今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

いつかどこかで(71)未来の景色と過去のそれ

2019年11月17日 20時41分26秒 | いつかどこかで(雑記)

お元気でしょうか?

私は相変わらず映画や舞台、コンサートに出かけたりと、ずっと文化祭状態が続いていますが、感想がなかなか書けません。
…と言うより、何を書いて、何を書かないかを決められなくて。
それどころか、何を思いながら暮らして行けば良いのか、迷路に迷い込んでいる状態です。
それというのも……

7年前の2012年の春に、友人達と奈良の吉野桜を観に行った際、ここにその旅行記を書いたんです。タイトルは、
『吉野の君に逢いたくて』
これは、平安時代設定の某小説に「吉野の君(きみ)」というキャラがいて、吉野桜と言えば、何となくこれを思い出したから。

そして、それを書いてから1年も経たずに、突如現れた「吉野くん」という若い青年。
その青年が次々と吉野姓の人々を連れて来て、いつの間にか身の周りに吉野と名乗る人間が増殖する日々。
この人々により、私の人生は劇的に変わっていきました。

まあ、こんなのは「たまたま」のうちに入るのでしょうが、「ふと書いたことが現実化するという確率が非情に高い」というのは前からここに何度も書いていますけど、「ふと書いたこと」だけでなく、「ふと言ったこと」とか「ふと思ったこと」までもが度々に現実化するのが、ここにきて、私は怖くなってきました。
なぜなら、全てが思い通りになるわけでもないので。
大概は私に嬉しい事、都合の良い事ですけど、
「結果的には思った通りで良かった」という事も、それまでの過程までを予想したり予言したわけではないからです。
……と、上記の文章ですら、その中に将来の何かが潜んでいるのではないか?と、おっかなびっくりだったりして

妄想壁のある、頭がおかしい人だと思いますか?……でしょうねぇ……。

2年前ですが、ついうっかりと「言ってしまった」ことが本当になった時、それがとても驚くような悪い展開になり、それをまるで自分が引き寄せてしまったようで、(それも今となっては「雨降って地固まる」的に良かったのかもしれませんけど)当時は本当に辛くて、友達Aに泣きを入れていたら、彼女が言うんですよ、
「あなたは思った事や言った事が実現してしまう人なんだから、悪い事を思っちゃいけないのよ。」って。

それはあんまりだ!、ふと思ったことは、本当に「ふと」なんだから止められやしない。悪意や作為ではないのだから、思っちゃいけないなんて理不尽だ!
それに「ふと言ったことや書いたことが実現する」なんていうのは、やっぱり私の思い過ごしかもしれないし、むしろ願望じゃないかと時々思う。
……と、友達Bに愚痴ったらですね、今度はその友達から、
「馬鹿言ってんじゃない、何度(私に)驚かされたと思ってんだ!いい加減に自覚しろ!!」
と、叱られる始末

それじゃ、何ですか? 私が自覚するとして、ならば、どうしたら良いのでしょう……。

なんとなくですが、実現化する確率としては、ふと思った事<ふと言った事<ふと書いたことの順番な気がしますが、あくまでも、「ふと」なんですよね。
などと、本気で自覚するとですね、

自分自身や大切に思う人、世の中や身近なところとかに、何かが起きる。
その「何か」が、私が何か書いたか、言ったか、思った事通りであり、それがただの偶然でないのならば、
つまり、
①何か不思議な力で、私がその事を予言してしまった。
②何か不思議な力で、私の思い通りとなってしまった。
③誰かが、私の書いたものを何処かで目にするか何かして、「それもあり」だと思って実現に向かう一因となった。

このいずれかなんですか?
「書いたこと」に関していえば、③ならば、可能性が全くないとは言えないでしょうね。
私一人の力ではなくても、たとえば、「次はアレの舞台が観たいな~」などとどこかに書いて、そう思う人が他にもたくさんいて、その大勢の人達の願望の一部になり、制作側の耳に届くこともあるかもしれない。
それなら良いんですよ、それは大概に良い事柄だし、私だけでなく、みんなの声の一部なんですから。

でも①とか②だろうと、自分で本気で思ってしまったら……
私は本当は、家族以外には何の価値も影響力もない、取るに足らない平凡な人間であるはずなのに、その「自分は何か不思議な力があるかもしれない」なんていう馬鹿げた考えを持ちながら生きなくてはならないのでしょうか…。
まるで病気の人ですよね。
だから、とても自覚できない。するわけにはいかない。
と思いながら、もし本当だったらどうしよう。もし本当ならば、将来に自分に後ろめたい事が起きないように、私利私欲を捨てて、心を綺麗に保たなければならないとも思うし……。

今までのように、苦手な人が突然に転校したり転勤したりして、都合よく遠くに去ってしまった時でも、「ああ、良かった、これで楽になった。」なんて、お気楽にほっとしたりしてはいけないんだ、きっと……。
なんて、

うぅ~……

話を変えよう(笑)

ごく最近観た映画といえば、シュワちゃんのターミネーターの新作で、舞台では野田さんの「Q」です。
どちらも面白かったです!!
その前に観た「怪人と探偵」や、いくつかのコンサートも、とっても良くて、今年はいろんな意味で「当たり年」でしたが、上記のような理由で感想を頭の中で書いては、「いや、待て!これを書いたらまた何が起きるかわからない」との繰り返し。
その「何か」が良い事だろうと思っても。

本当は、ただ自由にのびのびと書いていたいのに、そうはできない思考の迷路。

ですが、過去を変えて未来を変えようとするターミネーターや、「Q」に共通して、懲りずにふと思ったことを、ひとつ。

人は、現在の自分が何をするか、いま何を思って生きるかで将来の景色だけが変わると思うけれど、SF物語ではなくても、今の自分次第で過去の景色も違って見えるものかもしれない。
今を良く生きれば、未来と共に過去さえも変わった景色に見えるのかも。
そして、自分へのご褒美とは、今の自分ではなくて、過去の自分がくれるもの。

今の自分が、未来の自分に大きなご褒美をあげられますように。
あなたも、私も。

しょうもない与太話のようなこの記事を、この行まで読んでくださった貴方へのお礼に、「ふと」ではなく、祈りを込めて書いておきますね!

あ、そうそう、表題のところにUPした絵は、私の父がデイサービスで描いてきた「大人の塗り絵」です。
予め絵の輪郭は印刷されたもので、色鉛筆で好きに彩色していくものですが、認知症初期の老人が塗ったものにしては結構上手だと思います。
親ばかならぬ、子ばかですね(笑)
沖縄の首里城、実物を見たかったな。