今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「ムットーニ ワールド」プレビュー展

2009年02月28日 21時55分19秒 | 美術館/博物館/展覧会
八王子の夢美術館「ムットーニ ワールド」プレビュー展へ行ってきました。

ムットーニ氏の創り出す自動人形からくり箱は、光と影の織り成す不思議な夢の世界です。
ムットーニ氏自身の静かな語りが始まると、まるで催眠術にかけられたようにその世界にいざなわれてしまいます。からくり箱の扉が音もなく開かれた時、そこには生きた人形達の、生きた夢があるのです。
箱でありながら、深い奥行きや広さが感じられるのは、光と影のゆらめきとその広がりがあるからなのでしょう。そして何よりもそこから引き出される人の想像力こそが、その世界の広がりを創ります。

この日の中でも最も私が感動したのは、「カンターテ ドミノ」という作品。
パイプオルガンで賛美歌を弾く男の前の、オルガンのパイプが開き、ビーナスの女神が現れます。そのビーナスの背に翼が広がり、やがて天井が開きビーナスはゆっくりと天上を昇っていく。
最後にその背後の壁に、やはり翼の生えた神のような姿が映り、箱の世界から外へ向かいいくつもの光の筋が輝き飛び広がるのです。

その短い時間の中で、私は遠い時間を感じます。涙がひとすじ、どうしても堪え切れませんでした。
ムトウ氏は、「私はこれをもう一度、初めて見てみたい」と仰っていました。
私はまさに、初めて見ました。たった一度しか味わえない感動の時間。二度とこない夢。
そして、時間を開けて、今度はムトウ氏の語りがない状態でそれをもう一度見たとき、
それは、ムットーニの夢の世界と私自身の夢の世界が交じり合い、私だけの夢が開き、今度は涙が次々と溢れて止まりませんでした。

って、「私って、よくよく賛美歌とか聖歌に弱くて泣けちゃうのよね~、べつに何があったってわけでもないのにねぇ?」とか、言ったら、友達曰く「もともと、ゴスペルとかはさ、魂をゆさぶる歌だからね」とのこと。
ああ、そうよね。魂をゆさぶる歌って、宗教を越えて感動させてくれるものね。
でもって、夢って魂の領域よね。

ムトウ氏の言葉で「記憶は曖昧なもの」というのがあったけど、曖昧な記憶は夢にとてもよく似ているわ。
今という時が次々と過去になり、曖昧な記憶となり、夢となっていく。
私は今を生き、夢を生きる。
「人はみな、旅人であり夢追い人である。」という言葉もあったけど、ほんとうに最近そんな感じがします。

あ、そうそう、
DVDにサインをいただきました。
筆記用具を用意してなかった私のために、わざわざ金色のマーカーを持ってきてくださって、「これは乾くのに時間がかかります」と言って、氏自ら「ふ~っ、ふ~っ」ってしてくださったの
なんか嬉しくて、思わずのそのあとすぐに私も「ふ~っ、ふ~っ」しちゃいましたキャハハッ!

「ACCIDENTS」

2009年02月14日 23時31分54秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
バレンタイン・デーに、神楽坂の懐かしきdie pratzeにて、「ACCIDENTS」という舞台を観て来ました。

これを観て改めて自覚したけど、恋愛はともかく、私は基本的に男性よりも女性のほうが好きなのね(笑)
そして、男の人生よりも女の人生、男の孤独よりも女の孤独、男の狂気よりも女の狂気に惹かれる…っていうのは、自分が女だからなのかな?やっぱり。

「ACCIDENTS」はアクシデントというよりは、心の病やそこに潜む狂気がテーマだったように思いました。
この短期間に出来たにしては、本がよくできている。
…と思ったら、宇野イサムさんが20年近く前に「人間の病」をテーマにして書いたものだとか。
うん、それならわかるわ。

「人は多かれ少なかれ、どこかしら心が病んでいるし狂気を孕んでいる」と私が思っていることは前にもどこかで書いたと思うけど、深い孤独というのは、もうそれ自体が狂気の領域にあるのだと思います。

で、この舞台はオムニバス形式でいくつかの話があるのだけれど、
前述のとおり、私は基本的に特に女性に興味があるのよね。
だから女性の話だけ抜粋して感想を書きます。

まず『侵入者』は面白かったです。
面白かったと言っても、私は笑えるようなものではありませんでした。
なのに、ずっと笑っていたお客さん、あなたはきっと幸せな人なのね?

一人暮らしの部屋で、大泣きしながら睡眠薬を飲む女性。
彼氏に電話をしています。「会いに来て!」
そう言いながら、携帯を水につけ、家電話の線を鋏で切断する。
この意味。返事をさせる余地を与えず、ただひたすら会いに来てくれることに賭けているとしか思えない。
そこで何故笑えるの?
そして、彼女は泣きながら、這うようにして部屋を片付け、涙で汚れた顔を鏡に映して化粧をしかけます。
それは、彼が会いにきたときに散らかった部屋でないように。少しは綺麗な顔でいられるようにと、死ぬ寸前なのに、そのいじらしい女心。
それが可笑しいの?

たしかに滑稽なその情景だけど、人の営みは客観的にみて滑稽なことが多いと思う。
私は自殺しようと思ったことがないけれど、彼女の気持ちが流れてきて、とても痛くて哀しかったです。
彼女はその後、意識が朦朧として強盗犯人を彼氏と間違えてベッドに誘い、心中をしようとしてナイフで刺してしまいます。
うろたえた犯人の彼の心の動きも滑稽な様子でしたが、その人の中にも深い孤独を感じずにはいられませんでした。

ああ、そうだ。
深すぎる孤独は狂気であるけれど、他人からみたら滑稽な狂気なのだろう、きっと。

次に『コウモリ』
これは笑えましたね~!
三角関係ってほんとうのところ、どんな感じ? 経験ないからわからないけど、
こんなふうな女の戦いって、私ならたぶんしないな。
私だったら急に男が馬鹿に見えて、「いちやめた~!」って降りると思うけど、
まあそれはいいとして(笑)
二人の女性の心の中を代弁する脇のみなさんのアクションが面白かったし、心の分身として闘うカンフーの男性二人が超カッコよかった!です。

そして『かくれんぼ』
これも、とても良かった。
誘拐犯の女。
「もういいかい」
逮捕の前。

「見つからないように」そして「見つけて欲しい」が半々でドキドキした子供の頃の思い出…。

どうして、こんなに……そして、あまりに遠くへ来てしまったことか。

命を懸けた、かくれんぼに、彼女の人生への絶望を見ました。
「もういいよ」は、まだだったのに、死に急いだその魂は体から離れ、自由になっていく。
この女性がやぶれた恋は夢はいったいどんなものだったのかしら。
彼女は言います。
「ほんとうの虹を見たことがある?」
虹の先には幸せがあるんですって?
七色のアーチを作る完全な虹を見たのはいつだったろう?

さて、この舞台「ACCIDENTS」を観に行ったのは、彼らが「SUPER MONKEY」の出演者だからです。
ラストシーン。
その本来あるはずだった舞台の稽古をしている彼らの動きが突然に止まり、全員が驚き困惑している瞬間で舞台が暗くなるのです。
とても心痛いラストシーンでした。

で~!
肝心のあっきーですが、「上を向いて歩こう」はとても良かったです。
って、簡単に済ませちゃダメ?(笑)

この歌の歌詞の生まれた背景を想像すると、やはりテレビで歌われたような一般的な歌い方ではなく、今回のような歌い方のほうが本来のものであるような気がしました。
深い哀しみ…いえ、やはり孤独です。
ひとりぼっちの夜。
「幸せ」は雲の上や星の上にあり、悲しみを星と月の影に隠し、
春も夏も秋も、ひとりぼっちの夜。
それでも上を向いて歩こうとするその人は、強いからなのでしょうか。

このあっきーの一人芝居に希望を見た人もいるかもしれないけれど、
この「ACCIDENTS」全体のテーマを感じて観るとき、私はやはり、深い孤独は狂気の領域に近いというふうに観るのです。

その深い孤独の狂気に会ってしまったとき、その狂気に溺れずに、負けまいとして乗り越える、そういった人間こそが、真に強い人間と言えると思います。

『甦る中山岩太:モダニズム』(東京写真美術館)

2009年02月04日 22時07分05秒 | 美術館/博物館/展覧会
まるで絵画を見ているようです。
写真というからには、確かに現存していた物、実在した人々。
何処に光をあて、何処に影を見せるか…それによって物も人も全く独自の世界に生きているかのようです。
そして心のフィルターを通すことで幻想の物語が造り出されているような、そんな作品に触れて、今日はここに来て本当によかったと思いました。

写真のことはよくわかりません。こんなに熱心に写真を見たのも初めてです。
すべてモノクロの彼の写真には、世界や時代を飛び越すものを感じました。
この人の心の海には、タツノオトシゴがいる。
胎児のような姿、あるいはミイラのように乾いたそれは、たぶん雄と雌であろう二匹です。
他には貝や藻しかありません。
彼ら以外に活きたものが見えない海に、ある作品では二匹は漂い、またある作品では抱き合うように重なり合っています。

私はふと思いました。
「この人に会いたい」

でも、この人は既にこの世にはいないのです。
この写真たちを見ている時だけしか会えません。
なんだか涙が出そうになりました。

会いたくなる写真
会いたくなる絵
会いたくなる音楽
会いたくなる言葉

私はそういうのが好きなのかも。

『シャガールとエコール・ド・パリ コレクション』(青山ユニマット美術館)

2009年02月04日 22時04分56秒 | 美術館/博物館/展覧会
シャガールが愛妻ベラを描くとき、それは深い愛に満ち溢れ、大抵の場合、柔らかで優しい花束が添えられているのです。
シャガールは、彼の愛するミューズには、常に美しいものを捧げたいと思っていたのでしょうね。
そして、ベラのいる世界にはいつもその体に、または心に密着するようにシャガール自身が存在しています。

ベラはどんな女性だったのだろう?

「わたしはあなたであり、あなたはわたしである」とベラは言ったといいます。
シャガールの描いた「ダブル・ポートレイト」はその言葉を具現したものですが、重なったひとつの体に二つの顔があり、シャガールは人を見、ベラは花を見て、互いに別方向を見ています。
だけど心はひとつ。
彼女はもしかしたら普通の女性には真似できない、芸術家を受け止める力のある稀有な存在だったのかもしれません。

シャガールが彼女に出会わなければ、これらの愛の作品は生まれなかったことを思えば、その出会いは芸術家にとって、まさに奇跡のような出会いだったといえるでしょうね。
彼女は早くに亡くなってしまったけれど、彼の心ではいつまでも生き続け、二人の愛は永遠に失われることはありません。

この美術館の4階の中央の椅子にひとり座っていると、二人の愛に包み込まれたような心地がしました。


「エコールド・パリ」ではモイーズ・キスリングの「長椅子の裸婦」が印象的でした。顔が良いです。瞳が強く、猫のような女性。
同じ画家の「ダリア」も好きだな。


ところで、今日の文がカタイのは携帯で書いたからです
や~っぱ、PCのキーボードのほうが、だんぜん好きっ