私が平成でやり残していると思っていることは唯ひとつ、これです。
この感想を書くこと。
この舞台は1月に観て以来、ずっと書きたいと思い、でも決して疎かには書いてはいけないと思いあぐね、頭の中で書いては消し、消しては書いているうちに、三ヶ月以上の月日が経ってしまいました。
今、平成31年4月30日22時。あと二時間で何としてでも平成の今日の内に書いてしまわなければと思います。
「サロメ」 2019/01/19 東京文化会館小ホール
【脚本・演出・美術・人形操演】たいらじょう
【音楽監督】宮田大
【演奏】チェロ:宮田大/ハープ:山崎祐介/コントラバス:谷口拓史/オーボエ:若山健太
あなたが今、一番欲しいものは何ですか?
「サロメ」の舞台を初めて観たのは2011年の10月、市川段治郎さんと舘形比呂一さんらが出演していらした舞踏劇「サロメとヨカナーン」です。
それ以後、オベラとストレートプレイの「サロメ」を観て、今回が4度目の「サロメ」。
その感想を書く都度にこのブログで投げかけた言葉です。
「あなたが今、欲しいものは何ですか?」 それは、もちろん自分自身への問いかけでもあります。
あれから7年と6ヶ月。何度も何度も自分へ投げかけた、私の人生への問い。
あなたが今、一番欲しいものは何ですか?
そして、
その欲しいものは、7年半前と同じでしょうか?
もし変わってしまったとしたら、何故でしょう?
その欲しいものとは、他の何にも変えがたいものなのでしょうか?
* * * *
人形劇俳優たいらじょうさんは、俳優さんとして素晴らしい資質をお持ちですが、脚本家や演出家としても改めて素晴らしい才能をお持ちの方だと思いました。
何よりも、原作の受け取り方が本当に奥深く、こういう言い方は図々しいかもしれませんが、本当に「私好み」だと思います。
それでいて、今回の舞台の舞台では「ええっ!!」というような驚きの部分が二つほどありました。
そのひとつは音楽です。
東京文化会館の小ホールは音の響きが良いホールだというのは、いらした事のある方ならばご存知でしょうが、この日の演奏は本当に心地良く、私は特にオーボエの音の伸びやかさに驚きました。
ところが! 終演後にボーっとしていて、この日に使われた曲目リストをいただくのを忘れて帰ってしまったので、どの場面で何の曲が使われていたのか、全部を書けません。
ああ、私って、なんてうっかりなんでしょう!!
けれども、七つのヴェールの踊りの場面がオペラと同じ曲だったことと、サロメが「ヨカナーンの首をください」と行った場面からはシベリウスの交響詩「フィンランディア」が使われていたのだけはリストを見なくてもわかりました。
あの場面で「フィンランディア」とは!! なんという意外なセレクトでしょう!!
私は中学生の頃、この曲がきっかけですっかりシンコペーション・フェチになってしまったくらい、この曲の魅力にハマりましたが、この曲と「サロメ」が合うなどとはとても思ってもみませんでした。なので、使われるのは重々しい序盤のあたりだけかと思いながら舞台を観ていましたが、アレンジはされていたものの、この曲が最後まで使われて物語が終わったのに驚き、「サロメ」に対して、思ってもみなかった清々しい新鮮な感動を覚えました。
「サロメ」の物語をご存知の方ならわかると思いますが、この話のラストは決して後味の良いものではありません。
美しい少女サロメは、彼女の希望通りにヨカナーンの生首にキスをし、それを見た王は「あれは化け物だ、あの化け物を殺せ!」と兵士達に命じるところで終わります。(台詞はうろ覚えなので正確ではないかもしれませんが)
そして、私はいつも思うのです。
「これでいいのか? 本当にサロメが欲しかったのはそれなのか? サロメは満足なのか?」と。
けれども、「フィンランディア」のラストに重ねられた、たいらじょうさんの動かす人形のサロメを見て、初めて「サロメは満足だったのだ」と思いました。
同時に、初めて、サロメという少女の、これに至る絶望が理解できたような気がしたのです。
この国のこの時代、女性が普通に恋をして好きな人と結婚できるとは思えませんが、ましてや絶世の美少女であるサロメの将来は想像に難くありません。
たぶん、このままでは王様の女にされてしまうか、母親の権勢欲の道具にされるか、良くて政略結婚か。
今まで健全な、暖かい愛を知らずに育ったであろうサロメは、この先の人生が続いたとしても、たぶんずっとそうで、愛に対しての希望もなく、ただ男達の欲望の中にさらされ続ける人生なのでしょう。
絶望です。
自分で望み、努力しても、決して掴むことのできないもの…愛への、絶望。
宮本亜門さん演出の舞台を見た時に、私は「サロメは、決して自分を愛さない男と愛し合いたかったのではないか?」と書きましたが、その「決して成就しないことで成就する愛」を望んだサロメに、私は深い絶望と、その絶望への挑戦を見たような気がしました。
「フィンランディア」は、たしか反乱と勝利の歌ではなかったか・・・・。
そして、驚きの場面のもうひとつとは、
サロメが「他には何も要らない」と言ったことです。
私はこの原作の文庫本を読んでいますが、サロメはヨカナーンの首を所望してからのちは、ただ「ヨカナーンの首をください」とだけ繰り返していたと記憶しています。「他には何も要らない」とは書いてなかったと思います。
ですが、たいらさんのサロメにこの台詞があったことで、「自分の欲しいもの以外は要らない」という強い意志が伝わりました。
どんな宝石も、地位も、国ですら、自分には価値がない。他人から与えられるものなど興味ない。自分の欲しいもの、掴めるものだけを掴みたい……。
だとすると、サロメはやはり、満足だったのでしょう。
他人には理解し難いものであっても。
さて、平成最後に。
私の欲しいもの。
これは、「サロメ」を始めて観た当時から変わりました。
その当時に欲しかったものが何かは言いたくありませんが、私もやはり「決して手に入らぬもの」を手に入れようと思っていたような気がします。
いえ、違います。
私は、たぶん、今までの人生の中で、欲しいと思ったものを全て一度は手にしてきたように思います。
けれども、どうしてだか、手にしてきたものを、ちゃんと掴み続けていられませんでした。
次の時代、令和で、もし本当に欲しいものが手に入るのであれば、今度は決して離さないようにしたいと思います。
そして、今、私の一番欲しいものは、
「私が、この私であって良かったと心から思える瞬間」です。
この瞬間が掴めるような人生を、令和の世で送りたいと思います。
あ、あと10分ですね。途中でお茶なんか飲んでいたらギリギリになってしまいました。
平和で安らかな時代が来ますように。