2012/03/17 「中川晃教コンサート2012 in HAKUJU HALL」
【出演】中川晃教(Vocal・Piano) / 榊原長紀(Guitar)
まずは、【セットリスト】から。
1.That's Why
2.かごめかごめ~とおりゃんせ
3.赤とんぼ
4.雪の降るまちを
5.浜辺の歌
6.FOREVER AND MORE
7.砂漠
8.I say goodbye
9.FLY
10.そして僕は魚になる
11.Shape of my love
(アンコール)
1.春
2.マイソング(ノンマイクで)
その中で、「雪の降るまちを」の歌詞をご覧いただきたい。
1.雪の降る町を 雪の降る町を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る町を 遠い国からおちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸福の ほほえみ
2.雪の降る町を 雪の降る町を
足おとだけが 追いかけてゆく
雪の降る町を 一人心に満ちてくる
この哀しみを この哀しみを
いつの日か解(ほぐ)さん
緑なす春の日の そよかぜ
3.雪の降る町を 雪の降る町を
息吹(いぶき)とともに こみあげてくる
雪の降る町を だれも分らぬわが心
この空しさを この空しさを
いつの日か祈らん
新しき光ふる 鐘の音
この歌の最後のフレーズ、あっきーが歌った「新しき光ふる 鐘の音」で、私は春の訪れにしてはいささか眩(まばゆ)すぎるほどの溢れんばかりの光の洪水と、そして雪国の春に余りあるほどの高らかな教会の鐘の音が、カランコロンと町中いっぱいに鳴り響くのを感じた。
「ああ~、ほんともうっ、しょ~がないなぁ~」
この歌の持つ独特な情景。その雪国の重たげなほの暗さ、しんしんと降り積もる白い雪。
そして何よりも、「いつかはこの哀しみもほぐされる日が来るのだろう」と、我が身を慰めつつ、その誰とも分かち合えぬ哀しみにひとりじっと耐えるその想い。
その想いはいったいどこに??
ああ、もう~!、その一番重要な、耐え忍ぶ哀しみやその空しさをすっかり置き去りにして、そんなに気持ち良~く歌い上げちゃって、いったいこの曲をどーしてくれるんだ、中川晃教っ!
…と思いつつ、でも
「ま、いっかぁ~!」
な~んて、「もう、どうにでもしてよ。何でもありだよ、あなたには」などと、どこか思わないでもない。
だって、歌い終わったあっきーを見れば、ピアノの前でうっとりと、「(最後の)鐘の音ってところが良いよね」(だっけ?)なんて満足気な様子。
そして実は私もこの声に満足だったりして。
すると、ギターの「さかきー」こと、榊原長紀氏が言った。
「…気持ち良かったんだね?」
ナイス突っ込みだ、さかきー!!
まさにそんな感じ。
その時、あっきーは声に出して力強く「うんっ!」と言ったかどうかは記憶にないが、顔にはありありとそう書かれてあった。
だから、私もますますと「あっきーが気持ち良く歌うと、私も気持ち良いから、ま、いっかぁ~!」という気がしてきて、この反則な「雪の降るまちを」は、本来のものとはかけ離れた味わいのものだったけど、要するに今の中川晃教の「雪の降るまちを」なんだから、「ま、いっかぁ~!」なんだと思わされる。
で、このコンサートを私的に名づけるならば、つまり、
「僕の我がままを聞いてくれてありがとうコンサート」。
その台詞は、たしかアンコール曲を突然に、あっきーがマイクレスで歌いたいと言い、その希望を受け入れたさかきーに向かって言った言葉だったと思う。
けれども、期日迫って告知されたこのコンサートの突然さ、曲の自由な解釈やアレンジ、マニアックさ…何から何までの全てが、「僕の我がまま」な歌を聞きたくて集まったものたちへのステージだったのかと思ったりもする。
そして、あっきーの我がままを聞くと、往々にして「ま、いっかぁ~」と思ってしまうのだから、全く「しょ~がないなぁ~」というのは、あっきーのことじゃなくて私自身のことかもしれないな。
もうこの際、どんなふうに歌ってくれてもいいや。
その声を聞くならば、私はたいがいに幸せなんだから。
…とかね。
なんだろう、こーいうの??
いわゆる、悟りの境地?(笑)
まあね、その歌が満足ならば満足で、もし文句があったとしてもそれはそれなりに、あたしたち、あとで酒の肴にしちゃんうんだから、どっちにしろ、覚悟してね。してるよね?プロだもんね??
たけどもこの日のコンサートは不思議と(って、え?)文句を言う気がしなかった。
細かい間違いなんかも、もうどうでも良すぎて。
ところで、「雪の降るまちを」という曲は作詞を内田直也が、作曲は中田喜直という方が急ごしらえで作った曲だそうだが、この曲をどのようにしようかと考えた中田氏が作曲の直前に聞いた曲が、ショパンの「幻想曲」だったというのは有名な話だったらしい。
そこで、「雪の降るまちを」と「幻想曲」をクロスオーバーさせてのアレンジは楽しかったし、とても聞き応えがあった。
おかげで、最後は頭の中に教会の鐘が鳴り響いてしまったにせよ(笑)
「浜辺の歌」では、中学の時に部活でよく演奏した、私にとっても思い出の曲「ラデツキー行進曲」をイントロにして、ヨハンシュトラウス2世「芸術家の生涯」 と融合させての珍しい趣向だった。
私はまるで、ヨーロッパかどこかの外国の浜辺で故郷の海を思い出している日本人の心境になった。
ああ、故郷は遠くにありて思うもの。 なんちゃって~っ!な、日本の浜辺は目の前の浜辺でなくて、心のそれだったりして。
さらに、大好きな曲「FOREVER AND MORE」は、英語にかぶれていた頃に作った曲だとか。
そして、聞くたびに「創作秘話がこの前聞いたのと違うじゃん?」と思わされる「マイソング」。
ウィーンで「初恋を思い出した」と言ったのは、この曲の時だっけ? 砂漠だっけ?
へぇ~、そうなんだぁ~。ふぅ~ん。
リストが前後するけれど、「かごめかごめ」と「とおりゃんせ」の組み合わせも面白かった。
このふたつ、童謡というより、私ならば童歌(わらべうた)と呼びたい。
昔の童歌には、おおっぴらに口に出してはいけない隠された意味が潜んでいたりするものね。
歌の表の隣の世界、もしくは裏の世界に引きずり込まれてしまうような、そんな恐ろしさがあった。
さすが、歌で物語るのが上手い人だと思う。不思議こわい情景が見えたと思った。
そして、極めつけは、なんと言っても「そして僕は魚になる」。
この曲はマチネでも大きな拍手が鳴り止まなかったが、ソワレではますます絶好調なその歌声に会場は大いに盛り上がることしきり。
あ~、もうっ! だから好きにやってよ!
それが好きだから。
しょうがないんだから。
だから、やっぱりそんな感じ。
今年はコンサートやライブをたくさんやってくれる、って?
そうね。
ミュージカルやお芝居も好きだけど、忙しかろうがなんだろうが、もっとたくさんライブをやってほしい。
その歌こそを「もっとたくさん聞かせて」は、私の我がままでもあるんだから、「そうこなくっちゃ!!」と私は思う。
マイクレスの歌はほんとうに凄かった。
とどのつまりは、
やっぱ、「さかきー、ありがとう!」
あっきーの我がままを聞いてくれて、ありがとう。
って、なんかこのコンサートのコンセプトに著しく外れた感想かもしれないけれど、「ゆったりとした気持ち」というよりは、私はどこか自分の肩の力が抜けるような気がしたかも。
これからは、もっと私も我がまましてみようかな?
ああ…今回は整理しながらきちんと書こうと思っていたのに、また酔っ払った勢いで書いてしまった。
ほんともう、しょ~がないなぁ~、私もね!(笑)