今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

映画「信長協奏曲」(のぶながコンツェルト)

2016年02月27日 18時46分58秒 | 映画

「信長協奏曲」(のぶながコンツェルト) 2016/01/31

【監督】松山博昭
//原作】石井あゆみ
【脚本】西田征史/岡田道尚/宇山佳佑
【キャスト】小栗旬/柴咲コウ/向井理/山田孝之/藤ヶ谷太輔/水原希子/濱田岳/古田新太/高嶋政宏/でんでん/勝矢/阪田マサノブ/阿部進之介/北村匠海/他

『 現代の高校生が戦国時代へタイムスリップしたことで巻き起こる、奇想天外な物語。』

と、今日の昼間のテレビでも紹介されていましたが、 全くその通り!
史実をぶっとばせ!的な奇想天外さで、 とにかく「現代に生きる私達が面白いなら、それで良いじゃない!」に徹しています。
なので、歴史的にはかなりアチコチと無理があって、「本能寺の変で、あの場に秀吉がいるって変じゃない?」 とかもそうだけど、「何よりも、タイムスリップしてからどう考えても30年は経ってるはずなのに、なんでみんな若いままなの??」・・・なんて、史実のアレンジうんぬんよりも、時間経過そのものが滅茶苦茶なので、「もう、この際どうだっていいや~!!」という気持ちになって楽しかったです。
だってねぇ~、なんたって柴咲コウさんがあんまり可愛いんで、「老けメークした帰蝶ちゃんなんか見たくないや~」とか思うし(笑)  
それに、私達が史実と思い込んでいる話だって真実とは限らないしね。 

  

これはたぶん、もともと原作が面白いのだろうけど、私はテレビや映画で見て良かったです。
歴史的人物に被せた漫画キャラの上にそれぞれ俳優さん達の魅力が加わってキャラも立っていたし、映画は大掛かりな映像もありで良かったし、重厚になりがちな戦国物語に漂う妙な軽さ明るさも程々に可笑しくて、まさにエンターテイメントな映画。
な~んも考えて見てなかったけれど、不覚にも涙がポロリとこぼれたシーンもありました。
それに、テレビドラマの時から毎週楽しみに見ていたので「最後まで見届けた感」も半端なく、ラストも(予想した通りの展開とはいえ)気持ちよ~く終わってくれてスッキリ、満足です。
逆に言えば、「テレビドラマを見ずにこの映画を観る意味ってあるのかしら?」という気はしましたが。


ところで、この映画は前に感想を書いた「キャロル」よりもずっと前の、1月の末に観たものですが、もう2月も終わりだっていうのにまだ映画館で上演されているのね。
人気テレビドラマの観客動員力は侮りがたし。
まあ、毎回こんなふうに「ラストは映画館で」と言われるのも嫌だけど、お金を払ってでも映画館で見たいと思うテレビドラマがあるっていうのはわるくないよね?
とか言って、今回の映画代は自分で払ってないけどさ(笑)

さあ、次は何を観ようかな~!

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映画「キャロル」

2016年02月21日 16時56分09秒 | 映画

映画「キャロル」 2016/02/17
【監督】トッド・ヘインズ
【脚本】フィリス・ナジー
【原作】パトリシア・ハイスミス
【キャスト】ケイト・ブランシェット/ルーニー・マーラ/サラ・ポールソン/カイル・チャンドラー/ジョン・マガ/他

1950年代のニューヨーク。
クリスマスを前にして、多くの人々が行きかう街は賑やかだった。
その賑やかさの中に潜んだ孤独が、じわりと滲み出るような真冬の画面。真冬の街、真冬の自然。

これは冬の物語だ。
冬という季節は、あらゆる到達でありながら次の始まりを内包している。
映画「キャロル」は、何もかもが「始まりの物語」であると私には感じられた。

「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」
そう、キャロルは言う。
心に従い、「自分らしく生きる」ことは、なんて難しく、厳しいのだろう。

    

二人の出会いの場面が心から離れない。
どんなに大勢の人の中に紛れていても、必ず見つけ出してしまう。そんな特別な存在に出会ってしまったならば、ただひたすらに見詰めずにはいられないだろう。
それは本能と言うべきものかもしれないし、運命かもしれない。二人が見詰めあうシーンは「一目惚れ」と呼ぶに足らない、互いへの激しい吸引力が感じられた。
その力に抗うのが難しいのは、相手が異性であろうと同性であろうと同じこと。なにしろ始まってしまったのだ。

キャロルはまるで大女優のような女性だと思った。(もちろん、ケイト・ブランシェットは大女優なのだが)華やかで美しい容姿に高価な毛皮のコートが良く似合う、いかにもゴージャスな女。一見して何一つ不自由はなさそうなマダムなのに、身にまとう孤独の陰がやけにセクシーで魅力的だ。1950年代だからか、煙草を吸うシーンが多かったが、その仕草がこれほどまでに男前に、しかし女らしくてカッコよく見える女性も珍しい。女装であるのに、まるで「男装の麗人」を見るようだ。
「ああ、もしキャロルが男性であったなら、さそかし私も惚れてしまうだろうな」と私が思ったのは、それはただ自分の性的指向が女性に向かっていないから・・・ただそれだけのことだろうと思った。
テレーズ・ベリベット役のルーニー・マーラは若い頃のオードリー・ヘップバーンを思い出させる可憐な顔立ちで、一途で繊細な役どころがよく似合っていた。夢を見るに縁のない労働者階級で、付き合っている彼氏との結婚にもいまひとつ希望を見出せず、彼女もまた孤独の影をまとっていた。「自分らしく生きる」などとは、テレーズはキャロルに出会う前は、おそらく一度も考えたこともなかっただろう。

「自分らしく生きる」というのは、どういうことなんだろうな。・・・と、私などは思う。
「自分がわかってる?」というテレーズに、「わかってないわ」とキャロルは笑って答えた。
これは、「何をしているかわかっているの?」という問いだろうが、上手い訳だと思う。ただ自分の心に従って動こうとするならば、理屈などはどうでも良いのかもしれない。
キャロルに知り合って後、テレーズは変わっていく。人生で、そんな出会いがあったことが私には少し羨ましい。

二人が出会う前から離婚協議中で夫と親権を争っていたのキャロルだったが(だから不倫にはならない)、物語の最後には、娘の親権を手放すことになってしまう。
この時代、女性が離婚をし、新しく仕事を探して生活していくことは、たぶん今の時代よりも困難だったにちがいない。けれども完全に自立したキャロルは、お金持ちの奥さんであるよりもずっと彼女らしく見えた。
一旦は別れた彼女達だが、ラストで再会する場面は不思議な感動があった。

「これから始まるのだ」と思った。
愛と、それに伴う喜びと苦しみの生活が。そして何よりも、「自分らしく生きる人生」というものが。

映像も、音楽も、すべてが胸に染み入るように美しかった。
二人の女優には、ぜひともアカデミー賞をダブル受賞して欲しい。
・・・にしても、この作品自体がノミネートされなかったのは惜しいと思う。

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いつかどこかで(64)行った年、来た年(コンサート・ライブ編)

2016年02月08日 00時13分39秒 | いつかどこかで(雑記)

2016年も既に二月に入ったというのにまだこの話を続けているのか!と言われそうですが。
だって~!去年はライブの話を何にも書いてなかったんだもの。タイトルがダサいのも承知のうえで、去年の報告と今年の抱負(?)をちょっとずつ。

2015年はお金がないと言いつつも、これだけは我慢しない!と決めていたライブ(&コンサート)通い。Golden Songs」やあっきーのFCイベントも含めると、合計20回ほどのコンサート(又はライブ)に行ってきました。
今年はそうもいきません。なにせこれ以上赤字が出せやしないし、ちょっとこのところ年老いた両親が心配なこともあり、去年ほどには出歩けません。それに、耳の調子も気になります。
なので、今年は必要最小限で、つまり、贅沢なミュージカル・コンサートや「お楽しみ袋」的な夏フェス、ツーマン、スリーマンなどのライブは我慢。
ひたすら好きな人の歌のみに浸れるワンマンコンサートの参加を基本にします。
といっても、あっきーが参加する5月の「音楽劇紀行」と6月のHE SOUND OF SHIMAKEN」のチケットはもう入手済みなんですけどこれは例外ね。例外といえば、森広隆さんのJAM ADDICTも今年あるならば絶対に行きたいです。去年の11月に行けなかったのがとても残念だったので。

それから、今以上に耳を悪くしないために、今年からライブに行くときはライブ用の耳栓(イヤープロテクター)をしようかと思います。
大音量のライブ会場と、あとライブではないけれど、劇場ではシアタークリエのサイドブロックでスピーカー近くの席が私としてはキツいんですよね。音響外傷防止に気をつけたいと思います。 

そんなこんなで!

今年はアニバーサリーのラッシュです! 
「大好き」の一言では語りきれない3人のシンガーソングライター達が、それぞれ節目の年に突入しました。そして3人ともが、去年、今年でニュー・アルバムを発表しています。
誰が一番かなんてとても決められません。それぞれが個性豊かで唯一無二だと思うし、そもそも好きになり方が全く違う気がします。なので、デビュー順に書きます。

まずは今年でデビュー25周年、オリジナルラブの田島貴男さん!
 
何でしょう、この方!! ここに来て、ライブに行くごとにお客さんが増えて、2015年の場内はいつも満員でした。あの有名なCM「ウイスキーはお好きでしょ」が流れて以来、テレビ出演も増え、去年は20数年来のブレイクだったとか。ニューアルバムの「ラヴァーマン」は泣きましたよ、私。一曲一曲が全部良いけれど、「四季と歌」は季節の変わり目ごとに街を歩きながら聴き入って涙している私(笑)。 「希望のバネ」は2015年の私のために作ってくれたのかと思ったくらい(←バカ)で、ライブでは最後のコーラスに感動して泣きました。田島さんには「ありがとう」と言いたいです!
田島さんのステージはいつもエキサイティングで熱いです! 胸が熱くなって体も熱くなります!
2016年は、3月と7月のライブに行きます。本当は地方に遠征したいけど、それは「いつかきっと!」のお楽しみにして、東京公演で我慢、我慢。東京のライブも毎回は無理かもしれませんが、こうして毎年2回から3回のペースで末永く25年が30年、35年、40年になってもずっと参加し続けたいと思います。

 

そしてあっきー(中川晃教さん)は15周年!

 
あっきーは今年大きな舞台の出演が既に発表されていて凄く楽しみにしていますが、15周年ということでコンサートも予定している模様で、それにも大きく期待してます! なんたって、3月にはニューアルバム「decade」が出ますよね! 待ちに待ったスタジオ録りのアルバムは、いったいどんな一枚になるのでしょうか。インストアライフなんかもあったら嬉しいな!
あっきーは私、「もっとシンガーソングライターとして活躍して欲しい」というのが、かねてからの望みです。新しいアルバムは、とにかく今のあっきーを全部出しきったものを期待したいです。デビュー15年の、今の彼自身の本当の姿、最新の「中川晃教の世界」を見せてもらうのを楽しみにしています。
15周年コンサートのほうは「ジャージー・ボーイズ」のあとになるかと予想しているのですが、まずは5月の「音楽劇紀行」ですよね。大好きな「ウエストサイド物語」から何か歌ってくれるのでしょうか?あっきーの声であの曲がぜひぜひ聴きたい!!
舞台もあるので、今年もお出かけの予定はとにかくあっきーが中心になる一年になりそうです。


15周年といえば、本人から聞いたことがないものの、あっきーと同じ2001年メジャーデビューの森広隆くんもそうですよね? 
  
森くんは私が惚れこんでいるシンガーソングライターの中では知名度は低いものの、この人が本当に本当に良すぎて、音楽に対しても、リスナーに対しても、「世の中にこんなに純粋な人がまだいたんだ?!」と思うほどに純粋で、そのピュアな人柄と、十五年経ってもなお瑞々しく溢れる才能から作り出された音楽に惹かれずにはいられません。
去年リリースしたアルバム「A Day in Dystopia」は最高でした! なにせ、「曲を作っている時間は自分へのご褒美みたいな(幸せな)時間だ」と言えるのが凄い!その凄さの意味に森くん自身が気が付いていないらしいのが、またこの人の良いところかも? アルバムの最後の曲「ユートピア」の通り、ライブではいつも温かくて優しくて、そして楽しく!心浮き立つキラキラしたユートピアを共に過ごさせてもらっています。
森くんはたぶん、大きな目標のある来年(2017年)こそが勝負の年。この二年間、そこに向かって頑張っている森くんは、見るたびに「ますますいい顔になってきてるな~」と思います。 私は今年からツーマン、スリーマンを我慢しているので寂しいですが、2014年は12回、2015年も7回と、最も数多く参加したのが森広隆くんのライブでした。今年はまず3月にワンマンコンサートに行きます。


・・・というわけで、ファンとしてとても贅沢な2016年。このスペシャル・アニバーサリーの年が5年ごとにやってくるかと思うと、このさき生きるにも張り合いがあるってものです(笑)
今年は一回一回のコンサートをより大切に、楽しみにして参加したいと思います。

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人形劇俳優たいらじょうの世界「ギリシャ悲劇 王女メディアの物語」

2016年02月07日 01時24分04秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

「ギリシャ悲劇 王女メディアの物語」 2016/01/17 @新国立劇場小ホール
【原作】エウリピデス
【脚本・演出・美術・人形操演】 たいらじょう

今年一番最初に観た舞台がこの物語。
人形劇俳優たいらじょうさんの舞台は今までにいくつか観ていますが、この物語は今までで最も余韻ある舞台だったと思います。
はなれ瞽女おりん」や「オペラ座の怪人」のように涙しながら観ていたわけでもないのに、観終わったあとの心には、何時までも染み渡るような悲しみが消えません。
「いったいこの悲しみは何だろう?」と、しばらくは自分でも理解できなくて、数日経ってからようやく「ああ、そうか」と、この物語が自分なりに理解できたような気がしました。
そんなわけで、今になってやっと感想が書けるようになりましたが、例によって物語の解釈や感想は私独自のものであることと、ネタバレが満載であることを先におことわりしておきます。

メディアの話は、今から2500年も前に書かれた戯曲で、ギリシャ悲劇だそうです。
「だそうです」と言うからには、私はこの物語を知りませんでした。
なので、事前にさらっと調べたところ、メディアという女性は、「夫イアソンの不貞に復讐するために、浮気相手とその父親を殺し、果ては自分の二人の息子までも殺してしまう」という、気性激しい女性の、狂気に至る嫉妬の話かと思ったんですよね。


で、今さらご説明するまでもありませんが、たいらじょうさんは人形劇俳優なので、物語のたくさんの登場人物はお人形であったり、またたいらさん自身も演じたりと、たいらさん一人でお話が進められていきます。
物語の前半・・・王子イアソンが自分の国を出て船旅に出るいきさつ、その旅の中で他国の王女メディアと出会い駆け落ちをし、自国に戻るあたりまで・・・は、ストールを被ったたいらさんが王女メディアを育てた乳母に扮し、段ポールクラフトの花を操って「過去を振り返る説明」で語られます。

この段ボールクラフトのセットや小物、人形達は、すごく味があって良かったんですよね~! 色がなくても表情が豊かで、「この花をイアソンといたしましょう」と言われた瞬間から花がちゃんとイアソンの顔に見えます。段ボールでできた花が人の顔や姿に見え、表情までも見えると思うのは、たいらさんの表現力の豊かさと技術があってこそですが、その豊かな表現力によって自然とそれを観る私達(観客)の持つ想像力が引き出されます。この相互から作り出される「目に見えないけれど、鮮やかに見える世界」が観客の数ほどあり、それぞれであることが、たいらさんの舞台の魅力なんだと思います。

二人の出会いから話が進み、船で駆け落ちをする時に、メディアは追っ手から逃れるために、連れてきた弟の王子を殺しバラバラにして海に投げ捨てます。
それだけでなく、イアソンの国に帰ってからも、メディアはイアソンの叔父を人知れず殺してしまいます。 
そのあたりまでが一幕。
休憩時間には、「メディアって、(夫に浮気される前から)もともと悪い女だったのね~」と思った私です。
イアソンと結婚するために弟の命までも捨てるなんて、「さすがギリシャ神話」と言いたくなるような展開で、この「目的のためには手段を選ばない女」メディアには、この後ダンナ様に浮気されようがどうしようが同情できそうにありません。

などと思いつつ、二幕では、二人はイアソンの国を出でコリントスまで逃れます。
コリントスの場面からは、メディア達の姿がもう花ではなくて、それぞれの人形になり、話はいよいよ復讐の物語へなだれ込むわけです。
イアソンはコリントスの王クレオンの娘に浮気(というか、本気の心変わり)をし、邪魔になったメディアと幼い二人の息子達はコリントスから追放されそうになります。

その酷い仕打ちと嫉妬に狂ったメディアが、浮気相手の姫とその父親を殺害するのはわかります。古今東西、この手の話はいくらでもあります。
愛した人から裏切られて、その人を殺すか、または浮気相手を殺すか、それとも自分が死んでしまうのか・・・どちらに走るかの違いはあれど、何百年、何千年と、このような男女の愛憎の場面がどれほど繰り返されてきたことか・・・。
でも、でも!! なぜにメディアは愛する息子達をも殺してしまったのか。

このメディアの二人の幼い息子達は、無邪気でいたいけで、とても可愛らしいです。たいらさん出す声や、お人形の動きのあどけなさは本当に愛らしかったです。
メディアはその息子達を道具にして、恋敵の姫を殺してしまいます。
そう書くと、まるでメディアが息子達を大切に思っていなかったようですが、これがまるで違うんですよね。メディアは子供をとても愛していました。なのに、果ては自分の身を切るように二人の息子を切り殺してしまいます。
なぜ、なぜ?!
「なぜ、こんなことをしたんだ?!」というイアソンに、メディアは言うんですよね。「あなたの苦しむ姿が見たかった」と。
でも私には、イアソンよりもなお、メディアのほうがずっと深く苦しそうに悲しそうに見えました。
メディアの深い苦しみと悲しみを目にすると、「これは復讐なのか?これが復讐といえるのか?」と疑問に思えてしまいます。
浮気した夫を苦しめるためだけなら、嫉妬のあまりの復讐といえるでしょう。でも、これはそれだけじゃない。
フライヤーには「我が子を殺してまでも振り向かせたい夫がいる。」とありますが、振り向かせるだけではまだ足りない。
もしかして、メディアは、この深い苦しみ憎しみと悲しみこそを、イアソンと共有したかったのではないか?

かつて互いに同じ愛情で結ばれた男と、その愛が消え去る今となっては、同じ憎しみと苦しみで結ばれたかったのではないか? 
劇が全て終わったあとの悲しみの余韻の中で、しばらくして、鈍い私はようやく気が付きました。

親を捨て弟を捨て祖国を捨てたメディアは、本当に「手段を選ばない女」で、最後には愛する子供まで殺してしまいました。
その全てが恋した男のため。彼女はイアソンただ一人のために何もかも失い、ひたすらイアソン一直線に生きた女性だったと言えるでしょう。

人生で「本当に欲しいもの」があったとして、それを得て独り占めするために、その他の何もかも失うのだとしたら、果たして私にそれができるのか?
ただ一人への愛のために、他の者への愛を犠牲にできるのだろうか・・・? その愛が憎しみに変わるとしてもなお、最後までブレずに、ただ一人を求めていられるだろうか?
それは、私にはできません。
以前私は宮本亜門さんの「サロメ」を観た後に、「人が一番欲しいと思う、その最たるものとは、決して手に入らないものなのかも・・・」という感想を書いたことがありますが、そのように思いあきらめてしまうのが、私自身の悲しみなのかもしれません。
 私は、メディアのようにも、サロメのようにも、ただひとつの愛に向かい一直線に手を伸ばし、果ては狂気に至ってしまうことなどとてもできない。
できないほうが幸せだ・・・と思いつつも、私の内に潜むどこか激しい一面が、その自分の穏やかさや平凡さを悲しむような気がします。
自分と真逆のような女達の物語に惹かれる理由が、これにあるのかもしれません。

一途といえば一途すぎた王女メディアは、ラストに息子の亡骸を抱え、龍の背に乗り何処かの世界へと旅立って終わりました。
愛の果ての憎しみと苦しみ、深い悲しみを伴って。

さて、話は長くなりましたが、この人形劇のカーテンコールは、悲劇の後とは思えないほどにほのぼのとして温かいものでした。
お人形さん一人ひとりが再登場し、観客達の拍手で迎えられて並びます。
メディアに殺されてしまった若くて美しい姫や、愛らしい息子達、脇役の侍女や爺やなどのお人形さん達、たいらさん自身が演じた乳母やイアソン・など・・全部がたいらじょうさんですがそれぞれの熱演に拍手です。そして、黒子のスタッフの方々へも。
最後に堂々と登場してきた王女メディアには、大女優の姿を見るようでした。
大役を演じ終わり、満足そうに微笑むメディアのお顔がこれ↓


この日の舞台は全国ツアーの初日だったそうなので、これから「王女メディアの物語」を観るチャンスはあると思います。
まだ観てない方は、ぜひ! 

 

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