今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「プリンセストヨトミ」

2011年05月29日 00時09分10秒 | 映画

堤真一さんは堅物な会計調査官ぶりがハマってたし、中井貴一さんは相変わらずええ芝居してはった、
綾瀬はるかちゃんの天然なところも可愛い。
お好み焼きや串焼き、たこ焼きなどの定番大阪グルメの食べっぷりも気持ちよくて、見ていてお腹がすいてきたわ。

大阪の男たちが守った大切なものとは何か?
っちゅー話で、最後はそれなりにハートフル。
おもろなかったとまでは言わないが…

せやけど、うちは納得でけへん!

なんで、大阪、大阪いうてるのに、誰もボケへんの?!
ボケもつっこみもしない大阪市民ばかりの物語って、ありえへんやろ!

しかも、「もっとこう、パン、パン、パパーン! と、テンポよく展開せんかい!」と言いたくなるし。
せめてエンドロールの最後で、なんや落ちがあるんやないかと期待していたら、
まんまエエお話で終わったやん。
どないやねん!

…という、妙な関西弁もどきの言葉で突っ込んでみたくなる映画でした(笑)

  

それにしても、今日は本当は、手塚治虫さんのアニメ「ブッダ」を観に行ったはずなのよね。
だけど、途中で気が変わって…って、私じゃなくて、おデートの相手がね(笑)
それでこの映画を見たんだけど、いや、だけど、そこそこに、それなりに、楽しみました~。
ブッダのほうは展覧会にも行って予習もばっちりだし、近日中に見る予定です。
今月は珍しく映画月だったわ。


「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」

2011年05月28日 01時07分29秒 | 映画

あ、なんだ~、これってオーリーが出ないんだぁ~?
って、おい! とか怒られそうだけど(誰に? ジョニー・デップのファンに、とか?)
だって~(笑)
私はこのシリーズのオーランド・ブルームが結構好きだったんだもの。

でも、ま、それはおいといて……
上映中の映画はなるべくネタばれしないように書くことにしていますけど。
これは一言で言うと、インディ・ジョーンズ海賊版って感じかな。
永遠の命をもたらす泉を求め、「秘境への冒険、聖杯、そして美女にはご用心!」というお話よ。

  

こういうのを見ると、つくづく「冒険に出かける男って恋愛に向いてないなぁ」とか思うわ。
常に「さらなる場所」に向かって旅立ちたいドーパミン系の男子にとっては、恋愛もひとつの経過点で、ときめきがひととおり納まると結局女は置いてけぼりにされちゃうのよね。
色気がないわけじゃないんだけど、自由のほうが大切なのね。

だけど、この世には「冗談じゃないわよ! 大人しく捨てられたままでいるもんですか!」という女もいたりして…って、誰もそんなことは言ってないけれど(笑)
そっちがその気なら私だってやりたいことをやってやろうじゃないの?的な、勇ましくてカッコイイ女性、しかも美人!なヒロインのペネロペ・クルスは素敵でした。
…にしても、ペネロペが本当にカッコ良く活躍するのはもしかして次回作ではないのかしら?

なんて、これから観る人がたくさんいそうなので、あまり多く語るのはやめておきましょうか。

とにかくエンド・ロールが長かったです。
音楽が壮大に流れるから飽きはしないけど、画像はこの映画に携わった人の名前で延々と続きます。
けれども最後まで席を立たないようにね。


「ムットーニ ワールド からくりシアターⅡ」(八王子市夢美術館)

2011年05月23日 02時45分30秒 | 美術館/博物館/展覧会

ムットーニ・ワールドを観に行く時にいつもご一緒してくれる友達が、私に向かって「ほんとうにムットーニが好きなんだねぇ~」と感心するように言ってましたけど(笑)
そうなの。好きなの、ほんとうに。
ムットーニの作品って、ひとつひとつが小さな劇場みたいなんだもの。

人形たちの動きにはそれぞれに予測のできない展開があり、その都度に奥行きのある物語が感じられて、月があり星があり、光があって、煌く夜の宇宙があります。
音楽のセレクトも良ければ、口上にも味があり、私はそれらのことごとくが心の琴線に触れるので、時々涙が出るほどに感動してその世界にぐっと惹かれるのを感じます。

八王子市夢美術館は都心からはちょっとばかり遠いですが、ムットーニ・ワールドは絶対に観る価値があると思います。
観覧料が500円というのも嬉しいです。
そして、これを観るならやっぱり金曜・土曜・日曜の、ムットーニ氏の口上のあるお時間に行かなくちゃ!
口上がなくてももちろん楽しめますが、ムットーニ氏自らも言っていたように、「口上付で観ると、めっちゃ楽しいです!」
口上のある上演会は申込み不要で無料ですから、ぜひとも時間を合わせての観覧をお薦めします。

その口上とは、氏いわく「後付けで、でっち上げ」なんですって(笑)
ですから毎回ぴったり同じ口上でもないのが楽しみでもあります。
それにしたって、作者本人が後付けしているのですから、その世界がより深く感じられてとても素敵です。
ムットーニ氏の静かな語り口のそれを聴いていると、時々私はこの人形そのものなのではないかと錯覚すらしてしまいます。
もしかすると、私はこの人形で、私の人生もこの箱の中の夢ではなかろうか…なんてね。
それは見て聴く側の想像が引き出されるような作品だからなのでしょう。
ムットーニ氏は、「口上は僕の後付けでつくったものですから、皆さんは皆さんの物語を創ってください」と仰います。
作品を見ていると、それぞれの胸の中に物語が生み出される…それもムットーニワールドの特徴なのだと思います。

今回も展示されて嬉しかった「カンターテ ドミノ」は、いつ観ても感動で胸がいっぱいになります。
教会でパイプオルガンを弾く男の天に天使が昇るというものですが、そのパイプオルガンの賛美歌も凄く良いんですよね。
カンターテ・ドミノとは「最も新しき歌」という意味で、最も新しき歌とは、だから「最後の歌」だそうです。
今この時、神に捧げる最も新しき、最後の神の賛歌とはすなわち「黙示録」。
その電動じかけの女神(天使?)が讃美歌の極まりと共にゆっくりと天に昇っていく様や最後に光溢れる宇宙への感動は、この作品を見た人にしかわからない…と言ってしまうとおしまいですが(笑)何度見ても胸を打たれます。

他には、私がこの日初めて見たものの中で、「眠り」という作品が私は特に好きだと思いました。
女性と、その女性を鏡に映した二体の人形が向かい合ってまわるうち、その鏡の姿は単なるシンメトリー(鏡像)ではなく、もうひとりの彼女ではないか? …という不思議な作品は、いつかどこかで見た私の世界に重なるような気がしてツボでした。
上演会の最後に見せていただいた「クリスタルキャバレー」も、新作のウィングエレメントも、どれもこれもが良かったです。

ところで、今回の初日に武藤さんはトランペットを用意していて初日にはそれを吹いてくれたそうですが、私が行った次の日の土曜日は喉を悪くしたとかでその演奏が聴けなかったのは残念でした。
ほんのちょっぴり歌ってくださった歌もとても素敵だったし、それももっと聞きたかったです。
口上の絶妙な間合いといい、声といい、ほんとにマルチな才能がおありで、この世界が総合芸術に至ったのには、ムットーニ氏の幅広さからしても納得できます。

「すべての旅人と、夢追い人に、祝福を!」という総合芸術のムットーニ・ワールド。
観るごとに、好きにならずにはいられません。

<!-- 日産グループ 企業CM(ムットーニ)  -->


「スウィニー・トッド」

2011年05月22日 13時15分11秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

【演出・振付】宮本亜門
【出演】市村正親/大竹しのぶ/キムラ緑子/ソニン/田代万里生/斉藤暁/武田真治

この舞台、たぶん三回観たら良いですね。
ゆっくりと三回ね。そうすると作品がより深く味わえると思います。
…なんつって、観た人だけにわかるブラックなジョークを言ってみたりして(笑)

あ、そうだ。時々念を押して書いておかなきゃ…
「私に常識的な感想を期待しないでください」

そして最初から脱線話をするんですけど(笑)
この舞台って、主人公たちが殺人のあげくその人肉を人に食わせちゃうような気持ちの悪いお話ですから、これからそれ方向の話を始めますのでそっちに弱い方は気をつけてくださいね。

で、その脱線話からですが。
中学の時、部活(吹奏楽部)の先輩で、「養豚場の跡取り息子」というのがいたんですよ。
その先輩は合宿の食事に「豚肉が出ると必ず残す」という噂がありました。
ある時、その養豚場が大火事になり、豚がみな焼け死んでしまう事故がありました。
その時先輩は「豚たちがかわいそうだ」と泣いていたそうです。
養豚場の豚は食肉として殺されるために飼われていました。
けれどもその豚を「あいつらも可愛いんだ」と言う先輩からしてみれば、豚が火事で焼かれるのは可哀想で、そればかりか食べるために殺されるのも実は心が痛かったようです。
だから自分の口に入る肉がもしかすると自分のところで飼っていたその可愛い豚たちのどれかと思うと耐えられなかったのかと思います。
牧場の牛も、養鶏場の鶏も、生簀の魚でさえも、彼らには彼らなりの喜怒哀楽があるのかもしれないし、場合によっては人間の友達にもなりうる生き物かもしれません。
けれども、私たちは煮たり焼いたりされる動物を、食べるたびにいちいち可哀想だとは思いませんよね。
私たちには「食べて生きる」という現実があればこそ、そのようなことに頓着はしていられません。
「食べるために牛や豚を殺してはならない」などという倫理観などもありません。
ちなみに、その養豚場の跡取りだった先輩にしても、豚を食肉にすることで生活をしているという現実があり、余談ですが、彼は実は芸大出の顧問から「天才」だの「先生」と呼ばれるほどに音楽の才能がありましたが、そうであっても音楽で生活する夢を抱かずに中学生のうちから家業を継ぐ覚悟ができている人でした。

常識もそうですが、倫理観もタブーの意識も、生まれ育つ場所や時代で変わり、たいていは同じコミュニティーに生きる者たちで共通するものがあるでしょう。
それにしても、私の中学の先輩が豚を食べることが彼のタブーであったように、固有のそれがあってもおかしくありません。
逆もまたしかり。

スウィニー・トッドの大家でミート・パイ屋のミセス・ラヴェットは、超現実的な女性です。
彼女にとって、死んだ人肉の塊はつまり「肉」であり、その現実は彼女の倫理観やタブーを大きく凌駕していたようです。
彼女が見るべきと思う現実とは「ミート・パイをたくさん売ってお金儲けをすること」と「このままトッドのすることを受け入れ、協力して暮らすこと」です。

正常と異常の違い、その境界線はどこにあるのか…。

ミセス・ラヴェットはこの物語でトッドよりもなお異常な人でありながら、彼女の様子はいたって正常で、どこにでもいそうな「ごく普通の」お喋りな中年女性に見えます。
地下で人肉を挽肉にするという悪魔の所業を行いながら、一方では「私たちはみな神の子だからね」などと、うそぶくでもなく普通に言ったりするんですよねぇ…。
この舞台では「気違い」という言葉がたくさん使われますが、「気違い病院」の患者たちや乞食の女は見るからに狂っていて、普通の人と「気」が違います。
でもラヴェットの「気」は違っていません。
この役を演じた大竹しのぶさんは、映画「クワイエットルームにようこそ」でもそうでしたが、異常な人間をほとんど正常な人のように演じながら、その無邪気な様子の中に恐ろしさを感じさせる女優さんだと思います。
「身毒丸」はきっと凄いことになるのでしょうね。楽しみです。

ところで彼女の一番大きな罪とは、「何も知らない人たちに食べさせていた」ことだと私は思いますが、知らないことはいっそ最後まで知らないでいたほうが幸せなこともあるかもしれませんね。
誰よりもラストシーンのトッドこそがそうでした。
知らなきゃ良かったのに…。
トッドの娘、ジョアンナも自分の両親かそれぞれどのような人か、あのまま何も知らないほうが絶対に良いと思います。

…なんて。

……え~と、某所でこの舞台を「宮本亜門演出 による「復讐のドラマ」が訴えるメッセージは深く胸を打つ!」と紹介していましたが、その「メッセージ」がいまひとつ私には理解できていないのかもしれません。
「復讐するは空しく悲しい」
ってこと?
それでは、妻を犯されたあげく無実の罪をきせられた男の、絶望の怒りと悲しみとはどうしたら良かったのでしょうね? 

身分低き力のない者はどのような目にあっても諦めるしかないというような、不条理な世の中は正常な世の中とはいえないのではないか。
正常ではなく異常な世の中にあり、そこで普通に暮らしていられる人々は果たして正常といえるのでしょうか?

今のこの世の中はどうです?
正常な世の中ですか?なかなかに不条理で異常なことが多いではないですか。
その異常の中で狂いもせずに普通に暮らしている私たちも異常なのかもしれませんよ?

自分の口にしている食べ物が本当はどんなものなのか、
自分たちが普通だと思いながら暮らす生活は、
その中で平気で行われる所業の数々には、
いったいどんな側面を持つのか…。
…場合によっては知らないほうが幸せかもしれませんね。

実をいえば、この舞台は無理やりにでもスルーしようと思っていましたが、大好きなソニンちゃんが頑張っているようなので、ソニンちゃん見たさにやっぱり急遽観に行きました。
市村さんの舞台を観ると、ついついロビーで次の舞台のチケットを買ってしまうのは何度目かしら?
思わず買ってしまった「炎の人」が11月だなんて、そんな半年も先のチケットを買うのが、いつの間にか「普通」のことになってしまった私です。


「写楽」(東京国立博物館 平成館)

2011年05月21日 03時02分14秒 | 美術館/博物館/展覧会

この展覧会は17日火曜日に「ブッダ展」のついでに行ったのですが、ついでどころか、こちらのほうが展示数がはるかに多いし、会場も広いし、かなりボリュームがありました。

東洲斎写楽は寛政6年(1794年)五月に役者絵で華やかにデビューしたと言いますが、たったの10ヶ月ほどで忽然と姿を消してしまった謎多き人です。
その短い期間に140図以上の版画を世に出し、たぶんそのほとんどがここに展示されていると思われます。
それらの作品を、展覧会では四つの製作時期に分けて展示されていました。
写楽だけでなく、他の絵師の作品も多数見ることができました。
歌舞伎の同じ演目の同じ役者さんの絵でも、写楽の描いたものは異色というほど大胆で個性的です。
役者さんの内面までも描いた写楽の斬新な作品には、当時の人はさぞかし驚いて心浮き立ったことでしょうね。

けれども、顔をクローズアップした大胆な初期のその大首絵も、二期には姿全体、三期では背景も描かれるようになり、そうこうして変化するうちに写楽らしさがだんだん失われ、四期ともなると他の絵師の作品と比べてもあまり大差ないと思われるほどに没個性的に見えます。
そして、当初の人気は薄れ写楽はそのまま姿を消してしまうのですが…。

人気がなくなってきたから、個性的でなくなったのか。
個性的でなくなったから、人気がなくなったのか。

これは、前者でしょうね。
なぜなら役者絵は作品であって「作品」ではないんですよね。
役者絵は興行側からすると、それは舞台のチラシであり、ファンにとってはブロマイドの役割がありました。
写楽の初期の作品には役者たちの内面までもを描き、女形でも「男が演じている」ことを画面に隠してはいません。
だから美しいかどうかというと、その観点からいうと他の絵師たちの絵のほうが美しかったり、格好良いものだったりします。 
ファン心を知る者としては、やっぱり好きな役者さんの絵は美しいほうが人気があっただろうと容易に想像できますよね。
実際、フライヤー(ちらし)の写真が実物以上に素敵だったりすると萌えるし(笑)
もしこの現代に写楽がいて、自分の御贔屓の役者さんのアップを書いてくれたなら…
「いや~ん、この顔、面白いんだけど、ちょっとひどぉ~い! 私の御贔屓はもっと素敵なんだから綺麗に書いてくれなきゃいや~っ!」とか文句言ってしまいそう(笑)

ところで、「その数と質において、空前絶後の展覧会」というわりには、私はいまひとつ楽しめなかったのは、展示作品の多くが歌舞伎を題材にしたもので、私が歌舞伎に疎いからです。
歌舞伎を知っていたら、この展覧会はもっとずっと面白かったに違いありません。
特に写楽と他の絵師たちが、同じ場面を描いたものなど…「ああ、この絵はあの場面ね?」なんて、舞台を思い出しながら見比べてみたらかなり楽しそうです。
その絵の役者さんたちが当代の歌舞伎役者さんたちのご先祖様であったりするでしょうしね。

と思うのは、私はやっぱり絵も好きだけど、舞台好きだからですね。
写楽の作品をいつの間にか、貴重な美術作品としてではなく、パンフレットやチラシのように見ようとしていた自分に気がつきました(笑)


「手塚治虫のブッダ展」(東京国立博物館)

2011年05月18日 01時36分09秒 | 美術館/博物館/展覧会

「仏像と漫画でたどる釈迦の生涯 手塚治虫のブッダ展」
(東京国立博物館本館特別5室)

この展覧会と28日から公開の映画、「どっちを観てから観るか?」と悩みましたが、6月の土日はすでに出かける用事で埋まってしまっているので、先に展覧会を観に行くことにしました。

それにしても今、上野が楽しい! あちこちと魅力的です!
パンダで賑わう上野動物園のすぐそばに建つ美術館や博物館の数々。
「あれも観たい、これも観たい!」と興味はいろいろありますが、でも今日はこのためにわざわざ有給休暇を取ったので一直線です。

映画にもなる「ブッダ」とは、言わずと知れた手塚治虫さんの漫画の題名でもありますけど、お釈迦様のことです。
この展覧会はその漫画の原画や実際の仏像を見ながらお釈迦様の生涯をたどったものです。
って、題名のまんまやんか(笑)

そういえば、先日まで本屋さんで「岡本太郎コーナー」だった場所が、いつのまにかこの「ブッダ」のコーナーに様変わりしていました。
本屋さんではブッダ展の入場100円割引券のついたチラシやしおりがおいてありますから、今から観に行く方は、先に本屋さんでゲットしてくださいね。
私はその折に、ちくま新書の「仏教の身体感覚」(久保田展弘・著)を買いました。
例によって難しいことは適当に流しながら読みましたけど、かなり興味深い本でした。
これは身体感覚という視点から仏教史を辿り、救済の本質を見直していくという本です。
それと、博物館では「ブッダの教えがよくわかる」(ひろ さちや・著)という本を買ってきました。
ぺらぺらとめくってみたところ、釈迦を一人の思想家として捉えている本で、とても解りやすそうです。

ところで、私は自分が無宗教の人だと思っていますが、それは「生きている人を真に癒し救うのは人でしかない」と思っているからなんですよね。
私にとって宗教にふれることは仏教に限らずキリスト教であれ何であれ、その思想・哲学を学ぶことであり、そこからの気づきであり、時に共感であり、さらには「それは自分にとってどういうことなのだろう」という思考の対象のような気がします。

けれども、この展覧会や本で改めてブッダの教えを見てみると、仏教の教えは確かに私の中にも根付いていたことがわかります。
「諸行無常」(全てが常ならず変化する)「諸法無我」(あらゆる事物には、永遠・ 不変な本性である我がない)という思想に共感し、そしてあらゆるものに執着やこだわりを持たずに生きたいと思う私の終(つい)の理想は、たぶん「涅槃寂静」に近いです。
「私の思う最も崇高で美しい存在は私という宇宙に存在し、けれども最も卑小で醜いものも私の中にあるのだろう」という思いも、そして「私は全てにいて、全てにいない」と思うのも、「私はここにいて、ここにいない」と感じるのも、それらはみな仏教が基礎になっていたのだろうという気がしました。
そういえば、幼稚園は仏教系だったので、そのあたりから刷り込まれていたのかもしれません。

かなりいろいろと思うところがあったので、映画「ブッダ」を観るのが楽しみになりました。


映画「ブラック・スワン」

2011年05月14日 23時59分50秒 | 映画

【監督】ダーレン・アロノフスキー
【出演】ナタリー・ポートマン/バンサン・カッセル/ミラ・クニス/バーバラ・ハーシー/ウィノナ・ライダー/ベンジャミン・ミルピエ/セニア・ソロ

  

この映画は凄い! 凄まじいです。

これは見る前に「サイコ・スリラー」だとか「サイコ・サスペンス」などと聞いていたけど、私に言わせれば、「もともと境界性人格障害の気があった女性が、芸域を極めるにあたり自分を追い詰め、とうとうボーダーラインを越えてしまった」という物語です。

現実世界と主人公ニナの幻覚である精神世界を行ったり来たりするうちに、やがてそれらがマーブル状に入り混じり、ついには見ているこちらもその混じりあう世界に潜り込んでしまったような感覚に陥ります。

ラスト近くの黒鳥の踊りではニナが黒鳥と同化し、その姿がしだいに黒鳥に変化してしまうという壮絶ぶり。ニナの腕には黒い羽が生え、私の腕は鳥肌がたちました。

その精神世界を映す映像があまりにリアルなので、オーラスの白鳥が湖に身を投げたその後の姿さえも、あれが本当の姿なのか、彼女の幻覚の姿なのか私には決めかねたくらいです。

かなりくるものがあったし、いろいろと興味深かったです。

 

これね~、特にここ数年私と親しくしてくれている舞台系の知人はもちろん、アーティスト系の友人、バレエ好きの友人…といっても合わせてもそんなに多くはないけれど、彼女たちにはぜひ見てほしいです。

でもって、この映画の感想と、あちら側の世界について、それともうひとつ、「官能的とは何か」について(爆)、お酒でも飲みながらぜひ一緒に語り合いたい!

 

だってぇ~!(笑)

いきなりここで「官能的であることはどういうことか…」なんて語りだすのもどうかと思うし、一人じゃ話が発展しなくて詰まんないだもん。

この映画が参考になって私にはだいぶそれが理解できたような気がしたんだけど、それは抑制と開放の話でもあるのよね。

 

ところで、バレエといえば私は一年に一回とかせいぜい二回くらいしか観ませんけど、「白鳥の湖」は一昨年に一本、去年はマシューボーンのものを一本観ました。

そのときにバレエ好きの友人からアレコレとレクチャーしてもらって、同じ演目で同じ音楽を使っていても演出や振付け次第で物語が変わり、結末すらも変わると知って面白かったです。

この映画では演出家が「官能的な作品にしたい」と言い、黒鳥には相手役が思わずベッドを共にしたいと思わせるような魅力を求めます。

ただ正確に美しく踊るだけでは得られない、芸の完璧さとは何か。

そのためには心の開放が必要で主人公は苦しむわけですが、彼女の考える「完璧」とは「最善を尽くす」ということとは違うらしい。

自分を解放できずに性の快楽すらも味わうことのできない彼女の、舞台で掴んだ開放のエクスタシーには総毛だつような狂気の快楽を垣間見たような気がしました。

友よ! もしこんな舞台が現実に来日したのなら、私たち、当然奮発してS席チケット即買いよ!(笑)


朗読劇「私の頭の中の消しゴム」3rd letter

2011年05月10日 23時27分23秒 | リーディングドラマ(朗読劇)

朗読劇「私の頭の中の消しゴム」3rd letter
【出演】中川晃教/村川絵梨

ゴールデンウィーク、終わっちゃいましたね~。
今週末までの五日間が長く感じませんか?
ゴールデンウィークといえば、ここ数年はそのほとんどの日を観劇にあてて、あちこちの劇場をハシゴしていたというのに、今年は5月1日にコットンクラブのチャリティコンサートに行った後は、この「私の頭の中の消しゴム」を二回見たきり。
なんと! それだけ! たったそれたけなのよ!
あっきーだけ。
「もうあなたしか見えない状態!」(笑)、っつーか、マジ他には観てないし!聴いてないし!
というより、ほかを観たくても観れませんでしたぁ~!!って感じだわ。
まあ、良いんですけどね、好きでそうしたんだから。

なのに、何日も家の中に閉じこもっていたわりには、そのコットンクラブのライブもその前の「Underground Parade」の感想もアップしていないのは、ひとえにこの使い慣れていないノートPCのせい…ばかりじゃなくて、あまりに書きたいことがいっぱいたまりすぎて頭の中が飽和状態でフリーズしちゃっていたせいなのよね。

ああ、だけど、今さらアンパレやライブの感想なんて、書いても遅いです。
…という声が私の頭の中でこだまするぅ~。
私も友人たちの書いた感想をいくつか読んで「そう、そう!そうだったわね~!」とすっかり満足しちゃったし。
なので、アンパレやライブの感想は気が向けばいつか書くかもしれないし、書かないかもしれない、ってことで、取りあえずは記憶の新しいこっちを先に書きます。

とはいってもねぇ…、この舞台は去年の五月以来、六回も観ているんですよ。
2010年の5月に「中川晃教×内山理名」二回、
「崎本大海×鈴木亜美」一回、
9月には「別所哲也×紫吹淳」一回、
そして、先日の「中川晃教×村川絵梨」を二回だから、合計で6回。
そして、その都度、しつこく感想を書いていたのでした。
そりゃ~、我ながらくどいほどにね。
同じ物語だから、今回の感想がそんなに大きく変わることはないです。
今回もやはり、この悲しい物語を、私は「それでもなお、一人の男が永遠の愛を手に入れた幸せの物語」だと思いました。
愛を知らなかった浩介が薫と知り合うことで愛を知り、最後には彼女の記憶は消えてしまったけれど、彼女の心は決して消えず、その中で「僕は永遠に愛されて幸せになりました」というお話だと思うんですよね。

それにしても…
そんなわけで、同じ舞台を月日をはさみながら男性三人女性四人の俳優さんで観たわけですが、さすが女優さんはどの方も感心しました。
何がかっていうと、物語が進み認知症が進むにつれてヒロインの薫の顔つきが変わるのですが、ボードのメモを読むところでは可愛らしく、海辺の施設のシーンまで来ると、ほんとうに神々しいくらい皆さん美しくて、その美しさとは現世から離れた者のみが持ちうるような、とにかく穢れのない、純粋な美しさだったと思います。
この舞台は休憩もないですし、ヘア・メークも全く変えていませんので、彼女らは表情と内面からそのお顔を造るのですよね。それぞれに素敵な薫でした。
今回見た村川絵梨さんは、どこにでもいそうなお嬢さん育ちの、その世代の等身大な感じが良かったです。

私はあのボード前で二人がメモを読むシーンと海辺の施設のシーンがとても好きなんです。
今回のあっきー(中川晃教さん)では特にそう思いました。
なにせ、その二つのシーンではあっきーの浩介は決して声を荒げたり怒鳴ったりせずに、とても穏やかで愛情深く優しいです。
ここで声を荒げると病気になった薫が脅えてしまいますものね。
だから、浩介は愛する薫のために優しいのですけど、私もその二つの場面では脅えなくてすみ、心穏やかな幸せな気持ちになりました(笑)

というのも、
一年前にも書きましたけど、もともと私は「怒鳴る男」というのがとても苦手で、物語に全く関係なく、ほぼ反射的に「あっきーが怒鳴るのってヤだ~!」とか思うので。
そもそも普段から男性の怒鳴り声と女性の金切り声は「声の暴力」だと思っているので、それに近い激しく強い声をあっきー浩介から繰り返し何度も聞かされて、好きな人の声だけに(ん? 好きな声の人だけに?)胸が痛くて辛かったです。
声には力があるんですよね。良くも悪くも。
それでも、叫ぶべきシーンは納得するし、ぜんぶが嫌だというのではないのですが、この舞台のあっきーはガテン系のぶっきらぼうさを演じるためなのか、明るいにしろ、暗いにしろ、やたら声を荒げるので、何度も観ておいてなんですが、この期に及んで私のような者にはいささか不向きな方向へ進化していたような気がします。  

ああ、でもそれを感じない人のほうが圧倒的に多数派なのかもしれません。
今回も劇場内では鼻をすすりながら涙を拭いている人が多数いらしたし、友人たちも「泣けた」「とても感動した」と口々に言ってましたよ。
「素直に涙が溢れて、見終わったあとに爽快感すら感じた」という方もいましたし、情感豊かなあっきー浩介の評判は良かったです。
ですから私のほうがずっと少数派なんでしょうね。
私のような者には、同じ台詞でも、あっきーには「ぶっきらぼうなガテン系のキャラ」にこだわらず、「愛情表現がやや苦手な普通の青年」程度に声を出してもらうくらいで丁度良いように思いますが、なんでもかんでも好みの問題ですからね。

この舞台と「ラブレターズ」の二つの朗読劇は、これからもあっきーが定期的に出演してくれると面白いですよね。
何年か後に…たとえば、あっきーが三十代、四十代になってからも演じ続けてくれたら、私はその時にはこの自分の感想を振り返って読んでみたいと思います。

そうか、
だから私の頭の中にあるうちに、今度からはもっと早くにせっせと書かねば(笑)


「レミゼラブル」4/16マチネ&4/19ソワレ

2011年05月05日 15時57分58秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)


[4/16マチネ]
別所哲也/岡幸二郎/Jennifer/和音美桜/中山エミリ/原田優一/駒田一/森公美子/上原理生/齊籐真尋/鈴木知憲

大変! いつも使っているデスクトップのPCが突然「バチバチッ!!」っと、火花を散らして派手にご臨終しました!
きゃあ~っ! 驚くじゃないの! 危ないじゃないの! 直せないじゃないの! 
もう、唖然に呆然!
内部から立ち込める焦げた匂いから、「もう、ぜったいに修理なんかさせないからねっ!」という彼の(彼女の?)覚悟のほどが伺えるわ。
で、聞くところによると、電化製品が火花散らして壊れるのって、長年積もった内部の埃が原因なんだって?
私の部屋はどんだけ埃っぽいんだか…(汗)

そんなわけで、これは人に貸していた二号機のノートPCを取り返してテンキーだのマウスだのと装備を足して、やっとこさ調教しつつ書いています。
それが、私もこれにまだ慣れていないので、さっきこの「レミゼ」の感想の半分ほど書いたところで、どこかミスタッチしたみたいで突然に消滅。
それも一度や二度じゃない。
あ~、もうっ!やだ!
「こ、このぉ~! あんたは愚図なだけじゃなくて、なんて扱いづらいヤツなんだ!」とノートに毒づいてもしょうがない。
名古屋や大阪の某ライブに遠征もせず、ゴールデンウィークのど真ん中の三連休にさえどこにも行かずにじっと貧困に耐えていた私に、新しいデスクトップなんて買えるわけがない!

な、わけで、気を取り直して、改めてこれを書いているわけだけど、同じような文章を何度も書くのって好きじゃないのよねぇ~!
それに、そんなふうに消えてしまった文章は、「だから公に書くべきではないものだったのかな?」という気もするし。
なので、さっき書いていた文の途中から続けるとするならば、

この回で久しぶりに見た、岡さんのジャベがとても良かったです!
以前見たときから数段深い、納得のジャベールでした。
レミゼはもう十年以上見続けている舞台なので、どこの場面のどこら辺が自分のツボなのか既にインプットされていて、毎回感動するのだけど、正直言って私は今までジャベールにはあまり心動くことがなくて、「ジャベールは歌が上手で、バルジャントとの対決で迫力があって、さらにコートの裾裁きがカッコよければいいや~!」なんて思っていたのよね。
だから、ジャベールが自殺する場面には、頭の中で理屈で理解できなくもないけれど、今まではいまひとつ心からは納得していなかったように思います。
「わからないでもないけれど、何も死ななくても良いだろうに」と。
けれども、今回の岡さんのジャベを見たら、気持ちとしてとても納得して、「やっぱり彼は生きていられないのだろうと」と思いました。

…って、ここまで書いて一旦バックアップとって、その理由を書き始めたところをまたしても消滅。
げぇ~、書く気が失せる。
なので、書きたかったことを一気に要約すると…

岡さんのジャベールは過去に何回か観たけれど、今期は格段に素晴らしい!
別所さんのバルジャンは喉が辛そうではあったけど、演技がとても良くて深い。私はこのバルジャンがとても好き。
エポニーヌのJenniferは怒りん坊さんだけど、その中の悲しみも見えて泣ける。
いや、泣けるといえば、この日のファンテーヌの初音さん。
今まで観てきた中で、私は初音さんのファンテが一番好きかも。
母だけでなく、女でもある初音ファンテーヌに泣けました。
そして、原田優一くんは、私にとっては、やっぱり幾つになっても「優ちゃん」だわ! 
優ちゃんは舞台の上で活躍しているのを見るだけでも嬉しい! けれども、それだけじゃない、優ちゃんのマリウスはとても良かった!
最初に登場したシーンでは、前回のアンジョが記憶に残っていたから、「え~と、この二人、どっちがアンジョだっけ?」なんて、混乱しちゃったけど(笑) やっぱ、優ちゃんはアンジョの時も良かったけど、こうしてみるとマリウスよね~!
コゼットと知り合ってからのラブラブ惚け具合といい、その後に仲間を失って苦しむさまも、結婚式の凛々しい姿も、どのシーンも良くて…私らはほんとうに嬉しいよ!
…という、ごく一部の某所からのマニア達にとっては垂涎のこの日の組み合わせ。、
なにせ、岡さん、駒田さん、優ちゃんの三人がカテコでお手々繋いで笑顔で立ってくれて、もしかしたらこれは涙ものではないかと思うほどにスペシャルでした。

そんなわけで、
久々に観たレミゼに心から満足して、
か、通いたいっ!
できることなら、毎週、通いたい!
でも、むりぃ~!

しかし、せめてもう一度!
とか思い…↓


[4/19ソワレ]
山口祐一郎/石川禅/平田愛咲/知念里奈/平山エミリ/原田優一/三波豊和/森公美子/阿部よしつぐ/斉藤真尋/清水詩音/加藤清史郎

行って来ました、もう一度!
そりゃ~、このお目当てはもちろん、優ちゃんマリウス。
けれども、思いのほか…と言っては何だけど、島田歌穂さん以来、エポを演じる女優さんたちは皆さん歌が上手いしそれぞれに良いけれど、好みという点ではどうしても私好みのエポに巡り会えなかっただけに、久々に前回のJenniferはかなり好きだと満足したところ、平田愛咲さんのエポはさらに私好みのエポニーヌでした!
平田エポは一言で言うと、ひたむき。
ほんとうに、ひたむきにマリウスのことが好きで好きで、彼女のいじらしさと叶わぬ恋、それゆえのたまらない寂しさには涙が溢れました。
久々といえば、山口さんのバルジャンは久しぶりに見たけれど、これほどまでに山口色の強いバルジャンは、私はちょっと苦手かも?…と思っていたら……山口さんのバルジャンはラストシーンにとても感動しました! こんな素晴らしいラストシーンが見られただけでももう一度帝劇に来た甲斐があったと思いました。
そして優ちゃんはやっぱり、ぜんぶ良かったわ~!(笑)

優ちゃん、こうなったら、子役時代のガブローシュ…は私もさすがに見てはいないけど、アンジョ→マリ→ジャベ→バルジャンと、次々と出世魚のように大きくなっていくのを期待しているからね!
ずっと見続けているから頑張ってね!
などと、原田優一くんを見るたびに、なぜか近所のおばちゃんモードになっちゃう私(笑)
だってぇ~っ! 私が優ちゃん見はじめたときは、まだ彼は可愛い高校生だったんだもの。
それが予想以上に素敵な青年になったからといって、今さら「素敵~!」なんてラブラブモードになったら、なんだか犯罪っぽいものね(笑)

いや~、それにつけてもレミゼは本当に素晴らしい!
作品が良いのはもちろんのことだけど、ダブル、トリブルなキャスティングといい、その一長一短な歴史といい、それに加えて、自分の中での年月の流れ、役者さん達の年月の流れも感じられて、ほんとうに感動的で、特別に興味深い舞台だと思います。
一度観始めたら通いたくてうずうずしてしまうのが困りものではありますけれど(笑)、これからもずっと、この先何十年も観続けたいと改めて思いました。