2015/03/15@国立能楽堂
狂言「鬼瓦」
シテ 野村万禄 アド 野村太一郎
能「桜川」
シテ 観世銕之丞 子方 馬野訓聡 ワキ 福王和幸 ワキツレ 村瀬提 村瀬慧 人商人 是川正彦 茶屋 矢野昌平 笛 一噌隆之 小鼓 観世新九郎 大鼓 亀井忠雄 地頭 山本順之
え、え~、国立能楽堂企画の「復興と文化」で、前回は講演のことだけ書いて、能や狂言の感想を先延ばしにしておりましたが・・・
あ、あのぉ~、今さら言うのも何ですが、実はわたくし、狂言はともかく、能に関しましては、これを楽しむ素養に欠けておりまして・・・
なぁ~んて、気取っている場合じゃないか(笑)
つまり、能を楽しむには教養が足りないし、感性にしてもお子ちゃますぎて良さがわからずつい意識がふっとんじゃったりするのよね~
この日、能楽堂は満席で、能を楽しむ大人たちがこんなに沢山いらっしゃるなんて、もう皆さん、ほんとうに尊敬します!
こういう古典芸能は、歌舞伎もそうだけど、ある程度でも見る者にそれなりの下地がなきゃね~。
とか、もうほんとに、バカでごめんなさい!って感じ。
んで、お目当ての狂言「桜川」を、おバカな私流にさらっと要約すると、だいたいこんなお話。
日向の国(今の宮崎県)で貧乏な母子家庭に育つ桜子ちゃんは、貧しい暮らしを何とかしようと自ら人買い商人に身を売って家出します。その時、近くにいたおじさんに、お母さんへの手紙を託しました。
その手紙には、「最近のうちの貧しさったらひどいものだわ。お母さん、私は人買いに買ってもらってお金を貰うから、そのお金で少しはましな暮らしをしてね。」と書いてあります。
お母さんは、「まあっ、桜子ちゃんったら、なんてバカなことをしてくれたの! 私はどんなに貧乏だって、可愛いあの子がいるから耐えて生きていけたのに。ああ、桜子ちゃん、お母さんはあなたがいなきゃ生きる甲斐がないわ」と、嘆き悲しみ、すぐに桜子ちゃんを探す旅に出かけました。
そして3年の月日がすぎ、桜子ちゃんは、なんと遠い常陸の国(今の茨城県)のお寺の住職に弟子入りしていました。
一方、お母さんは、長い旅の末に、偶然にもそのお寺の近所の桜川のほとりにたどりつきます。
お母さんは、桜川に流される桜の花びらを見て、花びらと桜子ちゃんに想いを重ね、花びらを網ですくいます。はらはらと川に落ちて流れる桜の花びら、それを一心にすくい続けるお母さんの様子は尋常ではありません。
そこへ、住職が通りかかり、わけを聞き、お母さんと桜子ちゃんは無事に再会しました。
よかったね。
ま、そんな感じ(このさい、こまかいことは気にすんなって!)
いわゆる「狂女物」ですが、この場合、狂うというのは、現代の精神病な感じではないらしんですね。激しく心が乱れている様子。
桜子ちゃんのお母さんは、完全に気が狂ってしまったのではなくて、甚だしく嘆き悲しんで、その様子が尋常でなく、ちょっぴり錯乱している、という感じです。
なので、親子が対面した後は、お母さんも出家して二人は一緒に暮らします。
なわけで、坂口安吾が「桜の森の満開の下」の中で書いた、
「能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足だそく)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。」
というのは事実と全然違うので、無論これはわざとでしょうから、「してやられた」感がありますね。
もちろん能の「桜川」で、桜の花も、桜の木の下も、怖いという印象はどこにもありません。
うん、だけど、脱線しますが、
ちょうど今日、時どき覗いている一般人のブログに、「桜は苦手」というのがあったんですよね。
そのブロガーの男性は、とても繊細で魅力的な人で、文才があり、まめに更新をするので、多くの読者がいるんですけど。
その人が、「僕が苦手だったのは、桜の花じゃなくて、桜の花に集まる騒々しい人の塊だったのか。。。」って。
怖ろしいのは桜の花じゃなくて、人の気配のない桜の下だという安吾とは、全く正反対でもあり・・・でも、なんだろう?すごく共通するものを感じました。
桜の花そのもではなく、どちらも桜の下に集まる人間を想うのは、日本人が持つ特有の感性かもしれません。
桜の下に人がたくさんいるのが苦手と思うか、桜の下に人がいないと怖いと思うか・・・。
【追記】
ああ、そうか。安吾の小説の、「桜の森の満開の下の秘密」を孤独と解くならば、「誰もいない」も「たった一人」で孤独だけど、「桜の花に集まる騒々しい人の塊」を苦手とする人もまた「たった一人」で、こちらのほうに私は現代らしい孤独を感じます。都に住むようになってからの山賊に共通するものがありますね。このブロガーさんの独特のナイーブさに、ちょっと胸がキュンとします。坂口安吾や山賊にはキュンとしないけど(笑)
狂言「鬼瓦」のほうは、私でも普通に楽しめました。
狂言は、基本的にコメディ、コントですものね。
これも私流にさくっと、要約すると、
単身赴任でもうすぐ家に帰る男が、その前に立派な神社に立ち寄り、そこの鬼瓦を見て女房を思い出して懐かしさのあまり泣き出しました。鬼瓦の重たい瞼、大きな鼻、耳まで裂けた口元や、黒ずんだ首が妻にそっくりだというのです。その様子に従者が、「もうすぐ奥さんに会えるのですから、泣くことはないじゃありませんか」と言い、「それもそうだな。それでは笑おう。お前も一緒に笑え」と言い、二人は笑いました。
という、突っ込み甲斐のある話です(笑)
ま、なんだかんだと、赤坂教授の講演を含め、とても有意義な一日でした。