今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「聖地」9/25

2010年09月30日 00時31分12秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
作:松井 周
芸術監督・演出:蜷川幸雄
出演:さいたまゴールド・シアターの皆さん/堀文明(客演)/他

さいたまゴールド・シアターとは、蜷川幸雄さんが率いる、55歳以上の劇団員42名の“世界一過激”な演劇集団です。
今年の平均年齢71歳というから、去年70歳だったのが順当に一歳延びたのね。
皆さんお元気で本当に良かったです。
私は蜷川さんの舞台をここ数年でいくつか観てきましたが、その中では特にこの方たちのが好きなのでとても嬉しく思います。
それで気合入れて感想を書こうとか思っていたら、ついつい日にちが経っちゃったのよね(笑)
感想を書くつもりが書き逃してしまうときって、大概こういうパターンが多いかも。

なんて話はともかくとして。
このゴールド・シアターの皆さんですが、とにかく凄いエネルギーを感じます!
中には50歳代や60代の方たちもいらっしゃるので、全員がお年寄りではないけれど、物語の中心となる70代や80代の方たちから伝わってくるそのパワーとは、若い人たちの発するそれとはまた別もので、なんというか命の底力を感じるというか(笑)じわり!ズシン!と熱い備長炭ってな感じです。
リアル老人が演じる「お年寄り」たちはこの上なく真摯であり、けれどもどこかユーモラスであったりもします。
ああ、ほんとうに好きだなぁ…この方たち。

私は去年の「アンドゥ家の一夜」で初めてゴールド・シアターを知ったのでまだ二回目ですが、今回の「聖地」は四回目の公演だそうです。
で、「アンドゥ」はケラリーノ・サンドロヴィッチ作だったからやけに面白かったのかな?とか思ったら、今回の松井周さんの脚本も面白かったです!

物語の舞台になるのは近未来。
この国では「安楽死法」が施行され、70歳以上の老人たちは延命医療よりも自らの「最適な死」を望むように求められていました。
つまり、念書さえ書いておけば楽な方法で自殺ができるわけです。
自らが選ぶ「尊厳死」…その“最期”を自然な気持ちで迎えるために作られたというウリの静かな老人ホームに、ある日五人のお爺さんたちが乗り込んできて……という話なんですけどね。
その五人のお爺さんたちは、なんと!元アイドルの「キノコちゃん」ファンクラブのコアな会員だったという人達なんですよ!(笑)
もちろん、その元アイドルのキノコちゃんも今では立派なお婆ちゃん…だったんですけど、実はこの老人ホームで自殺していて、その死が不審だと言い元FCのみなさんが出張ってきちゃったわけなんです。
このあたり、映画「キサラギ」をちょっとばかり思い出しますけど、この物語としてはその不審な死を追求するための推理劇ではなくて、その五人の老人達が院長を追い出して老人ホームを乗っ取り、ここを死ではなく生を選ぶための新たな老人の「聖地」にしようじゃないか…ってな話に進みます。

この題材は、語り方次第では近代の「姥捨て山」を描くような、何とも重苦しい話になりそうだけど、なんたって元アイドルのオッカケだし(笑)、お爺さんたちはその五人にしても、老人ホームの先住の人達にしても、それぞれに事情があるにせよ決して話が暗くはなりません。
余命があと二年とか半年とか言ってさえも、湿っぽくも暗くもない。
それは脚本の上手さもあると思うけど…やっぱりこのゴールド・シアターのリアル老人たちが演じるからかもしれないなぁ…。

二十代の若者の余命二年と、老人の余命二年と、どこが違うのか…。
ある老人は、「もう自分は世の中で何の役にも立たないのだから」といい、またある老人は「今ちょうどプラスとマイナスがゼロだから」山へ行く(安楽死をする)と言います。

だけど、本当にそれでいいのか…??
老人が自分の老いを問い、死を問い、改めて生きることを問います。

でもそれってね、もしそれが私自身の話として思うならば、場合によっては「安楽死」もそう悪くないのかも、と思わなくもありません。
私にとって死の際に訪れるであろう痛みや苦しみは怖くても、死そのものはあまり怖くないので、自分の一番良いときに静かな気持ちで、それこそブラスとマイナスがゼロでフラットになったところで最期を迎えるのは悪くない…かも。
なんて、思ったりもしますけど、実際に長生きして老人になってみたらどうなんでしょうね?
きっとそこへ行き着いてみなければ本当にはわからないのでしょうね。

劇中の中で、五人の元気なお爺さんたちがわざとヨボヨボでボケたふりをする場面がありましたが、それがまるで本当にそんなふう見えて、だからその演技が上手いっていうか、やけにリアルすぎて笑えるっていうか、大真面目な中に何とも言えない可笑しさがありました。

それにしても、「キノコちゃんは僕らの青春だったんだ」とか「僕は妻もいなく子どもいなくてずっと一人暮らしで、キノコちゃん一筋だったんだ」とか言う、元アイドルファンのお爺さんたちには、共感のような愛しさを感じてしまう私です(笑)
いや、私は青春時代にアイドルの追っかけなんてしたことありませんけどね。
でも、胸の中にいつも、いつまでも可愛くて大好きなキノコちゃんが生きている、というお爺さんたちを見て、このまま長生きしていけば、自分もたいがいこんなお婆さんになるのかも?という気がしました(笑)

ま、それも悪くないか…。

…なんて、
結局、気合の入らない感想になっちゃった(笑)
とにかく、私もいつまでこんなふうに舞台を観続けていられるのかは分からないけれど、ゴールド・シアターの皆さんたちも蜷川さんも、ずっとお元気でお芝居を創り続けていてほしいと思いました。

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音消えライブのDVDが届いたので…

2010年09月26日 15時34分28秒 | ライブ/コンサート
中川晃教さんの「CONCERT2010 音楽が消えることのないDANCE FLOOR」のDVDが先日届いたので、5/24の記事の最後のほうへ追記をしました。
これは他の観劇記やコンサートのレポートや感想とは違い、感想代わりの私の創作の雑文です。
ひとつの作品から受け取るものは人それぞれですので、もしかしたら人によっては気持ちの悪い文と思うかもしれませんので、前にその「街」をご覧になってゲンナリしなかった方で(笑)、さらにご興味を持っていただけるのならご覧願いたいと思います。
↓(5月24日カテゴリー:ライブ/コンサート)
http://blog.goo.ne.jp/a2836285/e/64fb86d926c35c94344a35aed7a0dbc2
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「海猿 THE LAST MESSAGE」

2010年09月20日 23時12分00秒 | 映画

「海猿 THE LAST MESSAGE」

さすがにこれはネタバレできないわよねぇ~。
だから感想…というか、レポートとしてはね、
↓こんな感じよ。


げっ! またそんな…
うわ~! ひぇ~っ!
いや、だって、
そんな場合じゃないだろがっ!
どひゃあ~~、
それを言うか!
あんた、ちょっと!
いそいで!
おいおい、
そんなご無体な!
きゃああああああっ!
ファイト~、いっぱぁ~つ!!
やだ、ちょっとかんべんしてよ!
どっひゃあああああ!!
ほっ…って、げっ! いきなりなによ?
んまっ、かわいい~っ、
う~ん、きれい、
だから、こんな時に…
うわーーっ、やめてぇーーーっ!
がんばれっ!!
か、かっこいい!
ヴググっ!!見ているこっちの足に力が入る
あ、よかった~、
って、え゛え゛~~っ、もうおよしになって!
それはどうなのよ、でもやるしかないよね?!
つべこべ言うなよ!
ひぃ~~!!
うるうる
お願い、どうか、どうか…
そうこなくっちゃ!
うぎぁ~~っ、
君はやればできる子だ! たぶん
ああ、もう! またまたまた…うぎゃあ~~っ!
え? それって、それって……
じ~~ん


……つまり、とっても面白かったです~!
考えてみれば、私って海の底恐怖症なのになんでこのシリーズが好きなのかしら?(笑)
TVドラマ以来、映画も毎回見ているけれど、海猿にハズレってないよね。
ハラハラしたし怖かったけど感動しました。

  
  

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「ハーパー・リーガン」

2010年09月19日 23時59分59秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
※激しくネタバレしていますのでご注意ください。

作:サイモン・スティーブンス
演出:長塚圭史
出演:小林聡美/山崎一/美波/大河内浩/福田転球


ああ、そうか。ここで終るのか。
ラストシーンは、一見ありきたりのような日常の朝の家族の風景でした。
こんなふうに結論がないのは、とても納得できます。
人は時として自分の人生を考えるけれど、それに結論を出せる人がいるのでしょうか。
もし、結論を出したとしても、それが10年、20年とまた人生を重ねるうちに変わらないと言えるのか…。

長塚さんが演出する舞台は二年前に「SISTERS」を観ました。
その時私は涙がどうしようもなく止まらなくて、劇場内が空っぽになるまで席が立てませんでした。
今回の「ハーパー・リーガン」は泣きもせず、笑いもせず、大きく感動するかというとそうでもなく、けれども随所に心の中でさざなみが立ち、今後あとからじわじわとボディーブローが効いてきそうな、そんな舞台だと感じました。
思えば、大きな事件もなく、ドラスティクな展開もなく、山場もどこかわからず、そして結論もありません。
それでも観ていて飽きることは一度もありませんでした。
これは、少なくとも私がここ一年くらいの間に観た中では、一番エンターテイメントの対極にあるような演劇の世界です。
たぶん老若男女の誰も彼もが好むということはなく、その必要もないのでしょう。
余計なお世話かもしれませんが、役者さん達にとってはとても難しく、けれどもかなりやり甲斐があったに違い有りません。

この物語はありていに言えば、憂鬱です。
でも、憂鬱な時こそ「私の人生とは何なのか」などと考えてしまうものではなかったか。

主人公のハーバーはごく普通の働く女性です。仕事はとても忙しく、病気の父親に会いにいくための休暇も認めてもらえません。歳は41才。
夫はある問題を起こしたせいで職に就けず、ずっと家にいます。スーツを着て。
17才の娘は社会や母親に苛立って尖がっています。
…なんだかじわじわと重苦しく憂鬱な設定です。
ハーバーはどことなく悲しみを纏い、どことなく絶望しているようで、次第にどことなく変で、どことなく狂っているのかもしれませんが、自覚のあるなしに関わらず長い人生の中で一度もそういうことのない人がそうたくさんいるとは私には思えません。

ハーバーは二日間の短い旅をします。
解雇は覚悟のうえで父親に会いに行くのですが、着いたときには既に父親は亡くなっていて、前々から折り合いの悪かった母親と会うことになります。
この母親とハーバー、そして、ハーバーと娘。その二つの母娘の関係はとても良く似ています。
娘は無条件に母親に愛されたくて、けれども自分の望みどおりの愛情を感じることが出来なくて母には失望し反発しています。憎んでいるほどに。
ハーバーは、愛されたくて母を憎んでしまう娘と、上手く愛することが出来ずに苛立つ母親の、どちらの立場でもあります。

私が思うに、すべての人は未熟なのでしょう。父や母でさえも。
愛するに未熟であり、愛されるに未熟です。
もしかしたら、それさえクリアすることができるのなら、人生は随分と楽になるのかもしれません。

ハーバーは旅先やその前後で、行きずりの男達と話をします。
今まで他人には話せなかったことまで話します。
そのうちの一人はネットカフェで呼び出した男です。それは性的関係を持つのが前提の、日本で言ういわゆる「出会い系」のサイトからです。
この舞台では、ネット社会とそこから変わりゆく人間関係を問うものでもありました。
インターネットが普及して、誰もが机の前でこっそりと人知れず新しい情報を得たり買い物をするだけでなく、匿名でお喋りをしたり呟いたり、今まで自分だけの秘め事にしていたことすらもやってしまいます。
そこから発生する犯罪も数限りがありません。

でも、それは私にとっては今に始まったことではないと思いました。
今から十数年前、まだネットがそれほど普及していなかった時代にパソコン通信というものがありました。
そこで、このままもっとネットが普及して匿名社会が広がればいったいどういうことになるのか…そんなことを話しながらある程度は予測していたとはいえ、やはり想像以上のものでした。
超個人主義にして、あまりに無防備。
自分の狭い部屋から全世界に発信しているという自覚のない人たちが繰りなす言葉や画像の洪水。
孤独な人間を救うかのようで、かえって孤独を深くしてしまうようなバーチャルな世界の弊害。
匿名という仮面の悪意。
それでも、賢く使えばこれほど便利なものはないし人間関係をぐっと広げることも難しくありません。そうであれば、これほど楽しいものはなく、だからやめることなんてできません。
このまま、人は、社会は、いったいどこへ向かうのでしょうか。

人生も、社会も、その途中であるからには簡単に結論など出ようはずもありません。
きっとこの舞台を観た人の感想とは、それぞれがその人生の数ほどにも違い、舞台のうえから客席を眺めてその反応を見ることなどとても出来ないでしょう。
人の心の奥底は、簡単には見えないのですから。
だからこそ、問いかける劇がある。

このように心の深い部分を探るような演劇を観て、もし私がその感想を本当に赤裸々に書こうとするならば、自分の個人情報や、他人に言えない心の奥底や秘密までもを切り開いて公開しなければならないのでしょうね。
もちろんそんな危ないことはできません。

とにかく長塚圭史さんには、次の作品も期待したいと思いました。

ところで、小林聡美さんの心の機微を感じさせてくれる演技があってこその、じわじわ~っとした舞台でしたが、美波ちゃんもすごく良い女優さんになりましたね!
…なんて言うと偉そうですが(笑)、「エレンディラ」で初めて見て以来、「かもめ」「コースオブユートピア」「ザ・キャラクター」とわりと彼女を見る機会が多かったので、その目覚しい成長ぶりが嬉しいです!
今度はいつどこの劇場で美波ちゃんが見られるのか、それも楽しみにしたいです。
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「井上芳雄10周年記念コンサート」

2010年09月18日 13時06分09秒 | ライブ/コンサート
今月は部内にとうとう抜き打ちのおっかない監査がドカン!と入り、なんと言ってもそれが最優先のメインになってしまい、その対応や提出する資料作りにてんてこまい。
それがなくとも大きな会議や研修も続いてタイトなスケジュールのなか、なぜかそういう時に限っていつもより余計に電話も来客も多く、担当先のアチコチが各種の面倒な問い合わせや依頼をしてくるし、そのうちのひとりが問題起してくれるしで念書や承認書を取り付ける騒ぎになりその経緯書を書くはめになったりと…そんな折も折、頼りになる先輩社員が遅めの夏休みに入り、自分の仕事に並行して少しは彼女の仕事も減らしておかなきゃね、先月は私もそうしてもらったんだし…なんて、うわ~っ!もう、かんべんしてぇ~! つ、つかれる~、いっぱいいっぱいだ! さすがに夜遊びなんてする余力もなくてへとへとよ!
だけど、何だって? ……え? 予定に入れてなかった芳雄くんの10周年コンサートがやけに評判良いじゃないの! ええ~っ、やっぱりぃ~?
う~ん、ど、どうしよぉ~、平日は遊んでいる場合じゃないけど……
でもぉ~、やっぱ行っちゃえ~っ!!

…ってなわけで、このコンサートのチケットを買ったのは当日のたった五日前よ(笑)
この際たまった書類をざざっ!と来週に先送りして残業を蹴飛ばし(来週がこわい)、急いで青山に駆けつければもう開演ぎりぎりです。やっとこさトイレに入れば、開幕の呼び声が(汗)
6時半からの開演ってこんなにしんどかったっけ? なんて、フラフラな状態で席についたら芳雄くんはもう舞台の上でした。

その舞台の上では、楽屋でファンレターを読んでいると思わしき芳雄くんが、その手紙を見ながら
「“芳雄くん”?…なれなれしいなぁ」なんて言っている(笑)
え、そうなの? …なんて、私はこの方にファンレターを書いた覚えはないんだけど(ってか、「ファンレター」と言えそうなものは誰にも書いた覚えはないけど)、さんざんここで「芳雄くん」だの「ヨッシー」だのと馴れ馴れしく呼んじゃってるもんね。なんとなくギクっ!としていたら、これは小池さんの演出なんだって。
あとのトークで芳雄くん本人は「“芳雄くん”と読んでいただいて全然いいんですよ、なんなら呼びつけにしてくれても」(笑)なんて言ってくれていたので、「それじゃお言葉に甘えて遠慮なく“芳雄くん”と呼ばせてもらうわね」と思った私です。 

それにしても、芳雄くんを二階席から眺めるのって久しぶりかも。МA以来かしら?
思えばFCに入っているわけでもないのに、芳雄くんの舞台を観るときの私の「席運」って今までわりかし良かったものね。
こんなことなら今回も無駄にグズクズと迷ってないで、最初から先行予約かなんかでチケットを買っとけば良かったわ~!
だって、二階席から遠目に見ても芳雄くんの王子さま姿は、本当に良く似合ってカッコイイ!
ああいう衣装がこれほど似合うのって何だろう? 
まずはスラっとしたスタイル、姿勢や物腰もそうなんだけど……なんたって、内から滲み出る「王子様」のオーラが光ってるのよね~(笑)
もちろん、王子さまの衣装に限らず、軍服もТシャツも、普通の(?)スーツ姿も素敵だから、そんな芳雄くんが時どき客席に下りてきて、通路際のお客さんたちに笑顔を振りまくと、殊更そのあたりから幸せそうな波動が二階席にも伝わってきます。

そんなコンサートの中身はどうだったかというと…
まずこの曲目からして、いかに中身の濃いものだったかわかろうというもの!!

第1部 ミュージカルショー―光と影―
構成・演出:小池修一郎/音楽監督:島健

Welcome to the Theatre(アプローズ)
を逃れて(モーツァルト!)
Casualty of Love(ウェディング・シンガー)
Grow Old with You(ウェディング・シンガー)
ジュ ヴォイ ベ/The Wedding(ミス・サイゴン)
神よ何故?(ミス・サイゴン)
I will Wait for You(シェルブールの雨傘)
ミー&マイガール(ミー&マイガール)
街灯の下で(ミー&マイガール)
明日への階段(ルドルフ)
闇が広がる(エリザベート)
僕こそ音楽(モーツァルト!)

第2部 スペシャルコンサート
構成:井上芳雄/監修:小池修一郎/音楽監督:島健/ゲスト:島田歌穂

Man in the Mirror(マイケル・ジャクソン)
I Love You(尾崎豊)
愛しかないとき
夜の通行人に捧ぐ
Come Fly with Me
Cry Me a River
愛していれば分かりあえる(モーツァルト!)
On My Own (レ・ミゼラブル※島田歌穂ソロ)

No More(イン・トゥ・ザ・ウッズ)
Being Alive(カンパニー)
独房ソング(組曲虐殺)
Time To Say Good-bye

―アンコール―
歌うたいのバラッド 他


第1部を見てみると、私はこれらの元になった舞台をほとんど観てますね。
私が初めて芳雄くんを見たのが2005年7月の「モーツァルト!」再演ですから、10年のうちの半分は見ているのよね。
たったの半分というべきかな?
チラシに「たかが10年、されど10年」と書いてあったけど、私にとっては、たかが5年、されど5年だわ。こうして一曲、一曲を聴いてみると、どの舞台も思い出深いです。
その5年間だけでも、芳雄くは舞台ごとに進化してきて、歌も演技にもより総合力が増して頼もしくなったような気がします。
芳雄くんは一曲ごとにその役柄に入ってくれるので、その時の感動が蘇る思いでした。

けれどもその中で唯一観ていないのは、なんと彼の「エリザベート」ルドルフでした。
こ、こ、これがねぇ~っ! またとんでもない演出で! これだけでもこのコンサートに来た甲斐があったわよ!!
舞台の後ろスクリーンに大きな映像。そこにはなんと! 芳雄くんトートが!
これが笑っちゃうくらい麗しいです。なにせ小池さん監修だから本格もの。
そして舞台の板のうえには、衣装をつけたルドルフの芳雄くんがいて、一人二役の夢の共演です。
いや、なんかこれ、凄いものを観させてもらいましたよ! 
芳雄くんトートは意外にも妖艶で(って、おい!)なんか、悪魔っぽいし、それであの身振り手振りだし、ルドルフはルドルフらしく苦悩しちゃってるし、でもちろん二人の声は同じだから時どき交じり合っちゃうしで、それも含めて、あれやこれやが倒錯的だし何か笑えるし、やけに面白くて感動的。
すごいな~、こんなことができちゃうなんて。ほんと、この遊び心とサービス精神には恐れ入りました。
あの麗しの芳雄くんトートって、小池さんの演出もあっただろうけど、「芳雄くんルドルフはああいうふうにトートを捉えていたのかな?」と、そう思って見るのも興味深いです。
時折の意味深で悪魔的な微笑が、なんとなく宝塚っぽくなくもない(笑)
いや~、いつか本当に舞台で生の芳雄くんトートを見てみたいです。
案外、というか、かなりイケるかも。
ルドルフは、かつてそれを観た友達が「火を吹くようなルドルフだった」と言っていましたが、これもいつかまたレ・ミゼみたいに「スペシャル・デー」かなんかで再現してほしいな。
そしたらチケットは争奪戦よね。


第2部は、いろいろなジャンルの歌を歌ってくれて、とてもバラエティーに富んだ楽しいものでした。
尾崎豊さんの「I Love You」は、悲しみと憂いは控えめで、二人の刹那をやさしく包み込もうとするような「I Love You」に聞こえました。

「愛しかないとき」と「夜の通行人に捧ぐ」はシャンソンで、これがとても良かったです。
この二曲目で、その歌はあるシャンソン歌手が自分の実話をもとにして創った歌だそうですが、広場かなんかで歌う自分をいつも見てくれるお客さんの中に「瞳の澄んだ彼女」がいて、その彼女に恋してしまうという歌だそうな。
けれどもその彼女は人妻で、歌い終わった芳雄くんが言うには、実は顛末はその歌手が彼女を略奪して幸せになったそうだけど、芳雄くんは奥さんを取られたご主人に気の毒がっていたのが面白かったわ。
シャンソンといえば、私は今まで自分よりも上の世代の方たちにうける歌だと思いこんでいたけれど、いさらい香奈子さんのシャンソンを去年あたりから聞くようになって、大きく認識が変わりました。
とてもドラマチックで、ミュージカル好きの方ならハマると思います。
今回は芳雄くんのような若い歌い手さん、それも男性が歌ってもやっぱり良いな~!と思いましたよ。きっと、シャンソンって、芝居心のある人にはぴったりなのね。歌に奥行きがあって、物語があるもの。芳雄くんには、またいつかシャンソンを歌ってほしいと思いました。

で、
そんなこんなの感想が一時的にぶっ飛んでしまうようなゲストが登場です!!
この二人の「愛していれば分かりあえる」は、三年前に歌穂さんのコンサートの時に聞きましたけど、これを聞いちゃうとあまりに素晴らしすぎて他のコンスが…以下省略
そして、まさかここで聞かせてもらえるとは思わなかった「On My Own」。
この曲を歌穂さんで聞くと、私は声が流れて三小節目あたりから最後まで涙が止まりません。
ほとんど「パブロフの犬」と同義語の「歌穂さんのオンマイオウン」(笑)で、私はいっとき芳雄くんを忘れちゃったくらいです。
会場は拍手の嵐で、芳雄くんもすごく歌穂さんのことを絶賛していて、尊敬しているのが分かり、二人のやり取りも楽しく、このゲストコーナーはとっても期待していましたが、その期待以上に盛り上がって嬉しかったです。
お二人ともありがと~!!

魂の込められた「独房ソング」も見応え、聞き応えがあったし、アンコールの「歌うたいのバラッド」での歌詞の「愛してる」の想いや、そのままの芳雄くんのファンへの愛や感謝の心も伝わって、どの曲も良くてとても全部は書ききれないけれど、たっぷりと芳雄くんに浸かった夜で本当に楽しかったです。

劇場を出たら、私は昼間の疲れと空腹とでいっそうにヘロヘロでフラフラな足取り(笑)
だけど、冒頭で愚痴ってた今月の忙しさも慰められ、「ガッツリ働いたら、ガッツリ遊ぶ!」という収支がとれた感じね。
芳雄くんは「みなさん、なけなしの一万円を払って来ていただいて…」と笑わせてくれましたが、なけなしどころか、実はこのチケット代は今月のお給料に加算された向こう半年分の通勤交通費代のうちのバス代を先食いしちゃってんのよね~(笑)
まあ全部じゃないけどさ、残りは某FCの「振り込めメール」の言うがままに消える運命よ。
この期に及んで「人としてどうよ?」と思わなくもないけれど、おかげでこの数年、毎朝バス代を節約して二キロちょっとを歩くから、体力だけばついたかも?
健康第一!
よぉ~し! 来週からまた頑張るぞぉ~っ!!
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朗読劇「私の頭の中の消しゴム」

2010年09月12日 12時19分47秒 | リーディングドラマ(朗読劇)

出演:別所哲也/紫吹淳


12月はなんと「RENТ」のあの二人、アダム・パスカル&アンソニー・ラップのライブがあるって

…なんて、話はともかくとして(笑)

「私の頭の中の消しゴム」の感想は前にしつこいほど書いたのでなるべくサラっと書こうかしらね。
それにしても、この再演は早かったですね~!
今度は銀河劇場ですが、セットや演出は基本的に同じです。
脚本は多少手直しされていたような…たぶんね。
なんたって、私の頭の中のハードがまず怪しいそしてソフトも粗悪品なんでゴシゴシ消さなくても勝手に記憶が消える…ならまだしもよ! 時どき間違えて記憶されちゃうのでどこがどうとは言えないけど、台詞が少し違っていたような…気がするんだけど、気のせいかしら??
まあ、でもそうだったとしても、話はもちろん同じです。

別所さんと紫吹さんのお二人は、予想通りな大人のカップルでした。
だから前半はさすがに前に観た若手二組のような、あの天然な若々しさや初々しさはないものの、後半…つまり薫の病気が判明したあたりからがとても感動的で、たくさん泣かしてもらいました。
やっぱりこの病気は辛いですね。もちろんどんな病気でも辛いですけど。
この病は進むほどに当人の自覚がなくなるという特殊な病気ですから、そのぶん傍にいる人のほうが辛いかもしれません。
愛する人の記憶が日増しに消えてゆく辛さに加わって、錯乱したり徘徊する病人の介護の辛さはいかばかりか…。
別所さん浩介の「……疲れた」という台詞が重かったです。
それでもやっぱり「ただそばにいてくれるだけで幸せなんだ」という浩介の愛情の深さ…。

けれども、これを観ていると「私が私であることはどういうことなんだろう?」と考えずにはいられません。
私が私であること……それを表すものは、もともと遺伝的に持って生まれた資質に加えて、でもやはり何といっても記憶と経験の積み重ねから生み出されたもの……それは能力や考え方もそうかもしれないけれど……とどのつまりは生まれてこの方、ずっと培われ続けて養ってきた「感性」かもしれないなぁ…。
とか思いますけど、その感性というのもやっぱり記憶されたものだから、記憶がすっかり消えてしまうのなら、薫が言ったように「私が私でなくなってしまう」わけでしょ?

では、浩介は薫の何を愛し続けるのだろう。
この愛が「永遠の愛」というのならば、愛し続けるためには必ずしも「実体」というものは必要ではないのかもしれないわね。
「僕の知っている」薫ではなくなってしまった薫は愛の象徴的存在となり大切には違いないけれど、本当に浩介が愛し続けるのは「僕の記憶の中で生き続ける」薫で、だからこそ「永遠」なんじゃないかな。

すると「そばにいること」の意味合いも変化していくわけで……
愛し合う二人が一緒に同時に亡くなることは珍しく、大概はどちらかが遺されるものだし……死に別れるにしても、生き別れにしても、その「実体はどうであれ心はいつもにそばにある」という、ある種の悟りの境地に辿り着いた人のみが「永遠の愛」にひたれるのかも……。
追憶の中で生き続ける妄想の愛、というか。
ああ、だからエレンディラ…ね。

なんて、ぐるぐるしてますけど(笑)
実はこの手の話を聞くと、私は必ず自分の親戚の叔父を思い出します。
叔父は若くして妻を病気で亡くし、その後何十年も後妻をもらわず、二人の息子を独立させた後はずっと一人暮らしをしていました。
そして、自分がもうすっかりお爺さんになった頃大病をし、死期を悟ると仕立ての良いスーツを一着、そして靴と帽子まで新調し、周囲の者へ「自分が死んだらこれを着せてお棺に入れてくれ」と頼んだんです。
若い頃はなかなかのハンサムでダンディーだった叔父ですが、歳をとってもオシャレをすれば素敵な人でした。

果たして叔父が亡くなったとき、叔父は望みどおりにその用意したスーツを纏い、右手には新しい帽子を、左の胸には若くて美しい妻(叔母)の写真を持って棺に横たわりました。
叔母に会いに行ったんですね。
私はこの時、生まれて初めて本当の「永遠の愛」を見せてもらったような気がしました。
叔父はすっかり老人になってしまいましたが相変わらずダンディーでしたから、あの世で叔母は間違いなく叔父を見つけたでしょうし、きっと惚れ直したことでしょうね。

叔父の人生の半分ほどは一人ぼっちで淋しいものだったのかもしれませんが、決して愛には貧しくなく、かえって豊かだったのかもしれません。

今日この舞台を観てふと、別所さんの演じた浩介のその後の人生とは、もしかして私の叔父のようであるのだろうなぁ、と思いました。

話が脱線しまくり(笑)

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「エリザベート」

2010年09月05日 23時53分45秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
エリザベート 朝海ひかる / トート 山口祐一郎 / ルドルフ 田代万里生 ゾフィー 杜けあき / ルドヴィカ 阿知波悟美 


私は未だに自分自身が把握できません(笑)

だって、「エリザベート」のトートに、それもこう言っちゃなんだけど山口さんのトートであれほど泣きっぱなしになるとは予測してなかったんだもの。

この舞台は何度も上演されているけれど、今まで私にとってはわりとご縁の薄い演目だったのよね。
東宝版ではこれがたったの二回目。その前にウイーン版と宝塚とのを一回ずつ見ていたから、作品としては四回目になるけれど、同じ作品でありながらそれぞれ趣が違いすぎて、感想もその時どきで違っていたような……。

けれども、「エリザベート」はたくさんの人に愛されているから、私の知人の中にもリピーターの人たちが何人もいて、この舞台に関しては色々とお話を聞いてました。
みんなそれぞれの好みとかツボが違うから、「○○さんのトートは」とか「◇◇くんのルドルフは…」とか、「東宝版では」「宝塚では」とか……人によってその感想も微妙にとか、時には全然違ったりして(笑)私はほんと少ししか観ていないからその違いがわからなくて、ただ想像するだけなんだけど、想像するだけでもすごく面白いからそういう話を聞くのって大好き! みんな楽しそうなんだもの。
たけど、自分ではほとんど観ていてないだけに、やたら耳年増になっていたりしてね(笑)

それで、山口祐一郎さんのトートは初めてみましたが、見る前は「どうかなぁ~」って思ったのよ。
山口さんの癖のある歌い方とか、特徴ある動きとか…別に嫌いってわけでもないけれど、好きってわけでもないし。
でも、今日のマチネで、山口トートが歌い出してすぐに、「ああ、そうだったのか」って、急にトートが胸にストンと入ってきて驚きました。
…って、何が「そうだったのか」というと、この舞台はいろんな見方ができるだろうとは思うけど、山口トートの歌を聞いて私は「やっぱりこれは最初から最後までトートの愛の物語なんだな」と急にそう納得しちゃったのね。
今頃なに言ってんだか!とか言われそうだけど。
それともうひとつの「そうだったのか」は、「トートの愛とはそういうものだったか」と、突然この愛が自分にも理解できたような気がしたんです。

黄泉の王は闇の中に生きていて、闇そのものな存在で、そういう人外のものが人間を、玩具にするのではなく本当に愛してしまったのなら、やはりこの愛し方しかないだろうと思います。
そうしたら、胸の深いところでトートに共感している自分がいました(笑)
それで、山口さんが歌うごとにトートの想いが伝わってくるようで、それがもう泣けて、泣けて…。
ラストなんか、「ようやくエリザベートをその腕に抱けてほんとうに良かった~」なんて、前にこの舞台を観た時はこのシーンに多少疑問があったはずなのに、山口トートに泣けることと言ったら…!(笑)

なんだかなぁ…。そういえば、去年は私、しまいには死神に共感してたんだっけ(笑)
「感情移入」ならまだわかるけど、「共感」って、いったいどういうことよ??
まったく自分が把握できません(笑)


ああ、それはそうとして、
今日は田代万里生くんと、ルドヴィカ役の阿知波悟美さんの最終日ということで、カテコでご挨拶がありました。
万里生くんはオーディションでこの役を掴んだそうで、「素晴らしい共演者やスタッフに恵まれて、支えてもらって幸せでした」と涙ぐんでいました。良い青年ですね~!
阿知波さんは、突然「ととのいました!」と言ったかと思うと、
「エリザベートとかけて、うちのトイレと解く」
「そのこころは?」
「どちらもトートがついてます!」と会場を笑わせてくださいました。
次はモーツァルト!でお会いできますね。


さて、山口トートのお陰で私も遅ればせながら、「エリザベート」のファンになったことだし、10月は城田トートを見ることにしました。
それに、やっぱり、なんといっても浦井くんのルドルフを見なくっちゃね!!
城田トートはハマる人にはハマるらしい。
私はどうなんだう? 果たして城田トートにも泣けるのか?? 
いや、べつに泣かなくてもいいんだけど。萌え~!でもいいんですけど(笑)

今からとっても楽しみです。
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「木蘭(ムーラン)」

2010年09月04日 23時13分37秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
「木蘭」上海万博/上海国際芸術記念 日中友好舞踊歌劇

始まってすぐに、
「なに、なにこれ、すごい! なんなの?!いったいこの人たちは何者なのぉ~?!!」
なんて、かなり盛り上がった私です!

とにかくダンスが凄いらしいとは聞いていたけれど、なんたって中国トップダンサーの黄豆豆さん(豆豆はドウドウさんと読むのかな?)のダンスが素晴らしくて、かなり見応えありで面白いの!
上海舞踊っていうからもっと京劇の動きに近い雰囲気かと思ったら、基礎はバレエのようで、でもどこかやっぱり中国っぽくて剣舞も美しく見事です。
その他のダンサーさんたちも、クラシックバレエの方とか、モダンダンス…かな? ダンスの詳しいジャンルはわからないけれど、とにかく、踊りで見せる、魅せる!

私が案外とツボだったのは、男性ダンサー総勢二十数名の群舞で、そのエネルギッシュなダンサー達が一糸乱れず…とは言わないけれど(笑)…つまり、それぞれに個性的で、中にはブレイクダンス(ストリートダンス?)をお得意とする方までいて、ダンスの異種共演って感じでそれもかなり心躍るものがありましたよ。
いや~、男ばかりの群舞って、女子とはまた違った魅力迫力があっていいわねぇ~!
最後のラインダンスの骨っぽいことといったら!(笑)

それで、「日中友好舞踊歌劇」というからには、誰が歌うのかと思ったら木蘭の年老いたお父さんが意外にもいきなり歌いだし、「え、このお爺さん、歌うんですかっ?!」と思えば、それがオペラのようにしっかりしたお声で、後から聞いたら中国のオペラ歌手の方だそうで、さもありなんって感じね。
さすが中国って幅広いなぁ~。って、日本もまあそうですけどね。

かと思えば、舞台の上手と下手の奥それぞれにドラムセットが置かれています。
上手にはと和太鼓をセット仕立てにした珍しいドラムセット、下手は普通のドラムセットなんだけど、ちゃんとした銅鑼までついていて、それぞれに太鼓の数もシンバルの数もたっぷりだから、迫力のドラム・パフォーマンスも聞けました。
「そういや、今年の夏はブラストがこなかったなぁ~…」なんて、ドラム大好きな私は寂しかっただけに、これは嬉しかったです。

な~んて、盛り上がっていると、日中異文化のコラボってことで(?)元ヅカの女優さんが登場したことで一幕は宝塚テイストが3パーセントくらい?…なんて思っていたら、二幕に入ってそれが徐々に増量してきて……まあ、日中合同というよりは、多種類パフォーマンスが混在していた感じです。
音楽監督は雅楽師の東儀秀樹さんだしね。
中国劇に胡弓でなく篳篥(ひちりき)の音を合わせたのも珍しく、それがまた良く合っていました。

……でもね、

私はいったい何を期待して見に来たのか……。
それは半分はダンスよ。とにかく凄いらしいって聞いていたから。
そしてもう半分は、中国らしい物語を楽しみたかったのよね。

なにせ、今年は人生で三度目のプチ中国ブーム。(あくまでも“プチ”なんだけど)
最初は大昔に吉川英治さんの小説「三国志(全8巻)」を一気読みしたことから始まったんだけど、それは「新・水滸伝」になだれ込んだとたんに急速に萎む。
だって、ただでさえ人の名前を覚えるのって苦手なのに、「水滸伝」って梁山泊に108人もの豪傑が集う物語なのよ。
しかも当然、中国人の名前で、108人も(笑) 無理ぃ~!!
というわけで、あえなく挫折。

二度目のプチ中国ブームは、「やっぱ読むなら戦記ものじゃなくて、ファンタジーよね~!」とばかりに、田中芳樹さんや井上祐美子さんなどの中国ファンタジーにハマり、片っ端から読んでましたけど……
そうそう!! 
それでね、この「木蘭」って、今回の舞台でいまひとつ話が飲み込めなくて、家に帰ってしらべたら、その田中芳樹さんの『風よ、万里を翔けよ』という作品の下地になる話だったのね。
なぁ~んだ。
なんか聞いたような題名だと思ったら、そうだったのか。でもさっぱり思い出せなかったわよ。

なんたって、どうして中国語の歌や台詞に字幕をつけなかったのかしら?
雰囲気で想像つかなくもないけれど、やっぱ不親切で、いまいち…いや、ほとんどわかりませんって!
でも、案外とそれはまだ許容範囲内かな。

けれども許容範囲内といえども、やっぱりもっと私好みで言うならば、「木蘭」という物語を楽しむには、この舞台って、いっそ台詞と歌をぜんぶ無くしてしまい、無言劇としてストーリーをもっとわかりやすく演出してくれるか、それとも、中国語の台詞と歌に字幕をつけて意味不明を取り除き、日本語の歌だけ無くしてくれれば良かったなぁ……なんちゃって!
なんか石が飛んできそう(笑)
だから、あくまでも勝手な「私好み」の話なんだけど。

まあ観終わってみると、やっぱりいろんな意味で
「なに、なにこれ、すごい! なんなの?! いったいこれは??!」 という舞台でした。
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「二つのキーボードによる即興」2(前回の続き)

2010年09月03日 23時30分08秒 | ライブ/コンサート
2007年7月14日「二つのキーボードによる即興」(前回の続き)
出演者:栗本薫(中島梓)(WORD PROCESSING)/ 嶋津健一(PF)

ピアニストの嶋津健一さんは、かつてジミー・スコットのグループのピアニストとしてニューヨークでご活躍なさり、日本に戻ってからもずっと熱狂的なファンに支持されている方だということです。
そして、7年間にわたり中島梓さんのピアノの師匠をなさっていました。
ジャズなどのジャンルで即興演奏をするのは良くあること…というか、基本なのだろうとは思いますが(私は詳しくはありませんが)、即興執筆とのコラボレーションなどというのはむろん初めてであったに違いありません。
もっとも、世界中の誰一人もその経験はないと思いますけど。

さて、このライブは次の3部構成となっていました。なので、順を追ってお話しします。

【その1 栗本薫の短歌をモチーフとした即興】

初めに、予め用意されていた短歌がスクリーンに現れます。
それは歌集《銀河抄》よりの二首でした。

嶋津さんのピアノは、今となってはそのメロディーが思い出せない私ですが、その短歌の世界を彼独自に現していたと思います。
即興というのは技術だけではなく、豊かなイマジネーションあってこそなのだろうと思います。
私はその曲が思い出せないものの、それは「なんて寂しい、けれどもやがて虚無に吹き荒れる風のような曲だ」と感じた記憶があります。
その音楽を聞き始めるとほぼ同時に、作家・栗本薫さんの指がパソコンのキーボードの上を踊り始めました。
その流れるような動きの早かったことといったら、まるで最初から用意された原稿をブラインド・タッチで書き写しているがごとくです。
けれども、それは紛れもなく即興の文なのでした。

その短編小説は、「ぼく」という一人称で書かれたもので、主人公の「ぼく」は、誰も知らぬ銀河のはるか彼方の小さな惑星のなかでひとり、「ぼくはここにいるよ」と叫びたいほどに寂しく孤独です。
そして「彼女」を想い語られるのですが、その彼の心の扉をたたいた「彼女」もまた最後には「わたしはここにいる」と語ります。
そう、「ぼく」から始まったこの短い小説は、いつのまにか巧妙に一人称がバトンタッチされ、結びは「わたし」の言葉で終るのです。
「わたし」に移ったのは最後のあたりですが、それはたぶん意図的なのでしょうが、そこからは漢字変換を行わずに平仮名で書かれました。

そして、その最後の一行にはあっと息を呑んだ私でしたが、短歌を改めて読むと、なるほどこれは即興といえども着地点は短歌の中にあったかと気づかされるお話でした。
この物語は、四十字四十行のレポート用紙5枚分ほどの量でしたが、それに要した時間は(書きながら同時に行われる推敲も含め)30分足らずであったと思います。
ピアノの音楽も執筆も、途切れることはありませんでした。


【その2 嶋津健一作曲のモチーフによる即興】

二部はピアノの曲が始まってすぐ、そこに奏でられた音楽からイメージされた10の言葉が画面に打ち出されましたが、そのイメージの豊かなこと……。そしてやはり速いです。

そこで、その言葉から物語が始まった時に思い出したのは、何年かの昔に遊ばせてもらった「お題遊び」です。
「10のキーワードで短い文を作ってごらん」と言われて、私も一生懸命に短文を作ったことがありましたっけ。その時は耽美な文を、ということでしたが……。
その時はただの遊びと思っていたのですが、そうして本当にちゃんとした短編が創られることもあるのだとわかり、普段小説家の方がどのように文章を創っているのか知らない私には驚きでした。

栗本さんがこの時イメージした10の言葉とは、「フランス」「金髪」「城壁のある」…などですが、その言葉がすべて織り交ぜてあったその物語は、やはり「私」という一人称の物語でした。
もしかしたら、音楽を肌で感じながら同時に即興で文を書くには、一人称のほうがより適しているのかもしれません。ダイレクトなので。
…というのは、もちろん私の勝手な印象ですが、この日に書かれた文はどれも一人称であったことは確かです。

嶋津さんのピアノは幻想的で、誘導とも追随とも言えぬ、二つのキーボードの融合を感じました。
さすがに「起承転結」の起と承までいったところでタイムアウトしましたが、ぜひ最後まで小説で読ませていただきたいと思いました。


【その3 フリーな印象による即興】

三部は始まってすぐに、主人公の「ぼく」と「きみ」は男で、お得意の耽美系の作品だとわかり、私は期待に胸がドキドキしました。

その背景には砂漠がありました。
物語が音楽と重なって、場面が頭の中に絵になって浮かぶばかりか、最後には砂漠の砂の熱さとその砂の奥の冷たさが肌に感じられるような、不思議な感覚を覚えました。

この作品もそうでしたが、この日の三つの作品の主人公達はどれも孤独で寂しい魂を抱えていました。
けれども、その孤独な胸の中には必ず「誰か」がいます。
そして、ときには置き去りにされ、またときには探し求めながら、その誰かを必要としていました。

第三部に書かれた短編は、レポート用紙三枚半ほどでしたが、しっかりと完結しており、この日に書かれたものの中では一番文字数が多かったのではないかと思います。


本当に、実際に立ち会ってさえ信じられないような出来事でした。
お二人の集中力や想像力、そこからなる創造の世界に、息をするのも忘れる思いでした。

(終)
* * * * 

~あとがき…を真似て~

上記の元となった感想は、三年前に、本当に他には誰にも見せないつもりで、この日のお礼のつもりで中島梓さんへ図々しくも送らせていただいたものです。
思えば、私が梓さん…栗本薫さんへ感想文をこっそり直接送りつけたのは、後にも先にもこの時限りです。
それは前に書いたように「実験的なライブ」だからというのを考慮して公開するのを躊躇ったからなのですが、その時に頂いたお返事のなかで梓さんは、“そのような心づかいをすることはなく、他の参加者にも書いてもらいたい”というようなことを書いてくださいました。
それでこの度、それを思い出してこうしてここに載せましたが、あの時すぐにそうしなかったのは、梓さんがこのライブについて「いずれもっとちゃんとした劇場で再演したい」と仰っていたからです。
ライブの始まる前は多少ナーバスになられていたように私には見えましたが、この成功で「やってみれば自分には案外と難しくはなかった、面白いと思っていただけたら嬉しい」とも仰っていましたので、いつかは必ず再演してくださるものと信じていました。
私はその時こそ、今度はたくさんの人に向かって感想を書かせていただきたいと思っていました。
今ではそれが叶わずに、心から残念な気持ちでいっぱいです。


拙いレボートを読んでいただいて、ほんとうにありがとうございました。

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「二つのキーボードによる即興」栗本薫&嶋津健一~奇跡のコラボレーションライブ

2010年09月02日 23時24分15秒 | ライブ/コンサート
2007年7月14日
出演者:栗本薫(中島梓)(WORD PROCESSING)/ 嶋津健一(PF)

この奇跡と驚愕のライブから既に三年も経ってしまいました。
最初は「シークレットな実験ライブ」と伺っていたので、この感想を読んでいただくのは唯一人だけと思いながら書きました。
けれどもそれから約二年後の去年の五月、栗本薫さん…梓さんが、この世を旅立ってのちのことですが、あのライブ直後のご当人が、彼女の小説のお弟子さん達以外には誰もその感想をアップしていなかったのを(…それは実験ライブということで、みなさん遠慮していたからですが…)少しだけ残念そうにしていたのを思い出し、「お別れの会」の前後で私はごくわずかばかりのファン仲間にだけこれを(正確にはその原文をですが)公開しました。
それで良いと思っていました。

ところが先日、弥生美術館で彼女の遺した多くの作品を見ているうちに、「これだけじゃない、これだけであろうはずがない。もっと、もっと他にあるはずだ。私はそういうものが見たい、読みたい」と思わずにはいられませんでした。
とは言いつつも、私がそれを知り得るはずもありません。
中島梓さんがその人生で書き続けてきたものすべて、その真の全貌はたぶんご家族しか知り得ないのでしょう。
でも、もし私にもそのほんのごくごく僅かでも語り継げるものがあるとしたら、どのようなものでもやはり残しておきたい。私が知りたいと思うのと同様に、それを一人でも多くの方に知っていただきたいと強く思うようになりました。
それで、大変遅すぎるご報告ですが、あの時に書いた感想を、その場にいなかった方達にもなるべくわかっていただけるように、加筆・修正してここに書かせていただきたいと思います。

…って、相変わらず私は「前置きの長い女」ですね(笑)

あ、このような拙い文ですから言わなくてもわかると思いますが、私は中島梓さんの小説のお弟子さんだったことは一度もありません。
いつも通りの雑文を平気で載せてしまいます(笑)

* * * * 

このライブは、即興の小説とピアノの、二つのキーボードがコラボレーションした、恐らく世界で最初にして最後ではないかという非常に珍しいライブです。
場所は中島梓さんの事務所の一室で行われました。
実験的に行われるということで、オーディエンスといえば僅か20数人ほどでしたが、それですでに部屋はいっぱいでした。
オーディエンス席から見て、上手にピアノ、下手のほうにはノート・パソコンが置かれた机と椅子があり、中央の壁にはそのパソコンの画面をそのまま映し出すための白いスクリーンがありました。

梓さん(栗本薫さん)以外には誰もできない奇跡のようなライブだと思いました。
即興のピアノというのは珍しくないですが、小説が即興で、それも鬼のような速度でパソコンに打ち込まれるさまというのは、凄いです。 
その書かれる速度は、私達が読む速度とほとんど変わらなかったように思います。

何より驚いたことに、物語が数十行も進んでいく途中で、カーソルが突然冒頭近くの行に戻ったかと思うと、いきなり前の文章が直されたり、単語が加えられたりするのです。
私でしたら、書いたものを読み直したうえで「ここは違う」とか「この言葉を足そう」とかしますが、 それが、数回は画面がザーッと戻ることはありましたが、それが推敲に要する普通の速度とは思えない動きで、私達は画面を食い入るように見ていました。
そして、30分後にはちゃんと短編小説が出来上がっていたりするのですから、これを天才と呼ばずして誰をそう呼ぶのか。
改めて作家・栗本薫さんの凄まじさに驚きました。

* * * *

…と、ここから本題に入るのですが、長くなってきたので次回に続きます。

ご、ごめんなさい。やっぱり、余計な前置きが長すぎましたね。

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弥生美術館

2010年09月01日 20時31分48秒 | 美術館/博物館/展覧会
弥生美術館
「稀代のストーリーテラー 栗本薫/中島梓展
 -書くことは生きること-」

もしかすると、私はこのままここに行かないのかと思い始めていました。
もしかすると、見たくないのかもしれないという気もしました。

でも、もし見なければ後悔するのは確実と思うから、やっぱり行って来ました。

展示されたこの膨大な量の著書は、ある程度は想像していたことです。
けれどもこれは、これでもまだ、ほんの一部なのだろうということも。

世に出したもの、あえて出さずにいたもの。
…商業的に流出したもの、あくまでもそっと趣味で書きためたもの。
ごくプライベートな、会話のような文章も。
その総数は…いや、そこに紡がれた世界の数はどれほどだったのか。
「書くことは生きること」であったこの方が生きた世界は、書いただけの、いやそれ以上の数があったのに違いありません。
もっともっと書きたかったことでしょう。

肉筆の原稿にはどれも目が釘付けになりました。
全部にじっくりと目を通さずにはいられません。

グイン・サーガは、
ああ、そうか……
夜の文学……布団に入ってから見る夢の世界。


最後に書かれた手書きの闘病記は、苦しい病状を語るように筆が乱れて途切れ途切れで、夢の狭間に…


これ以上は…書けません。


あまりに個人的すぎて大きく逸脱した感想を、いったい誰に向かって私は書けばいいのか……。


ただ、気がついたら閉館の時間を過ぎていました。
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