今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

マクミラン版「ロメオとジュリエット」新国立劇場

2011年06月27日 02時12分59秒 | バレエ/ダンス

6月26日(日)新国立劇場バレエ公演 《オペラパレス》
ジュリエット/リアン・ベンジャミン
ロメオ/セザール・モラレス
指揮/大井剛史  管弦楽/東京フィルハーモニー管弦楽団

やだぁ、もう~!
こんなものを私に薦めないでよ! って、言ったじゃないの。
いったい、どーしてくれるのよ?
だって、この舞台ね…、

かなり面白い!!

「もう私は手一杯なんだから、もうチケット増やせないんだから、バレエの道にまで引っ張り込むのはやめてよね~っ!」と言ったのに、でもこれは絶対に面白いから「ぜひ、ぜひ、ぜひ! 観て欲しい!」と友達に言われたのは、なんと半年前の去年の暮れの話よ。
バレエにはいろいろあれど、このマクミラン版のロミジュリは物語を楽しむ舞台でもあるから、きっと私に向いているだろう、って。
そこまで言われちゃ、しょうがない、「でも、その面白さが私にはわからないかもよ?」なんて、話していたら……はい、はい、はい! 面白いものは面白いのよね。わかった、わかりましたよ!
でもね、こんな面白いものを薦めるのはもうやめてよね! ほんとに手一杯なんだからさ~!
って、嬉しがりつつ、ぶつぶつ文句を言う私(笑)

二回の休憩時間の間は、友達にずっと
「あれは何のつもり?」「どうして…は…なの?」「あの人って何者?」……などと質問しまくりで、私は五歳児か?! ってなくらいバレエには疎い人だし、バレエのお約束ごとは知らないけれど、知らないなりに、ちゃんと伝わってくるものがあるのよね~。
バレエって、今まで「綺麗、美しい、優雅~!」とうっとり観ていたつもりだけど、だんだん薄っすらと面白さがわかってきたみたいで、ほんとに困っちゃう(笑)
このロミジュリは、「どこが?」と聞かれると初心者の私には説明しづらいけど、とにかく面白かったです。

そして、ここにもいました! サンバカトリオが(笑)
大事な友達を後ろから刺されちゃって、剣を取るロメオ。
うん、そうだね、あの三人一緒の楽しい日々を壊されたら逆上もするよね? なんて、いつもは「ロミオなんて、ただ短絡的なだけの男じゃないの?」なんて悪態ついている私もつい同情しちゃったのは、「風を結んで」の友情トリオに散々感動した後だからかも。
面白かったシーンはいろいろあったけど、突然やってきて号泣したジュリエットのママとか、モップみたいなムック隊長たちとか、はすっぱでアダっぽい街のお姉さんとか……このストーリーは知っていたはずだけど、「へぇ~、こんなんなってるんだ? と、いちいち目が離せなかったです。

それにしても、思えばジュリエットって、まだ十四歳だったのよね。
この悲劇の主人公たちの短絡さも、それを思えば痛々しいものがあるわよね。
十四歳だものなぁ…
この年頃の時の恋って、自分はどんなだったかしら? なんて、遠い目の私(笑)

でもって、あれやこれやと楽しんだあげく、最後には二人の恋人たちの死よりもなお、「パリスが可哀想。振られたあげくに殺されちゃうなんて、あんまりだわ~!」と、ジュリエットの婚約者のほうに同情しちゃうのって、どうなのよ?(笑)
だってね~、 舞台によっては嫌な男でもあるらしいパリスは、この舞台ではなかなかに爽やかで素敵な人だったんだもの。
ジュリエットはパリスに恋していたら、何も問題がなかったのにね。

世の中には異性が数え切れぬほどにたくさんいるっていうのに、「何が何でもこの人ではなければ駄目」というのは何故そうなってしまうのかしら?
人を好きになるのには大概理由があると思うけど、こんなふうに仮面をつけて顔がほとんど解らない相手にまで一目惚れをしてしまったのは、その仮面の奥の瞳のせいだったのか…はたまた運命だったのか……?

この話は、九月の東宝ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」の感想へと続く!
…のかどうかわからないけれど(笑)
肝心のダンスでは、ジュリエットが背面から飛び込むのを、まるで羽を胸に抱きとめるかようにふわりと支えるロメオくんに思わずうっとりしました。
フルオーケストラの音楽も心地よく、三階席から観ても充分に楽しめた舞台でした。

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いつかどこかで(17)ミュージカルと音楽劇の違い?

2011年06月26日 03時41分37秒 | いつかどこかで(雑記)

こんばんは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の感想記をご覧いただきましてありがとうございます。

この前「風を結んで」の千秋楽の日に、友人たちとこの話題が出たので調べてみました。

んで、中島かずきさんの「新感線流音楽劇と ミュージカルの違い」によると…

「歌で物語を進行していくのがミュージカル。普段、自分達がやっている芝居は歌は多いが、実は歌を抜いても物語は成立する。それはミュージカルじゃなくて音楽劇」と言う理屈です。2004年に『SHIROH』というミュージカルをやった時も、「『ロックオペラ』じゃないの?」と尋ねたら、「『ロックオペラ』は、全部歌じゃなきゃいけない。台詞があるのは『オペラ』じゃない」と言われました。だから、『五右衛門ロック』は音楽劇なのです。」

ということは、この分け方でいえば、話題に出た地球ゴージャスの「X-day」は歌がなくても物語が成立するから「音楽劇」で、やっぱミュージカルじゃないということになる。

さらにオペラとオペレッタの違いといえば…
まずオペラありきで、その長い劇の間に滑稽な幕間劇(インテルメーディオ)を上演して気分転換をはかっていたのだそうだ。

それがそのうちに大人気となり、独立して上演されるようになったのが、オペラ・ブッファ(軽い内容の喜劇オベラ)と呼ばれたらしい。

そして、当時フランスで盛んに上演されていた風劇的な内容のヴォードヴィルという名の音楽劇と、このオベラ・ブッファが合体することによって、ここにオペレッタという新しい形式が誕生した。

というのは、あっちこっちからのコピペだけど、

それじゃあ、「オペレッタとミュージカルの違いは?」という話だけど、
あの時、私が「オペラ歌手が歌えばオペレッタなんじゃ?」と言ったのはあながち間違いではなかったみたい。

オペラやオペレッタは声楽というアカデミックなトレーニングを受けた歌手が歌うもので、だから通常はマイクが使用されない。

そのオペレッタがアメリカへ渡り、より大衆的になったものが今のミュージカル。
そしてオペラやオペレッタのような古典的なものから、ぐっと親しみやすい内容で演劇的要素とバレエやダンスなども取り入れられた。
ミュージカルはエンターテイメントな総合芸術となったということだ。


それらをまとめると、

オペラは古典的な物語を、声楽を学んだ歌手たちが歌い上げて物語を進めていくもので、台詞はない。

オペレッタはやはり声楽を学んだオペラ歌手が歌うもので、その物語は軽い内容の喜劇。

ミュージカルは歌い手が必ずしも声楽を学んでいるわけではなく、ロックやポップスなどの歌もありの自由度が高い音楽が使われ、台詞があり演技をしながら歌も歌うといった感じだが、その歌がなければ物語は成立しない。
また、ダンスも含まれたエンターテイメントである。

音楽劇は、広い意味で「台詞のみでも物語は成立する劇だが、歌が入る」舞台。

ちなみに、ロックオペラといえば、むろんオペラ歌手が歌うわけではなく、マイクが使われてロックの歌のみで物語が進められるもので、基本的に台詞はない。

…という感じかな。

それを、中川晃教さんの舞台を例にするならば、

「モーツァルト!」「PURE LOVE」「OUR HOUSE」 「風を結んで」「SHIROH」…
これらがミュージカル。
この前の「Underground Parade」もこのカテゴリーに入りそうだけど、あれは歌もそうだけどダンスの担う役割が大きくて、ダンスなしでは舞台全体が成立しないし、話はあるけれど脚本家が作る「物語」とはかなり趣が違うので、やっぱり「パレード」形式の「ショー」だなって気もする。


「エレンディラ」「女信長」「x-day」「SAMURAI 7」は歌がなくても物語が成立するから「音楽劇」。

「Tommy」はロックの歌のみなので、もちろん、ロックオペラ。

そして、「キャンディード」はウィキペディアによれば…
「ジャンルに関して一意に分類することは難しく、ミュージカルともオペレッタともライト・オペラともコミック・オペラとも、あるいは(純粋な)オペラともいえる。」らしい。
なんだ? なんなんだ、それは(笑)


まあ、その解釈や分類が正しいかどうかは別としても、
とどのつまりは、

「あっきーがたくさん歌ってくれるなら何でもいいや~!」

という私なのであった(笑)

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映画「手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく- 」

2011年06月26日 00時18分18秒 | 映画

映画「手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく- 」
原作:手塚治虫 監督:森下孝三 脚本:吉田玲子 
声の出演:吉永小百合 堺雅人 観世清和(能楽観世流二十六世家元) 黒谷友香 吉岡秀隆 水樹奈々

ずるずると先延ばしにしていましたが、今日やっと観る時間がとれました。
先日観た「風を結んで」の前楽と千秋楽の話もまだ書く気はあるのですけど、忘れないうちにこっちを先に書くことにします。

  

この映画、公開してからわりとすぐに上映回数が減ってしまって、アチコチでの評判もあまり芳しくなかったしで、私も作品としてはほとんど期待して行ったわけでもないのですが、先月に見た「ブッダ展」の一環として見たのでそれなりに興味深く観ることができました。
それで、帰りに近所の書店に寄り、またこの方面の本を一冊、今度は「手塚治虫のブッダ救われる言葉」(著・手塚治虫/光文社)を買ってきて、今読んでいるところなんですけどね…

その本によると、手塚漫画の「ブッダ」を、手塚さんご自身は
「要するに、一つのファンタジーなんです。作品として読んでいただきたい」
と言ったそうです。
ですから、その作品とは、仏伝に忠実なものではありません。
戦争もあり恋もあり冒険もあり…と、いろいろな要素を含みつつ、釈迦という人物をあくまでもひとりの人間として捉え、そこを中心にしての壮大な大河ドラマであるのだと思います。
そしてこの長編漫画がコミック誌に初登場して完結するまでに、なんと12年の歳月がかかったそうです。
その12年の間、手塚さんは「書けば書くほど、なにか伝えなければ」という気がしたそうです。

それで私は、やはり手塚漫画の長編の「火の鳥」の映画版や劇場版を観たときにも同じように感じたのですが、手塚治虫さんが長い年月を費やして書いてきたこれらの作品の、本当の良さや深さを味わうためには、もしかしたら「受け取り手としても長い年月を経ることが必要なのではないか」とか思うんですよね。
とか言うと、それでは、そもそも長編ものをたった数時間の映画や劇にすること自体が駄目なんじゃないか? という話になっちゃうんですけど(笑)
長い「時」がかけられたものとは、それなりに意味があるというもので、その「時の流れ」を共に感じてこそ、得られるもの、味わえるものがあるのではないか…とまあ、そんな感じがしました。
この「ブッダ」という映画は、釈迦が悟りを開くにはまだずっと先の、彼が出家をするまでの物語なので、漫画の中でも前編といった部分ですが、それにしても、100分かそこらに纏め上げては駆け足すぎるのかもしれません。
脚本としては、よく纏まっていて、そういう意味では決して悪くないと思いますけど。
長い年月をかけて味わうべき感動を、たった数時間で得ようとするのは、もしかしたら、その発想自体が貪欲すぎて無理があるので、裏をかえせば、この映画は「これはこれで良いのだ」という気もしました。

それにしても、私もそうなんですが、手塚治虫さんもやはり、ブッダという人間を「宗教的カリスマであるよりも、哲学者として偉大である」と捉えていたのですね。
だからこそ、ブッダをひとりの人間として描いた「物語」が創造できたのかと思います。
そして、ブッダの教えを宗教というよりは、哲学・思想として捉えたとき、それでは「現代が、そこから学ぶべきものとは何か」ということに思い当たるのは当然だろうと思います。
といっても、私の場合ならば「現代が」とか大きくならず、「自分が」と思うところがいかにも小さくて、器の違いがこういうところに現れますけどね(笑)
ですから、ブッダの、「人生は苦であるが、人間は決して苦しむために生きているのではない」という思想、そして「その苦悩の原因は、人間の欲望の存在であり、それを探り当てれば苦しみはやわらいでゆくはずだ」という哲学を、私ならば私個人として自分に当てはめて狭く思いを馳せるだけですが、手塚治虫さんともなると、現代の世の人々を思い、そこに向けて彼の得たものを、広く、しかも面白い作品として発表し続けてくれて、本当に素晴らしい漫画家さんだったと今更ながらに思います。

さて、この映画「ブッダ」に続編は出るのでしょうか?
物語としてはまだこれからなんですけどね。
何せ、これからブッダは数々を経験して悟りを開くわけですから。
映画の中のブッダの名は、最初に両親から付けられた「シッダルタ」であり、シッダルタとは「目的を成し遂げるもの」であり、ブッダとはたしか「悟るもの」という意味です。
どちらかというと、私はその悟りに至るまでの、まさに「ブッダ」の話を見たいんですけど。
話が話だけに、また短時間に収めようとすると、後編こそはやたら宗教色が増すばかりで、ファンタジーとしての面白さを出すのは難しいかな?

私としては、東京国立博物館の「ブッダ展」からはじまり、これを機会に買った三冊の本も、そしてこの映画も、ひとくくりに纏めてなかなか興味深く楽しかったので、もし続編が出来るならばまた観に行きたいと思いました。

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「風を結んで」東京前楽&千秋楽

2011年06月19日 00時00分00秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

あ、見つかっちゃいました?(笑)

今、これを書いてるのって2011年7月24日ですから、「風を結んで」の東京千秋楽からもう一ヶ月以上も経っちゃったのよね~。
だからこれは「今さら観劇記」なんだけど、それを書く私もなんだけど、今さらこんなものを読もうとしている画面の前のあなたも相当もの好きな人よね~?(笑)

なわけでね、だからこれはまあ、ゆるゆる~っと書こうかと思ってるので、いつにもましてグダグタな話になる予定。
あ、そうそう、重ねて言っとくけど、これは日比谷のクリエの感想だからね。
名古屋とか大阪には行ってませんから。
遠征しないのは私にとって単なる経済的な事情だけでなく、それなりに色々と考えがあってのこと。
それはいわば「ドミノ倒しのストッパー」であったり、強欲になりがちな自分への戒めだったり、ドーパミン系依存の防止だったりと…まあ他にも理由はいくつかあるんだけど、そんなこんなでこれまで基本的に地方遠征はしていません。
足るを知る。

なので、またしても最高だったという評判の関西での公演はともかくとして、「私の最高」だった東京公演の前楽の日にね、由紀子の企画に憤慨する伝四郎へ、あっきー演じる平吾がアドリブで「(そんなに怒ると)顔、老けちゃいますよ」と言ったのには爆笑したわよ!
大真面目にそういうこと言うんだもんなぁ~(笑)
あのアドリブが前楽の一回限りだったのが残念なくらい私は笑わせてもらいました。

笑う場面といえば、毎回私は同じところで笑わせてもらったのが、刀に筆をつけて字を書く練習をする場面で、「もうやめようか?」と弱音を吐く郡兵衛に、平吾がくるりと振り向いて「駄目ですよ」という場面。
あれもすっごい大真面目なんだけど、何故か笑えるのよね。

思えば、この舞台で笑った場面って、どの場面でもあの三人はすごーく真面目で、弥助の「逃げよう、夜逃げしよう!」のところも、郡兵衛が西洋の椅子に初めて座ってスプリングが珍しくてプカプカと跳ねたりする場面とかも、べつだん冗談でもなんでもなく彼ららしい「普段の反応」なんだろうと思う。
もし私が当事者の一人としてあの場面にいたら笑ったりしないでしょうね。
平吾たちはほんとうに真面目な人たちだもの。
だからあれはやはり、舞台と客席にある距離が彼らの言動を時に可笑しく、また時に微笑ましくさせるのかもしれないな。
そういえば、カーテンコールであっきーが一生懸命に挨拶して時々妙な方向に行ったりすると客席の私たちは面白くってつい笑うけど、隣にいた菊地美香さんは心配そうに一生懸命聞いていましたっけ。
あの菊地美香さんと客席側の私たちの表情の違いが、見せる側と見る側の違い。
どんなに物語に入り込んで観ているようでも、客席と舞台には距離があって、観客は絶対に当事者に成り得ない。
けれども、だからこそ面白い。
それは笑いだけじゃなくて、感動も同じよね。

ああ、残念だなぁ…。
あの舞台の上の人達に、誰よりもあっきーに、この舞台を客席から観せてあげたい。
あんなに面白くて、笑えて、泣けて、感動的で、しかも気持ちの良い舞台だったのだから。
どの舞台でもそうだけど、舞台上の人達にはこの舞台の本当の面白さは味わえないと思う。
え? 役者さんたちも録画したものを見ただろう、って?
だめだめ、「舞台は生で観なくちゃ!」って、誰かさんも言ってたでしょう?
空気を肌で感じなくちゃ!
生の空間で、舞台と客席の距離があることで沸き起こる感動、笑い、涙……そして、何よりもあの歌声!!

あの三人がどうしてあれほど愛おしく、そして可愛く見えるのか。
真正面からせまる侍たちのコーラスの迫力がどんなにか凄くて圧倒的だったか。
そして、最後の最後で「あの大空へーー」と伸びた歌声の一声を客席で聞くのが、どれほど気持ちの良いものだったか…
あれを中川晃教さん自身が知らないなんて、残念だなぁ…。
あれだけの歌を歌うのも気持ちの良いことなのだろうけど、彼の歌を生で受け取るのがどれほど気持ち良いものなのか!
あっきーの声だから、あっきーの歌ならばこそのあの感動。
一度あっきーに、聞かせて、客席から体験させてあげたいなぁ…
絶対に無理だけど。

……う~ん…
やっぱりグダグダな話になっちゃった(笑)

書きたいことは他にいっぱいあったはずなんだけど…
やっぱ、せめて二週間以内くらいに書かないと駄目かしらね。

さて、放ったらかしにしていた4月のアンパレの感想はどうしようかな?
あれも大満足な舞台だったけど。
一緒に観た友人達の感想と八割くらい同じ感想だから日記にこっそり貼り付けちゃおうかしら?(って、おい!)
だけど自分で書かなきゃ、残りの二割の自分の感想が読めないか。

……う~ん…
……
と、このままグダグダに終わったりして(笑)

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「風を結んで」6/13マチネ

2011年06月15日 00時38分09秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

橘右近が家宝の名刀・氷雨丸を平吾に託したのは、つまり平吾に「妹を頼む」という意味だったのかしら? 
「え? いつの間に結婚していたの?」というその驚きは、もしかしたら私達あっきーファンが、いつの日か改めて何倍にもなって経験するものかもしれないな、とか思ったりして(笑)
まあ、事後報告ってことはないかもしれないけど、「いつの間にそんな人がいて、そういうことになっていたの?」とかいう事態は、この先いつかは起こるのでしょうね。
事前でも事後でもどっちにしたって私達は驚くでしょうけど、「コンサートやライブの時にいきなり結婚の発表するのはやめて欲しい」と、これだけは切に願っておくわ。
だって、そんなことされたら絶対に会場全体が妙なテンションになってしまって、空気がぐちゃぐちゃになりそうなんだもん。

って、いきなりなこの脱線話は、あっきーが「いつかは結婚したい」とアフター・トークで言ってたからなんだけど(笑)
そういや、一月のラジオ収録の時も、自分の年齢を「結婚してもよい歳」と言っていたし…なんでしょう?、これ。
なんかの伏線??(笑)

まあ、それは知ったこっちゃないので、ともかくとして。
前回の続きで、この「風を結んで」の二人の女性、大林由紀子(大和悠河さん)と静江(菊地美香さん)の話をしようと思うんですけど…

「花は愛でられてこそ花」という由紀子。
一方「花は愛でられずとも花」と歌う静江。
あなたはどっち派?

私はね、思わず「自分はどうかしら?」と考えてみたら、まず自分を花に例えるのに無理があったので(笑) 
この歌を私なりに散文的に訳してみると、言うなれば由紀子は、
「人から愛されたり褒められてこそ生きている甲斐を感じるから、そのような自分であるためにも一生懸命に努力して、もっと美しく輝いて生きていきたい」という女性…かな。
それに対して、静江は「たとえ愛されなくても、自分が褒められなくても、私は誰かの役に立ちたい。そんな自分に満足して生きていける」という人なのだろうと思う。
だとするならば、私はこの別方向に強い女性たちのどちらでもなく、けれども人生のその時々で、そのどちらかにでも思ったりするから、いかにも自分はどっちつかずの「中庸」な女かもしれないな。
「人生のうちで、誰かに愛される時があればいいし、誰かに必要とされていたいし、いつもとは言わないけれど、たまには褒められたり感謝されてみたいよね~」とかね(笑)
その時々で、流されて生きているので、由紀子にしても静江にしても、こういう芯の強い女性には叶わないな、とか思う。

それにしても、静江も、そのお兄さんの右近にしても、さすがは武家に育った兄妹だけあって、武家社会を保つのに都合よい儒教の思想が心底叩き込まれてる人達なのね。
儒教では、女性のあるべき姿を「三従」とし、つまり、「生家では父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子 に従う」というものだから、その人生は常に誰かに従って生きるべきというもので、女が前に出ることなどもってのほかなわけ。
けれども江戸時代、由紀子の生まれ育った商人の家では夫婦共稼ぎは当たり前だし、商人の出世は家柄より自分自身の才覚や実力次第なわけだから、もともとこの二人の女性は育つ環境と教育とが違い、性格の下地になるものが全然違うのよね。
そして今、現代の日本に生きる私達女性は、どのような環境か? というと……どうなのかしら。
一見世の中に、かくあるべきものがない分、生き方に選択肢が多くて、自分がどう生きるかはその多くの選択肢から選ばなきゃならなくて、それがいろいろと自分に跳ね返って「これで良いのか? 良かったのか?」とか悩むこともあるし、それはそれでしんどいわよね~。

って、あれれ? どうしてこんな話になっちゃったんだか?(笑)

話を変えよう(笑)

大林由紀子役の大和悠河さんは、観るごとに漫画チックにコミカルで麗しく、面白くてさっぱりと思い切り良くカッコよく、私はこういうタイプの女性が好き。
お友達になりたいのは断然この方のほうかも。
謝ってばかりの静江に「ほら、また!」というセリフに、この女性の明るくて温かい人柄が滲み出ているような気がするし、「幸せの種」を歌う二人の場面は、生き方の違う二人なりの友情も感じられて、とても良いシーンだと思います。
静江は、もし私が男だったら、こんな嫁さんが欲しいかも(笑)
健気で素直で、とても可愛らしいものね。
だから「愛でられずとも」とか言いながら、こういう女性こそがしっかりと愛でられちゃうのよね。
まあ、どちらにしても、お二人ともに綺麗な花ですね。そして強いです。

ところで、さすがに同じ舞台を三日続けて観たのは疲れました。
劇場でただ座っているだけだからべつに疲れやしないはずなんだけど、今日は休暇開けで、たまった書類を片付けたり、あちこちと電話をしたりする合間にも、絶えずずっと頭の中で平吾たちの歌がぐるぐるリフレインし続けているのは、いくらなんでも非情に疲れるわ。
全く別の舞台を三日観たってそうはならないんだけど…。
連日同じ人生を繰り返して追体験するのは、それを仕事にする役者さんたちにとってはどういうことなのか私には想像もつかないことだけど、全く違う日常に戻って別の仕事をする私には、オンとオフとの区別がつかなくなるくらいにひとつの世界に入り込みすぎては、社会人としていけませんよね、やっぱり。
ちょっと反省。
次回から、連チャンはやっぱり二回までにしときます(笑)

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「風を結んで」6/12マチネ

2011年06月13日 01時33分30秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

そう! そうなのよ!
って、いきなり「なんなのよ?!」という話ですが(笑)
クリエで販売していた白虎隊キューピーちゃんは、とても早くに売り切れちゃったんですってね?
それで追加に入荷したものも即完売で、今はいつ入荷するかわからないそうなんです。

ごめんね、私、知らなくてこの前見せびらかすようなことしちゃって…。
だけど、あのキューピーちゃんが欲しくて手に入らなかった方も残念だけど、あれが売れれば集まるはずの義援金が集まらないのだとしたら、それが私は残念だわ。
今回の舞台は収益の一部が震災のための義援金に寄付されるそうで、それだけでも良かったとは思うけど、それにプラスされるものがあったら尚更良いですものね。
でも、キューピーちゃんはなくても、ロビーに義援金箱がありますよね。

あれに募金するのに、私は100円でも10円でも良いと思うんですよ。
たとえば、クリエに「風を結んで」を見に来た人が、ひとりずつ10円入れるとしますよね?
リピートする人だって、毎回10円なら負担にならないでしょ?
すると一回の公演で500人の人が10円入れたとして、5千円。
東京は22回公演だから、全部で11万円になります。塵も積もれば山となる。
けれども、「どうも10円だけ入れるのなんかは恥ずかしい」と思うならば、何も積もらないです。
「貧者の一灯」という言葉があります。
「わずかなものでも真心こもるものは尊い」という意味です。
私も、そしてみんなも、もう義援金はあちこちで何度も払っていますし、東京に住んでいると募金箱が設置されている場所はやたら多くて見慣れたしで、「もういいか」と思いがちですが、こんなふうに劇場で贅沢に遊んでしまった日こそ小銭でもいいから募金しませんか?
小銭を入れることは恥ずかしくないですよ。小銭だって生活の立派な一部だもの。
私はそう思うことにして、初日は500円でキューピーちゃんを買ったけど、二回目と三回目は義援金箱に小銭を入れてきました。
恥ずかしいという気持ちは、私は誰かに対してではなくて、自分に向かって問えば良いのだと思います。

閑話休題。
「風を結んで」三日連続観劇の真ん中の今日、侍たちがますます素晴らしかったです!!
そして、見るごとに私はあの三人組が可愛くて、愛しくてたまりません。
だーけーどっ! ラブリーな三人組は後に残して、今日は二人の女性のお話ね(笑)
あ、そろそろ盛大にネタバレする予定ですので、この先はご注意くださいね。

とか言いつつ、義援金の話をしたら長くなったので、やっぱり一旦ここで切ります。
↓写真はクリエの前に新しく貼られたポスターの一部を拡大したものです。



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「風を結んで」6/11マチネ

2011年06月12日 02時14分05秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

「集え、精鋭たちよ!!」
戦記ものなどの冒険小説を読んでいると、よくこういうシーンに出くわします。
私はこれが好き!
いざという時に続々と集まる実力派の精鋭たちが、それぞれに強くて魅力的であればあるほどわくわくしますよね~っ!

この「風を結んで」の写真(ピンボケでこめん!)の四人を見ていると、私はその「集え、精鋭たちよ」とか「来たれ!つわものどもよ」とかいう言葉を思い出すわ。
そんなわけで、改めてお名前を載せちゃおうっと!

照井裕隆(佐々木誠一郎)/小原和彦(新畑伝四郎)/俵和也(栗山大輔)/加藤貴彦(斉藤小弥太)

三バカトリオにこの四人が加わって、七人でコーラスが始まると、とても聴き応えがあります。
全員声量もあるし上手いしで、七人だけとは思えない迫力があって、まさに精鋭たちがガッツリ聞かせてくれて気持ち良いです。
この四人のうち、私はたぶん加藤貴彦さんはお初だと思うけど、照井さんたちの出演していた舞台はかなり…いや、ほとんど見ているみたい。
ミュージカルって、何を見るかを選ぶときは作品だとか主役クラスの役者さんたちで決めるけど、実はアンサンブルに感動させてもらうことが多いです。
アンサンブルの皆さんがしっかり歌ってくれると、気持ちがものすごく盛り上がりますよね~。
「モーツァルト」なんて、アンサンブルのところでダダ泣きするし。

で、侍たちのコーラスには、ぐわ~っ!と迫力があり、ほんとうに素晴らしいです。
なにせバランスが良い! 気持ちいいくらいに。
歌だけじゃなくて、演技もダンスもね。
男だぁ~っ! って、感じ(笑) 
私が女だからそう思うのかしら? 女声のみも混声も良いけれど、男声だけのコーラスって、独特の快感があるみたい。
私は今日はすごーく久しぶりの最前列だったので、彼らの生声が届いて幸せでした。

そして、今日は大澄賢也さんの橘右近に泣かされました。
右近はね、自分の人生を、肯定しながら全うしたかったのかと思う。
時代が急激に変化するなかで、改めてこれまで生きてきた自らの武士としてのアイデンティティーを問われ、彼の出した答えがたとえ死ぬことであったとしても、それに悔いかなければ私はやはり「見事に生き抜いた」と思いたいです。
彼の人生と、そして死を、彼自身が無意味で価値のないものだと思うならば「生まれ変われたら、もう一度侍として生きてみたい」なんて思わないはずだもの。
二度目に見た橘右近の最期のシーンは、初日にまして感動的でした。
そういや、大澄さんは「ウェディング・シンガー」の時もそうでしたけど、メインキャラの対極を演じてくれると際立つ方だったんですね~。

泣かされたといえば、ところどころで笑わせてくれたり、相変わらずピシッ!と締めてくれるカッコイイ山崎銀之丞さんの捨吉にも思わず泣かされちゃうし、この舞台、あっちこっちと見所が多くて嬉しいです。

そんなわけで、長くなるので今日はこのへんにしときますが、趣の違う華二人の女性達や三バカトリオのお話などはまた今度ね。

でも、ま、
きっと、誰が良くても、なんだかんだ言っても、私は「やっぱり、あっきーが一番好き!」って、結局そーいう着地になるんだけどね。
だってぇ~っ!  
とか続けると、またまたお話が長くなっちゃうので、次回へ続く!(笑)

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いつかどこかで(16)「風を結んで」キューピーとかゲキ×シネ「薔薇とサムライ」とかあれこれ

2011年06月05日 21時16分50秒 | いつかどこかで(雑記)

          

『あなたが冷たく「痩せれば?」と言ったから
五月一日はダイエット記念日』 (作・煌月)

なんちゃって(笑)
その5月1日というのは、あっきーのコットンクラブでのチャリティーライブの日でね、
その日私は久しぶりに春向けの七分丈のパンツを穿こうとしたわけよ。
そしたらなんと! ウエストがきつくてボタンが締まらない!(泣)
だけど上にカットソーをかぶせちゃえば誰にもわからないよね? 
…などと思って、応急措置として安全ピンで止めてごまかして着たのだけど、その話を友達に言ったところ、美意識の高い彼女は私の突き出たお腹を見て冷ややかに一言。
「痩せれば?」
この言葉、実はね、私、けっこう感動したし感謝してるのよ。
普通は「そんなに気にするほどじゃないんじゃない?」なんて、なあなあに言うものだけど、それが、こんなふうにスパッと、「自分でそう思うならば痩せれば? 」なんて言ってくれる友達って、文字通り「有難い」友達だわ。
昨日そういったら友達は「私そんなきついこと言った? ごめんね」と言ったけれど、自分を甘やかしがちな私にはそれくらいが丁度良いくらいで、いっそ気持ちが良かったわ。(←こういうところがドM)
それで、この一ヶ月、だらだらと無駄に飲み食いするのをやめて(私の場合、太る原因なんてそこに尽きる)、お陰であの七分丈のパンツはするすると穿けるようになりました。

それにしても、その彼女もだけどね、こういう本当の友達って、とても得がたく有難いなと思う。
友達は、身構えて作ろうと思ってすぐに作れるものじゃないものね。
ある意味、結婚相手よりも親友を見つけるほうが難しいかもしれません。

そんなわけで、「風を結んで」の三バカトリオ達の友情を見せてもらいながら、しみじみとこの初日に同じ劇場にいた友達、千秋楽までにきっと会える人たちや、この舞台だけでなく、かつて同じ場所で一緒に感動を味わった数々の友人達に出会えて、私は本当に良かったと思いました。
私がせっせと劇場に通うのは、もちろんその舞台を見たいからではあるけれど、その後でこの人達と一緒に語り合ったり、お酒飲んだりするのが楽しみでもあるのよね。
そうでなくても、「こんなの観て来たよ~」とこうして感想を書いて報告するのも楽しいです。

ところで、写真のキューピーちゃんですけど。
これを携帯につけていたら、今日会った若いお嬢さんに、「なにこれ! 可愛い~っ!」と、とってもウケました。
ほんと、可愛い~!
私のお腹か太っても全然可愛くないけれど(笑)、キューピーちゃんはこの丸いお腹が可愛いわ。
このキューピーちゃんの売り上げは全て義援金になるそうですが、それがなくても思わず手が伸びるくらい可愛いです。
義援金のキューピーちゃんはあちこちで見たという人も、この白虎隊キューピーを見たらついまた買ってしまいたくなるかもね。
クリエに行く方でこれが欲しい方は、開演前に売り切れないうちに早めにゲットしましょうね!


さて、話は変わりますが、全国公開に先駆けて、先週の金曜日に劇団☆新感線のゲキ×シネの試写会に行ってきました。


今回も良い出来です!!
劇団☆新感線は私は初めて舞台を観たのが1997年の「髑髏城の七人」からですが、そのあとでビデオも買いましたけど、当初からするとこの録画も音響も編集も、すべてが格段に進歩しましたよね。
今回の「薔薇とサムライ」も生の舞台を見ましたけど、ゲキ×シネで久しぶりに観てみると、やっぱり面白い舞台だったなと改めて楽しめました。
普通の映画と違って、ゲキ×シネは生の舞台の臨場感があるので、つい劇場に座っているような気持ちになって、何度も拍手しそうになってしまいます(笑)
客席からではよく見えなかった表情なども見えて、こうしてみると、やっぱり天海祐希さんって、テレビで活躍しているだけあって、お顔のドアップがとてもきれい!
それにほんとにカッコイイです!
神田沙也加ちゃんは、客席で見ていたときはよく見えなかったけど、ヘン顔するときの徹底振りが好きだわ(笑)
可愛いお顔なのに、あれだけすんごい表情もしちゃうなんて、さすが!って感じ。
たけども、それより何より浦井くんよね~っ!…というのが結局な私だけど(笑)

このゲキ×シネ「薔薇とサムライ」は6月25日(土)より、なんと! 全国46館で上映スタートだそうです。
チケット入手が困難なだったほど大人気だった「薔薇とサムライ」。テレビや映画では体験できることのない生の舞台を再現したこの興奮の娯楽超大作は、演劇ファンならもちろん、新感線を初めて観る方にもお薦めです!
…などと、マスコミ用試写会だったので一応宣伝の真似などもしてみましたが(笑)、
舞台と同じですから上映時間は休憩を挟んで197分。お昼や夕方頃から観る方には、何か食べてから行くことをおすすめします。

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「風を結んで」初日

2011年06月05日 05時19分55秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

【演出・振付】謝 珠栄
【脚本】大谷美智浩
【ミュージカル台本】T.S【音楽:甲斐正人】
【出演】中川晃教/大和悠河/藤岡正明/小西遼生
菊地美香/山崎銀之丞/大澄賢也/照井裕隆/小原和彦/俵和也/加藤貴彦

なんとも晴れやかな舞台です!
じめじめとした薄暗い梅雨の季節に入っても、こんなに明るく晴れる日もあるのだと、そう言わんばかりの初日の好天気。
空が明るいと気持ちも明るくなって、元気になる。
元気になると前向きになり、前向きになると生きる希望がわいてくる。
そんな舞台でした。

誤解を恐れずに書くとすると、この舞台は良い意味で「一度観ればそれで充分」な舞台だと思いました。
初日にしてそこまで思わせてくれたことがとても嬉しいです。
それはつまり完成度が高いということ、そして一度で「伝えられるべくして充分に伝えられた」という満足感に他なりせんから。

しかぁ~し!
だからといって、私がこの舞台を一度観ただけで、済ませるわけがないでしょうが!!(笑)
なんたって、この舞台の中央に立つのは中川晃教さん、その人だものね!

だってね~、あっきーが久々のミュージカルなんだもの。
しかも、パンフレットを開けるとキャストの最初に見開きでドォ~ンッ!
もうそれだけで嬉しくてにっこにこよ。
まさに晴れ舞台。
ちょっと、ちょっと~、久しぶりに見た黒髪がなんだかすご~く新鮮で、あっけらかんとした笑顔が本当に良いじゃないの。

幕が開いたら、片山平吾(中川晃教)と、田島郡兵衛(藤岡正明)、加納弥助(小西遼生)の三バカトリオが明るくって、面白くって、楽しくって、三人とも歌は上手いし声量もあるしで見てよし、聴いて良しで、キャラのバランスも歌のバランスもバッチリでした。
ダンスも良かったな~!
そして、この三人はだからもちろんのこと、他のキャストの皆さんもそれぞれに良くて、どの場面にも見飽きることがありません。

そんなわけで、私はこの舞台を何度も見ますし、初日なので感想はこれくらいにしておこうかな。
私はじっくり書こうとするとすぐにネタばれしちゃうしね。

次に観るのは来週の土曜、日曜、そして月曜と、なんと三連チャンになる予定。
始まる前はさすがに「三日も続けて観るのはどうよ?」と思ったけど、この舞台なら全然オッケーだわ。 
とっても楽しみになりました!

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「黒い十人の女」

2011年06月01日 00時09分48秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

【上演脚本・演出】ケラリーノ・サンドロヴィッチ
【出演】峯村リエ/松永玲子/村岡希美/新谷真弓/植木夏十/安澤千草/皆戸麻衣/菊池明明/廣川三憲/藤田秀世/吉増裕士/眼鏡太郎/小園茉奈/木乃江祐希/白石廿日/水野小論/野部青年/森田甘路/
みのすけ/中越典子/小林高鹿/奥村佳恵/緒川たまき

演出家がケラだから買ったチケット。
青山円形劇場っていつぶり? って記憶にないくらい久しぶりでしたが、丸い舞台が効果的に使われて十人の女優さんたちの個性も際立ち、さすが!鬼才ケラの舞台は面白かったです!

例によって予習しない私は「十人の女って、どんな?」と、思ったら、一人の男に十人の女なのね。
その昔、テレビ局の花形プロデューサーが超モテた時代に、敏腕で多忙なテレビプロデューサーが妻の他に次々と愛人を作り、その十人の女達が一人の男を巡って……というお話よ。
以下、激しくネタばれするのでご注意くださいね。

この話の最初のあたりは、男なら「俺もこんなふうにモテてみたい!」とか思うのかしら?
分刻みの多忙な仕事の合間に、まめまめしく女をくどき、その女達はことごとくこの男に引っかかるのはどうして?
あ~んな、女なら誰でもいいような、口先うまく表面だけやさしい実のない男なのに、どこが良いのかよくわかんない! …なんて、思うのは傍(はた)から見ているからそう思うのかしら?
けれども、女達が男から離れないのは、「くやしくて、やめられない」だからですって。
ああ、なるほどね~。
ようするに、付き合い出したきっかけはそれぞれにケースは違えど、「やさしくして欲しい時にやさしくしてくれた」とか、まあ、その程度なわけだけど、そのうちに、次々と自分以外の愛人の存在を知るにつれ、女達は自分こそが男を独り占めしたくて、互いにパワー・ゲームを始めて降りられなくなったわけね。

けれども、このパワー・ゲームは勝負がつきません。
なぜなら男は誰も真剣に愛してなんかいないから。
誰もがひとりの男を独り占めできなくて不満です。
けれども、男は自分だけではなく、他の女のものにもなりません。
つまりそういう、その場限りの、調子良いだけの男です。
それに気がついた時、女たちは改めて男を見て「あんな奴のどこが良いのかしら?」と思うのよね。
だけど、自分だけが降りるなんて、今更悔しくてやめられない、いっそ、この男がいなくなってくれればいいのに~、ってか、死ねばいいのに~、……というような、彼女たちの心の変化は、「さもありなん」と、納得の変化で面白かったです。

もっとも、「こんな男に何時までもしがみついているのは馬鹿みたい」と、去っていく女性がひとりもいなかったのが私は不思議だわ。
そんな不実な男との不毛な恋愛なんて、さっさと捨てちゃえばいいのにね。
どうしてみんな、ああも負けず嫌いなのかしら?
って、だからこういう時、私にはつくづく嫉妬というのがよくわからないと思う。
なので、「じゃなかったら、いっそのこと、みんなで共有の玩具にしちゃえば良いのに~!」
な~んて、すぐに思った私は案外と極悪最低な女だったりして(笑)
え~、だってさ~、女性を粗末に扱う男は、結局女性から粗末に扱われるのは当然の成り行きじゃない?
誰だって自分を大切にしてくれる相手ならば、もっと大切にしなければと思うもの。

ってなことで、あ~だこ~だと画策した末に、この十人の女たちのさらに極悪なことといったら…。
男性はきっと最後のほうで、「やっぱり、あんなふうにモテまくって次々に愛人を作ったらろくなことにはならないな」と、思わずゾッとしたかも。

『誰にでも優しいってことは、誰にもやさしくないってことよ』 というのが、この舞台のキャッチフレーズだけど、たったひとりに真心で優しくできない人は、結局は誰からも優しくされない。
「みんなを同じように好きだという人は、誰のことも本当には好きじゃないんだね」というのも、昔どこかで誰かが言ったことだけど、こういうのは応用がきく言葉のような気もするわ。

女は強い、女は弱い。
女はよくわからない生き物というけれど…
そもそも人がそうだもの。
この舞台は有名な映画が元になっているそうだけど、もし逆に、「女ひとりに十人の男の愛人」という物語を作るとしたら、いったいどんな展開になるのかしら?
ケラが作ってくれるのなら、それも面白そう。
いや、どんなのでもケラは面白い。

やっぱ、ケラのチケットは買いです!

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