今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

いつかどこかで(68)三千院・秋季彼岸会~流れる時の中で~その四

2016年09月25日 22時23分48秒 | いつかどこかで(雑記)

キリスト教に賛美歌があるように、仏教には声明(しょうみょう)があります。
京都の三千院・宸殿にて、曼荼羅供法要に随喜(参加)して参りました。

「参拝して来ました」というよりは、宗教音楽のコンサートに行ってきたような感動がありました。
その感覚で言うならば、90分ノンストップで組曲とか、コーラスメドレーなどを聴いた感じです。
宸殿の清浄な空気に包まれながら、耳を澄ませ、体を澄ませて聴いているうちに、以前観た映画の「大いなる沈黙」で聴いた、修道士らのグレゴリオ聖歌を思い出しました。宗教は異なりますが、非常に共通するものがあると思いました。

仏教の声明は、日本の歌曲の原点なのだそうす。謡、浄瑠璃などもそうですが、現代の演歌のルーツだそうです。
日本の声楽って、発声の仕方が独特ですよね? 
僧侶達はそれほど大きく口を開けて息を吸い込んでないように見えましたが、体の奥底から出された声が、空間に響きわたり、身体の芯に染み渡るようです。
外国の声楽とは声の色も違います。
独特で微妙な抑揚やゆらぎのあるその声は、建物や人の身体に共鳴するのではなく、自然の木々や、そこに生きる魂にまで共鳴しているように感じられました。

曼荼羅供法要は、同じようなメロディーが単調に続くのかと思いきや、本当にメドレーのように次々と曲調やリズムが変わります。「組曲・曼荼羅」と言えそうです。
三千院のHPには『特に曼荼羅供法要で唱えられる声明は、「天台声明の華」と呼ばれるほど華やかな趣がある』と記されていますが、想像以上に華やかで、変化の面白さもあって、90分間を飽きることがありませんでした。

それにしても、8人の僧侶の方たちのお声の良いこと!
基本は合唱なんですけど、時どき独唱が入ります。

それでですね! もうこれは、どうしても書きたいんですけど(笑)、僧侶のお一人に群を抜いて美声の方がいらしたんです!
声明を唱える僧侶たちは皆さん良いお声ですが、その中でひとりだけ、別物のように際立って美しいお声なんですよね。これはもう発声の仕方うんぬんではなくて、生まれながらに神仏から授かった声としか思えません。
もし、その美声の方が、俗世にいたら、オペラ歌手やミュージカル歌手になっていらしたかも?? なんて、思わず想像してしまいましたけど、私はこの僧侶が三千院にいらして、世俗の愛や欲とかけ離れた場所で声明を唱えていて下さることに、心から感謝したいです。
誰に感謝?って、やはり仏さまに、でしょうか?(笑)


さて、長い声明が終わりに近づいた頃、花びらのような紙がたくさん撒かれました。
後から調べたところ、この紙は仏さまを供養するための散華(サンカ、またはサンゲ)といいます。
すべて終了した後に皆さんが拾っているので、私も二枚頂いてきました。
「普段はここまで近づいてお見せしてませんが」と言われた貴重な曼荼羅図も拝見できましたし、中学の修学旅行以来、うん十年ぶりに三千院に来ることができて本当に良かったです。できれば生きているうちに、・・・今度こそは紅葉の時期にまた訪れたいと思いました。


昨日からの長い旅行記になりましたが、読んでくださった方(が、いらしたら)、どうもありがとうございました。

  

おまけ
【声明】


【グレゴリオ聖歌】



いつかどこかで(67)清明神社・宵宮祭~流れる時の中で~その参

2016年09月25日 03時53分15秒 | いつかどこかで(雑記)

清明神社は陰陽師・安倍清明をお祀りする神社です。
秋分の日の前日は、夜の7時から「宵宮祭」があり、古式豊かな「湯立て神楽」が見られるというので行って来ました。
 
陰陽師といえば私あたりは夢枕獏さんの小説をすぐに思い出しますが、小説の他にも漫画やアニメが色々あって、安倍清明は人気のキャラですよね~!
五芒星マーク☆が境内のアチコチにあるのも何だかオシャレで、昼間には学生さんや若い女性達がたくさんお参りしていました。
秋分の日とこの前日は総じて「清明祭」と言い、私は前日の「宵宮祭」だけの参加です。
一説によりますと、「宵宮こそが祭りの本番」だそうで、神の降臨を仰ぐ祭りの中心なのだとか。

開け放たれた社務所の座敷は、まるで映画のセットの様。ここに祀られているのは、安倍清明御霊神ですね。当然のことながら。
清明さんが降臨とあらば、雨も小止みになる筈よね~!(笑)

神主さんが現れ祝詞をあげた後、御神楽が奏され巫女舞が始まります。
 
その後、巫女さんが前の庭に降り、お湯がぐらぐらと煮立つお釜の中に木の枝(榊かな?)を突っ込んで、しゃかしゃかと混ぜ、それを一気に振り上げて熱湯を撒き散らします。
無病息災を祈る湯立の熱湯を浴びると御利益があるかも? でもやっぱ熱そう~!
私はわりと前のほうにいたので、期待半分でしたが、こちらまではお湯がかかってきませんでした。 ホッとしつつ、でも、なんか残念。
 
その後は、一般参拝客による御神楽奉納です。
希望者なら誰でも奉納できます。(奉納料は千円なり)
「御神楽奉納」とは、お金を払いスポンサーになることで神様に音楽と舞を捧げるというもの。巫女舞の間、供物に捧げたお饅頭は、神様のお下がりとしてお土産に頂けます。
お饅頭は黒餡の入った、普通に美味しいお饅頭でした。
 

昼間に引いたおみくじは大吉だったし、とっても珍しい行事に参加できて楽しかったです!


いつかどこかで(66)大徳寺・聚光院~流れる時の中で~その弐

2016年09月25日 01時38分34秒 | いつかどこかで(雑記)

実は去年(2015年)は、京都に三回ほど行きました。
1月は金閣寺と龍安寺と妙心寺、5月は観劇遠征がてら、あっきーファンの友だちと一緒に清水寺の辺りを、11月には紅葉が見たくて東福寺をはじめ、西に東にアチコチと行きましたが、そのうち旅行記を書いたのは1月だけでした。

今思うと、やっぱり書いておけば良かったな~!と思うので、今回はさっさと書きます!


千利休 菩提寺 狩野永徳筆 国宝障壁画
大徳寺 聚光院  創建450年記念特別公開 公開中 ~2017年3月26日

聚光院では解説係のお嬢さんが若くて可愛らしく、少したどたどしいながらも一生懸命なので好感が持てました。
つっかえても大丈夫だよ、ちゃんと聞いているから頑張れ~! と、つい心の中で応援する私(笑)

千住博画伯の滝の絵は、 何年か前にどこかで見た事がありますけど、どこだったかしら?? ・・・全然思い出せません ほんと、「いつかどこかで」ってな感じ。
でも、あのダイナミックな滝は忘れていません! あの時の絵は、背景が黒でした。
あ、千住博さんは現代の日本画家さんです。エアブラシを使った斬新な日本画は、以前にテレビで特集していた事もありましたよね。

聚光院で今回初めて一般公開されたという 千住さんの「滝」は、背景が目の覚めるような鮮やかな群青色です。
本当に気持ちの良い青で、心が洗われます。
この素敵なブルーは、僧侶の黒い袈裟が美しく映えるようにと描かれたもので、向かって右にいくにつれ多くなる真っ白な滝は、この辺りに座る賓客たちの衣装の色が映えるようにそうなっているとの事でした。
その水の白さも眩しいほどに美しく、ごうごうと滝の流れる音が聞こえてきそうなほどに迫力がありました。素晴らしかったです!
そしてこの襖絵には特殊な絵の具が使われているので、なんと千年も色があせないのですって!
千年って、本当に千年も?? 
だとしても、今いる私たちには確かめられないですよね? 本当に千年の後もこの鮮やかなブルーが保てるとしても、千年の後、この世がどうなっているのか誰も予測がつきませんしね。

それを思うと、別の間で見られた狩野永徳の襖絵や、本坊の探幽らの絵が今なおこうして見られるって、凄いことですよね!
400年以上もの間、数々の戦禍や災害をくぐり抜け、長きに守られてきた絵を、こうして一般庶民が見られるのは貴重な事だと思います。

もし、この後千年を守り続けられるならば、永徳の襖は1400年を経て、じわじわと色を失いながらも尚、千住画伯の襖と一緒になって未来人に公開されたりするのでしょうか。
その時にもまだ日本という国が残り、四季があり、桜や紅葉、滝などの自然が、絵の中だけでなく、現実に存続してくれてるでしょうか。
諸行無常とはいえ、地球の温暖化が進む中、千年後が少し心配な気もしてきました。

  狩野永徳筆「花鳥図」 

あ、そうそう!
聚光院の特別公開は来年の3月までですが、これを観るには予約が必要です。
詳細はこちら→ http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-jukoin


いつかどこかで(65)大徳寺・本坊~流れる時の中で~その壱

2016年09月24日 19時18分48秒 | いつかどこかで(雑記)

国宝 方丈 唐門 狩野探幽筆 重要文化財障壁画
大徳寺 本坊  特別公開 2016年9月17日~10月7日

9月20日は朝から晩まで通常に仕事をし、そのまま新宿から夜行バスで京都に向かいました。
折りしもその日は台風16号が接近。西も東も大荒れのお天気。
それは前の週から予想されていたのでちょっと迷いましたが、ホテルも帰りの新幹線も既に予約してしまったし、何といっても大徳寺・本坊の特別公開は9月17日から10月7日までの短い期間です。

特別公開でしか見られない、天井龍にぜひ会いたい!

なので、「たとえ台風が来ても行くよ!絶対に行くから!」と覚悟していましたが・・・・
ところが!!
私が外を歩く時に限って雨が止む!・・・というのは言い過ぎにしろ、観光中は急に小止みになったり曇ったりで、幸運にもほとんど傘をささずに歩くことができました。
ちょうど雨雲のわずかな隙間を縫いながら旅していたような感じです。
それは、私の日ごろの行いが善いから?? いえいえ、この期間はお彼岸で様々な神社仏閣で行事があったので、たぶんその御利益の「おこぼれ」を頂戴したのかもしれません。感謝です!!

大徳寺・本坊の方丈は、元々は住職の居住空間だったそうで、煮炊きする台所のような場や食堂として使われた部屋もありました。
建物は400年以上の歴史あるものですから、経年による傷みにより、歩くと床板がキュッキュと鳴ります。
本来は静かなはずの方丈の中を、観光客らはあちらこちらでキュッキュと踏みならし進みます。
こちらでは案内のお姉さまによる解説付きで、およそ25分間。前庭から唐門を眺め、重要文化財の襖絵などが見て周れます。

え~、ここでは残念ながら写真撮影は禁止なので、頂いたパンフレットをスキャンしてみました。
↓こんな感じ。
  
その重要文化財になっている狩野探幽の襖絵などはですねぇ、ぶっちゃけた話、当然のことながら長い歴史の中で古びて色落ちしています。
解説を聞きながら見ていると、いちいち「へぇ~、そうなんだ。ふぅ~ん・・・」なんて感心しますけど、日本画の本当の良さがわからない私ごときに真の素晴らしさが理解出来よう筈もありません そして、だから思うのですよ。
これら襖絵が描かれた当時の最初の姿を、本当の色合い、風合いで見てみたら、どんなだろう?って。
それは、ここに限らず、京都に来るといつも思うんですよね。

時は流れて時代は代わり、繰り返す季節の中で花は咲き散り、木の葉は変化し朽ち落ちる。
どんな素晴らしい絵画もやがては色あせ、隆盛を極めた者らは滅び、美女は老い、猛々しき者も病に倒れ、富める者も貧しき者も、生きるものは皆必ず死んでいく。
世の中のすべてのものは移り変わり、永遠に留まるものはない。
もちろん、この私もまた。

諸行無常、ですよね。

楽しい事があると、ずっとそれが続いて欲しいと願う。
愛する人はずっとそのまま変わらずにいてくれて、愛は永遠であればいい。
いつまでも老いることなく、若く健康であり続けたい。

それに向かって努力するのは良いけれど、永遠に留まるものは無いのだから、過去や現在に執着し過ぎると、楽はやがて苦になっていくでしょう。
楽の中には必ず苦が潜んでいます。
それでは、どのように今を生きたら良いのか。

享受するしか、ない。

楽しい時間はやがて終わる。
だからこそ、その時どきを、この瞬間の限りを、胸の奥深くに吸収して自分のものにしてしまおう。
苦しみや悲しみもまた、受け入れ、吸収していくうちに、時の流れと共に自分の中で変化するだろう。

・・・なんて、そんな風に思ったりするんですよね・・・色あせた建物や絵画を目にしたりすると。

ところで!
この特別公開のお目当ては冒頭で書いたとおり、何といっても天井の龍です!
これがね~、前日は台風で午後から見られなかったそうなんです。あまり強い雨が降っていると、建物も襖も傷むとかで、開け放すわけにはいきませんものね。
なので、台風が去ってくれて本当に助かりました。

その龍なんですが、大徳寺・法堂の天井龍は、狩野探幽が35歳の時に描いたものだそうです。去年観た妙心寺は探幽55歳の作。それに比べると、大徳寺の龍は若い時の筆に相応しく、勢いのあるダイナミックな姿と言われています。
  
「言われています。」って(笑)・・・う~ん、実際に私がどう感じたかと言いますとですねぇ・・・

まず、方丈を見る前に一度見に行ったんですが、特に眼がとても印象的で、「何しに来た」と、問われているみたいで、ちょっとだけ怖く見えたんですよね。
なんか、心の中を見透かされているような感じで。
で、方丈を見て周った後に、戻ってまた天井の龍を見上げてみると、さっきの眼が、ほんの少し、私のことを面白がって見返しているように見えます(笑)
この龍も「八方睨み」といって、どこから見てもこちらと眼が合うように描かれているんですけど、角度もそうですが、その表情は見る人の心によっても変わるって事なんでしょうね。
私も刻一刻と変わっているし。

今年の目標は「現状維持」だけど、やっぱ変わるものは変わるのよね。


映画「君の名は。」

2016年09月16日 01時38分54秒 | 映画

映画「君の名は。」 2016/09/10
【原作・脚本・監督】 新海誠
【出演】 神木隆之介/上白石萌音/成田凌/悠木碧/島﨑信長/石川界人/谷花音/長澤まさみ/市原悦子

ちがう、夢じゃなかった!
まだ会ったことのない君を、探している。 

ってね~、いきなり脱線話なんですけど、去年そういうお話を作ったんですよ!
え、誰がって? いや、私が
そのちょっと不思議なお話・・・「銀河の友だち」という物語を、画家の亀本みのりさんと共作で絵本にしてまたコンクールに出したんですけど、見事に予選落ちしまして
いや~、でも書きながらうっすらと思ったんですよね、「これは始まりの物語だな」って。
つまり、展開に乏しかったのね。 君を探して、探して、探して・・・・やっぱ会うだけじゃ駄目なんだな。
出会うことで「何か」が起こらないと、ね。

そんなわけで、方向は悪くなかったと思うのに、「やっぱ、つくづく修行が足りなかったなぁ~!」と反省しつつ・・・、この上なくすんばらしいお手本を見せていただいた気分。
映画、「君の名は。」は、大ヒットの評判にたがわず、とても面白かったです!

  

「よみがえりモノ」とか、「タイムトラベル話」とかもそうだけど、ここ何年(何十年?)も、「男女の魂の入れ替わり劇」っていうのも、あまりに沢山出回りすぎて、もういい加減に出尽くしちゃってる感があって、なんだか設定に新鮮味がないんですけど~?
なぁ~んて、最初はこの映画を観ようかどうしようか迷ったものの、日に日に評判は上がってくるし、観客数はうなぎのぼり。
も、もしかして、あの「シン・ゴジラ」を抜くかも?という勢い。
観てみれば、その「入れ替わり」だけじゃなくて、「よみがえり」や「タイムトラベル」の要素も含んでいて、じつに脚本が面白いです!
そのうえ何と言っても、あの映像美! まるで実写のように・・・ではなくて、実写よりも美しい。 
美しい、けれども、ただ目に美い、という以上に「心に美しく」感じられます。
なんだろう、これ。
・・・たぶん、実写では自分の目に映らない、というか、実写だと見逃してしまいそうな物まで見えるからなんですよね。

自然でも建物でも人間でも、人は何でも、他人と同じ物を見ているようで、実はその目に映るのはそれぞれに違うのではないだろうか。
この物語の主人公達や、監督の新海誠さんの目に映った「風景」が、アニメという映像を通したことで、彼らの心に見る「情景」となってこちらの目と心にも届いたように感じられました。 

自然や街の風景は、高度な映像によってリアルな「情景」と変わり、より美しく、登場人物はアニメっぽく魅力的で、神木隆之介くんや上白石萌音さん達の声は誰も皆アニメにぴったりだったし、RADWIMPSの音楽もそれぞれのシーンに合っていて良かったです!

それにしても・・・

いつかどこかで出会った君を、今この時の僕を、
書かないと忘れてしまうから・・・・書いておかなくちゃ。

そんな二人のシーンを見ながら、「うんうん、そうなんだよね。書いておかないと忘れるよね。書いていても忘れるけどさ。」と思った私

 新海誠監督の他の作品も、ぜひ観てみたいです。 
過去の作品はDVDも良いけれど、やっぱ映画館で見たかったな~!