今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「死神の精度」③2009/8/30 

2009年08月30日 22時39分00秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

脚本・演出 和田憲明
出演 香川照之/ラサール石井/中川晃教/鈴木省吾

つまり、栗木というヤクザは、あの藤田の日本刀で斬られ重傷を負い、翌日までに命を落としてしまったのだ。
彼とても、愛する人や彼を慕う者がいないわけではなかったろうに……。

物語は視点を変えると全く違ったものが見えてくる。
必ずanother storyもあれば後日談も隠れている。阿久津はその後、自分の人生にどのような続編を描くのだろうか。

「人間はなぜ人間を殺すのだろう」と死神の千葉が呟くと、同僚の死神は応えた。
人は計算をする。そして損得で動くからだ、と。
「そうだな」
そう言って、その後は何も語らず、深夜のCDショップでヘッドフォンを耳に当てた死神の横顔を見ながら、私は千秋楽前日のあの日、初めて死神を想い涙が溢れた。

死神はミュージックが好きだ。なぜなら「人のつくるもので一番美しい」から。
そうか、「なぜなら」か。
彼は美しいものが好きなのだ。それなのに、彼が人間に見るものはいつでも美しいものばかりではなかったのだろう。
死神が人間に興味などないと言いながら、藤田や阿久津に興味を示し、子供のようにやたら質問をし、おせっかいな助言までしていたのは何故なのか。
それは藤田が、阿久津が、計算などできない人間だからではないだろうか。
阿久津が藤田を思い支離滅裂な行動をとるのも、藤田が命を顧みずに阿久津を助けにくるのも、何もかも損得では説明ができない。
その愚かで不器用な二人の関係の奥に、死神はきっと、彼の好きなミュージックに似た「美しさ」を無意識に見ようとしたのかもしれない。

私はふと、この職業…人の死に最後の判定を下す「死神」という職業が、自分に向いているかもしれないと思った。
もしそうなるとしたら、私の判定はほとんどが「可」、つまり死になるだろう。
なぜなら、人は必ず死ぬ。死ぬこと自体が悪いことだとしたら、人は皆「悪いこと」で人生の最後を飾ることになってしまう。
だから、そうじゃない。もちろん、死を美化したり推奨しているわけではない。
今を生きる私に突然と死がくれば、それは災いであるけれど、死神からすれば少なくとも禍ではないと思うのだ。人はみな死ぬ。どのような人であれ。
もし私が死神になれば、きっと迷いなく「可」と言うであろう。
けれどもやはり、千葉がそうであったように、7日間のその人間を必ず見たいと思うに違いない。

人を見たい。
美しいものも、醜いものも、清らかなものも、穢れたものも。
そして、人に疲れた時は、そっと耳にヘッドフォンをあて、人の造った一番美しい音楽に心癒され、躍らされて……そして、だからまた人を見ようと思うだろう。

死神は人外の生き物だ。だから私には彼の気持ちは想像できないはずだ。
なのに、ヘッドフォンを耳にあてた死神の横顔が舞台の暗転とともに消える時、なぜだか私は無性に哀しくて、その哀しさが自分ひとりだけのもののような気がして寂しかった。
彼が任侠のヒーロー藤田の登場を待ち真っ直ぐに扉を見る時は、一緒にわくわくして心が躍った。
そして、一夜を生き延びて青空を眺める藤田と阿久津の二人を見た時、私も眩しくて、心にある一番美しい青空を思い浮かべて涙が出た。

もし、私が死ぬ最後の7日間を誰かが判定してくれるなら、ぜひともあの千葉さんにお願いしたい。
そして、あの真っ直ぐな迷いのない目で「可」と言ってもらっていい。
それまでに私は、時には喜び、時には苦しみながら、それでも満足した日々を送り、彼には私がその日々の中で人に見た美しいものを、ほんの少しだけでも分けてあげられたら良いと思う。


ごめん、やっぱり中川晃教さんの話題にならなかった(笑)
彼が阿久津としての役割を充分に果たしてくれたから、この舞台を作品として味わえて本当に良かったと思う。

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「死神の精度」②2009/08/29 

2009年08月29日 22時40分54秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

脚本・演出 和田憲明
出演 香川照之/ラサール石井/中川晃教/鈴木省吾

「パンナコッタと何てこったはチョっと違う」って、新感線の右近さんでしたっけ?
「栗木んとこ」という台詞を耳にすると、わかっていながら「クリキントン?」と必ず聞き返したくなるのは私だけですか?

私はこの舞台の四人の登場人物、ヤクザの藤田、ちんぴらの阿久津、二人の死神が、観るたびにどんどん好きになっています。
役柄を好きになるというのは、そのまま役者さんとしても好きになっていることなんだなぁ、という感じです。

昨日29日で四回目でしたが、藤田が死神に向かって「あんた、人間じゃないだろ?」と問う場面には、相変わらずつま先あたりから全身にわたってゾワゾワとざわめくような落ち着かない気分になります。
私はもちろん人間以外の何者でもないですから(笑)だからよほどラサール石井さんの演技が上手なんでしょうね。
誰にも気づかれないと思っていた秘密を不意打ちで言い当てられた瞬間の、その驚愕とか感動みたいものを、私はきっと死神の千葉になったつもりで受けてしまっているのかもしれません。

その死神はですね~、なんか可愛いっていうか、愛らしいんですよ。
私はこの舞台で一番好きな台詞っていうと、死神の「青い!!」という台詞で、
いつも灰色の雨空しかみたことのない彼が、初めて高く突き抜けるような晴れた青空を見たその感動が、「青い!!」という短い一言に集約されているようで、そのまるで幼い子供のような澄んだ感動に、つい笑顔になってしまって、彼のために「ああ、ほんとうに良かった。この青空をあなたにも見てほしかった」と嬉しくなってしまうんです。

人は知らないことがたくさんあって、知らないときは自分が何を知らないのかすら知りません。
知ってみて、はじめて自分がそれを知らなかったことに気がつくのですよねぇ…。
人ではない死神ですら、晴れた空を知ってみて、はじめて青空を見上げることがどんな気持ちか知ったのだと思います。
命短い藤田が彼に向かって「こんな空を見ると、もう少し生きていたいと思う」と言うのですが、死神はそれを聞いてどう思ったことでしょうか?
限られた時間を生きる人間たちが、その時々の瞬間に感じる一瞬のささやかな感動や喜怒哀楽、そこにある「生」というものを、少しは感じたでしょうか?
その「生」こそが、彼の愛するミュージックを生み出しているのだと知ったでしょうか?
死神は「人間には興味ない」と言いながら、本当は自分がそうでないことに気づいていません。
いつかそれを知ることがあるでしょうか?


話は変わりますけど、
この舞台はところどころ笑えます。
爆笑はしなくても、なんど観ても毎回同じ場所でフッ!と笑えるところがいくつかあります。
私は阿久津に名前を聞かれた死神が、自分の名を「……千葉?」と言うのがいつも可笑しくて、なんかそれってすごくツボ(笑)
ミュージックを聴くと突然スイッチが入ったようにウットリとして、クネクネとリズムを取る死神も、ユーモラスで愛らしくて、とても好きだから笑いたくなります。

そして今回もまた、死神と真っ直ぐ見つめ合ったと思う私(笑)
さすがに下手の今度の席ではないだろうと思ったのに、阿久津を助けに藤田が来るのを待つ場面で、「真っすぐやってくる」だったけかな? 台詞はちゃんと覚えてないのですが、「真っすぐ」のところで死神が真っ直ぐこちらを見て、私に向かってその台詞を言うように見えたものですから、私も藤田が来るのがとてもワクワクして、藤田の雄姿を見届けたくて心が躍りました。
それにしても、あの香川照之さんの、客席を見る、または見られたと思わせるような、あの真っ直ぐな迷いのない視線というのは、あれはいったいどんな技なんでしょうか?
私もここ数年でかなりの数の役者さんを見たと思うのですが、こういう方は初めてです。
あれは、一種の「モナリザの目」というやつでしょうか……。
何処から見ても虚空ではなく、まさに自分が見られているような、そんな目って、あるのかしら?

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「死神の精度」2009/08/23 

2009年08月23日 22時43分05秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
※毎度のことですが私の観劇記は基本ネタバレなのでご注意ください。

脚本・演出 和田憲明
出演 香川照之/ラサール石井/中川晃教/鈴木省吾

ヤクザの男・藤田が死神に向かって「あんた、人間じゃないだろ?」と言うと、
なぜだかこっちの体の中がざわめいて、そわそわしてしまう私です。
先週は幽霊のポーズが上手にできなくて、「色っぽい幽霊はムリでも化け物ならイケる!」などと冗談を言っていたせいでしょうか(笑)

この舞台は土日で二回観ましたが、今日のお席は「死神席」だったみたいです。
あ、それヤだな~っ!その「死神席」っていうネーミングはさ(笑)
えっと…だから「香川さん席」でした。前から3列目の上手ブロックです。
死神と目が合って、ハシっ!と何度も見詰め返してしまうのってどうなのよ?
考えてみれば、あの香川照之さんに、しっかりこっちを見てお芝居してもらった(気がした)なんて、贅沢なお席よね?
せっかくだから目にハート飛ばしてみたかったわ。
そういう技が出来るものならばね。

なんていう話はともかくとして。

死神は人外の者なので、その精度はどこで判別するのかとか、死の判定の基準はどこにあるのとか、それを理解しようとするのは、私は無理があると思う。
死神は人間とは全く別の生き物なのだから、死神が人を理解できないように、人も人外の死神を理解できないのが当たり前じゃないかな。
それでもなお、この作品を観て「死神(香川照之さん)が藤田(ラサール石井さん)を死なせたそのジャッジメントにはどういう意図があったのだろうか?」とつい考えてしまいます。
それには、やはり人をこそ見なければならなくて、それがこの作品の面白さなのだと思うわ。
つまりこの場合は、ヤクザの藤田を、ちんぴらの阿久津(中川晃教さん)をね。

だから、この作品の要(かなめ)になるのは死神ではあるけれど、やはり人が想い、人が描こうとするのは、他ならぬ「人」であるのだろうと思います。

ところでこの「死神の精度」で私の感動のツボどころは、
藤田が雨の中を日本刀さげて現れ、「阿久津ーーっ!」と叫ぶその姿。

原作と違い、舞台では藤田は死神の正体を見破ってしまったので、自分の死期が近いことを知っています。だから、命を張ってたった一人で阿久津を助けに来たのは、ただ死に急いでいるだけじゃない。阿久津へ最後に掛ける想いがそこにあります。
彼に対する親子のような愛情であり、「弱きを助け強きをくじく」男の生き様を見せた、まさに最期の、「男の花道」と私は見ました。
本当にカッコよくて、雨に打たれた任侠のヒーロー、藤田の姿に惚れ惚れとしました。
そのシーンはただ立って叫んでいるだけのシーンかもしれないけれど、そこに行きつくまでのアレコレ、藤田の想いが感じられるというのは、ラサール石井さん、凄いです! 想像以上に素敵な役者さんだと思いました。

そして、感動のツボその2も、やはり藤田です。
ラストで突き抜けるような青空を眺める三人。
死神は初めて見る「青い!!」空に心溶け込むような想いで感動し、
阿久津は、晴れ渡る空と同じように明るく、まるでその時だけは辛いことなど何もなかったかのように、少年のような晴れやかな笑顔で見上げています。
そして、藤田は……
「人間の眩しい顔と笑った顔は良く似ている」と死神は言いましたが、
藤田が空を見上げて笑う顔は、私には泣きそうに見えました。そしてやはり眩しそうにも見えました。
藤田はまもなく死ぬのです。彼はそれを知っているのです。阿久津を残していくのです。
最後に見る青空。
私は藤田が青空を見上げるその表情を見てその心が感じられたような気がして、思わず涙が出てしまいました。

生きている間に残せるもの。死んで遺せるもの。
阿久津が藤田の、生から、死から、何を受け取ったのか、それを彼自身がわかるのは、すぐではないかもしれません。
もしかしたら、もっとずっと先、何年も、何十年もしてから、藤田の遺してくれたものに気がつくのかもしれません。
阿久津には、藤田から受け取ったものを無駄にしないような人生を送ってもらいたいと思いました
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講談師・神田紅「牡丹燈籠」

2009年08月20日 21時32分02秒 | 芸能/エンターテイメント
前髪がイイ感じに伸びてきました。

鏡の前に右肩を少し前にして斜めに立ちます。
自分は和服の似合う女だと思い込みましょう。
なで肩のつもりで、右肩をさらになだらかに下に落とします。
両腕のひじから下はぶらぶらと力を抜きます。
ひじ下の腕から手首、指先まで脱力です。
そのぶらぶらした右手の手首を心持ち上げますが、
ひじよりも上に上げてはいけません。
手首がわき腹とおへその間で少し下の位置にいく感じ。
左腕はやはり脱力し手先を下に垂らしたまま手首を少し上げ、
その手は右手のそばのやや上にもっていきましょう。
この左手もひじから上にいくことのないように!

頭を豪快に振ってみて、前髪はワイルドに顔を覆います。
そしてうつむき、上目遣いに顔を少し上げて、
気になる人の名前を呼んでみましょう。

「○○さまぁ~、お会いしとうございましたぁ~~」

はい、これで正しい幽霊のポーズが出来上がりです

……な、はずなのに……う~~ん、やっぱり難しい
上手にできないわぁ~~

足りないのは色気? それとも愛?
っつーより、恨みか(笑)


え~と
一体なにごとかと言いますと、
昨日、池袋演芸場で、講談師・神田紅さんの「牡丹燈籠」を聴きにいきました
紅さんの講談は本当に楽しくて、面白くて、そして怪談が盛り上がる場面では哀しく怖いです。

その講談の前の落語も太神楽もとても楽しかったです。
せっかく粋な日本の古典文化に触れてきたので、内容を詳しく語るような無粋な真似はいたしません。
この面白さを知りたい方はぜひ演芸場へ! 
…って、なんでアタシが宣伝してんだか?

劇場で見る怪談も良いけど、講談は想像力が刺激されて面白いです!
来年もまたぜひ行きたいと思いました。


あ、上記に書いた幽霊のポーズはもちろん紅師匠の真似っこです。
家に帰るなり最初にこれを鏡の前でやってみた私は、紹興酒ですっかり出来上がっていた阿呆です。

いや~、夏もまだまだよね~!
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「RENT」2009/08/17 

2009年08月17日 22時44分23秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
ロジャー アダム・パスカル / マーク アンソニー・ラップ / トム・コリンズ マイケル・マックエルロイ / ベニー ジャック・C・スミス / ジョアンヌ ハニーファ・ウッド / エンジェル ジャスティン・ジョナサン / ミミ レクシー・ローソン / モーリーン ニコレット・ハート

「RENT」という作品を観て、「毎日何気なく過ごす今日という日々を、私は悔いなく過ごしているだろうか」と自問しない人はいないだろうと思う。
それが「RENT」というものだ、そういう作品なのだ。
そして、劇中の歌詞にある「I live this moment as my last(この瞬間を人生の最後だと思って生きる)」ということはどのようなことであるかを考えてしまう。
その「最後の瞬間」には、愛があるだろうか? そう、今この瞬間に。
自分のそれにも愛があってほしいと願わずにはいられない。

たしか私はかつての日記で「‘エンジェルのように愛したい’という感想に行き着かなければ(自分にとっては)RENTを観る意味がない」と書いた記憶がある。
今回、最高の「RENT」を観させてもらって、思い違いをしていたことに気がついた。
エンジェルのように愛したい、ではなくて、本当は「エンジェルのように愛し合いたい」と思う。

エンジェルは同性愛者でありエイズ患者である。
明日でもなく昨日でもない今日を生きるエンジェルが、コリンズという男を最初に愛した瞬間とはいつなのか。
たぶんコリンズの、暗い路上で震えるその姿をひと目見て見過ごすことができず、声をかけたいと思ったその時、その瞬間なのだろう。
その愛はまだ恋愛ではなかったはずだ。

ミミはロジャーへ「キャンドルに火をつけて」と歌ったが、彼らが互いにつける火は、心に光を、体に熱を、そして命に輝きをもたらす愛という名の灯火だ。
その愛は「お金では買えないが、借りることはできる」という。
与える愛でもなく、与えられる愛でもなく、「借りる愛」と思うとき、その愛には「両者」という関係が必ず意識されるだろう。
日本語には「火を借りる」という言い回しがあるが、火は他人に貸しても決して自分のそれが消えたり減ってしまうわけでもないというのがこの作品にかぶさって私には面白い。

たった一人で寒さに震えるコリンズの心と体を温めたいと思ったエンジェルの心の中には、愛という火はいつでも灯り続けているものであり、どのような時でも、それが路上で震える見知らぬ男であれ、ゲイに興味津々の観光客であれ、病に苦しむ友であれ、惜しみなく誰かに貸せるように毎日の瞬間を過ごしていたのであろうと思う。
そして、その火を誰かが借りてくれた時、そして自分もまた誰かの火を借りた時、
互いの持つ命の火は眩(まばゆ)いばかりに光り、今日に生きる全ての瞬間はかけがえのないものとなるのだろう。

今この瞬間、私はエンジェルのように愛しているだろうか……。

ところで私は前述で「最高のRENT」と言ったが、この舞台はとんでもないのである!
なにせ、ブロードウェイで観てもこれ以上はないというキャストだ!
なにせアンソニー・ラップだ! なにせアダム・パスカルだ!
他のキャストも全員がブラボーだ!!
どのシーンも、どの歌も、どの瞬間も、あまりに圧倒的に凄すぎて、感動的で、私はついに「今まで観てきた全ての舞台の中でも最高だ!」と思った。
もしかして、過去にも同じように思った舞台はあったかもしれないが…。
今後、私はいったいどれだけの舞台が観られるかどうか、それは神のみぞ知るだろうが、「今日の舞台こそが最高だった!」と思える作品にひとつでも多く出会うことができれば幸せに思う。

その最高の「RENT」は、だから例にあげたらキリがないほど好きな曲はいっぱいある。、
この舞台のテーマを代表するような「Seasons of love」は、彼らの深い想いと圧倒的な歌唱力が凄まじいパワーとなり私の胸にストレートに迫った。
また、ミミの歌うソロはどれも好きで、心の奥が切なくキューンとしてしまう。
どの曲からもたくさんのものを受け取り、その時どきにより目頭が熱くなるのが止められない。

けれども、特筆するならば、私はコリンズの歌う「Santa Fe」を挙げたい。
あの歌が、とてもとても好きだと思う。
「サンタフェでレストランを開こう」という夢の歌なのだが、だからといって彼は本当にレストランを開業したいわけではない。
ただ、穏やかに幸せに続く日々を、恋人や友人らとともに夢見るように歌う。
穏やかに、幸せそうに、やさしく、愛に満ちて歌うその楽園の、同じ景色を共に胸に思い描いて、エンジェルが踊る。友らが声を合わせる。
互いに癒しあうようなこの歌は、コリンズに良く似合う。
しかしその緩やかな暖かい歌にはどこか悲しみと切なさが潜み、「サンタフェへ続く道はどこにあるのだろう」で終るのだ。
ギリギリに生きている若者達の、つかの間に共に見た幻の楽園を想い、彼らを想って、私はなぜか「誰かひとり」でもなく、自分と同じ世に生きる「人」というものを愛さずにはいられない。

「RENT」よ、ありがとう。
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「blast」

2009年08月16日 21時35分09秒 | ライブ/コンサート
開演前。

舞台の中央にスネアドラムがたった一台、
スポットライトを浴びて奏者を待っている。

それを見るだけで、私の心は躍ってもう待ちきれない!!
…そして、照明が全て落とされて暗闇になり、
次にライトが当たったその瞬間

はじまった  ラヴェルのボレロだ
石川直さんのスネアで始まるボレロ!!
最初は手首のみで打つピアニシモから、音が大きくなるにつれて、ひじが上がるドラミング、そして、ついにフォルテシシシモは両肩から大きくうねるようなドラム・パフォーマンス!

ああ、ドラム
ドラム ドラム ドラム

今年の「blast」は気持ちイイ スカッっとします
もう最高
時間がとても短く感じて、終ったときは「ええっ!もう??」と呆然。
友よ!、乾杯だ 
ビールは不得意なはずなのに、今日の生ビールは旨かったね~~っ

そんなわけで、
家に帰って屋根裏をあさったけど、あれ?おかしいわ。
たしかここにマイ・スティック三組とドラムの練習台がしまってあったはずなのにな~
まあ練習台のほうはラバーがとっくに劣化してボロボロだろうけどね

仕方ないから台所で、なんと!菜箸で、
タン、タタタ タン、タタタ タンッタ!
打つのは、もちろんボレロ(笑)
あの肩から腕をうねらすように大きく振り上げるドラミングは、実はまんざらパフォーマンスのためではない。
あれによく似た叩き方を、私も昔々に習っているもの。
あの大振りから逆に振りを小さくしていき、やがて小さく手首のスナップで……

ああ、思いっきり叩きたい
誰か私にまな板じゃなくて本物のドラムを叩かせてよ!

よし このエネルギーは再来週のドラムストラックで放出だ
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「怪談 牡丹燈籠」2009/08/14 

2009年08月14日 22時45分39秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)
演出/いのうえひでのり
出演/段田安則、伊藤蘭、秋山菜津子、瑛太、柴本幸 ほか

瑛太さんは背が高くて顔が小さく、ひょろっとした現代人体型であるにもかかわらず、着物姿が良く似合います。
思ったよりもずっと声の通りも良くて滑舌もよいので、台詞が自然に聞き取りやすいです。
さすが、去年一年間大河ドラマに出ていただけはあるわ。

だから、瑛太さんご本人の役者さんとしての魅力はともかくとして、彼の役どころである荻原新三郎は、こう言っちゃなんだけど顔が良いだけでほとんど魅力ありません
金持ちのボンボンが働きもせず日常に退屈している感じ。
そんなつまんない男に恋焦がれるあまり、勝手に焦がれ死にしちゃったお露にしても、なんだか独りよがりに恋に恋しちゃってるような、可愛いだけのいかにも我侭そうなお嬢様よ

この二人ってのはね、別に深く愛し合っていたふうでもない。
新三郎はお露の死を聞いて「それは気の毒なことをした」と念仏三昧の日々に入るんだけど、その感想ってちょっと他人事っぽいわ。
お露を失って慟哭するわけでもないのよね。
念仏三昧の日々は他にやることがないからじゃない?っていう気がしないでもない。

この怪談が他のと違うのは、幽霊が怨恨で出てくるのではなくて、恋しい男遭いたさに夜な夜な通い詰めて濃密なデートを楽しむという、これが幽霊じゃなかったら幸せよね~!というところ(笑)
新三郎はほんとうに深く愛しているなら彼女に取りつかれて死んでやればいいのに(爆)中途半端な男でその恋も半端だから、お露が幽霊と知ったとたんにほとんど迷いもせず自分の命のほうが惜しくなっちゃうのよね。
お露にしたって、あそこまでいくと恋より執着。男の人生の幸せよりも自分だもの。

どうもね、もともと執着心の薄い私にはわかんないな~
愛情は深いし一途なタイプだと自分では思うんだけど(笑)
愛と執着は私にとって無理なく別にできます。
執着しなくても愛し続けられると思うんだけど…?
だからねっ!
しがみ付きまとわり着くような、あの女性特有の執着心や嫉妬深さって
あれは愛なんですか
なんか自分で作った男へのファンタジーに妄執してやしませんか?
男の人って、やっぱりそういうのが嬉しかったり有難かったり可愛かったりするのかな?
とか、可愛くない私としてはおおいに疑問だわ。
……でも、うまくしたもので、そういう女性が嬉しく思う男性は、新三郎のようにああいった粘着気質の女性に取り付かれる…じゃない(笑)愛されるのでしょうね。
執着心の薄そうな女へは逆に男のほうでしっかり掴もうとするだろうから、それはそれで「破れ鍋に綴じ蓋」といって世の中うまくできているものよね。

話が逸れたわ(笑)
で、結局お似合いの新三郎・お露のカップルは、往生際の悪かった新三郎がめでたく(?)幽霊のお露に取り殺されてしまい、そこで一幕が終わりです。
あんまり怖くもなく、この二人の恋物語もどうってことはなかったけれど、
実はこの後の二幕からがこの劇の真髄なんだなぁ。

一幕の終わりで幽霊カップルとなった新三郎・お露に替わって、話の中心は供蔵(段田安則さん)とお峰(伊藤蘭さん)、お国(秋山菜津子さん)と源次郎(千葉哲也さん)の二つの年長組に移ります。

女という生き物は、色と欲には俄然強くなる。怖い 
そして、でも…なんて悲しいのだろう。
その女たちに振り回されたようで、結局はその女心を踏みにじる男の因果というものにも当然それ相応の報いがあり、人の愚さや哀れさを感じずにはいられませんでした。

段田安則さんは本当に良い役者さんだと思います。
最初に登場した小心で小者な男から、お金に目がくらんで次第に変化していき、そして最後に自分が裏切り殺しておきながらも、苦楽を共にした女房のお峰の名を呼んで亡骸を抱いて号泣するその姿まで……幽霊お露らに関わりあってしまったときから狂ってしまった運命の歯車の中で、男の、そして人の、弱さや本質のようなものをその時々で見せてもらったような気がしました。
その女房・お峰役の伊藤蘭さんもとても良かったです。

お峰の台詞で、彼女が貧しく忙しかった頃と、裕福にはなったけれど夫に裏切られている現在の状況を思い、「何が幸せで、何が不幸せか…」と呟くシーンがあったけど、人はたぶん振り返ってはじめてわかることが多いのかと思うわ。
お国の秋山さんは、彼女の最後のシーンに彼女らしい持ち味が出ていて、やっぱり好きな女優さんです

ところで、「女という生き物は」と書いたけど、
私は色と欲のどちらにも強くなれたためしなし(笑)
そして、絶対に死んでから化けて出てくる可能性はないと思うのよね。
なぜって、最近あの世は素敵な人がたくさん集まって、賑やかで楽しそうなんだもの。
執着心の薄い私は、人を恨むきっかけがあまりなさそうだし、生きるだけ生きたら満足して感謝しつつ、この世にも執着せずにあの世で会いたい人に会いに行ったり、早々とあの世の舞台のチケット争奪戦なんかに参加していそうだわ
たぶんそのチケットが良席かどうかは、今生でどういう生き方をしたかで決まるのかも…。

な~んて言っているから、「まだまだ足りない」って、どうやらこの世のあれこれが逆に私をしっかり掴まえてくれているみたいです。
そう思いたいだけかもしれないけど(笑)
一応、お盆ネタですね~ 。


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「海のエジプト展」

2009年08月09日 20時18分51秒 | 美術館/博物館/展覧会
これは失敗だったわ!
なにが失敗かっていうと、この展覧会を三時半頃に入場してしまったということよ!
これほどまでに会場も広く、見応えのあるものだったとは予想外でした。
二時間もあれば何とかなると思っていましたが、と~んでもない
特にじっくりと長々居座ったつもりもないのに、気がつくと6時近くになっていました。
エジプトの品々を見ながら聴く「蛍の光」って、なんだかな~…
それで、一番楽しみにしていた最後のブースの「バーチャル体験シアター」は5時45分が最終で、「古代エジプトの香り体験」の行列のところに並んだ時点でとっくに終ってしまってガッカリ
これに行こうと計画している方がいたら、朝から入って遅いランチ覚悟、または、早めにランチをして午後はたっぷりと時間をとってくださいね。
会場内にレストランもあるからそこでエジプト風のお料理やビールを楽しんで、長々と居座るのも良いかも。
いずれにしても、人が多い休日よりは平日、できれば学校の夏休みあとの9月に入ってからのほうがゆっくり観られるかもしれません。(9月23日まで開催しています)

随所に海の底を思わせる会場はものすごく大掛かりです。
海底発掘現場の再現などもありますが、その解説などを読んで「やっぱりな」と思ったのは、あれらエジプトの都市が沈んだ海底は、美しいエメラルドグリーンの海なのですが、それは発掘作業や撮影のために強い光をあてたからこそ。
本当はとても暗い海の底に、長い間…ほんとうに長い年月を、時を止めて眠っていたんですよね。
あのたくさんの石像も、金の耳飾や青銅のタライ(どのような人が身につけたり、お気に入りで使っていたのか…) そして、石のヒエログリフ……
それを沈めたのは、一都市をすべて飲み込むほどの巨大な津波で……

ううぅ……余計なことを考えるな、想像するな、私!
いや、想像したほうが何かと楽しいとは思うんだけどね、なにせ時間が足りなさそうだし、あの人ごみに酔ったせいか、どんどん疲れて体調が悪くなってきました。
椅子を見つけるたびに列から離れて腰かける。また列に並ぶ。それを繰り返しているうちに、半分ほど見たところで、「ああ、この会場の真ん中でもいいから誰かが布団を敷いてくれたら横になりたいかも」なんて、マジで思ってしまったわ(笑)
わりと体力には自信があったのにな~
そのうちぐったりしてきたので、仕切りなおして別の日に来ようかとチラッと思わないでもなかっけれど、これをもう一度観るために横浜に来るのはしんどいだろうと思ったので強行突破しました。

やっぱり、行楽は健康あってこそ。みなさん、遊びに出掛けるときこそ、体調を整えて元気に楽しみましょうね!

ところで、写真はメインともなる巨大石像の三体ですが、向かって一番右は女神でありクレオパトラ三世でもあるといわれています。
ちなみに、絶世の美女である、あの有名なクレオパトラは七世なので別の女性ね。
その石像の彼女の足を見て思わずニンマリ。
なぜなら、私の足って家族の誰とも似ていない足で、人差し指から小指にかけてのカーブが大抵の人より緩やかで、その指の形も節くれだっていなくて先は平らっぽくて長方形な感じです。
この自分の足と石像の足の形がよく似ています。
ほら、やっぱこういう足ってあるじゃん! 
しかも三世とはいえクレオパトラよ? 
これはちょっと喜んでおこうかと思ったのでした(笑)

見どころ多く、見応えたっぷりの「海のエジプト展」
お薦めです!
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「ウエスト・サイド・ストーリー」来日版 2009/08/01 

2009年08月01日 22時47分38秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
とにかくこの作品が好き!楽曲が好き!
作品としては三度目の観劇だから感想は書きません。

今回来日版を観てみると、四季は四季らしくかなり健闘していたのがよくわかったわ。
ちょっと古臭い日本語訳ではありましたけど、字幕を気にしないで観たり聴いたりできるし、こういう良作にこそ原作に忠実な四季はありがたいと思います。

で、今日は劇場でブロードウェイ版のCDを買って家に帰ってからもずっと聴いているんだけど、やっぱりこの中では「Maria」が一番好きで、結局そればっかり聴いちゃうのよね。
ミュージカルの数々の好きな歌の中でも、これはベスト10に入れたいくらい好きだわ。
前に知らない方の日記で、この歌が「マリアって名前ばかり言っているだけでつまらない」と書いてあったのを目にしましたが、私はそれにこそ感動します。

あなたは、たった三分たらずの間に恋人から自分の名前を26回も連呼されたことがありますか?(笑)

まあ、あるかもしれないけど、それはそれとして
この青年・トニーは、マリアを目の前にして名前を呼んでいるのじゃなくて(それだったら「しつこい!」って笑われちゃうかもよ?)
彼女と初めて出会った日にその名前を知り、夜の街に、星空に、世界中に向かって、その名を何度も叫ばずにはいられないほどに、心の底から体中から想いが溢れちゃっているわけなのよ。
その日から彼女の名が「世界で一番美しい響き」と思ったりする。
だからこれはもちろん恋の歌なんだけど、この恋で彼の昨日までの世界が全く別のものに変わってしまった、たった一人の女の子が奇跡を起こしてくれたという、そういった歓喜の歌でもあると思うのね。
このストレートな恋心は本当に感動的で、私はこれを聴くたびにマリアという名前に改名したくなったりします(笑)

でもね、
恋の話に限らずとも
「この人と出会った日から世界が変わってしまった」という経験なら、きっと私のマイミクさん達なら少なからずあるはず。
昨日から今日という急展開はなくても、去年と今年が全く違う世界になってしまったような出会いがありましたよね?みなさん。

トニーはマリアと出会う前に、「Something’s Coming(なにか起こりそう)」という歌を歌います。
私はその歌も好きだけど、「奇跡が待っているような予感がするんだ、何か素敵なことが起こりそう!僕に待つことさえできれば!…何かおこりそう。何か分からないけど、とにかく素晴らしいことが」というような歌詞です。
そして本当にそういうことになったわけ。

人生って、時々そういうことがある。
私たち、少なくとも一度はそんな経験があったのだから、きっとまたある。
何か素晴らしいことが、私に、あなたに起こりますように!
コメント
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