キリスト教に賛美歌があるように、仏教には声明(しょうみょう)があります。
京都の三千院・宸殿にて、曼荼羅供法要に随喜(参加)して参りました。
「参拝して来ました」というよりは、宗教音楽のコンサートに行ってきたような感動がありました。
その感覚で言うならば、90分ノンストップで組曲とか、コーラスメドレーなどを聴いた感じです。
宸殿の清浄な空気に包まれながら、耳を澄ませ、体を澄ませて聴いているうちに、以前観た映画の「大いなる沈黙」で聴いた、修道士らのグレゴリオ聖歌を思い出しました。宗教は異なりますが、非常に共通するものがあると思いました。
仏教の声明は、日本の歌曲の原点なのだそうす。謡、浄瑠璃などもそうですが、現代の演歌のルーツだそうです。
日本の声楽って、発声の仕方が独特ですよね?
僧侶達はそれほど大きく口を開けて息を吸い込んでないように見えましたが、体の奥底から出された声が、空間に響きわたり、身体の芯に染み渡るようです。
外国の声楽とは声の色も違います。
独特で微妙な抑揚やゆらぎのあるその声は、建物や人の身体に共鳴するのではなく、自然の木々や、そこに生きる魂にまで共鳴しているように感じられました。
曼荼羅供法要は、同じようなメロディーが単調に続くのかと思いきや、本当にメドレーのように次々と曲調やリズムが変わります。「組曲・曼荼羅」と言えそうです。
三千院のHPには『特に曼荼羅供法要で唱えられる声明は、「天台声明の華」と呼ばれるほど華やかな趣がある』と記されていますが、想像以上に華やかで、変化の面白さもあって、90分間を飽きることがありませんでした。
それにしても、8人の僧侶の方たちのお声の良いこと!
基本は合唱なんですけど、時どき独唱が入ります。
それでですね! もうこれは、どうしても書きたいんですけど(笑)、僧侶のお一人に群を抜いて美声の方がいらしたんです!
声明を唱える僧侶たちは皆さん良いお声ですが、その中でひとりだけ、別物のように際立って美しいお声なんですよね。これはもう発声の仕方うんぬんではなくて、生まれながらに神仏から授かった声としか思えません。
もし、その美声の方が、俗世にいたら、オペラ歌手やミュージカル歌手になっていらしたかも?? なんて、思わず想像してしまいましたけど、私はこの僧侶が三千院にいらして、世俗の愛や欲とかけ離れた場所で声明を唱えていて下さることに、心から感謝したいです。
誰に感謝?って、やはり仏さまに、でしょうか?(笑)
さて、長い声明が終わりに近づいた頃、花びらのような紙がたくさん撒かれました。
後から調べたところ、この紙は仏さまを供養するための散華(サンカ、またはサンゲ)といいます。
すべて終了した後に皆さんが拾っているので、私も二枚頂いてきました。
「普段はここまで近づいてお見せしてませんが」と言われた貴重な曼荼羅図も拝見できましたし、中学の修学旅行以来、うん十年ぶりに三千院に来ることができて本当に良かったです。できれば生きているうちに、・・・今度こそは紅葉の時期にまた訪れたいと思いました。
昨日からの長い旅行記になりましたが、読んでくださった方(が、いらしたら)、どうもありがとうございました。
おまけ
【声明】
【グレゴリオ聖歌】