2013/06/16 @オーチャードホール
オープニング、
真っ暗な劇場の中、待っていたギターの音が鳴ると同時に、突然ステージの中央に押尾コータローさんの姿が見えたその瞬間、思わず私は「カッコいい~っ!」と声をもらしていました!
だって、そこに、「カッコいいの塊」があったから。
ステージの上には、これといった舞台セットもなく、サポートメンバーもなく、ただ中央にギターを抱えた押尾さんの姿がひとりだけ。
あのオーチャードの広い舞台の上に、ただそれだけなのに、なんて素敵で、なんて豊かで、そして、な~んてカッコ良かったのだろう!!
ひとりなのに、ポツンとした寂しげな雰囲気なんかまるでなく、まったく殺風景にも感じられず、それどころか、時に楽しく賑やかで暖かく、きらびやかで美しいステージに見えたのは、つまり押尾さんのギターが豊かだったから。
そして、押尾コータローさんのステージは常に観客と一緒で、それを客席の私たちにも感じさせてくれるから。
何曲目のことだっけかな? はっきりとは覚えていないけれど、いつしか私は「死神の精度」という舞台を思い出していました。
さあ、これからいつもの脱線話が始まりますが(笑)
「死神の精度」というのは、2009年の8月に観た舞台ですが、押尾さんの音楽を聴きながら、その演劇で香川照之さんが演じた、千葉と名乗る男を私は思い出していました。
彼は、ミュージックが好きなんです。
なぜならば、ミュージックは、人のつくるもので一番美しいからだと彼は言います。
深夜のCDショップで、ヘッドフォンを耳に当てたその横顔を見ながら、あの時に私はなんだか無性に哀しくなって、彼には「自分の人生の中で人に見た美しいものを、ほんの少しだけでも分けてあげたい」 と思ったことを思い出しました。
なので、千葉さんには押尾コータローさんの奏でるこのミュージックをせひ聴かせてあげたい。
今、千葉さんが私のすぐ傍にいてくれても構わないから、一緒に聴いてもらえたら嬉しい。
この美しさは、人の美しさだから。 そう思いました。
以上、脱線話終わり
あ~、良かった、今回はわりと短かった(笑)
検索して来られた押尾さんのファンの方には、何がなにやら意味不明かもしれませんが、しょうがないのね、これが今回一番書き留めておきたかった感想だったりするので。
ところで、この日のスペシャルゲストには驚き!!
なんと! 工藤静香さんよ!
工藤静香さん、なんでしょうね~? あのオーラは。
こう言っちゃなんですが、どこがどうと特筆すべきところも見当たらないのに(って、おい!) むちゃくちゃ「グレードの高い素敵女性のオーラ」がありました。
押尾さんは、「お会いすると、僕のおなかの辺りばかり(つまりギターの場所)を見ている」とか、その目線が「まるでギター小僧のよう」とか言ってましたが、工藤さんもやっぱり押尾さんのギター・テクニックに目が釘付けなんですって。
彼女は「時の過ゆくままに」と「黄砂に吹かれて」の二曲を歌ってくれましたが、懐かしくて相変わらずに素敵でした。
この日は私も押尾さんの指先を見たくてオペラグラスを持っていきましたが、この時ばかりは工藤静香さんの姿をまじまじ見ちゃったわ。
そう、オペラグラスを持っていったのは、三階席だったからなんだけど。
それが、三階の一番奥の席だったのね。
でも押尾さんは始まってすぐに「三階席にも届けます!」と言ってくださって、本当にしっかりと届けてもらったのが嬉しかったです。
マイクレスの演奏も、しっかりと耳にも心にも届いて胸が熱くなりました。
ラストは、東北への思いも込めての「ナユタ」。
この曲は、当初はたった15秒のコマーシャルに作った曲だそうですが、そのメロディーが膨らんで、その後押尾さん自ら遠野へ旅をして、そこで見てきた美しい景色などを思い描いて出来上がった曲なのだそうです。
「ナユタ」を聴いていると、その押尾さんの胸の中にある美しい景色、人への美しい想いがそのままに流れてくるようで、心から感動した私は思わず遠野に旅をしたくなりました。
今回もまた、コール&レスポンス、客席のウェーブ、タオル振りもすごく楽しくて盛り上がったし、三階席にいても期待以上に充分良かったですが、できれば次こそは一階席を狙い、コンサートグッズのタオルも購入のうえで、ぜひともまた、「カッコいいの塊」に会いに行きたいと思います。
こんばんは、おおるりです。
いつもの方も、初めましての方も、私の感想記をご覧いただきましてありがとうございます。
日曜日に、押尾コータローさんのライブがあって、とても素敵で楽しかったので、できればその感想を書きたいと思ってはいるんだけど、今日はへとへとに疲れているので無理みたい。
ならば早く寝ろよ!って感じだけど、なんとなく脱力の中で何か独り言を言いたい気分。
なんだかねぇ・・・
最近、というか、もうずっと長いこと、生きているのがしんどくて。
といっても、だから途中でやめるつもりはないんだけど。
みんなもそうかもしれないけれど、いろんなことがあるよね、まあ次々と、ほんとうに。
その「いろんなこと」の、ストレスだか疲れだかで、ここ一ヶ月は耳鳴りがするようになって、鼓膜には異常がないそうだけど、薬を飲んでもいっこうに効いてくれない。
「頭に問題があったら大変だから、耳鼻科じゃなくて、もっと大きい病院へ行ってきなさいよ」なんて、母は言うけれど、どうなんだかなぁ、もともと頭はおかしい人だし(笑) って、笑っている場合じゃないか。
それで、この耳鳴りが始まって以来、私には静寂がない。
『この一枚のCDからは、静寂の音が聞こえる』
というのは、ずっと前から書こうと思っていた、あっきー(中川晃教さん)のアルバム「POPSSIC」の感想記の冒頭にしようと決めていた一行だけど、私にはもう、それが聞こえない。
思えば、世の中に、「まったく音がしない」という状態はありえない。
家の中にいれば、エアコンだの冷蔵庫だの、時計の針やパソコンだのと、あらゆる機械音が何かしらなり続けているし(難聴ではないので、それは今の私でも聞こえる)、外に出れば、車の音、風の音、草や木の揺れる音がし、もし超人的な聴覚があれば、鳥や蝶の羽ばたく音やら、虫のうごめきやら、花の開く音までもが聞こえるかもしれない。
それより何より、自分自身の心臓の音、呼吸はもちろん、血液の流れにも、きっと音はあるに違いない。
すると、「静寂」とは、どのような状態なのか。
「POPSSIC」が収録されたあの時、ホールにはたくさんの人がいた。
その人たちのそれぞれに、胸の鼓動があり、血は流れ、息を吸い、または吐きだし、それらの音はたぶん消せることはできない。
けれども、開演前にはあれほど騒々しくお喋りをしていた観客達が、一斉に固唾を呑んで作り出した、あの静寂。
あれは、あっきーの歌を、それを支える演奏を、一瞬たりとも聞き逃すまいと作り上げた、、「POPSSIC」にあった特別な空気・・・それは人の為した、まさに「静寂の音」だったのだろうと、私は思う。
その静寂を、その意味を、あのステージの上にいた彼らは感じていただろうか・・・
ああ、耳鳴りが、する。
この耳障りな音に、終わりが来るとしたら、それはいったい何時のことだろう。
たぶん、その時間が来れば、私はこの慢性的な疲れから、たとえひとときでも開放されるに違いない。
静寂の音が、聞きたい。
前の記事を出したり引っ込めたりして、ごめんなさい。
別にどこかからクレームが来たとか、そういうんじゃないんですけど、ちょっと書き散らかしちゃった感がありありなので、一応指差し確認が必要なのかと思って。
で、ファンの皆さんならとっくにご存知のセットリストですが、私の備忘録として載せておきます。
【セットリスト】
1. Light my way
2. Stay
3. マイソング
4. WHAT ARE YOU AFRAID OF
5. Catch Fire
6. ブルースカイ
7. 春
8. 何故愛せないの?(ミュージカル「モーツァルト!」から)
9. 影を逃がれて(ミュージカル「モーツァルト!」から)
10. No.5
11. So sorry
12. フタツ、ヒトツ Futa-tu,Hito-tu
13. 音楽が消えることのないDANCE FLOOR
14. CHINA GIRL
15. BRAND
16. マタドール
17. JUST CALL MY NAME
18. Miracle of Love
(En.)
1. White Shiny Street
2. I WILL GET YOUR KISS
別に、だらだらと細切れに書くのが癖になったわけじゃないんですけど
夜に帰ってくると、ほとんど余力がなくて……。
なので、どうしても少しずつになっちやうのね。
先日は、「CHINA GIRL」がエキサイティングだったと書いたけど、それに於いては「No.5」(運命)もまた凄かった!
「No.5」は言わずと知れた、去年の暮れに発売されたアルバム「POPSSIC」に入っている曲ですけど、「POPSSIC」(ポップシック)とは、ポップスとクラシックを合わせた、あっきーの造語です。
けれども、このコンサートの「No.5」は、まるで「ROCKSSIC」(ロックシック)。
このステージでクラシックの「運命」に融合されたのは、ポップスというよりは、衝動的かつ爆発的な、まるでロックのような、激しい魂の破壊力でした。
特に、今までになくドラムが加わったことが、殊更に大きな変化をもたらしたかもしれません。
本当に、あっきーの歌は凄まじかったです!
ドラムも、ギターも、ベースも、そしてピアノも!エキサイティングで、興奮しました!
まさかこの曲がこのように進化するとは、唖然、呆然。
激しいにも程がある!
あの小柄な体の中に、そしていつものあっきーの、その優しげな表情の奥に、これほどまでの激情が隠されているとは、いったい誰が想像できるでしょうか。
「我を忘れる」という言葉がありますが、私があっきーに連れて行って欲しかったのは、もしかすると、この領域だったのかもしれません。
ただ、ひたすらに、息を飲む思いで引き込まれたこの曲は、歌というよりは、一曲で、まさに「中川劇場」とも言うべき、「劇場の世界」でした。
それにしても、なんという、午前五時の世界!
夜明け前、確かに存在していた「あなた」とは、一体どのような存在なのか。
それは「全ての始まり」と、彼は言う。
誰もいない壁に映る者の正体は、この歌の主人公自身のようでもあり、けれども別の「何か」なのだろう。
オカルティックとも思える幻の影…その「あなた」の存在、そして「夜明け」を待つ孤独とは、どれほどのものなのか…
この先に起こる「何か」を予感させる、緊迫感。
何かが起こる、
何かが始まる…
全く!
思い出すだけでも、くらくらして眩暈がしそうだわ(笑)
……ああ、また一曲しか書けなかったじゃないの!!
…… …
もう、寝るわ!
そんなこんなで、(どんなこんなで??)
「I Sing」の一日目と二日目、どこがどういう風に、私にとって(他の人は知りません)「全然違った」のか、ずっと考えていたのだけど、どちらのステージも、たくさんの人が感動したには違いないのだから、それを書くのって、すごく野暮な気がしてきた。
それに、もしかして、これは今、録音したものを聴いたならば、私が思ったほどにはそんなに違わないのかもしれないな。
今たしかに記憶に残っているのと言えば、「CHINA GIRL」で、あっきーは、あのジルジャンのチャイナ・ゴング(銅鑼)を「二日目のほうが沢山叩いてたよね?」とか、それくらいだったりしてね。
それにしても、あの曲は、とてもエキサイティングだった! 今まで何度か、色々なアレンジで聴いてきた曲だけど、この日の「CHINA GIRL」は、銅鑼の音が響くごとに、一拍ずつ、血わき肉踊り、あっきーの歌声にも演奏も、ますますと、クライマックスへと疾走していくような興奮があったっけ……。
そう、あの曲もそうだけど、この日のあっきーの歌、ステージには、友達も言うように、「何かが降りていた」と私も思いました。
そして、どうして降りたのかというと、たぶん……開いたから。
それは、ほんの紙一重のことなのだろう。
歌唱力とか、心を込めて歌うとか、テクニックとか、そういう次元じゃなくて。
開いた先の、ギリギリにある一線を超えたかどうかの、この、違い。
…なんて、
こんな話は、前に書いた映画「ライフオブパイ」の、あの感想の続きみたいな話になるのよね。
つまり、「アナタハ、カミヲ、シンジマスカ?」みたいな話でね(笑)
客観も主観も、現実も真実も、どれも、極めて個人的なものであると思うのよ。
だから、私の感想なんて、所詮他人のそれなんだから、かる~く聞き流して欲しいです(笑)
あ、そうそう。
前の、「一日目の感想」で、「あっきーが銅鑼を叩いたあと、マレット(ばち)を思いっきり放り投げ捨てた」と書いたので、二日目に行った友達がそのシーンを期待していたという(笑)
でも、二日目は投げ捨てなかったです。
ほぼ最後まで握って、叩き続けてましたものね。
いやいや、打楽器のバチなんざ、もともと叩くものだし、手が滑ってすっ飛ばすこともあるしで、放り投げたからって簡単に壊れたりしないしで、べつにいいんですけどね(笑)
……あらま、もうこんな時間?
まだ「CHINA GIRL」の話しかしてないけれど、はたして、この感想は(だらだと)続くのか??
タイトルは、一応「その1」にしておこう。
夕べ、二日目の感想を書くと宣言しておきながら、まだ書いてませんが
今日はずっと考えていたんですよね、
このコンサート、一日目と二日目、私にとって、どこがそんなに違ってみえたのかと……
えっと、今回のステージとなった、シアターコクーンって、キャパは700人くらい?
もう少し入るかな?、740だっけかな。
まあ、仮に1000としてね、その1000人のうち、たとえ999人が大満足して、もの凄く感動していたとしても、私一人がそうでなかったら意味ないのよね。
なにせ私の世界の中心は、私なんだもの(笑)
それで、コンサートの一日目が終わった後の、友人たちとの飲み会で、みんながみんな、「凄くよかった!」「あっきー、カッコよかった!」「好きな曲が聴けて嬉しかった!」と、満足そうにしているのに、ついつい「へぇ~、そ~なんだ?」とか、「そうかなぁ~…」なんて、一人テンションが低くて、みんなに迷惑かけてたかもしれない。
けれども、私は私で、「こんなにも皆が満足して、盛り上がっているのに、いまひとつ物足りないと思う私はもう終わっているのかもしれない」とか、自分がとても残念な人に思ったのね。
あっきーのファンでいることは止めないと思うけど、こうまでして自分の感性が鈍りきっているんじゃ、猫に小判。
こんなふうに出歩いたりするのはもうやめて、この際、FCもやめちゃって、しばらくは大人しく引っ込んでいようかなぁ~…
ああ…、いっそ、引きこもりになりたい…
などと思ったり
まあ、そんな鬱々とした気持ちが反映されちゃった、先日の感想は、もう今となっては営業妨害にもならないと思うので、いっそ記念のために、もう一度載せておきます。
なので、これは一日目の感想で、既に目にしている方はご存知のように、「なんだかなぁ~」な、感想ですので、あしからず
これがね、その後の二日目の感想はガラッと違うんだな~。
でも、それは後ほど。
* * * *
2013/05/31
コンサートの後半、
「CHINA GIRL」で。
ステージよりもずっと高い位置。
天井に浮かび上がった丸いものは……月?…でもなく、なんの目玉?
と、思ったら!
へぇ~っ、ジルジャンのゴング(銅鑼)って、初めて目にしたわ!
立ち上がり良くて、わりと華やかな音なのね?
それにしても、ずいぶんと思いっきり!乱暴に投げ捨ててくれたわよね~、マレット(ばち)を。
あれは、あっきーファン友たちが言うには、「カッコつけたんでしょ?」な、演出らしい。
あ、そうなの?
私には、よくわかんないけど。
…と、妙なところが気になる私。
それにしても、あっきーが「僕のスタンダード」を歌うっていうから、いろいろと予想はしてたけど、そのファンの予想を裏切るのも「中川晃教の定番」であるからして、「きっと意外な曲が混じっているに違いない!」と深読みしていたら、案外と本当にスタンダード。
今まで聞き続けてきた、あの曲、この曲。
その時々のシーンで、それぞれに違うアレンジがあり、その都度に魂を持っていかれて、「いったいどこに連れて行かれるの?」と、わくわくする思いで聴いたっけ。
それを思うと、今回のコンサートでは、奇をてらうことがなく、そういったドキドキ感もあまりないけど、これまでの総集編(集大成?)のようでもあり、新しいファンには自己紹介になり、長年のファンには思い出起こしにもなりで、あっきーの歌の上手さ、歌唱力の凄さを、改めて感じさせられるコンサート。
それにしても(ん?この台詞は、二回目?)、あっきーは、こうして前からの曲を聴いてみると、ちょっと声質が変わったかも?
毎月のように、何だかんだと聴き続けているから気がつかなかった、というか、気にしたことはなかったけど。
きっと、あっきー自身も変わったに違いない。
十代後半、二十代、そして三十代に入って。
けれども、このスタンダードの曲は、ずっと歌い続けていくのだろう。
ここに、比較的新しい曲、「春」が加わったのが嬉しい。
友達は皆、「好きな曲がたくさん聴けて嬉しかった」と言うけれど、
それはそうなんだけど……
私はやっぱり、今の、一番新しいあっきーが好き。
と、言っておく。
いつでも、一番新しいあっきーの曲が、一番好きな曲と思っていたいな、まだ今のうちは。
明日(って、もう今日か)も行きます。
げげぇ~~っ!
って、いきなりですが
みなさん、日曜日だっていうのに、いったい何時に起きてた(又は、寝た)んですかぁ~
でもって、ご、ご、ごめんなさぁ~い!
昨日ね、あっきー(中川晃教さん)のコンサートの初日の感想を、真夜中の、たしか四時近くにアップしたんですよ。
それで、九時過ぎに起きて、自分でもう一度読み直してみたら、あまりにテンションが低いし、実はちょっと鬱っぽいのが滲んでいるしで、「これは次のステージの営業妨害になるかも?」なんて反省して、すぐに削除したんですよね。
その間、たった五時間くらい?
だから、ほとんど明け方の出来事だし、あんまり目にする人もいないだろうと、たかをくくっていたんですけど……
さっき、アクセス数のトータル見て、びっくり!
え、え~と、ですねぇ~
なので、まず、そのテンション低い記事を読ませてしまった方達へ、ごめんなさい。
それから、これから次に書こうと思っている感想を読んでくださる方で、あっきーのコンサートの初日にしか行けなかった方へ、こめんなさい。
なぜなら、コンサートの初日と二日目、同じメンバーで、同じセットリストなのに、私の感想は全然違います。
もしかして、それは私のコンディションの違い? それとも耳のせい? いやいや、お席のせいかしら?
けれども、何人かの友達にきいたら、同意してくれて、さすが!長い間一緒にあっきーの歌を聴いてくれているだけはある。
この違いをわかってくれて、なんか、嬉しかったわ。
でも、初日しか聴けなかった人には、そんな話、聞きたくないわよね?
それでも、たぶん書くと思う。
今日はもう遅いから無理だけど。
そう、今日は書けないです。明日からお仕事だし。
重ね重ね、ごめんなさい。