今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

いつかどこかで(41)京都嵐山その2・車折神社

2013年02月27日 02時05分58秒 | いつかどこかで(雑記)

京都で行きたかった場所はもうひとつ。

芸術の神様にお願い事をしたくて、車折(くるまざき)神社へ行って来ました!




この神社は平安末期、天皇に仕えた儒学者清原頼業を祭ってあるそうで、商売、学問の神だとか。
そして境内には芸能神社があり、芸術・芸能にもご利益があるということで、多くの芸能人が訪れることでも有名なのだそうです。

そんなわけで・・・・
ずらりと並ぷのは、東西の有名・無名のたくさんの名前。
あの俳優、あの歌手、あの芸人さんの名前も!

その中で、気にかかる人の名前はあるかな・・・と、つい探してしまうミーハー根性(笑)
そして、思いがけなく見つけたのは、



うん、これは撮っておかなきゃ!!
友達へのお土産ね(笑)

そして参拝



え~、私がここに来たのはですねぇ、ある祈願をするためでして。
それが何かは内緒ですけど。

で、木の札に願いを書いておくと、その札を焚いてくれるというので書いてきました。
ちなみに、その木の札は一本につき100円です。

お賽銭を払ってお守りを買ったところで小銭が500円玉しかなかったので、祈祷料の箱に500円を入れました。
そして、せっかくなので、願いを書くこと5本分(欲張りすぎ?)

その中には、「ロックオペラ モーツァルト 再演祈願!」も書きましたよ!

どうか、ご利益がありますように。


お昼は美味しい湯葉を食べて、午後には東京の我が家へ帰途・・・ではなくて、なんと!次なる場所へ!
旅の終わりは始まりなんだもの~!

ってなことで、
その先のご報告は次回に続く。



 

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いつかどこかで(40)京都嵐山・天龍寺にて~私の最初の物語~

2013年02月27日 01時23分40秒 | いつかどこかで(雑記)

この世界には、ほんとうに、ほんとうに、たくさんの人がいて、たくさんの物語があり、たくさんの本がある。

私には、人生を変えた三冊の本がある。
その一冊目の本が、五歳の時に出合った「りゅうのめのなみだ」という本だ。

いつの頃からか、気がついたら本が好きだった。
けれども、幼稚園の教室で先生に読んでもらい、はじめて泣きたい気持ちになったのがその本だった。
どうして泣きたくなるのかわからなかったが、親に物をねだるのが苦手な私が、生まれて初めて買って欲しいとねだったのもそれだった。

京都に来たのは、「ロックオペラ モーツァルト」にどっぶり浸かったままでは社会復帰できそうになかったから。
千秋楽のあと、真っ直ぐ東京に帰らずにそのまま京都へ一人の旅を続けようと思ったのは、大阪行きを決めた頃なのだから、何ヶ月も前のことだ。
なのに、行き先がなかなか決まらない。
京都には見るべきもの、見る価値のあるものがたくさんありすぎて、どこもかしこも興味深くて迷ってしまう。

なので、自分がいま一番に観たいものや出会いたいものは何で、それは何処に行けばあるのかを調べてみた。

・・・そして、嵐山。

前日まで劇場にいた私は、溢れんばかりの音と光と色に包まれ、そして何よりも人、人、人・・・その喜怒哀楽に包まれながら、煌びやかな夢の世界の中にいた。

うって変わって、嵐山の冬枯れた景色には色がない。
あることにはあるけれど、昨日までの彩り華やかな劇場の世界に比べたら、嵐山の景色全体が、まるで水墨画や枯山水を見るように静かなモノトーンの世界に思える。

お寺の庭園を歩きながら、これが他の季節であったなら、あたり一面の木々はさぞかし美しい色に染まるだろうと、思わず心に描きたくなる。
春にはきっと桜や色とりどりの花々が、夏には青々とした緑が、秋には燃えるような紅葉が、さぞかし色鮮やかに美しく、目にも楽しいに違いない。




けれども、色に乏しい冬の景色も、「これはこれでわるくない」と思う。
この風景の枯れた色彩は、たぶん、全ての到達であり、全ての季節を内包した「始まり」の色なのかもしれない。
ただ、赤い椿の花だけが、やけに目に付いた。
この花は鮮やかで華やかな色をしているというのに、どうしてこんなにも唐突で寂し気に見えるのだろう。

* * * *


そして、ぼくはとうとう辿り着いたんだ。

おーーい、

おーい、りゅう。
ぼくは、君に会いに来たよ。

遠くの、ずっと遠くの里を出て、いくつもの山を越え、谷を越えて、何日も歩き続けて、それはそれは長い時がかかったよ。
だけども、とうとうここに辿り着いた。

おーい、りゅう。
返事をしてくれよ。

ぼくは君がいつも一人ぼっちだと聞いたから、どんなにか寂しいだろうと思ったんだ。
だから、どうしても君と話がしたくて、とてもとても、君に会いたかったんだよ。

おーい、りゅう。
ぼくは、君に会いに来たよ。


   

* * * *

そう。
これが私の、最初の物語。
私のルーツ。

五歳のあの時から、長い、それは長い年月が経ち、私はこの龍に話しかけた。

龍の姿は、思った通りに大きくて力強く、でも、思ったほどには恐くなく、するどく曲がる五本の爪も、細く尖った二本の角も、ふよふよと動いているような長い髭も、牙も、鱗も、何もかも、一つとしておどろおどろしいどころか、寧ろどこもかしこも風雅で美しく、そしてやさしかった。
何よりも印象的なその丸い目は、どことなくユーモラスでもあり、しかし確かに深い知性が感じられる。

それにしても・・・、おかしい。
絵本では、龍のほうが少年の心優しさに胸を打たれて涙の雨を降らすのに、泣いているのは龍ではなくて私のほうだった。

そして、ふと、わかった。

そうか。
五歳の時、あの本・・・「りゅうのめのなみだ」を読んで、幼い私はそのラストに釈然としなかった。
涙の大雨を降らせた龍は、あたり一面を水にしてしまい、少年を溺れさせないために自分の体を黒い船に変えた。
その大きな龍の船に乗った少年は、村の子ども達を乗せてあげるのだ。
私の見た絵本は、黒い船に乗り、子ども達の中で嬉しそうに手を振る少年の絵で終わっていた。


こんなの、だめじゃん。

だって、少年はきっと、りゅうとお友達になりたかったんだよ?
村の子ども達じゃなくて、ほかの誰でもない、あのりゅうと話がしたくて、友達になりたかったはずなのに、りゅうが船になっちゃったら、話もできないし、お友達にもなれないじゃん。

ひどいよ、りゅう。


でも・・・・、今になって、やっとわかった。
あの少年に、本当に必要なものは何なのか。
りゅうは知っていたのだ。


そうだ、この物語に限らず、龍はいつもきっとそうなのだ。
私が出会った龍もそうだった。

龍は私の言葉を聞いて喜んではくれるけど、だからといって、ずっと一緒にいてくれたりはしない。
なぜなら龍と私は住む世界が違う。
違う生き物なのだから。

けれども、その代わりに大切な宝、たくさんの友達をくれるのだ。
同じ人間の友達を。

そして、去ってしまう。


天龍寺の境内を出たあたりで粉雪が降ってきた。
薄墨色に枯れた嵐山の景色一面に、白い粉雪がちらちらと舞い散るさまは、何ともいえない風情があって美しい。
そういえば、あの雲龍図も墨で描かれたものだった。

「墨は色を超越している」のだそうだ。
全てを内包した色。

やはり、冬は到達であり、同時に始まりだ。


私の季節は今、どの辺りだろう。


* * * *


りゅう、ぼくはここに来て良かった。
君に会えて、ほんとうに良かったよ。

また会おう、りゅう。

また、
いつか、どこかで・・・

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「ロックオペラ モーツァルト」2/23ソワレ(ルージュver.)

2013年02月24日 02時41分58秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/02/23 @梅田芸術劇場

ルージュバージョン  モーツァルト役/中川晃教 サリエリ役/山本耕史

大阪に来ています。
私にしては、珍しく遠征。

そういや関西は、なんと!中学の修学旅行以来一度も訪れてなかったのに、この一年間で三度目の大阪入り、
なので、仲良しのおねえさんから、「大阪に男でもできたの?」と聞かれる始末(爆)
あら、びっくり 私ってまだ男が作れそうな女に見えるのか??
見えないな~、我ながら

なんてことは、どーでもよろしい話だけど・・・

ルージュを見たら、「やっぱり私はルージュがいいわ」と思いつつ、でもまた「インディゴが見たい~!」と思い、
インディゴを見れば、「インディゴ最高感動するわ!」と思うが、でもでも!ルージュが愛しくてもう一度ルージュが見たくなる。
すっかりモーツァルト・スパイラルにハマりました。

♪このみちぃ~は~、いつか来たみ~ち~
♪あーあ~、そうだよーお~、

そういや、帝劇で初めて「モーツァルト!」を見たときにも、あっきーヴォルを見たら、ヨッシーヴォルフを見たくなり、
ヨッシーを見れば、やっぱりあっきーが見たくなる・・・というループに陥ったのを思い出したわ。
で、結局私は、あっきーになったけど。

あっきーヴォルフはね、ほとんど自分の見たいもの、やりたいものしか見えてなくて、お母さんの話なんか、ほんと!まったく聞いちゃいないのね。
その様子が無邪気で可愛くて、時々ちょっとデコピンしたくなっちゃうくらい得意げで生意気!(笑)
少しばかり神妙に大人しくしていても、続いてせいぜいが数年のこと。
息が詰まるほどに思いつめた、あの表情!
誰のためでもなく、結局は自分のために自分の音楽を作りたくて、「僕は自由だ!」と爆発的に叫び、外へ飛び出していく。
その真っ直ぐさが、時に自分勝手でもあり、他人を傷つけ、自分を傷つけていくのね。
なんて不器用な生き方なんだろう。

でもこれはもしかしたら、モーツァルトが天才で、この国のこの時代だから余計に珍しい人・・・というか、困った人にも見えるけれど、今の時代の若者だと思えば、わりと普通に見る姿かもしれないな・・・とも、思ったり。

なんとなくね、後世に生きる私たちは、モーツァルトの音楽を「クラシック」と言い、ヴォルフガングはこんなにも長きにわたり愛される素晴らしくも偉大な才能の持ち主なのだと認識しているけれど、彼自身が生きていた時代では、民衆たちはきっと、私たちが今流行のアーティスト達の音楽を聞くのと大して変わりない感覚で彼の音楽をもてはやしたり、逆にけなしたりしていたと思うのよね。
好ましいと思う曲には絶賛するけれど、そうでない方向へ行ってしまえば「あれはもう駄目だ」と批判したり、飽きてしまったり。
宮廷から出てしまえば、つまりは浮世に流れる人気商売で、人気商売となれば民衆の好みに合わなければお金にもならない。
芸術とエンターテイメント、その向かい合うべき相手は違うから両立するのは難しいし。
芸術家は自身と向き合い、エンターテイナーは民衆と向き合うべきだもの。

ふと、生きている間に評価されず、好かれもしなかった、あの貧乏なゴッホの孤独を思い出す。
舞台「炎の人」には、「天才とは、悪意のないエゴイストだ」という名言があったっけ・・・。
彼ら天才達にとっては決して譲れないものがあり、それが何と引き換えにしても絶対である以上、孤独も苦悩もトラブルも、たぶん避けることはきないのでしょうね。
彼らが掴みたいものは、凡人が届かないようなずっと遠くて高い場所にあり、なまじそれに手が届く人だからこそ、現実に手にしたものは次から次へとこぼしてしまう。

人が人生に望むもの、その全てを手に入れることなんて、きっと誰にだってできやしない。
だからこそ思う。

私が一番欲しいものって何だろう・・・。
そして、私が、私だから、手に入れることのできるものって、何だろう。

自分の生きている意味って、はたして死ぬまでにわかるのかしら・・・?
とか。
私も天国に行ったら、会いたい人に会えるかな・・・

なんて思ったら、妙に泣けてきた。

ああ、これも確かに感想ではあるけど、ぜんぜんレポートにはなってない
なんか支離滅裂で、役者さんの話がなくてすみません。

だけど・・・

そういや東京楽を見た時に、サリエリはモーツァルトに、「誰のための」レクイエムを書かせたかったのだろう?と、ふと改めて思い、インディゴのあっきーサリエリには「もしかして、自分(ヴォルフガングではなくて、サリエリ自身のための)レクイエム」を頼んだのではないかと、そんな気がした。
そんな苦悩を見たと思ったのだけど、山本サリエリとは苦悩の中身すらも微妙に違って感じられたんですよね。

この二人、やっぱり交互に見るのが面白いです。
いよいよ明日は千秋楽。
二人のヴォルフガング、二人のサリエリに期待です

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「ロックオペラ モーツァルト」東京千秋楽!

2013年02月18日 00時49分04秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

ブラヴォーーーッ!!

できることなら、舞台に向かって大きな声で叫びたかった!
だって、これぞロックオペラ!
拍手するだけじゃ、立ち上がるだけじゃ、この気持ちを伝えるのに全然足りないわ!

そしてごめんなさい、前言撤回!
この千秋楽に来て、私はインディゴが好き!
大好きになりました!!

「同じように演出しても、違う二人は決して同じ様にはならない」のが前提だから、私たち観客も同じように観たり比べたりすることは無意味だと、心から思いました。
山本耕史さんのヴォルフガングは、本当に素敵で素晴らしくて感動しました!

山本さんは、実を言えば、プレビューの時点ではいくつか気になるところがありました。
それらが今となっては全てが解消されて(・・・って、私の個人的な好みに、ってことで!)、最初に期待していた以上!
たぶん、私がこの舞台で見たいと思った山本ヴォルフの、思った以上の理想を見せてもらったような気がします。

そして開幕当初に、「感動して泣きながら観るような舞台とは違う」と言ったのも撤回です。
一幕目のラスト、それから二幕のレクイエムから最終に向けては涙があふれ、あのエンディングに胸が熱くなりました。
最後にコンスと抱き合い、そっと離れてから彼女を見つめたあの表情!
山本耕史さんのあの時のお顔は、きっといつまでも忘れないと思います。

カーテンコールもあっきーの無茶な機転で、なんと楽しかったこと!
劇場内があれほどに温かく、そしてあれほどに熱く盛り上がった千秋楽に立ち会えて、本当に幸せです!


山本耕史さん、ありがとう!
あっきー、ありがとう!

他のキャストの皆さんも、スタッフの皆さんも、劇場の方々も、連日のように祝杯にお付き合いしてくれた楽しい友人達も、そして、このブログを読みに来てくださったあなたも!、みんなみんな、ありがとうございました!

明日からの一週間は、たぶん地獄の残業続き、ハードな平日になるかと思います。
なので今宵は早めに切り上げますが、この続きはまた別の日に。

大阪に行ける皆さん、また、劇場でお会いしましょう!

では、お互いに良い夢を!

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「ロックオペラ モーツァルト」2/16マチネ/ソワレ(ルージュver.)

2013年02月17日 02時41分28秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/02/16
ルージュバージョン  モーツァルト役/中川晃教 サリエリ役/山本耕史

マチネ〈昼の部〉は三度目の三階席です。
やっぱりオーブの三階席は傾斜がきつくて恐いです。
新国立劇場や東京文化会館などでバレエを観る時は私はいつも三階だし、時には四階席に座ったりもしますが、一度も恐いと思ったことなんかないのに、この劇場の三階席はどうも苦手だわ。
って、チケット代のお安いB席だから仕方ないけれど。
カーテンコールでスタンディングしているお客さんを見ると、ご本人達は平気だから立つのでしょうが、見ているこっちのほうがドキドキしちゃう。
「三階席だけスタオベ禁止」にして欲しいと言ったら、他の人には野暮な提案だと思われるかしら?

それから、オーブは劇場内の室温設定って、他の劇場よりちょっと高くないですか?
冬だからっていつもどおりの厚着していると、暑すぎて汗ばんでしまいます。
そういや去年の夏、こけらおとしの「ウエストサイド・ストーリー」を観に行った時も、猛暑の日だったのに、ここって、トイレの便座に暖房がきかせてあって驚いたのよね。
それってエコロジーからしてもどうかと思う。
もうちょっと適温とか、エコとか、安全とか、考えてくれてもいいと思うけど。

なんて、のっけから劇場の愚痴を言うのもなんだけど。
でも、このご時世、こんな大きな劇場が満員になり、その舞台の中央に立つあっきー(中川晃教さん)の姿を見るのは、ファンとして本当に嬉しいです!


ルージュはプレビューでしか見ていませんでしたから、本公演を観るのは私はこれが初めてです。
インディゴも良いと思ったけれど、やっぱり私はルージュが好き!
あっきーはヴォルフガングに、山本さんはサリエリに、二人とも役にびったりハマっています。

あっきーヴォルフガングは、能天気・・・じゃない(笑)、ほんと、天真爛漫で、可愛いすぎ~!!
山本耕史さんので初めて観た時も、ヴォルフガングは「ビジュアル、すこぶる良好」で、まるで少女マンガから抜け出たみたいに端正でカッコいいと思いましたが、なかなか、どうして! 我らがあっきーだって、キュートですごぉ~くカッコイイです!
レース多用のファッションも良く似合うし、何よりも髪型がナイスだわ!
髪の色も軽くて似合うし、あのヘアスタイルは舞台が終わっても、あのままにしてくれないかしら?
って、あれはカツラだろうけど、いっそそっくりにカットして、ずっとあの髪型にしてくれたら良いのに~!

で、そのキュートなあっきーヴォルフはいかにも末っ子らしく、北村岳子さん演じるお母さんがまた「可愛くってしょうがない!」という様子で、まずこの親子のシーンがすごく良いです。
酒場の歌の時に、その北村さんがはっちゃけているのも楽しい!
お母さんが亡くなる場面なんて、子供のように泣きじゃくったり叫んだりするヴォルフガングにとても胸が痛みます。
私がそう思うからか、心なしか、運命役の鶴見辰吾さんのあっきーを見る目が、無表情な中にも、なんとな~く気の毒気に見えたりして。

それから、あっきーのヴォルフガングで印象的なのは・・・、キスが嬉しそう(笑)
チューするのがあんまり嬉しそうで幸せそうなので、私達あっきーファンは「もうしょうがないな~」って、ニコニコしちゃいますが、秋元才加さんのファンは 大丈夫かしら? 大丈夫よねっ?! ごめんね、お願い、ヴォルフガングはバカな子なので許してね! 
と、ここでなぜ私があやまる(笑)

でね~、その秋元さんのコンスタンツェは期待以上に良くて、あの気の強いところ(もちろん役柄で)なんかも魅力的だし、嫌味がひとつもなくてチャーミング。
歌も周りに混じって遜色ないです。初ミュージカルで大変だったでしょうに、初日までどれだけ頑張って稽古してきたかが伺えます。

そのコンスタンツェのシーンでは、病床に横たわるヴォルフガングを抱きしめる姿に胸を打たれます。
私がルージュで一番感動するのはこの場面かもしれない。
東宝版の「モーツァルト!」では、ヴォルフガングはレクイエムを作りながら最後まで苦しみ、身を削り、まるで音楽に殉じるように一人で逝ってしまう様が、息を飲むほどに緊迫して涙を誘いましたが、この作品ではだいぶ違います。
あっきーのヴォルフガングはベッドに横たわりながらもずっと音楽を追い、音楽の中でこそ、この世で決して届かない光の・・・天国を見出そうとしているんですよね。
そのヴォルフガングを心配し、いたわりながら抱きしめ、その身を愛情深くさすり続けるコンスタンツェ。
この二人の姿はまるで、一枚の宗教画を見るように美しい。

って、ここまで書いたところで今宵は時間切れ。
いいかげんに寝なきゃ!

ああ、そうそう。
この日はソワレ(夜の部)も観ましたが、ルージュの東京楽に、客席のスタオベもいつもより早いタイミング。
何度も繰り返されたカーテンコールに劇場内は大いに賑わいました!
明日の千秋楽がすごく楽しみです!

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「ロックオペラ モーツァルト」2/14マチネ(インディゴver.)

2013年02月15日 01時09分39秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/02/14マチネ
インディゴバージョン モーツァルト役:山本耕史 / サリエリ役:中川晃教

モーツァルトが「フィガロの結婚」をやりたいのは、「普通の人間の心の痛み」を描きたいからだと言う。
もしかすると、この舞台で描きたいのもそこではないかと思ったりもする。

コンスタンツェとアロイジアの二人のナンバーで、「もがきいて(生きて)も、最後には土の中」といった歌詞がある。(正確ではないけれど)
そして、物語のラストに、サリエリは「全ていつかは終わるものだ」といい、ヴォルフガングは「終わりは始まりだ」という。

そう、誰の人生にも必ず終わりが来る。
いつの時代でも、どの様に生きても、誰にでも、「死」というその最終地点は変わらない。
天才であれ、普通の人間であれ。
そうしながら、世の中は繰り返されていく。

だからこそ、私だけの、ただ一度の人生を、私はどの様に生きたら良いのだろうか・・・・。


・・・・なんて、ね。

この舞台に限らず、感想を書く時に、どのようなアプローチで書こうか、自分の中のどんなスイッチを入れて、どんなモードで書こうかと、決めるのは、いつも書き出す瞬間なんですけど。

でもね~、今回の舞台で、私はあんまり小難しいことを考えながら観てたりはしないのよね(笑)
どんな舞台であれ、深く考えようと思えば勝手に深く考えられなくもないし、浅く楽しもうと思えば浅く楽しめるものだけど、この「ロックオペラ モーツァルト」に関して言うと、私はバレエを観る時のように、わりと気楽にぼお~っとしながら楽しんでいます。
それというのも、どうしてもこの舞台って、色々と比べるでしょ?
モーツァルトとサリエリが、それぞれ山本耕史さんと中川晃教さんの二人で交互に演じられる。
それだけでも、「両方観て、どうぞ比べて下さい」と言わんばかりのものだし、観劇ファン、あっきーファンとしては、作品として東宝で上演されたウィーン版「モーツァルト!」を思い出さずにいられなくて、つい比べてしまいますよね。
その他にも、松本幸四郎さんがサリエリを演じた「アマデウス」なども、私はまだ記憶に新しいです。

面白いですね。
同じ人物、同じ人生を題材にしていながら、それぞれの作品によって、それぞれにアプローチが違い、人物像も、描かれる題材も違う。
それぞれの作り手達は、私たち観客に何を見せたいのか・・・つまりは、それなんですけど。

「ロックオペラ モーツァルト」は、東宝の「モーツァルト!」に比べたら、ヴォルフガングの人生の苦悩に関しては、こう言っちゃなんですが、描き方が浅いです。
そして、「アマデウス」に比べたら、サリエリの苦悩を描くに浅い。
「モーツァルト!」と「アマデウス」の中間・・・・と言ってしまうのも正しくないような気もしますが・・・、だから私は、ヴォルフガングとサリエリ、この二人の「どちらでもあり、どちらでもない」、誰しもが共通に持つ「その人だけの」人生を思い、彼も人であり、そして自分もまた人であることを思ったりするんですよねぇ…。
そして、「他と比べること」の無意味さを思ったりもします。

だから、前に書いたように、「お気楽にぼぉ~っと」しながら、ゆるゆるとそう思うんですけど(笑)

ところで!
そんな、ごちゃごちゃした話はともかくとして!!

私はこの舞台を観るごとに、北村岳子さん演じるヴォルフガングのお母さんのアンナ・マリアと、菊地美香さんのナンネールがますます大好きになってきています!
あのお母さんには、まじで「おまえ、なんてバカな子なの!」と言われたい(笑)
酒場のシーンなんか、見てよ、見てよ!
歌って踊るヴォルフガングの後ろで、「息子が可愛くて、自慢で誇らしくて、でも心から心配で!」ってな感じで、そのハラハラしてる様子が本当に愛情深くって、すご~く、すご~く良いんです!
あのお母さんが亡くなってしまって、ほとんど一幕でしか見られないなんて、ほんと悲しくて、ざんね~ん!

で、菊地さんのナンネールはとっても可愛いんだけど、「ヴォルフガング、辛いけれど、頑張るのよ!」〈←正確な台詞でなくてイメージですが〉の場面なんて、なんか凄い体育会系なノリで、思わず私も一緒に檄(げき)を飛ばしたくなったりしてね。
「巨人の星」の姉ちゃんみたい(笑)
歌も、ナンネールの歌はどれも好き!
レオポルトが亡くなるシーンも、コンスとのデュエットも、どれも素敵な曲ばかりで、菊地さんの声はとても耳に気持ち良いです。

あとはですね~、

皇帝陛下の靴が、キラキラで可愛い!
ってか、皇帝陛下丸ごとオモチャみたいで可愛い(笑)
キムラさんセシリアの、「私のタイプじゃないけど」の直後の、「んっ!」の間が、妙にツボに入って毎回笑える!
苦悩ダンサーズの二人には見とれるけれど、同時にサリエリの表情も観たくてつい目が泳ぐ!

ああ、それから!
今日はバレエ好きの友達と一緒に観て、彼女に言われて初めて気がつきましたが、あの斜めに傾いた舞台の上でトウ・シューズで立つのって、すごいことなんですね、やっぱり!

そのダンサーの方達といい、オペラ歌手の北原さんといい、衣装といい、セットといい、色々なものに、私は毎回ただ「ぼぉ~っと気楽に」観ていますけど、改めて、この舞台はエンターテイメントとしてとても贅沢な舞台であるのだなぁと、思いました。

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「ロックオペラ モーツァルト」2/13(インディゴver.)初日&アフタートークショー

2013年02月13日 23時59分36秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/02/13 @シアターオーブ
【演出】フィリップ・マッキンリー
【出演】インディゴバージョン
モーツァルト役:山本耕史 / サリエリ役:中川晃教
秋元才加/菊地美香/AKANE LIV/酒井敏也/コング桑田/湯澤幸一郎/
北村岳子/北原瑠美/上山竜司/栗山絵美/平田小百合/
鶴見辰吾/キムラ緑子/高橋ジョージ/高橋竜太/大野幸人
青山航士/ 田川景一/ 千田真司/ 永野拓也/ 橋田康/ 東山竜彦/ 松之木天辺
明日香/ 香月彩里/ 清家とも子/ 塚越志保/ 丹羽麻由美/ 平井琴望/ 松島蘭/ 松林篤美

インディゴVersionの初日、おめでとうございます

今回の舞台で私のお気に入りの台詞は、ヴォルフガングのママ、北村岳子さんのひと言。

「おまえ、なんてバカな子なのっ!

これね、北村さんは同じ様に言ってますが、インディゴ・山本ヴォルフの時は、
「おまえ、なんて浅はかで、いつまで経っても未熟なの!」
と聞こえるけれど、

ルージュ・あっきーヴォルフには
「あんたって、なんておバカで、いつまで経っても子供なの!」
と聞こえる(笑)
そして、「うんうん、ほんと、ほんと! なんてバカな子なのっ!」と心の中で力強く同意する私(笑)

そんなふうに、たったワンシーンですらも、二人のヴォルフガングの印象は微妙に違っていて面白いです。

日曜日に見たルージュがとても良かったので、今日のインディゴはどうかしら?と思いきや、私はこれはこれで好きだわ。
山本耕史さんの総合力はあなどりがたし! 
一幕の終わりなんか、歌っている時の表情をオペラグラスでまじまじ見ていて、思わず涙ぐんでしまったもの。

そう、
今日はオペラグラスが必要な三階席です。
この舞台のB席って、全部三階なのね。
シアターオーブの三階席は傾斜が激しく、しかも最前列だったので恐いのなんの!
特に高所恐怖症の自覚はありませんが、なんとなく胸のどこかが落ち着かないです。
それに、舞台のほうも、そっちはそっちでセットが八百屋と呼ばれる高い台になっていて、その端っこにヴォルフガングが座ったり、サリエリが後ろ向きに立ったりと、見ていてひやひやもの。
こっちとそっちの両方でドキドキします。
思わず、恋の「つり橋効果」なるものを思い出す(笑)
ああ、この胸のときめきは舞台の上の二人が素敵だから? それともこの三階席の恐怖と緊張のせいかしら?
なんちゃってね~、とってもスリリングでした。

心配していた例の「手すり」は、背の低い私の座高があと5センチほども高かったら良かったのですが、役者さんが前のほうに来ると、背筋のばして姿勢を良くしても、下半身の膝から下は見切れます。
でもまあ、覚悟はしていたので、思ったほどにはイラついたりはしませんでした。
私はこれからあと、二回も三階席ですが、そのうちに慣れるかも。

上から見て良かったのは、アロイジアが登場するシーンでは客席に青い水玉ライトがくるくると照らされるので、舞台から客席までがまるて海の中のように見え、より幻想的に見えたこと。
高い位置のセットの奥や、上のほうにあるオケが丸ごと見えて、全体がよくわかったことです。


さて、アフター・トークですが、
13日はメンバーは、向かって左の椅子から、山本耕史さん、高橋ジョージさん、中川晃教さんの三人でした。
舞台直後ですから、衣装はカテコのままです。
本当はカーテンコールが終わってから二分後には始めたかったそうですが、あっきーのトイレ待ちだったとかで、あっきーがそこを突っ込まれるところからトークショーは始まりました。

今回、司会者はいません。
けれども、三人とも(と、一応そういうことにしておきましょう)お話が上手で楽しいので、特に誰が進行しているとも感じさせずに、自然にトークが進んでいました。

最初に、高橋さんが「毎回ラストではガチで泣く」と仰って、二人のヴォルフガングがそれぞれに違っていることなどを話し、また、「(血液型)A型(の自分)に、なんでB型(の二人の息子)が生まれるんだ!」などと笑わせてくれました。
この舞台はコストをかけて贅沢に出来ているそうですが、それはあの豪華な衣装やセットを見ても想像がつきますよね。
高橋さんは、最初の日からたくさんのお客さんが来てくれて、盛り上げてくれたと感謝の言葉を言ってくださり、「今日で二回目以上の人(手を挙げて!)」と言えば、客席のかなりの数のお客さん達が手を挙げていました。
この舞台、やはりインディゴを見たらルージュも、ルージュを見たらインディゴを見たくなりますから、リピート率も高いのでしょうね。

山本さんは自らを「グレーのテルみたい」
そうそう!私たちも最初に見た時にそう思った!と、頷く私たち。

そして、ほどなく三人は手元の進行の紙を思い出し、それを見て、あっ、そうそう…と、とり出されたのは大きなサイコロです。
そのサイコロには、それぞれの面には何やら「お題」が書かれています。
そう! お昼のあの番組の、あのサイコロと同じです。
あっきーが、「なにがでるかな、なにがでるかな」と転がして出た目には、「演出家のフィリップさんの印象は?」

あっきーは、ひと言でいって「鬼!」
フィリップさん、あっきーには厳しかったそうで、「なんで、俺だけ?」と思ったのだとか。
そうしたら、フィリップさんが、「おまえは(やれば)できる」と言ったそうで、何気に嬉しそうでしたね。
でも、あっきーは「普通にみんなと楽しくやっていたいのに…」と思ったとも言ってましたけど。
高橋さんは高橋さんで、フィリップさんに「滑舌が悪い」と言われたエピソードを披露し、この二人はプレッシャーを与えられていたようでしたが、それに対して、山本耕史さんだけは、「僕は遠くから見ていた」と、ひとり涼し気な顔で言っていたのは対象的でした。

その流れで、高橋さんから、主演の二人は同じB型だけど、違うタイプのB型だという話に。
あっきーは猪突猛進型。とにかく真っ直ぐに進むB型気質。
山本さんは、マイペースで、自分だけのゾーンを持つB型で、「(嫌なことは)おしとやかに断るタイプ」なんですって。

ふふふっ、なんかわかる気がする~!(笑)

なんて、かくいう私もB型ですけど。
でも猪突猛進でもないし、真っ直ぐでもないので、どちらかというと、山本さんのほうのB型気質に近いと思う。
ああ、それで、山本サリエリの屈折の仕方がツボなのかも。


・・・って、珍しくメモを取ったので、苦手なレポートなんか書いていたら、いつの間にか真夜中になってしまったわ!
私ったら、なんて、バカな子なの!!
明日のマチネのために寝なくっちゃ!

なので、インディゴの感想は明日に続く!

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「ロックオペラ モーツァルト」interval(1)

2013年02月11日 14時59分23秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

「ロックオペラ モーツァルト」ルージュ・バージョン、初日おめでとうございます


こんにちは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の感想記をご覧いただきましてありがとうございます。

タイトルに付けました「interval(インターバル)」とは幕間(まくあい)の意味ですが。
つまり、これは舞台内容とは直接関係のない、休憩時間のただのお喋りなので、ご興味の無い方はちゃっちゃとスルーして下さいね。

昨日このブログのアクセス数を見てみたら、いつもの倍ほどもあって吃驚!
それにつけても「ロックオペラ モーツァルト」における世間の注目度がわかろうというものです。
さすが、大きな劇場で、メジャーな出演者さんが何人も出演しているだけあるわ!と関心しました。

この舞台はこれから東京公演の後半から大阪の大千秋楽にかけてと、私にしては回数多く通いますし、珍しく遠征もしますので、できるだけこの「interval」のほうも書いていきたいと思っています。
無駄話ですけど、これはこれで書くのが楽しいので。

肝心の舞台感想のほうはですね~、昔からご覧頂いている方はいい加減に慣れてくださっているものと思いますが、私は観劇にエネルギーを費やすほどに頭がおかしくなりますので(笑)、というか、どこか発狂願望があるようなので(汗)、特に慣れない方はこの私の妙な思い入れとか脱線話が気持ちが悪いと思うかもしれません。
その時は所詮他人の感想なんですから、極力軽く読み流して下さるようにお願いします。
私はむしろ、冷静で客観的な劇評、まともな感想の、その対極を書きたいので(というか、自分のそれを読みたいので)、「痛くてなんぼ」「勘違いしてなんぼ」なんですよね~。

それで、たしか去年の「CHESS in Concert」の時も似たような事を書きましたが、私は中川晃教さんのファンなので、どっぷりとこちら目線で観てますが、だから、まあ、キャストそれぞれのファンの方たちは、勿論それぞれに思うことはあり、多々異論もあるでしょうけど、ここはひとつ、あっきーファンの私へは「相身互い」、もしくは「ご同病」だと思って、ここでは勝手に言わせておいてくださいまし(笑)

まあ、私のほうは、本当は書くよりも読むほうが好きなので、他の方が書く感想は、できるなら山本耕史さんのファンの方達の力のこもった感想が読みたいし、楽しみなんですよね~!
この前の記事にもチラッと書きましたが、この数年は山本耕史さんの舞台も幾つか観てますし、もともと好きなんですもの!
今年は諸事情により、「基本的に(←ここがちょっと弱気だけど)、あっきーの出演する舞台以外は観ない」と決めてしまったので、山本さんのご出演する舞台もどうやらこの舞台だけになりそうです。
でも、それもね~、なんかフラストレーションが溜まりそう(笑)
他にも、好きな人がいっぱいいるんですけどね。
それならば、あっきーが私の好きな役者さん達と毎回共演してくれたら良いんですが、いつもそういうわけにはいきませんものね。
なので、今月はあっきーが山本耕史さんと共演してくれて、一石二鳥でとても嬉しいです。


ところで、こんな暇な話をだらだらと続けているのは、そうなんです、今日はルージュ・バージョンの折角の初日だというのに、私は劇場に行ってません。
人生は選択の連続だ。
何かを選ぶということは、時として何かを諦めるということですものね。
リピートすると、そのうちに中毒症状が出てきて、観ない日はいてもたってもいられなくなるんですが、比較的序盤は軽症だと思ったので、今回はプレビューを勝手に初日と思い込むとして、なるたけ後半のほうに多くチケットを買いました。

で、「プレビューと初日の違いは何ぞや?」ということなんですが。

欧米では、プレビュー公演があるのは一般的らしいんですよね。
日本ではそんなに多くはないですけど。
それで、プレビューで全体を通し、お客さんの反応を見て、改めて脚本を大幅に手直ししたり削ったりすることもあるそうで、時には途中でとめてしまったり、曲を減らしたりすることもあるんだそうです。
そして、初日の幕が開いたらば基本的には演出を変えないのだとか。
なので、プレビューは暫定的なものですから料金も一割から二割とお安いのが普通です。
海外の観劇ファンの中には、そのプレビュー公演を楽しみにしている人達も多いのだそうですよ。

というのは、もちろん、ネットで検索して調べた結果の付け焼刃ですが(笑)
役者さん達や作り手側からすれば、初日と千秋楽は「特別な日」だそうですので、観て欲しいとしたら、本来はプレビューよりも初日なんでしょうけどね・・・・

と、自分で書いて墓穴を掘った(笑)

ああ、今頃はルージュ初日のカテコも終わった頃でしょうか・・・
あのプレビューから、どこか変更したのかしら?
友人たちの報告が楽しみです。


私が次に観るのはインディゴの初日、13日のソワレ。
出演者の皆さん、そして劇場に足を運ぶ私たちも、どうか体調万全で千秋楽までを乗り切れますように。

ミューズのご加護を!

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「ロックオペラ モーツァルト」(ルージュver.)プレビュー公演

2013年02月10日 23時32分04秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

ルージュバージョン  モーツァルト役/中川晃教 サリエリ役/山本耕史


なんてことだ! 同じ舞台なのに、まるで別物だ!
中川晃教、これほどまでに凄かったとは! 
長年ファンをやっていた私でさえ、そう思った。
たぶん、この劇場にいた全てのあっきーファンが胸の中で喝采を叫んだことだろう。
やっぱりあっきーは凄い!
こんな、あっきーが見たかった、聴きたかったのだと!

あっきー(中川)ヴォルフが歌いだすと劇場内の空気が変わる。
その場の全てをかっさらってしまうほどの歌声に、あっきーはヴォルフガングを演じるためにこの世界に降り立ったのではないかと、そんな気さえしてしまう。

そして、私は自分がおかしくなっているのを感じるこんな歌声を聴いて、天才モーツァルトに嵌まりに嵌まった中川晃教を見て、自分が歌や音楽を生業(なりわい)にしているどころか、趣味とさえもしていないというのに、彼には少なからず嫉妬を覚えてしまう。

ファンだというのに・・・・。

天賦の才能とはこういうものか。
それを持って生まれなかった自分の価値を思い、思わず歯噛みし、絶望している自分がいる。
あまりに違いすぎるではないか、と。

話は逸れるようだが、「天才は1%のひらめきと99%の努力だ」と言う。
あっきーの新しいアルバム「POPSSIC」に、「I WILL GIVE U WHAT U WANT」 という曲がある。
これは2005年のアルバム「砂漠」にも入っている曲だ。
これが聞き比べてみると、全く違うのに驚いた。格段に進化している。
8年前にはこの曲は地声で歌われているが、「POPSSIC」では地声だけでなく裏声が巧みにプラスされている。
おそらく、これがミックスボイスというのだろう。
ハイトーン・ボイスのあっきーだからこその為せる技。
地声と裏声の境目がほとんどないような、それどころか、時としてその二つの声を混ぜ合わせ、フレーズごとに絶妙なバランスで聴かせる高音は誰にも真似できないだろうと思わずにいられない。

やはり、ただの天賦の才だけでここまで来たのではないのだ。
あっきーがここまで来たのは、これほどまでの歌が歌えるのは、ひたすらの精進、弛まぬ努力によるのだろうと理解する。

・・・・・・だから・・・

この際、たとえ全国の山本耕史ファンを敵にまわしてしまっても、私は書かずにいられない。

山本耕史さん、どうか、あっきーヴォルフにリアルに嫉妬してみてください。
私はここ何年か、山本さんの舞台は何度か観ています。
ヘドウィグもドリアンも、The Last Five Yearsもゴッドスペルも、テンペストも、私、観ました。
どれも良かった。素晴らしかったです。
あなたには才能と実力があり、容姿は麗しく、数々の良い作品に恵まれて、人気も名声もある。
まったく申し分がありません。

だからこそ。
あっきーのヴォルフガングに本気で嫉妬してください。
そうしたら、もしかして、私は山本サリエリを愛してしまうかもしれない。
おそらくは、私が感情移入して、心重ねるとするとならば、あなたのサリエリのほうだと思うから。
大人の余裕を装うその胸の奥底で、キリキリと嫉妬しながら絶望に喘ぎ、ナイフを自分の胸につきつける、そんな山本サリエリには堪らなく惹きつけられるだろうと思うから。


ああ、なんて勿体ない!
この舞台、もっとサリエリの場面を増やすべきだと思う。
なんとかして、ヴォルフガングとサリエリ同量にして欲しかった。
そして、できるならば、ルージュ一色でいい。今の私には。

あっきーのヴォルフガングをもっと聴きたい、ずっと観ていたい!
同時に、山本サリエリの心を見詰めたい。

そういうわけで、二つのプレビューを観たところ、圧倒的に私はルージュ派だけど。
これが、日々の進化で気持ちが変化することもあるのだろうか。

買ったチケットは、二つのバージョンで同じ枚数。
ルージュが好みであるのはわかったから、いっそ今後のインディゴに大きく期待しよう。

それにしても・・・

まったく、なんてことだ。
これがブレビュー公演だったなんて!

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「ロックオペラ モーツァルト」(インディゴver.)プレビュー公演

2013年02月09日 23時20分06秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

インディゴバージョン モーツァルト役/山本耕史 サリエリ役/中川晃教

いよいよ幕が開きました!「ロックオペラ モーツァルト」!

だけど、眠いんです。 って、舞台のことじゃなくて、今現在の私が
なので、箇条書きに。


とにかく衣装が豪華、どのシーンも衣装に見応えあり。セットもね。
お金かかってそう。
山本耕史さんのヘアスタイル、フライヤーよりもずっと素敵! ビジュアル、すこぶる良好!
で、その山本ヴォルフは、今まで私が見た山本さんの中で一番若い感じ。
と言ったら、「そりゃ~、モーツァルトだからね」と友達が言った。
うん、でもモーツァルトのわりには知性が感じられるのは、山本さんだから?

あっきーのヘアスタイルはブラック・ジャックを思い出す。
その髪、好きだわ(と、レミゼのエポニーヌ風で言ってみる)
んで、ルージュバージョン、あっきーヴォルフのヘアスタイルはどんなの? 明日が楽しみ。
ってか、やっぱ、歌でしょ!
明日の歌が楽しみ!

芝居のほうは、最近のあっきーでは・・えーと、なんだっけ? 
そうそう、武士の尾の時にも、こんな感じの芝居してたよね?発声の仕方とか。
だから何?と言われても困るけど。

やっぱ、あっきーファンとしては、ルージュかも?
天才モーツァルトだもん。
とか思った幕間の休憩時間。
けれども、二部になったら中川サリエリ、良いじゃん!歌が。 
なんて、そうか、一部じゃサリエリって歌わなかったっけ?

ん~、喉の温存は良いけど、口の中のアレは・・・

いや~、それにしても衣装が豪華。

大野幸人さんのダンス、もっと見たい!
菊地美香さんの歌を聴くとなぜか安心するわ。
なんていうと、いろいろ誤解を招くかしら? 
別に含むところはありません。
鶴見辰吾さん、なんか勿体なくないですか?
ダンサーさんがグラマーなのは欧米風?
キムラ緑子さんセシリアが「おばさん」と言われるのに、胸がチクっ!と痛むのは私だけ?
秋元さん、思ったより良かったけど、コンスはごく普通の若い女性で、悪妻じゃなくて良い奥さんだった。
つまり、そういう演出なのね?

感動でダダ泣き~!・・・なんて、ないよなぁ、・・・今のところ。
そういう作品とは違うのね。
え~、でもこの舞台、文句なんかないわよ!
だって何度も観るんだよ?
文句言ってたら勿体ない。
という、どうも貧乏性の私。
っつーか、
遊び歩いてる場合じゃないだろ、一体どういうつもりなんだ?
と、人から言われ。

どーいうつもりも何も、
そーいうつもりなの。

まあ、何であれ、
舞台の上にあっきーがいればいいから、私は。
それで良いのか、って?  
うん、まあそーいうことなのね。

ああ、明日が楽しみ!

もう寝る! 

結局、ろくな事書かなくてごめん。
って、誰に?

もう少しマシな感想は、スイッチ入ってから。
まだスイッチ入りません。

これから、これから。


では、おやすみなさい。

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「エリック~オペラ座の怪人~」1/27千秋楽

2013年02月02日 01時54分20秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

2013/01/27 @シアター・ジョウ
人形劇俳優たいらじょうの世界 初演ウィーク千秋楽
「エリック~オペラ座の怪人~」

【原作】ガストン・ルルー
【脚本・演出・美術・人形操演】たいらじょう
【主な登場人物】 エリック・ガルニエ(オペラ座の怪人)/クリスティーヌ・ダーエ/ラウル・ド・シャニー子爵/ダロガ(ペルシャ人)
ドビエンヌ(オペラ座の旧支配人)/ポリニー(オペラ座の旧支配人)/アルマン・モンシャルマン(オペラ座の新支配人)/カルロッタ(オペラ座のスター歌手)/マダム・ジリー(オペラ座の客席案内人)/ソレリ(プリマバレリーナ)/ジャンム(バレリーナ)/メグ・ジリー(バレリーナ)
ヴァレリウス(クリスティーヌの義母)
見世物小屋の人々…客引き係、占い師のディルダ、奇術師のアンドレ、ゴム男のダフル、音楽家のジェームス、腹話術師のリリアン
ペルシャの王様、召使い、街の女たち、仮面舞踏会に来た女性客  ほか


「私は幼いときから、仮面をつけて生きてきた・・・。」

この台詞には、何がしかドキッとさせられるものがあります。

これは生まれながらに容姿に強い・・・と言うにはあまりにも強烈なコンプレックスを抱き、それゆえに深い悲しみや葛藤、孤独、そして狂気にまで至る人間の、「人生の告白」ともいえる物語でした。

この前にも書きましたが、オペラ座の怪人は子供の頃からオペラ座に住み着いていたわけではなかったんですね。
エリックは生まれながらに骸骨のような醜い顔で生まれ、素顔を他人に見せられぬ、どこにも居場所のない子供でした。
この子は歌が上手で、歌を歌っている時だけが唯一心が慰められ、寂しさや悲しみを忘れられる時間でした。

ああ、仮面をつけているのはなんて息苦しい。
自分も素顔でいられたら、どれほどに楽なことか。
それに、自分にも居場所があれば・・・。

そして、エリックは見世物小屋に行き、自分も仲間に入れてほしいと頼みます。



エリックの寂しい姿には、思わず胸が痛みます。
抱きしめたい。

でも、エリック君、歌が上手なだけではなくて、実はとても賢くて器用な子供です。
もし彼の容姿が人並みであったなら、彼の人生は人並み以上に輝かしいものであったに違いありません。
けれども、その賢さが仇(あだ)となってしまいます。
見世物小屋の先輩達、奇術師や腹話術師たちから教わった芸をすぐに覚え、彼ら以上に上達してしまうことから、そのうちに疎まれてしまいます。
見世物小屋でも居場所がなくなったエリックは、建築学を極めます。
ペルシャの王様からお城の建築を頼まれたエリックは、隠し通路や秘密の小部屋を備えた立派なお城を設計したものの、そこでも王の内情を知りすぎたばかりに疎まれ、命までもを奪われそうになり、居場所を追われてしまいます。
そして、パリに辿り着いたのでした。

このエリックの幼少時代の話は原作(小説)の終盤のごくわずか、数ページにのみ語られている、とても短いエピソードなのですが、そこを平(たいら)さんは舞台の前半で丁寧に見せてくれました。
それはやはり、たいらさん自身が小学生の頃、はじめて「オペラ座の怪人」を観た時に、「キャラクターの生い立ちに多くの疑問と興味を抱いた」からで、その生い立ちを描かずにはいられなかったからなんでしょうね。
私も、前々からエリックがどのように大人になったのか興味があったので、この劇を観て改めて彼の孤独、寂しさが深く伝わったような気がしました。

そして、パリに辿り着いてからが、有名なパリの「オペラ座の怪人」の話となり、エリックは運命の女性、クリスティーヌと出会うわけです。
そのお話はミュージカルの「オペラ座の怪人」や「ファントム」とだいたい同じですが、父親であるキャリエールは登場しません。
「ファントム」ではエリックとキャリエールの関係が物語の謎でもあり、重要な鍵となっていて、それがまたラストの救いでもありましたが、どうやら原作にはないみたいなんですよね。
今、原作を買って少しずつページをめくっているんですが、どうもエリックの父親は原作に登場する様子がありません。
それと、あと、もちろんですが、宝塚版のように、キラキラの従者が十数人もいてエリックのそばにはべっていたりもしません(笑)
なので、エリックの人生はもっとずっと孤独で、たったひとりで密やかに幕を閉じることになります。

その顛末は、5月に再演するそうなので、ご興味のある方には是非とも実際に観てもらいたい!
あまり感想を書きすぎてネタバレしたくないのですが、ほぼ原作に近いのだそうです。

で、原作に近いといっても、た
いらさんはこの物語で二つの場面を彼独自の脚色として付け加えていました。
私はその場面がとても好きなので、ネタバレしたくないと言いつつ、やっぱり我慢できずにその一つを書いてしまいますので(笑)、ネタバレが嫌な方は、以下にご注意を。


その一つとは、クリスティーヌの義母・ウ゜ァレリウスの台詞。
エリックを「音楽の天使」と信じていたクリスティーヌは、彼にラウルのことを話してしまい、ラウルに激しく嫉妬したエリックは言葉を失ってしまいます。
その時、どうして天使が黙ってしまったのかと、不安に思うクリスティーヌに、ヴァレリウスが言うのですね、
「天使さんだって、きっと焼きもちを焼くのよ。天使さんの心を惑わしては可哀想だわ」と。
天使にも心はあるのだと。

これは、裏を返せば、骸骨のような醜い怪物にも心はある。心あるものを惑わしては可哀想、とも私には聞こえます。
なんだか、そのやさしさには、不思議とこの私自身も慰められているような気がするのはどういうことか・・・。

どうもね、天使はともかくとして、どういうわけだか、私は酷く醜い者、化け物、異形の者、人外のものなどには、つい心を寄せてしまい、同化したがる癖があるんですよね。
なので、このヴァレリウスのシーンにはウルウルとしました。
そして、その義母の言葉を素直に受け止めたクリスティーヌは、最後まで、彼にも心があることを忘れない、やさしい女性でした。
それは、彼の辛い人生の、唯一の
救いだったと思います。

って、ああ、なんか書き足りない(笑)
でも、私って、今年は「気楽に、さらっと書く」とか言ってませんでしたっけ?(笑)
あ、ちょっと違うか、「気軽に、短めに書く」って言ったんだった。

う~ん、こんな舞台を観ておいて、そんなのって難しい

だけど、これから先、この「エリック」が全国各地を周ることを思うと、なるべくなら沢山の人にこの舞台から受ける「初めての感動」を体験してもらいたいとも思うので、これ以上はネタバレせずに、続きは再演までに残しておくことにいたします。
なにせ、この初演ウィークは、たいらさんの持つ小さな劇場「シアタージョー」で、たったの五日間でしたから、初演に立ち会った観客は延べにしても200人は至らなかったと思うんですよね。
キャパが小さくて、一公演で35人位しから観られませんから。
だから、これからなんだと思います。

人形劇俳優 たいらじょうの「エリック」は、この先、もっと練り上げられて、もっと感動的に、もっと沢山の人々に愛されるはずです。

と、勝手に断言しちゃう(笑)

なので、感想を書く機会もまた何度かあるでしょうから、書くことを残しておかなくちゃね(笑)

まあだけど、そのシアタージョーは狭いだけに、その空間で観ると凄い迫力! そして濃密でした!
なんといっても、人形の表情が胸に迫ります。

もちろん、人形ですから表情は動きません。
この人形劇は、観客がそれぞれの心により表情をつけて完成されます。
エリックの顔を見るということは、エリックの心を見て、たいらじょうさんの心を見、、そして、自分自身の心を見つめることなのだと思います。

そんなわけで・・・

終演後のお人形撮影会で撮った、↓この一枚の写真、大人のエリック君なんですが。



この、どアップ。会場はもっと明るかったのですが、わざと明るさを絞って写したら、かなり素敵で、たいらさんにお見せしたら、たいらさんは「ああ、イケメン!!」と喜んでくださいました。
骸骨のような醜い顔・・・ではなくて、イケメン・・・ええ、ほんとうにねっ!!
私は、このエリック君が、なんだか嬉しそうに微笑んで見えるのですが、いかがでしょう?
舞台中は苦しそうだったり、悲しそうだったエリック君ですが、この時ばかりは表情が明るく見えました。
きっと、この時、エリック君も、たいらじょうさんも、そして私も、みんなが嬉しかったからなんでしょうね。


そうそう、話が長くなったついでの余談ですが。
私、この日は初めて、初対面の方から「おおるりさんですか?」と聞かれました!
実はいつもは別のニックネームで呼ばれてますので、なんかすごく照れたりして(笑)
でもって、「たしか、あっきーさんがお好きなんですよね?」なんて、改めてそう言われてみると、さらに気恥ずかしい~!
シアター・ジョーに来て、「次はモーツァルトで会いましょう!」なんて言葉を言う事になるとは思いもしませんでしたが、これもまた、とても嬉しかったです!

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