今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「真田風雲録」2009/10/31 

2009年10月31日 22時26分10秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
客演/沢竜二、横田栄司、原康義、山本道子、妹尾正文


安心してください、いつもの観劇記のほうです(笑)

この舞台はね、何がすごいかっていうと、まず「舞台」なの。
彩の国さいたま芸術劇場の大ホールは行ったことがある方ならわかると思うけど
舞台に奥行きがあって広いです。
その舞台に約300席の仮設劇場(インサイド・シアター)が作られています。
ということは、あの大ホールの客席まるごとは未使用なわけ。
そのインサイド・シアターは、コの字型のすり鉢のような感じで、最前列はお芝居をする場所と同じ高さで、奥の席の人ほど上から見下ろす形となります。

まず、この席に座ろうとすると、黒い大きなビニール袋がたたんで置いてある!
なに、これ~?
そういえば、「エレンディラ」の最前列にはハンドタオルがありました。
あれは舞台に雨を降らすので、「前の人はこれで拭いてください」というものだったのね。
だから、蜷川さんだからまたもや雨…のわりには、このビニール袋って大きすぎ。
なにせ縦横一メートルはあったかと思う。
そんじゃ、あの時よりも凄い豪雨なのか~?! とわくわくしている私は、始まる前の舞台が暗くてよく見えません。
すると前説のお兄さんが「そのビニール袋で、泥をよけてください」だって(笑)
よ~く観ると、中央の四角い舞台は泥場です(笑)
ぐちゃ!べちゃ! どっひゃ~っ! ってなことになるらしい。
運動神経の鈍い私は旨く避けられのかどうか、怖いんだか楽しいんだかわかりません。
でもね~、いくらなんでも一番上…つまり一番奥で遠い席の全てにこのビニールって…その泥の撥ね具合ってどんだけ~? と思いましたけど。

まあ、だからこれだけでもこの舞台の演出は面白かったと思います。
この劇の時代は江戸時代、時はあの!秀忠様が徳川二代目将軍となり、それから時は流れて大阪夏の陣まで。
ということは、だ。
なんかを思い出しますよね?

ところで、この芝居に出演するのは1,225名ものオーディション応募者から選ばれたエネルギッシな無名の若者たち44人だそうで、その若者たちを客演のベテラン俳優さん達が支えています。
だけど、無名といったって、パンフレットを見ると何がしかの下地のある方たちです。
蜷川さんは、なにやら最近のテレビ文化に対して憂慮している模様で、それでこれを旗揚げしたのだそうな……。

で、この時代…そして大阪の陣ね…。
うん、まあいいや。

この脚本ね、60年代の演劇界では随分と革命的で、作者の方は笑いながら書いたそうで、むちゃくちゃだから没になるだろうと思ったそうだけど、こう言っちゃなんだけど、そんな背景は今観る私には関係ありません。今の時代はもっといくらでもむちゃくちゃな舞台が観られて、それに慣れているし。
なので、その内容は泥の特設舞台ほどには度肝を抜かれるような目新しく感じられるものでもなかったし、若者達も「もの凄いエネルギー!」を感じたかどうかっていうと、感じないこともなかったけれど、私はむしろ平均年齢70.5歳の高齢者による「さいたまゴールド・シアター」のほうにもっと凄いエネルギーを感じたような気がします。

それはともかく、
そして、話の内容もともかくとして(笑)
私はその若者達の中ではお千が良かったな。
徳川のお姫さまで豊臣秀頼の奥方さまなんだけど、こんなお姫様らしくないお姫様は初めてみました。まるで農民の娘のように、あっけらかんとして逞しいです!
秀頼のことを「大好き!」というその一言なのに、なぜか客席から笑いが出ます。
とても好きだな~、この子。
この人をお千にした蜷川さんはエラいと思いました。

物語はね~、
蜷川さんは、歴史の流れを感じて欲しかったみたいだけど、私は実はそういうのはあまり感じたくないほうで(笑)
どちらかというと狭くても深く人間を見たいとか思うので、もっと真田十勇士の猿飛佐助を見たかったです。
人の心が読めてしまうばかりに、人を素直に愛せなくて苦しむ男。
こ~んな、興味深い男を中途半端に見せられてしまったら、なんかモヤモヤするじゃないの!!とか思いました。

泥が飛び散る殺陣は迫力ありました。
残念ながら(?)五列目の私のところまで飛んでは来ませんでしたけど

「蛮幽鬼」2009/10/18 

2009年10月18日 22時27分40秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
出演:上川隆也、稲森いずみ、早乙女太一、橋本じゅん、高田聖子
   粟根まこと、山内圭哉、山本亨、千葉哲也、堺雅人

この舞台を観る前に、私はたぶんこの作品の最終的な感想は、
「憎しみからは憎しみしか生まれない、復讐は空しいだけだ」というところへ行き着くのだろうと想像していました。
それはあながち間違いじゃなかったけれど、どうも少し違う気がします。

最後の方で土門(上川隆也)が、「俺の復讐はなんだったんだ」と言っていましたけど、では彼の、そして人の、最終的な望みや願いは何なのだろう? という問いかけが沸き起こったりもします。
復讐の其の先にある更なるものを思い描き、望もうとしなかったことがこの男の生を奪ってしまったのではないか…。

異国で多くを学び、それを祖国に持ち帰り人々の幸せや国の発展に貢献しようという輝く希望を夢見ていた土門は、彼を妬んだ同胞たちにより裏切られ、親友殺しの罪を被され牢獄の孤島に流されて幽閉されてしまいます。
彼の明るい未来は一転して真っ暗な地獄の底に沈み、その闇と苦しみが死ぬまで果てしなく続くとしたら……その無念さ、悔しさ、憎しみはいかばかりだったでしょう。
一秒たりとも心休まる時もなく、来る日も来る日も悶絶せんばかりにそれを思い、地獄のように絶え間なく熱く冷たく彼を苦しめたことでしょうね。
そう思うと、私はその舞台では描かれていない10年間の長い年月までも想像し、彼のすっかり面変わりしてしまった人相や白くなってしまった髪に胸が締め付けられて仕方ありません。

そして…
思ったんですよね。
「がっつり復讐して、悪いやつらを思いっきり酷い目にあわせてやれ!」と。
その苦しみに見合うほどに、それ以上にやり返してやって、胸のすく想いを一緒に味わいたいとか思ったわけです。
だから、前半はもう土門の脱走シーンはもちろん、復讐劇には肯定的に応援していたりしました。

ここで話は変わりますけど(笑)
私は、人の持つ一番崇高な心とは「許す」ことだと思っているんですよね。
人だけが、人だからこそ持てる「許す」という心は、美しいけれどとても難しく「有難い」気持ちじゃないかという気がします。だから人は神に許しを講うのではないか。
「神よ、我を許し給え」と、生きてきた全ての罪を、人を超越した存在に求めるのではないかと思います。

けれども、人は許されることだけではなく、自らも許すということで救われるのではないかという気もして、秋ごろに観た松たか子さん主演の「ジェーン・エア」にも強くそう思えるシーンがあったのですが、子供の頃のジェーンが、他人を理不尽に虐げる人たちへ「やられたら私は怒り、やり返してやりたい!」というと、彼女の初めての親友がこう歌うのです。
「許して。愛されるために。許して。愛するために」と。
その愛を教えられてジェーンの人生は劇的に良い方向へ変わったと私は思いました。

ところがですねぇ…その舞台を観た後でさえ、この「蛮幽鬼」を観ていると、土門が受けた裏切りとそのあまりも惨く辛い月日を思うと、どうもこの世には許せなくて許してはいけない人間がいるのではないかと思わずにはいられないです。
その者たちへの憎しみや復讐心が、土門の生きるための強い力となるなら、あの煉獄の中で生きながら殺され続けている彼のためにも、決して許さずに「いつか必ず」という黒い希望を持ち続けて命を燃やし続けてほしいとさえ思いました。
だから、脱獄にしても復讐にしても、土門を応援して、痛快なまでにめちゃくちゃに裏切った奴らを酷い目に合わせてやりたいと思って、わくわくしてしまう。…たとえその先の悲劇が予測されていてもです。

ところが、やっぱり予測された悲劇はやってくるんですよね、後半に。
復讐の先に、そこに何があるのか…。
失われた、「輝く希望に満ちた年月」というものは、決して取り戻せません。過去だから。
あるのはこれからの未来だけで、そこからは失った過去以前よりもなお輝く希望がなければ救いも幸福もなくて、ただ復讐した相手のつまらない屍しか残らないのでは、本当の意味での復讐にはなりません。
自分を陥れた者たちよりも、ずっと高いところに上がって、彼らよりもずっと多くの
幸福を手に入れて、それまでの苦しみを人生レベルで帳消しにするどころかおつりがくるくらいじゃなきゃ心からスカっとしない。
足元だけを見て歩いていると、何処へ行くか見失うばかりか、目の前にある電信柱にまでぶつかってしまう。
それで私、近ごろ時々考えるんです。

「私はいったい何を望んでいるのか。
最終的に何を望み、そのために何が欲しくて、どうしたいのか」…って。

まあ、いつもそんなことばかり考えているわけじゃありませんけど(笑)


あと、この舞台で期待していた堺雅人さんは、実に期待通りでした。
どんな時も曖昧な笑顔を絶やさない殺し屋の役ですが、「その曖昧な笑みは、ほんとうに楽しいことがないからだろう」と言われるシーンがありましたけど…うん、だからそういうことでしょうね。
彼は殺人集団の中で育った根っからの刺客ですけど、その中ですら狂っています。
だから仲間からも理解されずに、仲間を全て殺して、本当の意味で「たったひとり」の人間でした。
この世でたったひとりのアサシン〈暗殺者〉…。
なんだかとても、無性に残念だと思いました。
境雅人さんがじゃなくて、このサジという男がね。
「デルフィニア戦記」を思い出したりしたからかな。

ところで、この土門役の上川さんは元々好きですけど、この役も良かったので迷っていた来年の蜷川シェイクスピア「ヘンリー六世」はやっぱり買いました。
今月観る予定の浦井くんのヘンリーと、どんな風に違ってみえるか楽しみです。


やっぱ、新感線は中島かずきさんよね!
いつものメンバーが「いかにも新感線!」で、嬉しかったです

「ドン・キホーテ」

2009年10月12日 21時13分07秒 | バレエ/ダンス
キトリ/スヴェトラーナ・ザハロワ、バジル/アンドレイ・ウヴァーロフ

最近私がバレエを観始めたのは単にマイミクさんの影響。
相変わらずその道には疎いので、「美しい~!」の一言に尽きます。

開演二時間前にうろうろしていたら、偶然に入り前のバジルに遭遇。
ちょっと離れて見ていたら、こっちに向かってニッコリしてくださったので
よく知りもしないのに「良い人だわ~、素敵かも~!」と思った私です。
それにしても、デカっ

このカップルは以前に「白鳥の湖」で見たマイミクさんお薦めのダイナミックコンビ。
とにかく大きいです!
大きいということは手足が長い!迫力あります。
三階席から見ていても主役がご登場となるとパァ~っ!と華があって目立つし、際立つ美しさです

で、踊りのほうは……だから、美しい~!の一言に尽きますが(笑)
こんなふうに、あちこちでバレエとかフィギュア・スケートなんかを広く薄く見ていると、薄いなりにもそれなりに目が肥えるらしいのよね~。
なので、この前見た「レ・ミゼ」の結婚式のシーンね、
あのワルツってなんじゃ~
あんなモタモタ踊られたらズッコけるんですけど
あれって、平民のワルツよね。
紳士淑女のたしなみとして優雅に踊る上流階級の方々のワルツでもなく、中流でさえもなくて、平民がその真似して晴れの日のために練習してみました…っていうような、
たどたどしいダンスに見えちゃうのって、ついこの前にもニューヨーク・シティ・バレエを観てしまったせいかしら?
特に男性のリードがぁっっっ!リードになってないしぃ~

でもでも、そんな余計な感想なんていらないのよ、レミは作品が良いんだからね。
だけど、だけど………
バレエよりもミュージカル・ファンの私としては大いに悩ましいところだわ。

「ニューヨーク・シティ・バレエ 2009 A Program」

2009年10月08日 21時16分32秒 | バレエ/ダンス
Program:セレナーデ/アゴン/チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ/
ウエストサイド・ストーリー組曲

チャイコフスキーのセレナーデを聴くと、ほぼ条件反射で某人材派遣会社のCMを思い出してしまうのは、テレビの罪よね?
この曲ですが↓
http://www.youtube.com/watch?v=nthiNI6wlX0

けれどもそのCMさえ思い出さなければ、この曲はひたすら美しく情感のある曲です。
バレエのことはよくわからないので、踊りのどこがどうとか言えないのは残念ですが、蜉蝣(カゲロウ)のように薄く軽やかな羽衣をまとったダンサー達は、さながら青白く輝く月の精霊のようでした。
これって、やっぱりストーリーを置いて振付けられているのよね?
そういうのも、私はわからないから。
どんな手振りが何を表現しているかとか、バレエにはそういったお約束とかあるでしょ?
でも、何もわからなくても、とにかく美しいです。自分の脳内で勝手にストーリーが沸き起こって、心に沁みて、涙ぐんでしまうくらい。
とにかくいいもの見させてもらったな~、という感想です。

で、この贅沢な舞台は私には「猫に小判」という気もするけれど、なぜ観に行ったかというと、「ウエスト・サイド・ストーリー組曲」がお目当てだったのよ

「ウエストサイド」といえば、四季のダンスでも私は「よく足が上がるわ~!」と感心したものだし、今年の夏に観たブロードウェイ版もさすが本場の迫力と思ったけど、バレエダンサーが踊ると跳躍は高いし、よく回るし(笑)迫力に美しさが増して、しかも面白い!
「あ、やっぱここで台詞を言うんだ~」とか、「うっしっし!歌ってるよ~」とかね(笑)
いや、決してヘンじゃないです
歌っていってもソロの大事な部分には歌手の方達がオケピにいらしたし、トニーのソロ「Something’s Coming」はさすがにあんなに激しく踊りながらじゃ口パクもしないで歌手に任せていましたけど、バレエ版オリジナルなダンスは見応えありました。
やっぱりウエストサイドは、バーンスタインの楽曲とダンスの二本柱があってこそ!
どんだけこの二つが作品の魅力を担っているかがつくづくわかったわ。
…にしても、この舞台はダンスを見せるための組曲だから、ストーリーの知らない人はあれだけじゃ話がわけワカメでしょうね。
トニーが人を刺してお先真っ暗…かと思ったら、死んだ二人がいつの間にか生き返ってみんなで踊ってメデタシみたいな(笑)
まあ、ニューヨーカーには基本中の基本みたいな物語なんだろうけど、分からない日本人には「カッコよかった、美しかった」で終わっちゃうのかしら?
もったいないな~。

とにかく!カッコ良くて美しくて見応えのある、面白いものを見せてもらいました
惜しむらくは、トニーとマリアの「Tonight」バ・ド・ドゥとかも見てみたかったわ(笑)

いさらい香奈子さんミニライブ

2009年10月04日 21時23分10秒 | ライブ/コンサート

今宵も誰かが恋してる

世界中で
どこかの国で
どこかの街の片隅で

秋だから恋の歌。

一昨日(10/3)の晩は、7月に初めて訪れた立川の小さなお店「農家」に、いさらい香奈子さんの歌を再び聞きに行って来ました。

恋の歌をたくさん聞かせていただきました。

いさらいさんは年内にエディット・ピアフ14曲のアルバムをつくるそうです。

シャンソンの女たちは愛に生きていました。

冷たくされても、裏切られても、去っていかれても、戻ってこなくても。
それでも、
花にあなたを想い、木々にあなたを想い、空にあなたを想って
愛さないではいられない。

そんなふうに、ひとりきりになってでも、巡る季節の中で止まらぬ恋って女だからかしら?
終った恋でも現在進行形みたいな…未練じゃなくて…
思い出が今に混ざって、ただ愛することが生きていることに等しいような……。
男が歌うのに、そういう恋ってあったっけ?
冷たくてロクデナシの女だけど愛さずにいられない、なんて
そんなのも男にはないのかもね。
ああ、美女にだったらあるのかな?

ところで、このお店は果実酒が旨い!
今回の私のヒットは「いよかん酒」
マイミクさんはアルコール度46パーセントという、とんでもない強さの日本酒リキュールを飲んでいました。
これは「飲んでいた」というのが驚きです
私は味見させてもらったけど、舐めるだけで充分でした
味は日本酒でしたが、カァ~っとなります

物語が好き、歌が好き、気の良い女達が好き
そのうえ、美味しいお酒があれば、帰り道は曇り空でも嬉しい夜