今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

いつかどこかで(24)海と芸能の神にいざなわれ〈宮島・厳島神社~弥山〉

2011年11月27日 00時18分49秒 | いつかどこかで(雑記)

とうとう来ました、来ちゃいました! 安芸の宮島へ。
念願叶って、うれしい~!

なのに、広島は前日の青空から一転し、朝からしとしとの雨だった。
え~っ!、私の予定では、前日と同じくらいに晴れてくれる筈だったんだけど?
でもねぇ、何でもかんでも自分の思い通りになんて、そんな都合良くいくわけがないのよね。
きっと神様にそう言われているのだろうと思い、観念して広島市内を出発。



船で海を渡って宮島へ着けば、その頃にはほとんど雨が止み、さすがに晴れはしないけれど、曇りの中を傘をささずに歩けるくらいのお天気になりました。
潮の満ち加減もまずまずで、海に浮かぶ厳島神社は静かな美しさをたたえています。
宮島の神様、ありがと~!

入り口で拝観料を払って社殿に入ると、なんと、笙や篳篥(ひちりき)、笛などの音が重なる雅楽の調べが流れてきました。
なんてグッド・タイミング!
これはね、広島に雨が降ってくれたからです。
もし晴れていたら、予定では路面電車で広島駅に向かうところ、私は雨が苦手なので思わずタクシーで西広島まで近道をしちゃったんですよね。
なので時間が短縮されて僅かに到着が早まり、その結果で雅楽流れる神事に立ち会えたというわけ。
本物の雅楽を聞きながら厳島神社の回廊を歩くのは何とも言えぬ風情があり、天気は曇っていても気分は上々です。


  

本社祓殿前の高舞台と、能舞台。
この美しい海を背景にして行われる管弦祭や能楽は、さぞかし幻想的で素敵でしょうね。
ロケーション最高の劇場だわ。
神様って、音楽や舞とか能とか、きっと芸能がお好きなのね?
「私と一緒だねっ!」と思わずハイタッチしたくなる(笑)

ん? でも、その宮島の神様ってどんな神様??
と、思ったら……

厳島神社に奉ってある神様は、「宗像三女神」と呼ばれ、美人で誉れ高い三姉妹の女神様たちなんですって。
調べてみたら、水や海の守り神であり、芸術や経済面でも広く信仰を集めているのだそうな。
三女神のうち、特に有名なのは「市杵島姫命(いちきしまひめ)」だそうですが、この女神様は後に神仏習合により弁天さま(弁財天)と呼ばれるに至り、「音楽や技芸、弁舌などの芸能に関する神威を発揮する」とも言われています。

なんだ~、そうだったのね。
つまり、厳島神社の神様は、ある意味、日本のいわゆる「ミューズの女神さま」でもあったのね?
私をこの地まで呼んでいたのは、もしやこの方だったりして?

私が今年に入ってから、ずっとこの地が気になってしかたないと言うと、「きっと何かに呼ばれているのでは?」とみんな言うから、いったい何かと思ったら、私を呼んでいたのは、きっとこの芸能好きな三女神たちだったに違いない。
うん、きっと、そうだわ。そういうことにしとこう(笑)

しかぁ~し! 宮島の神様は普段は実はここじゃない!
と、旅行出発のわずか二日前に仕事先の男性からレクチャーされる。
山の上まで登るのはキツイから弥山(みせん)はパスしようと思っていたのに、「わかってないな~! 宮島にいくなら弥山の頂上に行かなきゃだめだよ。あそこの景色は凄いんだからぜひ見てもらいたいよ」とまで言われ、曇っているから絶景は諦めてはいるものの、せっかくなので紅葉に色づく弥山をプチ登山となりました。

厳島神社を拝観したあと、まずは紅葉谷公園へ。

  紅葉谷公園

宮島は、つい一週間前ではまだあまり色づいてなかったものの、この二、三日で一気に紅葉の色が深まったのだとか。
もみじといっても、いろんな種類があり、木々によって様々な赤がある。
朝の雨に濡れた落ち葉のしおらしさよ…。
なんと美しい日本の自然。日本の秋。 

  

紅葉谷公園の先から二本のロープーウェーを乗り継ぎ、降りた山の中腹からは大変!
ひたすら山道を歩きます。
結構きついです。 がんばれ~!

 

やっとこさ辿りついた弥山の山頂。
知り合いの話によると、この山の頂上こそが神様が宿る、いわばパワー・スポットなのだそうです。
よく晴れた日には、奇跡のように素晴らしい景観が臨めるそうですが、あいにくの曇り。
山頂から下界を眺むれば、ただ白きに曇っているばかりで、まるで仙人になった気分です。
そう、仙人や神様はいつも山の頂や雲の上にいるので、実はこんなふうな眺めの日のほうが多いのかもしれないわね? 
でも、心の目で遠くを見れば、なんとなく下界が見えるような気がしたりして。
そんな、不思議な感覚も面白い。

それにしても、せっかくここまできたのに天気がよくないのは残念よね?
山のパワーはチャージしたし、雲ばかりを見ては、あまり長居もできないし、お弁当もないので早々と降りることにしました。
ところが!
十メートルばかり降りたら、突然頭上が晴れてきて、なんと! 雲の合間から青空がのぞきます。
太陽までが姿を現しました。
え~っ、もしや、このまま島の上全域が晴れたら、「奇跡の眺望」とまでいわれる景色が見られるのかも??
迷いに迷って山頂に戻りました。だけどね~、この十メートルがキツイのよ! なんたって山の上だから。
そして再び頂上に戻ってはみたものの、そうすぐに晴れることもなく、やっぱり下界は白いままです。

な~んだ、思わせぶりね。神様って、やっぱりいたずらっ子だわ。
なんだか、三女神たちがクスクスと笑っているような気がしたりして。

そんなこんなで、下山してからは、さらに大聖院まで足を延ばし、そのあとは表参道商店街でお土産のもみじまんじゅうを買いました。
お昼は遅くなり、四時近くなってからお弁当のあなごめし。 商店街の焼き牡蠣は芳ばしくで思った以上に美味しかったです。

  

盛りだくさんで歩きつかれたので、予定より早くフェリーに乗り、海を渡ったところで、宮島の桟橋のロッカーに荷物を預けていたことを思い出し、あわててまた乗船して宮島に戻る。
旅行カバンを忘れて船に乗るなんて、まったく我ながらあきれるくらいに、うっかり者だわ!
「だって、疲れていたんだもの~。」と自分に言い訳をしつつ、でも、その忘れ物のおかげで、すっかり日は暮れ、大鳥居のライトアップも見れました。
人生万事塞翁が馬。
転んでもただじゃ起き上がらないから(笑)、結果オーライ!
ひとりだけど、最後までポジティブで楽しい旅となりました。

来年は友達と一緒に吉野桜を見に行く約束をしていますが、ぜひまた、ひとり旅もしたいです。

2011/11/22
【東京-広島駅-お好み焼き屋「へんくつや」-広島平和記念資料館-平和記念公園-国立広島原爆死没者追悼平和祈念館-平和の鐘・他-原爆ドーム-ホテル(ひと休み)-ひろしまドリミネーション2011-広島クラブクアトロ「田島貴男ひとりソウルショウ」】
2011/11/23
【西広島-宮島口-宮島桟橋-表参道商店街-厳島神社-紅葉谷公園-弥山-大本山大聖院-表参道商店街-宮島桟橋-宮島口-宮島桟橋-宮島口-広島駅-東京】

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田島貴男「ひとりソウルショウ」11/22in広島クラブクアトロ

2011年11月26日 11時31分40秒 | ライブ/コンサート

これよ、これ、これ!
今年、私に足りなかったのは、オールスタンディングのライブだったのよ!
と、いきなりのハイテンション(笑)
歌に酔わせてもらいながら、踊り続けてがっつり二時間強。

ああ、田島さん! やっとあなたに会えました!
私、あなたに会うために、わざわざ東京から広島まで来たんです~。
ええ、ここまで来ちゃいましたよ!

って、あれ? なんか、ちょっと違う?
ちょっとどころか、激しく違うかも?って気がしないでもないけれど(笑)
いいの、いいのよ! この時だけは。
広島へ旅をしようと思ったら、夜は何故かこうなっちゃったのよね~、っていうのは誰のこと?
いいえ、これは遠征よぉ~!これが目的だったのよ! そうよ、たぶんそうだったに違いないわ。

だって~っ!
このライブに行ってみたら、期待していたよりもずっとスゴイんだもの。
この楽しさは満足度200パーセントです。

この「ひとりソウルショウ」は、ギターとハーモニカ、たまにタンバリン、何よりもエンジン全開のハート。
それをループマシンで重ねているので、ひとりだなんて思えない、まるでバンドがいるみたい。
それって、たしか前にシカオちゃんもやっていたような気がするけど、こういうのって、音感もリズム感も、瞬発力も、全部がイケてるってことよね? 
なんてスゴイ男なんだ! しかも面白い!
さらに私たちの手拍子やコーラスも、リードが上手だからみんながすぐに乗っかるし、一緒に参加している感じで、この一体感が楽しい、楽しい!
この人のライブは男性率高し。コーラスの声にしっかりとした男声が入るのも嬉しい。
「貴男、かっこいい~!」なんて掛け声にも野太い男の声が混じり(笑) みんな本当に楽しんでいるのよね~!

んで、今まで人に言ったことも書いたこともあまりなかったけど、私のオリジナルラブ暦は長い。
なにせ、今年でデビュー20周年だもんね。
私はいつから好きになったのか記憶にないくらいだけど、たぶん18年くらいは聞いていると思うのよ。
なにせ、田島貴男さんの歌は「ドライブの友」だったんだもの。
かつて頻繁に車を運転していた時代は、ハンドルを握ればオリジナルラブを流していたのよね。

それがまあ、土日にプチ引き篭もりになったあたりですっかり車を運転しなくなったら、バッテリーが上がるし、車もすっかり古くなったし、誰も乗らないしで売り飛ばしてしまい…ってな話はどうでもいいか(笑)
とにかくね~、あの人この人と時々ライブに出かけているこの何年かだけど、オリジナルラブだけはまだ一度もライブに行ってなくて、私にとっては、いわば聖地みたいなものだった。
でも、でも、こんなに盛り上がるステージだったなんて、知らなかったよ~! 
ソウル・パワーをいっぱいもらって、すごく元気になるし、楽しいし! 車の中で流れていた、大好きなあの曲、この曲が生で聴けて、しかも想像以上にカッコよくて、踊って、歌って、かなり興奮しました!
もっと早くに参加しとけば良かったな~っ!

田島さんは広島が7年ぶりだとかで、「みなさん、大人になりましたね。僕も大人になったけど」、ですって。
す、すみませ~ん、私は7年前もすでに充分に大人で(笑)、しかも広島の人じゃないんですけど~。
なのに「広島の皆さん、来年もまた会いましょう!」と言われたときには嬉しくて、思わずイエ~イ!と返事しちゃったけど、えっ!?私って、来年も広島に遠征?? ま、まさかね~(笑)
来年はぜひ私の地元、東京でお会いしましょう!

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いつかどこかで(23)ひとり旅〈広島平和記念公園~原爆ドーム〉

2011年11月26日 01時30分02秒 | いつかどこかで(雑記)

広島と宮島の厳島神社へ行きたいと思ったのは、今年の1月21日に、日本科学未来館の3Dドームシアターで上映された、立体映像「FURUSATO」を見て以来です。

臨場感ある「FURUSATO」を見て、そこに映る世界遺産の中に入り込んだような錯覚をおぽえながら、そのうちの日本三景の一つであり文化遺産でもある厳島神社、そして同じ広島のもう一つの世界遺産、人類の負の遺産である「原爆ドーム」の二箇所へは、ぜひともいつかは訪れてみたいと思いました。
それからはいつになく、まるでその土地に誘われてでもいるように、広島や厳島神社をたびたびと目や耳にすることが多かったのは我ながら不思議です。
そのうえ、親しい友人のうちの二人が、かつてそれぞれに、この地を一人で旅をしていたと聞いたので、それでは自分にも出来るかもしれないと思いました。

職場の先輩や同僚からも、「きっとそこに呼ばれているのよ。ぜひ行ってこなきゃね!」と言ってもらい、忙しい時期にさしかかっていたにもかかわらず、盛りだくさんのスケジュールを組んで計画し、「FURUSATO」の映像から始まった旅が、十ヶ月後にはついに本物の旅となりました。

11月22日火曜日。家を出発した朝の五時はまだ夜明け前で暗いです。空気はキリリと冷たくて、星が凍るように瞬いているのが、いっそ清々しく、旅の期待感から、たった一人でも足取りは軽く、思わず心が躍ります。
なにせ一人旅は初めて。
実は私、地図が苦手で大の方向音痴です。何度も訪れた場所でさえも、突然迷子になってぐるぐるしたり、おろおろしたこと数知れず。
ひとたび建物の中に入ってしまえば、出てくるときには右も左も方向が解らなくなり、常に富士の樹海にいる人みたいで、自分の体内コンパスは最初から壊れているとの自覚あり。

大丈夫か、私??
いや、やっぱり、かなり大丈夫でなかったわけですが(笑) そこは日本国内、言葉が通じるのはありがたい。
道行くたくさんの人に、道を訊ねながら旅をしてきました。

旅の友は、お気に入りの音楽と、二冊の本。

新幹線のぞみで朝の7時09分に東京を出発。天気は晴れ。新幹線の窓からは富士山がとてもきれいに見えました。
11時過ぎに広島駅に到着し、真っ先に目指すは…
やっぱこれでしょ!
広島名物のお好み焼き。

  

地元の人を見習って、私もねぎのトッピングをしてもらいました。
う、うまい!
この辺りの葱は東京のと種類が違うので、これだけ盛っても臭みが強くなくて美味しいんですよね。

お腹がいっぱいになったところで、先にホテルで荷物を預かってもらい、いよいよ広島市内の目的地へ。
広島平和記念公園に向かいました。

最初に行ったのは「広島平和記念資料館」です。
今まで原爆の話を見聞きしていなかったわけでもないのですが、事実を現地で知らされることの重みを感じました。
私は広島といえば原田真二さんを思い出しますが、原田さんがコンサートのたびに何度でも繰り返して平和へのメッセージを訴えていたのが、此処に来てはじめて、とてもよく理解できました。
日本はこのような悲惨な経験を広島や長崎で会いながら、なぜもっと平和を考える授業を義務教育でしないのでしょうか?

すべては人が為したことでした。
原爆を作り、それを戦争に使ったのは。
そして、そのために苦しみ痛み、多くを失いながら、焦土と化した土地から立ち上がり復興してきたのも、すべてが人の為したことでした。

ただ過去の事実を知らされるだけで充分です。むしろそこに教師達の余計な思想などは要らないのでしょう。
ただ事実を知り、何よりも自分の頭で考えること。
そして、人は忘れてしまう愚かな生き物だから、繰り返し、繰り返し、何度でも思い出さなければいけません。
原田真二さんがそうしているように、平和のために何をするべきか、何度も心に強く思い返さなければ足りないのだと思いました。

資料館を出ると、晴れた青空がことさらに美しく目に眩しく感じられ、館内で目撃した写真のあの町とこの町とが同じ場所であることに胸を打たれます。

思わず、今年の三月に大地震と津波に襲われた東北の地を思い出しました。
ここ広島でも、翌日に訪れた宮島でも…いえ、私の住む東京や、おそらく日本中のどこでも、東北復興のための義援金箱があちこちに置かれています。
その想いの根っ子はきっと皆同じです。
人の痛みと苦しみを想うこと。そして命を分かち合いながら共に生きること。

平和とは、人の幸せとは、どのようなものか。
それも人それぞれで違うのかもしれませんが、自分自身にはそれを繰り返し問い続けて生きていきたいと思いました。
  

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ひろしまドリミネーション2011

2011年11月22日 23時00分07秒 | イベント

ひろしまドリミネーション2011~おとぎの国の冬物語 in Hiroshima~
「この冬も、広島に140万の光が降りそそぐ・・・」11/17~1/3

広島に来ています。初めての一人旅は、世界遺産の厳島神社と、もうひとつの負の世界遺産である原爆ドームを見たいからでした。
昼間に見た広島平和記念資料館や夜の話はあとでじっくりと書きたいですが、まずはこれ。

「きらめきの城」という名のモニュメントです。平和への願いを込めて‥


 広島といえば、もみじまんじゅうだ~!(笑)
「もみじの丘」
実物はもっと赤いので、夜に燃ゆる秋が美しい。
 

クリスマスツリーとシンデレラのガラスのくつ 
   

ほかにも色とりどりの光のモニュメントが夜の街に飾られて、2011年の今、広島の冬は昼間に見た、あの地獄のような廃墟の町と同じ場所とは思えないほどに美しく賑やかに見えました。
幸せそうな親子が、恋人たちが、それぞれのお気に入りの場所で写真を撮りあう姿がそこらかしこで見られます。

    

きれい、本当にきれい‥‥なんですけど、ね、
しかし、何が悲しゅうて、私はこんなロマンチックな街にひとりでいるんだか?!(笑)
いや、いいんですけどね、好きで来たんですから、楽しいんですから。

方向音痴の女ひとり旅、明日はいよいよ宮島へ。わくわく、どきどき‥

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長谷川きよしSolo Live 11/18ノヴェンバー・イレブンズ

2011年11月20日 22時21分25秒 | ライブ/コンサート

赤坂の「ノヴェンバー・イレブンズ1111」というお店に来たのは初めてですが、 宇崎竜童さんと阿木燿子さんご夫妻の経営するライブ&レストランです。(というのは、行ってみてから知りました)
趣味の良いインテリアと落ち着いた雰囲気の中で、美味しいお料理とお酒、そして何よりもジャンルにこだわらず上質の音楽が楽しめる、大人のためのゆとりある音楽空間といった場所でした。
客席数は50席弱といったところでしょうか。
そういうお店で間近にして長谷川きよしさんの歌が聴けたのは、本当に贅沢なことだったと思います。

長谷川きよしさんは、先日の原田真二さんよりもさらに10歳くらい年上ですから、私の同世代の人でもあまり馴染みがないかもしれません。
なんて、「同世代というと、どんな世代よ?」という話は極力避けたいんですけど(笑)

で、なんでジャスト世代から外れている私がこのお方の歌を好きになったのかというと、今は昔の高校生時代に、たまたまFMラジオから流れたライブ収録番組をラジカセで録音しのたがきっかけでした。
なので、私はまだ高校生だったほんの一時期に、そのFM放送のライブが気に入り、試験勉強などをしながら、そればかりをひたすらヘビロテしていただけだったので、実を言えば、それ以来は長谷川きよしさんの歌はほとんど聞いていませんでした。
けれども、今年の初めにYouTube で椎名林檎さんとコラボした歌を見つけ、ほんとうに久しぶりに聴いたその声は懐かしく、また、改めてその抜群の歌唱力と抜群のギター演奏力には驚かされました。
いろいろな歌手の歌を生のステージで聴くようになった今だからこそ、この人の凄さというものが心底わかります。
高校生だった頃の私って、案外と耳が肥えていたのかも? なんて、自画自賛してみたりして(笑)
それで、長谷川さんの声は「私の好きな声」のルーツみたいな声だったのだなぁ、などという気もしたので、ぜひ生きているうちに一度彼の生歌を聴いてみたいと思い、今回のライブに行って来たという次第です。

って、「生きているうちに」だなんて、別に余命短いつもりはないんですけどね(笑)
思い立った時、チャンスがある時に思い切ってしておかないと、何かにつけてズルズルと機会を逃してしまいがちなので。
この11月は、原田真二さんのライブから始まり、この長谷川きよしさんのライブ、オリジナルラブの田島貴男さんのライブ、そして宮島への初めての一人旅と、前々から自分が心地良く感じていたものに触れ、そのルーツとかを想い、そういったものを探る期間になりそうです。

ところで、話がそれてしまい、さらに突然話題が変わるようですが(笑)
インターネットって本当に便利ですよね~。
「あの人の歌が聴きたい!」なんて、急に思いついても、すぐに調べることが出来るし、申込みだってメールだし、昔に夢見たことがすぐに実現可能になってしまうのですから、今の世の中って、ほんとうに簡単にパソコンの前から世界が広がりますよね。
それだけに、何を選択して、何を実行するか、自分の行動力とか、望むべきこととか、いろいろと個々が試されているのかもしれませんね。

などという、いつもの脱線話はともかくとして、長谷川きよしさんの歌は抜群の歌唱力、抜群のギター演奏力で、この上なく「上手い」なんてものじゃない、そんな褒め言葉さえ失礼にあたるのではないかと思うくらいに、極みに登りつめていました。
それなのに、三年前に出したアルバムのタイトルが「40年。まだこれがベストではない」というのですから、カッコよすぎですよね(笑)
この方はさらにまだ神の領域の高い処まで昇り続けていくのかもしれません。
しかもこれが60歳を越しているというのですから、ほんとうに驚きです。
年齢が増すと、年を重ねただけに奥深さや渋さやは増してより魅力的になるとはいうものの、若い頃とは声質が変わり、声量もそれなりに衰えるのが普通なのでしょうが、長谷川さんの声は昔と変わらずにクリアで美しく伸びもよく、目を瞑って聞けば、昔、私が高校生の頃に聞いたあの声と変わらずに、本当に心地の良い声でした。

曲数は数えてなかったので正確には言えませんが、合間に休憩を挟んで全部で十数曲は歌ってくれたと思います。
最初の二曲はファドから。
ファドとはポルトガルの民謡曲です。フランスにシャンソン、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルではファドがあるんですよね。
私はファドを生で聞いたのが久しぶりだったので何だか懐かしい気もしましたが、長谷川さんのファドは素晴らしいの一言です。

っていうか、以後、「素晴らしい」以外に形容が見つかりません(笑)
つくづくと、音楽や声の良さを文章で表すのは難しいと思います。
本物を耳にしてしまうと、余計な形容や比喩が恥ずかしくなりますもの。

ファドのほかには、このお店のオーナーの阿木さん作詞の歌や、デビュー曲の「別れのサンバ」、例の椎名林檎さんとコラボしたという、加藤登紀子さん作詞の「灰色の瞳」も歌ってくれました。
また、ユーミンが作詞したという「美しい日々」は、私の好きなシャガールの歌ですね、たぶん。
マルクがパリの古いアパートでひとり夢を見ていると、「ベラが花束を抱え空を飛んでくるよ」という歌ですから。
シャガールの絵が目に浮かびました。
他には、外国のスタンダードナンバーなどもいくつか歌ってくださいましたが、長谷川きよしさんの歌う歌は、ジャンルにとらわれず幅広いです。
そして、歌も素晴らしければギターの演奏も素晴らしい。

ほんとうに素晴らしいに尽きるんですが、不思議なことに私は「すごく大感動!」とか「涙が溢れてダダ泣き」ということはなかったですね。
周りの方たちもそんな感じでしたが、長谷川きよしさんの歌は心を豊かに、ゆるやかにくつろいで聴くにふさわしい、心地よい歌だからかもしれません。
その歌を聴いていると、歌だけで充分な気持ちになって、目から入るものが煩わしくなり、つい目を瞑りたくなります。
盲目の長谷川さんがその心に見ているものを、自分の心にも見るような思いがするからかもしれません。
私は、この声を授けた代わりに、彼から視覚を奪ってしまった神様の我侭を思い、けれどもその研ぎ澄まされた音の世界を受け取りながら、この世に人として生まれた贅沢を感じずにいられませんでした。

最後にCDを買うとサインをしてくださるというので終演後に待っていたら、現れた長谷川さんはすぐそばのテーブルに座ってくださって、見えない目で丁寧にゆっくりと、一字一字を確かめながらサインをしてくださいました。
黒いCDなので、同じ大きさの小さな色紙を用意してくださったのも嬉しかったです。
そのサインの写真を載せてしまおうかとも思いましたが、心のこもったそれを簡単に人に見せてしまうと、なんだか神様のばちが当たりそうな気がしたので止めました(笑)
来年の二月にもここで、今度はパーカッションを交えたライブがあるというので、ぜひまた聴かせてもらいたいと思います。

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「アマデウス」

2011年11月13日 16時31分03秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

2011/11/12 ソワレ
【作】ピーター・シェファー
【演出】松本幸四郎
【出演】松本幸四郎/武田真治/内山理名

昨日はなんとも濃ゆい一日! 
昼が市村正親さんで、夜が松本幸四郎さんのマチソワだなんて、どんだけぇ~っ?!ってくらい(笑)
しかも天才ネタ続きです。

まあね~、確かにね~、モーツァルトは天才だと思うわよ。
まず、ひとつのことに無我夢中で没頭する集中力、なおかつ執拗にやり続けるしつこさ、際限なく沸き起こるイマジネーション、その尋常でない在りようこそが天才を天才たらしめるのではないかと、、凡人の私なんかは思うんだけど。
だけれども、モーツァルトなんかを見ると、やっぱり生まれながらに持って生まれた資質というのが、凡人とは圧倒的に違うわよね~?

私の学生時代でも、一族がみな優秀ぞろいで、親戚の中には東大出が何人もいて、彼女自身のIQなども高くて何でも良くでき、それは勉強だけでなく音楽・美術・書道などのあらゆる芸術にも秀でていたという友人がいました。
その一族の中では「東大よりも芸大に入るほうが尊敬される」とかも言ってましたけどね、もうほんとに、そういう人達って遺伝子からして違うから、ごく小さい頃から周りの子とは別ものなのよね、圧倒的に。
私は子供の頃から大人になるまでずっとそういう子が親友の中にいたので慣れちゃったせいか、自分より優れた人を羨ましいとか妬ましいとかいう気持ちすらもいっそ起り難くなりましたが、まあ、だから基本的に人間って平等じゃないのね。
あたり前だけど。あたり前だから、そこに不平を感じるのは馬鹿らしいじゃない。
というか、よけいに悔しくなったりするので損するし。
なんて…あ、そうか。やっぱ、私も悔しいのか(笑)
でもねぇ、他人に嫉妬して憎んでも、きっと不幸になるばかりよね? だいいち、それじゃあ仲良しになれない。

容姿の美しさにしてもね、小さい頃によく遊んだ隣の幼馴染は、私立の中学に入ったとたんに「ミスなんとか学園」とかえらい騒がれて、「あ、そうか~、そういえば、あの子って、すごい美人だったんだ~?」なんて改めて感心しちゃったりして(笑) レベル的には「おらが村では」みたいな、世界的レベルではないにしろ、みんなが羨ましがったり憧れたりする子達と普通に遊んでいたせいか、いいかげんに、凡人とそうでない人の違いとか、ましてや自分との差にどこか麻痺しちゃってるのね(笑)
麻痺しちゃって良かったわよ。下手にトラウマにならなくて。
だから、私は天才だろうが何だろうが、やっぱり…というか、むしろ一人の人間としては皆「同じ」だし、まず中身がどのような人か?と、そっちに目が行くのかもしれないな。

武田真治さんのアマデウスは、帝劇でみる「モーツァルト!」のヴォルフガングとはだいぶ違いました。
まあ、あの「モーツァルト!」がそもそも、彼の人となりを美化しちゃっている感じがするんですが、どちらにしろ、歴史的に実在した偉人たちが実際のところどんな人だか正確に再現できるわけがないので、これもまたパラレル・ワールドのような物語なんですけどね…
それにしても、モーツァルトって、過去の文献にもありますけど、どーして、ああいった、まるで「クレヨンしんちゃん」みたいな、幼稚園児のような下ネタが好きだったんでしょうね~??(笑)
大きくなっても、いつまでもたっても飽きもせずに「お尻」とか「オシッコ」とかはしゃいでいられる、その幼児性というか、莫迦さ加減が天才であるゆえんでもあったりして(笑)
しかし、こんな幼稚で下品な男に、なぜあのような美しい音楽が創れるのか?
なぜ、彼だけが、そこまで神に愛されるのか??

ってね~、だけど、サリエルだって、あの当時の宮廷音楽家の長だったし、数々の作曲もしていたのですから、もちろん才能はあったのだろうと思いますよね。
それが後世に長く語られるほどの大きな才能ではなかったにしてもね。
それに、地位も名誉もお金も、そしてたくさんの賞賛も弟子達の数さえも、すべてがモーツァルトよりもサリエルのほうが勝っていたじゃないですか。
それって、充分幸せでしょ?
なのに、音楽で越えられないというのが、そんなにも悔しくて苦しいというのは、人間ってほんとうに強欲で嫉妬したがりの生き物なのね。

そもそも芸術家なんて、ある意味みな欲張りな人たちで、自分の世界こそが絶対で、だからどこかしら「過多」で、いつでも自分の最高峰がまだずっと先に必ずあると思っていたいのではないかしら?。
そして、選ばれし者の恍惚は、その感が強ければ強いほどに不安も大きくて、それを繰り返しているから心の振り幅も大きく不安定で、才能が多ければ多いほどに、孤独ではないだろうかと思う。
そのうえ、凡人の凡人たるゆえんの苦しみには無頓着だし、だから人として欠落した部分もあるし、…って、べつに悪口言ってるわけじゃありませんけど(笑) 要するに気難しくて、ややこしいんですよね。モーツァルトにしても、ゴッホにしても、このサリエルにしたってね。

なんだかな~、
天才ものを立て続けに見ちゃったせいか、どうもこの天才達に振り回される普通の人達のご苦労に目がいっちやって(笑)、天才肌の芸術家達は多くの人々を感動させたかもしれないけれど、ごく身近にいる者にとってはその影響力がありすぎて、えらくしんどいだろうなぁ…などと思ったりしてね。
これね、「天才達の被害者の会」みたいな、気の毒な人達の話をいくつか集めて、いっそオムニバス形式の舞台を創ってみたら、面白いかも。
すると、もしかすると、かえって天才たちが一層に愛しく思えるかもしれないな。
そんな気もしてきた(笑)

神様は人間に、具体的な何かを平等に与えたりは決してしない。
けれども、神や仏の慈愛とは、そしてその愛から得られる安らぎとは、そこにあるのではないと思う。
モーツァルトも、サリエルも、そしてゴッホも、私からすると、良くも悪くもみな強欲な人たちに見え、そこが苦しそうで、しかし愛しいとも思いました。

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「炎の人」

2011年11月13日 12時04分58秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

2011/11/12 マチネ
【作】三好十郎
【演出】栗山民也
【出演】市村正親 益岡徹 富田靖子 
銀粉蝶 今井朋彦 大鷹明良 中嶋しゅう 原 康義 さとうこうじ 渚 あき 斉藤直樹 荒木健太朗 野口俊丞 保 可南

プロのイラストレーターの友人は、「アーティストというのは、自分がアーティストだと思ったときからアーティストになる」と言います。
「画家は、絵を描いて画家と名乗ったときから画家だ。自分でそう言うには、それなりのエネルギーもいるけれど…」と。
そうかもしれません。
けれどもだからといって、世間の人々は容易にそれを認めたりはしません。
人に評価され、お金になり、プロと言われてはじめて、画家は画家と認識され、歌手は歌手と言われ、小説家は小説家でございと堂々と名乗っても良く、そうでなければ、ただ「絵を描くのが好きだったり上手だったりする人」、「歌の得意な人」、「ものを書くのを趣味にしている人」くらいしかみられず、ましてやそれが下手なものであれば、たんなる「下手の横好き」と言われてしまうのがおちです。
そして、世間とは、大衆とは、実は何もわかっていやしないのではないか。
「天才」という言葉をよく耳にしますが、こと芸術に関して、その天才の才とはいったい誰が何を基準に判断して言うのでしょうか。
持って生まれた資質、技術の良し悪し、上手い下手、オリジナリティー、新鮮さ? 
作品に心や魂が宿っているかどうか、人が感動するかどうか、それを感じて判断するのは誰がどれたけ、どのように?
私にとって感動とは、自分勝手なごく個人的なものにしかすぎず、とどのつまりは「好きか嫌いか」の気持ちだけなのだけど…… 

ゴッホは、彼の生きていた間は世間からほとんど評価されることなく、彼の絵は大衆から愛されもしなければ、買われることもありませんでした。
弟のテオを除いては、ほとんど誰からも認められず、褒められず、愛されず、求められず。
…それがどれほど彼を孤独にしたことでしょう。
けれども、彼はお金にならぬ絵をひたすらに描いて、描いて、描き続けました。
それが彼にとって、生きることでした。
そうして描かれた彼の絵には、魂が宿っているのが感じられます。

市村正親さんの「炎の人」を初めて観たのは二年ほど前だったと思いますが、私はこの舞台を観ると本当にいろいろなことを考えてしまいます。
この前の「毛皮のマリー」の感想の時にもちらりと書きましたが、「本当に美しい人とはどのような人だろうか」と考え始めたのも確かこの舞台がきっかけでした。
それから、「才能とは何か」と考えるのも、「神の救いとはどのようなものなのか」と思う時でも、何かにつけてこの「炎の人」を思い出します。

で、この舞台の感想としては、その二年前に観たときと基本的に同じです。

「炎の人」2009/06/27 
http://blog.goo.ne.jp/a2836285/e/91d9b3bc595cb2e1c6d1a46466bce7b3

そして今回、特筆したいことがふたつ。

ひとつは、私は物欲に乏しいので物販が苦手で、いつもは滅多にグッズを買わないのですが、つい買ってしまったのがゴッホの絵のクリアファイル。
こういった画家の代表作をプリントしたクリアファイルは、大きな美術館だと一枚600円なんて高い値で売っていたりするんですよね。
それが、ここではA四版のものと、葉書サイズの大小二枚組みで350円でした!
ゴッホの絵そのものが良かったのと、その良心的なお値段が嬉しかったので、私は「ひまわり」の二枚組みを買いました。

もうひとつは、カーテンコールです。
今回のカーテンコールは珍しかったです。
華やかなミュージカルなどはともかくとして、こういう静かなストレートプレイでは、幕が降りてから一度目に役者さん達が顔を出して拍手の中でお辞儀、そして鳴り止まぬ拍手で二度目にもう一度出てきてくれて、千秋楽でもない限り、だいたいそのへんで拍手が自然に鳴り止んでお開きになりますよね。
でも、今日はその二回目のカテコのあと、みんなの拍手がほとんど止んだのに、どなたかが一人で大きな拍手を続けていたんです。
そうしたら、まだ感動を伝え足りない想いはみんな同じとみえて、一度消えた拍手が再び劇場内に広がりました。
私ももちろん大きく拍手しましたが、それだけでもまだ足りない気がして、たくさんのお客さんがこの期に及んで立ち上がり始めました。
その拍手の音に、衣装を脱ぎかけていた市村さんたちが、驚きながらまた登場して来られた様子が微笑ましくて嬉しかったです。

いつまでも心に残る作品が再び観られて良かったです。

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「毛皮のマリー」人形劇俳優 たいらじょうの世界

2011年11月10日 00時32分20秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

【原作】寺山修司
【演出・美術・出演・人形操作】平常(たいらじょう)
【登場人物】毛皮のマリー〈花咲ける四十歳の男娼〉/欣也〈美少年〉/紋白〈美少女〉/下男/醜女のマリー/名もない水夫/美女の亡霊×6/快楽の滓〈肉体美の青年〉/鶏姦詩人1&2/ト書き

「綺麗」とは、どのようなことだと思いますか?

この物語のラストで、マリーは養い子の欣也に女装をさせ、男に生まれた彼を少女に変えて言うんです。
この世で一番きれいになるのだ、と。
マリーの思う「綺麗」とは、どのようなことだったのでしょうか…。

去年あたりでしたか、綺麗であること、美しいということについて、ある友人と二人でよく語り合うことがありました。
綺麗な人とは、どういう人かと。
顔や姿かたちが整っていたり、肌や髪が艶やかで滑らかだったり、みずみずしかったり。
それはあるかもしれないけれど、そうでなくて、本当に「綺麗」な人とはどのような人なのか…。

夏に「はなれ瞽女おりん」を観終わったときにも思いましたが、カーテンコールで客席に向かい丁寧にお辞儀をしている平常(たいらじょう)さんの姿が、私にはとても綺麗な人に見えました。
たいらじょうさんのことは舞台上でしか知らず、どのような方なのか全く知らないにもかかわらず、目に映らない彼の魂が本当に美しく見えて、私は胸が熱くなりました。

友人は「本当の醜さを知らないものは、本当の美しさを知ることができない」と言いました。
私は、終演後の平さんには、人の美しさも醜さも、その清濁を全て受け入れた者だけが持てるような、そんなフラットである魂を見たような気がしました。
私は愛とは受け入れることだと思う。
そうであるなら、受容こそが愛ではないか。
そして、愛はたぶん美しく、だからあらゆる登場人物…あらゆる人の生を受け入れ同時に演じられる平常さんの魂が私にとって美しく綺麗に見えるのかもしれません。

今から八年前の2003年、平さんが初めてこの作品をたったひとりの人形劇という形で上演したとき、観客はわずか三人だったそうです。
この内容の濃い、しかも、妖しく衝撃的な大人の劇を、たったの三人の目の前で演じるのはかなりエネルギーが必要な、しんどいものだったであろうと思います。
平さんもそう仰っていました。
けれども、この作品をこのような劇で演じることを思いつき、実現した平さんもさることながら、それをしっかりと見届けたその三人のお客さんもまた賞賛に値したと思います。
その三人がいてくれた結果、口コミにより次第に話題となり、後半は完売が続出。立ち見まで出たということです。

この作品は人形が遣われていますが、その表情は人形ですからむろん変化はしません。
けれども、見る場面、見る人によって、その時々に表情が変化して見えるのは、文楽の人形やの顔や能面と同じです。
観る者の数、その人生の数だけ表情があり、この劇は観客がそれぞれの心の中で人形に表情をつけて完成するのだそうです。
毛皮のマリーが哄笑するシーンで、平さんのその笑い声が次第に泣き声に聞こえましたが、どこからそうなったのか、本当にそうだったのか、実は私にはわかりませんでした。
なのに、人形のマリーの顔が笑いから、いつしか強い悲しみの顔に見えたことは確かです。

などと、思いつくままに書いてみたら、いつにも増して、どうもまとまりのない文になってきましたが(笑)
実を言えば、私はこの「毛皮のマリー」という作品には、いまだまだ私自身で消化されていないものを感じるんですよねぇ…。
平さんの書いたパンフによると、この作品には「生きることそのものについてのテーマが数多く秘められ」ているといいますが、そのひとつとして、「性」があり、母性をもつ女、そして男がありました。
すこし前に観た「身毒丸」でも思いましたが、もしかすると、寺山修司さんは、彼にとって、性とは、そして肉体とは忌まわしきものであり、そこから逃れられぬその煩悩の原点にあるのが母親という存在であったのではないか?…などとも思うのですが…。
…う~ん、
毛皮のマリーの少年期、彼が少女として暮らしはじめた頃、マリーは少女の姿でありながら、男性の性を持つことで辱められるシーンがありました。意のままにならぬ肉体を嘲られ、精神を犯されてしまう彼の悲しみと怒り。
また、ある場面では、美少年・欣也が美少女・紋白にキスされそうになり、紋白の誘惑に必死に抗い、お母さん(マリー)叱られるからと言って、しまいには紋白の首をしめて殺してしまいます。けれども、その養母マリーといえば、男娼として同じ屋根の下の別の部屋で男と睦みあっていたりするわけです。
純粋培養で育った欣也は、まるで精神と肉体が剥離している子のようだ…。

…う~ん、
と、唸ってばかりでその感想がなかなか書けませんが(笑)
むろん、そのどのシーンも平さんが人形を遣い一人で演じています。
平常さんは、まさに鬼才です。
もし普通の役者さん達に同じことをやれと言っても到底出来るとは思いませんが、それが憑依型の役者さんならば、精神分裂になって一時的にでも発狂するかもしれません。
複数の人間が、まばたきするよりも早く、フラッシュの光のように現れては入れ替わる、その凄まじさは、もはや「演技」…演じるという技を越えていました。

私はぜひ今後も彼の舞台を、そしてこの「毛皮のマリー」も観ていきたいと思います。
何度か観れば、私の中で改めて感想が形になり、いつかはもっとちゃんとした感想が書けるようになるかもしれません。

まだ観たことがないかたは、機会があればぜひとも一度ご覧になってみて下さい。
私の衝撃が理解していただけると思います。

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原田真二「Our Song」赤坂BLITZ 

2011年11月06日 16時19分28秒 | ライブ/コンサート

2011/11/05 赤坂BLITZ 〜Newア ルバム「Our Song」を携えたライブツアー
【出演】原田真二
Wornell Jones(Bass)/Reuben Mann(Dr)/MATARO(Per)/太田美知彦(Key)

かっこいい~!
かっこいいよぉ~、真二!、かっこいい~っ!!

なんて、私はいつから原田真二さんを名前で呼び捨てにするようになったのか??
してませんけど(笑)
私にとっては、あくまでも原田真二さんはフルネームに「さん」付けをしたい、お兄さま的な存在のお方ですが、このコンサートでは思わず「真二、かっこいい~っ!」と言いたくなるほどに、原田真二さんはカッコよかったです!

ステージの冒頭、赤い幕が開いたとたんに客席がどよめきます。うわ~、すごい!
舞台上の真ん中のグランドピアノには、もちろん原田真二さん。
それを取り囲んで、なんとオーケストラです!
それも二百人からなる大々的なフルオーケストラ!!
というのは、原田さんの冗談ね(笑)
二百人という数は、だからジョークですけど、弦楽器十三、四人はいらしたのではないかしら?
二月の東京文化会館「ポピュラーウィーク」でもストリングスはありましたが、さらに充実したストリングスが、あの赤坂BLITZに登場するとは思いもよりませんでした。
そして実力者揃いのバックバンドの四人がしっかりとオケの後ろに構えての、非情に厚みのある豊かな演奏で始まった最初の曲は、アルバムのタイトルでもある「Our Song」です。
その奥行きのある音には、思わず心が潤み、早くも目が潤みました。

そう、このステージは厚かったんです!
「熱い」というよりは、「厚い」という印象。
ストリングスが加わることによって、原田さんいわく「僕の(いつもの)標準品格よりもハイレベル」というだけに、ポップスといえどジャンルを越えた壮大さと豊かさのあった感動的な「Our Song」に続き、お馴染みの「てぃーんず ぶるーす」や、「キャンディ」も、秋に発売された新アルバムと同様にオーケストラ・バージョンで聞けたのが嬉しかったです。
原田さんにオーケストラはよく似合う。
「キャンディ」では、ファンの掛け声「しんじぃ~!」がいつもより遠慮気味だったのと、ストリングスの皆さんに説明する意味もかねて、ピアノと歌で、そのフレーズだけを再現。
オケで聞くときには大人しくしていた私も、その時は思いっきり「しんじぃ~!」をやりました。
これを一度は思いっきりやらないと、ファンも原田さんもすっきりしない感じなのが可笑しいわ(笑)
原田さんのライブはもう何度も来ているので、さすがに私も慣れたみたい。
なんでも慣れるものなのね~!(笑)

セットリストが完全に記憶できないので、順不同な話になりますが、私の好きな曲、「シャドー・ボクサー」もとても良かったです!
これも新アルバムでのライブ・バージョンにも似て、パーカッションのリズムに体揺れるような、軽快でありながらムーディーで大人っぽいアレンジ。そしてパーカッションのMATAROさんと掛け合いで原田さんまでもが叩く、叩く! 原田さん、ピアノやギターもとってもステキだけど、パーカッションも上手!
そして、しまいにはラテン系に終わった「シャドー・ボクサー」に、「最後はブラジルみたいになりましたが(笑) この曲には昔、ブラジルから出さないかという話があったんですよね。あれはどうなったのか…?」なんていう、原田さんのお話も面白かったです。

とか、一曲ずつ書いているとキリがないんですけどね(笑)
二月のポピュラーウィークで、特別で歌ってくださったポール・マッカートニーの「MY LOVE」がとても素敵で、もう一度ぜひ聞きたいと思っていただけに、新しいアルバムに入れてくれて、そしてここでまた聞かせてもらえたのは本当に嬉しかったです。
18歳の頃、この曲をテレビで歌ったら、外国人の男性ダンサー二人から「グレイト!」とハートの熱い眼差しで見つめられたんですって。
そりゃ~、もう、原田さんの歌うこの曲を間近で聞いたら、誰だってうっとりしちゃいますよね!
原田さんは「基本的にカラオケはありえない」そうですが、突然に歌わされるときにはこの曲を選び、テクを駆使して歌い上げるということです。

ところで、今年は東北大震災の復興支援のため、いつもよりもたくさんライブをしているという原田さんですが、今年に限らず、原田さんのライブには一貫して、日本のみならず世界中の平和を願う気持ちが込められています。
「やさしさのアクションを、あなたの身近なところから始めましょう」というお話を、毎年、毎回、粘り強く繰り返していた原田さんだからこそ、その揺るぎない大きな愛が感じられます。
今度の震災では誰もが無力感を感じずにはいられなかったと思いますが、まずは身近なところで隣にいる人に「やさしさのアクション」を起こせば、そのやさしさが伝わって大きく世界に広がるだろう。
「ここにいるみんなが世界を変えるのだと思って一緒に頑張りましょう」というメッセージには、小さなことしかできない私たちへの応援とも取れました。

で、そんなこんなのとても良いお話のあとで、うって変わってガンガンにノリノリなステージ!
このバリエーション豊かなステージングが原田真二さんの魅力でもあります。
オーケストラでも、ピアノやアコギの弾き語りでも、バンドとのガンガンなエレキギターのロックでも、それぞれが素敵で楽しいです。
私は今年はちょっと踊り足りてない感があったので、後半のガンガンなロックで踊れて嬉しかった~!

そうそう!
思いがけなく話が長くなってしまいましたが、原田さんの曲といえば、最近ドラマの主題歌に「タイム・トラベル」がカバーされていますよね!
この曲は途中から客席の私達もコーラスで参加させてもらい、毎回楽しく盛り上がる曲ですが、原田さんが今度のドラマでカバーをきっかけに「ぜひ僕の原曲も聞いてもらいたい。」「どうしたらいいでしょうね? インターネット? やっぱ YouTube ? ぜひ皆さんのお力を」と言っていたので、ならば暗黙の了解があったことにして、ここにその原田真二さんの本家本元「タイム・トラベル」を貼り付けさせてもらいます。
若い頃のもので画像も面白いのを見つけましたが、私は原田さんって、今のほうがずっと素敵だと思うんですけど、いかがでしょう?




とにかく参加して良かったです。
私はこのところ少し落ち込み気味でしょんぼりしていたので、懐深い大人の原田さんに慰められて励まされ、やさしさと元気をいただいたような気がしました。

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バレエ「パゴダの王子」

2011年11月05日 01時03分30秒 | バレエ/ダンス

2011/10/30 新国立劇場
【振付】デヴィッド・ビントレー 【音楽】ベンジャミン・ブリテン 
【指揮】ポール・マーフィー 【管弦楽】 東京フィルハーモニー交響楽団
【装置・衣装デザイン】レイ・スミス
【出演】(さくら姫)小野絢子/(王子)福岡雄大/(皇后エピーヌ)湯川麻美子
(北の王)八幡顕光/(東の王)古川和則/(西の王)マイレン・トレウバエフ/(南の王)菅野英男/(皇帝)堀登/(宮廷官吏)厚地康雄/(道化)吉本泰久/ほか

「待ちに待ったビントレー芸術監督振付全幕新作!
世界初演、日英をつなぐ舞台が誕生」

ということで、この日が世界で初の出発。
どんな舞台だかわけもわからず行ってみたら……

どこもかしこも面白すぎ~! 
三階席から眺めていると、まるで絵本を見ているみたい。
魔法にかけられた飛び出す絵本が動き出し、ページをめくるごとに「ええ~っ!?」とわけのわからん世界に展開して(笑)、目を見張って見ているうちに、あれよあれよと終わって最後の一ページまで「そんなんありか~っ!」と面白く見られた作品でした。!

「何でもあり」なファンタジーですから、ここはどこ? いずれのおんとき?
っつーか、まったく!どーいうことよ? これはどこの星の何者なんだ!? 
でもって、この人はどーなのよ? これでいいのか? と、突っ込みし始めたら、それもまた楽しくって、半分以上がニヤニヤしながら観たバレエって、私は初めてかも(笑)

舞台上の奥はまるで浮世絵のような富士山っぽい山に、日の丸、いや、あれは満月か?
物語の設定は、どうやら、平安時代の日本っぽい。
直衣姿っぽい帝(みかど)に、その奥さんは十二単っぽい姿の継母・皇后エピーヌ。
あくまでも、「っぽい」。 
宮廷官吏や奥女中(?)たちが扇をひらひらさせてはバレエらしからぬ群舞を披露したかと思うと、出てきたのは継母エピーヌが姫のために招いたという、四人の求婚者たち。
その四人が、それぞれにどこぞの国の王子様…ならまだしも、王様だっていうから驚きよ!

それがまたとんでもないんだわ(笑)
たとえば東の王は赤い竜が全体にペイントされたような、全身タイツ姿で辮髪(べんぱつ)で土産に阿片を持ってくる。
西の王は星条旗のようなデザインの衣装で、プレゼントは銃。
南の王はこれもまたゼブラ模様の全身タイツに、象牙を携え、北の王は石油なのね。
こ、この、どこぞの国をイメージした彼らはまあ良いとして(??)、その東西南北の位置関係ってどうなの~?
そして、肝心のパゴダの王子はトカゲみたいなサラマンダーで、人でさえないのよね。

そんなわけだから、継母の招いた四人の求婚者たちに、きっぱりはっきり「NO!」と拒否った気の強いさくら姫は皇后に平手をぶちかまされ、やけになって(?)サラマンダーと手に手を取って(??)家出をしてしまいます。

っていうのが一幕。

二幕目から三幕はさらに面白い!
休憩時間で、私は友達に、「結局、あの四人の王たちは魔女の継母に食われちゃってんのよね?」なんて、なかば冗談で言っていたら、ほんとにそうなんだもの(笑)
四人の王たちは、さくら姫がサラマンダーと家出しちゃって振られてさぞ怒っているかと思いきや、それぞれに屋敷かなんかもらって、皇后とよろしくやっていて、あやしいのなんの。
でもって、娘に家出された帝はすっかりと落ち込みしょぼくれた爺さんになり、富士の山頂でたそがれる日々。

いっぽう、さくら姫はパゴダの国で冒険に継ぐ冒険。
そこでなぜかいちいちとお出ましになる継母の魔女と被り物の面白キャラたち!
皇后よ、あなたはタコだったのか! いやイカか? ん~、足の数を数えたらやっぱタコじゃん!
その大ダコに扮した皇后と、ユーモラスなタツノオトシゴのシーンは面白すぎ!
何に扮して登場しても、皇后エピーヌの存在感は凄かったです。
他にも二頭身の妖怪キャラ(?)だの何だのって、思わず何度もクスクスと笑いましたよ。

そして、サラマンダーの正体はいかに?? という、エピソードでは昔の幼き王子と姫の兄妹シーンが可愛かったわ~!
幼き日に失踪した王子が戻ってからの帝の快復振りも、あまりに、あまりに、すごすぎます(笑)
帝と王子と姫の三人が、孫悟空ばりの棒さばきで、皇后と四人の王をあれよあれよとやっつけてしまいます。
そ~れ~は~、どーなのぉ~~っっ??
王子じゃなくて、王なのよ? それも大国の。
も、もしかして、これが原因で彼の国は鎖国に入るんではなかろうか? などと、最後まで突っ込みするのも楽しい。

……って、

……え、え~と、これ、バレエなんですけど~(笑)

すみません、私、バレエについては、とんと初心者。
踊りの感想がくわしく書けないのは残念ですが、面白キャラの振付も、帝たちの立ち回りダンスも、最後のほうの王子や姫の踊りも、すべて目が離せなかったです。

古典バレエの通の方達からしたら賛否両論かもしれないけれど、要するに私はと~っても面白かったです!

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映画「ステキな金縛り」

2011年11月02日 21時14分09秒 | 映画

【監督・脚本】三谷幸喜
【キャスト】 深津絵里、西田敏行、阿部寛、竹内結子、浅野忠信、草なぎ剛、中井貴一、市村正親、小日向文世、小林隆、KAN、木下隆行、山本亘、山本耕史、戸田恵子、浅野和之、生瀬勝久、梶原善、阿南健治、近藤芳正、佐藤浩市、深田恭子、篠原涼子、唐沢寿明 
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いつもながら、三谷作品の出演者はスゴイですよね~っ!!
どこで誰が登場しても、いちいちと面白かったです。

  

三谷作品では主人公が女性なのは初めてと聞きましたが、深津絵里さんは7月の舞台「ベッジ・パードン」に続いての出演です。
あの時のアニーも可愛かったけど、この映画の深っちゃんも可愛かった~!
そして西田敏行さんの落ち武者幽霊が面白かったのは言うまでもありません。
こんな弁護士さんも、こんな法廷も、こんな幽霊もあるわけない!
なので、期待通りに安心して、ゲラゲラ笑いながら見られるコメディーです。

ところで、金縛りって、経験したことあります?
私は一度もないですけど。
そういや、前に六人くらいで飲み会したときにリサーチしたら、その時の金縛りの経験者は六人中四人もいて、だから未経験者のほうが珍しいんじゃないかという話になりましたが、改めて調べてみると、ある調査によれば金縛りの経験者は、だいたい40~50%くらいだそうです。
そのメカニズムは科学的に説明でき、ようするに睡眠障害のひとつということですが、超常現象が全くないとも言い切れないのがこの世の中ですよね~。
不思議なことは不思議なことで、はっきりと解明しないままのほうが面白いかもね。
なんて、金縛りにも幽霊にもあったことがない私は、ぜ~んぜん恐い思いをしてないのでそう思うのかしら?

それで、この映画でも、幽霊が見えない人には全く見えません。
そっちのほうが圧倒的に多いので、法廷でどうするのかが見所になるわけですが、ごく稀に見える人もいる。

その見える人とは、どういう人なのか?
見える条件とはいったい何?

この映画によると、「幽霊が見える人の条件」というのが三つあるそうです。
それでいうなら、私も今から二年くらい前だったら見えたはずなんだけどね(笑)
まあ、どっちにしろ、見えない人のほうがどうやら幸せな人みたいです。

笑ったあとは、ちょっぴりホロリとさせられ、そしてまた笑える映画。
たとえ目に見えなくても、きっと誰かが見守っていてくれる。
そんなメッセージもありの、可笑しくて、やがてあたたかい映画でした。

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