今日はシアターコクーンへ「どん底」を観に行ってきました。
昔々、受験生のときはゴーリキーとくれば「どん底」と暗記したもんだけど、
「どん底」がどんな作品かは知らないアタシ
題名からして絶対暗いに違いないと想像はできたけど、台本・演出がケラリーノ・サンドロヴィッチとあっては、去年観た「犯さん哉」のハチャメチャお笑いのイメージが強くて、この作品をどう料理してくれるか楽しみの舞台でした。
あ、これって明日が千秋楽だっけ?
じゃあネタバレしてもいいのね。…って、たいがいネタバレしてますが。
舞台いっぱいの大きな部屋を共有しながら、世の中のどん底に生きる人々の話。
病気で死にそうな奥さんを抱える鍵屋、毎日小説を読んで泣き続ける娼婦、自称もと男爵、頭のおかしいアル中の役者、売れない饅頭屋の女、泥棒……ほかには何をやって暮らしてるんだかわからない浮浪者もどきの男たちが何人か。
誰も彼もがみな貧乏のどん底で、明日への希望なんかありゃしない。
その上に住む大家だって、彼らよりはいくらかましな生活をしていそうだけど、気持ち的にはちっとも幸せそうに見えないし、妻(荻野目慶子)は夫が死ねばいいと思って、泥棒のペーペル(江口洋介)を焚きつけたりしてるしね。
ペーペルはその大家の妻と出来ていたんだけど、その関係にはうんざりしていて実はその妹に恋している。
そこへある日、老人ルカー(段田安則)が現れるのですが……。
この段田さんがイイんだわ
この群像劇とも言うべき舞台は、「役者」と呼ぶにふさわしい方たちばかりで見ごたえがありましたが、段田さん演じる老人は不思議な深みがありましたよ。
たとえば娼婦が恋の思い出を語るシーン。
その嘘を信じてあげるやさしい言葉の数々はまるで神様のように暖かく、娼婦を茶化す男たちに向かっては
「何を喋るかは問題じゃない、なぜ喋りたいかなんだ」と諭します。
この老人のセリフはみな、一歩間違えれば説教臭くも偽善的にもなるのに、ちっともそういうところがなく、私なんか「こういう人がそばにいてくれたら随分と癒されるだろうな」と思ったわ。
いったいこの爺さんは何者で、どういう人生を送り、どうしてここに来たのか…?
すべてが謎の人物だけど、すさんだ生活を送る人々でさえ軽視できない何かを持っています。
でもね、耳にとてもやさしい老人の言葉に癒される人もあれば、そこに夢や希望を持ってしまったばかりに、その後の絶望を現実に見てしまうものもあるわけ。
どん底から抜け出したい。抜け出せるわけがない。
でも、いつか、誰かがと思う人もいる。
諦めている人もいる。
「現実を見ないで夢を見ればいい」と言う老人は、神なのか悪魔なのか……。
結局は辛い現実だけを残して、いつの間にか老人は去ってしまうわけですが、
つまりこれは最後までどん底のまま、というか、むしろ悪化しています
なんかねぇ~、この舞台を現代の日本の住人に置き換えて観るのも面白いけれど、
あんまり難しいこと考えたくなくなっちゃった(笑)
だって、結末をどう消化していいかわからないんだもん。
お腹いっぱい食べられて、暖かい布団があり、その日の暮らしに困ってはいないけど、
こうして週末になると、現実ではなく夢を見に劇場へ通う今の暮らし。
贅沢っていえば贅沢だけど、あのどん底に住む彼らと私と、どこが違うのか?
そして結局は、
舞台セットが珍しい仕掛けで面白いな、とか、
段田さんはフルートも吹けるのね、素敵かも、とか、
江口洋介さんは大きくて、ボロを纏っていてもカッコイイな、とか、
まあそんな感想ですわ
劇場内は男性がとても多くて、みな演劇通に見えました。
昔々、受験生のときはゴーリキーとくれば「どん底」と暗記したもんだけど、
「どん底」がどんな作品かは知らないアタシ
題名からして絶対暗いに違いないと想像はできたけど、台本・演出がケラリーノ・サンドロヴィッチとあっては、去年観た「犯さん哉」のハチャメチャお笑いのイメージが強くて、この作品をどう料理してくれるか楽しみの舞台でした。
あ、これって明日が千秋楽だっけ?
じゃあネタバレしてもいいのね。…って、たいがいネタバレしてますが。
舞台いっぱいの大きな部屋を共有しながら、世の中のどん底に生きる人々の話。
病気で死にそうな奥さんを抱える鍵屋、毎日小説を読んで泣き続ける娼婦、自称もと男爵、頭のおかしいアル中の役者、売れない饅頭屋の女、泥棒……ほかには何をやって暮らしてるんだかわからない浮浪者もどきの男たちが何人か。
誰も彼もがみな貧乏のどん底で、明日への希望なんかありゃしない。
その上に住む大家だって、彼らよりはいくらかましな生活をしていそうだけど、気持ち的にはちっとも幸せそうに見えないし、妻(荻野目慶子)は夫が死ねばいいと思って、泥棒のペーペル(江口洋介)を焚きつけたりしてるしね。
ペーペルはその大家の妻と出来ていたんだけど、その関係にはうんざりしていて実はその妹に恋している。
そこへある日、老人ルカー(段田安則)が現れるのですが……。
この段田さんがイイんだわ
この群像劇とも言うべき舞台は、「役者」と呼ぶにふさわしい方たちばかりで見ごたえがありましたが、段田さん演じる老人は不思議な深みがありましたよ。
たとえば娼婦が恋の思い出を語るシーン。
その嘘を信じてあげるやさしい言葉の数々はまるで神様のように暖かく、娼婦を茶化す男たちに向かっては
「何を喋るかは問題じゃない、なぜ喋りたいかなんだ」と諭します。
この老人のセリフはみな、一歩間違えれば説教臭くも偽善的にもなるのに、ちっともそういうところがなく、私なんか「こういう人がそばにいてくれたら随分と癒されるだろうな」と思ったわ。
いったいこの爺さんは何者で、どういう人生を送り、どうしてここに来たのか…?
すべてが謎の人物だけど、すさんだ生活を送る人々でさえ軽視できない何かを持っています。
でもね、耳にとてもやさしい老人の言葉に癒される人もあれば、そこに夢や希望を持ってしまったばかりに、その後の絶望を現実に見てしまうものもあるわけ。
どん底から抜け出したい。抜け出せるわけがない。
でも、いつか、誰かがと思う人もいる。
諦めている人もいる。
「現実を見ないで夢を見ればいい」と言う老人は、神なのか悪魔なのか……。
結局は辛い現実だけを残して、いつの間にか老人は去ってしまうわけですが、
つまりこれは最後までどん底のまま、というか、むしろ悪化しています
なんかねぇ~、この舞台を現代の日本の住人に置き換えて観るのも面白いけれど、
あんまり難しいこと考えたくなくなっちゃった(笑)
だって、結末をどう消化していいかわからないんだもん。
お腹いっぱい食べられて、暖かい布団があり、その日の暮らしに困ってはいないけど、
こうして週末になると、現実ではなく夢を見に劇場へ通う今の暮らし。
贅沢っていえば贅沢だけど、あのどん底に住む彼らと私と、どこが違うのか?
そして結局は、
舞台セットが珍しい仕掛けで面白いな、とか、
段田さんはフルートも吹けるのね、素敵かも、とか、
江口洋介さんは大きくて、ボロを纏っていてもカッコイイな、とか、
まあそんな感想ですわ
劇場内は男性がとても多くて、みな演劇通に見えました。