今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「私の恋人」プレビュー公演

2019年08月12日 13時42分55秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

「私の恋人」プレビュー公演 東大和市民会館ハミングホール 2019.8.7
【脚本・演出】渡辺えり
【原作】上田岳弘「私の恋人」(新潮社)
【キャスト】小日向文世 のん 渡辺えり
多岐川装子 松井夢 山田美波 那須野恵

渡辺えりさんの舞台を観るのは、2015年の「ガーデン」以来なので随分と久しぶり。
これもまた「ゲゲゲのげ」や「あかい壁の家」のように、時空を行ったり来たりで、誰が、そして何が現実なのか、どこから夢なのか幻か、よくわからないお話です。
で、えりさんの舞台には、その「よくわからない」を楽しめば良いかと思っているので、最初から理解の努力を放り投げて観ていましたが……

ひとことで言うならば、「原始時代から何度も転生している運命の恋人を、時空を超えて探しにいく物語」・・・でいいのかな?(と、誰に聞く
要するに輪廻転生を妄想する人の話・・・かな?
ん? そもそも、その「理想の恋人」だか「運命の恋人」だかを探し始めた人って、最初はのんちゃんかと思ったら、小日向文世さん演ずる「余命三ヶ月の先生」ってこと?
んんん?? 

……ま、いっか~(笑)

でもま、輪廻転生を追いかけると宇宙空間に飛び出すというのは納得、というか、何というか…。

というのも、この前のあっきー(中川晃教さん)のコンサートで「粒子」という新曲を聴いて以来、なんとな~く量子力学の面白さにハマってしまい、ちょくちょくと、なるべく簡単そうな説明を調べたりしているのですが、ネットで検索すると、その量子力学に引っ掛けて、いくらでも宇宙と愛のエネルギーだとか輪廻転生についてのネタが転がっているんですよね。
まあちょっと、そのほとんどは怪しいスピリチュアル系ですけど、信じる信じないは別として、輪廻転生はファンタジーとしても面白いです。
この舞台では「あかい壁の家」に登場したエアリーの妖精さんのような存在が三人ほど出てきますが、これもまた「気」とか、何らかのエネルギーを具現化した存在だと思えば、誰かを求めて人の魂が宇宙を含めて時空を行ったり来たりするこの物語も、そういった量子力学系の物語と言えるかもしれませんね。

そして、こういう作品が出来たからには、えりさんは、もう昔よりは死の世界が怖くなくなったのかな?……とか。

この世で亡くなってもエネルギーとして無にはならないかもしれないし、転生するかもしれないし、ひょっとして会いたい人に会えるかもしれないし、宇宙だし。

いや、だけど、ならばこそ本当に輪廻転生を繰り返すほどの運命の恋人がいるとしたら、どうしたって引き寄せ合って偶然にも出会ってしまう運命なのだろうし、今生で会えないなら無理して探さないで、そのまま来世に行くしかないんじゃないかな?
それに、やっと会えたとして、いったい何がしたいんだろう??……とか思いながら観ていたら……どうやら融合したいらしい(エッチな意味じゃなくて)
つまり、ひとつになって生まれ変わりたいのか????


なんて……なに言ってんだか良くわかんないでしょう?この感想も(笑)

この舞台も、あと2回くらい観ればもう少し整理されてまとまった感想が書けるのかもしれませんが、そもそも、観客に整理されることを望んでいないのかもしれませんね、渡辺えりさんは。
登場人物の誰も彼も、起点となる人物ですらも幻のような渡辺えりさんの作品は、精神が混沌とする世界を混沌のままに喜劇として観客に届けたいのかもしれません。
そんなこんなで、ま~、ゆるゆると、頭とっ散らかしながら「よくわからない」を楽しみました。

ところで、この舞台は世間に注目されていて、東京の本公演(本多劇場)のチケットはとっくに完売してるのですってね!
なにせ、のんちゃんの初舞台ですものね!

なので、客席が本当に温かかったです。
客層は男性が多めで、ふだん演劇をあまり観ていない方たちもたくさん来られている様子でした。
のんちゃんが最初に登場したところで、客席から「キタっ!!」という歓喜の声が聞こえました。そういう気持ち、わかる~!
みなさん、のんちゃんを心から応援しているのが肌で感じられて、私は渡辺えりさんと小日向文世さんが目当てでしたが、いつの間にか、のんちゃんファンの皆さんと一緒にワクワクしながら、のんちゃんを応援してるノリになりました。のんちゃん、一生懸命で可愛い~

だけど、のんちゃんの台詞は早口になると聞き取りにくくなるので、この舞台には、歌の時だけでなく、台詞の全部にマイクを通して欲しかったです。
ベテランの舞台俳優さんにはマイクは無用かもしれませんが、やっぱりのんちゃんには必要だと思います。
歌の前後にマイクが入った時はストレスなく聞き取れましたから、のんちゃんの、あのふんわりとした柔らかな可愛らしい声をそのままに生かすとしたら、この際、全員のマイクをオンにして、それぞれの音量を調節すれば良いんじゃないかと思いましたが……余計なことですかね~?

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たいらじょう×宮田大アンサンブル「サロメ」interval

2019年05月04日 21時15分31秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

※「interval」=幕間、休憩時間

観た舞台にいちいち「interval」と付けて余計なお喋りをするつもりはないのですが。

滅茶苦茶だな、と思って。

今さらだけど、滅茶苦茶だ。私の感想も、解釈も。

言い訳になるかもしれないけど、もっと一般的な、常識的な感想、王道の解釈も、やってできない事はない。と、思う。
小学生の頃から大学まで、ずっと国語のテストで解釈問題を外すことは滅多になく、学校の先生から頭をなでられるような感想文を書いてきた。
でも、今大人になって、それを書きたくない自分がいて、「そういうちゃんとしたものなら他の人がもっとずっと上手に書いてくれる。私は作品と対話するような、私だけの感想が読みたい」と思って書いている。

でも、読み返してみると、非常識な私が書いたものは、たいがいがひどく脱線していて、非常識で滅茶苦茶だと思う。

たいらさんの「サロメ」でいえば、あの「七つのヴェールの踊り」の幻想的な場面とか、もっと早くに書いて記憶が確かなら、その感動を伝えるべきシーンが沢山あったのに……、ぐずぐずと思いあぐねて月日が経ってしまったら、あのような感想だけが強く残ってしまった。
なんだか、たいらさんに申し訳ない。あんな素晴らしい舞台を観せてくださったのに……。
そう思いながら、先程たいらじょうさんのHPで、「メッセージ」ページの「人形劇の魅力と可能性」を読ませていただいたら、涙があふれて止まらない。

『それは、紛れもなく、あなたが人生を逞しく生きてきた成果なのです。』

私の書くものが、他人の感覚とずれていても、それが精一杯生きてきた私の成果なのだろう。

そうして、これからも、きっと私は、たいらさんの人形に自分なりに感じる表情を見て、舞台に心を移し、新たな扉を開いていくのだろう。

改めて、たいらじょうさんに深く感謝します。

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舞台「銀河鉄道999」interval

2019年04月29日 03時49分57秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

※「interval」=幕間、休憩時間

先日、舞台「銀河鉄道999」を観て来ました。
ですが、これはその感想ではないので、うっかり私の今までの記事を読んだ事がなく来てしまった方、舞台の感想を読みたい方は申し訳ありませんが、がっかりすると思いますのでここでお帰りくださいませ。

それじゃあ何だと言いますと、だからintervalなんですね。
「ゲゲゲのげ」や「あかい壁の家」の時に書いていたような、全く余計なただのお喋りです。
別に舞台が気に入らなかったとか、そういう訳ではなく、書きたいほうを優先しただけなので、そこのところは誤解ないようにお願いしますが、ほんとうに、全く!舞台のアレコレやあっきーの話もしませんし、話が長いので、あしからず。

で、何か?っていうと、
つまり、あっきーがどこだかのインタビューで『2人は最後にキスをします。このキスの向こうにあるものを、お客様に感じていただきたいと思います』と語っていたのが、すごく心に引っかかっていて、舞台を観終わった後にその「向こうにあるもの」が私の中ですごく膨れ上がってしまい、勝手にその先の物語が出来上がってしまったんですよね(笑)
だからそんなお話なんですけど・・・

あ、その前に、『なぜメーテルは無口なのか?』っていうのもどこかで言ってましたっけ?
それは私にとってはすごく簡単なことに思えます。
なぜなら、私にも頑固で気の強い、強烈な性格の母と姉がいますので。
この二人は方向性が違うので互いに認めないとは思いますが、私にとっては同類で、同類だから互いが気に入らないんです。
子供の頃、私は家庭内の平和のために、彼女達が喧嘩したり激昂しないように、それぞれの顔色を見ながら暮らしていて、自分の意見や主張はなるべくひかえて、本音も言わず、
どちらにもほとんど逆らうことはありませんでした。

その結果、私は母から「やさしい子」と言われましたが、姉は「主体性のない、頼りない子」と思っていたでしょうね、たぶん。
だけど、それは違います。私は「御しやすい娘」「言いなりになる妹」の役目を請け負っていただけで、本質は別だと思います。
まあ、それでも私は外では友達がいましたから、学校ではよく喋り、自己主張できるほうでしたが、同世代の友達がいなさそうなメーテルが無口になるのはわかる気がします。
それと、鉄郎に対して無口なのは、言えないことがあったからですよね。
あれこれ喋って
知られてしまえば、それまでの関係が崩れてしまうから。
科学者達は、「大を知るためには、まず小を知れ」と言いますが、「大を隠すためには、小を知られてはならない」わけです。
そのメーテルの大きな秘密は、舞台を観た人や原作を知る人ならわかるはず。

それから、最後にメーテルはなぜ鉄郎にキスをしたか? なんですけど・・・
いるんですよね~、たまに。こういう訳のわからないキスをする女が(笑)
私は自分からしませんけどね、大人になってから今まで、3人の女達にキスされました。唇に(笑)
お互い同性愛とは無縁なので、今思えば、魂の触れ合いというか、じゃれあいというか、同類愛っていうか?
でもメーテルのキスは違いますね。恋愛感情ではないのは同じだと思いますが、共に旅をし、共に苦難を乗り越えた同士としての愛情と、少年と少女の季節への別れ…そして、次の旅の中でもし出会うことがあったならば、今度は今までの関係…つまり、鉄郎の母であり理想の恋人のような存在ではなく、共に自立した人間また男と女になるのだ…とか、いろんな感情が混ざり合って、言葉では言い表せない「さようなら」のキスのように見えました。
「さようなら」とは「左様ならば」と、次に続く言葉です。

さて、やっと本題。そのキスの向こう。
つまり、全く私の想像、いえ、妄想の「続きの物語」です。
銀河鉄道999ファンの皆さんは、ムカつくと思いますので、特にご注意ください。と、繰り返し言っておきますので嫌なら読まないでください。
抗議は受け付けませんから(笑)



鉄郎はこの旅で少年時代を終えたかもしれませんが、まだ大人にはなっていません。
少年漫画では、少年が成長する姿を描いても、完全に大人にはならないんですよね。そうすると少年漫画が終わってしまうので。
でも、大人になる旅の入り口で、鉄郎はすぐに知るはずです。機械帝国を壊しただけでは、人間に平和が訪れないことを。
むしろ、帝国の女王プロメシュームを殺してしまったことで、宇宙は統治者を失い、混沌とした時代に突入するはずです。
地球の機械化人たちは全滅したかもしれませんが、その他の機械化人は好き勝手な行動を取るかもしれないし、メンテナンスもされずにあちこちで混乱が起きるかもしれない。
また、人間達は、奴隷から解放されてどうやって生きていけば良いのか。奴隷はつらくとも衣食住は与えられていたのに、自立するとなると新しい社会が必要となり、そこでも争いは絶え間なく、富める者もあれば貧しい者も相変わらずに生まれるわけです。
そうなると、深く考えずに計画性もなく、ただ破壊しただけの鉄郎は、その現実を見て責任を取らねばなるまいと思い始めます。
しかし、新しい世界の主導者となるには、鉄郎はあまりに未熟です。
そこで、人間達の新しい世界、新しい社会を作るために自分に何が足りないのか、必要なのは何なのと考える。
やがて、今の自分では、一人では何もできないのだと知る鉄郎は、指導者や協力者達を探す旅に出ます。壊したら、次は積み上げなければ…
って、だから、私の想像の物語ですよ(笑)

一方、メーテルは母親の言いなりになり、道具となって生きてきた過去を、自分の罪と思います。
やさしい彼女は、人間の少年達を機械帝国のネジにしてしまうため、その時々で少年達の理想の女性…つまり母親に似た姿になっていたと思われますが、そのネジごと帝国を破壊してしまった事に何も思わないわけにはいかないでしょう。
そして、本当の自分の身体を取り戻す旅をする間に、メーテルもまた、鉄郎が見たように、人間達が決して平和を取り戻したわけではなく、むしろ悪化しているという現実を見せられ、二重の罪を背負うわけです。
その贖罪のためにも、メーテルは宇宙を平和にしなければなりません。

みんなが平和に、安らかに生きる世界を作るにはどうしたら良いのか?

そして、ここからが、私の超好みの展開(笑)

本当の自分の身体に戻ったメーテルは、協力者を探す旅をする鉄郎の前に再び現れます。
それは、もちろん鉄郎の母には似ても似つかない意外な姿です。
たとえば、宇宙のあらゆる事情を知り大変頭の良い小生意気な少女とか、口うるさく説教する老婆とか…。
なので、鉄郎は彼女がメーテルだとは気づきません。メーテルは自分の正体を言わずに偽名で鉄郎の作る協力者のメンバーに加わります。
メーテルはそれまでの自分の旅の中で、自分で考え、自分で行動を起こす、自立した女性に成長したので、鉄郎とは以前のような関係にはならず、新しい平和な世界を模索するメンバーとなり、時に鉄郎と喧嘩をしたり、時には反発し合います。
でもいざという時には、何故か二人は互いを守らなければと思うわけです。それは何故なのか。
鉄郎は、かつての姿とは全く違うメーテルに、「この人はどこかで出会っていたのではないか?知っている人にどこか似ている」と思い、ふとした場面で、かつてのメーテルの影を感じます。
というか、魂ですね。彼女の身体の中にメーテルの魂を見て、次第にどうしようもなく惹かれていく鉄郎です。

って、このあたり、映画「君の名は」がきっかけでひと頃流行った、ツインソウルとかツインレイの要素が絡むと、面白いので。
メーテルの身体が少女ならば、そのうち大人の身体に成長して鉄郎と結ばれるかもしれないし、老婆ならば別の深い愛の、泣ける
話になるかもしれません。(いや、違う!ハウルだ!「ハウルの動く城」みたいな、ちょっと切ないプラトニックな愛になるかも?)
その正体がばれてのちは、この際メーテルは鉄郎より先に死んでもらいましょう。
「さようなら、愛した人よ。次の世でまた会おう」

そうこうしているうちに、多くの人間と出会い(このあたり省略)数々の冒険の後、学び、やがて成長し大人になった鉄郎は、30歳を超えたあたりで、宇宙の統治者となり、平和の礎を築き、真の伝説の男となりましたとさ。
めでたし、めでたし。


・・・・・
ってな感じで。

やっぱり私、頭おかしいなあ、最近ますます(笑)

だからね~、「感じてください」とか言われると、過敏に、というか、余計なものを感じすぎちゃうので困るんだけど。

 

とりあえず、

松本零士先生、ごめんなさい

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琵琶×朗読×舞踊「雨月物語」

2013年10月27日 01時56分56秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/10/20 @black A
飛び猫舎 旗揚げ公演
ドラマチック朗読劇 琵琶×朗読×舞踊 『雨月物語』
【原作】『雨月物語』(上田秋成)
「浅茅が宿」「吉備津の釜」「蛇性の淫」より
【演出】仲村みなみ
【脚色】仲村みなみ、向坂陸
【琵琶】熊田かほり
【朗読】今泉薫/羽場さゆり
【舞踊】山碕峰有希


今週末に心配した台風も勢力が弱まり、東の方に反れてくれて良かったですね。
東京では、午後に雨も止みました。
皆さんのところはいかがでしたか? 何も被害がなかったら良いのですが…

このドラマチック朗読劇「雨月物語」(うげつものがたり)は、先週の日曜日の夜、土砂降りの中を歩いて出かけた舞台です。
雨あしが強かったせいか急に寒くなるし、black Aは駅から少し歩くし、おまけに頭がガンガンと痛くなって吐き気もしてきたので、両国の駅を降りた時には「予約をドタキャンして引き返しちゃおうかな~」とか思ったんですけど(汗)
でも、やっぱり観てきて良かったです。
そのうちに頭痛薬も効いてきたのか、劇が始ってしばらくして、次第に物語に引き込まれていくうちに、すっかり頭が痛いのも忘れました。

この舞台を見に行こうと思ったのは、私はもともと、こういった綺譚( きたん)が好きだから。
もともとファンタジー好きで、幻想物語とか非現実的な話、怪異小説とかは好きなんですよね。古典の狐狸・妖かし、化け物が出てくる物語っていうのも、面白いです。
化け物が面白いというよりは、それに関わる人間の物語が面白いので、結局は人間に興味があるからですが、
昔、卒論にした題材は「今昔物語に見る妖かし」だったり。

で、この「雨月物語」は、「宇治拾遺物語」なんかもそうですけど、おおもとはその「今昔物語」あたりのようです。
そのまた源は中国の古典とも言われてますが、つまり、「雨月物語」をちゃんと読んだことはないものの、私には「どこかで聞いたような話だなぁ」といった感じでした。
その、おどろおどろしい怪談話が、耳に心地よい現代語で生まれ変わり、琵琶の音と共に、生々しい人の声で聞かせてもらうのは、なかなかに雰囲気のある怖さと面白さがありました。
この演出と脚色の仲村みなみさんは、あっきーも出演したNHKのドラマ「コンカツ・リカツ」のシナリオを書いた方だそうですが、「雨月物語」の三つの話をひとつの物語に上手くまとめていました。

それを朗読する今泉薫さんと羽場さゆりさんのお二人は、思った以上に良かったです。
主人公の男は、畑仕事を嫌って妻にばかり働かせ、その妻に「綺麗な小袖を買ってやりたい」などと言って畑を売ってしまい、家のお金を持ち出してひとり商売の旅に出てしまうような短絡的な男ですが、そのうえ約束も守らずに、故郷に長く妻を置き去りにしたまま浮気までするという・・・つまり、本当に「しょーもない男」なんですけど、今泉さんが演じた男はどこかしら育ちがよさそうな男で、まるっきり不誠実な感じがしないので、どうも、この男は「ずっと親とか良く出来た妻に甘ったれて生きてきた、ぼんぼん育ちの考えなし」という感じ。
べつに悪党ではないし、酷い浮気亭主というわけでもないので、この男の薄情さについては、もしかしたら「普通の男」のそれではないか、と感じさせてくれるところがハマってました。

羽場さゆりさんは、その働き者の健気な妻役もさることながら、蛇の化身が正体を現したところからが一層良かったです!
怖いけれども怖くなり過ぎず、感情は出すけど出し過ぎず・・・という絶妙さ、それぞれのシーンの声音も良くて、朗読劇にふさわしいこの読み方は、原作の面白さを味わうにも良かったと思いました。

そして、舞台下手(しもて)の端からいつの間にかぬっと出てくる山碕峰有希さんの姿とその踊りもまた、時に激しく恐ろしく、時に扇情的にエロティックで見応えがあったし、私には「もしかしたら初めてかも?」という生の琵琶の演奏もこの物語にぴったりで、聞き応えもあったしで、朗読と音楽と踊りの三つがバランス良く調和して作られたこの濃密な空気には独特な魅力がありました。

で~、
ここからは、いつもの脱線転覆の感想ですけど~(笑)

この物語は、蛇の化身だった女に祟られたり、死んだ女房に恨まれる男の話で、つまり怪談ですが。
講談の「牡丹燈籠」を聞いた時もそうでしたが、こういう男には、またしても、「大人しく殺されてあげればいいのにぃ~!」とか、思う私(笑)

この蛇の化身なんて、今まで誰からも優しくされたことのない可哀想な女で、だから、たとえ「正体が何であれ構わない」と、男がこの女の魂こそを哀れみ、命を惜しまずに愛しく思ってあげさえすれば、何も怖い思いをせずにすんだと思うんですよ。
べつにいつも蛇の姿をしてるわけじゃなくて、最初は若くて美しい娘だったし。
そもそも、男が薄情だから正体を現してしまうんですよね。

…というか、この男はべつに、その蛇のお嬢さんを愛していたわけでもなさそう。
ただ、若くて美しい娘を夜な夜な抱きたかっただけなのね。 だから愛と恐怖の葛藤なんかもありません。つまりは・・・、
男は若くて美しく、しかも新しく現れる女が好き! 
という、この本能が、つくづくと身の破滅を呼んだりするわけね。

まあ、それにしても、愛は死の恐怖に(たまには)勝つこともあるけれど、そういった「男の本能」にはてんで根性がないらしい。
待ち続けて死んでしまった貞淑な奥さんも、初めて人から優しくされて喜んだ蛇のお嬢さんも、なんだかこんな男には勿体無い。

ああ、突然だけど、なんだか「マノン」の、あの一途なデ・グリュー君が、すごく良い男に思えてきた(笑)

それにしても、この舞台で、「女はみな、その胸の中に、蛇を飼っている」というような台詞があったけど、それはどうなんでしょう?
女がどうこうじゃなくて、今はやっぱり個人差じゃないかしら?
私なんかは、その執念深さが足りなさ過ぎて、いたとしても、蛇というより糸ミミズくらいだと思うんですけど(笑)

今はこの物語の時代と違って、女は男にすがらなくても何とか生きていける。
すっかり男女平等とまではいかない世の中だけど、生きるにしても、愛するにしても、この時代よりはずいぶんと選択肢が多くなったし、男女の役割も昔のままではなくなったし。
だから男女の違いって、だんだん様変わりしつつあると思うんですよね。
現代のストーカー事件を見るにつけても、もしかしたら、女性よりもむしろ男性のほうが執念深くて怖いかも?というくらい男の加害者が多いので、心に蛇を飼っているのは女に限ったことではないのかもしれません。

まあ、そう言っちゃ、この手の怪談噺は面白くなくなりますが(笑)
やっぱり化け物や幽霊は女のほうが美しいし、悲しくて、だからこそ、踏みにじられた恨みの姿が凄まじくて、そのギャップ激しく怖いですよね。

なんだかんだと、やっぱり「古典には古典の面白さがある」と思い出させてくれた舞台でした。

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音楽劇「ヴォイツェク」

2013年10月14日 01時45分05秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

巷では相変わらず凄惨な事件が続き、ニュースを見る度に暗い気持ちになりますね。

あなた自身はどうですか? たとえば、人を殺したことがありますか?
ないでしょうね。「ある」と言われても困りますけど。

では、夢ならばどうでしょう?
あなたは人を殺したり、殺される「夢」を見たことがありますか?

私は、あります。

「Ladies and Gentlemen!(紳士、淑女のみなさん!)」

舞台には、愉快で楽しい夢、ロマンチックな気分になれたり、スカッとしたりするような、そんな幸せな夢ばかりを見に行けば良いものを、人は何故わざわざと、暗い物語や、ホラーだのやサスペンスの恐怖の物語、あるいはこの舞台「ヴォイツェク」のような、全く救いのない、そんな「悪夢」を観に行きたがるのでしょう?
私の場合は・・・
早い話が、「主演が山本耕史さんだから」、ですけど(笑)

そんなわけで、衝動的に行ってきました、久しぶりの赤坂ACTシアター。

   
2013/10/12 
音楽劇 「ヴォイツェク」 @赤坂ACTシアター

【原作】 ゲオルク・ビューヒナー
【脚本】 赤堀雅秋
【演出】 白井晃
【音楽】 三宅純
【出演】 山本耕史/ マイコ/ 石黒英雄/良知真次/ 池下重大/青山草太/半海一晃/春海四方/ 真行寺君枝/ 今村ねずみ/団時朗

この物語は「1821年にライプツィヒで実際に起こったヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックによる殺人事件が題材」で、その犯人の2年以上に渡る精神鑑定書をもとに書かれたものだとか。
ヴォイツェクは数年来の激しい気分の落ち込み、心臓の動悸、様々な幻聴に悩まされていたそうです。
その精神障害の原因は、下級兵士である貧困と過労、そして絶望のゆえなのか・・

「紳士、淑女のみなさん。」と呼ばれる観客たちを客席に縛り付けた、休憩なしの135分間。
平凡な暮らしをしている私達に見せた、その絶望の「狂気」とは、いったいどのようなものだったのか・・・

ヴォイツェクは「僕は、あの女以外に何も持っていない」と言います。(台詞はいつもの、うろ覚えですけど)
そして、彼は籍を入れてない妻・マリーのために、下級兵士の給料では足りずに上官の髭剃りだの、怪しげな医者の人体実験の被験者になったりと、寝る暇も惜しんでわずかなお金を稼ぎます。
私は彼の精神障害って、その過労のせいもあったと思うんですけど。

でも、そのわりには、というか、それにしても、この新婚の男女(ですよね? 会ってまだ二年というから)は、ちっとも幸せそうじゃありません。
兵舎とは別に住む母子の元にお金を届けにいくだけで、すぐに帰ろうとするヴォイツェク。
妻と親しく話しもせず、スキンシップをするでもなく、子供を可愛がるわけでもない。
あれではマリーも、愛されている実感がないどころか、孤独だったのではないかと思いますが、そうして彼女は浮気をします。

まあ、ですから、これは楽しいエンターテイメントには全くならない、とても暗い話なんですけどね、女房に浮気をされる前から彼は、「あの世にも、この世にも救いがない」と言う人だったので。
生きていて何の楽しみもない人で、ただ、ひとりの女以外には「何も持っていない」と言うならば、もっと奥さんに愛情を示せば良かったのに・・・なぁ~んていう次元を超えているほどに、最初から頭もおかしいです。
もともと精神障害がありそうな人なんで、正常な人間がある日突然に逆上してしまい日常が崩れていく物語でもないし、つまり、実にじわじわと陰鬱です。
決して、面白い話じゃないです。そういうのとは違います。
なので、私はこの物語の途中で、「私はなんでこの舞台を観に来てしまったのかな?」と思ったくらい。
それで、「そうだ、山本耕史さんを観に来たんだ。彼の狂気を見たかったんだ。」と、心の中で自分に言い聞かせ、ひたすらクライマックスを待ちました。

そのクライマックスといえば、だから殺人事件ですから、ヴォイツェクが妻を殺すシーンというのは最初から知っていました。
そのシーンは、セットの背景の壁がその場で昇って取り払われ、「あっ!」という景色です。
それまでに、じわじわとたまり続けた狂気がついに溢れ出し、その中に浸り、溺れるように妻にナイフを突き刺すヴォイツェクの姿に息を呑み、その狂気の中にも、まだナイフを隠そうとする、「残された正気」に私は涙が流れました。

そうなんですよ。
観ていたあの時はわかりませんでしたが、これを書きながらわかったような気がします。
私が涙したのは、たぶん、彼の狂気ではなくて、わずかばかりの、ほんのわずかに残された正気のせいかもしれません。
あんなふうにナイフを投げても、隠したことにはならないのに・・・。
それでも、とっさに犯行を隠したいと思う程度には、まだ完全に狂っていないのが哀れとさえ思う、あの絶望の、救われぬ姿・・・

それで、家に帰ってから調べたのですが、精神鑑定の結果、実際にヴォイツェクは幻聴などの精神障害はあるものの、「責任能力あり」ということで死刑になったのだそうです。
この舞台のラストにはわからない事でしたが。
やっぱりそうなんだな、というギリギリの異常を演じた山本耕史さんは流石だと思いました。
今までにない役だったとは思いますが、どこかの場面で、思わずサリエリを思い出したのが、ちょっと意外。
全然違うキャラなんですけど。
正常の中にわずかな狂気を宿す人と、異常の中にわずかに正気を残す人。
全く違うようだけど、どこか似てるのかも?

「山本耕史さんは、よくもまあこんな難しい舞台に挑んだな」と思いました。
そして、「よくもまあ、こんなご時勢に、このようなお芝居を、ACTシアターのような大きなハコで上演したものだ」
とも。

ところで、余談ですが。
私が昔に見た、「殺される夢」の話ですが、ナイフの切っ先を向けられて、夢の中の私は思います。
「ああ、そうだったのか、そんなに思いつめて憎まれ、殺されるほどに自分は愛されていたのだな」と。
まあ、そう書くと、すごいナルシストみたいですけど(笑) なんか、自分が悪いと思ったんですよね。
ドMの基本だったり(笑)
それで、そこまでに至った相手を気の毒に思い、「殺されて仕方ない」と、目を閉じたんです。
ほとんどビョーキ
ところが・・・
っていう話で、この夢には次の瞬間に「えっ?!」という展開があり、それがまた更なる別の悪夢に続いたので・・・というのも、結局ナイフを突き刺して殺してしまったのは私のほうだったので、目が覚めた時には、「夢で良かった」と、心の底からほっとしました。
今思い出しても、あの夢が全くのフィクションで幸せだと思えるくらいです。
だから、現実の「こちら」には無い、「悪夢」の話。
平凡に暮らす「Ladies and Gentlemen」には有り得ない・・・決して有ってはいけない、そういう夢の話です。

「ヴォイツェク」は、繰り返して言うのもなんですが、いわゆる「面白い話」とは違うと思います。
けれども、私にとっては、この先、何かにつけて度々思い出す舞台のひとつになりそうです。

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「SONG WRITERS」 初日 

2013年10月07日 01時17分28秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/10/05 @シアタークリエ
【脚本・作詞】森雪之丞
【演出】岸谷五朗
【出演】屋良朝幸/中川晃教/島袋寛子/泉見洋平/藤林美沙/植原卓也/平野良/コング桑田/武田真治/他

「日本発、世界を席巻するスーパー・ミュージカル!」

と公式サイトで宣言するからには、やっぱ海外公演をも視野に入れた作品なのかしら?
だって、「日本から発進して、世界中に片っ端から広ろがっていく、飛びぬけて素晴らしいミュージカル!」っていう意味でしょ?(と、なぜ訳すか?!)
で、だったら、どうする?(と、誰に聞くか?!)

あ、だけど、海外公演については、まだ具体的に耳に入ってきてないですよ。
私は知りませんからね、まさかとは思うけど、これを読んで早とちりしないでくださいね。

え~っと・・・・

この舞台って、ネタバレは厳禁かな?

秘密、秘密、秘密…

これはキーワードでもあるし。

そういや、岸谷五朗さんの演出といえば、「X Day」の時も開幕前から秘密、秘密と言っていたので、私も感想を最後まで秘密にしたんだっけ・・・
口数多いようだけど、これでも私、案外と秘密には口が堅いので。
なので、今回も、物語や演出の感想には最後までネタバレしないように秘密にします。
書くと、私はすぐにネタバレするしね~。
なので、「あなたの見てのお楽しみ」、ってことで。

それ以外の感想ならば、あっきーファンとしては、
あっきーが踊っているよ!楽しそうだね~!良かったね~!
というのも「X Day」の時と同じだけど、今度はあの時以上にたくさん踊っているからそこはファンの見所ね。
「気弱なキャラ」というのには、気弱というよりも、私には随分と「この年頃のアメリカ人にしては(日本人にしても)幼い人すぎるんじゃないか?」とか思ったけど、あっきーファンは「可愛いあっきー」が好きな人が多いから、みんなとても喜ぶと思う。
屋良くんは、私はジャニーズにとても疎いので、失礼ながら初見ですが、バランスの良い方ですね。
ダンスが上手な方だと聞いているので、次はあっきーばかり見てないで、屋良くんのダンスもしっかり見ようと思います。

楽しみにしていた歌は、スピーカーの正面の、わりと端っこにいたせいか、(舞台は隅々までよく見えたけど)楽器の音が大きく聞こえて、どの方の歌も歌詞があまり良く聞き取れなかったのが残念(って、まだ難聴じゃありません!)
これは回数観ているうちにわかるんでしょうけど。
歌詞はパンフレットにもいくつか載っていたけれど、せっかく一流の作詞家さんが書いた歌詞なんだから、音楽に乗ってこそのそれを次は楽しみにしたいです。

この舞台、初日から大千秋楽まで約一ヶ月半と、今どきの舞台にしては長丁場なので、みなさん、怪我に気をつけて、体調を整えながら最後まで頑張って欲しいです。

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「あかい壁の家」(その五)東京前楽&千秋楽

2013年08月12日 00時25分20秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

「後になって話してみると、何も考えてなくてさ、まるでバカなの」 
(「ゲゲゲのげ」より)


「あかい壁の家」東京千秋楽は、大盛況の中、大きな怪我もなく無事に幕が閉じられました。
おめでとうございます。
このあとの地方公演も、多くの人々を楽しませ、愛されながら、つつがなく大千秋楽を迎えられますようお祈りしています。

ということは、アンケートに書けば?ってな話よね(笑)

冒頭の「まるでバカなの」という台詞は、「ゲゲゲのげ」の千秋楽の感想でも使わせてもらったのですが、あの時私は、「抽象画を見る時のように」観れば良いと思いましたけど、今回は「コンテンポラリー・ダンスを見るように」観劇していたような気がします。
辻褄が合うか合わないかとか、何が何にどう繋がっているのだろうとか、ほとんど考えずに、その時々のシーンをただ「見たまま」に受け取り、どれが現実で何を意味しているのかとか、そういうことすら考えずに、見たままに笑いながら、見たままに感動し、楽しんでいました。
見たままに、聞いたままに。

特に初日は何も考えず、バカになって観ました。
それで良い舞台なんだと思います。
それでも、この舞台を観て、何も感じない人はいないと思うから。
細かいところや話の繋がりが分からない人も、この舞台の主軸になる想いは必ず届くだろうし。

それで、この前も書きましたが、初日には思わなかった(気づかなかった)ことですが、前楽を見て、やはりこれは全てが凡平の白昼夢、または妖精さんの見せた幻であり、言い変えるならば、いわば「心の旅」だったのだな、と思いました。
つまり、凡平以外の全ての登場人物は、この世の人じゃなかったんですよね。
なんで最初からそう思わなかったんだろう、私……って、だって、あっきーがあんまり素敵だったから(笑) この日はお席が持っていたチケットの中でも一番舞台に近かったし、すっかり呆けながら堪能しちゃって
でもまあ、そういう楽しみ方も有りってことで。

ところで、えりさんの想いが沢山のシーンでてんこ盛りだったこの舞台ですが、それだけに、観る側の私としても色々なことを思ったり、気になった言葉がたくさんありました。
それらの多くはごく個人的なことだったりするので、ちょっと舞台感想からはズレてしまうかも。
そんなこんなの話は、できればまた、細切れにでも番外編として「interval」に書きたいと思います。
役者さん達のことも書けたら良いんだけど…。

とにかく、東京千秋楽を終わってみれば、この舞台はいろんな意味で贅沢でした。
私はこの後は神戸の一回のみですが、最初から珍しく地方遠征を予定していたのは正解でした。
どんな風にまた進化しているのか、楽しみにその日を待ちたいと思います。

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「あかい壁の家」(その四)interval

2013年08月10日 02時37分04秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

※「interval」=幕間、休憩時間

♪こ~れ~も有り あれも有り?
たぶん有り きっと有り!

古い! 
この替え歌の元歌がわかってしまった貴方は、まもなく耳鳴りがするかもよ? 

本多劇場の「あかい壁の家」はあと残りわずか。

劇場に行きた~い! 走りた~い!
と、むずむず、ジリジリとしていたこの三日間。

そろそろ行きます! ネタバレの嵐!
インターバル・・・幕間のおしゃべり的な、こぼれ感想。

ぶつ切りに行くよっ!

あ、そだ!

こえにこえする(声に恋する)のは、声フェチの私には基本なんだけど?
声は脊髄に響くもの~。
サロメだって最初はヨカナーンの声に恋したんだよ~?
でも、もしかして、面食いの人には理解不能なのかしら???

それぱともかく、人生最後の日に、恋人と抱き合って死ねるなんて悪くないと思う。
という私は、震災のあの時、「こんな会社の机の下なんかで、うっかり死んじゃったらごめんね」と、年老いた両親たちに胸の中で謝っていたことを思い出した。
いつもそうだ。
死を覚悟する時は、いつも誰かのために「あと少しだけ」生きていたいと思う。
それはわるくないと思う。最期にそう思える人がいることは、幸せなことかもしれないな。

誰かに想いを残すこと……

この「あかい壁の家」は、そもそも凡平が「出されなかった手紙を届けたい」と思い、歌い始めたところから始まった。
想いを届ける歌……その歌に多くの人の想い、思念が集まってきたとしたら……

どうだろう。

初日の夜、友達のひとりが、「凡平の姉ちゃんって、死んでいたのよね?」と言ったとき、
私は「え~っ? それはないでしょう?」なんて、言ったけど、
その友達は、「だって、姉ちゃんは青鬼なのよ。去っていって、二度と会えない人なのよ?」と言う。
その時は、「でも、お姉ちゃんは生きてる側でしょ」と言ったけど…
でも……

うん。
今は、それも有りだと思う。

そればかりか、全てのシーンは凡平の白昼夢で、「彼は現実にポンペイに行ったわけじゃない」というのも有りだと思う。
そういえば、「ゲゲゲのげ」の時も、全てはマキオの夢かもしれないと思ったことを思い出した。

その白昼夢を呼び寄せたのは、彼の歌。
心を届けたいと想う、その歌の力が、この世に残り漂うたくさんの人の気持ちを呼びよせて、……その気持ちの塊が「気」、エアリーの妖精さんになった。
この話は、妖精さんが、この世に残された、「誰かを想う」あらゆる気持ちをつないで見せた、全てが夢だったんだ。

…とかね。

あっきーだからこそ。

これも有り、あれも有り、たぶん有り、きっと有り。
正解なんて、ひとつじゃなくてもいい。

今、どう感じたか、よね?


前楽はどんなふうに見えるかな?

それにしても、面白いな~、えりさんは。

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「あかい壁の家」(その三)8/6ソワレ

2013年08月07日 03時30分47秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

凄い!
この舞台、休演明けの一日目にして、ぐっと大きな変化を遂げていました!

正直言って、初日にラストで「え?ここで終わりなの?」と思ったあの戸惑いは、たぶん「まだ全てを伝えられた気がしない」といった、観る側としての不完全燃焼があったからなのだと思います。
ところが、今回は演出も…たぶん台詞も手直しされていて、(でなければ、前には私がちゃんと聞いてなかったのか?)、とても真っ直ぐに、作品に込められた想いを届けてもらったようで、最後には感動させてもらいました!

特に歌が全体的に進化していて、「なんちゃって」のところは、「なんちゃって」に面白く、そして途中からは全員から歌への本気を感じました!
初日の感想で辛口を書かせてもらった彼女…あの説明の歌詞が全てちゃんと聞きとれて、ぐらぐらしていたマイクも、あるべき距離でしっかりと握られていたし、アンサンブルはアンサンブルで、もともと声量のある役者さん達の声が全体的にしっかりと前に出て、「歌で想いを届けたい」という意思がこちらに感じられ、特に劇中劇のラストでの、その深い想いの大合唱には胸が熱くなりました。

こうこなくっちゃ!!

それを思うに、今更だけど、「初日で、ここまで到達していてくれたなら…」という気持ちは否めません。
もう十日間、いや、一週間ほども早く脚本が出来上がって、充分に稽古が練り上げられていたならば……

私は今はこうしてリピートできるから、こんな進化を贅沢に楽しめますが、そうじゃない人もたくさんいるし…というか、舞台って、一回しか観ない人のほうが多いと思うんですよね……
それなのに、この違いはいかがなものか。

…いや、これについては、もうこれ以上書くのは止めましょう。
舞台のクォリティの違いは、伝えるべきものがしっかりと届くかどうかの違いでもあるのだというのは、舞台の上に立つ人、創る人たちこそが、一番実感していることだろうと思うから。

本当はね、私はこういうことを書きたくないんですよ。
私は物語からごく個人的に、何を感じたか、想ったかを書きたい人なんで。
なので、批評や批判めいたことを書くのって、面白くもないし、嫌われるし(たぶん)で、我ながら「何様?」って、自分自身も嫌いになるので(すでに今、鬱々としてきたし)、できればもう二度と書きたくないんですけど……

って、愚痴を言っても仕方ない!


話を変えようっと!

え~とね、今日の舞台は、大センセイ(若松さん)のメークが凄すぎ!
元々頭に血糊があって怖いのに、今日のお顔のメークは、こわ~いっ! でもって、きも~い! …という迫力でした


あっきーは、ますます熱が増して、それぞれの歌にふさわしい歌い方で魅せてくれました。流石!
あのキラキラした面白メガネは劇中劇の冒頭でかけられず、「もう、うんざりだ!」と爆発して、ロック調に豹変する場面からに。
あのシーン、まじカッコいい!

姉ちゃんに突き飛ばされるシーンは、ハラハラの階段上ではなくて、平らな舞台の上に演出が変わってひと安心です。

台詞の変化は、たぶん、ラスト近くの、あっきーと緑魔子さんとのシーン。
これって、私が前に二度見た時に覚えてなかっただけなのかしら?
二人の会話がますます良いです!

それから、姉ちゃんの「泣いた赤鬼」の台詞も少し変わったようなんですけど……もしかして、これこそが私の覚え違いだったかも??

そして、これは最初からですが、馬渕英俚可さん、「ゲゲゲ」の時も良かったけど、今回も本当に良い!! 熱演です!
あの緑魔子さんとのやり取りや、劇中劇のシーン、思い出のシーン…どれも一層と胸に迫るシーンになってます。

あ、そうそう。
あの素敵な妖精さん(田根楽子さん)ね!(笑)
あの存在は、すごく重要な役どころだなぁ、と、改めて思ったり。
エアリー……つまり、「気」なのね? と、私なりにも解釈してみたり…

本当に色々なことが伝わってきた、このマイ三日目。
物語の感想は、こんなふうに大急ぎではとても書けないので、次回に続きます。

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「あかい壁の家」(その二)8/3ソワレ

2013年08月04日 17時03分06秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/08/03ソワレ 

このお芝居、好きだな~! 私は好きよ。
毎日観ても良いくらい!

とは言っても、そーもいかんとですよ。(←いったい何語?)
なので、今日は大人しく家にいますが、このあとまだ数回分のチケットが手元にあるのが嬉しくてしょうがないわ!
できることなら、もっと増やしたい~! 

この舞台の一番の魅力としては、あっきーファンとしては何といっても、やはり渡辺えりさんが「あて書き」してくれただけあって、あっきーの良いところや面白いところ、歌の魅力が堪能できる…、しかも、それが「笑いながら」…というのがミソ、ミソ、ミソ! で、そこが味噌!(笑)

けれども、それだけじゃない。
元々こういった多重構造であったり、時空が行き来する話って、私はすごく好きなのね。

その多重になったアチコチの時空の入り乱れ方が混沌としているので、「わかりやすい舞台」とは程遠いのは、まあこれは「良くも悪くも」であり、人によって好き嫌いが分かれるのかもしれないな。
…というのは、初日の感想ですけど、この土曜日のソワレでは、それなりにまとまっていて、というか、収まりが生じてきて、かなり全体のメッセージが受け取りやすくなっていたと私は思いました。

この「あかい壁の家」で行き来した時空の、あちらこちらで起きた出来事。
ポンペイの大噴火にしても、東北の大震災、津波にしても、そしてゲルニカであったり、戦時中の仙台の大空襲であったりと、その原因は違うのだから、全てを一緒くたにはできないにしても、少なくとも、それらによって「昨日まで続き、今日も、明日も続くと思っていた日常の日々が一瞬にして奪われ、命を奪われた民衆がいた」という点においては、同じだろうと思うんですよ。
まさかこんな日が来るとは思いもしなかったであろう、その恐怖と驚愕、無念さ口惜しさ、その瞬間の苦しみ……その民衆の残滓(ざんし)の想いと、それを想う遺された人の想いが重なって、あのように時空がつながったのかもしれません。

遠く、近く、全ては歴史となってしまう、その数知れぬ御霊(みたま)を想う、哀れみと慈しみに、惜別の痛み。
何よりも、愛する者を亡くした悲しみ。
そして、今日を生き、明日を生きる私達が、今まさに、ここにいるということ。
「この歌の続きがない」と言った凡平(あっきー)に言った、緑魔子さんの台詞には、今と明日を生きる凡平、そして私達への、その想いが込められているようでした。
亡くなった者と生きている者、すべての魂を抱いて、慈しみ、愛おしむそのメッセージは…たしか、劇中劇のミュージカル・シーン、…あっきーを真ん中に置き、アンサンブルが大劇場の舞台さながらに大合唱した場面で、殊更にはっきり伝えられたと思いました。

…って、一応まだ極力ネタバレしないように書いているんですけど(笑)
なので、個々の役者さん、というか、役どころや、心に引っかかる各シーンの感想については、いずれまた。

そうそう、前回の初日の感想で、「なんちゃって感」と書きましたけど、その「なんちゃって」なミュージカル・シーンね!
初日よりも上手になってました(笑)
なんて、「(笑)」は余計だと叱られそうですが。
これね、帝劇やシアター・オーブのような、大劇場でやるようなお芝居とは違うのね。
作品にはふさわしい箱があって、箱にはふさわしい作品があるよね? と、時々思うのだけど、それは、「どちらが優れているか」という問題ではなくて、作風と空間の問題じゃないかしら?
私は大劇場の舞台も好きだけど、小劇場のもわりと好きで、小劇場は基本的にどこかチープな香りが漂っていてほしい。
それは、言い換えると、小劇場には、大きな劇場のような、上流階級の…とまではいかなくても、高価なチケット代が出せるほどにはお金に余裕のある紳士や奥様やお嬢様方をターゲットにした娯楽や芸術作品、お祭り騒ぎの「晴れの日に老若男女が楽しむエンターテイメンとは別物の魅力があると思うから。
古本屋で買った小さな文庫本を開き、そのつかの間のひと時にこっそりと夢想して現実逃避を楽しんだり、人知れず涙を流したりナンセンスな笑いをもらすような、そういった狭くて濃ゆい楽しみ、中央や王道から外れた世界に、「好きな人は好きよね?」というような、マニュアックに入り込める魅力を、私はそこに求めているのだろうと思う。

だからね~、
特にあの劇中劇などは、あっきーはあくまでも大劇場の中央に主役として立つ人の、そのままのクォリティーで、そして周りのアンサンブルは、あくまでも「それらしく」頑張ってほしいです。
あの「なんちゃって感」を、ぜひとも大切にしてほしいわ。面白いから。
スタイリッシュで豪華な衣装を着ても、ペラペラにデコった衣装を身に着けていても、同じように大真面目にカッコよく、想いを込めて歌いあげるあっきーにクスクスと笑いながら、でも、いつしかその歌に(アンサンブルの歌も込みで) 感動している自分に驚いたり。
そんなところも、この舞台の楽しさだと思う。

ああ、次の予定は平日の夜。 始まったばかりというのに、すでに残りの日々が名残惜しくて愛おしい。
楽しみ、楽しみ!

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「あかい壁の家」(その一)初日

2013年08月02日 02時11分45秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/08/01@本多劇場
【作:演出】渡辺えり
【出演】中川晃教/高岡早紀/馬渕英俚可/稲荷卓央/土屋良太/田根楽子/若松武史/緑魔子/渡辺えり
石田恭子・瑚海みどり・佐藤友紀・原田菜奈・石山知佳・川口龍・奥山隆・小出奈央・大鶴美仁音・十倉彩子・藤本沙紀・宮島朋宏・金宮良枝・小倉卓・佐川守正・kiyoka・泉佑里奈・片桐レイメイ・栗山絵美・林田航平


はいはい、耳鳴りがするのはエイジング、つまり老化のせいですって??
そうねそうね、私も最近はそーいうことにしてんのよ。
それで手を打とうじゃないの!
どうせストレス説を取っても回復の見込みはないだろうし、別の理由だとしても病院に通うのも、もういい加減に面倒臭くってね~!
…な~んて思っている今日この頃。

「あかい壁の家」、初日を観に行ってきた!

で、時間が遅いので、さらっと箇条書き。

下北沢の本多劇場って、いまだ昭和の香りが残っていて、独特の空気があるよね?

そういや、二年前の夏、ケラの舞台を観ている時に具合が悪くて退場したよなぁ…
とか、思い出していたら、その時ご出演の古田新太さん発見。おおおっ! その甚平姿は目立ちました。

上演時間は休憩なしの二時間半。
この先、もうちょっと絞れるかな?

「ゲゲゲのげ」を観た人にとっては、この世界の時空の飛び方は比較的わかりやすいと思う。
何しろ、「辻褄合わなくてもいいか~」的な感覚で。

あっきーはチラシのような濃ゆいメークの怪しい人……ではなくて、普通の青年だった。
髪の色や髪型は、思ったよりもナチュラルに仕上がっていて素敵。

とにかく緑魔子さんが凄い! 彼女の台詞にいちいち惹きこまれる。

ミュージカル・シーンの「なんちゃって感」が面白くて笑える~。
が、説明歌詞の歌で、ところどころ聞き取れなくて説明になってない。
というのは、ご本人はわかっているかな? 練習期間が短かったせいか。

「なんちゃって感」といえば、タンゴのシーン、、チープでうらさびしいから下北沢らしくて好き。

いかにも本多劇場にふさわしい劇だと思う。 小劇場の舞台らしくて面白いと思う。
だけどさ~、本多劇場にスタオベって、違和感あると思うのは私だけ?

あっきーの作曲する曲って、最近こういう傾向だよね?
これは上演中に進化したりするのかな?
わくわく。

高岡早紀さん、この前観た映画と全然違うのね。 当たり前だけど。
やっぱ綺麗。
馬渕英俚可もさんも綺麗ね。

ちょっと、この席、怖かったんですけど。
ってか、私は昆虫?

休憩ないから、上演前にはトイレに行っておくべし!

あっきー頑張れ!

あっきー素敵!

でも、階段の上で姉ちゃんとのシーン。あっきーが落ちたらどうしよう、と心配しちゃう。
お願いだから、怪我しないでね。

と、初日は↑こういうノリで観ていた私。

だって、このあと何回も観るんだもん。 

よかったよ、とりあえず、よかった。
でも、今のところ、感動するっちゃ、やっぱり緑魔子さんだ!

その他はこれから、これから、よね?


しかし、ポンペイは予習する必要があったのか?
いや、しないよりは良いよね。
お陰であの簡単なセットでも、風景がちゃんと浮かんだもの。

次は土曜日。
というのは私のスケジュール。金曜の明日もやってます!

いいかげんに、もう、寝よっと!

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「ONE-HEART MUSICAL FESTIVAL 2013夏」 

2013年07月15日 13時51分29秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/07/13 @シアタークリエ 
【演出・振付】上島雪夫
【 音楽監督 】甲斐正人


あっきーも「ラカージュ」の女装をしてくれたら良かったのに~!
面白そうだし、似合いそう。 まじで可愛かったりしてね~っ? 
足なんか細くてすべすべだし、きっと可憐だから、ナイトクラブのオネエさんたちから苛められちゃったりしてね(笑)


そうそう、前の記事で、この舞台の先行予約で落選したと書きましたが、この出演者の顔ぶれを見ると無理もないですよね~! 

【出演】 彩乃かなみ / 石井一孝 / 石川 禅 / 一路真輝 / 伊礼彼方 / 大澄賢也 /
大塚千弘 / 香寿たつき / 佐々木喜英 / シルビア・グラブ /  高畑充希 / 武田真治 /
中川晃教 / 新納慎也 / 真琴つばさ / 吉野圭吾
(五十音順)

あの舞台、この舞台と、数々の名作にご出演のみなさんが、なんと!16人も!
本当に豪華なメンバーで、曲数もたっぷりだったし、贅沢をさせてもらって楽しみました。感謝です。

ONE-HEART MUSICAL FESTIVAL は、フライヤーによると「ハートをつなぐ ミュージカルの祭典」と書いてありますが、まあようするに、「東宝ミュージカル祭り」といった感じ。
東宝で上演されたもの以外もありましたけど、基本的にはそれが中心です。 
で、このコンサートって、舞台を観ていたか、または観てないかで、ずいぶんと感想が違うかもしれません。
歌を聴くことで、その舞台のシーンが甦り、懐かしく思ったり、改めて良い曲だな~と思ったり。
ミュージカルって、こういうことが出来るから良いですよね。 歌に感動することで、物語の感動も思い出しました。

でも、それをいうと、観てない舞台の歌にはどうしても、それほどには入り込めなかったりするので、やっぱり物語の背景がわかって聴くのとそうでないのとでは、違いますよね。
石井一孝さんが歌ってくださった「Maria」などは、「私の好きなミュージカル曲ベスト10」に入れたいくらい好きなんですけど、「ウエストサイド物語」の、あの場面や背景を知らないと、ただ「マリア」を繰り返しているだけの曲に聞こえてしまうかもしれないものね。
それは他の曲も同様で、意外にも、と言ったら怒られそうだけど、改めてしみじみと「良い作品だったな~」と思ったのが「サ・ビタ」であったり、「この作品は、今思えば当時に自覚してたよりもずっと好きかも?」と思い出されたのが「マリー・アントワネット」だったり。
 

で、それら、この日に歌われた曲の元になった作品で、
◆私が生の舞台を観ていたのは、次の18作。
「キャバレー」「SHIROH」「サ・ビ・タ」「モーツァルト!」「エリザベート」
「ルドルフ」「ラ・カージュ・オ・フォール」「ミス・サイゴン」「ウェディング・シンガー」
「ミー&マイガール」「レベッカ」「ダンス・オブ・ヴァンパイア」「マリー・アントワネット」
「三銃士」「ジキル&ハイド」「ゾロ」「ウエスト・サイド・ストーリー」「ラ・マンチャの男」
◆映画のみが、
「Dream Girls」
◆観ていないのが、11作
「ピピン」「シカゴ」「Sweet Charity」「Footloose」「Guys and Dolls」
「Little Shop of Horrors」「Duet」「Songs For A New World」「プリシラ」
「イーストウィックの魔女たち」「Gold」

とまあ、ざっと7割くらいは観ているかしら? じゃない!6割か。
歌われた楽曲数でいえば、8割くらいは舞台で聴いているはず。
これを見ると、今年に入ってからはともかく、去年までの私って、すごく熱心なミュージカル・ファンとは言えないけれど、そこそこには見ていたって感じかな。

それで、歌を聴いていて、改めて、「あの時に、あの人で、あの役を観ておいて本当に良かった」と、1曲ごとにいちいち思ったんですよね。舞台で演じた本人が歌ってさえいても。
それは、この日の歌に引き出されて、かつて舞台で「生きていたあの人」を愛おしく思い出すから。

あっきーの「SHIROH」も、「人のツバサ」は本当に大好きな曲…というのも度が過ぎるほどにすっかりハマり、生の舞台はもちろん、DVDが届いた当時は毎日のように見ていたほどでした。 それで、いつか再演してくれたらどんなに良いかとずっと思っていましたが、でも、あの頃の、とても若かったあっきーと、今の30を越えたあっきーとは違う。
草木にたとえるならば、ぐんぐんと伸び始めた苗木のような20そこそこのあっきーと、歌も演技もスキルが上がり、今や成長した若木のような30歳のあっきーとでは、同じ役を演じてもきっと同じにはならないだろうと思うんですよね。
それを思うと、どちらが良いかとかそういう話じゃなくて、私はあの時に生きていたシローに会うことが出来て本当にラッキーだったと思いました。

でも、それは観ている自分自身もそうなんですよね。 かつての自分と今の自分、同じ作品を観ても感想が違ってくるというのは、きっとそういうことなんでしょうね。 誰かを思い出すことは、その人に関わっていた自分を思い出すことかもしれないな。
舞台の上の人が10歳若ければ、観ていた私も10歳若かったものね。


ところで! その「人のツバサ」は、まじ嬉しかったな~!

…って、今更ですけど、この三時間半もあった盛り沢山のコンサートの感想を全部書くのは大変なので、私はあっきーのことしか書かない(ってか、書けない)のですけど。

あっきーが歌ってくれたのは、その他には、「闇が広がる」(エリザベート)、「私こそがふさわしい」(マリー・アントワネット)、あと、大澄賢也さんの「Dance With The Devi」(イーストウィックの魔女たち)にも参加していました。

Dance With では、半ズボン姿でダンスが踊れない男の子。 不器用そうで純情そうなキャラをコミカルに演じて(歌って)くれて楽しかったです。ちょっと「アイラブユー」を思い出したり。
舞台からはける時には、大澄さんから「あっきー、かつサンド食べに行こうぜ!」に、「あの一路さんがお昼に差し入れしてくれたやつね?」とアドリブもバッチリ。

「闇が広がる」は、な~んか、あっきー独特のトートなんですけど、これがまたハマってましたね~!
もっと聞きたい! できたらトート全部を聞いてみたくなりました!

「私こそが」は、鈴木綜馬オルレアン公がむちゃくちゃ魅力的で、当時の日記には
「その魅力は私程度の筆力じゃとても書き表せませんわ~! ふふっ 」
な~んて書いてるのね(笑)
あの怪演ともいえた強烈なオルレアルン公の歌を、今あっきーが歌っているって、なんかすごく面白いんですけど、あっきーは、天才でなくてもああいう、もっと人らしい俗っぽい闇を抱えた役どころなども、今やすっかり似合いそうです。
それはたぶん、「SHIROH」の頃にはできなかったことじゃないかな? 
これからの中川晃教がますます楽しみになりました。

カーテンコールでは、「ヴァンパイア・フィナーレ」で賑やかに盛り上がり、フェスティバルらしい幕のおわり。
カテコで、ひとり千秋楽のあっきーは嬉しそうで、その舞い上がり方に「精神安定剤がいる?」なんて自分で言ってたほど(笑)

三時間半は長かったけど、そのぶんだけお楽しみが多くて、とっても楽しいコンサートでした。

このコンサートもそうだけど、ミュージカルの舞台も、観たいからといって全部見られるわけじゃないし、その時々の自分の事情もあるけれど、観られる時にはその状況に感謝したいと思います。
ありがとうございました。

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「SHOW-ismⅥ TATTOO14」7/1ソワレ

2013年07月06日 04時40分01秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/07/01 @シアタークリエ
【作・演出】小林香
【出演】水夏希 / シルビア・グラブ / 大塚千弘 / ジェニファー / Miz / 今枝珠美 / 保坂知寿
ゲスト:中川晃教

奴らが、あのハンサム・ウーマンの7人が!、よりパワフルに! よりエネルギッシュに! よりカッコよく美しくなって帰ってきた!!

私、案外と、この舞台は好きなのよね~!
ちがった、「案外」っていうのもナニか(笑)
この舞台は、かなり好き。 

え゛、だって、私は今年、演劇やミュージカル部門では、「あっきー(中川晃教さん)の出演する舞台しか観ない」 を基本にしているので、とにかくここ半年は、この際、好きも嫌いも論外で、あんまり考えず、選ばずにチケットを買ったり買わなかったりしているけれど……
それ、自分で決めた事とはいえ、「え~っ、大丈夫か、私?! しまいに何かが爆発しても知らないからねっ!」って感じ。 
だって、ここ数ヶ月に話題になっているあの舞台、その舞台、あれもこれもどれも、みんな観てないし、観ないんだものぉ~っ!

それがだけど、ここにきてだんだん、だんだん、だんだんと!、ドMな快感を覚え…なくもない、今日この頃ですが
「TATTOO14」は、7人の彼女達がカッコよくて、パワフルで、歌も踊りも衣装も見ごたえ、聴き応えがあって、最後にはスカッとするから、あっきーがゲスト出演で三曲しか歌ってなくても満足度が高くて、これが観られて良かったです。
あっきー演じるスカイのソロ歌も素敵な曲だし。

私は二人姉妹の末っ子だからかな?  保坂知寿さん、シルビアさん、水夏希さん、この三人のおにぃ…じゃない(笑)お姉ちゃんズ!が一緒のシーンが特に好きだわ!
この三人は、それぞれの方向で強い!
強い女性は好きだけど、でも、べつに気が強い女が好きってわけじゃないのね。
強い女性って、私の知る限り、いじらしい面がどこかしらにあって、その隠された「いじらしさ」みたいのが好き。
妹達にお腹を空かせたり、寂しい想い、悲しい想いをさせないように、笑顔を見たいために、親代わりに働いて、なけなしの紙幣を出し合ったり、かばったり、励ましたり、傍に寄り添ってあげようとする、この健気なお姉ちゃん達の「いじらしさ」は、深いやさしさでもあるのよね。

それはたぶん、家族の庇護であったり、誰かが自分をまるごと肯定してくれることとかね、関心とか安心とか、そういった、彼女達こそが欲しかったものを妹達に与えたい、という想いがあって、だからきっと、いつもちょっと無理したり頑張っちゃったりしているに違いないのだろうなぁ…とか。

それで私、この舞台の歌はどれも良い曲ばかりだけど、ファーファの「YES」って特に好きで、ビーが彼女に「YES」と言ってあげるシーンなんかも、とても胸がきゅーんと締め付けられます。
この胸きゅんのお姉ちゃんのビーだって、きっと誰かに「YES」と言って欲しいよね?
彼女達にとって、家族とは、血の繋がりよりも、たぶんそういう繋がり。
そういう温もりのある幸せが、いつまでもずっと続けばいいと思うのは、誰にとっても夢かもしれない。

ところで、夢といえば、スカイは「本当の夢はなに?」と聞くけれど、何年か前に、あっきーも同じようなことを問いかけていたのを思い出します。
「あなたの一番の願いは何ですか?」って。
それは、私がここ数年考え続けている、「私の一番欲しいものって何だろう?」と同じかもしれないな。
あの時、あっきーは自分の答えを出していましたが、あれは変わってないかしら?
もしかしたら、もうとっくにそれを手に入れていて、今となっては違うものを願っているかもしれないし…。
私はずっと考え続けていただけに、「自分の一番欲しいもの」が、もうわかってきたけれど、それはたぶん、「ラマンチャの男」のような、「見果てぬ夢」なんだと思う。

夢って、希望や願望を言う夢と、夜にベッドで寝ながら見る夢との、二種類だとずっと思っていたけど、もうひとつ、三つ目の夢がある。
それは、「見るための夢」
「蜘蛛女のキス」で、獄中のモリーナが見た幸せの夢、「ラマンチャの男」で、アルドンサがドンキホーテを通しドルシネアとして生きる夢……。
この「TATTOO14」では、舞台の上から「あなたは輝いている」と歌ってもらい、私もそんな種類の夢を見させてもらったような気がしました。


って、ここで書き終わろうと思ったのだけど(笑)
あっきー、ね。
スカイに笑っちゃったのは、ほかの人の理由は知らないけれど、私はまず、ビーと抱き合うシーンとかね、あれ、「大物スターのハグ」って、そーいうのなんだ? みたいな感じとか、頑張って「余裕持っちゃってるぞ感」とかね(笑)
まあだから、よーするに、「なんで僕が出てきただけで笑うの?」に、「可愛いから笑ってるんだよ!」というのは、ある意味正解かも~?

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「ロックオペラ モーツァルト」2/23ソワレ(ルージュver.)

2013年02月24日 02時41分58秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2013/02/23 @梅田芸術劇場

ルージュバージョン  モーツァルト役/中川晃教 サリエリ役/山本耕史

大阪に来ています。
私にしては、珍しく遠征。

そういや関西は、なんと!中学の修学旅行以来一度も訪れてなかったのに、この一年間で三度目の大阪入り、
なので、仲良しのおねえさんから、「大阪に男でもできたの?」と聞かれる始末(爆)
あら、びっくり 私ってまだ男が作れそうな女に見えるのか??
見えないな~、我ながら

なんてことは、どーでもよろしい話だけど・・・

ルージュを見たら、「やっぱり私はルージュがいいわ」と思いつつ、でもまた「インディゴが見たい~!」と思い、
インディゴを見れば、「インディゴ最高感動するわ!」と思うが、でもでも!ルージュが愛しくてもう一度ルージュが見たくなる。
すっかりモーツァルト・スパイラルにハマりました。

♪このみちぃ~は~、いつか来たみ~ち~
♪あーあ~、そうだよーお~、

そういや、帝劇で初めて「モーツァルト!」を見たときにも、あっきーヴォルを見たら、ヨッシーヴォルフを見たくなり、
ヨッシーを見れば、やっぱりあっきーが見たくなる・・・というループに陥ったのを思い出したわ。
で、結局私は、あっきーになったけど。

あっきーヴォルフはね、ほとんど自分の見たいもの、やりたいものしか見えてなくて、お母さんの話なんか、ほんと!まったく聞いちゃいないのね。
その様子が無邪気で可愛くて、時々ちょっとデコピンしたくなっちゃうくらい得意げで生意気!(笑)
少しばかり神妙に大人しくしていても、続いてせいぜいが数年のこと。
息が詰まるほどに思いつめた、あの表情!
誰のためでもなく、結局は自分のために自分の音楽を作りたくて、「僕は自由だ!」と爆発的に叫び、外へ飛び出していく。
その真っ直ぐさが、時に自分勝手でもあり、他人を傷つけ、自分を傷つけていくのね。
なんて不器用な生き方なんだろう。

でもこれはもしかしたら、モーツァルトが天才で、この国のこの時代だから余計に珍しい人・・・というか、困った人にも見えるけれど、今の時代の若者だと思えば、わりと普通に見る姿かもしれないな・・・とも、思ったり。

なんとなくね、後世に生きる私たちは、モーツァルトの音楽を「クラシック」と言い、ヴォルフガングはこんなにも長きにわたり愛される素晴らしくも偉大な才能の持ち主なのだと認識しているけれど、彼自身が生きていた時代では、民衆たちはきっと、私たちが今流行のアーティスト達の音楽を聞くのと大して変わりない感覚で彼の音楽をもてはやしたり、逆にけなしたりしていたと思うのよね。
好ましいと思う曲には絶賛するけれど、そうでない方向へ行ってしまえば「あれはもう駄目だ」と批判したり、飽きてしまったり。
宮廷から出てしまえば、つまりは浮世に流れる人気商売で、人気商売となれば民衆の好みに合わなければお金にもならない。
芸術とエンターテイメント、その向かい合うべき相手は違うから両立するのは難しいし。
芸術家は自身と向き合い、エンターテイナーは民衆と向き合うべきだもの。

ふと、生きている間に評価されず、好かれもしなかった、あの貧乏なゴッホの孤独を思い出す。
舞台「炎の人」には、「天才とは、悪意のないエゴイストだ」という名言があったっけ・・・。
彼ら天才達にとっては決して譲れないものがあり、それが何と引き換えにしても絶対である以上、孤独も苦悩もトラブルも、たぶん避けることはきないのでしょうね。
彼らが掴みたいものは、凡人が届かないようなずっと遠くて高い場所にあり、なまじそれに手が届く人だからこそ、現実に手にしたものは次から次へとこぼしてしまう。

人が人生に望むもの、その全てを手に入れることなんて、きっと誰にだってできやしない。
だからこそ思う。

私が一番欲しいものって何だろう・・・。
そして、私が、私だから、手に入れることのできるものって、何だろう。

自分の生きている意味って、はたして死ぬまでにわかるのかしら・・・?
とか。
私も天国に行ったら、会いたい人に会えるかな・・・

なんて思ったら、妙に泣けてきた。

ああ、これも確かに感想ではあるけど、ぜんぜんレポートにはなってない
なんか支離滅裂で、役者さんの話がなくてすみません。

だけど・・・

そういや東京楽を見た時に、サリエリはモーツァルトに、「誰のための」レクイエムを書かせたかったのだろう?と、ふと改めて思い、インディゴのあっきーサリエリには「もしかして、自分(ヴォルフガングではなくて、サリエリ自身のための)レクイエム」を頼んだのではないかと、そんな気がした。
そんな苦悩を見たと思ったのだけど、山本サリエリとは苦悩の中身すらも微妙に違って感じられたんですよね。

この二人、やっぱり交互に見るのが面白いです。
いよいよ明日は千秋楽。
二人のヴォルフガング、二人のサリエリに期待です

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「ロックオペラ モーツァルト」東京千秋楽!

2013年02月18日 00時49分04秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

ブラヴォーーーッ!!

できることなら、舞台に向かって大きな声で叫びたかった!
だって、これぞロックオペラ!
拍手するだけじゃ、立ち上がるだけじゃ、この気持ちを伝えるのに全然足りないわ!

そしてごめんなさい、前言撤回!
この千秋楽に来て、私はインディゴが好き!
大好きになりました!!

「同じように演出しても、違う二人は決して同じ様にはならない」のが前提だから、私たち観客も同じように観たり比べたりすることは無意味だと、心から思いました。
山本耕史さんのヴォルフガングは、本当に素敵で素晴らしくて感動しました!

山本さんは、実を言えば、プレビューの時点ではいくつか気になるところがありました。
それらが今となっては全てが解消されて(・・・って、私の個人的な好みに、ってことで!)、最初に期待していた以上!
たぶん、私がこの舞台で見たいと思った山本ヴォルフの、思った以上の理想を見せてもらったような気がします。

そして開幕当初に、「感動して泣きながら観るような舞台とは違う」と言ったのも撤回です。
一幕目のラスト、それから二幕のレクイエムから最終に向けては涙があふれ、あのエンディングに胸が熱くなりました。
最後にコンスと抱き合い、そっと離れてから彼女を見つめたあの表情!
山本耕史さんのあの時のお顔は、きっといつまでも忘れないと思います。

カーテンコールもあっきーの無茶な機転で、なんと楽しかったこと!
劇場内があれほどに温かく、そしてあれほどに熱く盛り上がった千秋楽に立ち会えて、本当に幸せです!


山本耕史さん、ありがとう!
あっきー、ありがとう!

他のキャストの皆さんも、スタッフの皆さんも、劇場の方々も、連日のように祝杯にお付き合いしてくれた楽しい友人達も、そして、このブログを読みに来てくださったあなたも!、みんなみんな、ありがとうございました!

明日からの一週間は、たぶん地獄の残業続き、ハードな平日になるかと思います。
なので今宵は早めに切り上げますが、この続きはまた別の日に。

大阪に行ける皆さん、また、劇場でお会いしましょう!

では、お互いに良い夢を!

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