2012/04/28ソワレ @サンパール荒川
タミーノ役が武井基治さんだというので行ってきました。
武井さんというと、ミュージカル好きにとっては「レ・ミゼラブル」の司教さまです。
私はその司教さまは一度しか観てませんが、今年に入っては一月に「おコンサート」、二月にバロック・オペラの「プラテ」と続き、この「魔笛」でいよいよ二枚目役の武井さんを観てきました。
「魔笛」って、あのモーツァルトですよね。
「あのモーツァルト」って、あっきーでもヨッシーでもなく、ましてや育ちゃんでもなく武田真治さんでもないんですけど(笑)、なんかね~、今までいろんなモーツァルトを見てきちゃったせいか、「そういや、この曲って、あのモーツァルトが作ったんだっけ」なんて、妙に知った風な気持ちがするのが我ながらおかしいわ。
「オペラ劇場あらかわバイロイト」は肩の凝らない親しみやすい「市民のためのオペラ」という感じでしたが、あのシカネーダーとモーツァルトが目指した舞台はまさにこういうものじゃなかったかしら?
それにしても、その当人たちが知ったら驚くでしょうね。
時代が変わり、ずっと未来になってもまだ、しかも見知らぬ東洋の小さな国でもこんなふうに「魔笛」が上演され続けているなんてね。
けれども実を言えば、私はオペラの「魔笛」をこういう形でちゃんと通しで観たのは初めてです。
演目としては三回目かな。
一番最初に観たのは2008年の「ソウル・オペラ魔笛」というやつで、これはモーツァルトの旋律にアフリカの音楽を融合させた珍しいもので、ゴスペル調のソウルフルな舞台だったんですよね。
これがね~、面白かったと思うんだけどあまり記憶にないです。
なにせ感想を書いてなかったので。
感想を書かないと、何を思い、どこに感動したのか、次々と忘れちゃうんですよね~、記憶力が悪いから。
ところが、あまり面白くなかった舞台でも一応書いておけば、案外と後々まで断片的にでも記憶が残っていたりするんですけど。
それで、ソウル・オペラはたしか打楽器使いや歌の迫力が凄かったことが薄っすらと記憶にはあるものの、ほとんど忘れています。もったいないな~、書いときゃよかった。
二度目に観たのは、ついこの前の「ピーター・ブルックの魔笛」です。
あれはさすがに記憶に新しいですが、本当に面白かった! かなり良かったです!
で、この時の舞台で削ぎ落とされた部分はどこだったのか? という確認をする意味でも、今回の普通の(というのも何だけど)オペラ「魔笛」を観てきて良かったです。
と、言ってもね~、こうして休憩挟んで三時間あまりの舞台を観てみると、確かにあのピーター・ブルックが削ぎ落としたシーンとかが解りましたが、それでも物語を楽しむに全く不足していなかったことも解り、改めてピーター・ブルックの「魔笛」の素晴らしさを感じてしまったということなんですけど。
まあ、だからといって、この「あらかわバイロイト」の舞台が良くなかったというわけじゃありませんよ、もちろん。
やっぱりね、こういった基本的なものは観ておくべきですよね~。
できたらソウル・オペラの前に一度は観ておけば良かったかも。そうしたらもっとずっと楽しめたんじゃないかしら?、あのゴスペル調の音楽とか、エネルギッシュな演出とかもね。「へぇ~、こうきたか!」というような、色々な発見ができたのかも。
ところで、そのお目当ての武井基治さんのタミーノは端正な二枚目オーラが出ていましたよ!
テノールのお声にもだけど、佇まいにも。
って、そこはやっぱ大事でしょう(笑)
いくら台詞で「ハンサムだわ」とか、「なんて美しい!」とか説明されても、舞台の上の人がそうでないと、ビジュアル的な脳内変換って難しいんだもの。
オペラはね、観る人にそういう無理やりな力技が必要とされるのかも??ってところが私はちょっと苦手で、もちろん歌がある程度上手じゃなきゃ困るんだけど、ミュージカルのようなエンターテイメントに慣れた者にとっては、歌だけじゃなくて、見た目的にもハンサムはハンサム、美女は美女のオーラがある人(実際はメークで作ったとしても)に演じてもらったほうが嬉しいのよね。
なんて、ろくなこと書かないな~、我ながら。
音楽のこととか、歌のこととか、もっと他にましなことを書くことがないのか!って感じですけど。
感想がないわけじゃないんだけど・・・
だってね~、最近ね、見た目の力、「綺麗、可愛い、カッコイイ」姿形の底力って凄いものがあるなぁ~、なんてつくづく思うのよね。
それというのも、あの大震災以降、世のアイドル達がどれだけ多くの人を喜ばせて義援金を集めたのかを考えると、人って好ましい容姿の人をただ目にするだけでもどれだけ幸せなのかっていうのがつくづくと良くわかる。
この「魔笛」にしたって、タミーノは美しいバミーナの姿絵をひと目見ただけで命がけの恋をしたわけでしょ?
バミーナにしたって、ほとんどタミーノにひと目惚れだったし。
ひと目惚れの力ってすごいな、って思う。
もちろん、世の中には美男美女ばかりではないし、あの微笑ましいパパゲーノとパパゲーナのカップルだってほぼひと目惚れだったわけなんで、好ましい姿というのは人それぞれの本能なんでしょうけどね、顔にしろスタイルにしろ、声にしろ、雰囲気やただの思い込みにしろ(笑)、最初の印象で惹かれた相手にそこまで入れ込んでしまう率直さとかそのエネルギー、自分の本能への素直さが、ある意味私には羨ましい。
なんて、う~ん・・・どうも調子がわるい。
「魔笛」の物語、本来の面白さからどんどん外れた感想になっていくし。
やっぱりね~、疲れが酷くて、風邪気味で体調も悪くて絶不調だったんですけど、そういう時は悩むんですよね、行くべきか休むべきか。
二年に一回くらいはあるかしらね、チケットがあるから無理して劇場に行ったは良いけど、やっぱり座っているのもしんどくて、「家で寝ていたほうが良かったかも」と思うことって。
それでも、無理してでも行かなくちゃ!と思うのは、それなりにお目当てがあるからで。
というわけで、「なんじゃ、こりゃ?」的な感想(にもなっていない)ですけど、今回はお正月の「おコンサート」で、「武井さんの二枚目役をぜひ見てみたくなりました」と書いたので、その念願が思いのほか早くに叶いもしたことだし、オペラの「魔笛」が初めて通しで観られて満足でした。
今宵も誰かが疲れている
世界中で
あらゆる場所で
どこかのプラットホームに向かう階段の下で
というのは私のことね
「今宵も誰かが・・・してる」の書き出しはつまり、いさらい香奈子さんのライブなんですけど、これは4月20日の話。
ってことは、先週の金曜日ですから、もう一週間以上も経ってしまいました。
私は転勤して一ヶ月が過ぎ、ここに至ってとても疲れています。心も体も重いです。
昨日あたりは朝の通勤時に駅の階段を登りながら、その頂上のホームがやけに遠く感じられて、遥か彼方に見えたりして。
とかね~、こんなところにまで、つい弱音を吐きたくなる程度にはきちゃってるのよね。
たぶん、そのうちにまたゾンビのように復活するんでしょうけど、それにしても、いい加減ボロボロになってきたよなぁ、このゾンビも。
と、ぼやく、ぼやく(笑)
まあそれで、今月は平日の夜に遊びに行く余裕はほとんどありませんでしたけど、この日のライブは職場にとても近くて、歩いて行ける距離だったのはとても有り難かったです。
ところで、いさらい香奈子さんも最近はどうもお疲れのようです。
というのも、実は彼女は新宿三丁目に新しくショット・バーをオープンするのだとか!
もちろん、歌が聴けるお店ですって!
今はその準備中で、店のデザイン、照明、音響などを劇団関係者にお願いし、予算をおさえるためペンキ塗りなどは自分でやっているのだそうです。
そりゃー、大変だ~!
そのお話はブログに書いてあったので、私も含めてお客さん達みんな知っていたことですが、なんと!この日のピアニストの方だけがお店のことを知らなかったそうで、ひとりで「ええ~っ!!」と驚いていたのは可笑しかったわ。
どんなお店になるんでしょうね? いさらいさんはお料理も得意なのでお食事も出してくれるそうですけど、開店したらぜひ行ってみたいと思います。
そんなこんなで、この日は馴染みのお客さんたちで客席が埋まり、いさらいさんは良い感じに肩の力が抜けていたんじゃないてしょうか?
その分ノリも良くて、リクエストにも応じながら次々と歌ってくれているうちに、いつの間にやら二十曲以上にもなっていました。
私たちはたくさんの歌が聴けて嬉しかったですが、さぞかしお疲れだったことでしょう。
私のこの日一番のお気に入りは「地下鉄の切符切り」という歌。
毎日毎日、ひたすら切符に小さい穴を開け続ける駅員さんの歌ですけど。
僕は切符きり
直通はあちらです
もぐらのように悲しく思いつめている
素敵に明るいカーニバルの空
けれどここにはタイルの空しかない
ずっとまぶたに浮かぶ、どっかの港
靄にかすんだ波止場のむこうから
僕をさがしに船がくる
僕を迎えに船がくる
けれどつかの間に船は消えて
僕はちょっとへまをやる
小さい、小さい、小さい穴
小さい穴、小さい穴、小さい穴、小さい穴
(「僕は切符切り」より)
なんて、
うわ~、この歌がベストだったとは、やっぱ日々の労働にそうとう疲れてんな、あたし(笑)
いや、だけど、いさらいさんが歌うとこの歌、ものすご~く、くるものがあるんですけど~!
う~ん、なんとかしてこの日々を乗り越えなくては!
もうやるしかない、頑張ろう
【セットリスト】
いいえ私は後悔しない
このままでいたいの
小雨ふる道
私には出来ない
陶酔の時
それぞれのテーブル
ミロール
真夜中の居酒屋
人の気も知らないで
葡萄の季節
次に私を愛してくれるのは誰
ジーラジーラ
カルーソ
悲しみのソレアード
愛の讃歌
私の町でダンスパーティ
幸せな愛などない
世論
If We Hold On Together
地下鉄の切符切り
モンデュー
時は過ぎていく
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
そのきさらぎの 望月の頃
(西行法師)
私は毎年この時期になると、何かにかこつけては何処かしらでこの歌を書いているような気がします。
「願うことなら、桜の花のもとで春に死にたいものだ。あの(釈迦が涅槃に入ったという)如月の満月の頃に。」
如月とは二月を言いますが、この場合は今の新暦でいうと四月あたり。ちょうど今頃ですね。
西行というと、月や花を愛でる歌がやたら多いのですが、何故か私はこの歌が特に好きなんですよね。
西行は裕福な武家に生まれ育ったそうですが、わずか23歳で出家して俗世界を捨て旅に出てしまいます。
その長い旅の中で、一時は吉野の山に暮していました。
今回の旅行で吉野の山を訪れたところ、「西行庵」と呼ばれるそこはかなり山の上のほうでした。
私たちは時間の都合で残念ながら中千本からひき返すことになりましたが、それでも西行法師が愛でた吉野の桜が見られて本当に良かったです。
それはそうと、西行って美男子だったんですってね。
それで、どうして将来有望でハンサムだった彼が、そのように若くして出家したのかというと、一説には「友人の死に人生の無常を感じた」とかも言われていますが、「年上のさる高貴な女性に許されぬ恋をしたため」という説もあります。
なので、「西行は花(桜)に恋しい人を重ねていた」という解釈の仕方もあるくらいで、改めてそう思いながら西行の歌を味わってみると、西行の詠む花の歌は思いのほかに切なくて、なかなかに断ち切りがたい恋の歌とも捉えらることもできます。
文学は原作者の手から離れた瞬間に、受け取り手の数だけ無限にパラレルワールドが生まれるものだなぁと、最近そんなふうに思ったりもして。
な~んて話はともかくとして(笑)
私らはこの時期の吉野の山を甘くみていました!
旅行ガイドブックを見て、吉野は奈良と近いとばかり思っていたんですよ。だいたい電車で一時間くらいかな?とか。
ところが、まるで朝の通勤ラッシュほどに混雑した車内で立ちっぱなしの二時間!
吉野の駅に着いたころには既に足が痛くなりました。
もうちょっと早くにホテルを出れば良かったんですよね。途中でトイレ行列に並んだりしちゃったせいもあって、吉野駅到着が昼過ぎになってしまいました。
そして吉野の山は人、人、人。
う~ん、花見の季節だけに、さすがに行楽客でいっぱいでした。
山道に人がいっぱいというのは、東京でも高尾山もそんな感じですが、吉野山の道はもっとずっと広く、お土産屋さんもたくさんあって賑やかです。
なので、そのお土産の品を見たり買ったりする人達がぞろぞろとゆっくり歩くものですから、なかなか先に登れません。
友達とついうっかり離れてしまうと迷子になってしまいそう。
山の写真を撮りたいときにも、互いに声を掛け合い、離れ離れにならないように気を使いました。
日本人って、ほんとうに花見が好きよね~! なんて思っていたら、外国の人も結構いたし。
ある程度予想していたこととはいえ、予想以上に人が多くかったので、帰りの電車の混雑を心配して予定よりも早めに下山したくらいです。
なので、上千本まで行けずに中千本あたりで帰ってきちゃったんですけどね、でもちょうどそのあたりが一番の見ごろだったかもしれません。
その「千本」というのは、「ひと目で桜が千本は見える」という意味からきています。
一面が桜の花に覆われた山は、その淡い色合いにまるで煙るようにも見えました。
その淡さゆえにか、華やかというよりは、むしろ大人しやかな美しさ。
夢に見た、いにしえの景色が今に広がり、「とうとうここまで来たんだわ!」という感慨もひとしおです。
けれども、いかんせんこのもの凄い人の数!
それにやっぱり葛餅や柿の葉寿司、奈良漬とかじゃこの佃煮とか桜の塩漬けとかの土産品も見たいしで、なかなか情緒だの風情だのに浸っている暇もありませんでしたが、この桜の風景は胸にしっかりと焼きつきました。
たぶんきっと、この先何度も思い出すうち、この桜の景色に付け足される何がしかが心に生まれるのだろうという気もします。
綺麗な景色を見て、美味しいものもいっぱい食べたし、仲良しの友達と行ったこの旅は本当に楽しかったです!!
今宵は劇場でお会いできません
吉野の千本桜を見たくて、友達と三人で奈良に旅行に来ています。
ジャパネスクな君に会うのが長年の夢だったの!
一泊二日の初日の今日は、まず奈良の都で興福寺の阿修羅像をじっくりまじまじと見て参りました。
特に仏像好きというわけでもない私ですが、阿修羅像は長々と見ていても本当に飽きないです。
お顔も、その表情も、格別な魅力がありますよね~!
釈迦の十大弟子などの像もそうですが、リアリティあるその姿を前にして静かにじっと目を合わせていると、なんだかその像と語り合える気がします。
それにしてもね~!
今日のメンバーは、ここ何年かほどで恒例となった「大人の遠足」メンバー五人のうちの三人なんですが、私はともかくとしてあとの二人が面白過ぎです。
興福寺の仏像を前にして手を合わせた後、一人はなんと!ニッコリと微笑んだ!
「なに?なんなのよ!そのニッコリはっ?!」と突っ込めば、「挨拶だから、一応笑っておかなきゃと思って」
って、あんた!近所のおばちゃんに挨拶してるんじゃないんだから(笑)
そしてもう一人は大仏様のお顔を見ながら、何故かいまにも吹き出しそうになるのを堪えている様子。これこれ!
あ~でも、わかった!わかっちゃったわよ。もしかして、それは「聖☆おにいさん」を思い出してるんじゃ?と思ったら案の定。
それ以降、彼女は釈迦を見るたびに「聖☆おにいさん」の、あ~んなシーンやこ~んなシーンを思い出している模様です。
ああ、なんて愉快にジャパネスク!
写真は4月からオープンしたばかりだという「なら泉勇齋」というお店で試飲した日本酒、「奈良の八重桜」と「吉野千本桜」です。
「奈良の八重桜」は、八重桜の花びらから取った酵母で作ったお酒だそうで、花から貰った独特の華やかな味わいがありました。
「吉野千本桜」は飲み口がフルーティーで、まろやかな優しい味。
私はこれをお土産に買いました。
見る前に酔っちゃった!
注:「聖☆おにいさん」(作者・中村光)とは、ブッダとキリストが東京の立川で二人暮らしをするというコミックです。
かなりシュールです。笑えます!
「キララくん、君がいけないんだよ」
と、やっぱ私もそう思う(笑)
ウキョウさまの言ってることは八割がた間違ってないと思うんだけど。
二年前のこの公演でも思ったけど、ウキョウさまの理想って「銀英伝」のラインハルトのそれと共通するものがあると思うのよね。
「銀英伝」っていえば、同じ作者・田中芳樹さんの「アルスラーン戦記」のヒルメスもこのタイプだったと思う。
その「アルスラーン戦記」で、私の好きなキャラ、ナルサスがの言う台詞が興味深い。
「殿下、正義とは太陽ではなく星のようなものかもしれません。星は天空に数かぎりなくありますし、たがいに光を打ち消しあいます。ダリューンの伯父上が、よくおっしゃったものです。お前らは自分だけが正しいと思っとる、と」
これの何が興味深いかっていうと、王制である国の、その王になろうとしている人に向かって言う言葉だからよ。
君主政治では絶対的な権力者が、常に一つの正義を示さなければならない。
けれども正義とは数限りなくあるのだと、いずれ国王になる者へ諭すということは、「自らの正義を模索し続けなさい」と言っていることだものね。
戦記ものを決して勧善懲悪の話にしないのが田中芳樹さんらしいと思うわ。
ウキョウさまにしてもラインハルトにしても、自分を不幸にした権力者や無能な貴族達が憎い。ならば自分こそが絶対的な権力を持つ者へと登りつめて、理不尽な搾取や略奪、女達が拉致されることのない世の中を作りたい。
ウキョウさまが心から憎んていたのは、自分のような存在を作った天主と「野伏せり」、そしてそられを生み出した世の中と、何よりも孤独な自分の運命なのだから、その復讐は何かというと、もう誰もが不幸にならなくてもよい平和な世界だったわけでしょ?
ただ、その理想には絶対君主制の統治者は自分でなくてはならない、ってことで。だから自分に間違いがあってはいけなくて、自分の正義を信じてなければそもそもそんな理想は持てないわけだけど、果たしてその正義は本当に正しいのか、または正しく行われるのかということに、誰も意見できるものがいなく、頼りになる腹心もいないばかりか、その理想の果ての世界を共に夢見るものさえもいなかったという点で、ウキョウさまって決定的に不幸な人よね。
だから、まずキララくんがウキョウさまを人として認めてさえいれば、彼女の役割というものはウキョウさまにとっても、世の中にとっても、ものすごく有益に変化をもたらすことが出来たのにね。
まあ今回特に感じたけど、キララって不思議な能力はあったかもしれないけれど、中身はほとんど平凡な少女の範疇を超えていないよね?
「神のいない村の巫女」っていうけれど、最初から神がいなかったとしたらそれは「巫女」とは言えない。
「神とはどのような存在であるか」を知らず、神に身を捧げていない巫女なんて、ただの「ちょっとした超能力者」程度だと思うけど。
どうなんでしょうね~、この辺りは原作を知らないから彼女の事情もわからないんだけど。
な~んてね、まあそんなこともたまにチラリと思わなくもないけれど(笑)
でも、この舞台はそういうふうに見るべきじゃないと思うので、「ま、そんなんは、どーでもいっか~!」って感じよね~!
キララくんはその中身が平凡な乙女ってところが、健気で可愛いっちゃ可愛いし。
でね~、ぶっちゃけたはなし、
二年前の公演とはキャストが変わったキャラだけど、私は前のほうがビジュアル的に好みだったのよね。
そりゃあ、今回も前回のキャストとは負けず劣らず皆さんイケメンだけど、まあだから私の好みの話よ。
もちろんこの舞台を観るのはウキョウさま目当ての私だけど、その場面以外はイケメン達を「わ~っ、すてきぃ~! カッコイイ~!」と見るのがそもそもの楽しみ方でしょ?(え、違うの?)
で、きゃーきゃー言いながら観ているうちに、次第に話に惹きこまれて思わず涙を流してしまったならば、もうこの舞台の思うつぼ! って、そんな感じじゃない?
だからね~、ビジュアルは大事よ、ビジュアルは(笑)
で、今回はそういう意味では「お楽しみ度が低いなぁ~」なんて思って見ていたプレビュー公演だったけど、五日ぶりに行った舞台では何たって殺陣が確実に進歩していて、そのあたりがすごくカッコ良かったですね~!
とか思ったら、その二日後のマチネではさらに上達していて、刀や槍さばきのスピード感がたまらない!
それに、これは時代劇映画のような殺陣とは違って舞台的だから、どのシーンの戦いもまるで舞うような美しさもあり、キメのポーズはアニメ的にカッコいい!
これは飽きないな~、何回見ても飽きない!
日替わりネタは、
<ウキョウさま>
4/5ソワレ: 「なにその帽子、定食屋の醤油刺しみたい」
4/7マチネ: 「キッコーマンの醤油刺しみたい」
<キュウゾウ>
4/5ソワレ:「小僧、俺の見せ場を邪魔するな」
4/7マチネ:「なぜお前が歌う」
あ、そうそう。
恒例の抽選会ですが、昨日は(4/7)はやっとウキョウさまの番でした!
嬉しそうでしたね~!
キラキラの指輪がいっぱいついた赤い手袋の右手を外して、抽選ボックスの箱に手を入れるウキョウさま。
「あれ? 入ってないよ」「あった、あった」なんて言いながら楽しそうにチケットを引いていました。
なんて書いている場合じゃないか。
これから千秋楽に行かなくちゃ!
2012/03/25 @彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
【演出】 ピーター・ブルック
【翻案】 ピーター・ブルック、フランク・クラウチック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ
【ピアノ】 レミ・アタゼイ
【出演】タミーノ: エイドリアン・ストゥルーパー/パミーナ: ディマ・バワブ/夜の女王:マリア・ベンディ=メラッド/パパゲーナ:ベツァベー・ハース/パパゲーノ: ヴィルジル・フラネ/ザラストロ: ヴァンサン・パヴェジ/モノスタトス: ジャン=クリストフ・ボルン/ アブド・ウオロゲム/ステファン・スー・モンゴ
こんな舞台が観たかった!
今年に入ってはや三ヶ月が過ぎましたが、このところいつになく、なぜか私はコンサートやバレエ、コンテンポラリーダンスの舞台に出かけることが多かったように思います。
それらのほとんどは去年から予定に入れていたものですが、ここ数ヶ月は特にそういったものに触れたい気分だったんですよね…。
ミュージカルはもちろん好きなんですけど、そのような総合芸術は情報量が多いので、完成度が高ければ高いほどに、作り手や役者さん達の力で物語の世界…そこにある情景だけでなく受け取るべき情感までもが与えられたものになってしまって、それで充足しているような気がします。
そして、私たちは客席でその世界を共有する楽しみがありますよね。物語にしても音楽にしても、舞台美術や衣装や照明、何から何までにそれぞれの思いが込められているし、芸や技術を尽くしたそられを楽しませてもらって、観劇とは本当に贅沢な楽しみだと思います。
だけど、情報量の多い分だけ自分の想像力は必要とされません。
そのせいにするわけじゃないけれど、なんだか最近そういうものばかり見ていて自分の想像力を甘やかしているぶん、感性が怠惰に鈍くなってきたような気がしてきちゃって…。
というか、最近なんだか大事な「何か」が物足りない。
昔、舞台を見ないで、ひたすら小説だけ、音楽だけを楽しんでいた学生の頃の自分は、今よりももっと想像力が豊かで感受性も鈍くなかったんじゃないか?
心の底から沸き起こる感動とか、いつまでも残る想いというものは、私にとっては、舞台から受けるそれなどは、もしかしたらもともと単なる「きっかけ」で、本当のそれは自分自身の、もっと個人的な内なるものから沸き起こってしかるべきなんじゃないか?
…う~ん、このままでいくと、そのうちだんだんと想像力や喜怒哀楽が鈍くなってきて、早くにぼけてしまうかも。
なので、ここにきて今私は、借り物ではない自分のそれを楽しみたい!
作り手側のイマジネーションと、自分の内なるそれとの双方が豊かに重なるような舞台を観たい!
そんなわけで、この「魔笛」に出会えたのは幸運でした。
舞台の上には数十本の細い竹と一台のピアノ、七人の歌手、そして二人の俳優のみです。
本来ならば三時間はかかるという物語を、極力削ぎ落として90分に作り直したこの作品は、観る者のイマジネーションなくしては決して楽しめないという舞台なだけに、客席の数だけそれぞれの心の目で見た情景があったと思います。
だからといって、決して難しいものではありません。自由ですから。
古典ですけれど、自由な心で子供でも楽しめるように作られていました。
たった数本の竹が移動するだけで、そこが牢屋になったり神殿になったりします。
それには計算された確かな演出、演技があったからに違いありません。
歌も良かったです。
オペラ通の方ならどう聞くのかは知りませんが、どの歌手の方も私には耳なじみのよい歌い方で、ピアノ一本の伴奏がまたシンプルで心地良いと思いました。
パパゲーノの「私は鳥射し」は、お正月の「おコンサート」で中西勝之さんも歌ってくださいましたが、楽しい歌ですね~!
そのパパゲーノがパパゲーナと巡り合って恋に落ちる場面は微笑ましくて、本当に良かった~!
夜の女王のソプラノ歌手、マリア・ベンディ=メラッドさんは可憐な声の持ち主で、超絶技巧を要されるかの有名なアリアでさえもが、すんなりと聞けます。
オペラは客席にも緊張感を与える歌と聞いていましたが、こういうような、あまり緊張感を持たずに聞けるオペラも充分に有りなんですね。
そして、肖像画をひと目見ただけで恋をしてしまい、命さえも惜しまない王子、タミーナ。
それって、つまり面食いってことよね? 相変わらず、物語に出てくる王子様って美人好きのおバカよね~? な~んて、いつもの私なら悪態ついちゃうところだけど(笑) ひと目で恋に落ちる刹那の瞬間、その恋に命さえ惜しまないという、一見愚かしいほどの直情的な想いというものは、ほんとうに純粋で、普遍的なものなんだろうなぁ、などとも思えました。
歌もね、モーツァルトの楽曲も良いのですけれど、そのなかのたった一音でも意味があると感じさせられました。
歌の中で伸ばされた一つの音、メロディの終わりに伸ばされた声には人でしか表せない喜怒哀楽があり、同じ一音であっても、曲によって色が全く違うんですよねぇ…。それはもう、どのジャンルのどの歌だってそうですから、今さらな感想なんですけど。
ところで、疎い私は知りませんでしたが、この「魔笛」の演出家、ピーター・ブルックという方は「演劇の神様」なんですってね?
その理由がわかったような気がしました。
削ぎ落とされたものの中にある豊かなもの。
その豊かな世界の創造主であるピーター・ブルックに、私はもっと早くに出会いたかったです。
ご高齢の方のようですが、いつまでもお元気で、また日本での公演を見せてもらいたいと思いました。
2012/03/31 @青山劇場
【原作】黒澤 明 監督作品「七人の侍」より
【演出】岡村俊一
【脚本】渡辺和徳
【出演】カツシロウ:馬場 徹/キュウゾウ:中河内雅貴/シチロージ:磯貝龍虎/ヘイハチ:市瀬秀和/ゴロベエ/高橋広樹/キクチヨ:住谷正樹(レイザーラモン)/キララ:疋田英美/ヒョーゴ:丸山敦史
天主・ウキョウ:中川晃教/カンベエ:加藤雅也/他
三月は職場のフロアー移転やら転勤やらと何かと忙しく、それが早々と予想されたのでこの土日はさすがに家で休息が必要かと思ってプレビューはパスするつもりでした。
なので、「あれ? 今日は来ないって言ってなかった?」という顔をする友人達に、またしても「ここはどこ? わたしは誰?」状態(笑)
だって~、そういや私ってば、忙しいほどに遊びたい人だったってこと、思い出しちゃったんだもの~。
そんなわけで、急きょ行って来ました、プレビュー公演。
思い出したといえば、そうそう!この舞台ってこうだった!
前はああだった、こうだった、そして今度はこうなのね?
という、私にとっては思い出しのプレビュー観劇でしたけど、前回や前々回のキャストで観たという人よりも、圧倒的に初見のお客さんが多かったみたい。
なにせ、休憩に入った直後のどよめきが凄かった!
一幕を観終わってすぐ、会場全体がお客さん達の興奮の声でざわめいています。
そりゃ~もう、自分の応援するキャストの、あ~んなシーンや、こ~んなシーンが見られて興奮しないわけがない! 黙っていられな~い! というお嬢さんたちの楽しそうな様子、輝く笑顔が見られて客席全体が一段と明るく、すごく新鮮(笑)
そういや、「テニミュ」の客席っていつもこんな感じなのかしら?
華やかでいいわね~!
前回でも書いたけど、この舞台って、ターゲットにした客層の歓びが本当によく理解されているのよね。
カッコイイ! 素敵! 楽しい~! 笑える~!
そして、それだけじゃなくて、ちゃんと話としても面白くて、ほろっとする場面もあり。
お楽しみの要素がいっぱい詰まっていて、エンターテイメントとして改めてバランスの良い舞台だなぁと思います。
前回と変わったところは色々とありましたけど、それはまだプレビューなので書きませんが、どの役柄の台詞も前回とは微妙に違ったふうに感じられたのは、やはり去年の震災の影響があるからかもしれません。
舞台を作るほう、演じるほうもそうですが、観るほうのこちら側にしても、命の重みや生きることの重みを感じたこの一年があったので、私も舞台の受け取り方が少しばかり変わったような気がします。
なぁ~んて、もっともらしく語っている場合じゃなかった!
それはともかく、私はなんたって、この方よ!
きゃあ~っ ウキョ~っ
ウキョウさまぁ~っ
またお会いできて、わたくし、うれしゅうございますぅ~
その前髪、くるくる巻いちゃって、あちこちキラキラしちゃって
メークも頬にブルー(パープル?)のシャドー入りのバージョンアップ
なんだかすっかり悪役も板についちゃって、やだ、もう!キモ~い!
面白すぎ~! でもカッコいい~
その素敵キモい存在感は、あまりに凄まじくてサスガでございますわぁ~
って
まあ、だから私はそんな人なんで(笑)
だけど、あっきーファンとしては、この舞台っていろいろと心配でもあるのよね。
セットの高い場所を歌いながらの移動、喉から絞り出すようなあの台詞(違うようにはできないの?)。
くれぐれも怪我をしないように、そして喉を痛めないように、千秋楽まで無事に乗り切ってほしいと思います。