今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「Thank you MICHAEL JACKSON We all love you Thank you」

2010年12月30日 23時52分06秒 | ライブ/コンサート
【出演】日野”JINO”賢二(eb) / ピエール・アンドレ(sax) / ケイレブ・ジェームス(key) /ジェイ・スティクス(ds) / マサ小浜(eg) / bluetree [DJ]TOSHIYA a.k.a The CHEF [ゲスト]中川晃教

今年の聴き納め、あ~んど踊り納めは、渋谷の「duo music exchange」というライブ会場で、私は18時頃から会場入りしたので3時間超のぶっち切りオールスタンディング!
『マイケル・ジャクソンを心の底からリスペクトするアーティスト達が、
その音楽とdance performanceであの感動のライブをふたたび再現!!!』
…というライブに行って来ました!

とにかく踊りまくった!
楽しかった~!

私が会場に到着した頃はホールで子供達が踊っている…のは、人垣に囲まれて見えなかったんだけど(笑)
その間にワンドリンク券で手っ取り早く酔ってテンションをあげなきゃ!ってんで、そんな時は私的お決まりのモスコミュールで一杯グビグビっ!
その後にステージ近くの場所を確保。
子供達のダンスが終わってからは、いよいよ始まるミニライブの一回目を待つ間にDJが盛り上げるホールには当然マイケルの歌とビデオが流れます。

以後、踊る、踊る!
ステージに誰もいなくたって、マイケルの歌が流れていたらじっとなんかしていられないわ!
なぁ~んて、たた突っ立ていたりお喋りしながら待つ人もいたなかで、最後まで片時もじっとしていないでずっと踊り続けていた私って、さぞかしМJ心酔のファンかと思いきや、
すいませぇ~ん! 私はただの地味なあっきーファンです(笑)
でも、マイケル・ジャクソンは好きよ! 
アルバムも持ってないし「THIS IS IT」でさえまだ見てないけど(←ドカバキっ!)
マイケルの歌なら自然に聞いて育っているもんね~!…って、かなり育ちすぎちゃってるきらいはあるけどさ(笑)

…なわけで、私はМJの音楽を語る資格もその気もさらさらないので、地味なあっきーファン(ってか、人呼んで「痛すぎるあっきーファン」ともいう)目線でのご報告ね。

あっきーの今日の衣装は、今年一番私好みで、ちょーカッコ良かったです!
上着は燕尾服っぽい黒のジャケット、中のカットソーはキラキラの金色で半そでの袖の部分は黒、ボトムスは黒のパンツ。
靴もやはり黒で、くるぶし丈のショートブーツなのかな? パンツの裾を入れて履いてました。
ジャケットを着ても良し、脱いでも良しで、おしゃれで素敵!
髪は右側だけをかき上げて耳の後ろで止めたライオン・ヘアーです。

あっきーが歌った曲は予告どおりの四曲ね。

「You Can't Win」映画「THE WIZ」
「BENのテーマ」映画「BEN」
「スリラー」
「(I Like) the Way You Love Me」ニューアルバム「Michael」の中から

「もう決してひとりじゃないよ」という「ベンのテーマ」は私も好きな歌なので嬉しかったわ~!
この曲はあっきーにぴったりで、情感たっぷりに歌ってくれました。
そして、まさかの「スリラー」は楽しかった~!
あっきーは「この曲の歌詞ってセクシー」のような事を言ってましたが、この曲は歌ってみると、とても難しい曲だったそうで、でもちゃんとカッコよく歌えていたし、私もノリノリで楽しみました!

あ、そうそう!
この日、あっきーにしては随分と珍しいМCをしてましたっけ(笑)
概略すると「女も男もみんな、心と体の一番敏感な部分で感じてよ!」ということを言いたかったんでしょうけど(笑)
普段言い慣れない人が、聞きなれない人たちを相手に直接話法しちゃったもんだから、思わず私は「おバカ~!」と笑っちゃったわよ!
もうっ! あっきーったら~!
な~んて、シモねたチックなМCならば、私はシカオちゃんで鍛えられているからどってことないけど、どうせ言うなら途中からテレや躊躇を交えずにズバッ!とあっさり、でもって、ケロっとしていてちょうだいよね~!(笑)

そんなこんなだけど、あっきーの歌は今日も熱かった!
本人は汗がダラダラ~。
途中でJINOさんがあっきーにタオルを投げてよこし、それで汗を拭いたあっきーが「JINO、やさしい!」と言ったら、そのタオルがステージのあちこちこちに投げられてふざけ合うというメンバー達の仲良しの場面も見せてもらえました。

そのJINOさんだけど、彼のベースはむちゃくちゃカッコイイ!!
でもって、笑顔がとっても素敵!
私はステージ近くでずっとその笑顔をたっぷり見続けて、心がとっても暖かくなりました。

ミニステージの三回目のマイケルそっくりさんな彼のパフォーマンスも楽しかったわ~!
かな~り!再現してました!
それに時折「うひょ~っ!」というようなナイスな視線が飛んでくる(笑)
え、え~っと、私が欲しいのはもう一方のお人の視線なんですけどぉ~…でも、もらるものなら有りがたく貰っておく主義の私よ(笑)
あとで、反対側にいた友達も「マイケルの視線がとんできた~」と言ってたので、彼はなかなかサービスの良いパフォーマーだわ。

エンディングは今日の出演者全員プラス可愛い子供達も舞台に登場してくれて、暖かい合唱のステージでした。


たくさんマイケルの曲を楽しんで、踊りまくったあとは、最後にミラーボールに向かい、みんなで天国のマイケルに向かって「ありがと~!」と言いながらの、ほのぼのとした雰囲気でお開き。

今年最後に、ほんとうに楽しいひとときでした。
できたら来年もまたぜひ踊りたいな!
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中川晃教コンサート2010 HAKUJU HALL

2010年12月24日 23時12分38秒 | ライブ/コンサート
中川晃教コンサート2010 HAKUJU HALL

このコンサートは、ブロードウェイで大ヒットしたオール黒人キャストのミュージカル「オズの魔法使い」の映画「THE WIZ」をアッキーがたった一人で歌い上げて、ひとつの舞台を歌のみのコンサート形式で再現したものです。
映画ではダイアナ・ロスがドロシーを演じ、マイケル・ジャクソンがかかしの役を演じているそうです。
「そうです。」っていうのは、つまり私はこの映画のDVDは見ていませんから、そう言うんですけど……

とにかく凄まじい歌唱力でした。
今年に入ってからも何度も、つい最近もイベントでアッキーの歌を聴いたばかりなのに、このコンサートで改めて驚いたほどに「凄い」というしかありません。
今までいろいろなジャンルの音楽に挑戦し、ここ数年で数々のライブや舞台をこなしてきたその様々な蓄積がここに集約されたかのように、どの曲も聴くものを圧倒させるほどの歌声でした。
色とりどりの音色、ヴァリエーション豊富な発声の使い分け、豊かな表現力…そして歌に込めた心、その想い…。
この人はいつの間にこれほど進化してしまったのか。

こんなに凄い歌声を生で聴けたのは、たぶん私は幸運だったのでしょう。

だけど…

なんだろう、
このコンサートの客席の中でひとり、たぶん私は自分が「残念な人」なのだと思わずにはいられなかったです。

前述のとおり、アッキーの歌った楽曲は最初から最後までがすべて(アンコール曲を別として)「THE WIZ」です。
全曲が英語です。
私は英語が苦手。
もちろん、アッキーが楽曲に込めた想いは心に伝わってきます。
途中で涙さえ滲みました。
それに「オズの魔法使い」は小学生の時に好きな物語だったし、これではありませんが古い映画をテレビで見ましたからストーリーもよく知っています。
歌う前にところどころアッキーが日本語の台詞を入れてくれて「次はかかしの歌だな」とかいうのもわかったし、いくら英語が苦手でも少しくらいは単語も拾えます。
だから物語はわかる。想いも伝わる。
その圧倒的な歌唱力で伝わらないわけがない。

それでも、これを100パーセント味わい尽くしたいと思うのなら、やはり確かな英語力を持つか、そうでなければDVDで予習をしておかなければ、音楽だけでなく歌詞の言葉からくるメッセージまでもを隅々まで味わい尽くすことは到底無理です。

ああ、これは、この私の状態は、言ってみれば…だから…、
“落ちこぼれ”
そう、私、落ちこぼれました。

英語が堪能なみなさん、DVDを見て予習をしてきたみなさんから落ち零れ、
そうでなくても、歌から伝わる想いで満足できたみなさんからも落ち零れてしまった私は、「音楽で全てが伝わるというのなら、それではそこにあった言葉の役割というのは何だろう」と思わずにはいられません。
いつものようにたくさんの曲を歌うコンサートの中での数曲とか、ノリノリでダンスを踊るための曲ならともかく、こんなふうに最初から最後までが一連の物語を語る舞台のようなコンサートならば、やっぱり私は言葉が知りたい。
音楽と同時に、歌詞の…その言葉に込められたもの…言葉そのものではなくて、言葉の持つ力も同時に受け取ってこそ、このステージは100パーセント隅々まで味わうことができるのではないだろうか。

ドロシーの、かかしの、ライオンの……彼らが何を語っているのか、歌声から伝わる圧倒的に迫るその想いだけでなく、その言葉からくる微妙なニュアンス、細部までを隅々と味わいたくて地団駄を踏みたくなったのは私だけなんでしょうか?
こんな凄い歌を聴かされておきながら、なおもそう思うのは贅沢すぎるでしょうか?
歌のみでは歌詞に込められたもの全てを、歌詞を知らずしては受け取ることができないと残念に思う私は、予習を怠った怠け者の自分を後悔すればいいんでしょうか?

この、いわば「一人ミュージカル」とも言えるコンサートをこれからもやっていきたいというようなことをアッキーは言ってましたが、私はこれには大賛成です。
全ての出演者の歌をそれぞれの模様で歌い分けることができる人なんて、滅多にいないと思うし、これをアッキーがやらないでいるのはもったいないです。
どんどんやってほしいし、私はできればその全てを聴かせてほしいです。

だけど、予習が嫌いな私はきっと毎回落ちこぼれてしまうのかもしれませんね。
ああ、それで思い出しましたが、高校の時、理系で数学が校内でトップクラスだった幼なじみが「でも、僕は国語が苦手で、『その時の太郎の気持ちは何ですか』なんて質問はよくわからないんだよ」と言っていたのを思い出しました(笑)
私は国語だけが得意だったので、「太郎の気持ちは文章とその行間の中に全てあるじゃないの」と思いましたが、今、なんとなくその友達の気持ちが少しわかったような気がします。
文章があってこそ行間がある。文章を読み取ることが苦手な彼に行間までも正確に読みとれるわけがありません。

このコンサートで私が書けるのは、アッキーの歌の素晴らしさだけです。
「THE WIZ」という作品の素晴らしさを具体的に書くことはできません。
音楽から伝わるものだけではなく、言葉から伝わるものを受け取りそこなった私は残念な人です。
だから、残念なのは私なのですから、そうでなかった人は、これほど素晴らしいステージを聴かせてくれたアッキーをたくさん褒めてあげてください。

たくさん、たくさん褒めてください。
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「モーツァルト!」12/18マチネ

2010年12月19日 23時11分07秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
※この観劇記はところどころ激しく脱線しています(笑)

ヴォルフガング 井上芳雄/男爵夫人 香寿たつき/アマデ 黒木璃七

んあ? 
芳雄くんのヴォルフガングってこんなに熱い、激情の男だったっけ?
歌い方、声の出し方、感情の入れ方が、ところどころ「組曲虐殺」の「独房ソング」を思い出させるような、ああいう種類の感情の込め方を感じて「う~ん、ヴァリエーションとしては良いけれど…」と、私はちょっと戸惑いました。
芳雄くんヴォルフには基本的に喉を開けて、キレイな発声で歌ってほしいんだけど…。

なんて、いきなりダメ出しですか?
と言われそうだけど(笑)
いや、ダメなことはぜ~んぜんっ!ありません。
芳雄くんは素敵だし(笑)
むしろ三年前に比べてかなりパワーアップしていました。
演技や歌だけでなくダンスも上手になって、開脚してるし(笑)Y字バランスなんて見せてくれちゃってるし!
あ~んなに長い足が高く上がるんだったら「ウエストサイド物語」だってイケるじゃ~ん?! な~んて、ね。

まずはのっけから「僕こそミュージック」が嬉しかったわ~!
「嬉しかった」のひとことで済ませるのもなんだけど(笑)
これを歌っている芳雄くんを見るのが好き! とっても気持ちいいです。
昇っていく感じね。…って、わけわかりませんが(笑)
今回の芳雄くんはその、心の昇り降りが激しく胸に訴えてくるようなヴォルフです。

ああでも、噂によると「普通の青年のように見える」というのも耳にしましたが、そりゃあね、天才芸術家だって普段から奇抜な生活しているわけではないと思うんですよ。

芸術家というのは、彼らのインナースペースの豊かさ、深さ、そしてその世界をなんらかの作品という形に出力する手段と能力と技術と意欲を持つ人たちのことを言うのだと私は思うんですけど、だからそのインナースペースにおいては、たとえそれがかなり奇抜で異常だったり病的であったりしても、必ずしも彼らが日常でそんなふうだとは限らないんじゃないかな?
ようするに、芸術は爆発だ!ってことで(笑)
だから私は今回の芳雄くんヴォルフはとても自然な感じがしました。

これは話の脱線ついでだけど、その「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎さんにお会いしたことがあるという方のお話をどこかで読みましたが、「テレビで見ていたのと違って普通のおじさんだった」というんですよね。
だから岡本太郎さんにしても、いつもいつでも激しくエキセントリックでパワフルなわけじゃない。
けれども彼の作品を見るとそこには尋常ではない世界が展開され、そのエネルギーが爆発しています。
彼のインナースペースが具現化されたそれらには、凡人を圧倒する力がありますよね。
それを作品に投影できるからこそまさに芸術家なのでしょう。

けれども、そんな岡本太郎さんやヴォルフガングに限らず、実際に芸術家ではなくともそういった気質のある人間、…つまり、インナースペースだとかインナーチャイルドを心のどこかに持ち、それを意識する人間というのはそう珍しくもないと私は思います。
ましてや芸術に携わる人ならばほとんどが、それがプロでもアマでもその作品のクォリティーや評価に関係なく、現実の世界とは別の場所にインナースペースを持ちうるのではないか。

だから私は今期の「モーツァルト!」は今までの「ヴォルフガングは天才」というのを少し横に置いて、「アマデは普通の人にもあり得るインナーチャイルド、あの小箱はインナースペースの象徴」として、自分の位置に降ろして観てみることにしましたが、そうすると思いのほか、かなりストンと胸に落ちてくるものがありました。

で、またまたこれも脱線話ですけど、ある画家の男性は創作のために「夜にひとりになる時間がとても大切で、その時は家族や恋人でも同じ部屋にいられるのが耐えられない、イラついて我慢ができない」という話を聞いたことがあります。
また、別の詩人は、「たとえそれが愛する人でも創作の世界にいる時は絶対に傍によってもらいたくない、その世界に踏み込もうとされると殺意さえ感じると」言います。
これはとてもわかる気がします。

もしかしたら、芸術家の良きパートナーでいたいのならば、その芸術家のインナースペースに無理に踏み込もうとしたり興味を示したりせずに、「この人には自分の知らない世界があるのだろう」くらいに思って、そこはそっとしておいてあげるのが一番なのではないか。
そして、その世界が作品として形になった時こそ、その時はじめて彼らから差し出された世界を受け取れば良いのだろうと私は思ったりします。
「天才は悪意のないエゴイスト」というのは市村さんが主演した「炎の人」というゴッホを描いた作品の中の言葉ですが、これは、そうでなければ天才という場所にまで辿り着けない芸術家たちの性なのかもしれません。
もっとも、「何を天才というのか」という話になると、生前のゴッホを見てもわかるように、私はそれを決めるのは世間や大衆ではないと思いますが。

それを踏まえると(って私的にですが)、コンスタンツェがインスピレーション「与えなければ」とか、「いつまでたっても才能以上に愛されない」と言うのは、その発想自体が大きな間違い。
ヴォルフガングのような人ならば、空にだって道の石ころにだって勝手にインスピレーションがわくだろうし、他人が与えようと思って与えられるものではないような気がします。
また、彼の才能の大元は彼自身のインナースペースなのだから、それは彼自身でもあり、コンスタンツェは「彼はどちらを愛しているのか」ではなく、彼と一緒にまるごと愛すれば良かったのに…などと思います。
よくそういう天才の妻の話ってありますよね?
ジョン・レノンの奥さんのオノ・ヨーコさんとか、先ほどの岡本太郎さんの奥さんとか、最近はゲゲゲの…とか。
この天才…というか、芸術家の伴侶としては不向きな普通の女性だったコンスタンツェが疎外感を感じて孤独になってしまったのが私はどうにも哀れに感じました。

それで、コンスが温泉から帰ってくるシーンですけど
…って、ここでやっと舞台の感想に戻りますが(笑)
この時の芳雄くんヴォルフとヒロちゃんのコンスのやりとりは、今まで観た「М!」のなかでは私は一番に納得したというか、とてもリアルに感じました。
ヒロちゃんは先月観たときよりも一層と良かったです!
コンスタンツェが現実的な女性として見えました。

芳雄くんは「ミス・サイゴン」の時も、キムに恋する様子にとても納得ができたし、このヴォルフガングでも、彼が何故コンスタンツェに恋したかがよくわかるような気がして、さすが!ラブ・ストーリーが上手な人だと思います。
「ほんとうに好きなのねぇ~っ!」って感じ(笑)
そして、天才うんぬんかんぬんは別としても、愛し合っていた二人が次第にすれ違っていく様子もこれまたリアルです。
コンスタンツェが「たとえ彼が死んでも、涙なんか流さないわ」というのは今回のヒロちゃんコンスで、私は実際はどうであれ、この時のコンスって本気でそう思っているのだろうな…と思いました。
なにせ、今度のヒロちゃんのコンスはねぇ…悲しい淋しいを通り越して、怒っている…というよりは、ムカついてるんです(笑)
今風に言うならば、「なにそれ、すっごいムカつくんだけど~!」とか言いながら、でもそのあとでやっぱり一人で、悔しいのだか悲しいのだか自分でもワケわからずに泣いちゃっていそうなヒロちゃんコンスが私はとても好き!!
薔薇色の頬で、芳雄くんヴォルフにキラキラと恋する時のコンスタンツェも可愛いし。

だから、東宝さんは、チラシやパンフのヒロちゃんの写真をもっと素敵に撮ってあげたらいいのにね?(笑)

なんて、なんだかんだと言いながら、結局ヒロちゃんを褒めているのは三年前と変わらないけど(笑)
この二人の進化した舞台が観られてとても良かったです。

そのほかはね、
ナン姉がすごく変ってましたね。
この前見た育三郎くんの時よりもさらに…。
やっぱりこれもまたリアルだと私は思いました。
ヴォルフガングは「僕は家族を捨てたわけじゃない」と思っているだろうけど、ナンネールにしてみればやっぱり自分勝手な弟には思うところが山ほどあるんじゃないかと思いました。
自分の人生を振り返ればなおのこと。

市村パパの愛情の深さといい、芳雄くんヴォルフのその時々の心の変化の上がり下がりといい、ヒロちゃんコンスの生々しい女性像といい、ちょっと怖くなったナンネールといい…この舞台、全体的に物語として、ますます見応えが出てきたと思いました。
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「GODSPELL ゴッドスペル」

2010年12月19日 00時48分00秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
[作詞・作曲] スティーブン・シュワーツ
[脚本] ジョン・マイケル・テべラク
[演出] 山本耕史
[出演] 山本耕史/内田朝陽/原田夏希/福田転球/明星真由美/中山眞美/
上口耕平/桜井美紀/MY A FLOW(Song Riders)/松之木天辺/飛鳥井みや/長谷川富也

「ゴッドスペル」は、新約聖書マタイ伝のエピソードをもとにしたミュージカル作品。
「山本耕史さんがが初めて演出を手掛ける、注目の舞台」だということで、面白そうなので行ってきました。

舞台は現代のニューヨーク。キリストの最後の7日間をなぞったもので、私は聖書に疎いので細かいところはわかりませんが、物語としてはそれ以上に何かを付け足したものではなさそう。
だからここに出てくる楽曲の歌詞はつまり、ほとんどが聖書マタイ伝(のアレンジ?)なんでしょうね。

うん、だから宗教ですよね、やっぱり。
宗教って、その宗派の信者ではない限り、どの教義にも頷けるところもあれば「それはどうよ?」と思うところもあるんじゃないかしら?
外側から見ると矛盾を抱えていそうな部分もあります。
私は信者気質がまるでないから、何を聞いても鵜呑みにできずに「それには一長一短あるんじゃないかな?」とか思うので、この作品は「感動した」というよりは「興味深く見させていただきました」という感じでした。

それにしても、歌える人が揃っているのが嬉しいです!
多少の実力差はあるものの、誰もが素人の私の耳にもわかるような音の外し方をしてくれないし…って、これってプロなんだから当たり前なんじゃ? と思いきや、案外といますものねぇ、微妙に音を外したりする人ってね。
私はべつに絶対音感を持っているわけでもないので機械のような正確さを求めてはいませんが、せめて夢の途中で水をぶっかけるようなことはしないでほしいと今まで見てきた舞台で何度思ったことか……。
だから、この舞台はみんなが歌えてロックのハーモニーが美しくてノリもよく、とても気持ちが良かったです。
もちろん、ハーモニーだけじゃなくてソロの歌もところどころ聴き応えがありました。

ところで、私は最近どうも前よりも乱視がすすんだみたいです。
キリスト役の山本耕史さんは上に着ていた服が白い衣装だったのですが、その上半身の輪郭がぼぉ~っと淡い光に縁取られているように見えたので、そのせいか、彼はほんとうに神様っぽく見えました。
そういえば、たいがいの教祖といわれる人たちが白い衣装を着るのって、視覚的に訴える意図があるのかしらね?
でも、私は舞台の人が人間であるせいか、どうも「キリストもまた人間なのだ」という視点をどこかに持たずにいられないんですよね。
もし、キリスト教の諸説をぜんぶ無視してこの舞台をそういう視点で観るとしたら、「なぜキリストと呼ばれた男は、すべての人を等しく愛し抱きしめようとしたのか」という見方もできます。
個々への愛ではなく、全体への平等な愛を与えて生きる男。
そして、彼にその「等しい愛」により抱きしめられることで救われる人々…。
神はなぜ必要なのか。

今年はなぜか夏あたりから新興宗教ネタの舞台をいくつか続けて見たせいか、思いがけなく殊更に余計なことを考えてしまいました。
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「黴菌」

2010年12月18日 00時19分39秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
※この観劇記にはネタバレが含まれます。

【作・演出】ケラリーノ・サンドロヴィッチ
【出演】北村一輝、仲村トオル、ともさかりえ、岡田義徳、犬山イヌコ、みのすけ、小松和重、池谷のぶえ、長谷川博己、緒川たまき、山崎一、高橋惠子、生瀬勝久

この舞台は「東京月光魔曲」に続く「(昭和初期三部作改め)昭和三部作」の第二弾だそうで、『時は昭和20年。敗戦直後の日本。郊外に建つミステリアスな洋館を舞台にKERAが描く、複雑怪奇な密室群像劇』です。

この劇のオープニングは舞台が一旦スクリーンのようになり、まるで映画や二時間ドラマの始まりのように題名などが映し出されます。
どこか懐かしい、昭和のノスタルジーを感じさせる音楽とともに……

ああ、この世界…ケラの創るこの世界って、やっぱりとても好きだなぁ…などと物語が始まる前から思った私です。
この懐かしさって何だろう?
昭和二十年代といえば、ケラも私もまだ生まれていないはずなのに。
この時代に共通するイメージ…そのノスタルジーとはいったい何だろう?

それで、家に帰ってから思いつきましたが、この世界って何となく、子どもの頃から時折に見た横溝正史の世界に似ていたような気がします。
前回の「東京月光魔曲」では栗本薫さんの「魔都」や乱歩の世界を思い出しましたが、今回はどちらかというと私には横溝正史の世界、それも小説というよりは映画やドラマを思い出しました。

名探偵・金田一耕助シリーズは繰り返し映画化されていますが、私の記憶にあるそれは大概見知らぬ地方の村だったり島だったりしました。
そしてもっと暗くておどろおどろしかったと思います。
あの本棚に並んだ文庫本の、黒い表紙に浮かぶ黄緑色の字のように…。

このケラのシリーズはそれよりも妖しい帝都の物語で、村や島の持つ因習や泥臭いところはありません。
今回は探偵すら登場しません。
でも、どこか共通するものがあるんですよね。

戦後直後の時代にあってもなお裕福な暮らしをする一族、立派なお屋敷と使用人、その屋敷の奥の隠居の老人、老人の世話をする愛人、着物姿の妖艶な中年女性、何がしかの確執を持つ兄弟たち、若く美しい新妻、斜陽、病んだ心、影に潜む狂気、そして殺人事件……

うわ~、なんだろう??
ケラとオトモダチになりたいです!(爆)

…なんていう冗談はともかくとしても(笑) 
私はケラの舞台をそんなに沢山観たわけじゃないですが、少なくとも今まで観たどの作品も、彼の世界や人を捉える目というのが好きだし心に馴染むような気がしてとても好きだと思います。横溝よりも、なおずっと。

それにしても、豪華なキャストですよね~!
特に、高橋惠子さんの着物姿の美しいこと!
この奥様は後姿までもが美しく、歩く時のお着物の裾さばきすらも気品があって麗しいです。
こういう立ち振る舞いって、昨日や今日に習って身につくものではないですよね。
いちいち見とれてしまいました。
それに、この奥様のいかにも育ちの良さそうなサバサバとした気質も魅力的です。

もちろん、この豪華なキャストで高橋さんだけを特筆するのももったいない話で、それぞれの役者さんがそれぞれにどこか何かを隠し持っていたり、何がしか明らかにされない秘密があったりして、そこらかしこに何かが潜んでいます。
その中で、唯一人、ぽっかりと浮いて異質に思えるくらいに一本気で生真面目で暑苦しいのが仲村トオルさんでしたが(笑)

けれども!!
私はこの舞台のラストシーンで、最後の最後に北村一輝さんにどっかぁ~ん!とやられてしまいました!
北村一輝さんが泣きじゃくる、ただその姿がこんなに胸を打つとは思いませんでした。
男性が泣くシーンは、今までたぶん何度も見たとは思いますが、この時ほど私は舞台の上の人を「抱きしめたい」と思ったことはありません。
なんでしょう、この方は。
その時までは北村さんを「テレビで見た通りの濃ゆい俳優さんだなぁ」なんて思いながら観ていましたが、ただ泣いているその姿や声だけで胸を打つ北村一輝さんには、他の役者さんにない独特な魅力があると思いました。
つまり私のツボに瞬間的にハマった良いラストでした(笑)


ところで、私は一昨日ちょっとばかり左腕を負傷しまして、全治二週間ですって!
お医者さまに「安静にして二週間は左腕を動かさないように。左手はいつもポケットに入れてなさい」と言われてしまいました。
…って、それでなんでこんなものを書いていられるのかというと、PCのキーボードを打つ時は手首を固定しているから案外と平気なんです。

けれども片腕が動かないと、まず服が脱げない、ドライヤーで髪も乾かせないやしない。
それに、劇場やコンサート会場で拍手もできません(泣)
拍手するのって思ったよりも肩や腕に負担がかかるんですね。
でも全く拍手しない人なんて、いかにも詰まらなそうで、文句がある人みたいでなんかコワイ~! ヤダ~っ!(泣)
うぅ~……

まあでも、医者が全治二週間と言うなら、たぶん私は一週間もあれば完治するでしょう。
根拠はありませんが(笑)

そんなわけで、明日も(って、もう日付が変わったから今日か)私はどこかの劇場にいるはずですが、客席でひとり拍手していなくても、どうか誰も気にしませんように…。
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「三人展」堀内朗/亀本みのり/KURO~早稲田ドラードギャラリー

2010年12月16日 22時13分56秒 | 美術館/博物館/展覧会
12/12日曜日の昼に、ドラード早稲田というガウディ建築のような外観の建物のモダンなドラードギャラリーで、友人で版画家の亀本みのりさんが三人展を開催していたので行ってきました。

堀内朗…画家、大手百貨店や有名画廊での 取扱多数。
亀本みのり…若手期待の版画家。ホテルや海外出品など活躍中。
KURO…画家。SADU代表。国重文のお寺での個展をはじめ、国内有名サロンでの展示など活動。

すみません!お三人の作品をカッコよく載せたいとは思うんだけど、このブログをはじめてそろそろ一年になるというのに、ぜ~んぜんっ!使いこなせてないんです~(泣)
なので、携帯で撮ったみのりさんの作品だけを載せますが、他のお二人の作品もそれぞれの趣があり、それぞれに好きだと思いました。

版画家のみのりさんとは知り合ってもう三年くらいかな?
でもお会いするのはこの日で二回目でした。
彼女の作品は版画ですが、私は彼女の作品を初めて見た時、こんなことを言ってはなんですが、何故だかわからないですが「怖い」と思ったんです。
今はそんなことはありませんが。
でも、何故怖かったのか知りたくて、今回彼女の作品を生で見てお話しできて、とても得るものがありました。
今回は初対面のKUROさんともお話させていただきましたが、こんなふうにたまにアーティストの方々のお話を聞くことは、私にとってとても良い刺激になるし色々なヒントをいただくことができて、短い時間ではありましたが本当に有意義な時間を過ごすことができました。

亀本みのりさんとはどこか響き合うものがあるので、今後彼女が予定しているモチーフなども私にとって大いに興味があります。
ここ数年はコンクールで賞を取ったり海外の展覧会にも出品していらっしゃいますし、もともと別のきっかけで偶然にも知り合った方がたまたまアーティストで、こんなふうに徐々に夢を叶えていく様を見るのはとても嬉しいです。
今後もご活躍を楽しみにしたいと思います。




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「SAMURAI 7」(5)千秋楽

2010年12月12日 02時35分41秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
で、ふたたび…というか今さらしつこく「SAMURAI 7」のウキョウさま(だけ)の話なんですけどぉ~(笑)

千秋楽ではとうとう私、ウキョウさまに泣いちゃいました!
と友達に言ったら「えっ?今日初めてなの?」と驚かれましたが、
だってぇ~(笑)

あのアッキー(中川晃教さん)が演じたウキョウさまの彼独自のラストというのは、それを見て最初に思ったのは「ウキョウさま、それは、その死に方はズルいよ~!」というものでした(笑)
実はあのラストを見ていると、私は高校時代に失恋が元で自殺してしまったクラスメイトのことなんかを思い出したりするので、あのウキョウさまにはどうも余計なことを考えてしまうんですよね。
まあ、それを言えば、いつも舞台を観ながら余計なことばかり考えていたりするんですけど(笑)

世界を破壊しようと思うこと…つまり、「こんな世界を消してしまいたい」と思うことと、「この世界から自分が消えてしまいたい」と思い自殺することは、絶望が外に向かうか内に向かうかの違いで、実は根っこの部分では同じことなのではないか…。
そして、ウキョウさまも、そしてそのクラスメイトの男の子も、愛する人がそのまま彼にとっての「世界」だったのだろうと思うんです。
愛する人に拒まれることは、世界中から拒まれているのと同じだ感じるとき、そんな世界なんていらない、もしくは、そんな世界にいることには耐えられないと思ったのではないか…そんなふうにどうしても思わずにはいられませんでした。
そして、自分の命を懸けて彼女に自分の存在を焼き付けるために、ウキョウさまはキララに刀を持たせて自分の首を斬らせ彼女を巻き込みながら自殺するという、いわば最終手段に走ったのだというようにも見えました。
極悪ですね(笑)

もちろん、ウキョウさまの目的というのは、じっさいそこではないだろうとは承知の上でした。
アッキーのウキョウさまはわかりやすい人だったから。
でも、私がたまたま重ねてしまったんですよね、あの優しかった男の子を…。
だからどうしても「だめだよ、そんなふうに死んではだめだよ」と思わずにはいられませんでした。
遺されたものをどれだけ傷つけてしまうか…そこのところが落ちている…というか、それについてはほぼ確信犯です。

けれども、千秋楽ではそんな余計なことをすっかり忘れてしまうくらいに舞台に惹き込まれました。
ウキョウさまは、キララの言葉を聞いて生まれて初めて「守る」ことと「愛する」ことを考えたのですよね。
彼がキララを守り、愛するためには、自分こそが死ななくてはならないという悲しい結論。
彼はキララを守ると同時に世界を守って消えていったのだと思うと、それはあまりに悲しいです。
本当はキララから、そして世界中から愛されたかった人だったのに、自らが招いた事態とはいえ、結局は彼は最後に愛することだけは知ったかもしれないけれど、愛されることを知らずに亡くなりました。
それでも、「僕が人だったら好きになってくれた?」とキララに聞いて、キララに肯定してもらい、それだけを彼の救いとして死ねたのは幸せと言えばいいのでしょうか。

ウキョウさまが「今までで一番きれい」と思ったのは、その時のキララであり「世界」だったのでしょうね。
愛ある美しい世界を夢見ながら、その世界から消えていったウキョウさま。
泣けるじゃないですか~。

ところで、私はそのウキョウさまの自殺行為には、だからやっぱり、言葉は悪いけど「落し前をつけたのだな」と思いました。
この「落し前をつけた」という感想は、実は「女信長」の光秀の最後にも同じことを思ったのですが、その時に私のこの言葉を聞いた友達が「あなたは誰かに責任を取ってもらいたいという願望があるのではないか。だからそれにカタルシスを感じたくてそう思うのではないか」というように分析してくれましたが、言っちゃあ悪いけど、私は光秀にもウキョウさまにも実は、そういう意味ではなぁ~んもカタルシスを感じたりしません(笑)
どっちかというと、別の道があったのではないかと思わずにはいられなくて、別のストーリーを造りたくなってしまうくらいです。

それにしても、この「SAMURAI7」にしても「女信長」にしても、アッキーが演じたキャラは前の舞台や大もとの原作とは違った結末になるのですから、岡本俊一さんとアッキーが組むと、どちらにしてもこういった「愛する人をさんざん傷つけた挙句に、自分が消えることで自分のやったことの責任を取っていく」というキャラになっていくというのが、私はとても興味深いと思います。

そんなこんなの、面倒な話はともかくとして(笑)

民衆の役を担った客席から「万歳!万歳!万歳!」と言われて、「よいね、よいね」といウキョウさまは本当に嬉しそうでしたよね~!
最初の頃は素で嬉しそうに見えましたよ(笑)
なにせ今回の客席はいつもよりもぐっと若い女性が多かったし(笑)
あれは相当に見晴らしが良くて気持ちよかったのじゃないかしら?

そういや、前に独裁者について書かれた何かの記事で「独裁者は高いところに登るのが好き」というのを読んだ記憶がありますが、高いところから民衆を見下ろすのって、神の目を持ったような錯覚がするのでしょうね。
けれども千秋楽あたりでは、その「万歳!」にアッキーが少し慣れたのか、それともウキョウさまの民衆に対する不信感がじわじわと染み入ったのか、あの場面は初日の頃ほどには嬉しそうには見えませんでした。

だけど、私は最後までアッキーに向かって「万歳!」というのが妙に嬉しかったです!

アッキー万歳!!
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「ラブ・レターズ」中川晃教×神田沙也加 (追記あり)

2010年12月11日 11時24分43秒 | リーディングドラマ(朗読劇)

この感想を書くのは危険です(笑)
余計なことばかり書いてしまいそうで。

たとえば、昔に私が書いたかもしれないラブ・レターのこととか……
貰ったかもしれないラブ・レターのことー…とか?
だけど、というか、だから私自身のあれやこれやはともかくとして(笑)

こんなふうに二人で交互に読まれてみると、手紙というものは、向き合っているようで実はピタリと向き合ってなどはいないのだ、ということがよくわかります。
時間と空間を隔て、その向こう側に見る相手とは、メリッサのいうように現実のその人ではなく、手紙の中に生きている「もうひとりの相手」、それもこちら側の勝手なイメージを重ねて作り出した、幻に近い「もうひとりの魂」の姿なのかもしれません。
けれども、その「もうひとりの相手」へ手紙を書いている自分もまた、現実のほんとうの自分ではなかったり、逆に、現実には出せない「ほんとうの自分」であるのかもしれません。

だから現実と「手紙の中の世界」との違いに違和感を感じたメリッサが「電話をして」「会いたい」と言うのに、アンディーはひたすら「手紙を書くこと」「貰うこと」に固執して、いつまでもその世界において彼女の手を離そうとしません。
生の声や生身の姿を求めたメリッサのほうが、よりしっかりと人を認識して実感しようとしていたい人だったのではないか…

ああ、そうか…彼こそが……。

これは舞台を観ながらではなくて、今思ったのですが…
長い年月のほとんどをメリッサと離れて暮らしていたアンディーが、社会的な地位や理想的な家庭を脅かすと知りながらも、メリッサと会い関係を結んでしまったのは……もしかしたら、アンディーこそが、彼こそが、彼女の手紙…現実の彼女自身ではなく…彼女の「手紙」が欲しくて、または彼女に手紙を書き続けたくて、そのためにメリッサを繋ぎとめるための手段として関係を結んだのかもしれません。
もちろん、無意識に。

だとしたら、そういう視点で捉えるのだとしたら、それはどうなのでしょう。
手紙はたしかに口では言えないような深いことを書くことも、本音を出すこともできるかもしれないけれど、それはほんとうにコミュニケーションと言えるのでしょうか?

メリッサという女性は複雑な家庭に育ったせいもあるのでしょうが、よく言えばグラス・ハートな芸術家タイプの、かなりエキセントリックな性格で、若いうちからずっと精神的に病んでいたりします。
こういった女性は魅力的かもしれませんが、穏やかで暖かな家庭を作るのには向いていないのかもしれません。
アンディーは、たぶんメリッサとは正反対な性格の妻…つまり自分と同じような種類の奥さんが守る、理想的とも言える家庭を持ちながら、その一方で決してメリッサとの関係を完全には切らしません。
メリッサが怒ればなだめます。
奥さんに隠れてでも手紙を続けようとします。
アンディーの保身とそのズルさは見ていると時々本当にムカつきます。

愛し合っていたのは、現実の二人ではなくて、ずっと「手紙の世界」の二人であり、アンディーはその世界に生き続けた、いわば二重生活をしていた人です。
それに付き合わされたメリッサは、それに耐えられずに一層と繊細な心が病んでしまったのかもしれません。

…などと、今思えば、そういう視点で見ることもできなくもない(笑)

それなのに……

実際に一番強く伝わってきたのは、アンディーがどんなにかメリッサを必要として愛していたか。
その想いでした。

私はこの朗読が続いている間にはなんとか堪えていたのに、舞台が暗くなってからは涙が止まらなくてどうしようもありませんでした。
もし、そのあとすぐにトークショーがなければ、ずっとずっとそのまま一人で泣かせておいて欲しかったです。

おりしもこの12月10日という日は、私が初めて中川晃教さんの舞台を生で見た日で、ちょうど六年になりました。
六年目にこんなアッキーを見せてもらえるとは思いませんでした。
私は二年前のこの舞台のときは仕事が忙しくて都合がつかず、「ラブ・レターズ」は今回初めてみました。
あの時はとても残念に思いましたが、もしかしたらそれは必ずしも残念ではなかったのかもしれません。
二年前にこの舞台を観ていたらどうだったのか…。

「すべてのわざには時がある」
もし、ほんとうに私の傍らにもミューズの女神様がいるのだとしたら……彼女は今回の舞台で私に何を見せようとしてくれたのでしょうか…。
本当に、本当に、いつまでもいろいろと考えずにはいられない舞台でした。


ところで、そのトークショーですが、神田沙也加さんは可愛らしい人ですけど、なかなか男前な女性ですね~!
実は去年、私は彼女の出た「AKURO」という舞台でダダ泣きさせてもらったのですが、この「ラブ・レターズ」でますます気に入りました。
レ・ミゼのコゼットがとても楽しみです!

(追記)
トークショーではアッキーがこの役を演じながら感じたことを、いつものように拙いながら(って、私が言うな!)一生懸命に説明してくれました。

アンディーを演じながらその奥に中川晃教という自分がいて、その自分自身の感情がアンディーに呼応したかのようにぐっと重なろうとしている。その自分をまた別の自分がいてぐいっ!と引き止めて抑えようとしていたりする……なんて、そんなふうには言ってませんが(笑)
たぶん、だいたいはそんな事を言っていたように私は思いました。

そういえば、先日ある女優さんとお話ししていたときに、私が彼女に「自分に全くない感情を演じることができるのか」と質問したところ、彼女はこう言いました。
「できない。無からは何も生まれてこない」
たとえ自分の中にやっと見つけたほんの僅かな感情を引き出すのだとしても、「役というのはつまりデフォルメなのだから」、ということです。
これはその女優さんの話なので、だからみんながそうだとは言えないのかもしれませんが、演劇以外の芸術も、自分の世界を実生活以外の行いとして何らかの形で表現することはある意味デフォルメの世界なのかもしれないと私は思いました。
けれども、その世界を冷静に見るまた別の視点というものがなければ、全くの他人にそれを伝えるには至らないのではないか。

中川晃教さんという人は、役者さんとしてはよく「憑依型」と言われるようですし、私もそう思いますが、憑依されながら決して中川晃教さん自身を消さずにむしろ彼自身を表現し、その上でなおかつ別の「もうひとり」が冷静に検証し、歯止めをかけたり逆に煽ったりしているような…、そんな、もしかしたら、生まれながらの役者さんなのではないかと思いました。
その多重の精神構造に少なからず共感を持つ私は、この舞台をやはり観る側としてもいくつかの視点で観ることができ、多重な感想を持ち、この舞台を、そして受け取り手としてのこの自分もまた興味深く感じることができたように思います。

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いつかどこかで(9)ウキョウ様だった中川晃教さんご登場の「MIDNIGHT JAM #3」とか…

2010年12月09日 02時15分52秒 | いつかどこかで(雑記)
こんばんは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の観劇記をご覧いただきましてありがとうございます。

「SAMURAI7」でゴロベエが「笑え」と言うと、鼻の奥がツンとして却って泣きたくなる私ですが、千秋楽はゴロベエさんがとても良かったです!
彼がキララに向かって言う台詞が、途中から彼女ではなく客席を向いて放たれるので毎回自分たちが言われているような気になって観てました。

…なんて、ほんとうは千秋楽のウキョウ様のお話を書くつもりだったんですが、あの舞台が幕を閉じてから、な~んかやたら眠くって~(笑)
中川晃教さんのファンの方はブログを書く方が何人もいらっしゃるし、それ読んでいるとだんだんとそのうちに「もう沢山読んだことだし、今日は書かなくてもいいかなぁ~」って気になっちゃうんですよね。
つまり単にサボって先延ばしにしているだけなんですけど(笑)
そうこうしているうちにまた次の舞台の幕が開いちゃうしね。
まあ、ウキョウ様の話はできればそのうちに…。

ところで、そのウキョウ様役だったアッキーのスタッフさんのブログをさっき覗いたら、
アッキーの出演するテレビ番組の告知がしてあって、
「ブログやホームページをお持ちの皆様、同番組の放送日時を告知していただければ幸いです!」と書いてあったのでここにも転載します。

いやだけど、こんな辺境の地にポツンと建った小さな小屋みたいなブログに、そんなパブリシティ効果はないと思うけど(笑)「SAMURAI7」で検索してたまたまこのブログに遭遇した方で、視聴できる環境の方はぜひご覧になってみてね。
ちなみに私は見られません。
でも、そのうちに親切な天使さんの誰かが見せてくれると思います。
なので、よろしく~!(って、誰に言ってんだか?)

* * * *

「MIDNIGHT JAM #3」

*日野JINO賢二とのセッションをミュージック・エアにてオンエア
「日野JINO賢二さんの番組に中川晃教さんが呼ばれ、鮫島巧さんと三人でのセッションです。」

初回放送
12/18(土)23:00~24:00

リピート放送
12/19(日)11:30~12:30
12/20(月)24:00~25:00
12/23(木)8:00~9:00
12/25(土)18:00~19:00

視聴環境は以下です。

大人の音楽専門TV◆ミュージック・エア

スカパー! 271Ch
スカパー!e2 324ch
全国のケーブルテレビなど

* * * *

ところで、
先週の土曜日は久しぶりに家でゆっくりしていようかと思ったのに、誘われて映画「ヤマト」を見に行ってしまいました。
「しまいました」ってねぇ…(笑)
まあ、あの映画は原作アニメファンの方だったらそれなりに思い入れなんかもあるんでしょうから、たぶんかなり賛否両論飛び交うんでしょうね。
私はアニメが放映されていた時代の古臭いものとCG技術等の現代の新しいものが混在している様子が妙に面白いと思いましたが、映画として面白かったかどうかというと「突っ込み甲斐があった」という感じでした。
いろいろと感動的にもっていこうとしているのはわかるんですけど…。
それで私の上司などは「感動しました」と言ってましたので……そうか!それは良かった!、それじゃあ「感動的な映画です」と、言っておきましょう(笑)
でもま、映画にしろ舞台にせよ何にせよ、要するに人それぞれの好き好きですからね。
興味のある方はぜひご自分の目で確かめてみてください。
なんにせよ、キムタクや黒木メイサちゃんが好きな方でしたら必見かと思われます。

あら、もう真夜中だわ。
寝よう…

時おりアクセス解析とかを見てみると、こんな時間でも(って、もうすぐ二時だけど)このブログに来てくださる方って結構いらっしゃるんですよね。
本当にありがとうございます。
ちゃんと寝てますか? 夜更かしはお肌に悪いですよ。
って、お肌荒れ放題の私に言われたくないか(笑)

真夜中のあなたも、真昼に読んでくださるあなたも、明日は良い日でありますように。
そして、いつか劇場でお会いしましょう。

では、おやすみなさい。
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「SAMURAI 7」(4)12/3ソワレ

2010年12月04日 17時49分54秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
ブラボーっ! 
来た来た! ぐんと進化したっ! 今日の舞台は感動しました!満足しました!
観劇記は四回目になりましたが、改めてキャストのお名前を書かせてください。

【出演】カツシロウ・三浦翔平/キュウゾウ・西島隆弘(AAA)/シチロージ・相葉弘樹/ヘイハチ・橘大五郎/ゴロベエ・高橋広樹/キクチヨ・住谷正樹(レイザーラモン)/キララ・水野絵梨奈/ヒョーゴ・丸山敦史/シノ・疋田英美/サナエ・大石理沙/
天主ウキョウ・中川晃教(特別出演)/カンベエ・加藤雅也/ほか

前回でもチラっと書きましたが、ヘイハチ役の橘大五郎さんがカツシロウに語りながら最期を迎える場面が凄いです!
カツシロウにかけたその想いとは、それがヘイハチ自身にも、そしてこの舞台そのものや役者仲間たちへの想いでもあるような気がして(って、それは私の勝手な解釈だけど)、その強い想いが伝わってきて、ぐんぐんと惹き付けられて胸に迫ります。
元々舞台経験も豊富で上手な役者さんですから初日から急激に変化することはありませんが、その観るごとに感じる微妙な変化でじりじりと迫力が増して圧倒的でした。
そして、その後を次ぐ場面の西島さんキュウゾウが今日もまた進化していて、彼の演技は初めて観ましたが、テレビや映画ではない舞台の演技にも開眼したかのように、熱がこもって彼の最終シーンは思わず涙もの。
私はキャラ萌えという意味ではキュウゾウがツボなので、西島さんがこの役をカッコよく生きてくれてとても嬉しい!
また、そのキュウゾウたちの熱い想いを受けたかのように、その遺体を前にしてのカンベエさんの演技までもが変わってました。

…って、
ええ~っっ?! ウキョウさまの話じゃないのぉ~?!
ついにお前も寝返ったのか?!
とか言われそうですが(笑) 
もちろんウキョウさまの話もしますよ、しつこく。私にとっては特別だもの。
でも、それはあとでね。

だってぇ~!(って、最近これが口癖だけど)、
初日以来、つらつらとウキョウ様の話をしながら(笑)私はこの日が来るのを待っていたのですもの。
いくら私がアッキーを好きだと言っても、私はもともと舞台全体の作品を楽しみたいタイプ。
たとえアッキーだけが良いと思えたとしても、それだじゃ満足なんかできないわっ!

それをいうと、この物語は最初から私は好きだし(って、前にたしかに言いましたよねっ?!)あっちこっちと眼福だし(笑) そのうえ、私好みに進化してくれること間違いなし!と踏んだ自分の目に狂いはなかった!(おお、なぜに何もしてない私が自画自賛?(笑))

先に書いたヘイハチやキュウゾウ以外にも、この日が一番良かったです。
レイザーラモンのキクチヨはとても良い役柄です。
彼が死にゆくシーンも感動的ですが、私はキクチヨが赤ん坊を抱くシーンがとても好きです。
か弱き小さな者を放っておけないキクチヨは、その生まれ育ちの過酷さに心を歪めてしまうことなく、その体と同様にとても大きな男です。住谷さんはキクチヨが板についた好演ぶり。

そういえば、好きなシーンといえば、キュウゾウ・シチロージ・ヘイハチたちの「踊って歌う侍シーン」はむちゃくちゃ楽しいわ~!
思わず頬が緩んじゃう。
こんなシーンはこの舞台ならではよね!

そして…
そして、カツシロウ役の三浦翔平さんですが。
思えば私、彼が出演した「海猿」を見ていたんですよね。
なんとなく、その時もカツシロウと通じるような役柄だったと思います。
潜水士としての経験も短く、仕事への覚悟もまだできていない半人前の役です。
それが主人公の先輩と姿に接して大きな事故を乗越えるうちに、確実に成長していきます。
けれども、だからといって最後にいきなり一人前になったりはしません。
半人前から一歩か二歩進んだだけかもしれません。しかし一番大切なものを学んだ彼はいずれ立派な潜水救助隊となることでしょう。
そんな希望を感じさせられるよう役でした。
三浦さんって、頼りなくてヘタレで、つい助けたくなるような青年キャラが上手ですね(笑)

カツシロウ役もそうでした。
この舞台の最後で突然頼もしい侍になったわけではありません。
けれども、他の侍たちから確かなものを学んだカツシロウは、きっといつの日にか今度は彼こそが誰かに何かを教えられるような頼もしい侍に成長していくのだろうとそんな気にさせてくれるような、今日こそはそんなふうに思えた三浦さんの演技でした。
だからカテコではもっと笑ってほしいです。
だって~、せっかく素敵なイケメンなんですものぉ~!(笑)

あ、いちいち書いていたら、つい長くなってしまったわ。
そんじゃ、ウキョウさまの話は改めて次にね。

って、だから寝返ってないって~~っ!!(笑)
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「トップガールズ」

2010年12月04日 16時08分33秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
作者:キャリル チャーチル
演出:高橋正徳
出演:神保共子/山本道子/木村理恵/古坂るみ子/元井須美子/かんこ/大野容子/いさらい香奈子/村松えり


今宵も誰かが語っている

世界中で。
どこかの店で。
どこかの家のテーブルで。

…というわけで、
つまり、いさらい香奈子さんがご出演の舞台「トップガールズ」を観に行ってきました。
毎度しつこいようだけど、この「今宵も誰かが…」という出だしの感想は「いさらいシリーズ」のつもり(笑)

この舞台、私はかなり面白いと思いました。
特に前半は「こういう脚本もアリなんだな~」とちょっと目からウロコの思いです。
なにせ、レストランのテーブルに、女たちが横一直線に座って雑然と口々に自分の人生を語ってます。
ほんとに好き勝手に語ってる(笑)
その話の内容よりも、むしろその様子が面白いです。

なんたって、その人生を語るメンバーが凄い!
ヴィクトリア朝の女性探検家イザベラ・バード、
鎌倉時代の天皇の側室二条、
地獄に攻め入ったとされる伝説の女性フリート、
ローマ法王庁で女性を隠し法王の座についた女法王ジョーン、
チョーサーの「カンタベリー物語」に登場する貞淑な妻代表のグリゼルダ。
そして彼女らをディナーに招いたのは、職業紹介の会社でこのたび重役の昇進が決まったというマーリーンです。
もちろん彼女らが一同に会するのはマーリーンの空想だか夢だかのお話ですが、トップガールズと呼ぶにふさわしい運命を辿った彼女たちがワイン片手に好き勝手に語ります。
結局みんな自分を語りたい。人の話なんかろく聞いちゃいないのね(笑)
相槌うつのも適当だったり上の空だったりするし、人が話している途中なのに最後まで聞かずに自分の言いたいこと黙ってられなくて会話を被らせて話し出すし(それ、私もついやっちゃう)(笑) 話の内容はともかくとして、こういう場面って女性が数人集まって酒盛りなんかしているとよくあることで、それを客観的に見ているだけでも面白いです。

彼女たちの人生はそれぞれに数奇なドラマチックな人生だっかもしれないけれど、聞けばきくほどに悲惨な経験をしていたり残酷な最後を迎えていたりしていて、決して他人が羨むような幸福に満ち溢れた人生ではありません。
だから、自分がどんなに辛い目にあったかを語ります。
けれども、その中に何気に織り交ぜられている自画自賛と自負自慢(笑)
今はもう人生を振り返るばかりのこの時、誰もが自分の人生を肯定したくて…。

どんなに辛く悲しいことがあったとしても、たとえ過酷な人生であったとしても、その時々の選択が正しかろうと誤っていようと、自分が生きてきたその時を認めて肯定したくて「よくぞ生き抜いた」と誰かに言ってもらいたい、何よりも自分に言いたいのではないかというように見えました。

それにしても、ほんとうに好き勝手にしゃべる、しゃべる(笑)

このメンバーに遅れて登場の、いさらい香奈子さん扮するグリゼルダが舞台に現れてからがまた面白かった!
そういえば、この前お会いした時に「今日は衣装合わせだったんだ~♪」と嬉しそうだったのが良くわかりましたよ!
グリゼルダは「ロミオとジュリエット」で見るような、お姫様っぽい貴族の衣装と髪形で、後半の役のミニスカや網タイツも良かったけれど(笑)、あのドレスはちょっと着てみたいかも。
そのグリゼルダの様子はひとり異質を放っています。
ほかの女性たちとどこが違うかというと、ひとりだけうっとりと幸せそうです。
彼女はよく聞けばかなり横暴なご主人に振り回されたような人生で、それなりに酷い目に会っているのですが、すべて配偶者の言いなりで流されたような運命でありながら「だって彼を愛していたのですもの~」と済ませてうっとりと微笑んでいます。

その幸せそうなグリゼルダに、「ケッ!」と面白くない女たち(笑)
この様子が客席から見ていると、また可笑しくって~!
きっと私もあの場にいたら、やっぱり「あんたには自分の意思というものがないのか!」と、「ケッ!」とか言いたくなったりするのかもね。
女がどんなに辛く酷い運命に出会っても、それでもなお幸せでいられる極意みたいなものをグリゼルダに見せつけられたような気がして、とてもそんなふうには生きられなかった女たちにとっては面白くないのも道理です。
現代社会を生きる女性としてはなおさら、ただ男の言いなりに生きたグリゼルダの幸福が「自分にとっても幸福なのだ」とはとても言いがたいものがあります。

…が、それにしても、人が幸せなのは結構なことじゃないですか。
だけど、ああいう女だけの席で、あまり自分の幸せを自慢するのも(いや、グリゼルダはべつだん自慢したわけじゃないけど)、考えものだわねぇ…(笑)


この歴史上や物語上で活躍した「トップガールズ」たちの場面を経て、後半はマーリーンの現実の話になります。
それもべつだん物語として起承転結があるようなドラマな展開ではないものの、登場人物の様子がそれぞれに面白かったです。
特に私は、重役に昇進したマーリーンの、その前任だった男性の妻が職場に乗り込んできて、べつに人事権も持たないマーリーンにつべこべと文句を言うシーンが興味深かったわ。

“私の主人はとても有能で一生懸命にやっていたのに、なぜ理不尽にも降ろされてしまったのでしょう?!
どうしてですか、酷いじゃないですか、あんまりです。
ショックを受けて心を痛めている主人がとても可哀相で、私は心配でなりません。
あなたが降りたら、当然また主人は重役に復活するのでしょうね?
だって主人のほうがずっと有能に決まっていますもの。
こんなところで言ってもなんですが、私は自分に何かできることはないかと思って来ました”

そんなふうな繰り言。

そんなにダンナ様が可哀相で心配ならば、こんなところでライバル相手に文句なんか言ってないで、家でダンナ様の傍にいて彼を支えてあげてればいいじゃん! 
とか思う私(笑)

「人は何を話しているのかではなくて、何故それを話したいかなんだ」というはのゴーリキ作「どん底」の巡礼者ルカの台詞だけど、この元重役の奥さんは「こんなにも主人を愛している、思いやりのある私」を誰かに主張したいだけなのね。
それも、ご主人本人に直接言うのではなく、別の方向へ向かって言いたいらしい。
当のご主人が聞いたらどう思うのか…。
…なんか、最近こういう人をよく見かける気がするわ。


そのあとのマーリーンとそのお姉さんのシーンもそうだけど、人は自分の生き方に必ずしも満足しているわけではないけれど、だからといって他人に否定されたくなくて、心のどこかで「そう生きるしかなかった。それでもあなたなりに生きてきたのだ」と誰かに…もしかしたら、みんなに…肯定してもらいたいものなのかもしれないわね。

この舞台、私はいろいろな視点で思うところがあって面白いと思いましたが、男性のお客さんはどう思うのでしょう。
ちょっと聞いてみたくなりました。
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「SAMURAI 7」(3)12/1マチネ

2010年12月02日 22時44分39秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
だから、やっぱりウキョウさまのハナシ(笑)

この日のウキョウさまは更に熱い男になってました!
熱くて激しい悪役…ね。
それにつけても、このウキョウさまって人は、最初から思いましたけど随分と正直でストレートでわかりやすい人だと私は思います。
一見屈折しているようだけど、その屈折の仕方はせいぜいがひと曲がりだわ。

そういえば、先日見た「タンゴ」でも森山未來くんが「どうして誰も僕を理解してくれないんだ?!」って怒っていたけれど、この人は屈折しすぎているから本音が見つけにくい人なのね。
愛している人にも本音を見せられないので、好きという気持ちすら伝わりません。
けれどもウキョウさまはキララが好きで、最初から欲しいという気持ちをストレートすぎるくらいにぶつけています。
好きの気持ちどころか、しまいには自分の生い立ちやら心の奥の闇すらもキララに思いっきりぶちまけているじゃありませんか。

キララったら、カンベエの悲しみが見えるのに(ちなみに私にはわからない…)どうしてこんなわかりやすいウキョウの悲しみが見えないんだろう…?
だいたいウキョウに「僕が人間だったら好きになってくれた?」と言わせるに至らせたこと事態が巫女とは思えません。
修行が足りん、修行が!! 

人じゃないですか…こんなに。
たとえ複製でも、遺伝子デザインされた子であっても、体が機械でも、脳だけの姿であったとしても……人の心があれば人間じゃないですか。

やっぱりキララは自分の村という小さなコミュニティのみから大切にされていたので、そこに関わるものしか見えないのかも。
ウキョウが「世界を見せてあげたい」というのはとても正しいと私は思ってしまいます。
この人って、あの破壊願望さえ除いたら、もっともグローバルな視野をもつマトモな人じゃないかしら。

だいたいキララってさぁ~、「私は女です」なんて、
それって、つまりどーいうこと? 
つまり、ウキョウさまは「タイプじゃないのよぉ~」ってこと?

…なんつって(笑)、
私はキララを演じた水野絵梨奈さんという女優さんはお顔もスタイルも声も可愛いし(あのウエストのくびれがステキ!)なのでかなり好きだと思うので、もちろん彼女に文句を言っているのではなくて(笑)これは舞台キャラのキララに突っ込んでいるのですけど(笑)

いやでも…でも…キララの気持ちもわからんことも…ない…か…な…

だってぇ~!
…あのさぁ~、
もうずっと最初から気になっていたんだけど、ウキョウさまのあの目の周りをぐりぐりしているみたいな、面白い悪役メイクってどうしても必要なんでしょうか?!!
この際だから(どの際?)パンフレットの写真みたいにクールにカッコ良く顔を作ってもあの悪役度は変わらない…というか、いっそう凄みを増すような…というか、むちゃくちゃ私好みになるんですけどぉ~?(笑)
どこをどうしたって、熱い男のあっきーウキョウはクール・ビューティーになんか成れないんだからさぁ~(笑)、銀英伝のラインハルトみたいになるわけでもあるまいし、どうせならパンフレットのまんまにカッコ良くしてくれればいいのにぃ~!
ヘンなところはあっきーがたっぷり怪演してヘンにしてくれるんだから、メイクまでヘンにしなくってもいいのにぃ~!
あれじゃ、「チラシと顔が違う!」と言われたヘイハチ以上よ。
「パンフと顔が違いすぎ!」となんで誰も突っ込まないのかしら?

いや、だけどメイクをカッコ良くしたところにしろ、やっぱりキララには振られちゃうんでしょうね(笑)

「僕が○○だったら好きになってくれた?」
なんて言う男は、好きになったらなったで今度は
「僕が□□でなかったら好きになっていなかった?」なんて聞くのよ、どーせ。
そういう面倒くさい男はあの素直なキララに似合いません。
だからウキョウさまの失恋は仕方ないのよね。


そんなこんなで、今日もあーだこーだとウキョウさまの話をしてしまいましたが(笑)
私もたいがい面倒くさい女なので、こーいうこと書くのが好きなのよね~。
でもこの舞台は要するにエンターテイメントなんで、いちいちアレコレ考えなくても、笑ったり泣いたり萌えたりして(笑)ワーワーキャーキャー言いながら見て、「あー、面白かった~!」で済ませていい舞台なのよ。
でも、これだけリピートするなら、私好みの楽しみ方しなきゃ損だし。
なにせ、血と汗と涙が滲んだ(滲んでないが)日々の労働の稼ぎをここで費やしちゃってるんだもんね。
みんな、それぞれに楽しみましょうね~っ!!

ああ、そうそう。
ウキョウさまだけでなくて、舞台としても、全体的に良くなってました。
特に、死に花咲かす男たちの、それぞれの散り際がカッコイイです!!
ヘイハチ役の橘大五郎さんは最初から良いと思いましたが、回を増すごとに感動的です。
そして! 何よりもキュウゾウ役の西島隆弘さんが目を見張るほどの進化を遂げていました。

私はこの日、三時間半しか寝てなくて、繰り返し見ている舞台だからさすがにどこかで眠くなるかと思いましたが、一度も眠くなったりせずに楽しみました。

それから、青山劇場平日マチネに半休取って走りついた当日券はなんと!まさかのA列でした!
上手と下手の二席ずつはこの日の当日用に抑えていたのかも?(いつもそうかどうかは謎)
一番端っこで見切りが全くないとは言いませんが、役者さんたちの顔が(斜め横からだけど)ばっちり見えてよかったです。
明日の当日券に走る方の健闘をお祈りします!

舞台と客席にミューズのご加護を!
コメント (2)
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