今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

いつかどこかで(81)江の島〜伝説を訪ねて〜

2020年12月31日 14時25分56秒 | いつかどこかで(雑記)

お元気でしょうか。

新型コロナウイルスのせいで生活がすっかり変わってしまった2020年。
そして、相も変わらず文章瞬発力ゼロ…どころかマイナスの私。
感想記だけでなく旅行記までも今更な感がありますが、だからこれはつい最近のことでなく、まだ東京でもGOTO可能だった11月のことです。
でももう、12月に入ったら旅行はおろか、帰省すらもなかなか難しい感じになってきましたね。

まあそんなコロナ事情がなくても、ここ一年の私はケアハウスにいる母が心配で、東京と実家の横浜から遠く離れた場所に旅行へ行くのが怖いです。いつ緊急の連絡が入るかわからないので。
その都合で言うのなら、鎌倉や江の島ならば横浜に近いので、自宅や職場よりもむしろ緊急に対応できそうと思い、ここしばらく気になっていた江の島まで行ってきました。

近場とはいえ一人旅はちょうど一年ぶり。去年は天河大弁財天でしたが、今年は江の島の弁天様です。
去年と同じく、お天気がよくて暖かで、青空の美しい朝でした。

↑この竜宮城のような建物は片瀬江ノ島駅

駅から歩いて江の島へ渡ります。弁天橋から見る湘南の海。
空は雲ひとつなく青いです。
 
実は私、実家に近いと言っても江の島には一度も行った記憶がありません。
なぜならば、私が若い頃は「デートで江の島に行くと、弁天様は女性だから焼きもちをやいてカップルは別れる」というジンクスがあったので、江の島は絶対にダメと言われます。
でも先日調べてみたら、そのジンクスはデマでした。
ひどいなぁ〜、弁天様が人間達に嫉妬なんて、するわけがない!
そのデマは、実は大昔に江の島に男性が良からぬ遊びをする場所があって、女房たちにバレたくないからそんな噂がばらまかれたらしいです。ったく、男ってやつは〜!

行ってみると、昨今の江島神社は「恋愛の神様」とか「美人になる御利益がある」とかで、実に女性向き。
ま、私にとっては、今さら恋愛だの美人だのに願をかけたからって人生どうもこうもならないので…というか、自分のことをお願いするのが苦手なので、世の中の平和と、心配な人達のことをひっくるめて手を合わせてきました。


↑こちらは江島神社の奉安殿。
奉安殿の中には、十五童子に囲まれた美しい弁天様が祀られています。
音楽のお好きな女神様を喜ばせるためか、お賽銭箱に小銭を入れると「チャリラン」と綺麗な音がする仕掛けになっていました。それが聞きたくて私は二回入れました。

そして写真は撮影禁止により撮れませんでしたが、天井には小さな龍の天井画があります。
ネットで見つけた奉安殿の天井龍がこちら↓

この龍は「八方睨み(どこから見てもこちらを見ているように見える眼のこと)」とどこかに書いてあったような気がしますが、実際に見てみると違います。
どの方向から見上げても、私は龍と眼が合いません。
なぜなら、この龍の視線の先は弁天様です。一途に弁天様だけを見つめています。

弁天様と龍はともに水の守護神でもあるので、たいがい海や湖の近くに一緒にあることが多いようですが、この江の島だけには、「弁天様と龍は夫婦だった」という伝説があります。他の弁財天では聞いたことがないので、どうしてそういう伝説になったのか興味がありました。
その伝説とは、
『昔、鎌倉には人々に禍なす悪い龍がおりました。そこに美しい天女(弁天様)が舞い降り、龍は一目で恋をしました。天女は龍を諭し、龍は心をいれかえ良い龍となって天女と夫婦になりました』
というお話。

神様とか神獣をどう捉えるかは人それぞれですし、おとぎ話のような伝説に文句つけるつもりはないですが、私としては、「それはどうかしら?自然災害や天変地異を龍のせいにしたいのは人間達の勝手で、龍にとっては濡れぎぬなのでは?」とか思うんですよね。

神様ともなれば、美しい天女の姿だろうが、恐ろしい龍の姿だろうが、たぶんそれは彼らの好んだ仮の姿ではないのかしら?

そう思うと、龍の形を取った神様は、きっと人間が苦手で、もしくは人間に興味がなくて、人間とあまり関わり合いたくないタイプ。
一方、弁天様のように美しい女人の姿を取るのは、人間が好きで、人間が喜びそうな姿だから。そして弁天様が人間を好み味方するのは、人間のする芸能…つまり音楽や舞などが大好きだから。
それで、江の島の弁天様と恋をした龍は、悪い龍と呼ばれたまま夫婦になっては、弁天様まで人間に嫌われてしまうかもしれないので、今までただ自然に任せて見過ごしていた大災害(龍にとってはごく小さな自然の移り変わり)に、わざわざ神力を使って人間達を助けることにした。

……なんて、伝説は口承によって人により時代によりに移り変わるものだから、もし私が昔の伝承者ならば、そんなふうに話を変えたかも?

江の島をめぐり歩きつつ、そんなふうに勝手に新しい伝説を妄想していると、眺望灯台「江の島シーキャンドル」が見えてきました。
展望台に上ると、お天気が良いので鎌倉の湾やそのずっと遠くの私の実家あたりまでも見渡せて、本当に気持ちの良い眺めです。

この日は穏やかな天気だから良いものの、もしも大嵐や津波が起きたなら、随分と恐ろしい景色になるのでしょうね。昔の人々が神様にすがりたくなる気持ちもわかるような気がします。

でも、これだけ大きな空を見ると、「青い空も綺麗で気持ち良いけれど、天使のはしご(雲の切れ間から光が漏れて放射線状に地上へ降り注いで見える現象)とか見えたらさぞかし壮大で美しいだろうなぁ〜」などど、つい贅沢を思う私です。


ところで、湘南ではしらすが名物で、この旅の目的のひとつは「生しらす丼」。
島内にはあちこちに食堂があり、名物のしらすや海鮮が味わえます。
この島は階段も多くて結構足がつかれるので、ちょうど「もう疲れた!限界だ、座りたい!」と思った場所でお昼ご飯をいただきました。
「魚見亭」は見晴らしの良いテラス席や窓際席があり、海を眺めながら食事ができます。
テラス席が満席だったので、私は四人掛けの窓際席に一人で座らせていただき、開かれた窓から心地よい風を感じながらの昼食となりました。外食もこんなお店だとソーシャルディスタンスもとれるし、感染対策もバッチリで安心でした。
念願の生しらす丼は、蟹味噌汁付にして、きゃ〜っ豪華なランチ! 美味しい!

ぷりぷりの生シラスを味わっていると、あれ?なんだかお天気が……
お店を出て岩屋の見える稚児ヶ淵あたりに来たら、空は青空から一変して曇り空になってきました。
さっき、「青い空も良いけれど……」なんて、贅沢を思ってしまったから、とうとうバチが当たったか??

 
こうして曇ってみると、岩場の景色は少しだけ恐ろしく感じます。

それにしても、この地方の方達は、どうして空から天女が舞い降りたと思ったのかな?
とか考えていたら・・・・え、え?・・・ええーーっ??!

やがて現れたのは、奇跡のような景色でした!
雲り空に突然ぽっかりと丸い穴が開き、天上からスッポトライトが降りるように太い一筋の光が刺しました。光の柱で照らされた海はそこだけ丸く白銀にきらきらと輝き、まるで天然のステージのようです。
しかも、大海原の向こうには、光の屏風が広がるように天使の梯子(はしご)が降りています。
写真でうまく撮れなくて、その本当の美しさがほどんど残せなかったのが悔しいですが(荒木健太郎さんに写して欲しかった!)この一瞬のような奇跡の光景には息をのむばかりです。

あ、そうか!! きっと大昔の人も、このような景色を目撃したのかも?
このような神々しく美しい場面に出会ったならば、何かすごく尊い存在が、天上から降り立つように思えます。

光の屏風を背に、天から舞い降りる天女の姿……

こんな素敵なシーンを見せてくださって、神様ありがとうございます!と、手を合わせたくなりました。

さて、江の島の岩屋(洞窟)といえば、私はついミュージカル「怪人と探偵」の、怪人のアジトを思い出します。ぜひ中を見てみたい!
 
入口で消毒をして、前の人と距離を保ちつつの見学です。
 
これを見ると、恋のバトルは怪人二十面相の即負け間違いなし(笑)
いくら好きでも、こんな暗くてゴツゴツじめじめした、恐ろしい場所に監禁されたら堪らないですよね! たとえ結婚しても、こんな居住性最悪で不便極まりない場所に、都会育ちのヒロインが耐えられるはずがないです。私なら、壁いっぱいに大きな本棚のある探偵の事務所のほうに行きたいです。(って、そういう問題か??)


とか何とか、盛大に脱線話を書いていたらすっかり長くなってしまいましたが(それはいつものことですが)何とか年内にこの旅行記が書けて良かったです。
コロナ禍だけでない2020年の、よいアルバムになりました。

江の島は、ここに書いた場所の他にもいっぱい見どころがあって、お土産に美味しいシラスの佃煮や羊羹も買えたしで、一日歩き疲れて足がパンパンになりましたけど、本当に楽しかったです。

新型コロナのせいで旅もままならぬ昨今ですし、私にはやはり母が心配ですが、いつかまた旅をしたいと思います。

【2021.1.11追記】
雲にぽっかりと穴が開いて光の柱が降りる景色、この前TVで映画「天気の子」を見たら、そういえば、あれが物語の始まりでしたね。
晴れ女になったその後のシーンにも……
穴あき雲と天使の梯子がひとつの空に同時に現れる景色は、すごく珍しいのかも?


 





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いつかどこかで(80)矢車菊

2020年05月09日 21時18分03秒 | いつかどこかで(雑記)

お元気でしょうか。

私はここ10年とか15年くらい(もっと前から?)もう、なんか、ずっと毎年のように次々と色々な事が起こって、1年として同じような年はなくて絶えず落ち着かず、ジェットコースターに乗り続けていたような感じだったんですよね。
去年の今頃も実家を行き来したり泊まったりして忙しく、ほとんど休める日はありませんでしたが、今年はそれがないし、それどころかどこにも出かけないので、この連休は(カレンダー通りだけど)のんびりと過ごしています。

元々インドア派で家にいても退屈しないし、普段先延ばしにしていた片付けなども出来るし、人混みの中で他人の邪気にあたらなくて済むし、最近なんだか空気がきれいになってきた様な気がするし……で、
これでCOVID-19さえなければなぁ………

なんて、なんだか呑気ですみませんが、人それぞれに状況が違うし、出来る事もすべき事も違うので、「他人と比べても意味がない」と思うことにしているんですよね。
たまたま良い時があったとしても、そうでない時もあるんですから、どちらに転んでもその時々で、「私は私の出来る事をやってりゃ良いかな」って、なるべくフラットでいたいです。

でもまあ、なかなかいつもそうはいられないかな……

だいたい、本当の意味での「良い加減」とか「適当」って、どの辺にあるんでしょうかね……?自分にとっての、あらゆることで。
加減がわかってないんですよねぇ……たぶん。
やり過ぎているのか、足りてないのか。…いやもう、いつも全然足りてないような気がして、ついやり過ぎていたり。やっぱり全く足りてなかったり。
「頑張る」って、どのくらいやったら「頑張った」と思ってもいいのかしら? よくわからない。

あなたはどうでしょうか。

手を洗いすぎてボロボロになっていやしませんか?
「しっかり手を洗う」といっても、やり過ぎたら可哀そうですよ、その手。
自宅にいる間は、ご飯作る前と食べる前、トイレの後だけで良いんじゃないかな?手洗いは。 
え、ダメなの? ああ、お掃除の後も洗いますね。でも、あんまりごしごししないで、泡で包んでやさしくね。
だってその手は「好きな人の手」なんですよ、きっと誰かの。

それに、自粛でいつもしている事ができないのも辛いですけど、いつもしてない事をやり過ぎるのもストレスですよね。
家にいる時間が長くて良い機会ですから私も色々とやってますけど、やりつけない事ばかりしてたら疲れませんか?
今日はテレビで「Twitterのバトン疲れ」の話題が出てましたけど、オンライン飲み会っていうのも疲れないですかね、あれ。
たまには楽しいかもしれませんけど、度重なると飽きるだろうし、誘うのも誘われないのも、ストレスにならないのかしらね? それとも良い暇つぶしになっているのかな?

・・・という、こんなだらだらとした記事を書くのが私の良い暇つぶし(笑)

ところで、暇つぶしといえば、近所を散歩すると、季節が良いのでご近所さんのお庭がきれいです。
上手に花を咲かせる方って素敵ですよね〜!本当に尊敬しますよ!
私はそういうの、ド下手なんです。なにせ加減のわからないヒトなんで、構いすぎたりついほったらかしにしたりで枯らせてしまい、「プランターキラー」の自覚あり。
でもお花を見るのは好き!

先日は矢車菊を見つけました。最近、青い色を見ると気持ちが楽になる気がします。

そうそう、矢車菊と言えば、あっきー(中川晃教さん)ですけど…
ほら↓ この写真は何歳の時? 若い!
 
これは「THE WIZ」のジャケットですけど、私的には「Blue Dream」。ツタンカーメンを思い出すから。
でも、あのツタンカーメン王の墓に添えられた花が「アンケセナーメンの手向けた矢車菊の花束」というのは、どうやら作り話らしいです。…とはいえ、100%ないとも言い切れないだろうし、この手のお話はロマンがあったほうが良いですよね。
矢車菊(別名:コーンフラワー)は、疲れ目や肩こり、咳や気管支炎、美肌やアンチエイジング、血栓予防…他にもいろいろと効果が期待できるそうで、矢車菊自体は無味無臭らしいですが、私はこのハーブ入りの紅茶がお気に入りです。

このお茶はリーズナブルなお値段の「ディアナ」というお茶で、フルーツのさっぱりとした甘い香りの紅茶です。ハーブティーって、わりと癖があったりしますが、これは自然でさっぱりとした香りなので飽きないです。「ディアナ」は「高貴なる女王」「月の女神」という意味なんですって。名前も好き!
もっと高級で有名なのは、北欧紅茶のセーデルブレンドという紅茶があります、スウェーデン王室ご愛飲で、ノーベル賞受賞の晩餐会でも飲まれるのだとか。

効能のほうはどれだけかわかりませんが、ストレスがたまった時は、香りの良いものに癒されますよね!
自粛疲れの方におすすめです!

あなたが健やかでありますように。

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いつかどこかで(79)人の話を鵜呑みにしてはいけない②

2020年04月26日 14時40分56秒 | いつかどこかで(雑記)

お元気でしょうか。

医療現場に従事する方々や、大勢の顧客と対面したり、流通で働く方々は……こんなブログを目にするお時間もないとは思いますが……本当にありがとうございます。

また、ずっと家にいらっしゃる方達は、それはそれで辛いものがありますよね。様々な情報を見るにしても聞くにしても、心折れることばかりでストレスが溜まっているかと思います。
大丈夫ですか?大変でしょうけど、その自粛が働く人を守ってくれてます。ありがとうございます。もう少し?…いつまで続くかわかりませんが、よろしくお願いいたします。

「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」って、ミュージカル「三銃士」で言ってたのは井上芳雄さんでしたっけ?ダルタニアン。「辛い時こそ、前を向いて歩こう」というメッセージもありましたよね。

で、やはり私の働く業界は、出勤を必要最小限に留めながらの「必要な業務の継続要請」が政府より出されています。
なので、緊急事態宣言以降、私の部署では週に二日を在宅勤務となり、出社は三日というペースで、人員の数と業務を縮小しながらも仕事を続けています。
医療関係の方々や、大勢の顧客と対面営業する方々とは比べようもありませんが、それでも日に日に命の危険を感じるようになりました。
事務所の中や電車の中、地下街を歩いている時でさえ、誰かの咳やくしゃみの声が聞こえると、思わず自分のマスクを手で押さえたくなります。

この時期だけ時差出勤ができるようになったので、朝の7時前から特急電車に乗るようになりました。
新宿に到着して電車のドアが開くと、一番前の女性専用車両からは、(数か月前ほどではないものの)大勢の女性達が一斉に吐き出されます。自分も含めて、女ばかりの先頭集団が改札に向かって歩くその有様は、まるで先陣を切って敵地に出撃を命じられた女戦士の一群を見るようです。

……なんつって、戦記小説の読みすぎかも? いつも通りに頭の中がファンタジー。
とか思いつつ、この事態が収束するまで、「この女性たちの誰一人も死にませんように」と本気で願ってしまいます。

「エッセンシャルワーカー」
なんか、響きだけはきれい。シャンプーの良い香りがしそう(笑)
でも、実態はきれいでもないし、私の場合は滅多に感謝される仕事でもないし。むしろ感謝されることなく忘れられているほうが良いくらいの仕事なんですけど、まあ、目立たないところで、目立たなくても、本当に色々な仕事があるんですよね。

私の働くビルのトイレやオフィスの中が毎日清潔に掃除されているのは、清掃業者の方達が慎重に働いてくださっているお陰です。スーパーの棚に品物があるのは各商品を製造したり卸売業者の方々がいるからこそだし、それを買うお金が下せるのは各金融機関のお陰で、そのATMや事務機器に不具合が生じたらメンテナンスする会社が出動してくれているのでしょうね、きっと。
各業界の相談や苦情を受け付けるコールセンター勤務の方々などは、いつにも増して大変な状況だとも聞きました。
食べるのも、買うのも、トイレやお風呂に入るのも、通信するのも……日常生活を維持するのって、物凄く多種多様な業界が関わっていたんですよね、改めて考えると。

社会的責任とか、使命感とか。
私の場合、東日本大震災の時はそんな気持ちもありましたけど、今回はそんなのではなくて、言うなれば「だって、仕方ない」に尽きます。
だって、みんな生活しているのだから。
それで納得しながら出社しているので、ウイルス感染の予防はもとより、気持ちとしてはこの際、次の段階へ進みました。

まずは、もし発熱した時、4日は家で待機するのだから準備が必要ですよね。
「熱さまシート」とか「冷えピタ」などの頭を冷やすものと、ビタミンCのサプリ(これは毎日飲んでますけど)、レモン、ハチミツ、レトルトのお粥やスープ、経口補水液。
市販薬はイブプロフェンの入っていない、アセトアミノフェン主剤の解熱剤。咳や痰が出たら解熱剤ではなく総合感冒薬の方が良いかもしれないから、とりあえず二種類。
あと、うがい薬に、のど飴。
これらは用意したけど、他には何が必要でしょう? 

ホテル待機や入院の支度をしておいた方が良いと言う方もいますけど、そこまでは、まだちょっと気持ちが追い付いてない状況です。
その割には、万が一の場合のイメトレをしていたりするんですけど。
あくまでも万が一だけど、何十年後かにでも、いつか役に立つかもしれないし。

「その時」は、明るいところへ昇っていくイメージ……とか、次の世で会いたい人のリスト……とか、ね。

な〜んて、それ以上は書くのをやめておきますが、そのイメージには、あきれるくらい悲壮感などありません。
だいたい、私の死生観って一般的じゃなくて、日常的にそういうこと、考えている人なので。そういう意味では普段通りかもしれません。

そう言えば、去年に天河神社で引いたおみくじが吉で、「生死十に九つ生きる」と書いてあり、「それはいったいどんな状況?」とか思ったら、弁天様に「だから、こんな状況よぉ〜!」と言われてしまった気分 しょうがないなぁ〜、もう。
残り10パーセントには御用心。「病事は本復すべし」ともありましたが、COVID-19を含めて、どうか病気にかかりませんように。

ああ、そうそう、家でお過ごしの皆さん、特に中高年の方々は怪我をしないように気を付けてくださいね。身近な人にも注意しましょう。
中高年齢の方達は、普段でも「家の中」での怪我が多いんです。(これは本当)
いつもはしない人が、若い芸能人の動画につられて激しいダンスや筋トレをしたり、無理なストレッチなどで、筋を痛めたり怪我をしませんように。高い場所に登ったりの掃除にも気をつけましょうね。こんな時期に、つまらない怪我で病院に行くのは嫌ですものね。私も気を付けます。

それから、しつこいようですが、人の話を鵜呑みにしてはダメです。
悪質な詐欺はもちろんですが、「こうしたらいい、ああしたらいい」という話は必ずエビデンスを確かめたいものです。
先ほど私が書いた解熱剤の「アセトアミノフェン」が確かに大丈夫なのかどうかわかりませんよ。あなたはあなたで、自分で調べて判断してください。

どうか、今生で、元気で、できれば何の不安もない状態で、あなたにまた会えますように。
たとえ互いに顔を知らずとも。

また、いつかどこかの劇場でお会いしましょうね!

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いつかどこかで(78)人の話を鵜呑みにしてはいけない①

2020年04月12日 16時21分34秒 | いつかどこかで(雑記)

まずはこの動画↓をご覧ください。

スゴイですよね!この衝撃的な景色はまさに「天変地異の前触れか」!
今日(4月12日)現在、Twitterでは34.1万人が「いいね」を、8.6万人の方がリツイートをしています。
私も最初に見た時は思わず「いいね」を押そうかと思いました。
でも、それを止めたのは、単なる直感で「止めとこう」と思ったからに過ぎず、べつだん深い思慮があったというわけでもありません。

この「疑いはしないけど、丸ごと鵜呑みにはしない」という私の性格は、十代の頃に父親からさんざん法螺話(冗談の嘘)を聞かされて鍛えられたせいかもしれません。(お父さん、ありがと~!)
まあ、そのお陰で、愛の言葉ですら、「今はそう思っているのね、嘘とは思わない。でも未来はどうかしらね?」などと思う女になってしまったのは、幸か不幸か微妙なところなんですけど(笑)
ただ、何を聞いて驚いても、容易く信じてしまっているようでも、「え~っ!そうだったの~?」の「?」を僅かに残しておくのは、生きていくうえで時々役に立つこともあります。実際、愛だって良くも悪くも変化しますものね。要は、自分なりに納得して次の行動を起こしたり踏み止まったりするためには、考える余地とか時間が必要なんじゃないかと思います。

あ、そうか! そんな風に思うからTwitterって、私には向いてないわけね?、瞬発力を削ぐので

で、その「天変地異の前触れか?」の動画に驚いた数日後、映画「天気の子」で監修をした気象庁気象研究所研究官の荒木健太郎さんが、次のようなツイートをされていました。
《荒木健太郎@arakencloud「この映像の問い合わせをいくつもいただいていますが,何年も前から出回っているCGです.タイムラプスなのに太陽が動いてないし雲の輪郭や動きも雑なので赤点.映像に雲愛が足りてないです.やり直し.」》

つまり、専門家からすると「出来の悪いCG」です。その動画を34万人もが拡散したというこの事実をどう思いますか?
この動画をUPした方は、動画を作った方ではないかもしれません。ただ拡散したうちの一人で、この方を含めて、拡散したほとんどの人に悪意はなかったものと思います。ただ、悪意がなければ何でもありなのか? Twitterの使い方に今一度気をつける必要があるのではないか?…もちろん、私自身を含めて。

特に、「誰それがこんなツイートをしていた」と、他人の発言を一部切り取り、それに解釈を加えたツイートを見て、それを丸ごと鵜呑みにし、「え、誰それって、そんな事を言う人だったんだ?クソだな、ガッカリした!」などど、大元の文章を見もせず(自分自身の頭で考えもせす)に、その場の感情だけで安易に「いいね」と拡散すること……それがどんなに愚かで罪深いか……、それを頓着しないツイッターの民たちが、私は怖いです。

他人の書いた文章を見て、それをどう思おうが、どう解釈して発言しようが、その人の勝手です。けれどもその勝手な解釈とは、必ず読み手それぞれの内面が反映されています。「又聞き」には、良くも悪くも「次の人のフィルター」が通されています。その次のフィルターによって、元の(最初に書いた)人の真意が曲解されることもあるでしょう。それをまたその次の人がフィルターを通し、褒め言葉ならまだしも、悪くすれば誹謗中傷へと発展します。ただ「いいね」を押すだけで、その誹謗中傷は世の中に広がっていくんです。
まるで、性悪なウィルスが無自覚な人達にこそ広められていくように。

…と、何でこんな事を書くのかと言うと、冒頭の動画も含め、ここ数ヶ月で、私の親しい人たちも、しばしばとその「無自覚さ」が見受けられたから。
CGの動画を広めた友達も、某芸能人への「又聞きツイート」に「いいね」を押した友達も、普段はちゃんと自分で語る言葉を持っているし、決して思慮が浅い人ではありません。なのに、Twitterだと、どうしてそんな軽い行動にでるのか…。

なんて、こんなことを書いていると、まるで自分がそうでないみたいですが、私も気が着かないうちに、きっとどこかで同じことをやらかしているのかと思います。だからこそ、自分への戒めに書いてます。他人への説教ではなくて。

私も手を洗うから、みんなで手を洗おうね。みんなでやらないと意味ないよ。

そんな気持ちです。
手をしっかり洗うのは時々面倒くさいけど、でも、自分で書いたからにはやらなくちゃね。

先日NHKで見ましたが、アメリカの大学では、大統領選挙を前にして、学生達がフェイク・ニュースに騙されないよう、しっかりと検証できるようにと特別な授業が組まれていました。
情報が溢れ、簡単に目に入る世の中だからこそ、自分で確かめ、自分の頭で考え、自分の心で感じなくては。。
そして、自分で書いたからには、そうでいなくてはと、改めて気を引き締めたいと思います。

・・・と、この話は次回へ続く、かも?

世論
ピアノ&シンセサイザー:今野勝晴 シンセギター:渡邊匠 歌・訳詞:いさらい香奈子

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いつかどこかで(77)KEEP DISTANCE

2020年04月05日 19時27分38秒 | いつかどこかで(雑記)

さよう、
劇場の席に座れるのは、
「他に優先すべきものが無いということ」だ。

…と、何故か「これだけは書き加えておきたい」と思ったあの日、
まさか、こんな大変な事態になるとは予想もしていませんでした。

外出自粛のこの土日、みなさんも自宅にいますでしょうか?
休日といえば、私はこの一年半、両親の介護やら見舞いで横浜に出かけていましたが、3月1日父の四十九日以降は一度も行ってません。
母が住むケアハウスは早くから面会禁止・外出禁止となったため、父のいない今、母は親しいものと会話する機会をなくしてしまい、いっそうにボケてしまうのではないかと心配です。
とか思い、さっき電話をしたら(ケアハウスの部屋に固定電話を引いた姉は偉い!)、逆に私が母から心配されてしまいました

新型コロナウィルス感染防止のために、休業だの休演だの、テレワークだのが余儀なくされている昨今ですが、私は毎日、普通に満員の通勤電車に乗り、新宿西口の地下街を歩き、高層ビルのエレベーターに乗って出社しています。
仕事があるのはありがたいですが、喜んで良いのかどうなんだか……

高層ビルでは、ウィルス感染者が出た場合、その方がいつ頃感染したか、いつから休んでいるかが考慮され、そこが集団感染の原因でもない限り、ビル全体を封鎖したりはしません。
感染者のいた階のみは1日封鎖して消毒し、真上と真下の階はほぼ通常通りに業務した後、夜になってフロアの床やドアノブが消毒されるだけです。

ニュースでは毎日「新たな感染者」が発表されていますが、個人のプライバシーを護り、誹謗中傷を避けるため、個人が特定されるような情報が出されないため、彼らがどこで食事をし、どこで買い物をし、何線の電車で何処の町に帰宅していたかまでは全くわかりません。
大都市が危ないのは、歓楽街やイベント会場だけではないということです。
隣の人が、自分が、いつ感染してもおかしくない状況で、出来る事といえば、主にマスク着用と手洗い、そして、何と言っても不要不急の外出自粛ですよね。

とは言え、だから私なんかは毎日出勤しているわけですからねぇ……
女子トイレの洗面台ででチラチラと隣の人を見てみると、石鹸を泡立ててしっかりと手を洗っている人って、案外と少ないんですよ、この期に及んで!  女子トイレですらそうなんですから、男子トイレを想像すると怖ろしいです。
それに、トイレでしっかり手を洗えない人が、その他のシーンでそれが出来るとは思えません。
誰がどこをどんな手で触っているか…… いまや、どこのドアノブも、スイッチも、電車のつり革もエスカレーターの手すりも、親しい人の手でさえも、もちろん自分の手にも、ウィルスが付着していると考えて、自分を護るため、他人を護るためにも、手を洗いましょう、しっかりと! それから、手が荒れないようにハンドクリームで保湿もね!

あ、今、ニュースで都内の新しい感染者が143人ですって! そのうち経路不明の方が92人も!
でも、もしこの先、緊急事態宣言で東京がロックダウンされても、業界的にうちの会社は休業の対象にならないかも?


ところで、2月末以来のコンサートや演劇などの中止・延期については、私もチケットを買ったいくつかの公演が該当してしまい、仕方ないことながらとても残念でした。
そんな中、ご贔屓さん達(「推し」という言葉は苦手)は皆、動画を配信してくれたり、ラジオの生ライブを行ってくれたりと、いろいろ工夫、模索をしながら、ここ一ヶ月以上、何だかんだと歌を聞かせてくれていました。本当にありがたいです。
歌も嬉しいけど、何よりも元気なお顔が見られて嬉しい
生配信をする中で、みんな「聴こえているかな?」「見えているかな?」とか、「前にお客さんがいなくて変な感じ」などと言っていましたが、私達、ちゃんと聴いているし、ちゃんと見ていますよね!!
好きな人達が、何をどう発信して、何を伝えてくれようとしているのか…その姿も想いも、私達ファンはしっかりと見ているし受け取っていますから。
そして、もちろん、楽しんでいます!

9年前の大震災の時も、今この時も、ファンのみんなに温かく、前向きな姿勢を示して、常に最高の歌を届けようとしてくれている方達に、その心意気に、私達がいつか必ず応えます! 頂いたその気持ちを倍返ししたくてウズウズしています。
ステージに関わる方たちは、今は悔しくて苦しい時期だと思いますが、どうか持ちこたえて、この難局を乗り越えた後の、私達ファンの盛り上がりを楽しみにしていて欲しいです。
流行病は必ず収束します。音楽も演劇も死にません。それは古今東西の歴史が物語っていますよね。私達には必要ですもの。

お互いに生きてさえいれば、いずれ会えます。
1日も早くその日を迎えるためにも、まずは手を洗いましょうね!

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いつかどこかで(76)嶺月

2020年01月19日 22時26分11秒 | いつかどこかで(雑記)

冬の窓 見えねども明るし 金の嶺月  (煌月)

父の名を嶺月(れいげつ)と言います。
これは本名ではなくて、雅号です。
華道の師範だった祖父が付けたその名を、父は趣味の鎌倉彫、書道、和歌や俳句などを嗜む際に使っていました。
嶺は、山の頂上を意味します。

令和2年1月15日、父が他界しました。

私は、去年の仕事納めの日に父が緊急入院してからしばらくは、東京と横浜を行ったり来たりの毎日でした。
一時は「もしかしたら年は越せないのではないか」と危ぶまれましたが、何とか新年の挨拶ができました。
正月休みも終わり、私は新宿の職場に出勤し、姉が緩和ケアの病院に転院する手はずを進めはじめた頃の1月10日、病室の窓から見えた満月がとても美しかったので、スマホで映して起き上がれぬ父にその画像を見せました。
「お父さん、今夜は満月がきれいだよ。山の上の月だから嶺月だね、お父さんの名前と同じだね。」
父はその頃はもう喋れませんでしたが、意識はしっかりしていたので、目を開き頷いてくれました。
表題の写真はその時のものです。
冒頭の下手くそな俳句は私が作ってみました。煌月(こうげつ)は私のペンネームのひとつです。

父は鎌倉彫でたくさんの作品を作りましたが、作品の出来栄えは素人にしてはなかなかのもので、その手先の器用さやセンスの良さ、こつこつと続ける根気良さは姉が受け継ぎました。
一方、俳句や川柳、高齢者向け雑誌への投稿文などは趣味にしても人様にお見せできるほどではなく、それなのに「下手の横好き」で何かと書くのが好きだったところなどは、私がそのままに受け継ぎました。

父は真面目で心正しく誠実で、草花を愛でる風流な人でした。
無口で感情を露わにすることなく、私達姉妹に手を上げたり怒鳴ったりは一度もしませんでした。
日本酒が好きで(これも私が受け継ぎました)、いつからか(たぶん、姉がお嫁に行った後くらいから)、晩酌で酔うと私にだけは冗談で法螺(ほら)を吹くことがよくありました。
くだらない法螺話なのですが、私が容易く騙されて「え~っ!そうだったの~?!」なんて驚けば、すぐに「嘘だよ」とにこにこと笑った父。「やだ~、また騙された!」などど、二人で笑い合う時間が好きでした。

荼毘に付す際、棺には父が集めた御朱印と、たくさんの賞状と感謝状を入れました。
その中には、赤十字からの感謝状もありました。9年前の東日本大震災のおり、自分のポケットマネーから多額の寄付をしたそうです。金額は誰にも教えてくれませんでしたが、被災地の方々の役に立ったなら、娘としても嬉しいです。

……などど、父は奥行き深い人だったので、思い出話を書き始めるときりがありません。
父が若い頃は、日常会話に不自由ない程度には英語が話せる人だった…などとは、ここ数年に知ったことでもあります。

で、
父が15日に亡くなり、4日ほど経ちましたが、私はまだ泣いていないし、あまり悲しいとも思わないんですよね。
父にはもちろんですが、あれこれと手を尽くしてくれた姉にも、言い尽くせないほどに感謝の気持でいっぱいです。
今はその気持ちが強いです。
私は去年の初頭に「私の出来ることが、ちゃんと出来ますように。」と誓いを立てたものの、私の出来た事は姉の100分の1どころか、1000分の1にも及びませんでした。
細やかに父の世話をする姉の姿は神々しくさえ見えました。
姉もまた、通夜でも葬儀でも涙を見せませんでした。父を見送るまでに「出来る事はすべてやった」という、ある種の達成感のあと、疲れと悲しみが来るのは今後なのかもしれません。

さて、この場に少し相応しいお話をするとして。

この1月は、手元に観劇のチケットが3枚あって、そのうちの2枚が「フランケンシュタイン」、1枚は「シャボン玉とんだ 宇宙までとんだ」でした。
父が逝ったのが「シャボン玉」の観劇日でしたから、これは空席になりました。
噂にきく名作で、しかも久しぶりに観る井上芳雄さんご出演の舞台を、とても楽しみにしていましたが仕方ありません。

両親の老いを強く感じるようになってからの、ここ10年ほど、半年前、三ヶ月前、一ヶ月前の舞台でさえ、チケットを買う際に「この舞台が無事に観られますように」と祈らずにはいられませんでした。私にはまだ母がいるので、その日々は続きます。

劇場の椅子に座れるのは、「健康であること、好きなものに費やすお金があること、自分のための自由な時間を持てること、楽しむ心の余裕があること」と、前に書きましたが、
「他に優先すべきものが無いということ」でもあります。
今はただ、それを胸に刻んでおきたいと思います。

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いつかどこかで(75)天河大辨財天社 新嘗祭 ~So Bright ④~

2019年12月31日 00時06分47秒 | いつかどこかで(雑記)

今さら言うのもなんですが、私は別に神社仏閣を見るのが特に好きというわけでもないです。
パワースポット巡りとか、御朱印を集める趣味もないし。
ただ、妙に惹きつけられるものとか、興味のあるもの、心地良さそうな所を目指すと、たいがいそこには神社仏閣がある……っていうだけなんですけど。

天河神社(天河大辨財天社)は改めてネットで検索すると「神様から呼ばれないと行けない」だとか「選ばれた人だけが辿り着ける」だとか「不思議な体験をした」「ゼロ磁場」だとか、「UFOの聖地」だとか……まぁ~いろいろと、有名なパワースポットだったんですね。
弁天様には金運や縁結びなどのあらゆる御利益があるそうですが、特に天河神社は音楽や芸事の神様として有名です。
そのため、多くの芸能人、アーティストの方々も訪れているそうです。
私の泊まった旅館でも、天河神社を目指し、数々の芸能人が泊まりに来たと聞きました。

けれど、アーティストでもない私が何故にここに来ようと思ったかというと、それはやはり弁天様がいらっしゃるから。
私にとって、日本版ミューズの女神である弁天様に、日ごろの感謝と、いくつかのお願いがあってやってきました。

新嘗祭(にいなめさい)とは、その年の新米や新酒を神様に供え、農作物の恵みに感謝し、五穀豊穣を祈るお祭りです。
ちなみに、新天皇が即位して初めて行う宮中祭祀の新嘗祭を「大嘗祭(だいじょうさい)」と言います。

令和元年11月23日、天河神社(天河大辨財天社)でも新嘗祭の神事が行われました。
普段は閉じているという本殿が開帳され、神職の方が祝詞を奏上し、巫女舞なども奉納されました。
本堂の中で神様のすぐ御前に能楽堂があるなんて、さすがは芸能の神様の神社です。
祭りのお開きには、今年一年の感謝と世の中の安寧を祈って「拍手(はくしゅ)をして下さい」と言われ、いつも劇場でするように参列者全員で普通にパチパチと拍手をしたのも珍しく、でも、いかにもこの場に相応しいような気がしました。

そうか、拍手(はくしゅ)は「かしわで」とも読みますね。
神事での拍手(かしわで)は邪気を祓い、神を呼ぶもの、そして感謝や喜びを表すものだそうですが、私達が通常に劇場やコンサートでする拍手(はくしゅ)にも、賞賛や感動を表すと同時に、良いステージへの感謝や、そこに居合わせたことの喜びも含まれますよね。
そこでの拍手は「劇場やライブに行けるくらいに健康であること、好きなものに費やすお金があること、自分のための自由な時間を持てること、そして何よりも音楽を楽しむ心の余裕があること」の、どれが欠けても出来ないことで、そういう状況も本当にありがたいことだと思います。
この先、舞台やコンサートで拍手する時は、そういった感謝も含めて、いっそうに心を込めて手を叩こうと思います。
 
祭事がお開きになった後は、新米で作ったお神酒をおすそわけ頂きました。
お米のつぶつぶが少し残ったような白いお酒は、思ったより美味しかったです!細長い塩昆布も!

その後、行列に並び、参拝します。

どこの神社でも、大概にお賽銭箱の上に鈴がありますが、天河神社の鈴は五十鈴(いすず)と呼ばれる独自の鈴で、その名の通り五つの鈴がついています。
この鈴を鳴らすのはちょっとしたコツがあり、綱を鈴にぶつけるのではなく、回すように撫でると良いのだそうです。
初めてやった私は最初はうまく鳴らせず、この鈴が鳴らないと神様に願いが届かないような気がしてあせりましたが、何とか鳴らすことができてほっとしました。

ところで、前日に京都では、お寺で手を合わせて祈るは自分の事より身近な人達の幸せばかりでした。
なぜならば、それが私の心の安穏に直結するからです。もうほんとに!心配な人ばかりなので……
だから
「どうか、あなたが幸せであります様に。あなたの苦しみが消えます様に。」
それが今の私の願いであり、私の幸せです。まじで!!

けれども、天河神社(天河大辨財天社)でお願いしたかったことは、そういう日常の身近な人達のことではなくて、この四人のこと! 

   
今年アルバムをリリースした順ですが、オリジナルラブの田島貴男さん、中川晃教さん、スガシカオさん、森広隆くんの四人。

なんで四人も?と、言われそうですが、この四人が「揃っていること」が大事なんです!絶対に!
春夏秋冬、東西南北、仏教には四天王、キリスト教には四大天使がいらして、地球には四つの大陸があり、古代から、世界は「風・土・火・水」の四大元素(しだいげんそ)で成り立っている」というじゃありませんか。
私に関して言えば、田島さんから始まり、スガさん、あっきーときて、最後に森広隆くんにめぐり逢ったことで、この四人の音楽を同時期に愛するようになってから、心のバランスがすごく良くなったような気がします!

で、この四人は音楽も違えば、当然ですが性格も違います。目指すものも違うのでしょうね。
Twitterなどを見ても、つぶやく内容…言葉の選び方、距離感とかも全く違い、それに反応するファン達もまた集団としてみると、それぞれに全然違う雰囲気があり、その違いが面白いくらいです。
私は自分がどこの集団に相応しいか、似つかわしく見えるのかわかりませんが、4人に対して好きになり方が違うし、望みも、心の距離感も違うので、自然と混じれるような気がします。
だだ、全員に共通して望むのは「歌い続けて欲しい」ということですね。

彼らに、弁天様のご加護あれ
そして、私には、その歌を聴き続ける幸せを

大好きな人、その音楽に、心から拍手できる日々がずっと続きますように。

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いつかどこかで(74)天川村・龍泉寺~So Bright ③~

2019年12月10日 01時05分29秒 | いつかどこかで(雑記)

京都のホテルを朝8時前に出発し、龍泉寺のある洞川温泉に到着したのはお昼前。移動時間が長いです。
次の日に予定している天河弁財天に至っては「神様から呼ばれた人、縁のある人しか辿り着けない」などど噂されているので、無事に着けるかどうかドキドキでした。
でも、台風や雪の時期を避ければ、電車とバスで案外と普通に行ける場所じゃないかな?
天川村アクセス→http://www.vill.tenkawa.nara.jp/tourism/map/


お昼ごはんは村の案内パンフレットを見て柳豊(やなとよ)の柿の葉寿し。とても美味しかったです!
 
こちらの鯖はお酢でしめずに塩でしめるので、鯖の風味を殺すことがないから美味しいのだとか。
そのやさしい味を生かすために、シャリは甘めにしているそうです。
私は少なめに四つだけ頼みましたが、お隣のグループはたくさんお代わりしていました。

腹ごしらえをした後は、面不動鍾乳洞に寄り道してから、いよいよお目当ての龍泉寺へ。
 
なぜ龍泉寺に来たかったかというと、その理由のひとつは「吉野の鬼」です。

2014年に版画家の亀本みのりさんと共作した絵本、「やくそくの花」の原文を書いたのは、それより二年前の2012年。
その文は絵本にする際にだいぶ削りましたが、もともとはこんな一行から始まりました。

「昔々、吉野の山おくに、小さな鬼が、ひとりぼっちで棲んでおりました。」 

当時は、実際に奈良の吉野に鬼がいたなんて全然知らなかったんです。
でも、今年の夏に何となく思いついて検索してみたら、なんと!吉野の山にはちゃんと鬼がいたんですよね!それも、前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)という有名な鬼たちが。
なんだか嬉しい! ぜひ会いに行きたい!

というわけで、この方達にご挨拶。
 
前鬼と後鬼は、1300年前に修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が使役したと言われている夫婦の鬼です。二人とも吉野郡出身で、夫の前鬼は赤鬼、妻の後鬼は青鬼で天川村にいたのだそうです。

私は偶然にでも吉野の鬼の物語を書かせていただいたので、そのお礼を言い……実はこの像の前で、こっそり小声で「やくそくの花」を朗読してきちゃいました 一応、「奉納」のつもりだったんですけど 
「ごめんなさい、図々しくて。でも、私の作った愛の物語を、心広くお受け取りいただけたら嬉しいです。」

(原作「やくそくの花」→https://ameblo.jp/e20081/entry-12460159494.html

それから、もうひとつ。
私が会いたかったのは、あれよ、あれ! 私の大好物、龍の天井画です!
天井にいる龍を見上げるのが大好きで、今まで京都や鎌倉の天井画を見て来ましたが、この龍泉寺の八大龍王堂にも大きな龍がいるんです!
八大龍王堂天上龍図 (狩野派、川面稜一画)
この龍も八方睨みで、構図は妙心寺の「雲龍図」(狩野探幽)と似てますね。角やひげ、前足の形、宝珠を握っていないのも同じ。
狩野派の流れで探幽を踏襲したのでしょうか。力強く、端正なお顔に大きな慈愛が感じられます。
かっこいいです!

しかし、なぜに私は龍の天井画がこんなにも好きなのか?

それも、今年の夏に突然思い出しました。
横浜にある今の実家は私が大人になってから建った家ですが、子供の頃に住んでいた家はいかにも昭和な木造建築で、天井が天然の板張りでした。
小さい頃、布団に入って寝ながら天井を見上げると、その木目模様の中に龍がいるように見えたんですよね。
「うちの天井に龍がいる」って。
たぶん今見たらそうは見えないのかもしれませんが、子供って想像力豊かですものね。ちょうどその頃「りゅうのめのなみだ」という本がお気に入りだったので、龍の姿が浮かんだのかもしれません。
だから、私にとって、龍とは、襖絵の中とか置物ではなく、天井にいて下から見上げるべきものになったのだと思います。
ずっと忘れていた事なのに、小さい頃からの刷り込みってスゴイ!

そんなこんなで、誰とも感動を共有することはできないけれど、私だけの興味を追及できた旅でした。
京都でも奈良の天川村でも、他の名所旧跡はさておいて、見たいものだけを見たあとは何処へも行かず、静かな時間をのんびりと過ごしました。



④天川村の二日目、天河大辨財天社へ続く。

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いつかどこかで(73)宇治・平等院鳳凰堂~So Bright ②~  

2019年12月08日 03時27分26秒 | いつかどこかで(雑記)

10円玉の絵柄で有名な宇治の平等院。
三千院のそばでお昼を食べて、一旦京都駅に戻ってから宇治に行きました。

宇治と言えばお茶!
煎茶も良いですが、お抹茶も美味しいですよね!
けれども三千院でお抹茶と羊羹を頂いてきたばかりだったのでお茶はせず、抹茶入りのお菓子をいくつかバラで買い、駅近くの通りから平等院までへの道すがらを食べ歩きしてみました。ちょっとお行儀悪いけど、旅行気分でそれもまた楽しいです!

なんだろ? 一人旅はもう何度もしていますが、今回の旅行は格別に開放感があって、どこを歩いていても楽しくて仕方ありません。青空のおかげかしら?
出かける直前に「何を思いながら暮らして行けば良いのか、迷路に迷い込んでいる状態」なんて、ぐるぐるしていたのが嘘のように、心が自由で軽くなり、「たとえ迷っても、結局は本能で気持ちの良い処へ辿り着くはずだ」という、根拠のない自信がわいてきます。
自分のペースでゆっくり歩いていけば、必ず好きな場所に辿り着き、そこに思いもよらぬ発見と幸せが待っている。
そんな気さえしてきました。

なんて、私は放っておくと時々自虐モードに入ってしまうので、たまにはこうして能天気になっておかないとね。

この日は朝からずっと晴天で、平等院に着いた頃(午後2時くらい)は春のように暖かく、冬のコートを着ていると暑いくらいでした。
なので、その時間、平等院を正面から見ると見事に逆光で……写真が上手く撮れな~い!
仕方なく横からや裏から写したのがこちら↓

水面が鏡のようです。So Bright!!本当に明るくて気持ちの良いお天気、美しい景色です! 

鳳凰堂の周りをのんびりと散歩していたら、予約していた内部拝観の時刻になりました。
堂内は極楽浄土とされ、外からではお顔しか見えない阿弥陀如来座像の全体が拝観できます。阿弥陀如来様の周りの壁には「雲中供養菩薩」という音楽隊のような大勢の菩薩様が薄っすらと見られました。
極楽では美しい音楽が流れているのですね。
(堂内は撮影禁止。お写真はパンフレットと同じものです)
 
雲中供養菩薩像は「鳳翔館」にも展示されていて、そこでは29躯を間近に見ることができます。
そのお姿は中性的な雰囲気でしたので、館内の案内係の方に聞いてみたら、この音楽を奏でる菩薩様方は阿弥陀如来に仕える方たちなので性別がないのだとか。
楽器を持っていない方もいらっしゃるので、舞や歌もあるのでしょうね。
神様もそうですが、やはり仏様も音楽がお好きなんですね~。


宇治からホテルに戻るとまだ5時前で、夜までに時間がたっぷりあります。
この時期の京都は、あちらこちらの神社仏閣で紅葉のライトアップをしている模様です。

夜はどこに行こうかな? いや、ちょっと待て! 今回は「人の少ない、空気の綺麗な場所」を求めて旅に出たのに、ライトアップで観光客がいっぱいの場所に行くことないんじゃない?
ちょっと勿体無いような気もするけど、京都観光は早めに終えて、まだ薄っすらと明るいうちからホテルの大きなお風呂に浸かってのんびりしました。
ホテルのお客さんは皆まだ観光中らしく、お風呂には誰もいなくてまるで貸切のよう。
考えようによっては、贅沢な旅行だったかもしれません。

③奈良・天川村へつづく


森広隆くんのAlbum「Groovecaster」
↓こちらからご購入できます。
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いつかどこかで(72)京都大原・三千院~So Bright ①~

2019年12月01日 02時58分23秒 | いつかどこかで(雑記)

今年もあっという間に12月まで来ましたね。いかがお過ごしですか?

私は去年から両親が要介護状態になりまして、平日は仕事で新宿、週末は横浜の実家との行き帰りで、だだでさえ忙しいのに、「忙しいほどに遊びたくなる」という困った習性ゆえ、ここ数年に比べて劇場や映画館、コンサート会場へ出かける機会も多かったような気がします。
それで、ちょっと疲れちゃったんですよねぇ……体はともかく、心が。
どこに行っても、人、人、人…で、コンサートやライブ会場はみんなが一つに向かうので「気」がわりと綺麗なんですけど、その他の場所…特に劇場内の「気」というのは、舞台(物語)の上や奥も客席も混沌としていて、愛情もだけどエゴも渦巻く世界でもあり、(そこが面白いとは思いながらも)じわじわと少しずついろんなものがこびり付いて息苦しくなってくる、っていうか、疲れてしまうんですよね。
そういう感じしませんか? 目には見えないけれど、人や場所の持つ「気」って、ありますよね。

それで、夏あたりに「ああ、旅に出たい。人の少ない、空気の清浄な場所に行きたい!」」と、突然に逃避モードに向かいまして(笑)、いくつか興味あるワードで検索したみたら、すべてが奈良の秘境・天川村を指していたので久しぶりに一人旅をしてきました。

で、天川村は京都経由なので、そちらに行く前日に京都に泊まって少し寄り道をしてきました。
それで、やっと念願の三千院の紅葉を見る事ができたので、まずはそのご報告を。

 

令和元年11月21日
この日、三千院の紅葉は想像していたような「燃えるような赤」ではなく、柿の実のような柔らかい朱色の色調で、あたり一面が温かい光に包まれていました。
表題に載せた写真は朱雀門の屋根ですが、どう撮ってもこんな風に朝日が光の筋に射し込んで写ります。実際、降り注ぐ光はこんな風に目には見えません。なのに写真だとそうなるのが私には不思議です。
三千院は三年前の9月に訪れた際に、その土地の方から「紅葉の時期に来るなら、ぜひ朝にいらっしゃい。人も少ないし一番きれいですよ」と教えていただき、それで朝一番に来てみたら、本当に仰る通りに美しく清々しい景色でした。この時期、京都は新宿に負けず劣らず人でいっぱいですものね。朝ならばまだ観光バスも到着しないせいか、人の数もそこそこでゆったり散策できます。
やさしく暖かい色の紅葉と柔らかな朝日の中を歩いていると、自然と心が洗われて軽くなり、何故だか沢山のものに包まれている感じがして、嬉しくて楽しくて、幸せな心地です。 

あ、そうそう今回の表題に使わせて頂いた「So Bright」は、12月11日に発売される森広隆くんの新しいアルバム「Groovecaster」の中にある新曲のひとつの題名です。振り返れば旅行中ずっとこの曲の世界を歩いてたような感じだったのでお借りしてしまいました。
私が日ごろ何を願い、何を心地よく思うか……その点で言うのならば、これ以上に共感する歌はないと思います。
  
わらべ地蔵さんが可愛い。お地蔵さん一人ひとりに挨拶をして手を合わせ、「可愛いね」と声をかけました。
わらべ(子供)は、すべからく可愛がられるべきなんです。

バス停までの帰り道で見た京野菜、美味しそうです!お安い!買って帰りたい!
荷物になるからやめましたけど。


②平等院へつづく

森広隆くんのAlbum「Groovecaster」、全曲素敵です!
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いつかどこかで(71)未来の景色と過去のそれ

2019年11月17日 20時41分26秒 | いつかどこかで(雑記)

お元気でしょうか?

私は相変わらず映画や舞台、コンサートに出かけたりと、ずっと文化祭状態が続いていますが、感想がなかなか書けません。
…と言うより、何を書いて、何を書かないかを決められなくて。
それどころか、何を思いながら暮らして行けば良いのか、迷路に迷い込んでいる状態です。
それというのも……

7年前の2012年の春に、友人達と奈良の吉野桜を観に行った際、ここにその旅行記を書いたんです。タイトルは、
『吉野の君に逢いたくて』
これは、平安時代設定の某小説に「吉野の君(きみ)」というキャラがいて、吉野桜と言えば、何となくこれを思い出したから。

そして、それを書いてから1年も経たずに、突如現れた「吉野くん」という若い青年。
その青年が次々と吉野姓の人々を連れて来て、いつの間にか身の周りに吉野と名乗る人間が増殖する日々。
この人々により、私の人生は劇的に変わっていきました。

まあ、こんなのは「たまたま」のうちに入るのでしょうが、「ふと書いたことが現実化するという確率が非情に高い」というのは前からここに何度も書いていますけど、「ふと書いたこと」だけでなく、「ふと言ったこと」とか「ふと思ったこと」までもが度々に現実化するのが、ここにきて、私は怖くなってきました。
なぜなら、全てが思い通りになるわけでもないので。
大概は私に嬉しい事、都合の良い事ですけど、
「結果的には思った通りで良かった」という事も、それまでの過程までを予想したり予言したわけではないからです。
……と、上記の文章ですら、その中に将来の何かが潜んでいるのではないか?と、おっかなびっくりだったりして

妄想壁のある、頭がおかしい人だと思いますか?……でしょうねぇ……。

2年前ですが、ついうっかりと「言ってしまった」ことが本当になった時、それがとても驚くような悪い展開になり、それをまるで自分が引き寄せてしまったようで、(それも今となっては「雨降って地固まる」的に良かったのかもしれませんけど)当時は本当に辛くて、友達Aに泣きを入れていたら、彼女が言うんですよ、
「あなたは思った事や言った事が実現してしまう人なんだから、悪い事を思っちゃいけないのよ。」って。

それはあんまりだ!、ふと思ったことは、本当に「ふと」なんだから止められやしない。悪意や作為ではないのだから、思っちゃいけないなんて理不尽だ!
それに「ふと言ったことや書いたことが実現する」なんていうのは、やっぱり私の思い過ごしかもしれないし、むしろ願望じゃないかと時々思う。
……と、友達Bに愚痴ったらですね、今度はその友達から、
「馬鹿言ってんじゃない、何度(私に)驚かされたと思ってんだ!いい加減に自覚しろ!!」
と、叱られる始末

それじゃ、何ですか? 私が自覚するとして、ならば、どうしたら良いのでしょう……。

なんとなくですが、実現化する確率としては、ふと思った事<ふと言った事<ふと書いたことの順番な気がしますが、あくまでも、「ふと」なんですよね。
などと、本気で自覚するとですね、

自分自身や大切に思う人、世の中や身近なところとかに、何かが起きる。
その「何か」が、私が何か書いたか、言ったか、思った事通りであり、それがただの偶然でないのならば、
つまり、
①何か不思議な力で、私がその事を予言してしまった。
②何か不思議な力で、私の思い通りとなってしまった。
③誰かが、私の書いたものを何処かで目にするか何かして、「それもあり」だと思って実現に向かう一因となった。

このいずれかなんですか?
「書いたこと」に関していえば、③ならば、可能性が全くないとは言えないでしょうね。
私一人の力ではなくても、たとえば、「次はアレの舞台が観たいな~」などとどこかに書いて、そう思う人が他にもたくさんいて、その大勢の人達の願望の一部になり、制作側の耳に届くこともあるかもしれない。
それなら良いんですよ、それは大概に良い事柄だし、私だけでなく、みんなの声の一部なんですから。

でも①とか②だろうと、自分で本気で思ってしまったら……
私は本当は、家族以外には何の価値も影響力もない、取るに足らない平凡な人間であるはずなのに、その「自分は何か不思議な力があるかもしれない」なんていう馬鹿げた考えを持ちながら生きなくてはならないのでしょうか…。
まるで病気の人ですよね。
だから、とても自覚できない。するわけにはいかない。
と思いながら、もし本当だったらどうしよう。もし本当ならば、将来に自分に後ろめたい事が起きないように、私利私欲を捨てて、心を綺麗に保たなければならないとも思うし……。

今までのように、苦手な人が突然に転校したり転勤したりして、都合よく遠くに去ってしまった時でも、「ああ、良かった、これで楽になった。」なんて、お気楽にほっとしたりしてはいけないんだ、きっと……。
なんて、

うぅ~……

話を変えよう(笑)

ごく最近観た映画といえば、シュワちゃんのターミネーターの新作で、舞台では野田さんの「Q」です。
どちらも面白かったです!!
その前に観た「怪人と探偵」や、いくつかのコンサートも、とっても良くて、今年はいろんな意味で「当たり年」でしたが、上記のような理由で感想を頭の中で書いては、「いや、待て!これを書いたらまた何が起きるかわからない」との繰り返し。
その「何か」が良い事だろうと思っても。

本当は、ただ自由にのびのびと書いていたいのに、そうはできない思考の迷路。

ですが、過去を変えて未来を変えようとするターミネーターや、「Q」に共通して、懲りずにふと思ったことを、ひとつ。

人は、現在の自分が何をするか、いま何を思って生きるかで将来の景色だけが変わると思うけれど、SF物語ではなくても、今の自分次第で過去の景色も違って見えるものかもしれない。
今を良く生きれば、未来と共に過去さえも変わった景色に見えるのかも。
そして、自分へのご褒美とは、今の自分ではなくて、過去の自分がくれるもの。

今の自分が、未来の自分に大きなご褒美をあげられますように。
あなたも、私も。

しょうもない与太話のようなこの記事を、この行まで読んでくださった貴方へのお礼に、「ふと」ではなく、祈りを込めて書いておきますね!

あ、そうそう、表題のところにUPした絵は、私の父がデイサービスで描いてきた「大人の塗り絵」です。
予め絵の輪郭は印刷されたもので、色鉛筆で好きに彩色していくものですが、認知症初期の老人が塗ったものにしては結構上手だと思います。
親ばかならぬ、子ばかですね(笑)
沖縄の首里城、実物を見たかったな。

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いつかどこかで(70)あくがるる心はさてもやまざくら

2019年04月06日 02時09分16秒 | いつかどこかで(雑記)

すっかり春めいてきましたね~!もうお花見はしましたか?

私は相変わらず、週に一度は実家に帰って掃除・洗濯など両親の生活介助をしておりますが、おかげで魚料理が上達しました
父は歯茎が弱くなってきて、そうなるとやっぱりお魚を喜ぶんですよね。鯛や赤魚、カレイの煮付けとか、ぶり大根、サバの味噌煮、鮭のムニエル……ああ、明日は何にしようかしら…塩焼きや照り焼きも何度かやったし・・・なんて、一見して地味な日々を送っておりますが。


実は今、中身は軽く(?)発狂しております

まあそれは別段、季節が木の芽どきだからって訳じゃなくてですね、2月と3月はあっきー(中川晃教さん)のコンサートやインストアライブに立て続けに出かけ、その勢いで予定外にプリズムホールのイベントにも参加し、そのまま同じ日の午後に田島貴男さんのコンサートに行ったら一気にドーパミン過剰で頭がおかしくなって、もう充分にアブナイ人になっているのに、4月は舞台「銀河鉄道999」の幕が空いて、更にスガシカオさんのツアーも始まるという・・・シクシク・・・う、嬉しい・・・・嬉しいんですけど、な、なんか、精神的トライアスロン状態で 


いや、それは良いんですよ!もともとアタマ変だし。
大変なのは、その3人がそれぞれにテレビだのラジオだの雑誌の取材だのって宣伝活動を繰り広げるので、苦手なツイッターをまた見始めることになったら、あまりの情報の多さに目が回る 
もともと好奇心が旺盛すぎて、ツイッターとか見ちゃうと雑念がぐるぐるしちゃうんですよね
そのうえ、いろいろと敏感になり過ぎてしまって、点と点を結んで妙な線や物語が見えてしまったり、シンクロしたり、引き寄せたりで、ついでに過去のあんな事やこんな事の数々を思い出すと……
もうちょっと、自分が面白すぎる!!

も、もしかして、私ってば、実はとても珍しい人間なのかも??? 
というのは、ある意味、禅でいうところの魔境に入った状態ですけど、それを人は妄想と言う(笑)

そんなこんなで、
ちょっと花見がてら落ち着こうと思い、先週の土曜日に北鎌倉に行ってきました。
北鎌倉は実家から8キロくらいの距離ですから、寄り道(電車だけど)するのに丁度良いんです。
それに、北かまの駅から歩いて10分くらいの建長寺には、私の好きな龍の天井絵も見られます。
先週は桜が8分咲きくらいでしたから、今週末はちょうど満開になるでしょうね。
下の写真は午前中で、たまたま人が途切れた時に撮影しましたが、明日はもっと賑わうと思います。

あ、そうそう、タイトルの「あくがるる・・・」というのは西行の歌です。

 「あくがるる 心はさても やまざくら 散りなむのちや 身にかへるべき」

桜を見ると、憧れ惹かれるあまりに心が身体を離れてしまう。花が散ればこの心は我に帰るだろうか。

ってな感じかな。帰れないですね、その様子では(笑)
この歌からしても、やはり私は「西行は桜を愛しい人と重ねていた説」に一票だわ!

 

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いつかどこかで(69)2019年~もうずっと前から始まっていた~

2019年02月03日 01時34分56秒 | いつかどこかで(雑記)

ひじょーうに!お久しぶりです!!

皆様、いかがお過ごしでしたか?

と、言ってもですねぇ、、、1年半も放置していたこのブログを訪れる方って、いるのかしら??
いまご覧くださっている貴方と、あともう3人もいるかどうか?ってな感じですが。マジで閑古鳥が鳴いてます。
いや~、おかげで無駄にあっちこっちに気を使う必要もなくなったので、もう書きたい放題だわ!(笑)

って、私の自己顕示欲や承認欲求なんてそんなもんです。
「大勢の人に見てもらいたい」よりは「自由に書きたい」ほうなので。
だからって、つい、
「つまんなかった舞台を、正直につまらなかったと書いてどこが悪い!!」とか、本当に自由に書きたい放題に書いてしまっては、たぶん私自身がつらくなるし、ひとつも良い事ないのでしませんけど

でもまあ、こんな滅多に更新しないブログはともかくとしても、ブログは全体的にイイ感じに衰退しましたよね?
かつてはみんながブログをやっていて「ブロガー」なんて名乗る方も大勢いらっしゃいましたが、今は短いつぶやきが主流で、一般人が長々とした文章を書いたりなんかあまりしなくなりましたよね。
結局は、本当に書くのが好きな人と、営利目的で成果のある人が残ったという感じ。

それで現在の流行りは写真や動画ですか? それもまた衰退していくのかもしれませんが。
次に何が流行るにしろ、無理や無茶をする人や他人を貶めたり嘘をつく人が出てこないような、安全で楽しく穏やかな場所が出来れば良いんですけど・・・とは言え、ま~人間のやることですからねぇ~、全く善意だけしか存在しないコミュニティなんて有りえない、というか、有ったとしたら、それはそれで、どこかで監視されたり同じ価値観を押し付けられたり自由を縛られそうで、そうなったらちょっと怖いですよね。

それはともかくとして。

去年一年、つまり2018年は全くブログを更新しませんでしたが、その間、私が何をして過ごしてきたかと言うと・・・平日は相変わらす、お仕事。
転職してそろそろ4年になりますが、最初の一年は派遣社員で、その翌年から直接雇用してもらって、1年ごとに更新の、今はいわゆる「有期契約社員」ってやつですね。たぶん、あともう1年くらい続けば「無期契約社員」になるはずです。
大企業の正社員だった以前に比べれば年収はずいぶんと低くなりましたけど、残業も少なくて大変気楽です!

そして、休日といえば、劇場へ・・・は少なくなり、なんと!主に勉強してました。
というのも、一昨年にFP(ファイナンシャルプランナー)2級を独学一発合格して職場で褒めてもらい、「あれ?もしかして勉強に向いているかも?」なんて勘違いしてFP1級を目指してみたんですよね~。ところがどっこい、これが想像以上に難しい FP1級を一発合格する人はごく僅かで、それも弁護士さんとか税理士さんとか、いわゆる士業の方でも毎日2時間、休日5時間とかの勉強が必要だとか。合格までの平均受験回数は3回(つまり3年かかる)だそうですが、やっぱり、というか、もちろん私も一回目の試験を玉砕しました!
「こりゃー、どうしよう? この勉強を続けるのも大変だけど、それまでに費やした約8ヶ月間を捨ててしまうのはもったいない。でも、私の職業はFPってわけでもないのよね~。」なんて悶々としていた矢先・・・
老齢の母が腰椎骨折で要介護3になりました。ついでに申請した父も要介護1と認定され、秋以降、私の休日はガラッと変わりました。
なので、現在は、平日は会社で仕事、休日は実家で両親の生活介助と介護をしています。
予測していた未来のひとつとはいえ、たいへ~ん!! 
っていうか、両親の介護よりも、平日担当の姉に申し訳なくて、むしろそっちのほうに気を使うし。

なんて話も、ともかくとして。

FPの試験のために年金や税金の計算、資産運用とか相続などについて勉強しましたが、両親の介護もあって、ここ数年は「老い」について、いろんな視点からいろいろと思うことが増えました。
早くに亡くなる方もいるけれど、そうでない限りは誰もが皆、老いるんですよね、ずっと若いままではいられない。
それはどういうことなのか。

母はその昔、友達から「きれいなお母さんだね」と褒められましたが、今やすっかりシワシワで背丈も縮み、豊かだった髪も薄くなりました。
介護の問題から言うと、そんな外見上のことはどうでも良いことですが、そこからもう始まっているんですよね。
自分の老いをどう受け入れていくのか。

この場にふさわしい話で言うと、
去年みた映画で、50代、60代以上の男優さん達は、みな年齢に相応しく演じているのに対し、同じ年代の女優さんたちは、みなさん驚くほどにお若くて美しいです。不自然なほどに。
アンチエイジングで若返り美容が当たり前のこの世の中、女性は特に自分の老いを認めて受け入れるのが難しいのではないか。

私の母はどこから見てもお婆さんですが、「孫でもない人からお婆さんなんて、そんな失礼な事を言われたことは一度もない」と言います。
母でさえ、自分の老いを他人に指摘されるのが失礼だと思う時代です。

ある舞台で、某女優さんが「今日のお客さんはお年寄りが多い」と言った時、
あるコンサートで、某歌手が身内でもないお客さんに向かって「お婆ちゃん」と呼びかけた時、
同じ客席に座る私は、思わず胸が痛くなりました。
まだ自分のことじゃないと思いつつも、それはいつかどこかで私が言われることかもしれません。
それを想像して勝手に傷ついた私は、すでに老いが始まっているのだろうと思いました。

人生100歳、というのは、いまや夢物語ではありません。
実際、女性は二人に一人が90歳以上まで長生きしているのだとか。
とすると、現役を引退してから何十年もの間を、どんな風に生きていけば良いのでしょう?
それは、「何を大切に生きていくのか」を問うのと、同じかもしれませんね。

さて、話は長くなりましたが、
2019年の最初の記事なので、年頭の祈りを書いておくことにします。

父や母が、本人達の希望どおりに、人生の最期のぎりぎりまで自宅で普通に生活ができますように。
痛い思い、苦しい思いをしませんように。

私は、私の出来ることが、ちゃんと出来ますように。
誰に対しても、そういう人でいられますように。

これをご覧になって、ここまで読んでくださった貴方、遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

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いつかどこかで(68)三千院・秋季彼岸会~流れる時の中で~その四

2016年09月25日 22時23分48秒 | いつかどこかで(雑記)

キリスト教に賛美歌があるように、仏教には声明(しょうみょう)があります。
京都の三千院・宸殿にて、曼荼羅供法要に随喜(参加)して参りました。

「参拝して来ました」というよりは、宗教音楽のコンサートに行ってきたような感動がありました。
その感覚で言うならば、90分ノンストップで組曲とか、コーラスメドレーなどを聴いた感じです。
宸殿の清浄な空気に包まれながら、耳を澄ませ、体を澄ませて聴いているうちに、以前観た映画の「大いなる沈黙」で聴いた、修道士らのグレゴリオ聖歌を思い出しました。宗教は異なりますが、非常に共通するものがあると思いました。

仏教の声明は、日本の歌曲の原点なのだそうす。謡、浄瑠璃などもそうですが、現代の演歌のルーツだそうです。
日本の声楽って、発声の仕方が独特ですよね? 
僧侶達はそれほど大きく口を開けて息を吸い込んでないように見えましたが、体の奥底から出された声が、空間に響きわたり、身体の芯に染み渡るようです。
外国の声楽とは声の色も違います。
独特で微妙な抑揚やゆらぎのあるその声は、建物や人の身体に共鳴するのではなく、自然の木々や、そこに生きる魂にまで共鳴しているように感じられました。

曼荼羅供法要は、同じようなメロディーが単調に続くのかと思いきや、本当にメドレーのように次々と曲調やリズムが変わります。「組曲・曼荼羅」と言えそうです。
三千院のHPには『特に曼荼羅供法要で唱えられる声明は、「天台声明の華」と呼ばれるほど華やかな趣がある』と記されていますが、想像以上に華やかで、変化の面白さもあって、90分間を飽きることがありませんでした。

それにしても、8人の僧侶の方たちのお声の良いこと!
基本は合唱なんですけど、時どき独唱が入ります。

それでですね! もうこれは、どうしても書きたいんですけど(笑)、僧侶のお一人に群を抜いて美声の方がいらしたんです!
声明を唱える僧侶たちは皆さん良いお声ですが、その中でひとりだけ、別物のように際立って美しいお声なんですよね。これはもう発声の仕方うんぬんではなくて、生まれながらに神仏から授かった声としか思えません。
もし、その美声の方が、俗世にいたら、オペラ歌手やミュージカル歌手になっていらしたかも?? なんて、思わず想像してしまいましたけど、私はこの僧侶が三千院にいらして、世俗の愛や欲とかけ離れた場所で声明を唱えていて下さることに、心から感謝したいです。
誰に感謝?って、やはり仏さまに、でしょうか?(笑)


さて、長い声明が終わりに近づいた頃、花びらのような紙がたくさん撒かれました。
後から調べたところ、この紙は仏さまを供養するための散華(サンカ、またはサンゲ)といいます。
すべて終了した後に皆さんが拾っているので、私も二枚頂いてきました。
「普段はここまで近づいてお見せしてませんが」と言われた貴重な曼荼羅図も拝見できましたし、中学の修学旅行以来、うん十年ぶりに三千院に来ることができて本当に良かったです。できれば生きているうちに、・・・今度こそは紅葉の時期にまた訪れたいと思いました。


昨日からの長い旅行記になりましたが、読んでくださった方(が、いらしたら)、どうもありがとうございました。

  

おまけ
【声明】


【グレゴリオ聖歌】


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いつかどこかで(67)清明神社・宵宮祭~流れる時の中で~その参

2016年09月25日 03時53分15秒 | いつかどこかで(雑記)

清明神社は陰陽師・安倍清明をお祀りする神社です。
秋分の日の前日は、夜の7時から「宵宮祭」があり、古式豊かな「湯立て神楽」が見られるというので行って来ました。
 
陰陽師といえば私あたりは夢枕獏さんの小説をすぐに思い出しますが、小説の他にも漫画やアニメが色々あって、安倍清明は人気のキャラですよね~!
五芒星マーク☆が境内のアチコチにあるのも何だかオシャレで、昼間には学生さんや若い女性達がたくさんお参りしていました。
秋分の日とこの前日は総じて「清明祭」と言い、私は前日の「宵宮祭」だけの参加です。
一説によりますと、「宵宮こそが祭りの本番」だそうで、神の降臨を仰ぐ祭りの中心なのだとか。

開け放たれた社務所の座敷は、まるで映画のセットの様。ここに祀られているのは、安倍清明御霊神ですね。当然のことながら。
清明さんが降臨とあらば、雨も小止みになる筈よね~!(笑)

神主さんが現れ祝詞をあげた後、御神楽が奏され巫女舞が始まります。
 
その後、巫女さんが前の庭に降り、お湯がぐらぐらと煮立つお釜の中に木の枝(榊かな?)を突っ込んで、しゃかしゃかと混ぜ、それを一気に振り上げて熱湯を撒き散らします。
無病息災を祈る湯立の熱湯を浴びると御利益があるかも? でもやっぱ熱そう~!
私はわりと前のほうにいたので、期待半分でしたが、こちらまではお湯がかかってきませんでした。 ホッとしつつ、でも、なんか残念。
 
その後は、一般参拝客による御神楽奉納です。
希望者なら誰でも奉納できます。(奉納料は千円なり)
「御神楽奉納」とは、お金を払いスポンサーになることで神様に音楽と舞を捧げるというもの。巫女舞の間、供物に捧げたお饅頭は、神様のお下がりとしてお土産に頂けます。
お饅頭は黒餡の入った、普通に美味しいお饅頭でした。
 

昼間に引いたおみくじは大吉だったし、とっても珍しい行事に参加できて楽しかったです!

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