安則/小泉今日子/浦井健治
【音楽・マリンバ演奏】中村友子

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を初めて読んだのは何時の頃だったろうか。
たしか高校の教科書にも載っていたような気がする。
その時、たぶん私はこの詩を読んで「なんと心のきれいな人だろう」と思ったに違いない。
けれども、それから歳月をかさねて今これを読むと、宮沢賢治という人は「とても苦しみながら生きてきた人なのだろう」という想いが強い。
「そういうものに わたしはなりたい」と、そこに至る心を思うと、私は時として涙がこぼれる。
なりたくても、未だなりきれていない自分というものがなくしては、このような詩は書けるはずがない。

無私と無欲で自然に混じり、慈悲の心で隔てなく他人に尽くしたいと願う、その想いはまるで修行僧のようであり、そこに重なるのは、たぶん仏教の思想なのだろう。
雨にもまけず、風にもまけないその「理想の姿」とは、まるで悟りを開いたお釈迦様のようではあるまいか。
森羅万象に溶け込みあい、「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから」(春と修羅)という宮沢賢治の作品の根底に流れるのは、まさしくブッダのごとき悟りであり、しかしながら、本当の悟りの境地には未だたどり着けず、煩悩に苛まれ修羅に苦しみ、理想には遠く己の未熟に喘ぐ姿がそこに見える。
無私無欲でありたいと望むということは、即ちその望みこそが苦しみの元であったに違いない。
「おれはひとりの修羅なのだ」
その苦しみを思うと、私は思わず勝手に共感の涙がこぼれてしまうのだ。

けれども、この朗読劇の途中で私が涙をこぼすシーンはなかった。
とてもフラットな気持ちで、心静かに聴けたような気がして良かったと思った。
黙読と違いこうして声に出されて味わえば、宮沢賢治の作品はリズミカルで不思議な透明感もあり、とても気持ちの良いものだ。
ところが、最後の一節、「報告」で、「もう一時間もつづいてりんと張つて居ります」と三人の声が合わさった時、止めどもなく目から涙が溢れてどうしようもなくなった。
何かが緩んでしまったのかもしれない。

客達が次々と席を立つ中で、私は涙が止まらずに立てなくなった。
隣の友人は何も言わずに待ってくれている。一緒に座ったまま、そっと静かに待ってくれていた。
それがひどくありがたく感じられた。
けれども、最後に突然生まれた自分の感想とは、この朗読劇に相応しいものだったかどうかは疑わしい。
ごめん、どうやらまた私は自分勝手な想いに捕らわれていたようだ。

「書かなきゃならない。私もまた書かなくてはならない」
私はそれで泣いていた。
最近さっぱり創作文が書けない自分自身の、その欲を思って泣いていた。
誰に褒められずとも、馬鹿にされても、それどころか、誰ひとりの目に入らずとも、それでも下手な自分、未熟な自分の、この逃れがたいあらゆる欲と戦いながら、魂の赴くままに、自分自身へ向かってただ一心に、「書かなくてはならない」と思った。
なぜならば、私もまた修羅のひとりなのだから。

他の誰は知らないけれど、この私が宮沢賢治から一番に伝えられたものとは、つまりそういうことだった。

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「PROMISES・PROMISES in Concert」

2012年05月13日 23時35分17秒 | ライブ/コンサート

5/9 マチネ&ソワレ @新国立劇場 中ホール
【上演台本・演出】田尾下哲
【振付・ステージング】本間憲一
【音楽監督】宮崎誠
【出演】中川晃教 / 彩乃かなみ / 戸井勝海 / 紫城るい / 浜畑賢吉 ほか

え~っと・・・・
現代、「巨大企業」と言われるほどの大会社であれば、平社員や主任クラスの下っ端の若手社員など、数字が如実に現れるような花形部署において社運をドラスティックに変えてしまうほどの大金星でもあげない限り、人事部長がその人事に直々に口出しすることなんか、不自然すぎてとても考えられません。
60年代のアメリカって、どんだけ規模が小さかったんだか。
ってか! そもそも、チャックは出世したかったら取り入るべき上司を間違えていると思うけど。
いやいや、百歩譲っても、もしこの方法で本当に出世したならば、腐っているのは不倫している上司達よりもむしろ、「アンフェアな方法で勤務評価を上げてもらったチャックのほうじゃないか」ということになってしまうだろうと私は思う。
周囲の納得も得られないようなこの出世に、どんな未来と満足が??

というわけで、最初から最後まで、突っ込み始めたら面白いくらいに数限りないこの舞台。
それほど、現代の日本とこの舞台の元々の設定とはギャップがあるのよね。
デスクの上にはパソコンもなく、黒い電話も珍しいし、薄いグレーのスーツとかマネキン人形のような金髪や赤毛のヘアスタイル、色とりどりのワンピースとか、いかにも昔っぽい、見知らぬレトロな世界は昔テレビで見たアメリカのコメディ・ドラマのようで面白かったです。
だから、あっきーは丸の内でアフター・ファイブを楽しむ現代の会社員なんか見学してもぜぇ~ん、ぜんっ!役に立たないだろうと思うけど(笑)
だってほら、その「見学」の成果はいったいどの辺りに出ていたのかなぁ~? (笑)

で、そのアフター・ファイブに立ち寄ったカクテル・バーのバーテンダー、中西勝之さんね! そこですか?ってな話だけど、中西さん、歌が上手いだけじゃなくて面白いです。
ワイングラスを磨いていたのは良いけれど、そのうちに勝手にお酒を飲みだしたかと思えばしまいに酔っ払ってるし(笑)
コメディと聞いたわりには全然コメディな舞台ではなかったけれど、中西さんだけはちゃんとコメディしてましたよね? 思わず一月に見た「私は鳥刺し」を思い出しました(笑)

ところで、バート・バカラックといえば有名なヒット曲も多いので、戸井さんが仰っていたようにそのほとんどはどこかで耳にしているものだとばかり私も思っていましたが、案外と知らない曲もあったのよね。
第二部で歌われた数々のヒット曲はともかくとして、第一部の曲は「I'll Never Fall in Love Again (もう恋なんてしない)」以外は、ほとんどが知りませんでした。・・・というのは、それが舞台用に作られた曲だからかしら?
そして、改めてこうして立て続けに聴いてみると、バカラックの曲って耳ざわりの良い曲ばかりなのね。
だから私が思うに、今流行りの劇場的な楽曲とは言い難い。
うわ~っ!と歌い上げる部分がないので激しく感動したりしないし、ものすごく華やかな展開に心浮き立つということもなく、かと言って悲痛さもそこそこで、要するに、ドラマチックな部分もなくはないけれど、名曲のわりに全体を通すと平坦に感じられてしまったのは、まさにどこにでもいそうな平凡なサラリーマンの人生と同じ。
それをコメディに仕立てるからこそ面白みがあるというもので、そのコメディ部分を削ったイン・コンサート式のこの舞台で、演出家の田尾下哲さんは一体何をしたかったのでしょう??
もしこれをミュージカル舞台化の足がかりにしたかったのなら、物語の結末まで行かずに途中でぶった切ったのはお世辞にも良策だったとは言えないです。少なくとも私にとっては。
この先は皆さんのご想像にゆだねます、と言われても、私なんか休憩時間に友達に結末を聞いちゃったもんね(笑) 
本当は開演前に「この話のあらすじはわかっているけど、結末だけは知らないからそれが楽しみ~♪」なんて言っていたんですけど・・・。
どうして第二部で一部の続きをしなかったのかしら? この中途半端さがものすご~く謎。

なぁ~んて言うからには、私がこの第一部を不満に感じていたかというと、それは大違い(笑)
先月から何度か書いているように、このところ私はマジで疲れ気味。
転勤してからこっち、半端なく仕事量が増したのと、それに並行して新しい業務も覚えなきゃならないしで、毎日が緊張の連続で一杯一杯なのよね。
だからね~、この耳にやさしく心地よいバカラックの世界は緊張感なくゆるゆると弛緩していられたのが良かったし、何よりもマチネではほとんどセンターで見られて、久々に「あっきーを見た!聴いた!」という気がして、ついつい頬が緩む~(笑)
休憩時間には友達から「その崩れきった顔をなんとかしなさい!」と言われたほどに、ニタニタと不気味に顔中が崩れきった私です。
マチネ後のお茶会でも、「何はともあれ、とにかく、あっきーの歌が真ん中で聴けたからいいや~!」とかニコニコしていたら、別の友達からは「最近、ハードルがやけに低いよね?」と言われたし(笑)

そうそう、だから結局ね、あっきーに関しては幼稚園の子と同じレベルなのよ。
ヒーローが出てくれば、それでいいや~!って、いまやそんな感じ。
どっちみち、チケット買う時点では、あっきーさえ出ていれば面白いかそうでないかなんてまるで解らないで盲目的に買うわけだし、たとえ一曲しか歌わないゲスト出演の舞台でも東京での公演なら買うだろうし、実際に何年か前にそういうこともあったし。
だから、舞台に何を求めて行くかってことなんだけど・・・。
私がこの先、舞台離れをするかどうかってことは、あっきーにかかっているといっても過言ではないと思う。
それで改めて、「あなたは私を何処に連れて行こうとしているのか?」とあっきーに聞きたい気もするけれど、、それがたとえ何処でも行くしかないと思うならば、それは私の意志だから、問うべき先は自分なのかな、やっぱり。

・・・とか、話が妙な方向に行ってしまったから話は変わるけど、その第一部の「プロミセス」本編をぶった切って、あえて行われた第二部のバカラック特集ですけどね、これは観劇後の翌朝にふと思い当たったことだけど、あれの狙いって、まさかの「昭和の歌謡ショー」ではなく、もしかして、「題名のない音楽会」みたいなのを目指したのかしらね??
「バカラックの名曲をたっぷりと味わってもらいましょう」というような親心だったのかもしれないけれど、アタマの中が幼稚園児レベルのお子ちゃまな私にはやけに時間が長く感じられて、「ねえ、ママ~、ヒーローのお兄ちゃんはいつ出てくるの? …ねえ、まだぁ~?」と足をじたばたさせたくなりました。

ああ、オトナになる日は遠い(笑)

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映画「テルマエ・ロマエ」

2012年05月06日 00時32分04秒 | 映画

【原作】ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」
【脚本】武藤将吾
【監督】武内英樹
【出演】阿部 寛 上戸 彩 北村一輝 竹内 力 宍戸 開 笹野高史 市村正親 キムラ緑子 勝矢 外波山文明 飯沼 慧 岩手太郎 木下貴夫 神戸 浩 内田春菊 松尾 諭 森下能幸 蛭子能収

古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス(阿部寛)が時空を超えて、現代の日本を行き来するというファンタジー・コメディー。

  

期待通りに、とっても気楽な気分で笑いながら観られた映画でした!
面白かったです。

これを見ると、日本人で良かったな~、とも思います。
特に、漫画家志望の真実(上戸彩)の田舎の爺さんズの皆さんが、実にほのぼのとして良かったな~。
その上戸彩ちゃんは可愛かったけど、やっぱりなんといっても阿部さんだわ!
お風呂の話とあって、阿部さんの全裸姿が何度も出てきましたが、まるでギリシャ彫刻を見るような見事なお体! イタリアの現地の人々の中でさえもひときわ長身に見えましたが、その鍛えられた堂々たる体躯とバランスの良さには感心しました。
とか言っても、ゲラゲラと笑いながら見ていたんですけどね、日本人の「平たい顔族」の役者さんと、ローマ人役を担当する濃ゆい顔の役者さんたちの対比も面白かったです。
阿部さんや北村さんもですが、なんといっても市村さんは顔が濃ゆいだけでなく存在感が濃ゆいです。
ってか、市村さんはローマ皇帝がハマりすぎ! そりゃあね、いくら濃い顔っていっても、よく見れば日本人は日本人なんですけど、もう存在がローマ皇帝なんだもの。

阿部さんルシウスの風呂カルチャーショックが可笑しくて、ほんとうに終始笑いながら見ていましたけれど、終わってみればやっぱりお風呂に入りたくなりました。

温泉、行きたいな~!!

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