今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「中川晃教コンサート2012 in HAKUJU HALL」

2012年03月23日 01時13分37秒 | ライブ/コンサート

2012/03/17 「中川晃教コンサート2012 in HAKUJU HALL」
【出演】中川晃教(Vocal・Piano) / 榊原長紀(Guitar)

まずは、【セットリスト】から。

1.That's Why
2.かごめかごめ~とおりゃんせ
3.赤とんぼ
4.雪の降るまちを
5.浜辺の歌
6.FOREVER AND MORE
7.砂漠
8.I say goodbye
9.FLY
10.そして僕は魚になる
11.Shape of my love
(アンコール)
1.春
2.マイソング(ノンマイクで)

その中で、「雪の降るまちを」の歌詞をご覧いただきたい。

1.雪の降る町を 雪の降る町を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る町を 遠い国からおちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福の ほほえみ

2.雪の降る町を 雪の降る町を
  足おとだけが 追いかけてゆく
  雪の降る町を 一人心に満ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日か解(ほぐ)さん
  緑なす春の日の そよかぜ

3.雪の降る町を 雪の降る町を
  息吹(いぶき)とともに こみあげてくる
  雪の降る町を だれも分らぬわが心
  この空しさを この空しさを
  いつの日か祈らん
  新しき光ふる 鐘の音


この歌の最後のフレーズ、あっきーが歌った「新しき光ふる 鐘の音」で、私は春の訪れにしてはいささか眩(まばゆ)すぎるほどの溢れんばかりの光の洪水と、そして雪国の春に余りあるほどの高らかな教会の鐘の音が、カランコロンと町中いっぱいに鳴り響くのを感じた。

「ああ~、ほんともうっ、しょ~がないなぁ~」

この歌の持つ独特な情景。その雪国の重たげなほの暗さ、しんしんと降り積もる白い雪。
そして何よりも、「いつかはこの哀しみもほぐされる日が来るのだろう」と、我が身を慰めつつ、その誰とも分かち合えぬ哀しみにひとりじっと耐えるその想い。
その想いはいったいどこに??
ああ、もう~!、その一番重要な、耐え忍ぶ哀しみやその空しさをすっかり置き去りにして、そんなに気持ち良~く歌い上げちゃって、いったいこの曲をどーしてくれるんだ、中川晃教っ!

…と思いつつ、でも
「ま、いっかぁ~!」
な~んて、「もう、どうにでもしてよ。何でもありだよ、あなたには」などと、どこか思わないでもない。
だって、歌い終わったあっきーを見れば、ピアノの前でうっとりと、「(最後の)鐘の音ってところが良いよね」(だっけ?)なんて満足気な様子。
そして実は私もこの声に満足だったりして。

すると、ギターの「さかきー」こと、榊原長紀氏が言った。

「…気持ち良かったんだね?」

ナイス突っ込みだ、さかきー!!
まさにそんな感じ。
その時、あっきーは声に出して力強く「うんっ!」と言ったかどうかは記憶にないが、顔にはありありとそう書かれてあった。

だから、私もますますと「あっきーが気持ち良く歌うと、私も気持ち良いから、ま、いっかぁ~!」という気がしてきて、この反則な「雪の降るまちを」は、本来のものとはかけ離れた味わいのものだったけど、要するに今の中川晃教の「雪の降るまちを」なんだから、「ま、いっかぁ~!」なんだと思わされる。

で、このコンサートを私的に名づけるならば、つまり、
「僕の我がままを聞いてくれてありがとうコンサート」。
その台詞は、たしかアンコール曲を突然に、あっきーがマイクレスで歌いたいと言い、その希望を受け入れたさかきーに向かって言った言葉だったと思う。
けれども、期日迫って告知されたこのコンサートの突然さ、曲の自由な解釈やアレンジ、マニアックさ…何から何までの全てが、「僕の我がまま」な歌を聞きたくて集まったものたちへのステージだったのかと思ったりもする。

そして、あっきーの我がままを聞くと、往々にして「ま、いっかぁ~」と思ってしまうのだから、全く「しょ~がないなぁ~」というのは、あっきーのことじゃなくて私自身のことかもしれないな。
もうこの際、どんなふうに歌ってくれてもいいや。 
その声を聞くならば、私はたいがいに幸せなんだから。
…とかね。

なんだろう、こーいうの??
いわゆる、悟りの境地?(笑)

まあね、その歌が満足ならば満足で、もし文句があったとしてもそれはそれなりに、あたしたち、あとで酒の肴にしちゃんうんだから、どっちにしろ、覚悟してね。してるよね?プロだもんね??
たけどもこの日のコンサートは不思議と(って、え?)文句を言う気がしなかった。
細かい間違いなんかも、もうどうでも良すぎて。

ところで、「雪の降るまちを」という曲は作詞を内田直也が、作曲は中田喜直という方が急ごしらえで作った曲だそうだが、この曲をどのようにしようかと考えた中田氏が作曲の直前に聞いた曲が、ショパンの「幻想曲」だったというのは有名な話だったらしい。
そこで、「雪の降るまちを」と「幻想曲」をクロスオーバーさせてのアレンジは楽しかったし、とても聞き応えがあった。
おかげで、最後は頭の中に教会の鐘が鳴り響いてしまったにせよ(笑)

「浜辺の歌」では、中学の時に部活でよく演奏した、私にとっても思い出の曲「ラデツキー行進曲」をイントロにして、ヨハンシュトラウス2世「芸術家の生涯」 と融合させての珍しい趣向だった。
私はまるで、ヨーロッパかどこかの外国の浜辺で故郷の海を思い出している日本人の心境になった。
ああ、故郷は遠くにありて思うもの。 なんちゃって~っ!な、日本の浜辺は目の前の浜辺でなくて、心のそれだったりして。

さらに、大好きな曲「FOREVER AND MORE」は、英語にかぶれていた頃に作った曲だとか。
そして、聞くたびに「創作秘話がこの前聞いたのと違うじゃん?」と思わされる「マイソング」。
ウィーンで「初恋を思い出した」と言ったのは、この曲の時だっけ? 砂漠だっけ?
へぇ~、そうなんだぁ~。ふぅ~ん。

リストが前後するけれど、「かごめかごめ」と「とおりゃんせ」の組み合わせも面白かった。
このふたつ、童謡というより、私ならば童歌(わらべうた)と呼びたい。
昔の童歌には、おおっぴらに口に出してはいけない隠された意味が潜んでいたりするものね。
歌の表の隣の世界、もしくは裏の世界に引きずり込まれてしまうような、そんな恐ろしさがあった。
さすが、歌で物語るのが上手い人だと思う。不思議こわい情景が見えたと思った。

そして、極めつけは、なんと言っても「そして僕は魚になる」。
この曲はマチネでも大きな拍手が鳴り止まなかったが、ソワレではますます絶好調なその歌声に会場は大いに盛り上がることしきり。

あ~、もうっ! だから好きにやってよ! 
それが好きだから。
しょうがないんだから。

だから、やっぱりそんな感じ。

今年はコンサートやライブをたくさんやってくれる、って?

そうね。
ミュージカルやお芝居も好きだけど、忙しかろうがなんだろうが、もっとたくさんライブをやってほしい。
その歌こそを「もっとたくさん聞かせて」は、私の我がままでもあるんだから、「そうこなくっちゃ!!」と私は思う。
マイクレスの歌はほんとうに凄かった。
とどのつまりは、
やっぱ、「さかきー、ありがとう!」
あっきーの我がままを聞いてくれて、ありがとう。

って、なんかこのコンサートのコンセプトに著しく外れた感想かもしれないけれど、「ゆったりとした気持ち」というよりは、私はどこか自分の肩の力が抜けるような気がしたかも。
これからは、もっと私も我がまましてみようかな?

ああ…今回は整理しながらきちんと書こうと思っていたのに、また酔っ払った勢いで書いてしまった。
ほんともう、しょ~がないなぁ~、私もね!(笑)

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「東日本大震災チャリティー展」アートコンプレックス・センター

2012年03月15日 02時41分53秒 | 美術館/博物館/展覧会

「東日本大震災チャリティー展」
2012年3月13日(火)~18日(日)
開館11:00 閉館20:00(最終日は17:00まで)
アートコンプレックス・センター
http://www.gallerycomplex.com/


あの日、あの時から一年が経ちました。
テレビの報道番組などを目にするにつけても、復興にはまだまだ支援が必要なのだと実感せずにはいられません。

そして、今年もまたアートコンプレックス・センターにて「東日本震災チャリティー展」が開催されると聞いたので行って来ました。
チャリティーということで出展作品はすべてお手頃な価格で出品されていますし、購入後は即日お持ち帰りすることができます。
売上金は義援金として日本赤十字社へ寄付されるそうです。

知り合いの版画家、亀本みのりさんが今年も参加なさっていたので、作品がまだ残っていたらぜひ購入したいと思いましたが、早々に売れてしまったそうです。
ひと目でも見られなかったのは残念ですが、彼女の作品が一人でも多くの方から愛されたら良いなと思っていますので、どなたかに気に入られて買われていったのかと思うと、それはそれで嬉しいです。

それで私が今年購入したのは別の方の二枚です。
先ずはこれ↓、手島のり子さんという方の作品で、縦横12センチの小さなものです。


ピンク色が美しくて幻想的なこの作品は「多くの誘惑」という名がついていました。
どこに飾ろうかしら? 
どの部屋に飾っても映えると思うので迷う~。

そしてもう一枚は一番最初に目に付いたもので、ひと目で気に入ってしまったデジタル画です。
ん? それにしても、去年購入したものと作風がとてもよく似ています。
作者のお名前は違いますけど。
左が昨年買った、滝沢莉音さんの「新しい明日」、右が今年購入の二宮れのさんの「いつか届くように」という作品です。
 
 「新しい明日」          「いつか届くように」

ね? 似ているでしょう?
描き方やモチーフも似ているけれど、何よりもスピリットが同じ。
これが別の作者のわけがない! と思い、家に帰って調べてみたら案の定、同じ方が改名して出品していたものでした。
好きなものは、やっぱり好き。
すぐに見つけてしまうものだし、名前を変えたってわかりますよね。
この作品は、家に帰ってすぐにパソコンを置く場所の目の前の壁に飾りました。
今もこのイラストを目にしながら書いているところです。
「いつか届くように」という名前も良いですよね。
私も希望を持たくなくては。


ところで、この「アートコンプレックス・センター」というギャラリーでは、チャリティー展の他にもいくつかの小さな個展やイベントなどが開催されていました。
それで、チャリティー展のある部屋と同じ二階で開いていた個展もついでに寄って見てきましたが、その中で美大生の方が卒業制作を中心に展示した「いくつかの夜と昼」という個展がなかなか良かったので、「ついでに」と言ってはなんですが、ご紹介しちゃいます。


「いくつかの夜と昼」と題されているのに、この部屋に展示されている絵はすべてが夜の絵でした。
その中でも写真の絵が私はとても好きだと思ったので、受付の方に「この絵は何処ですか?」と聞いてみたら、長野県だそうです。
という、お返事してくださったのは作者ご本人の今井可菜さんだったのですが、今年に美大を卒業する(した?)というのですから、とてもお若いお嬢さんです。
彼女は今、ひたすら夜が描きたいそうで、昼を書くと暗くなってしまうのだとか。
でも、この夜の絵にはどこか明るさもあるんですよね。
白い雪、それを照らす光に人のぬくもりを感じます。

それで帰り道に改めて思ったのですが、私はこういった美術作品にしても、音楽や歌にしても、演劇も、そして小説や詩などを読むにしても、好きという気持ちに創り手がプロもアマも関係ないし、有名だとか無名だとか、人気や他人の評価、値段や技術の差ですらも全く関係ないんですよね。
好きか、そうでないか、それだけが全てに一線上にあって、それ以外は私にはどうだって良いことなんだと、つくづく思います。
なので、好きなものを瞬時にキャッチする直感が大切。そんな時には名前すらいらないのかも。
贅沢って、高価なものに囲まれることではなくて、好きなものに囲まれることかもしれないな。

ホワイトデーにチャリティーに行き、好きな作品に出会えて嬉しかったです。
それを自分で自分にプレゼント、ってところが何だかな~、って気がしないでもないけれどね(笑)


東日本大震災チャリティー展」

2012年3月13日(火)~18日(日)
開館11:00 閉館20:00(最終日は17:00まで)
アートコンプレックス・センター
http://www.gallerycomplex.com/
東京都新宿区大京町12-9 2F
tel/fax 03-3341-3253
info@gallerycomplex.com

<会場>
アートコンプレックス・センター 2階ACT1
東京都新宿区大京町12-9
tel/fax 03-3341-3253
http://www.gallerycomplex.com/
info@gallerycomplex.com

<協力作家>
飯田哲夫 / 手嶋のり子 / Minzow / takuchi / HEJSAN / 黒乃やこ /
ninko ouzou / 和也 / 古原 徹也 / こまつたかし / 佐々木 竹翠 / たんたん /
そらみずほ / 岩間利恵子 / Piggy Girl / mah / 一紅 / 岩崎 絵里子 /
moco / 花木玲子 / 二宮 れの / 遠藤みちよ / えだもとかおる /
伴 克子 / カシワギマリ / 亀本みのり / 石澤知絵子 /
トモ / 粉川江里子 / velonyca toto / ひゆうことは / ヨシダシオリ / 福士 悦子 /
よこうちなおみ / 川瀬大樹 / KOALA / 真姫 -Maki- / 小林真理江

<義援金 寄付先>
日本赤十字社
http://www.jrc.or.jp/

コメント (4)
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モンテカルロ・バレエ団 Aプロ 

2012年03月10日 17時36分49秒 | バレエ/ダンス

2012/03/06
モンテカルロ・バレエ団 Aプロ @東京文化会館
「シェエラザード」 振付:ジャン=クリストフ・マイヨー/音楽:ニコライ・A.リムスキー=コルサコフ
「ダフニスとクロエ」 振付:ジャン=クリストフ・マイヨー/音楽:モーリス・ラヴェル
「アルトロ・カント1」 振付:ジャン=クリストフ・マイヨー/音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ

バレエに見る「めくるめく愛の饗宴」(シェラザード)だとか、「洗練された筆致で描く、愛と官能の神話的物語」(ダフニスとクロエ)だとか、「鋭い美意識に貫かれた緻密なダンス」(アルトロ・カント)とやらを観てまいりました。

って、そうかぁ~??
上記はいずれもチラシに書かれた煽り文句ですけど、これが本当にそうならば、私はバレエがつくづく解らない女なのね。
ってか、私の思う「官能」っていうのが、どうもちょっと違う気がする(笑)

これは大人が楽しむバレエだと思うので、小学生以下の子供にはとても見せられないようなセクシャルなシーンが満載でした。
が、「セクシャル」であることと「エロティック」であることは、同じようで微妙に違うよね?
官能的ならばエロティックのほうでなきゃ! とか私は思うんだけど。
だからやっぱ、私にとっては、そこにはロマンチシズムがあるかどうか?ってことで、まあだけど、「シェラザード」にしても「ダフニスとクロエ」にしても、舞台のあらすじからして官能的だかどうかは大いに疑わしい。
つまり、男女が絡むそのシーンが多いよね、ということなので、その部分をどう演出するかで随分と様子が変わる作品なんだろうな、と思いました。

それにしてもねぇ…、まあ良いんですけどね、そもそも私はバレエがよく解らないままに「ぼお~っと観ていたい」人なんで、踊りだとか演出に関してはどうこう言うつもりはありませんけど(言いたくても言えないし)、ましてや個々のダンサーさんたちへの評なども勿論書けませんけど、
あ、だからこんな感想記なんかを書くなよ! ってな話になるのかもしれないけど(笑)
ここまで、ただ「ぼぉ~っと観ていた」だけ、っていうのも珍しいかも。
もともとそういう姿勢で観たかったのだから、これはこれで良いんだけど、官能の舞台だなんて言うから少しは心揺れるものがあるかと期待していたら(笑)、そうでもなかったという、ただそれだけの話だったりしてね。
強いて言うならば、「ダフニスとクロエ」の舞台美術で、「あの巨大な男女の裸体画はそんなに見たくもなかったな~」とか、「オーケストラはやっぱり生で聞きたかった」とか、そんな感じかしら。

それで、この三つの作品の中でどれが一番良かったといえば、私は最後の「アルトロ・カント1」かな。
この作品は「両性具有がテーマに据えられている」とかで、パンツ姿の男女にスカートを穿いた男性が混じっていたりして、なかなかに珍しいものでした。
例によって四階席から観ていた私には、遠目だったので時々オペラグラスで「この人って、男なの?」と確認したほどに、スカート姿の男性は女性の動きで踊ります。
同じ振付でも、やっぱり男性の踊りと女性の踊りとは全然違うものなんですね。

だから、体つきは凄い筋肉質で、よく見れば男性そのものというダンサーでも、女性の踊りをすれば遠目ではどちらか判別しにくいほどに女性的です。
その男女が判別しがたく入り混じった群舞は、暗闇にロウソクの灯るような薄暗い舞台の上で効果的に浮かび上がり、どこか厳かな中にも倒錯的な美が感じられました。
これもね~、古典バレエを観たい人には向かないとは思うけど、まあ好き好きなんでしょうね~。
美意識は人それぞれに違いますから。
ましてや、それに性的なものが介在するならば、当然好みは分かれるだろうし。特に女性と男性では見方が全然違うのでしょうね。
だからこういうエンターテイメントでこういった題材を扱うのは難しいかもしれないな。とか、思ったり。

そういや、ミュージカルの世界ではゲイは度々登場するけど、両性具有で男女の性が交じり合ったような倒錯的な舞台があるのかどうかは知らないけれど、私は観たことがない。
それどころか、「官能的なミュージカル」っていうのもないよね?
って、べつに見たかないから、まあいいか(笑)

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映画「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」

2012年03月10日 14時12分06秒 | 映画

2012/03/06
◆映画「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」

今年に入って、何故か私は「ダンスだけ」の舞台が無性に見たい!
ダンスは、自分にはほとんど技術の良し悪しとかが解らないだけに、子供のように無邪気な気持ちで観ていられるし、言葉で説明されないぶん情報量が少ないけれどその実とても表現力が豊かなので想像力が掻き立てられるしで、自由な気持ちでぼぉ~っとできるところが良いんですよね~。
まあ、私はダンスを見ている時に限らず、いつでも「ぼぉ~っとしてる」といえば、してるんですけど(笑)

それで、二月の末から先週にかけて「テヅカ TeZukA」、映画「Pina」、モンテカルロバレエ団(Aプロ)と、そういうのを三作品、立て続けに観ましたけど…なかなか感想が書き出せなくて…。
で、その三作品は「バレエ/ダンス」でカテゴリーが一緒にできそうなので、この際ひとつの記事にしようかと思ったら、いくらなんでもこの三つを一緒くたに語ろうってゆーのはやっぱり無理がありました
それで観た順番は前後するのですが、映画のほうから書いていきたいと思います。
なんたって、「テヅカ」のほうは書きにくいから。

  

映画の「Pina」とモンテカルロ・バレエは3月6日に半休が取れたので同日に観たわけですが、
「Pina」を観ながら、「こういうダンス、最近どこかで観たような気がするなぁ…」なんて思いながら、ぼぉ~っと見ていたら、なんだ、つい何日前の森山未來くんが出演していた「テヅカ」のダンスがこんなだった。
な~んて、だから「テヅカ」の振付をしたシディ・ラルビ・シェルカウイ氏は ピナ・バウシュの流れも汲んでいた人じゃないか!ってんで、「あんた何ぼさっとしてるんだ? ちゃんと聞いてなさいよ!」ってな話だったのよね。

「Pina」は冒頭に出てきた「春の祭典」がまぁ~、凄かった! 
バレエは言葉の無い演劇のようだと思うけど、これは「言葉で説明できない」演劇のようでした。
この舞台を生でもっとじっくり観続けたなら、言葉で説明できない涙が零れてしまいそうです。
で、そのまま天才舞踏家ピナが手がけた舞台映像が続くのかと思いきや、彼女の舞踊団のダンサー達、つまりピナのお弟子さんたちのダンス・シーンが、彼らの言葉をはさみながら入れ替わり立ち代り次々と続きます。
彼らがピナから教えられたこととはどういうことだったのか? とか、ピナはこう言った、ああ言った、とかいう回想とか。それを肉体で表現し、または言葉で語るわけです。

ピナは言った。
「愛のために踊りなさい」と。
そして言葉で表現できないものを肉体で「語る」ピナの踊りの、その表現の行き着くところには「美と悲しみと孤独」があった。

と、まあその辺りの言葉はとても印象的でしたが、なんというか、私はそれを見ているうちに、だんだんと「イエス・キリストの十二使徒」だとか、「釈迦の十大弟子」とかを思い出しました。

師はかく語りき。
ピナの世界を何とかして伝えたい、継承していきたい、という弟子達の強い想いが感じられました。
だから、この映画はピナへのトリビュート作品とも言えるのだけど、映画としてはどうなんだろう…。
ピナの世界を直に感動するには、ピナが足りない。弟子達の中にピナのスピリットが生きているにせよ。
それに何よりも3Dにした意味があまり感じられなくて、フライヤーで「劇場を超える臨場感」などと期待を煽ってくれたほどには舞台の臨場感はなかったように思います。
なんというか、これはダンスの「ドキュメンタリー映画」だったので、映画そのものが物語として大きな流れの「ひとつの作品」ではないのね。つまりピナの舞台はともかくも、この映画自体は劇的ではなく記録的なものだから、映像的にも作品的にも「劇場を超える」とまでは私には思えませんでした。
だったらね~、ピナの舞台を延々とでも良いから、もっとがっつりと見せてくれほうが私は良かったんだけど。
何せ、言葉で語れないものを無言で「語る」天才舞踊家なのだから、ひたすらにそれを観れば言葉はいらないのでは??とか思うし。
結局この映画を観て良かったかどうか? ということならば、私は「観て良かった」とは思いますが、「もっとたくさんピナ自身の創った舞台で彼女の言葉にならぬ語りを見てみたい」と思ったので、ああ、そうか、それじゃあ、「だからやっぱり良かったんじゃん!」ってことになるのか(笑)

それにしても、ピナの踊りは古典的なバレエにあるような「お約束」のない、ダンスというよりは言わば抽象的な身体表現の世界だと思ったので、絵画ならば抽象画、音楽で言えば現代音楽を私は思い出しました。
そして、「もしも文筆家が、このピナ・バウシュの『言葉にできぬ語り』をあえて言葉にして表現したらどうなるのだろう?」などと、私などはつい思うのですが、もしそれを試みるとするならば、それは詩になるのか、俳句になるか、それとも小説にできるのか…。
いずれにしても、画期的な言葉の抽象作品となり、それはたぶん解らぬ人にはさっぱり解らぬ、およそ文学としては破綻したものになるかもしれません。
でももし、書き手の想い、それがむき出しの魂として表現できるならば、それもまた「言いたいことに何がなんだかさっぱり解らないが、言葉にならない何かを感じる」という作品になるのでしょうね。
うん、それはやっぱり、ほとんど世には出られない、アウトサイダー・アーティストの世界になるのかも?
だとしても、その「何か」の中に、「美と悲しみと孤独」な魂が宿るとすれば、すべての芸術がピナのようであれるかもしれません。

…とか。
そんなこんなで、フライヤーの裏に書かれた「各界からの賞賛の声」ほどには私は感動しなかったものの、色々といい刺激になった映画でした。

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スガシカオ「Hitori Sugar Tour 2012 渋谷 duo 」

2012年03月04日 00時05分08秒 | ライブ/コンサート

※うっかり検索してこちらへ来られたシカオふぁんの皆さん、私の感想記は無駄に長くて脱線話が多いのでご注意願います。

2012/03/02 @duo MUSIC EXCHANGE(渋谷
【歌・演奏その他諸々】スガシカオ

うきゃあ~っ シカオちゃんったら~っ
むちゃくちゃかっこいいよぉ~~っ

ってなノリで、スガシカオさんのライブでは、いつもそーいうノリで書いておりますが……
それは無くもないですけど、今週の私はちょっと違う。
そしてこのライブもちょっと違った。

今週の水曜日、東京は雪が降りました。
そして雪とは全く関係なく、この日私は左脚に肉離れを起こし、「えっ!いったい何これ??」という強烈な痛みを足に抱えて整形外科に行ったところ、なんと!全治二週間の負傷。
「ギブスをはめて松葉杖で歩きますか?」とお医者様に言われたのでした。
聞けば、安静にしていたからといって早く治るわけでもなく、少なくとも一週間はまともに歩けない状態が続くだろうと言われ、それは困る!!大いに困る!!
「あの~、二日後に二時間程度の立ち仕事(??)があるんですけど…」と言えば、お医者様には「無理ですね。やめたほうが良いです」ときっぱり言われましたよ。
ええ、やめますとも。これが本当に仕事ならばね。でも、私が心配しているのは実はそんなことじゃない!二日後にはシカオちゃんのライブがあるんだよぉ~~!

ということで、松葉杖の貸し出しをきっぱり断り、その代わりに湿布を貼って包帯をぐるぐるとまき付け、痛み止めを飲んでのライブに参戦。
バカですか? ええ、バカなんです、私。
だって、だって、スガシカオだよ、シカオちゃんのライブなんだよ~? 去年からずっとずっと、ずーっと、楽しみに待っていたんだもの!!
まあ、行っちゃえばどうにかなるだろうと思った私は、私のミューズの女神様を徹底的に信じちゃっているのよね。

入場整理番号が300近かったので前のほうの椅子席には座れなかったものの、渋谷のduoの会場は下手の壁際にソファーが一列だけ壁に沿って張り付いています。
そのソファーに早くから陣取っていた方々に事情を言って少し開いた隙間をつめてもらい座らせていただきました。
(親切に間を開けてくださった両脇の方たち、もしこれをご覧でしたら、私の図々しい申し出を聞き入れてくださって本当にありがとうございました。)

そんなわけで、行ってみたらやっぱりどうにかなりました。
私は足を負傷してさえいなければ、いつものように最初から最後までずっと踊りながらライブを楽しむつもりでしたが、でもこの日のライブ、これはこれでかえって良かったのかも。
アップテンポの曲では頑張って立って手拍子しましたが、バラードでは座って聞けたのはとても良かったです。
座ってしまうと人垣でシカオちゃんの顔は見えないものの、「それならばいっそ」と、目を瞑って聞いていたら、なんだか歌がいつもより深く心に染みこんで、感動して、涙がこぼれることしきりです。
そういや、スガシカオのライブというと、いつもは、踊り狂ってキャーキャー言いながらのハイテンション!な私ですけど、それでいて、ところどころと泣きながら聴いていることも結構多いんですよね~。
だってね~、シカオちゃんの歌の詞って、ものすごくダイレクトに胸に響くし、歌が「自分に近い」と思えて、たぶん、親兄弟よりも友達よりも誰よりも、心が自分のすごく近いところにいる人のような気がして、なんかスガシカオは「心の近親者じゃないか?」なんて思えてしまうのだもの。

オープニングは「19才」。
この曲は(も?)、好きなのよね~!
色っぽくてノリも良い曲なんだけど、この日のライブでは、羽化して飛び立つ前の蝶のような、その蛹(さなぎ)から今まさに脱皮しようとしているところ…そんな風に私には聞こえたなぁ…。
なんて、一曲ごとに私の自由気ままな解釈をそのまま書きなぐっていると、あちこちのどっかから石が飛んできそうなので(笑) この先は胸の中だけに収めておくことにしますけど、どの曲もなんだかいつにも増してぐっと感動的でした。

続いた「FUNKAHOLiC」と「Party People」はノリノリで盛り上がって立って聴きましたが、座って聴いていた「黄金の月」では歌もアレンジにも、魂が込められていて涙ものでした。

そう、魂と言えば…
スガシカオ本人のブログ、アメブロの「このゆびとまれ」のプロフィールにこんな言葉がありましたっけ…

『魂で歌うって、どうゆうことか、本気で考えてます』

うん、だからね~、魂で聴くって、どうゆうことか、私も考えていたりするのよ、ときどきね。

そうすると、すごく、どこまでも「ひとりの私」であるんだけど、魂で歌が届けられると、「ひとりの私の」魂がそれに重なる。
だから、その重なりがぴったり合えたと思ったときには、「ひとり」なんだけど、ひとりじゃない。
届けられた歌の寂しさや悲しさ、苛立ちでさえもが自分の魂となり共に震えるから。
裸の魂、その率直な歌に「共揺れ」できると、時として涙かこぼれてしまう。私の場合は。

「月とナイフ」や「愛について」はこれまでのライブでも時々涙しながら聴いていたけれど、この日は「ファスナー」ですらも、なんだか涙が目に浮かぶ。
「Thank You」は私がスガシカオに決定的にハマった、一番衝撃とも言えた曲。こんな歌が書けるスガシカオには惹かれずにいられない。
ああ、どの曲も良かった! 無理をしてでも参加できて本当に良かった!!

ところで、歌だけでなくMCも超面白いシカオちゃん。
このライブは、以前からやっていた「Hitori Sugar Tour」の流れなんだけど、歌だけでなく演奏も全てが「ひとり」というもので、私は去年は田島貴男さんでこれと同じスタイルのライブに参加したことはあったけど、スガシカオさんのでは初めてでした。
これね~、すごく面白いんだわ。
ループマシーンを使って、その場でギターや歌を重ねてたったひとりで音楽を作っていく過程までもを見ながら聴きながらのライブって、すごく面白いです。
その機械がどうなっているのかを説明してくれたのも興味深くて良かったです。
新アイテムは、音を繰り返して重ねるだけでなく、逆回転もできる優れものです。
まず「ぁ~やぅ~ぶっぃ~いっし」とかなんとか言うから「へっ???」って思うと、それを逆回転すると「渋谷」と聞こえる。かろうじて(笑)
それで、「渋谷、雨だ~、スガシカオ」って言ってくれたんだっけかな?(笑) 面白かったわ~!
あ、そういや、雨といえば、やっぱり雨だったのね。 ライブのファイナルは雨男にふさわしい天気だったことを思い出しました(笑)

それから、去年に事務所を離れてインディーズになった話。
「いったいどうして?」と疑問に思っていましたが、どういう気持ちだったのか、話してくれて嬉しかったです。
今まで事務所に守られて大きな流れの中で音楽作りをしてきたこと、それは音楽に専念するためには良かったのかもしれないけれど、たくさんの人の手によって、その流れの中でいつの間にか(といっても、もちろん自分が制作しているのだけど) CDが出来上がり、用意された会場に訪れて歌を歌うことにだんだん慣れてきた自分にいろいろと思うことがあった……と、話を正確に再現できなくて残念ですが、私はそんなふうに受け取りました。
とにかく、「攻めていきたい!」という気持ちからの独立だったということです。
そして、ひとり。
今回の全国ライブツアーも、ひとりだから会場を確保する連絡すらも自分でやらなきゃならない。
ライブ会場の申込みに、「あの~、スガシカオの代理の者ですが」と電話するのも実は本人だったりして(笑)
だから、まずは事務所なしで「信用してもらう」ところから始めたそうです。
なので、ライブ会場によっては「(事務所ではなく)スガシカオさんとの契約は初めてなので、前金でお願いします」と言われたとか。
「え~、前金かよ!」って、まあ~、私たちは笑っちゃったけど、いろいろと苦労もあったんでしょうね。
でも、今や「日本で一番客が集まるインディーズ」になったわけだ。いや、インディーズでCD出したわけじゃないから、友達には「お前、セミプロじゃねぇ?」と言われ、「え~っ、俺、セミプロかよ~っ?!」とかいう話も可笑しかったです!
歌で食べてるんだから、セミプロはないでしょうに、セミプロは(笑)

うん、だけど、まるで一匹狼のような、孤高の魅力と覚悟が備わったこの日のスガシカオは凄く素敵でカッコよかった。

覚悟で思い出したけど、
一年前の東北大震災の後に、初めてテレビで歌を歌った日のことも話してくれました。
あの番組、私は最後のほうしか見られなくて、エンディングでみんなと歌う姿しか見ることができなくて残念でしたが、シカオちゃんはオンエアした収録の始めから最後までの記憶がすっかり残っていないんですって。
あの番組は、たくさんの有名な歌手の方達が、大震災の痛手と衝撃にすっかりと傷ついていた日本のみんなに、歌で何とかして少しでも癒しや勇気を届けたい…そんな番組だったと思います。
震災のわりと直後でもあったことから歌い手の方達は、歌うに相当な覚悟を必要とされたのでしょうね、リハでは何人かの女性歌手が、大御所と言われる人までもが、歌の途中で涙を流してしまう場面もあったのだとか。
「上手いとか下手とか、売れているとか売れてないとか、そんなんじゃなくなくて、腹がくくれているかどうかだった。あの場で歌うということは」 そう、話してくれました。

そういや大震災からしばらく、「スガシカオはいつ歌いだすのだろう?」とか私は思っていて、確かその始めに歌ったのがあの番組だったと思います。
それまでの何日かは、まるで一般人のように、こつこつと震災で不自由な日々の暮らしに役立つ情報をブログに載せていたシカオちゃん。
あのブログを見ていただけでも、スガシカオがかつて有能なサラリーマンだったことが垣間見えたと思いましたが、困っている人達のために、たとえ小さなことでも何とか自分のできることからしたいという普通感覚が、同じ場所に共に生きてる感じがして、あの緊縛した暗い状況の中で、私は思いのほかに嬉しかったです。
そして、エッセイとしてシリーズのようになった「ヤグルトさん」の話も面白く、とても暖かくていつも笑わせてもらったし、私はそれまでスガシカオといえば、とにかく歌が良くて好きだったのだけど、すっかりとこの人柄にもファンになりました。ってか、惚れ直しました!


スガシカオはひとりになった。
それはすごく良く似合う。
かっこいいと思う。
でも、私達がひとりにさせたりしない。
そばにいる。そしてずっと味方だ!

楽しくて、心のこもった感動のライブを、ありがとう、ほんとうにありがとう。
そしてまた次のライブで会いましょう!!

【セットリスト】
1.19才
2.FUNKAHOLiC
3.Party People
4.黄金の月
5.ガリレオの数式
6.ファスナー
7.サヨナラホームラン
8.夜空ノムコウ
9.月とナイフ
10.Progress
11.約束
12.アオゾラペダル
13.黒いシミ
14.コーヒー
15.フォノスコープ
16.Thank You
17.午後のパレード
(アンコール)
18.バクダン・ジュース
19.世界が終わる5秒前
20.愛について
21.ヒットチャートをかけぬけろ


コメント (2)
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